はてなキーワード: 代替とは
この意見にはいくつかの問題点と矛盾が含まれています。また、いじめを正当化するのは、職場の健全な環境づくりや倫理的責任の観点からも大きな問題です。
いじめを「庶民の武器」と称し、特定の人を排除する手段として認めることは、職場の安全と平等を損ないます。これは法的なリスクを高め、組織の評判や雇用者としての義務にも悪影響を及ぼします。厚生労働省のガイドラインに基づくと、職場のいじめ・ハラスメントは法的に禁止されており、組織にはこれを防止する責任があります 。
いじめと追い出し部屋の使用は、組織としての対応を誤る要因となります。追い出し部屋は非効率的で、人材の適切な管理とは言えません。代わりに、職場の問題がある従業員に対しては明確な評価基準に基づき、必要に応じたサポートを提供するなど、建設的な対応が求められます。
3. 「ハッタショ」への偏見
発達障害を抱える人を「ハッタショ」と表現し、いじめの対象にすることは偏見に基づいた不適切な対応です。現代の職場では、個々の違いを理解し、多様なニーズに対応するインクルーシブなアプローチが求められます。障害者に対する差別や偏見を助長する行動は、職場の倫理基準や法的要件に反するものです 。
「庶民の武器」としてのいじめは暴力行為の代替としていますが、これは建設的な解決策ではありません。対話や適切なフィードバックの提供が可能であり、いじめという手段を正当化することは論理的に矛盾しています。職場のトラブルは、正当なフィードバックを通じて解決することが求められます。
穏当な対応策
問題のある被雇用者と面談を通じ、問題の原因や改善の可能性について話し合うことは効果的です。問題を特定し、改善目標を設定して、明確な指導を行うことで相互理解が深まります。
繊細でコミュニケーションに課題がある被雇用者には、メンターやコーチのサポートを提供することも有益です。業務上の悩みやスキル向上のための支援を行い、安心して成長できる環境を提供することが、職場全体の向上につながります。
適正に基づく配置転換や、個人に合った役割を明確にすることで、負担や不満を軽減できます。人事部門や管理職が適切な支援を提供することで、従業員の強みを生かし、職場の調和を維持することができます 。
職場では、お互いの個性を尊重し、建設的なコミュニケーションを図ることが不可欠です。いじめは長期的に見ても悪影響を及ぼし、代替手段としては不適切です。
数年ぶりに渋谷を歩いた
あるだろ。円山町に。
もう何年もずっと、誰の迷惑にもならずに。
今はもうやめたのかもしれないけどね。
数年前に感じたのは、ハロウィンは渋谷の子供をいじめているということ
当時上の子は、保育園に入れなかった。そのため恵比寿の保育園に入れた。
弟は渋谷の保育園に入れたが、転園も可哀想なので、上の子は恵比寿のままだった。
仮装をして近所を回るのだ。コロプラからお菓子をもらい、花屋さんから花を一輪もらう。
そう言って、いまはなき高島屋に向かった。
カタカナが読めるようになった娘は、それを見て、悲しい顔をした。
悲しいのは上の子だけじゃない、下の子の幼稚園では、ハロウィンのイベントはやらない
それどころか、ハロウィンについて何も教えない
渋谷ではそれができない。どうして?誰が考えた?
渋谷に住んでない奴らが、渋谷のことを考えているんじゃないかな。
渋谷から三茶に向かう車の中で、子どもたちは今でも嬉しそうに話す。
「養命酒のコンビニって優しいよね。ハロウィンのお菓子もらえたよね。」
それは、本当に小さい。十円もしないようなお菓子だった。
そういえば、渋谷の区役所の代替えの建物(?)があったところに、
公園ができるらしいと聞いた。
大人が集まる公園だそうだ。子どもたちが、遊べるようなものではないと聞いた。
裏に保育園があるのにもかかわらずだ。
どうして?
トー横キッズたちが渋谷に流れてきたのだ。だから公園を閉鎖したのだ。そんな話を耳にする。
胃を摘出しても生きていけるのはなぜ?
胃を摘出しても生きていける理由は、消化や栄養吸収の役割を他の消化器官が代替できるからです。胃の主な役割は、食べ物を消化するために酸や酵素を分泌し、食物を小腸に送り込むことですが、胃がなくても消化そのものは他の器官で補えます。具体的には以下のような仕組みが関与します。
1. 消化液の代替作用:胃が摘出されても、膵臓や胆嚢からの消化液が小腸に分泌され、そこで食べ物が分解されます。
2. 栄養吸収の補完:栄養の吸収は主に小腸で行われるため、胃がなくても栄養を吸収できます。
3. 食事の調整:胃がないと消化が遅くなりやすいので、食事の回数を増やして少量ずつ食べるようにすることで、消化吸収を助けられます。
ただし、胃がなくなると一部のビタミン(特にビタミンB12)の吸収が難しくなるため、補助剤を必要とすることがあります。このように体が適応することで、胃がなくても生活が可能になります。
すご胃ね
そうですね!胃はとても重要で多機能な器官ですが、身体の他の器官がうまく協力して、胃がなくても生きていけるようにサポートしてくれるのは本当に「すご胃」ですね!
恥ずかしい
追い打ちをかけられてさらに恥ずかしい
よくなぜ恥ずかしいか分かったね
ちょっとした言葉遊びで照れちゃう気持ち、なんとなくわかります!ユーモアや親しみを込めた表現って、意外と「やりすぎたかな?」と思って照れくさくなることありますよね。でも、そういうのって周りにも楽しい雰囲気を伝えるので素敵ですよ。
この意見には、一部妥当な面もありますが、問題点や矛盾も含まれています。以下に主な論点を挙げます。
• この意見は、歴史的に制限されていた選挙権が現在の「当たり前の権利」になっているという認識に基づいています。投票権が歴史的に多くの人々に制限されていたことは事実であり、その経緯を知ることは、投票行動の重要性を理解する一助となるでしょう。
• ただし、「歴史を知れば自然と投票に行くべきだと感じる」という考えは、個人の動機づけを一律に捉えており、すべての人が同じように反応するとは限りません。投票への意識が低い層に対し、歴史的な背景だけで行動を促すことは、十分な説得力を持たない可能性もあります。
• 「特に女性や弱者男性」に向けて投票を強調する部分には、特定の属性に対する偏見が含まれているように見えます。投票率の低さは、年齢層や居住地域、教育水準などによる傾向があるものの、特定の性別や属性に限定されるものではありません。
• 一部の層に対して「文化資本の低さ」や「愚か」と決めつけることは、投票行動の重要性を理解してもらうよりも、むしろ反発を生む可能性が高いです。
• 「投票に行かない人は意識が低い」といった論調は、個人の自由な意思決定を軽視していると受け取られる恐れがあります。投票は民主主義において重要な権利ですが、同時に「投票しない自由」も存在します。何がしかの理由で選挙に参加しないことを、直ちに意識の低さや不適格とするのは、多様な意見を尊重する民主主義の観点から見て問題です。
• 「選挙に行かない人から金を取る」という発想は、現実的ではなく法的にも非現実的です。選挙は義務ではなく権利であり、投票しなかったからといって罰則を設けることは日本の民主主義の理念と矛盾します。また、実際の投票率向上には、罰則よりも教育や啓発活動による理解促進が効果的だとされています。
• 投票率を上げるためには、若年層への政治教育を充実させ、興味を持ってもらう取り組みが重要です。また、特に非投票者の意見も尊重し、投票率を上げる仕組みづくり(インターネット投票や投票所のアクセス改善など)も考えるべきです。
ここで俺がバカにしてるのは莫大な富を得た経営者とか先祖代々の地主とか富豪とかじゃなくて、労働収入をコツコツためて何%ルールだかで取り崩していこうとしている人ね 自分の最低限度の生活費の何十倍かを用意して、その運用益で生きていこうというわけだ
いや、なんで残りの人生何十年間で自分の生活費が変わらない前提なの?現代経済の最大の問題は世代別人口比の偏りによる生産人口の不足で、要はお金があっても人がいない社会になるわけじゃん
GDPに占める第三次産業の割合が高まり続ける現代では、自分のために何人の人間を金払って働かせられるかが豊かさの源泉になるわけで、人手不足で人を雇うコストが高まれば、当然生活コストのインフレ圧力は加速的に高まり最低限度の生活費はどんどん上がっていく さらに現状住居費が安い田舎の方から人手不足でゴーストタウンになっていくわけで、近い将来大多数の人間は住居費の高い都市部へ段階的に移動せざるを得ない
年金だって、国家の安定を維持するために一定の所得代替率を保とうと思えば、支給開始年齢を後ろ倒しにすることは避けようがないわけで、自己資金で賄わなければならない期間は長くなる一方だ
さらに、FIREしようとする人は当然独身子なしがほとんどだ。少子化が進むなかで、国家が独身老人の社会保障を保つインセンティブはどんどん薄くなるため、自分に介護や高度医療が必要になるころにはそれらを享受するコストが爆上がりする可能性が高い
今後の日本で生き残るのは、金銭のやり取りを介さない人的資本と、社会保険の世話にならない程度の健康体と、70代まで安心して働ける場所を持つ人間になるわけだが、労働の苦しみから逃れようとしてFIREする層がそれらを獲得したり代替する戦略を練ってる感じはしない FIREする人は社会がどんどん悪くなっていくという確定的な未来に目を背けて、もっとも頭も体も元気な時期に金銭収入を得ないツケを老後の自分に払わせることになるだけだと思う
ハイキューが最終回を迎えた際、Twitterで感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファンの投稿が目に入った。自分はハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。
井上雄彦の作品に通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間の思考と感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールがマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティの基準点をもたらすこととなった。
桜木花道がバスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要な問題になりうることを、今なお我々に伝えている。
講談社は1970年代末期には後発のジャンプにマンガ業界の盟主の地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジンは苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである。
その中で強引に看板作品に祭り上げられ、ジャンプの屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺の剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。
ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプのアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張や封神演義やBOYSにこの役割を代替できたか考えてみてほしい)。現代のジャンプ読者はもっと、もっと本作に感謝すべきだと、佐藤健の超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである。
連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんはシュールではなく、ベタをシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。
本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである。現代の観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。
彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象のワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。
闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空のTCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具・ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。
コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲームが友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。
世界で最も多く発行された単一作者によるマンガ作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然にカテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。
毎週月曜日にワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マンガ業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定の年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌の終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィと尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。
幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルEで前人未踏の領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義を執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。
「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTERの最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」
いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品がジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。
前例のないテニスマンガでの成功、女性読者の流入、クールで生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。
1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優の登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツに侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。
すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマンガ文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで
あまりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人は中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。
連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板の最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価が妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民は久保帯人のセンスをバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊、忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落たキャラクターとセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内にしかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。
デスノートという作品は複数の点で極めて例外的な成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力、宗教的崇拝、欠点の無い主人公、ゴシック的キャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...
本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品がメディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクターを矛盾なく作れる人間は大場つぐみくらいしかいないのだから。
2010年代にジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」
ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。
「家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的なテーマにフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に、劇場版『無限列車編』は社会現象化し、国内の興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。
出版業界の衰退、コロナ禍、趣味の多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能であると証明した本作は、令和を生きる日本人の心象風景に残る新たな「国民的マンガ」として、時代に選ばれたのだ。
ひとりのスターの存在がプラットフォームの価値を定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在をメジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動の文化をオーバーグラウンドなものにしたように。
2014年に創立したジャンプ+というプラットフォームの目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。
かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前で投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所のひとつとして認知されるようになった。
藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈をインターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものがマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。
この意見に対する評価は、いくつかの視点から検討する必要があります。主に「白票投票が現状維持に寄与するか」「民主主義への影響」「有効な抗議手段か」という三点について論じることができます。
意見の中で「白票は現状維持、つまり与党支持」という批判を退けていますが、実際には、白票を投じても直接的な変革をもたらすことは難しいです。白票は無効票として扱われ、有効票には含まれません。その結果、最も多くの有効票を得た候補者が当選するため、白票が多くても制度上の勝者が変わることはありません。つまり、現状の政治システムにおいて、白票は消極的な行動とみなされる傾向があり、その結果、与党の強さや議席数が維持される可能性が高いです。このため、白票が有効票を減らすことで政治家の行動に影響を与えるという前提には疑問が残ります。
2. 民主主義への影響
意見では、多数の国民が白票を投じることで「9割の国民に支持されない政治家」を生み出すことを目指しています。しかし、この考え方は民主主義の基本原理に反する可能性があります。民主主義は、市民が積極的に自らの意見を反映させるための制度であり、投票行動そのものが意見表明の手段です。白票を投じることは不満の表明にはなるかもしれませんが、具体的な政策や候補者に対する意思表示が欠けており、建設的な対話や改革の方向性を見いだすことは困難です。結果的に、無効票が増加することで民主主義の機能が低下し、最終的には市民の意思がより反映されにくい政治構造が残るリスクがあります。
白票投票は政治に対する不満の象徴として使われることがありますが、意見表明としての効果は限定的です。抗議の手段としては他にも、選挙に立候補する、特定の政策を支持する候補を支援する、市民運動や請願を通じて声を上げるなど、より積極的な手段が考えられます。また、選挙制度や投票システムの改革を求める動きに参加することで、政治の透明性や公正さを高めることができます。単に白票を投じることは、現状への消極的な抵抗に過ぎず、長期的な政治改革につながりにくいでしょう。
この意見は、白票投票が有効な抗議手段として提案されていますが、実際には政治や民主主義に与える影響は限定的であり、むしろ現状維持に寄与する可能性が高いです。また、白票投票だけでは具体的な変革を生み出すことが難しいため、より積極的な参加や代替案の提示が必要です。
先日10月19日、両国国技館で行われた「Red Bull Home Ground APAC Qualifier」というeスポーツイベントで、先着順で購入した枡席最前列のチケットを持って会場に行ったら座席が1列丸ごと存在しなかった。その列のチケットを持った者たちは開演ギリギリまで待機させられ、結果枡席最後列の案内となった。スタッフから「列を間違えて発券してしまったので本来はこの席」と説明があった。
その日枡席のチケットは20000円(グッズ付き)もしくは12000円で販売されていたが、枡席後列は学生見切れ席として4000円で販売されており、それより後ろの最後列が本来の席というのはおかしい。代替席としてはダウングレードもいいとこだ。
イベントが半分以上過ぎた開場7時間後、謝罪の紙面と本来の最後列チケットとやらを持ってスタッフがやってきた。紙面を一部抜粋すると「皆様への本件に関するご連絡については、弊社にて関係各所と詳細を調整中でございます。」と書かれている。要するに未定だ、返金すら。調整とやらの結果はメールで来るらしいが、3日経った今も音沙汰は無い。
ちなみに、公式SNSはこの件についてダンマリだ。2日目となる20日の当該チケットを持った者への公式発表も無い。比較的客層が若いこともあって、この件について声を上げる被害者も少ない。少なくとも44枠ぶんの被害者がいたはずなのに。このまま事は大きく取り沙汰されず、なあなあで静かにチケット代のみの返金が行われるのか?
8月にうたプリで似た問題が起きた際のはてブを、私もいつか読んでいた。あの時は野次馬だったが、もう一度読み返すと「運営を攻める役割を背負わされるのしんどい」という文に共感して涙が出そうだった。被害者だけ文句を言え!という言葉はここ数日何度も見た。先着順で最前列を取るほど楽しみにしていたイベントに対し声を上げ、ましてや出るとこ出るなんてエネルギーは……。うたプリで起きた時に関わっていたイベント管理会社にキョードー横浜があるが、今回の件で関わっていたイベント管理会社はキョードー東京だ。もちろん、どの企業や運営に原因があるのかまだ分からないにせよ、いま大きな問題にならなければまた同じ事が起き悲しむ人が出るんじゃないかと思うと、声を上げずにはいられない。
向こうは謝罪と返金以上は出来ないことは分かってる。ただ多くの人に知ってもらうことで、再発防止策を重くとってほしいと願うばかり。
分かる限りの運営側
Red Bull Home Ground 2024 APAC Qualifier 事務局
【追記】
ローソンチケットのメールアドレスで、主催者(事務局)からのお知らせという形で謝罪文が届いた。
メールの内容と文は無断転載禁止と書かれている。ので結果だけ書く(これも書いたらまずいのかもしれない。とことん内側で済ませようとしていると思ってしまう。消えてたら察してくれ)
結果は、チケット購入代金の全額を返金ということになった。グッズ付き枡席はグッズ代8000円を除いた金額を返金。
書き方的に、手数料含むの返金だろう。
正直、交通費(自分は新幹線代往復3万円ほど)とまでは言わないが、待機が発生したことで開演前に物販や数量限定の列に並べなかったり、あの日のイベントは帰ってこないという気持ちを汲んで欲しいと期待していたが…これに関しては納得することにする。
反応してくださった皆さん、ありがとうございました。
全くの余談だが、今回チケットを購入するにあたり席代に加え手数料が先行サービス料2200円+システム利用料880円+電子チケットサービス料440円が加算されている。ので、自分は通常枡席なので計15,520円の返金になるだろう。手数料高いな!
少子化対策って意見ががっつり分かれてて、こういうものこそ選挙で決定すべきだって思うじゃん?
1. 結婚は墓場。結婚したくない自由のため少子化は受け入れるべき
1.1. こんな地獄に子を作らなかった私は善。作った奴らは悪であり悪のなした子は責任を取って善なる老人のため奉仕
1.2. こんな地獄は次世代に残すべきではない。世の中に貢献できなくなったら安楽死する選択肢を
1.3. こんなヘルはジャパンだけ。いつか他国が盛り返すからその時は外国の傘下となって生きる。日本全国オスプレイ飛びまくり
2. 結婚が墓場かどうかは個人の判断。産む人は産み、産みたくない人は産まない。少子化対策は産みたい人にがんばってもらう
2.1. 産みたい人は10人でも20人でも産めるよう再配分強化。子なしは個人の選択の結果なので育休で頑張っていただいてる子ありに奉仕しブラック残業
2.2. 産みたい奴は国内に限らない。意欲のある移民を呼んでとにかく外人と結婚しろ。多産の南米母とインドネシア母がPTAで宗教戦争しても耐えろ
2.3. 結婚制度は自由主義に反する。婚外子同性婚(Lは精子バンクGは代理母)多人数婚何でもござれでとにかく子を増やせ。10代でシングル出産?国の宝だ不幸にならんよう全力で援助
3. 家族は社会の最小単位。少子化は皆が平等に結婚し子を産み育てることで対策すべき
3.1. 自由主義は失敗した実験。地域親戚の紹介でお見合いして嫁をあてがえ。引き籠ってパソコンいじってる場合じゃねえ町内会で爺に酌しろ
3.2. 今さら地域社会の復活は不可能。国策マッチングアプリでやり手婆の代替を。市民、家族生活は義務です
明日はどっちだ
プレゼントで朝日新聞の記事読んだからお礼代わりに相続関連の現場から話をすると、まあ遺族側に同情しちゃうね俺は。
ソコソコ規模が大きいからニュースになってるけど、中小企業で今後こう言う話はどんどん増えると思うよ。
あ、特定はイヤなんで以下はマックで女子大生が話していた内容でーす
朝日出版社の話は(記事を読む限りでは)、普通に親族間で感情的なもつれがあるのに、経営陣が雑な対応してやらかした自業自得な感触を受ける。
関連記事のブコメで良いヤツがあったから引用するんだけど、これ感覚的にわかりにくいと思うので、詳細に解説したいと思う。
いまいち、株主(創業者遺族)が「資産(土地含む)と照らし合わせると、極端に低い価格」で売る動機がわからないな。相続税を払わないといけないから、株を売ること自体はわかるのだけど。
まず大前提の話をするんだけど、相続税の支払いは10カ月以内に行う必要があります。
つまり2023年4月に亡くなられたなら、2024年2月までに支払う必要がある。遅れたら延滞金がつきます。すぐ利率14%超えるんでまあ普通はちゃんと納付期限までに払う。
なので、俺は相続税は既に払い終わってると思う。
極端に低い価格で売る理由は「極端に低い価格だと思うなら、じゃあなんでオマエ買わないの?」という一言に尽きる。
え、いや10憶も持ってないし、とかそういう回答になると思う。他の出版社もそうなんだよ。
少なくとも経営陣が2023年中に自社株買いで10億円かかるなあ、じゃあ資金調達して自社株買いしますわーってやっとけば、こんなことにはなってない。ハイ、ペナルティ1個め。
次に、他の出版社が実績もあって手堅い出版してる朝日出版社の買収に手をあげない理由。簡単ですね、それだけの価値が無いから。
いやいや、不動産も含めたら資産があるって話してるじゃん!と思うかもしれない。でもその土地さ、現金化できなきゃ価値無いじゃん。
じゃあさ、10億で買収した出版社がさ、九段下の本社不動産売って社員は適切な業務ができるビル借りるから移ってや、みたいな話、したい?
めんどくさいでしょ。組合の声明出してる内容は事実だよ。社員の労働環境に大きな影響を与える場合、丁寧に説得して納得してもらってからじゃないと基本やっちゃダメ。
そして、本業が黒字であっても、買収額をその黒字でペイできるまで何十年かかかるな~出版不況とか言われてんのに~とか事業計画書眺めると、まあ銀行もカネは出さないよね。
買収に手を挙げた印刷会社は相当頑張ったと思うよ。まあ、最悪土地売ればええか、とかは考えてたかもしれないけど。
時系列でまとめとこうか。
2023年4月、創業者が亡くなられた。お悔やみ申し上げます。
2023年?月、自社株買い検討で、10憶かかりそうと経営陣が見込んだ。何見込んだだけでボーっとしてんだよ。社員でMBOしろや。
2024年5月に、買い手が見つかったから売るわって遺族に言われたときに、いやいや安すぎる買い手がいるはずって言って、当初見つかってないのよ。ハイ、ペナルティ2個目。
2024年8月に、印刷会社が友好的に買収してくれそうって話になって、遺族に送った表明書が7億円でしょ。ハイ、ペナルティ3個目。
2023年には10憶かかりそうって言った口で、何3憶も値引いて売ろうとしてんだよ。ここで3億値引きの説明をまともにできなきゃ、単なる嘘つきだよね。
2024年8月末、遺族が株式譲渡契約を結ぶ。基本ココで詰み。
2024年8月末、遺族が自宅を1億で売ってくれと経営陣に言う。経営陣は売らない。ハイ、ペナルティ4個目。
『経営陣は売却に前向きだったが、取締役会の承認が必要なうえに』知らねえよ、さっさと取締役会を開けよ。せめても承認が通らなかった結果を出してから言えや。
2024年9月初め、『譲渡額を知らない経営陣は「印刷会社が10億円で買収する意向だ」と伝えた』とか、遺族からしたら馬鹿にしてんのかって話でしょ。ハイ、ペナルティ5個目。
8月に7憶って表明書の文書出しといて、9月に口頭で10憶とかって馬鹿にしすぎでしょ。ポンポン値段を上下させすぎなんよ。こんなん信頼するに値しませんわ、お話にならない。
俺は遺族側の話を聞くことが多いから同情的なのを差っ引いても、経営陣の動きがボンヤリしすぎててひどい。
コレね、額がでかいから想像が難しいと思うんで、大胆に例え話にするんだけど、実家を相続したと考えてくれ。
オマエさんは既に都会に出て独り立ちしてて家族もある。実家は叔父さんが住んで商売してるらしい。
相続したんだし金にしないとなあと不動産屋に行ったら300万っていわれたんで、じゃあ売るわって叔父に連絡したら「いやいや安すぎる1千万はする」って言われた。
もうね、心の底から「知らんがな」って言うと思うんだよね。じゃあ叔父さんが買うか相手先見つけてきてから話をしろや。
わかるでしょ?
その土地にホントに価値があるとか、そこの事業が社会貢献してるとか、心の底からどうでも良いの。
コレがね、娘にこの会社を継いでほしい、だから事業部に入れて育てて今や役員だ、社長とはうまくやってほしい。
とかって話で、娘が親父が死んだから改革じゃあ、会社がガタガタになりそう社長どうにかして~とかだったら、お家騒動と言えなくも無いと思うのよ。
単純な話で、遺族が相続した遺産を現金化しようとしてるかもわからんのに、経営陣がぼんやりしてたから買い時逃しただけでしょ。
「いやー、奥様も娘様も高潔な出版の意義を理解されていて素晴らしい」とか経営陣と社員一同で拝んどったんか。なにしとったんやマジで。
この手の話で、説明責任とか、直接話をさせろみたいな上から目線の雇われ役員とか社員すっげー多いんだけど、マジで考え直した方がええで。
面倒無く一刻も早く現金化してその現金で好きにしたい遺族に、不義理し続けたらそら不信感持たれて話聞いてもらえんじゃろ。
従業員は、オーナー変わるのかあ、大丈夫かなあ、とかでもまあ仕方がない。雇われ社員だしね。
経営陣は2023年にマジで何しとったんや。会社はよろしくお願いしますって遺族に言われて素直に受け取ってぼんやりしとったんか。
ワンマンオーナーの代替わりやぞ。下手したら遺産相続で持ち出しまであったかもしれん相手に、ちゃんと菓子折りもってご機嫌伺に行けや。
まあ、個人的な落としどころとしては、「遺族に迷惑をかけない」「だから株式譲渡先とだけ交渉する」「譲渡先は印刷会社に株式譲渡してくれ」あたりかな。
遺族としては高けりゃ高いほど嬉しいだろうけど、まずはさっくり現金化できるのが最優先だよ。事業に思い入れ無いんだったらなおさら。
そこの思いを汲み取らない限り絶対に話まとまんないよ。感情的に揉めてる場合は、値段の問題じゃなくなってることもあるし。
あとは印刷会社には、九段下の社屋は引き払って安いところに移るから、それ込みで引き受けてくれと握る、あたりかなあ。
思ったより長くなったな。
「絵に描いた餅は食えない」に尽きるな。
遺産を相続したんなら、使えるうちに現金化して使うでしょ。もうね、相続時点で敵対的買収されたと思うくらいの速度感が必要なの。
たぶん7割の株式持ってる創業者の妻を懐柔したかったんだろうなあ、というのが記事から透けて見える。日本企業の情緒的なお仕事の仕方ホントに良くない。
工場で次のオーナーのお手並み拝見だなとか社員が不敵に笑ってたら知らん弁護士が急に来て事業清算されて全部消えました、みたいな話ゴロゴロしてるから。
遺族が遺志を継いで旨いラーメンを作りたいのとか超レアだから。雇われ経営陣に危機感が足りなさすぎる会社、日本にめっちゃいっぱいあるからこういう話増えると思うよ。
https://anond.hatelabo.jp/20241021004208
典型的な誤解に基づいて書かれた考察があるので叩き台にしてタイトルについて語っていく
その生成AI自体について有用性や仕組みへの誤解についての議論はしない(例えばこの考察は明らかに生成AIの「学習」や「再利用」についても誤解しているがここでは無視する)が、最低限押さえておいて欲しい事を書く
読むのが面倒な人向けに概略を書いておくが勝手に自分の妄想上の西洋とか欧米を使うなよ、という話である
例えばCELSYSのCLIP STUDIO PAINTに生成AIが導入されるという議論の際に強い反発を受けた事を日本の後進性に基づいて言説が展開していたが
しかし、IR情報などを参照すれば解る様にそもそもユーザーの半分以上は海外であり、去年の売上も8割が海外からである
当時のコメントやそれにまつわる言説を読めばグローバルな、特に欧米のユーザーからの反発が最も苛烈であった事が無視されており
最近の例としてProcreateのかなり強硬な反AI声明を見れば明らかな様に現在では海外においては一定の見解として定着している
イラストを扱うコミュニティについて比較すれば国内とアジア圏で筆頭のPixivはタグ付けによる仕分け程度であり、クローズドなSNSの割にかなり寛容な方で
使用者の米国人比率が非常に高いRedditの自作アートの話題を扱うr/Artはかなり初期の時点で生成AIを禁止しているし、DeviantArtでの生成AI周りの導入に纏わる訴訟騒ぎは言うまでもない
そしてその締め付けが進んでいる最も顕著なジャンルであるこの文章を書いたらしい人間が所属している「音楽分野」では演技分野における声の扱いとセットの流れで生成AIは最も警戒されている
これは生成AIがハイプな話題として持ち上がる前史として、2010年代後半から著名な政治家やミュージシャンの声を使ってラップや演説を行ういわば「音楽版のディープフェイク」が流行していた事が要因になっている
例えばオバマ元大統領辺りがかなり厳ついラップをしたりする動画等は簡単に見つかるだろう
そういった事を踏まえた上でハリウッドでは組合による生成AIの脚本利用や俳優組合によるストライキが起こっているし、今年はテネシー州でELVIS法が制定されている
無論これはテネシーの出世頭エルヴィス・プレスリーの名から取られた法で、俳優やミュージシャンの声を財産として保護し無断使用に対して罰則を与える法律である
おそらく音楽分野では早い段階でiZotopeがやっている様にAIを利用したマスタリングツールが早い段階で誕生しているし、サンプリング文化等の下地もあるので
アメリカの音楽界隈は先進的、寛容というイメージを持っているのかもしれないが、個人の創作性に関する部分ではむしろ日本とは比べ物にならない程生成AIに対して強硬な反発をしており大間違いである
総じて生成AIの創作による利用に関して強い反発を行った事でアンタッチャブルになりつつあるのはアメリカとEU(ここでは多くは語らないがAI規制法が今年発効されており、汎用生成AIシステムでは透明性義務が必須となる)を中心とした欧米圏であり
むしろ日本は最近になって声優業界がかなり折り合いをつけた内容の声明を出した程度で、政治的にもAI戦略会議の内容を見れば国家戦略として5Gの使い道として取り込む目的もありかなり推進側にあるのは明らかである
元の文章では何故かパルワールドについて語っているが、これは欧米圏のゲーム文化における「不寛容」な任天堂の問題による
反発が加味されたものなで生成AIやフェアユースの議論の範疇だけで語る事はできない
特にMOD文化や大会開催等においては海外メーカーでは考えられない締め付けや法的措置を取ってくるのでその側面では任天堂の評判は非常に悪く、常に揶揄の対象になっている
それに対して冷水を浴びせかけたパルワールド、という立ち位置からの支持である事は忘れてはならない
元考察では欧米圏で「寛容」な理由として神から与えられたものとして創作の才能を扱っており、使命故に公益的な要素が大きかったという趣旨が語られているが
その要素はむしろパトロネージュにおける文化的な見解を極端にしたものであり、宗教的な原義からすれば真逆の見解を語る事ができる
例えば、欧米圏で「不寛容」な理由としてそういった神から与えられたものが機械で代替できる事への反発が大きいといった様な語りだ
この程度の見解はアブラハムの宗教における人間中心主義の位置付けを考えれば簡単に想定できるし
そもそも上位存在から与えられたものとして芸術を扱うのは欧米圏だけでなくアジア圏でも一般的な事であって固有のものではない
加えて創作論にはあまり踏み込む気はないが、元記事で無警戒に当てはめられている様な現代人の創作に対しての概念は近代以降のものであり
当時の感覚は全く異なっていて個人というよりも職人的に作られており音楽や絵画は信仰を広げる為のメディアとしての役割が非常に大きく、そのまま現代に結びつけて語る事は非常に危うい
自称ではあるが「クリエイターのレベルが高い」筈の分野に所属している人間ですら何故こういった事実や経緯を知らないのか?
ほとんどの日本人は英語が読めないし読む気がないし経緯や文化を理解する気もないからだ、と言ってしまうと身も蓋もないのだが多分この辺りが原因なのかなと思われる
少なくとも前半部分に関しては多少掘り下げて見てるだけでも幾らでも出てくる話なので、英語読めない以外の理由が思いつかない
それでもこのツッコミどころ満載の言説がなんとなく受け入れられているのは伝統的に欧米から先進的な流れを受容してきた日本、というステレオタイプがあるからなのでは無いだろうか
とりあえず存在しない「西洋の先進性と寛容さ」をでっち上げて議論を行うのは、少なくとも生成AIに関しては大間違いなので今すぐにでも止めるべきである
プロンプトエンジニアなる職業が新時代のクリエイターの一形態になるのかというとそんな気もしない。
高度な技術を代替するのが目的のAIがそこを代替しない訳がなく、絵師以上に短く消えてく職種だと思う
創作という分野をAIの使い手が担って新しい文化を築いていくというのは楽観すぎる
でも中小企業の当社だと、仕事量を圧縮しても暇人ができるだけで
その暇人に割り当てる別の仕事が無かったりするんだよね(特に間接部門では)
中小企業の間接部門にいて、システムやAIで代替できるような仕事をしている人たちって
基本的にはだいたい無能で決まり切った定型業務しかできないし、仕事内容が変わることにかなりの抵抗を示す
かといって「仕事無くなったから退職してください」が許されないのが現在のJAPANなわけジャン
なーんてことを考えると
「やっぱりこのシステムを導入するのはあの人の定年(8年後)に合わせてにしよう。それまでは時間はかかるけど今までのやり方でいいや。」
となってしまうわけよ
発想自体は浮かぶんだけど、(自分も過去に思いついたしちょっとだけ書いた)
そもそもパチンコが戦いなので、戦い×戦いというのも少ないちゃ少ないか(変な異能は変な界隈から)ゲームマスターとかあるから、やっぱ人口と層と掲載誌か(そんなに戦いでもないしな
麻雀漫画で麻雀以外の色々で戦ってるような漫画はそこそこあるし、パチンコ漫画は基本が日常ものだったり(知らんけど)でシナジー生んでない(発想がまだまだ広がってない)から成長止まってるのはあるのかも
というかパチンコ自体が完成されすぎてる。対人ではなく対システム。
ジョジョ系でいうと、ダービーとか、幽白でもゲームマスターとか、ゲームで代替効くから、パチンコ台取り入れたった! 以外でそんなにメリットもない
(突き詰めていけば運任せの確変連荘システム、とかは、他のゲームを素材にしてもパチかスロに行きつきそうだが。ゲームだと運要素嫌うので←ほんまか?)
全然バトルでもジャンプでもないけどパチンコの強い犬とかはあったから、ヤング系より上の青年誌では色々出て来てたのかも。そこらへん知ってる層はもうネットには少なそう
かいたなおれのまえでてこきのはなしを
いや、手コかれ歴5年ぐらいのよわよわです
そもそも手コキが好きか嫌いかで、嫌い寄りならもうどうしょうもないです
旦那さんがSっぽいのかMっぽいのかや、何で興奮するのかでも全然変わってくると思います
ですが、以下のような思考やシチュエーションで楽しんだりできてます
・手コキされながらでも、キスやスキンシップで相手の反応を楽しむ(とにかくキスか授乳)
・表情とか
・お預け喰らう
代替で仕方ないという割り切りの中で楽しむ心、じらし系のプレイ、単なる愛というか癖 の3つぐらいですかね
順番ぐちゃぐちゃですが、癖の部分でいえば、
普段何を求められてるか(体位とか相手の視界、どういう反応を求められてるか、等)にヒントがありそう
代替での割り切りは結局、挿入っぽい体位とかに寄ってってしまうのであんまり意味がないかもしれません
というわけで、じらし(と潤滑)
フェ〇でも、唾液準備が足らないとちょっと快感が足らなかったり、私も口は全然気持ちよくないので省きます
唯一興奮出来てたのは、すごく嫌々で、相手が洗うこと、絶対に動かないこと、手はシーツなどのお約束が徹底されてた時ぐらいでした(それ以外でも、見える景色はエロいので、そのためだけに1~2分されることはありましたが。そんなにすぐもういいよってなると失礼なので、実際にはもう少し時間かけてまらってましたが。たまにはゴムフラでもめちゃくちゃ気持ちいいい人とか居ましたが
で、じらしと潤滑液ですが、潤滑系は、実際、性行為慣れ、アイテム慣れしてしまうと、自分での単独でも物足りないぐらいなりますなってます
全部知ってる自分がです。物足りなさぎこちなさが興奮に繋がる場合もありますが、それはおいといて
なので、最終オイルなりローションなりは必須となるかもしれません。自分はオイルではいけない時のほうが増えてきました
で、じらしについては、ほんとに人それぞれだと思いますし、最近は抜きありメンエスでのじらしがじらされたりなくなってきたりしてしまったので、あえて抜きなしメンエスに行って煩悩をためたりと、なんかもうぐちゃぐちゃなってて整理に時間がかかるので、また機会あれば
フェラのとこで書き忘れたかもしれませんが、私もかつては彼女が居て、若気の至りで初期にお願いしたことがありましたが、以後ずっと別にして欲しくないなって思ってました
alt属性は画像を閲覧できない人のために、それの代替となる文章を設定する仕組みです。
読み上げソフトなどで視覚に依存せずインターネットを利用している方が、記事を楽しんだり役に立てる事ができます。
というルールを守れない人がいるのは、そりゃまあいるよなあと納得するしかないんだけど。
「謎解き」界隈がalt属性をヒント欄や模範解答欄として利用しているのには、
あの界隈特有の問題、文脈の不在、一意に定める限定への軽視などが根底にあるからでは? と思いました。
あの人たちすぐ「前提を疑うべきだったんです」とか言い出して
どこまでが謎で、どこからが謎でないのかの線引きを他人にわかりやすく引くことをしないでしょ?
そういう態度がalt属性を正しく利用しないことからも伝わってくるんだよなあ。
嫌いです。