失われた20年だか30年だかに生まれた世代からすると開発すれば景気が良くなるっていう実感は全く無い。
親世代以上と話すと人間の可能性というか全能性を大体内面化していて、人間と動物は排反する概念だとあたりまえに信じているように感じる。今の人間社会は落ち目だけど、俺たちが若かったころのあの社会では開発が開発を呼んで日本の未来はウォウウォウウォウウォウだったんだ。均衡した動物社会とは違って明るい未来が約束されていたんだ。人間が想像しうるものはすべて実現できるんだ。今は違うけどね。みたいな前提で話されることがたまにある。
まぁなんでも主語がおおきいと当てはまらないものだけど、失われた時代世代代表としては人間は動物という大きいカテゴリの一要素でしかなくて、動物が食ったり食われたりを繰り返してグダグダ続いてきたように、人間社会も政治家と有権者、富裕層と労働者が絞ったり搾り取られたりしてグダグダ続くんだろうなという感覚がある。
グダグダ続くだけならまだよくて、最近では偉大なるおじいさまおばあさまが残した負の遺産の影響をあからさまに被りつつある。年金温暖化政治的腐敗etc...。こんな体験しかしてないとSDGsは虚しく聞こえる。ほんまかいなって。
将来への希望をもてない私達からすると、別に持続可能な開発を求めてはない。二酸化炭素だしまくり戦争しまくりの社会を持続可能な開発とやらで維持したくはない。そうすると「人間なんていなくていい」と思うようにならないか?SDGsへの取り組みと人間消滅願望は別に矛盾するものじゃない。人間がいなくなれば全部解決だよね。限界集落は無理して維持せず積極的に放棄していっても、出生率は2以下で保っても別になにも不都合はない。人間が減って問題がうまれるんですか?むしろ減りませんか?緩やかな人口減少の末の日本消滅はこの上なく平和な終わりに思える。