はてなキーワード: 高度経済成長とは
高度経済成長後の豊かな社会に生まれた氷河期世代がシンパシーを感じるのがオウム真理教だと仮定してみる。
では、戦後の貧困の中を生きている団塊世代がシンパシーを感じていたのは連合赤軍だということになるのではないか。
団塊の世代が青春期を送っていた1950・60年代は、戦後の混乱と高度経済成長期となっていて、団塊の世代の少年たちはひたすら右肩上がりの経済成長の社会を目の当たりにして生きていた。
日本は西側世界なので資本主義経済・議会民主主義の仕組みのもとで経済成長を成し遂げていたが、当時の若者たちの中には共産主義・社会主義の方が優れているのではないか、と考えている人達が一定数いた。
その子たちが学生運動の原動力となり、連合赤軍などに参加する若者となっていった。
オカルトに嵌った氷河期世代が、オウムの思想に惹かれていくように。
オカルトブームが始まったのは高度経済成長が終わりつつある1970年代前半だと言われていて、それ以前の1950~60年代は何がブームだったのだろうか。
それは、鉄腕アトムに代表されるような「科学ブーム」だったのだ。
その科学ブーム自体は、高度経済成長と大阪万博の終わりを境に、見事に終焉を迎える。
1973年の石油ショック以降は日本は不景気が続き、これからは経済的な豊かさよりも精神的な豊かさを求めるべきだというような論調が出てくる。
民主党が政権を取って、その後自民党が政権を取って、日本国民は選択する事の責任を背負うのに疲れてしまったんだと思う。
人口減少が確定している以上、過去に類を見ない高度経済成長をしなければ日本の景気が上向くことなんかあり得ないってことを
薄々みんな感づいている。自分の決断がいい方向に向かうことがかなり難しいという現実をホントはみんなわかってる。
けど、選択をしてしまうとまた自分の選択の結果と向き合わなければならない。
だったら選択をしなければいい。現状維持で問題を先延ばしにすればいい。
その結果どんなに土台が腐っていっても、土台が崩れ始めるまでにはまだ時間があるからだ。
細かい経緯は省くが、高須院長は「自分たちの世代は若いころすごく頑張り、そのおかげで今の日本がある」、田端氏は「過労死は自己責任」みたいな意見をtweetし炎上した。
いずれの意見もかなり極端に聞こえるが、これらをもし、諫言または励ましとして受け入れるなら、いかなる人も逃れることができない二つの事実を思い出させてくれる。
すなわち、
まず高須院長に対するの反論をみてみよう。主なものは「昔の高度経済成長期と、不景気が長引いている現代を一緒にするな」という一見もっともなものだろう。
しかしそれはあくまで結果の話であって、高度成長期の日本人の誰一人として、その好景気が続き日本が発展することを「知って」いた人はいないのだ。
高度成長期の初期ですら、戦争やらインフレやら、10年後の日本がどうなるかは誰にも予測できなかっただろう。
好景気に沸く周りの人達にならってモーレツに働いたとしても、再び焼け野原の生活に戻ってしまうかもしれないという不安を、杞憂と切り捨てることはできなかっただろう。
だが結果的には、モーレツに働いた人はモーレツに生産し稼いだし、道路も建物も破壊されることなくいまも国土の礎となっている。
これらの礎を作り上げた人々は素直に尊敬されるべきであるし、そもそもそれを我々が称賛できるということは幸運以外の何物でもないのだ。
未来は予想できないのに、今の状況に絶望して、あきらめて何もしないのは賢明とは言えない。
また実利的な見地から言っても、好景気のときに最も利益を得るのは不景気のころからすでに動いていた人々である。これはどこか投資哲学みたいだ。
あえて一言で言い換えてみるするなら上述の「未来へ投資しろ」に対して、「自分が何を投資しているか把握しろ」ということではないだろうか。
若いうちは特にそうだが、自分の体力、気力はいくらでも湧き出てくると勘違いしがちだ。大間違いである。
今頑張れば将来は楽しいことが待っていると考える。大間違いである。
たとえホワイト企業に勤めていてリア充で素晴らしい日々を送っていても、職場に何日も泊まり込みで働きづめでも…
病気にかかるかもしれない。Gウイルスに感染するかもしれない。歩いてたら後ろから猛スピードのプリウs…(話がそれそうなので省略)
自分の人生のリソースがどのぐらい残っているかはなんとなく把握できても、最初に言ったとおり未来は予測不能なのだ。
何に対して自分の人生をつぎ込むかは自由なのである。今の日本なら、自由にできる選択肢は控えめに言ってもかなり広い。
個人的な事情で自由が制限されている人はもちろん大勢いる。ただその中で何を優先するかは、自分で決めていいはずだ。自分で決めるべきだ。
逆に言えば周囲がいくら心配して助けようとしても、勝手にやめさせることはできない。
嫌なことでも、逆に好きでしょうがないことでも我々は人生のリソースを確実に消費しているのだ。
でもそれを誰かに言われたとおり、まるで家畜のように消費し、いざ請求書がきたところで「こんなはずじゃなかった」と後悔しても誰も何もしてあげられない。過去は変えられないからだ。
タイトルにしたがってまとめると、両氏の意見は「未来に投資しろ」と「自分が何に投資しているか把握しろ」という、向いている方向は反対でも、同じことを言っているのではないか。
数日前に亡くなった西城秀樹の「ヤングマン」の歌を久しぶりに聞いてみた。
「さあ立ち上がれよ
今翔びだそうぜ
もう悩む事はないんだから
ほら見えるだろう
君の行く先に
楽しめる事があるんだから」
この曲がリリースされたのは1979年のことである。高度経済成長も一段落して、石油ショックのアクシデントから省エネ経済への転換期の日本。
この10年後に発生するバブル経済に向けて、国民全体が更なるギアチェンジをふかそうとしている元気のある日本の姿がよく現れていると思う。
経済も、文化の発展・成熟も右肩上がりの時代であり、誰も後ろ側を振り向いていることは無かったのではないか。
そして、バブル崩壊後の1996年にリリースされた近藤真彦のミッドナイト・シャッフルの歌詞を読んでほしい
※マイナーかもしれないが、この曲こそ低成長時代を象徴していると思うので例にしています。
「強そうに生きてゆくよりも
本当に強くなるために
その羽を震わせて見上げてる
冷たい夜空を」
バブル崩壊と低成長時代への突入という事態に対して、自信を無くしつつある日本人の心情をよく表現していると思う。
そもそもバブル自体が、日本人が世界第二位の経済大国になったという幻想だったのではないか。
この歌がリリースされて約20年経過したが、今の日本は当時よりも更に悪くなっている。
経済の縮小、人口の減少、過疎化、高齢化、東京一極集中、格差の拡大などの課題先進国・日本はこれからどこへ向かうのだろうか。
伝え聞く話なのであまり真に受けないで下さい。
これとは違う原因が存在しているようです
都道府県別出生率トップの沖縄は都道府県別所得最下位でもあります
という大原則があり
例として
札幌市民195万人中
ほかの地域と比べて低く
それぞれの人気はトップの2人に集中する
人気が集中するのは、やはりトップの2人
かりに100人を語るとしても
人気が集中するのは20人獲れるわけですが
頑張ったとしてもせいぜい5で、20人には到底及ばず
本当に少子化をなんとかしたいのなら
これはエシャラン(梯団)の定理といいまして
より近似の需要要素が比較されるので、結局のところ選択肢が狭まります
もう一つ注目すべき点は堕胎です
第1次ベビーブーム(と呼ばれる)
この時期にあったのが
じつに出生数の7割が中絶されました
この状況で農地改革を行うと
これを防ぐために、中絶解禁が実行された
それでも父母が存命である限り
とりあいさせることによって生み出された「高度経済成長」と言う名のバブルなのです
今後考えられるのは
彼らが一体、高度経済成長の何に貢献したというのかしら。
もちろん大して貢献してないよ。1960年の時点で未成年だしね。
なお、1945年生まれが今年で73歳。大学紛争世代すなわち団塊の世代が高齢者になる時代がやって来たわけだ。彼らはビートルズ世代でありフォークソング世代なんだよね。
パソコンに慣れてるのはもっと下のバブル世代(新人類世代)あたりからでは? 早く始めた人達でも今60代くらいが上限だと思う。(例外的な人達はいるけど)
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。
そこで出てきた店長が、クレーマー対策として最初にするべきことは何か。
答え。
するとお客様は、自分のことで人が怒られるのは申し訳ない、何もそこまでしなくても。という心理になる。
そうしたらあとはお客様に誠心誠意謝罪して、裏に戻ったらその従業員に、「実はこれが解決への一番の近道なのだ。急に叱って申し訳ない。」と説明すれば良い。
間違ってもお客様の前で従業員を庇ってはいけない。その時点でお客様を敵として認定しているのと同じだからだ。
しかし大半の人間はここで対応を間違える。身内可愛さに庇ってしまい、お互い退けないままに大事になってしまったなんてことはざらにあるだろう。
それは、それでも尚、何かを要求してくる客は、すでに客ではないと線を引くことができることだ。
店側が誠心誠意謝罪して尚、何かを求めてくるのであれば(実損がある場合を除く)、それは過剰な要求であり、それをしてくる人間はクレーマーだと割り切ることができる。
テリー伊藤がしていることはこれだ。
それを見て国分太一にそんなに怒らなくてもと思った人がいるならば、それは相手の思うつぼと言っていいだろう。
テリー伊藤に限らず、芸能人の謝罪会見ではよく見られる手法だ。
残念ながら、スポーツ業界、企業、役人、政治家の間ではまだ見られる機会は稀だ。
だが、だからといってそのことに腹を立ててクレームなんてものを入れてはいけない。
その時点ですでにあなたはクレーマーだと振り分けられてしまうからだ。
その先に、あなたが望むような対応が待っていることはない。あとはどちらかが根負けするまで殴り合いが続くだけだ。
客商売を志す人間であれば知っておいて損はない知識と言えるだろう。
男vs女ではなく、男&女vs既得権益にならないと、と言ったけど、非モテのミソジニー男やヤリチンミソジニー男を肯定するわけではない。
ヤリチンミソジニー男は、リアルでの環境に気を使っていたら、ある程度、回避できる。(そういった、軽薄で、経験人数を増やすことしか考えてないような男が出没する場所を避ければ、関わらなくて済む、職場にいた場合は、避けられないけど…
関わりたければ、風俗やキャバクラや出会い系やナンパ待ちをすれば、そんな男ばかり見える。
けど、非モテミソジニー男はネット上に多く目にする機会があり、自分が気を使っていても、目にしてストレスを感じる場合があるから、こっちの方がタチが悪い、と、個人的には思う(ネットでしか攻撃できない非モテミソジニー男とリアルで女性を傷つけるヤリチンミソジニー男と、どっちが嫌かは人それぞれでしょうが…
そういった男たちは、女を見下し、消費し(二次元やAV動画など、あくまで非現実の中でだけど)、キャバクラや風俗に通うヤリチンミソジニー男とやってることは変わらない、と思うけど、本人たちはそんな男たちと自分たちが同種だとは、気付いてないんだろうな、と。
そういった非モテミソジニー男の存在と、女性への差別発言が許される土壌がある社会のせいで、ネット上で、女性差別的な発言をよく目にするのが、疲れる。
最近は、ビッチという差別発言が公的な場(匿名ではないレビューサイトなど)で許されていることに、納得がいかない。
日本の男だけが取り立ててクズなわけではなく、全世界的に男はそういった差別発言をする可能性があるけど、他の先進国では、それが社会的に許されていないから抑止力になっていて、そういった男の差別意識に満ちた言動が少ない、今の日本では差別発言が社会的に許されているから、そういった言動が多い、だから、社会的に許されない風潮ができれば、変わるんだな、と思ったけど。
そういった風潮に変わるためには、上の世代(50代以上は確実、40代も危ないかも…)が死ぬことが一番の近道で、日々、早く上の世代が死なないかなぁ…と思って、生きてる。
差別をしていいという社会、男女の扱いに差があった環境で育った世代は、骨の髄まで性差別意識が染み付いてるから、自分たちが問題のある言動をしていることに、気がつかない。
今の若い世代は、教育の段階では男女に差がないという環境で育っているから、平等意識が強い。(社会に出たら根強く残る男女差別に、疲れるんだけど、男も女も…)
だから、そういった世代が中心となれば、自然と、性差別の少ない世の中になると思う。
性差別だけではなく、性別役割分業の意識をはじめとする、高度経済成長期だけに通用した価値観、終身雇用や新卒採用や長時間労働や、そういった、今の時代に即していないのに上の世代が過去にしがみついていて新しいシステムを生み出さないから、今の世に歪みが生まれる原因となっている、古い価値観やシステムたち。
それらが、上の世代が死ぬことで、一掃されるのではないか、と、期待している。
だから早く死んで欲しい、社会の中心から引退して欲しい(年取っても権力の座から離れたがらない人間が多いから、引退より死んでくれるのが一番いい)と思うけど、そういった老害的な存在がいなくなり、ようやく現状に適した社会システムを運営できるようになったとき、少子高齢化でこの国は立ち行かなくなっているかも、という懸念も…
過去から現在まで、いつの時代も、年寄りは昔のやり方に固執して、だけど数で勝る若い世代が現状に適したシステムを導入して、やってこれてたのかなぁ。
今は昔のやり方にこだわる古い価値観の世代が数で勝ってて、いくら若い世代が現状に適したシステムを考案しても通らないのかな…と。
そう考えると、少子高齢化という、現役世代より高齢者の方が数で勝るような歪な状態になった時点で、日本は終わってたのかもしれない、初期にまともな対策をとればよかったのにね…
上の世代の、現状に適さない、過去のシステムを延命させようとするやり方にはついていけないし、そういった世代が死ぬまで待っていたら日本は終わってしまうかもしれないし、若者に残された選択ってなんなんだろう。
そうじゃないと、この国で生き残る(最低限度の生活ができる存在として)のはハードル高すぎる。
現実には、海外に出るのはハードルが高いから、労働とかって社会活動はしながらも半引きこもりみたいな生活をする若者が増えてるんだろうけど…
外に出るのはお金がかかる、若い世代でお金があるのは稀、半引きこもりで支出を抑えるしかない、と…
そうやって、老尊若卑な社会で、どうするつもりなんだろう…
海外に出る、まではいかなくても、地方移住で中心から離れた暮らしをするという若者が増えているのは、古い価値観(資本主義や物質主義)から離れて支出を抑えて、長時間労働にも巻き込まれずに暮らす、という、古い世代が固執する古い価値観に決別してる人が増えている、ということかな。
私もそういった暮らし方に近い。
私の観測範囲では増えているように感じるだけで、実際に地方移住する若者が多いのかは、知りませんが。
そうやって、全体の豊かさや幸せを追求した過去の時代から、個人の豊かさや幸せを追求した時代に変わっていくんだろうな、と。
技術の発展で仮想現実が今より充実したら、お金がかからず、個人の幸せの追求である、ネット社会が、今よりもっと大きな存在になるんだろうな…少し明るめの妄想。
>学生運動って価値観を変えられたかどうかで言えば実質的に勝ったのではないですか?
>下の世代で家父長制や戦争を全肯定するゴリゴリの保守なんてほとんどいなくなった。
家父長制や戦争の価値観は確かに壊滅したけど、戦時中に完成した1940年体制と呼ばれる戦後体制は現在も続いている。高度経済成長や石油ショック後の安定成長、バブルなどを生み出した1940年体制の副作用を、1990年代のバブル崩壊後にまともに受けたのが氷河期世代。
団塊の世代が壊すことが出来なかった終身雇用、年功序列、行政指導、間接金融などの1940年体制の仕組みは、氷河期世代が壊すことになると思う。
話は少し変わるけど、氷河期世代はどうしてお父さんたちの世代を見習って学生運動をしなかったの?
>また氷河期世代がおそらく今後社会福祉を破綻に追い込むとしてそれを氷河期世代の意思であるとするのは
>これまでの社会政策の失敗をなかったことにしようとする政治家、官僚、氷河期世代以外の国民全体に都合の良い欺瞞でしかないと思います。
戦時中世代の日本人だって、自分たちの意思で戦争を始めたわけではなくても、戦後世代から「あいつらが自分の意思で戦争を始めて、日本を壊滅させた!」と70年間も批判され続けて来たわけだから、今更そんなこと言われても。
※詳細版
神話時代:天照大神が岩戸に隠れて真っ暗!!この世の終わりだ!
7世紀:白村江の戦いに負けてしまった!唐の大軍が攻めてくるぞ!!
19世紀:黒船キター!!日本も欧米列強の植民地にされるぞ!!
1920年代:不況で娘は身売りせんとあかん!昭和維新せな日本は滅亡や!
--
1945年:大東亜戦争が敗北に終わるなんて!日本はもう滅亡だぁああああ
1960年:米ソ核戦争が起きて日本も巻き込まれるぞ!ヤバイヤバイヤバイ
第2次ベビーブーム:このままじゃ人口増加で資源と食料がヤバイヤバイヤバイ
1973年:石油ショックで高度経済成長が終わった!日本はもうおしまいだ!
1989年:今のバブル景気はまやかしだ!道徳的に堕落した日本は滅亡する!
1991年:そら見ろバブルが崩壊した!!驕った日本人に罰が当たったんだ!!
1995年:阪神大震災に地下鉄サリン事件、日本滅亡が始まったぞ!!
1998年:北朝鮮が弾道ミサイルを開発した!今すぐ戦争になるぞ!!
2100年:■■が起きた!今度こそ日本は滅亡だ!!
・
・
・
無限に続く予定