はてなキーワード: etc.とは
TRPGって空想の世界で妄想を実現できるから、現実から目を背けたい人にとっては快楽だよね
陰キャデブorもやしでもクールなヒーローになれるし、友達がいなくても感動的な物語の中心人物になれるし、恋人がいなくても恋愛ができるし、頭が悪くてもそれっぽいこと言っていればダイスが解決してくれるし、運動できなくても技能を振ってれば怪物と戦えるし……etc.etc.
まぁそれとは別にこの話の肝は、現実の生活がある人間を無遠慮に延々と誘い続けるな、ってことかな
「俺たちってやべえよなwww」ってイキって引っ込みがつかなくなってる不良少年グループみたいで第三者から見てても痛いし、家族や親しい人が心配するのも無理はない
インターネットが一般にも普及してから最近まで、ネットで女だとバレるとそれだけでバカにして叩いていいという風潮があった。ここ数年はそうでもなくなってきたし、色んな人が見る場所では露骨なエロ書き込みも減ったように思う。
昔はアニメや漫画、映画、ドラマの話をしていてもやりたいだの舐めたいだの下ネタを言い合って男同士の連帯を高めたいのか、兎に角下ネタが跋扈していた。全然エロくない話でも、女子キャラや女優を手籠めにしたい色々書き込まれていた。最近はストーリーと関係のない下ネタはスルーされたり窘められたりすることが増えている。それでもまだ一人称「私」の書き込みはあまり無い。女だとバレてしまうから。バレれば女であることを叩く人はいる。「腐妄想してるんだろ」「恋愛しか興味無いくせに」etc.と叩くのである。男は普通に一人称「俺」で書き込む人が多い。男だというだけで叩く男はいないので。未だに「男の方が高尚で、女はバカで恋愛しか興味ないからストーリーとか理解できない」と考える人は多いようだ。女が性別を隠してきた結果、「初期のネットは男しかいなくて好きなようにエロネタ書けたのに」と懐古する男が爆誕してしまったのだった。
この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。
今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。
その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩やランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホで画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象や天体に関心を持ってくれたら嬉しい。
ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称は区別がある。
漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。
甲骨文字は占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在の漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話的存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。
残念ながら、私のデバイスの文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。
虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」の呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名『大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種の忌み名としての尊敬の接頭語であろう。
『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.と普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体の動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。
「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本も例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。
日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。
例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である。大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬の接頭語であろう。
宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死の象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。
太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神と月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。
若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである。
少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。
新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである。与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。
虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである。
長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことから、ネフスキーは湖沼の支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究者から否定されたようである。しかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキーの見方は意外に悪くないと思える。
ネフスキーと同じ頃の時代、宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称を分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。
この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称と共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。
とはいえ、現代人の感覚から見れば、特に、生物学や動物分類学の知識を通じて見れば、ヘビとウナギを同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。
昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別な信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田に落雷があれば、その場所に注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷を特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本の農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。
東北地方には、落雷のあった稲田を神聖視する風習が存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性や家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。
この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田でウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神が水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。
今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である。大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子の状態で存在しているため、そのままでは植物も栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法が確立し、窒素肥料の大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物が栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。
最後になるが、もしも『ナギ』系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である。果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガ』からその名が付けられたのか。
妄想は尽きない。
今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。
栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545
……というと、「結局はそういうジャンルにいるから多く見えるだけで絶対値としてはそうでもない」という答えが返って来そうだが、そのあたりは一旦置いておいて。長文のため先に要約を置いておく。
【要約】
交流企画に腐女子が大集合すると、男同士の恋愛ネタが蔓延りすぎてそれ以外の話題を扱うと除け者気味になる傾向があるので、楽しみ方が限定されてしまい、本来の自由度が損なわれているような気がして居心地が悪い。嗜好による選択の結果であると認識しているため、仕方がないと思いつつモヤモヤしているという話。
はじめに自己紹介だが、一次創作を趣味にしている筆者は、自身も小説を書いたり、絵を描いたりする。主な活動拠点はTwitterである。BL・GLともに嫌いというほどではないが、進んで手に取ることはない。
Twitter上には様々な「交流企画」なるものが存在しているが、どこを覗いても思うことがある。
腐女子が多すぎるのだ。
ここでいう交流企画というのは、ある設定が共有されたシェアードワールドの枠組み内でキャラクターを創作し、時には企画制作者が提供するイベントに沿って世界観に没入しながら、キャラクター同士の交流や作品群を楽しむ、というものを指す。学園モノであれば我々は教師や生徒を作り、異世界モノであれば魔法使いや剣士を作り……といった具合にそのシステムは様々であり、言うなれば一種のTRPGのようなものである。Tabletalkではないので、TはTwitterのTだ。
「交流」と名を冠するからには参加者が互いの趣味嗜好を尊重する必要があり、相性のよい相手と関係を深める(キャラクターも作者も)という在り方が推奨されるが、そのために自己紹介シートのようなものが設けられていることがある。その中にしばしば「GL・NL・BL」と書かれた項目があり、地雷にバツ印を付ける、あるいは平気なものにマルを付けることで、自身の嗜好を示せるようになっている。(こうしたシートが無い企画も当然ある)
企画の世界観に興味を持った筆者は、前述の通りBL・GL・NLともに平気であること、全部にマル(なんなら花丸)つけてる人が大多数を占めていることなどを理由として、そういった「腐女子」達と交流を持つことになるわけである。
ここで問題になるのが、「マル」というのが何を指しているか、という点。企画主が明示していない限り、「平気ですよ」のマルもあれば、恐らく「それはもうメチャメチャ大好きです寝る間も惜しんでPi〇ivを渉猟し三度の飯よりバクバクムシャムシャペロリズム」みたいなマルもあるだろう。筆者は前者の消極的なマルなので、当然後者の積極的な参加者たちとは熱量に差が出てくる。
そして後者の場合、往々にして彼ら彼女らが求めるものを提供できない人間に人権はない。
極端な言い方をしたが、見ても忌避感を覚えず恋愛モノの一様態として楽しめるというだけでそうしたコンテンツを提供しない筆者は、どうも「つまらないヤツ」と判断されてしまうようなのだ。セロリ嫌いじゃないけど好きでもないから進んで食卓に並べはしない人間が、セロリ大好き主食集団の中に紛れ込んだとき異端になるのは自明であるが、つまり、セロリ食え!セロリ出せ!セロリを愛さぬ者に用はない!というわけだ。それならばセロリを愛する者同士、色がどうの食感がどうの味がどうのと推しポイントを共有できる相手と関わった方が精神的にコスパが良い。その道理はよくわかる。
ところがこちらとしては男同士(GLのパターンもあるだろうがBL遭遇率が体感異様に高いのでBLということにする)がイチャコラしているのが見たいわけでも、そこに割って入りたいわけでもなく、あくまで企画の世界観に惹かれているのである。交流を成り立たせるための関係は必ずしも恋人に限らず、先輩後輩、同級生、親友、そこまで親しくはないけども同じ部署にいる顔見知り、敵対……etc.、様々な在り方があってしかるべきだ。が、その実態といえば、先輩後輩(ホモカプ)、同級生(ホモカプ)、親友(だがホモカプ)、ただの顔見知り(だが寝たことがある)、敵対(しているがやはりちょっと気になる///)といった具合で、ファミレスでメニューを見たら全部にセロリ入ってたような状況なのだ。ライスにも刻みセロリが入っている。
与えられたシステムの中で仲良くワイワイしたいだけなのだが、「平気ですよ」のマルを付けたばかりに、友達だと思っていた相手から突然「酔っぱらってそういう雰囲気になるかもねw」「受け攻めどっちぽい?」というコメントが飛んでくる。拍子抜けする。勢力図がどうとか、この世界ではどんな生き物がいるのかとか、能力の応用とか、そういうものは基本的に話題に上がらず、TLを流れていくのは専らうちよそのデート描写、お互いをどう思っているか、お互いの好きなところは、という風に恋愛色が強い。その企画でなくてもできたのではないかという、企画の世界観や設定が全くといっていいほど絡まない恋愛ネタ。そして見渡す限りの同性カップル。戦闘や駆け引き、探索をしながら絆を深めるとか、そういうものを想定していたら合コン会場に迷い込んでしまった。
ここまで書いて、同性カップルに理解の無い差別主義者と疑われていそうなので、弁明しておく。筆者にとって、恋愛は性別がどうだろうと恋愛なので、閲覧に際してはNLもGLもBLも特別区別はしていない。この文で「同性」を強調しているのは、それ以外の恋愛形態が尊重されないほど腐女子たちによるBL推しが激しいためである。そしてBLネタを求める彼女らは自動的に男性キャラクターを作成するため、片割れを探す作者同士が意気投合すればカップル、もしくはちょっとつつけば即座にカップル成立しそうな距離感の過沸騰ペアが増えていく。女性キャラクターとして受け入れられていた独身キャラクターが、実は男でしたとネタ晴らしされた瞬間伴侶を得るこの世界で、女性キャラクターの婚活は氷河期にある。
腐女子であることが豊かな交流の前提になっている空間は、本来許されていたはずの自由な創作・自由な交流に制限をかける。男女、女女、男男、3種類あるはずの恋人関係が1種類しか快く受け入れられないとあってはそこで楽しむのも難しくなってくる。それが分かれば最初から参加していないのだが、企画ができたてであればあるほど、なまじゾーニングを重視する彼女らの生態を初対面で汲み取るのは難しい。数段前に自己紹介シートの話をしたが、シートがあれどもすれ違うのに、無ければなおさら困難極まってくる。筆者が極まりたいのは困難ではなく感なのに、だ。
平気ならお前もBLカップル作ればいいじゃん。その通り。だが環境に強制されて作る関係を心地よいものとは思えず、結局幾度も身を引くことにした。したくてするのと、そうしないと弊害があるからと妥協してするのでは大違いだろう。
「腐女子が多すぎる」というのはこういうことだ。ある空間に占める腐女子が多ければ多いほど、彼女らの常識がその場の常識にすり替わっていく。これは筆者の体験から腐女子を取り上げているだけで、同じことはそれ以外にも言える。自然愛好グループの中に野生動物に餌を与えることを生きがいとする集団が増えて、動物たちが事故に遭うリスクを懸念する人々が押し負けてしまうであるとか、例を挙げればキリがない。感情・思想を共有する集団は強固ゆえに存在自体がある程度の強制力を持ち得るというわけである。
腐女子は日陰者であるべきとは言わない。しかし意識的にせよ無意識にせよ、ホモカプが描写できないならお役御免とばかりの傲慢さを感じざるをえず、それゆえ不信の念を抱かずにはいられない。なぜこうも交流企画には内輪を形成する腐女子が集うのだろう。
・クロスバイクでご近所からちょっと遠方、或いは思いっきり遠方まで走行してみる。
目的地を設定して旅に出れば旅先の名産品だったり地理歴史、雑学も調べられる。
健康維持路線(カロリー・減塩・高蛋白質)、美味追及路線、低コスト路線だってできる。
無論,沼的には美味追及が深い沼だろう。
外食で舌を肥やして家での自作時に参考にするという事もできるし純粋に楽しめる。
初期投資は最低限からマニアックな道具調味料材料、少な目でも多めでも楽しめる筈。
珈琲が大好きで自家焙煎の店で豆を買っているけれど、自家焙煎の書籍も市販されているし道具も高価だけれど売っている。
とはいえ、手網とカセットコンロと冷却機、生豆とミルとポットとドリッパがあれば可能だから1万円程度でやろうと思えば始められることもできる。
今の医師にも何度か「薬を減らしたい」「やめたい」と伝え、実施にやってみたことがあったのだけど、その都度失敗(飲まないと明らかに寝つきが悪い、途中で目が覚める、眠りが浅い、感情をコントロールしづらい、etc.)し、結局また服薬を続けるということを何度か繰り返すうちに、「服薬を続けることはストレスかもしれませんが、眠れないとか何とかで悩んだりイライラしたりすることのほうがもっとストレスではないでしょうか、それなら少しの服薬で普通に生活できることを目指したほうがよいのではないでしょうか」とアドバイスを受け、それも一理あるなと思い、現在に至っている。
つまり、医師の方針として、そもそも服薬の必要ない状態を目指そうとは考えていないのではないか、という気がしないでもないし、そもそも私自身の状態がまだまだ服薬を必要としていて、服薬なくしては普通に生活できない状態ということなのかもしれない。
失われた20年だか30年だかに生まれた世代からすると開発すれば景気が良くなるっていう実感は全く無い。
親世代以上と話すと人間の可能性というか全能性を大体内面化していて、人間と動物は排反する概念だとあたりまえに信じているように感じる。今の人間社会は落ち目だけど、俺たちが若かったころのあの社会では開発が開発を呼んで日本の未来はウォウウォウウォウウォウだったんだ。均衡した動物社会とは違って明るい未来が約束されていたんだ。人間が想像しうるものはすべて実現できるんだ。今は違うけどね。みたいな前提で話されることがたまにある。
まぁなんでも主語がおおきいと当てはまらないものだけど、失われた時代世代代表としては人間は動物という大きいカテゴリの一要素でしかなくて、動物が食ったり食われたりを繰り返してグダグダ続いてきたように、人間社会も政治家と有権者、富裕層と労働者が絞ったり搾り取られたりしてグダグダ続くんだろうなという感覚がある。
グダグダ続くだけならまだよくて、最近では偉大なるおじいさまおばあさまが残した負の遺産の影響をあからさまに被りつつある。年金温暖化政治的腐敗etc...。こんな体験しかしてないとSDGsは虚しく聞こえる。ほんまかいなって。
将来への希望をもてない私達からすると、別に持続可能な開発を求めてはない。二酸化炭素だしまくり戦争しまくりの社会を持続可能な開発とやらで維持したくはない。そうすると「人間なんていなくていい」と思うようにならないか?SDGsへの取り組みと人間消滅願望は別に矛盾するものじゃない。人間がいなくなれば全部解決だよね。限界集落は無理して維持せず積極的に放棄していっても、出生率は2以下で保っても別になにも不都合はない。人間が減って問題がうまれるんですか?むしろ減りませんか?緩やかな人口減少の末の日本消滅はこの上なく平和な終わりに思える。
ゲームの配信を大物らしきYouTuberが配信をすればゲーム会社が儲かるという勘違いをしている人が、たまにいる。
・消費される金
開発費
広告費
その他etc.
ゲームの売上
DLCの売上
これらの相殺が配信による宣伝効果で賄えるかというと、そうはならない。あくまで売上が重要なのだから。
宣伝効果になるのは、ほんの一部であってプラスになるレベルには程遠い。
この状況で宣伝するから儲かると考えている甘ちゃんは、まず社会に出てから自分で作った物を売る事で現実を知るべきである。
夏だからホラーでも...怪異とか超常現象とかの話ではない。すまん。
増田はお茶汲み事務員だ。仕事は出来ない。が、挨拶と謝罪とお礼の声がデカいからギリギリ存在を許されている。声がデカいので社員旅行では毎年司会をやらされていた。
増田の会社は制服がない。男性はスーツだが、女性はすっぴんシャツジーパン、おっぱいモロ見え超ミニ丈ワンピ、緑色の髪に穴だらけのジャケット、と実に様々なファッションの社員がいた。増田はブラウスにロングスカート、そしてレースの靴下に丸い靴を履いていた。俗に言うイモい格好である。
まあそんなこんなで、役に立たない割に結構楽しく働かせてもらったいた。
ある日、先輩女性社員(毎日上下真っ黒の服を着ていたので以下黒先輩と呼ばせて頂く)のパソコンのバックアップを命ぜられデータを移していると恐ろしいものを見つけてしまった。
増田ちゃん頑張ってるね☆とかいう内容...ではもちろんまったくなく、
「全員に嫌われているクセに気付かないのか、
凄まじい内容が書かれていた。
とりあえず増田はその日から服をユニクロで固めたが、ついで言うとこの日記はもう定年で去った黒先輩のもっと先輩の社員と共有されていた。かなり死にたくなった。
増田はコレを見なかったことにして数年過ごした。その間に増田は結婚し、さらにちょっとしてから妊娠した。増田は黒先輩によると全社員にめちゃくちゃ嫌われているらしいが、結婚の時も妊娠が分かった時も本当に申し訳ないくらい盛大にお祝いをしてもらった。みんな何考えてるか分からんけど。
で、産休開始の前日、増田は今までのお礼とこれからもよろしくお願いしますの気持ちを込めてお菓子を配り回った(弊社にはそういう風習がある)。お菓子と引き換えにちょっと早いけど、と出産祝いを頂いたりもした。ひたすらにありがたかった。そして黒先輩にもお菓子を渡すと「私からもこれ...」と包んだプレゼントをもらった。めちゃくちゃビビりながら、たくさんお礼を言ってとりあえず笑顔でその場を離れた。
帰宅後もらったお祝いを一つずつ開けていった。スイーツ、スキンケアグッズ、金券、バッグ、その他諸々お手紙も入ってたりもして、「嫌われているクセに」が頭をよぎりながらも嬉しくてちょっと泣いた。
そして黒先輩からの包みを開けた。中には
が入っていた。
真紫色の生地にラメの入った靴下に、水筒洗い用タワシのような真っ白で固いレースが付いている。増田の趣味とはだいぶ違う、だが間違いなくレースの靴下だった。ビビり過ぎて友達に相談したらそれチェーン店の3足1000円のやつやでと教えてもらった。じゃあコレ300円ちょっとか。
黒先輩はバックアップ作業後増田が急にユニクロ女になったからあの日記を知ってしまったと知っているのだろうか、あるいは増田が真相を知っているとは知らずプークスクスするためにこれをプレゼントに選んだのだろうか。分からない、分からないが、申し訳ないが増田には特級呪物にしか見えなかった。
もう産休に入っちゃったから黒先輩の真意は分からない。2人目妊娠のタイミングによっちゃ黒先輩が定年でいなくなってしまうのでもしかすると一生分からないかもしれない。どちらにせよ怖かったので捨てた。本当にすみません。
オチはない。すまん。
とりあえず増田は育休明けのその日が来ることが少し恐ろしい。しょうもない体験談でしたが、お化けより人間が怖いなと思いました。