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はてなキーワード: 高度経済成長とは

2018-03-24

https://anond.hatelabo.jp/20180324010745

地方のどうしょうもない労働力不足を「外国人技能実習制度」によって救ってくれたところ。二面性のある偽善制度だけど、これで救われた経営者はまともに足を向けて眠れない。これがまず一番。

株価民主党政権から一気に倍にして、年金資産運用を安定化してくれたこ

雇用を増やしてくれて、無職若者を減らしてくれたこと。民主党時代高校大学卒業した人は多分二度と野党投票しないと思う。

原発問題収束させてくれたこと。事故責任取らずに逃亡して打算的な反原発運動にかまけてる菅は許さん。

民主党時代に行き詰まった日中関係改善して、たくさんの観光客日本に呼んでくれたこと。当時、尖閣問題中国内の資産を焼き討ち・取り壊しにあって困窮した多くの日本企業を救ってくれた。

・安定政権に安住せずに世界中外遊して日本存在感を高めてくれたこと。中央ヨーロッパから中央アジアにかけての日本存在感は確実に高まった。(嘘だと思うならバルト三国とか中央アジアとかのマイナー国で大学訪問したりIngressとかのゲームイベント参加して若者と話すと分かるよ・・・

インドインフラ支援をしてアジア大陸における中国の過剰な台頭の歯止めのきっかけを作ってくれたこと。

長期政権になってもちっとも腐敗とかの雰囲気が顔に出ず、テレビ映りが良い(本当にやってないかはともかく)。石破さんには申し訳ないけど「人相」が首相外相の器じゃない。あの顔が海外テレビ日本政治家として映るのは正直悪夢だ。

・とにかく、代わりになる人が思い浮かばないのでこのままずるずると長期政権が続いても仕方ないとしか言えない。アベ政治を許さないという人は誰政治ならいいのかとにかく示してくれ。

・すごい危機感あるのは、いざ首相を辞めざる得ない時の代わりに思い浮かぶ人が出てこない。今後は後継者の育成に専念してくれー!!!

・もちろん、今の政治にも人口過疎化問題農業漁業問題シラスウナギ問題は実は地方利権問題根深い)、高齢者医療費支出増大問題、それに伴う科研費の削減と日本科学技術国としての地位低下、ブラック企業問題、色々不満あるんだけど、そういう一般国民に切実な問題野党も全部頬かむりしてどうでもいい土地問題とかしか国会で取り上げないの超ムカつく。

・というか、自分の親も含め、今の野党を支持する高齢者の方が自分には信じられない。とはいえ、親と話して分かるのは高度経済成長期の成功体験が体に染み付いていると今の日本はもどかしく感じるのだろうということ。

投票秘密は誰でもあると思うが、政治家族議論するのはいいと思う。若者はぜひ親を説得して、支持政党野党から鞍替えさせてくれ。一旦、野党殲滅して、自民党を分裂させてまっとうな議論国会でできる新しい日本を作ろう!

2018-03-22

福生市民の心の雄叫び anond:20180322220849

嘘松語源福生村の松茸であるという嘘松論破する。元福生市民より。

史的事実を踏まえると、明治元年品川県となり、その後、神奈川県多摩郡となったり、

村内対立解体したりという複雑な歴史福生は持っている。

その中で、今回は、昭和15年11月10日福生村→福生町(合併により)となったという

事実重要である

次に、日本人がいつから松茸を珍重し始めたか重要である

実は、昭和20年代であれば、庶民が誰でも食べられた。

赤松林に行けばそこら辺に天然モノの松茸が生えている環境であった。

高度経済成長が始まる頃、マツクイムシの影響などで

採取量が減り、珍重され始めた。これが昭和30年代の話。

(注)この時代、実は、椎茸プレミアム扱い。

椎茸の枯木養殖確立され、椎茸庶民化が成し遂げられた。

さて、賢明な読者諸兄は「嘘松福生村の松茸」説が嘘松であることに

気づきであろう。私は寝る。

2018-03-16

まず日本社畜教育を何とかしろ

奴隷が大量に必要高度経済成長期はとっくの昔に終わってるぞ。早く「自立」とか「経営」をテーマにした教育に切り替えようぜ。もう手遅れか、日本

2018-03-06

anond:20180306003706

現代高度経済成長期と比べて「お金がないと出来ないこと」が減っていると思う。

正確には大金必要なく小銭でそれが実現出来るようになったという感じかな。

海外旅行国際電話は当時と比べて10分の1以下のコストになり、多くの情報はタダ同然で溢れ返り、手軽に承認欲求を満たせる世の中になった。しかし、変わらないものもある。食欲・性欲・睡眠欲、人としての基本的本能を満たすもの価格はそれほど変わっていない。

お金をそれほど必要としていないって人は、文化的活動にそれほどお金を掛けていない人なんだと思う。

2018-03-04

ド貧民が中流になれた高度経済成長が異常だった

そのニワカ中流が元に戻りつつあるだけ

2018-02-21

昔の香典帳を集める仕事をしている

香典帳というのは、お葬式の時の香典を誰から何円もらったかを一冊の帳面に記したものだ。

古くは近世のものもあるが、私の仕事場北海道なので、近代以降の香典帳を主に集めている。

集めているのは、正確に言うと香典帳だけではない。

香典の他に、葬式必要ものを一式記してその代金をまとめた買物帳や、お布施を払った際の布施帳なども付随することが多い。

これらが一緒になった形式帳面もある。

どうしてこういうものを集めるのかというと、物価がよく解るからだ。

人の死というのは今も昔も絶え間なく続く。

からそれに際しての香典や、調達物資は、物価の移り変わりの物差しとして極めて優秀なのだ

昔は、コメ物価指標になっていた。高度経済成長期以降、食料の多様化により、コメという物差しはぐにゃぐにゃとあやふやものになってしまった。

他の、価値があると考えられてきた指標すらそうだった。貨幣で買える貨幣も横行した。

だが、未だ死ぬことは、医学が発展したとは言え平等だ。共同体があれほど変質したとしても、寺なり神社なり教会なりで、古墳時代とさして変わらない営みが続いている。


今日は、古い家の仏壇に入っていた香典帳を見た。昔ながらの折り紙状の和紙帳面だ。9才で死んだ男の子のものがあった。尋常小学校同級生一同で香典が出されていた。

親族(子孫)からいただいた付随データ網膜上にダウンロードする。昭和11年腸チフスで死んだのだという。

昨日は、古いHDDに保存されたpdf香典帳を見た。元々はエクセルというデータ形式らしい。94才で死んだ女に、101才の姉が香典を出していた。

これも親族からの付随データが功を奏して判明したもの平成29年香典帳。死因は老衰小学校教諭を長く務めた勉強熱心な女で、この時代にしては香典が多い。

姉はそれから4年生きた。その香典帳は時のなかで失われた。

研究の成果を学会で発表した際に批判される点は以下の通りだ。

香典システムから物価や人的ネットワークを構築するのはよい手法だが、そもそも香典を出さな葬式家族葬や新しい宗教観に基づく葬式)の形態が増えたことによる影響はどう考えているのか?

葬式必要な物品を葬儀会社の一元化して調達する影響はどう考えているのか? いずれも、鋭くも有り些末な指摘とも言える。

もっと明るい題材で社会の移り変わりを切り出せればいいのだが。

2018-02-19

慣用句でやったことのあるもの、ないもの

慣用句が出来たのは、おおよそ高度経済成長期以前であって、私は船を漕いだこともないし、流れに棹さすこともないし、呼び水を使ったこともない。

眼があるはずの障子は最近すっかりご無沙汰だし、尻馬に乗ったこともない。

伝統的な生活から離れて久しい社会だけれど、言葉の強靱さに驚くことがある。少しずつ変わって、無くなっていくのだろうけれども、それでも。その強さに驚くことがある。

2018-02-15

anond:20180215191211

昔読んだ本だかエッセイだかの中での記述なので具体的な年収とかまでは断言出来ないけど

その中で語られていた「金持ち」は「そもそもまれた時点で金持ち」みたいなレベルの人の事を指してたよ。

生れた家が事業複数回している様な資産家だったりとか。そういう「家」の「旦那」みたいな感じ。

詳しくは無いけど、どうやら昭和初期くらいまではそう言う家の「旦那衆」が高級店を支えていたっぽい感じ。

高度経済成長からバブルを経る中で、そういう店の客層も結構シャッフルされたのかもね。

老舗高級店の大将かに、そういう客筋の変遷とかじっくり聞いてみたいかも。

(絶対言わないのがエチケットなんだろうけど)

2018-02-12

anond:20180212113726

高度経済成長以降の日本社会システムが遠因だよねー

年功序列終身雇用制度

大手企業革新的製品や、

生産プロセス改善が出来なくなってしまったのだなーと思う。

このままだと、人材流出するだろうなー

高度経済成長期の悪かったところ、失われた20年の良かったところ

って何?

高度経済成長期のGDP成長率は年平均10%だけれども、本来はこういう政策で年平均20%に出来たんじゃね?とか、

逆に失われた20年はこういう政策があったから、それ以上の不景気を押しとどめたることが出来たとか、

それぞれ社会雰囲気としていいところ、悪いところはこうだったよなとかそういうの。

まりにも高度経済成長が良かったか、失われた20年がダメだったかって解説した本が多すぎてもうお腹いっぱいだし、

自分は良いところ悪いところをあますところなくきっちり把握しておきたい。

失敗の本質を読んでそう思った。

(これを言うとかなり反発されそうだが、日本軍とかナチスの良かったところも聞いておきたかったりする。

正直自分達のようなモロサー世代にはそろそろ関係ない話だし、

もちろん後世まで脈絡と続いている話で反省はするのだけれど、その他の事実はどうだったんだろう?

力の使い方を間違えた、という話はよく聞くけど、この力の使い方は良かったよね、っていう話はとんと聞かない。)

2018-02-08

anond:20180208103103

それ真理

高度経済成長時代バブル時代に稼ぎまくった老人が

自分らがいかに楽して稼いでたのかを言わないのと同じ

2018-02-06

anond:20180206002443

友情努力勝利少年ジャンプ業界第一位に躍り出る際に打ち出したコンセプトだった気がします。

70~80年代高度経済成長からバブルに至る時期において、日本少年向けコンテンツに負わせるのに最も適したコンセプトだったのでしょうね。

2018-02-04

タイ中国コールセンターへ働きに出た若者を「堕ちた」と見下す記事

外人とのコミュニケーションが怖いと思う自分にとって、タイトル若者はずいぶん勇気があって凄いと思うんだけど、

普通の人からしたら逃げや妥協だと思われるみたい。それが納得できない。

自分若者と同世代だが、低収入仕事生活に不満を抱えているが、打開策もなく休みの日は部屋に籠っている(節約のため)

平成1年から平成20年辺りのギリギリ高度経済成長最後っぺという時代背景と「普通の」義務教育を受けたら

海外生活する」なんてとてもじゃないけど考えつかないアイディアだ。

(リスクが生じることは徹底的に避けるべきと、植え付けられた)

いくら現状に不満があるからと言って、自ら日本語が通じない外国に行こうとするなんて、なんて強さだと自分は思う。

尊敬してるし、頑張ってほしい。

2018-02-01

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栃木市議会のページから出力しました。

平成26年  6月定例会(第3回) - 06月12日-04号

P.145

○議長(関口孫一郎君) 4番、針谷育造議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.145

◆4番(針谷育造君) 栃木新風会、4番、針谷育造でございます。通告に従い一般質問をいたします。質問の要旨は、1番といたしまして、栃木市総合計画への岩舟地域の位置づけについて、2番、小野寺北小学校旧校舎の保存と活用について、3番、岩舟地域の獣害対策について質問をしたいと思います。

  それでは最初に、栃木市総合計画等への岩舟地域の位置づけについて伺いたいと思います。私は、今回の市議会選挙に当たり、大岩藤の発展なくして栃木市の未来は語れない。そのためには、発展の可能性が高いこの地域が将来の栃木市の鍵を握っていること、つまり栃木市の南西部、大平、岩舟、藤岡地域で連携したまちづくりが必要であると訴えてきました。その理由は、地形、地勢的にも発展可能性の地域として最適のところであり、さらに交通の要衝であることであります。群馬県、茨城県を東西に結び、両毛地区の主要都市をつなぐ国道50号線、さらに50号線に並行する県道小山岩舟線、桐生岩舟線の幹線道路が走っております。南北には、栃木市内を走る県道栃木藤岡線、さらには高速道路東北自動車道、佐野藤岡インターがございます。さらに、鉄道では、JR両毛線、東京と栃木市内をくまなく結ぶ東武日光宇都宮線の有機的結合による開発を進めるべきだと訴えてまいりました。交通の要衝であるこの地が、なぜ開発されなかったのかと考えてまいりました。幸い、手つかずの広大な平地林がこの地域にはございます。一方、市長の岩舟地域マニフェストでも、佐野藤岡インター周辺の産業団地の整備の推進、そして岩舟町・藤岡町大規模開発計画を再スタートさせ、地域産業の振興を図ります等とあります。

  そこで、このような状況を踏まえ、栃木市総合計画等に岩舟地域をどのように位置づけるのか伺いたいと思います。

P.146

◎市長(鈴木俊美君) 栃木市総合計画への岩舟地域の位置づけについてでありますが、4月5日の岩舟町との合併に伴い、合併協議会で策定をいたしました新市まちづくり計画を踏まえ、新しい総合計画の策定に向けて現在改定作業を進めているところであります。主な作業といたしましては、岩舟町合併に伴う各種数値、数字の見直しに加え、岩舟地域のまちづくりの方向性を地域の姿としてまとめていくものであります。特に、地域の姿につきましては、岩舟地域におきましても、既存の総合計画と同様に、地域協議会の協力を得ながら策定をしてまいります。岩舟地域の地域の姿策定に際しましては、岩舟地域の資源や特性を生かしつつ、市町村合併のメリットであります広域的視点に立ったまちづくりが進むよう、まちづくりの方向性を描いてまいりたいと考えております。その上で、旧岩舟町時代に推進が図られなかった事業、例えば市域、市の領域の東西を走る国道50号線沿線、南北を走る県道栃木藤岡線沿線などは、大平地域、藤岡地域並びに岩舟地域を一体的に結びつけ、各地域の個性や特色を生かした土地利用構想をつくり上げ、栃木市南部、ひいては市域全体の発展へとつなげてまいりたいと考えております。なお、岩舟地域の施策の一部、具体的には岩藤大規模開発は、既存の総合計画における藤岡地域の地域の姿の中で、既にインターチェンジ周辺活用エリアとして位置づけております。さらに、私の今回のマニフェストの施策として具体的に織り込み済みでもありますので、現在改定作業を進めている総合計画の策定に当たりましても反映されておりますし、さらに追加して反映をしていく所存でございます。

  以上であります。

P.146

○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.146

◆4番(針谷育造君) 大変前向きに、そして建設的な市長の答弁、ありがとうございました。それでは、この計画策定に当たりまして、今後の日程、方法も若干述べられましたけれども、どのような手順でなるのかをお伺いしたいと思います。

P.146

◎総合政策部長(赤羽根正夫君) 具体的な今後の岩藤大規模開発の手順ということでよろしいでしょうか。

               〔「はい」と呼ぶ者あり〕

P.146

◎総合政策部長(赤羽根正夫君) そこまでの具体的な、現在の段階では、そこまでは至っておりませんが、まずは総合計画を今年度岩舟地域を中心として改定いたしますので、その中で、地域計画の中で十分、既に藤岡地域の中でもインター周辺ということでの位置づけはされておりますけれども、岩舟地域を含めた中での整合を図った中で、エリアどり的なものも含めて概要は詰めていきます。その後に具体的なエリアとか、既に現在も協議会等はございますが、休止状態というようなこともありますので、その協議会をどういうふうに立ち上げていくかということも含めて、詳細を詰めていく形になろうかと思います。

  以上です。

P.146

○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.146

◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。それでは、ちょっと角度を変えまして、再質問になりますけれども、ご承知のように、4月5日に合併を果たしました。この合併によるメリットは、まさに市長の答弁のようにはかり知れないものが私はあるのではないか。栃木市の総合計画の基本構想や土地の骨格、土地利用構想の完成度は、大幅にアップをするのではないでしょうか。今まですっぽりと抜け落ちておりました岩舟地域が埋まることにより、岩舟地域は栃木市の南部の中心に位置することになります。栃木市は、将来的には大きな財産を得たと思う、私はそのように考えております。たびたび申しわけありませんが、このことについての市長のお考えを聞かせてください。

P.147

◎市長(鈴木俊美君) まず、今回岩舟地域が栃木市と一緒になることによって、栃木市の全体の形としては大変成形、縦長といいますか、長方形の形になったところでありまして、形の上でも、まず岩舟地域が加わっていただいたということは、栃木市にとって大変大きな意義がございます。それから、岩舟地域の持っておられる、いわゆるポテンシャル、将来への可能性あるいは魅力、こういうものについても議員がおっしゃるとおりではないかと思います。これからは、栃木市の、とりわけ南の地域の一角を占める岩舟地域としてのさまざまな発展が考えられるところでありますので、このことについても議員がおっしゃられるとおりかと思います。ただ、栃木市にとりましては、失礼ながら岩舟地域だけではなくて、他の地域も全て魅力的なところでございます。そういう意味においては、これからは栃木市の一角を占める岩舟地域の持てるポテンシャルを十分に引き出していくことができるように、そしてそれが栃木市にとって魅力となっていくように、いろんなことを手がけていかなければいけないというふうに思います。その手がけていく中では、まだまだ地域としてやり残している課題あるいはこれから充実させていかなければならない施設や、いわゆるインフラの整備などもやっていかないといけないこともありますので、これらについても他の地域と同様、これから内容の充実に努めていくことが大変必要だろうというふうに思っております。そのようなことを通して、何度も申しますが、栃木市にとっての全体の発展に、岩舟地域のポテンシャルが貢献してもらえるように、そして岩舟地域そのものがこれまでやり残していたものをきっちりとやり遂げていくことが、これからは大切になっていくだろうというふうに思っております。

P.147

○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.147

◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。それでは、少し具体論に入りまして、2番目の質問に入らせていただきたいと思います。岩舟・藤岡地域住民にとって、大規模開発計画は、まさに悲願50年の課題であります。この大規模開発計画の経過をお聞きしたいと思いますので、よろしくお願いします。

P.147

◎総合政策部長(赤羽根正夫君) ご質問の岩舟町・藤岡町大規模開発の経過についてお答えを申し上げます。

  本開発は、針谷議員もご承知のとおり、旧岩舟町、旧藤岡町にまたがる地域における大規模な住宅地開発と同開発に伴う東武日光線の藤岡駅、静和駅間に新駅を整備するというものであります。本開発の経過でありますが、今から48年前の昭和41年に、東武鉄道株式会社より東武日光沿線開発に関して旧岩舟町、旧藤岡町への意思表明がなされたことが始まりでございます。しかし、同年10月に勃発した第4次中東戦争に端を発した第1次オイルショックの影響を受けて、東武鉄道株式会社による開発計画は、一時後退を余儀なくされました。その後、昭和50年には、開発手法として土地区画整理事業が検討され、東武鉄道株式会社より計画工程表が示されるとともに、昭和59年には同社から合計274ヘクタールの開発計画が提示され、地元説明会が開催されました。これを受けて同年、旧岩舟町の地元、御門地区において、岩舟御門土地区画整理準備委員会が発足され、委員会から町に対して技術支援の要請がございました。昭和63年には、行政側の事業化推進の母体として、県、旧岩舟町、旧藤岡町の関係者をメンバーとした岩舟町・藤岡町大規模開発連絡協議会が発足し、開発の推進に向けて、旧岩舟、旧藤岡両町の協力体制を整えてまいりました。

  また、翌年の平成元年3月には、栃木市、小山市など当時の2市7町1村圏域を範囲として、栃木・小山定住圏計画、いわゆるトナンプランが策定され、岩舟町・藤岡町大規模開発区域については、豊かな自然環境のもと、産業と居住機能が複合的に整備される地域として位置づけられました。そのほか平成6年には、栃木県南部地方拠点都市地域の指定を受け、翌年3月に策定された栃木県南部地方拠点都市地域整備基本計画においては、この大規模開発を市町別の整備方針の中で、緑豊かな自然環境を生かし、居住機能を軸に「産・緑・住」の機能からなる複合都市開発を推進し、住宅・宅地と新たな産業集積による就業機会を提供していくものとして位置づけ、開発面積を旧岩舟町、旧藤岡町合わせて137ヘクタールと定められました。このような中、岩舟町・藤岡町大規模開発連絡協議会では、協議会が主体となって各種の調査を実施するとともに、地域内への説明会、関係者向けパンフレット配付、アンケート調査、先進地視察、東武鉄道株式会社との事業推進打ち合わせを実施するなどの活動を独自に推進してまいりました。しかし、1986年代から始まった好景気も、4年後の1990年代にはバブル崩壊により景気の後退を迎え、景気の悪化とともに活動が低下し、平成12年3月に協議会が主体となって実施した岩舟・藤岡大規模開発産緑住複合都市開発推進事業調査が完了すると、翌年3月29日開催の協議会総会及び推進事業調査報告会を最後に、現在まで協議会の活動は休止状態となっております。

  以上が現在までの経過でございます。

P.148

○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.148

◆4番(針谷育造君) 大変詳しい経過をありがとうございました。ここで、次に移りますけれども、今の状況で岩舟町・藤岡町大規模開発計画の見通しについてお伺いすることも極めて困難かなと思いますけれども、とりあえず上げておりますので、ご回答をお願いしたいと思います。

P.148

◎総合政策部長(赤羽根正夫君) ご質問の岩舟町・藤岡町大規模開発計画の見通しについてお答えを申し上げます。

  本開発計画は、先ほどの開発の経過に関する答弁の中でお答えいたしましたとおり、1990年代のバブル崩壊による景気後退や社会情勢の変化等により、平成13年3月の岩舟町・藤岡町大規模開発連絡協議会総会を最後に、協議会の活動は休止状態にあります。活動休止から13年が経過した現在、現行の栃木市総合計画においては、針谷議員の言われる大規模開発を藤岡地域の地域の姿の中でインターチェンジ周辺開発エリアにおける産業基盤整備地域として位置づけ、大規模開発の当初の目的である居住機能を中心とした複合都市の開発の趣旨からは方向転換をいたしました。少子高齢化が進む中、社会情勢の変化に伴い、交通の要衝である佐野藤岡インター周辺や国道50号線に隣接しているという地理的好条件を生かし、企業誘致を推進することは雇用の確保による若い世代の定住や新たな人口流入の促進及び市の財政基盤強化など、多様な効果を担うことから、事業推進に当たっては、製造業や物流関係の産業団地の整備なども今後視野に入れる必要がございます。今後は、当該地区の地理的条件等を考慮すれば、産業団地開発への可能性はあると考えられますので、具体的な整備区域や方針等を周辺地域最大の地権者である東武鉄道株式会社との折衝を踏まえ、地域の皆様や関係機関と協議しながら検討してまいりたいと考えております。

  以上です。

P.148

○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.148

◆4番(針谷育造君) 大変ありがたい、産業団地の可能性は十分にある、そのようなことを聞きまして、非常に地域の皆さんも喜ぶ回答であったというふうに思います。私は、この産業団地等の雇用の確保の場の開発について、いささか角度を変えてお伺いをしたいと思います。よろしいでしょうか、議長。

P.149

○議長(関口孫一郎君) 再質問ということですか。

P.149

◆4番(針谷育造君) はい。

P.149

○議長(関口孫一郎君) はい。

P.149

◆4番(針谷育造君) 私は、この大規模開発計画を達成するために、実は栃木市役所1階へ東武宇都宮百貨店をテナントとして市長の英断で入れたということを聞いたときに、これは何かの布石ではないのかなと感じました。私が勝手に思っていることでございますけれども。承知のように東武鉄道は、資本金1,021億円、明治30年設立され、地元密着でその業績を伸ばし、現在は関連グループ93社を有する大企業であります。幸い栃木市内には、地域ごとにそれぞれ駅があり、多くの市民の足として利用し、親しまれております。この岩舟・藤岡大規模開発に栃木市の命運がかかっていると思ってもいいのかなと私は勝手に思っております。この計画は、先ほど赤羽根部長から言われましたように、137ヘクタールのうち、東武鉄道所有地55.3ヘクタール、内訳は山林が40.46ヘクタール、原野14.7ヘクタール、全体の40%を占めております。残りは岩舟、藤岡地域の地元地権者の所有あるいは町外の方、あるいは市外の方もいらっしゃると思いますけれども、81.67ヘクタール、これは山林と農地であります。東武鉄道は、平成25年6月、7月に、農業委員会の許可を得て農地を原野に変更いたしました。つまり農地が14.7ヘクタールだったものを原野に地目変更いたしました。東武の準備態勢は整ってきたのかなと思います。この開発は、東武鉄道抜きには前へ進まないと思います。たびたびで申しわけありませんけれども、市長のお考えを、簡単で結構でございますからお考えを聞かせてください。

P.149

◎市長(鈴木俊美君) まず、東武鉄道との連携という点に関し、議員からご指摘をいただきました本庁舎1階に東武宇都宮百貨店栃木店が入店をしていることについてでありますが、まずは栃木市の魅力を高めるには、どんな商業施設がよろしいかという観点から、あくまでそれを中心として選考した結果、東武宇都宮百貨店栃木店さんが入店をしていただけるということになりまして、このようないわゆるデパートの様相を呈する商業施設が1階にあるということは、栃木市にとっての魅力を必ずや高めていくであろう、かつまた中心市街地の活性化への、必ず少なからぬ好影響を与えてくれるだろうという思いであります。と同時に、東武鉄道というのは、我が栃木市を南北に貫く大動脈としての鉄道でありますから、かつその鉄道の存在を通して栃木市の観光の面でも、それから多くの人に来ていただくことをこれから考えていかなければならない上でも東武鉄道の協力は必要不可欠でありますから、そうした東武鉄道グループとのよりよき関係を築いていくことができるなら、それにこしたことはないということでございます。

  一方、いわゆる岩藤開発における東武鉄道様の存在意義ということになりますが、まず第一は、何といっても対象となる面積の4割を占める大地主であります。したがって、これから開発計画を栃木市が本格的に進めていこうとするならば、まずはこの大地主の東武鉄道さんの協力がなければ、これは立ち行かないことであります。と同時に、他の地主、地権者の皆さんの協力もいただかなければならないのは、これはもう当然でございますので、その中でもとりわけ大地主としての東武鉄道さんにはご理解をいただくとともに、ご理解というのは従来の住宅地を中心とした整備開発ではなくて、産業団地等の造成を中心とした開発へと進めていく上でのご理解、そしてご協力が得られるかということが大切になります。この点、従来の岩藤開発で目標としていました新駅の設置、そして住宅地を中心とした緑の環境豊かな一大エリアをつくっていくということについては、恐らくこれからは無理だというふうに思います。新駅の設置ということに関しましては、東武鉄道さんはその後、板倉東洋大前駅をおつくりになりました。そして、住宅地等の造成についても、これまた板倉東洋大駅前に広大な住宅地をつくっておられます。失礼ながら、しかしその現状については、ご案内のような状況でありますから、経済状況等も考慮すれば、東武鉄道さんが再びこの地において、そうした計画をみずから実行していくという可能性は極めて低いだろうなと思わざるを得ません。

  したがいまして、これからはやはり地元行政あるいは他の企業などの協力をいただかないと、なかなか厳しいだろうというふうに思っております。その点からも、東武鉄道さんにはご協力をいただくということは、ぜひともこれから求めていかなければならないところだろうなというふうに思っております。ちなみに、東武鉄道様が持っておられたこの地の一部が今は東武藤が丘カントリーになっているわけですね。ゴルフ場へと一部は変えておられたりしているわけでございます。そうした地域であることのご理解と、そしてそれには何度も申し上げますが、東武鉄道の協力なくしては、いずれにしてもなし得ないであろう計画になることは間違いのない事実でございます。東武鉄道とのよりよき関係を構築していく中で、そうしたことへのご理解とご支持、ご支援をいただけるようなことを目指していかないといけないだろうというふうに思っております。

P.150

○議長(関口孫一郎君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.150

◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。

P.150

○副議長(海老原恵子君) 一般質問を続けます。

  針谷育造議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.150

◆4番(針谷育造君) それでは、栃木市総合計画等への岩舟地域の位置づけについての最後の質問でございますけれども、トナンプラン等の経過と現状について、先ほど回答をいただいたというふうに理解をしておりますので、今後精いっぱいの努力と、そして全市的な合意を得ながらやっていただくことをお願いをしたいというふうに思っておりますので、この質問については割愛をさせていただきたいと思います。

  最後に、要望ということで、栃木市総合計画に岩舟・藤岡大規模開発計画を含め、地域協議会、地元地権者の皆さんの意見を反映させ、16万4,000人の栃木市民の将来のためにも、揺るぎない計画を策定することを要望したいと思います。悲願50年の課題に明るい兆しが見えてきたと私は感じました。きのうの市長の答弁ではございませんけれども、死に物狂いで頑張るとは私は言いません。政治生命をかけて、ともに汗をかく覚悟でございますので、確実な歩みの一歩をお願いをしたいというふうに思います。

  それでは、2番の小野寺北小学校校舎の保存と活用についてに質問を移らせていただきたいと思います。小野寺北小学校の保存について、栃木市の考え方を伺いたいと思います。最初に、小野寺北小旧校舎の沿革と保存運動の経過について申し上げ、議員各位の皆様にもご理解をぜひいただきたいというふうに思います。小野寺北小旧校舎の場所は、県道栃木佐野藤岡線の西側に隣接し、村檜神社、大慈寺の南約1キロ、小野寺地区の上耕地というところにございます。その歴史は古く、明治6年、大慈寺を仮校舎として開校、明治27年、ちょうど日清戦争の時代でありましたけれども、ここに旧校舎が建てられ、明治33年には南校舎を増築、明治41年には玄関と2階建ての校舎がつくられ、現存するのは明治27年と明治41年の校舎でございます。平成元年、新校舎の完成により、学童保育、地域の研修所、高齢者のふれあい館として地域に開放して現在までやってまいりました。この旧校舎は、県内では現存するものでは最も古いものでございます。120年の時を超え、6,000人の卒業生を送り出しました。

  次に、保存運動の経過を若干述べたいと思います。平成21年、この周辺の山側が土砂災害特別警戒区域等に指定されました。当時の町長は、建物の老朽化等を理由に、平成24年12月議会で解体を明言し、平成25年度予算に新研修所の新築予算、同時に旧校舎の解体費を計上しました。旧小野寺北小校舎を保存する会は、このときに結成され、運動を始めました。旧校舎の学区内の90%を超える867人の署名をつけて陳情し、その活動状況が新聞各紙で報道されました。しかし、町は文化財的価値がないと解体の方針を変えませんでした。何度かの交渉を重ねましたが、意見は食い違い、そのまま経過が過ぎました。この新聞報道を見た宇都宮大学、梶原教育学部教授が現地を調査したことから、多くの専門家が強い関心を示しました。平成25年の10月3日には、東京芸術大学大学院教授、上野勝久氏、これは栃木県文化財保護審議委員会、この先生が足利の鑁阿寺を国宝にしたときのリーダーでございました。その先生が現地を調査し、文化財的価値を認め、メモという形で町長に提出されました。さらに、10月30日、小山高専の苅谷勇雅校長が、永峰助教と学生50人で現地調査を実施し、このような立派な報告書をつくっていただきました。さらに、小山高専苅谷校長は、12月8日、栃木市文化大使にもなっておりますけれども、講演会を開き、歴史的建造物を生かすことの重要性を、そして必要性を保存する会の皆さんは学んだと思っております。さらに、年が明けた平成26年の2月2日、東京芸術大学大学院教授の上野勝久氏の講演会を実施し、今やらねばいつやるの、今でしょうと保存する会のメンバーは、文化財的価値を再確認し、運動への成功をこのとき確信しました。私はそのように思っております。その後、小山高専名誉教授の河東義之氏、栃木県文化財保護審議委員並びに栃木市の文化大使を兼ねております。の現地調査と文化財的価値についての意見をいただき、このような中で、ついに町も解体しないことを決断いたしました。この間、全国の建築士会、文化財専門家から保存要望等が町に多数寄せられ、その結果、解体しないで栃木市に対応を委ねるということになりました。

  そこで、この旧校舎保存の栃木市としての考え方を伺いたいと思います。

P.151

◎市長(鈴木俊美君) 旧校舎保存の考え方についてでありますが、4月、岩舟町の栃木市への合併に伴いまして、小野寺北小学校の旧校舎も当然ながら栃木市の所有と現在ではなったわけであります。旧小野寺北小校舎を保存する会の皆様からは、文化財の価値判断といたしまして、建築がご専門の先生方が調査した資料を提供いただきました。先ほど議員もお示しになったようなものであります。また、一方では、建物が土砂災害特別警戒区域に位置しており、利用者の安全確保の面からは、使用を控えなければならない状況であることも事実であります。引き継ぎました栃木市としては、まず改めて市として建築関係の専門家等に依頼をして調査を実施していくことから始まっていきたいと考えております。何分旧岩舟町からは、栃木市に対応を委ねるということになっておりますので、委ねられた栃木市としては、改めて栃木市としての認識を持つことから始めていかないといけないというふうに思っております。

  具体的には、専門家による第三者的な調査を実施をし、建物の調査だけではなくて、その重要性や具体的な保存の方向性なども検証、検討していただくことになろうかと思います。その後において、その調査の結果報告等に基づきまして、残すべきかどうなのか、残す場合はその残し方はどうすべきなのか。つまり、現場に今のままで残していくのか。ただ、その場合は何度も申し上げますが、土砂災害の警戒区域ということもありますので、それらとの整合性をどう図っていくのか、あるいは財政的な負担は市にとってどのくらいになっていく可能性があるのか等々、栃木市の例といたしましては、旧栃木駅舎を、その部材などを残して、従来の駅と異なる場所に部材を利用して復元をし、現在に至っているという例もありますので、そういうふうな可能性なども含めて、要はもう一度全ての問題を検証するための調査をしていきたいということでございますので、少し時間をいただいて、今のような調査から実施していくことを始めたいというふうに考えております。

P.152

○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.152

◆4番(針谷育造君) 全てはその調査にかかっていると思いますし、私は非常に文化財的価値が高いということは、専門家も申しておりますので、その調査に委ねるということで、私も了解をしたいというふうに思います。それらのこととは若干異なりますけれども、次の質問に移らせていただきたいと思います。

  栃木県の文化財指定をお願いしたい、このことでございます。文化財価値については、建造物が専門の東京芸大の上野勝久氏は、県内で確認された明治期の小学校は、佐野市にあります三好小学校旧校舎、小野寺北小旧校舎、那珂川町にあります小口小学校旧校舎、これは希少な明治期の木造校舎として歴史的価値があり、この3校を栃木県文化財指定も考えてもよい、このような評価をしていただいております。ちなみに、建造物専門の河東義之小山高専名誉教授、同じく建造物で、那須烏山市にお住まいの文化財保護審議委員の斎藤弘江氏も同様の意見でございまして、県の文化財保護審議委員の中の4人の建造物の先生がいらっしゃいますけれども、そのうちの3名の方はこのようなことで意見は一致している、このようなことも心強いお話をされておりますので、ぜひともその専門家の皆さんにもぜひ入っていただきながら調査をしていただきたい。そして、あわよくば、私はなると思いますけれども、県の文化財としての指定をお願いしたいことをここでお願いをしたいと思います。

P.152

◎教育副部長(小林敏恭君) ご質問の栃木県指定の文化財登録についてお答えを申し上げます。

  栃木県の指定文化財となる場合、所有者からの申請に基づき、県も調査を行い、その後、県の文化財保護審議会の審議と答申を経た上で、栃木県教育委員会が指定を判断いたします。指定された建物は、復元修理を基本として保存し、内部も復元し、保存することが原則になってまいります。県指定文化財の修理には、県の補助金が交付されることとなりますが、建物の利活用は限られたものとなります。一方、国の登録有形文化財という登録制度がございます。ご質問の県指定文化財に比べると、建物の外観の保存をメーンとする制度であり、外部についてもその4分の1が変更可能であり、内部については改装が自由で幅広い利活用が可能なものとなっています。ただし、文化財としての修理に対する補助金の制度はないことから、景観などの補助制度の活用の検討が必要となってきます。

  小野寺北小学校旧校舎の文化財としての指定や登録についてでありますが、先ほど市長が答弁いたしましたとおり、少し時間をいただき、市の考え方がまとまった時点で、今後の利活用や建物の文化財としての価値を踏まえて、市や県の指定文化財がよいのか、国の登録有形文化財がよいのかは、適宜判断してまいりたいと考えております。

  以上でございます。

P.152

○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.152

◆4番(針谷育造君) 大変適切な答弁いただいたというふうに思っております。

  3番の明治の小野寺北小校舎、これは私とすれば、地域の人もそうでありますけれども、活用して初めて生きるというふうに考えております。調査の結果がどうなるかわかりませんけれども、今のお答えの中では、解体するという話は出なかったものですから、次に移らせていただきながら、(仮称)歴史と文化の道ということで、観光、地域活性化の目玉になるのではないか、そんなところで意見を申し上げたいと思います。

  ご承知のように、この地域は、慈覚大師円仁を生んだ地でございます。慈覚大師円仁は、794年、「鳴くよウグイス平安京」と覚えましたけれども、平安初期に下野の都賀郡で生まれたとされています。私は岩舟、つまりこの栃木市で生まれたことは、歴史的にも文献的にも確認できると考えております。9歳から15歳まで大慈寺で修行し、その後比叡山に登り、最澄の弟子になりました。42歳のとき、最後の遣唐使として唐に渡り、10年に及ぶ困難な旅を続け、その時代の国際情勢、政治経済、宗教、文化、風俗、人々の暮らしを自分の目と足で、旅をしながら書き続けた日記がございます。現在は国宝に指定されておりますけれども、「入唐求法巡礼行記」、膨大な、文庫本でしか私は読みませんでしたけれども、大変な10年間の唐の時代の生活や今言ったことが、元駐日大使のライシャワー博士により翻訳され、世界に発信をされました。ご承知のように、世界三大紀行文、マルコ・ポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵の「大唐西域記」の三大紀行文の一つとして紹介をされました。帰国後は、比叡山の3代座主となり、天台宗の中興の祖とも言われておる円仁でございます。また、大慈寺に隣接して村檜神社がございます。三間社春日づくりの社殿は、国の重要文化財に指定されております。また、全国に住んでいる小野寺氏を名乗っている人たちの発祥の地としても、小野寺は有名でございます。その小野寺氏の菩提寺の住林寺には、県指定文化財の平安期の阿弥陀如来座像が指定をされております。このように小野寺は歴史の宝庫でもあります。

  このような地域の中で、小野寺地区を、小野寺地区に限らなくても構いませんけれども、歴史と文化の道としての観光地域活性化の方策を私はお願いしたい、そのように考えておるものですから、お考えを伺いたいと思います。

P.153

◎産業振興部長(早乙女洋君) ご質問の小野寺地区の歴史、文化の道として、観光活性化についてお答えを申し上げます。

  議員ご指摘のとおり、岩舟地域小野寺地区につきましては、慈覚大師円仁が修行をしたと言われる大慈寺を初め、国指定重要文化財に指定されている村檜神社など、歴史、文化的観光資源が集積している地区でありまして、合併前の岩舟町におきましても、これらの資源を活用した観光振興を図るための施策を進めてきたところであります。このような中、市では旧岩舟町を含めた新しい栃木市全体のさらなる観光振興を図るため、本年3月に栃木市観光基本計画を策定したところであります。この計画の中では、岩舟地域における具体的な施策の一つとして、小野寺地区を中心に慈覚大師円仁を初めとする地域の歴史、文化を伝え、観光情報を発信していくことを掲げております。このほか、この計画では、周遊観光モデルルートづくりを今後3年以内に優先的に着手するスタートアップ事業と位置づけておりまして、各地域が有する観光資源の特徴を物語としてつなぎ、周遊観光モデルルートとして設定してまいりたいと考えております。小野寺地区が有する歴史、文化的観光資源もこの重要な素材の一つと考えられますので、観光による地域活性化の取り組みとして、周遊観光モデルルートに組み込んでまいりたいと考えております。

  以上でございます。

P.153

○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.153

◆4番(針谷育造君) ご答弁ありがとうございました。周遊観光ということで、実は夕べ私のところにファクスが入ってきまして、地域協議会の委員の中から、ふれあいバスを使いながらこのことをぜひ地域の発信網、そして地域との、あるいはその地域外の人たちとの交流の場としてのふれあいのバスをぜひ利用したらどうだろうという提案を、夕べ協議会があったようでありますけれども、メールで私のところにいただいていることも申し伝えておきたいと思います。

  最後の、非常に現実的な問題でありまして、早急にお願いしたい。4番の雨漏り等の修繕を早急にお願いしたい。保存するには調査が必要だ。しかし、現在の建物には雨漏り等修繕が早急にしなければならない必要性がございます。特に玄関等々、校舎の間の谷間、谷の部分であります。さらに、教室の雨漏り数点、校舎西側の堀ざらいと排水、校舎南側の雨水排水、雨どいの設置等、早急にお願いをしたい。また、地元には保存する会や地元老人会の皆さんが既に敷地の管理等に積極的に協力を申し出ており、除草や草刈り、清掃等も既に実施をしております。そのためにも、早急な修繕をお願いしたいと思いますので、ご回答をお願いしたいと思います。

P.154

◎岩舟総合支所長(大島純一君) ご質問の雨漏り等の修繕についてお答えを申し上げます。

  小野寺北小旧校舎につきましては、これまで学童保育館、高齢者福祉施設、小野寺ふれあい館や地域公民館として利用をしてまいりました。しかし、土砂災害特別警戒区域内に位置し、老朽化も進み、利用者の安心、安全を確保するために、代替施設として近隣に小野寺地区公民館が整備されたことによりまして、現在は閉鎖をしている状況でございます。雨漏り等の修繕につきましては、雨漏り等の状況を早急に調査し、小規模な修繕等は早急に対応させていただき、大規模な修繕等が必要な場合は、先ほどの市長答弁で旧校舎保存の考え方についてお答えしましたとおり、市としての方向性が決まり次第、対応していきたいと考えております。

P.154

○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.154

◆4番(針谷育造君) とにかく雨漏り等、家屋そのもの、校舎そのものが壊れるようなことのないようなことを早急に実施することをお願いしたいと思います。

  それでは、次の質問に移らせていただきます。岩舟地域の獣害対策についてであります。まず最初に、岩舟地域と栃木市の実態について伺います。岩舟地域の実情を述べたいと思います。ご承知のように、岩舟の地域は、小野寺、岩舟、静和の旧村に分かれ、主に山間地帯の小野寺地区に被害が集中しています。主な被害は、稲、野菜等の農作物だけでなく、水田の掘り起こしを初め、畦畔、畑の土手等、被害は甚大であります。農地は、メッシュ状の金網で囲われ、電気牧柵等で囲われ、その費用は1戸当たり20万円を下らない、そのように申しておりました。何よりつらいのは、丹精込めた作物の無残な姿を見ることであります。近い将来は、イノシシの数が上回り、イノシシにじゅうりんされる様子が目に浮かび、人間がおりの中で生活する、そんな逆転が起きるのではないかと地元では大変嘆いております。岩舟地域と栃木市の実態についてお伺いしたいと思います。

P.154

◎産業振興部長(早乙女洋君) ご質問の岩舟地域の獣害対策についてお答えを申し上げます。

  岩舟地域と栃木市の実態についてでありますが、市内でのイノシシ、ニホンジカ、ニホンザルなどによる農作物被害につきましては、猟友会の駆除従事者の方から四半期ごとに提出される報告書や農業共済組合で把握されている被害状況等についても確認いたしまして、それらのデータと地元からの情報を加え、被害を把握しているところであります。平成25年度の具体的な被害につきましては、岩舟地域では、ただいま議員がおっしゃられたように水稲の被害が多く、特にイノシシの被害が拡大しておりまして、ニホンジカ、ハクビシンの被害も増加しており、面積では約2ヘクタールの被害となっております。

  次に、栃木地域や都賀地域、西方地域では、水稲や芋類などの被害があり、面積は約26ヘクタールで、前年度に比べまして19ヘクタール急増しており、そのほとんどがイノシシの被害となっております。

  また、捕獲頭数につきましては、岩舟地域分で、イノシシが162頭で前年度比81頭の増、ニホンジカにつきましては9頭でございまして、前年度の捕獲はありませんでした。岩舟地域以外の栃木市分につきましては、イノシシが504頭で前年度比81頭の増、ニホンジカが105頭で51頭の増、ニホンザルにつきましては、捕獲はありませんでした。全体を通してイノシシの捕獲が大幅に増えている状況であります。

  次に、有害鳥獣対策としまして、岩舟地域では捕獲用の箱わなを設置し、地元猟友会へ駆除の業務委託を行ってきております。合併前の栃木市では、個体数を減らすための捕獲駆除のほか、荒廃した里山の手入れによる生息地域の環境の整備、それから被害農地を守るための侵入防止柵設置による被害防除の3つの対策を基本として実施してきているところであります。

  以上でございます。

P.155

○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.155

◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。

  それでは、次に移らせていただきたいと思います。鳥獣保護法改正案等をどのように考えておるのかを伺いたいと思います。佐野市葛生地区の例を若干申し上げたいと思います。山からイノシシが出られないように周囲を金網で囲っています。金網は市が負担し、住民の手で設置しているようでございます。小野寺地区とは違い、農地の囲いはありませんでした。イノシシの行動は制限されているようですが、金網の設置できないところから時々出没するようですが、大きな被害はない、このように申しておりました。新聞報道によれば、2011年度現在、全国で鹿が323万頭、イノシシも88万頭に上ると推定され、農産物被害は200億円を超え、そのためにはこれらの数を管理せざるを得ないのが現実だと新聞は報道しております。そこで、2008年から市町村が中心に、銃やわなを使った集中的な捕獲や侵入防止柵が中心だったが、被害を減らすまでには至らなかった。そこで、国は2013年12月、鹿、イノシシ等の生息数を10年後までに半減するとした目標を設定し、鳥獣保護法改正案も国会で審議されているようであります。現在のところ、これは可決をして法案ができたようでございますけれども、保護するだけでなく、鳥獣の生息数を適正な水準まで減少させる管理の政策も導入するという大改正のようでございます。対策の柱は、市町村の境界を超えた広域的な捕獲事業を集中的に実施するとした。実施主体は猟友会、自然保護を行うNPO法人、警備会社等と書かれおりました。被害防止には、捕獲以外にも柵の設置や見回り等も述べられておるようでございます。さらに、補助金は、自治体実情に応じた頭数管理が進められるように一括して任せる等も必要であると提案されております。この改正案をどのように考えるのか、お伺いしたいと思います。

P.155

◎産業振興部長(早乙女洋君) ご質問の鳥獣保護法改正案についてお答えを申し上げます。

  まず、今回の鳥獣保護法改正は、農作物に深刻な被害を与えている鹿やイノシシなど、有害鳥獣を捕獲することにより、鳥獣の数を適正な水準に減少させ、生息地を適正な範囲に縮小させるために必要な措置を講じることとされ、従来の保護政策から管理へと大きく方針を転換するものであります。ただいま議員がご紹介いただいたとおりでございます。具体的な施策といたしましては、国や都道府県が鳥獣の管理に関する計画を定め、鹿やイノシシなど、その数が著しく増加し、またはその生息地が拡大している鳥獣の捕獲事業を直接実施できるようになります。また、一定の技能を持ち、適切な安全管理ができる捕獲の専門業者、例えば株式会社などもこれに含まれるというようなことでございますけれども、それを都道府県知事が認定する制度も創設され、その認定事業者は自治体の委託を受けて捕獲事業を実施することができることになります。さらに、法改正とともに、国の鳥獣捕獲目標として、10年後までに鹿、イノシシの数を現在の半分に減少させることが示されました。このように、今回の法改正によりまして、国、県が直接有害鳥獣の捕獲を行うことができることになりますので、現在市町村で行っている事業と相まって大きな効果を上げるものと期待をしているところでございます。

  以上でございます。

P.156

○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.156

◆4番(針谷育造君) ありがとうございました。頭数管理の方法ということで、国、県が有効な、そして政策あるいは責任を持ってやっいてくということでございまして、まさに今そのことを実施していただきたい。そして、地域の方々も協力しながら頭数管理に邁進していって、農作物等が被害に遭わない農村や山村をつくっていただきたいというふうに思っております。

  最後に、非常に難問でありますけれども、法改正を踏まえた抜本的な今後のイノシシ対策、今のお話で大分イメージはわかりますけれども、具体的にどのような状況になるのか、もしわかっておりましたらご回答をお願いしたい。以上です。

P.156

◎産業振興部長(早乙女洋君) ご質問の抜本的な今後のイノシシ対策についてお答えを申し上げます。

  現在岩舟地域では、猟友会2団体により、有害鳥獣の捕獲を実施しておりまして、捕獲要の箱わなをイノシシ用に24カ所、鹿用に2カ所設置しております。また、岩舟地域以外の栃木市におきましても、先ほど述べましたように、捕獲、駆除、これはわなを合計で87基設置しておりますが、とあわせまして、生息地域環境の整備、それから侵入防止柵の設置等によりまして対策を講じてきているところであります。しかしながら、イノシシなどの有害鳥獣による農作物被害は増加傾向で、なおかつ広域化しており、抜本的な対策とはなっていないものと考えております。抜本的な対策といたしましては、先ほど議員からの質問にありました鳥獣保護法の改正による個体数調整が最も効果的ではないかと考えるところであります。この改正法が施行されますと、国や県の新たな施策である捕獲事業者の認定制度や、わな猟の免許取得年齢の引き下げなどによる捕獲従事者の育成、確保が期待できますことから、市といたしましても、国や県、猟友会などと連携をしながら対策を強化してまいりたいと考えております。

  以上でございます。

P.156

○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.156

◆4番(針谷育造君) それでは、再質問というか、希望も含めて再質問したいと思います。

  確かに先ほど言いましたように、この対策のために農家1戸当たり20万円前後のお金を使いながらやっているということになりまして、新しい法改正ができた後に農家の負担、個人負担というのはどのようになるのか、その辺のことがわかりましたら、あるいは今年度の栃木市の予算事業等がありましたら、お伺いをさせていただきたいと思いますので、ご答弁をお願いします。

P.156

◎産業振興部長(早乙女洋君) ただいまの再質問にお答え申し上げます。

  農家の負担ということでございますけれども、現在行っている制度につきましては、市の制度であります獣害対策設備設置費補助金というものがございます。これにつきましては、イノシシの被害防止柵設置の場合は2分の1の補助ということでございまして、ただし上限が5万円というようなことでやらせていただいております。また、これとは別に国の制度で鳥獣被害防止総合対策事業費補助金というものがございます。これにつきましては、野生獣侵入防止柵を設置するというものでありまして、国の補助金、これが10分の10の補助でございますけれども、これにつきましては資材費のみの補助となりますので、施行については地元の方々にお願いするということになるものでございます。

  以上でございます。

P.157

○副議長(海老原恵子君) 針谷議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.157

◆4番(針谷育造君) 確かに農家負担というものは莫大になってきておりますので、ぜひこれらの制度を使いながら、そして地域の皆さんと市役所の担当者あるいはその関係者の皆さんで、よりよい対策を最後にお願いをし、私の一般質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。

                                                   

            ◇ 広 瀬 昌 子 君

平成26年  9月定例会(第4回) - 09月03日-03号

P.83

○議長(関口孫一郎君) 一般質問を続けます。

  4番、針谷育造議員。

               〔4番 針谷育造君登壇〕

P.83

◆4番(針谷育造君) 栃木新風会、針谷育造、通告に従い一般質問をいたします。1番、非核平和都市宣言について、2番、県内への指定廃棄物の最終処分場について、3番、下野新聞の集団的自衛権アンケートについて、4番、地方教育行政法の改正について、4点を伺いたいと思います。

  私は今回の質問に当たり、大人の責任とは何かについて考えました。将来の子供や孫たちのために今私たちがやらなければならないことは、平和な社会を残し、子供たちに引き継ぐことであると思います。この議場にいる皆さんはそれぞれ親であり、お父さん、お母さんであり、おじいさん、おばあさんの方もいると思います。普通のこととして、当たり前のこととして平和についての質問をただいまより始めたいと思います。

  1つ、非核平和都市宣言について。私は1945年、昭和20年の終戦のときに生まれ、69年間戦争のない時代を生きてきました。国民への平和への強い意思と戦争は二度とするべきではないとの理念で大人たちが憲法9条を守ってきた結果であると思います。平成24年3月1日、本市は Permalink | 記事への反応(1) | 00:26

2018-01-24

母親学級合成洗剤に村を焼かれたオバサンの話

ちょっと前、Twitterで「千葉母親学級スピリチュアル」というツイート話題になりました。(https://togetter.com/li/1190902

それを見て思い出したのが、タイトルです。

私が母親学級に行ったのは2年くらい前、兵庫県K市。

母親学級自体は市の保健所主催で、講師役の助産師さん、栄養士さんらはとても熱心だったし、【正規の】プログラムには何の不満もありませんでした。

たったひとつの大きな問題が、合成洗剤に村を焼かれたオバサンです。

ちょっと覚えてないんですけど、消費者の会の人だったかな。60代ぐらいのオバサンが2人、母親学級の前にお話しさせてもらいます〜とやって来ました。

プログラムに含めたのが市の意向なのか、オバサン側が頼んで話をする時間をもらってるのかは不明だけど、何となく後者かな? という気がしました。プログラムにも載ってなかったし、10分くらい〜と言っていたのに延長しまくり、脇で控えてた市のスタッフさん達がソワソワしてるのが見えたので。

で、オバサン達は洗剤で汚染された海の写真高度経済成長期とかの)やら文字だらけの資料やらを手渡し、模造紙を広げて以下のようなことを話し続けて帰りました。

合成洗剤は体に悪い! 化学物質は皮膚を通して体内に蓄積する! 洗剤で洗った服を着ているだけでも身体汚染される!

・洗剤を赤ちゃんの肌着に使うとアレルギーになる! 赤ちゃん用洗剤とか売ってるけどあんなもん信じちゃだめだよ!

・洗剤は戦後から登場したけど戦前からある石けんは安心安全! でも石けんにも化学物質まれてるものあるから成分をよく見てね!

特に女性の皆さんは気をつけてね! お腹の子女の子ならなおのことね!

・ここまで言っても洗剤を使うなら別にいいよ。でもどうなってもしらんからな。

まとめるとこんな感じ。

トンデモ科学マルチ商法かな? と思いましたよね。言葉こそ出てこなかったけど、多分経皮毒爆笑)とか信じてるタイプでしょう。洗剤に何をされたらこんなに憎めるのか不思議です。

戦前からあるから安心安全、と言われても戦後もう70年以上経過している今、中々の歴史を積み重ね今なお使われ続けている洗剤の実績を見るとむしろ信頼できますし。

というか何より最も許せないのが一番最後の脅しです。

ここまでストレートじゃなかったですが、眉をひそめて汚物を見るような目で「洗剤使いたいってんなら止めませんけどねえ…」というようなことを言い放ちました。

妊婦はただでさえ不安が大きいです。特に母親学級に参加するのはほとんどの場合初産婦。初めての妊娠想像もできない出産への不安をたくさん抱えて、それを和らげたり解消させたりするために、こういう勉強会に参加するわけです。

なのにそこで、感情論丸出しの非科学的な私見を押し付けて、不安を植え付ける。

聞いている参加者さん達は、見ている限り途中であまり押し付け論調に疲れてきたのか段々前を向こうとせず、死んだ魚のような目で資料を眺めていました。

でも中には、「今まで洗剤を使ってきたけどどうしよう、赤ちゃんに悪影響があったら私のせいだ」と悩んでいた方もいたかもしれません。

んなわけないのに、そうだと思い込ませていく。何しに来たんだこのやろうふざけんな。

妊娠出産育児を通して思うのは、こういうトンデモや偽情報がこの界隈には溢れていること、そして野放しになっていることです。よくある母乳ケーキで詰まるとかも、今では否定されているのにまだまだそれを指導する助産師もいます

私も言われました。和食中心ね、とか。

アホかと。ほなら何で産後病院食でハンバーグとかカレーとかケーキとか出んねんと。めっちゃ美味しかったわ。

アンケート用紙に怒りのメッセージを残してきましたが、その後母親学級は変わったんでしょうか。

行政主催のところにもスピリチュアル系の言説が流れ込んでるようなので、早く是正されることを願うばかりです。

2018-01-21

あの頃はよかった、あの頃をもう一度

東京オリンピック

大阪万博

やったら経済効果があるどころか、長年にわたり赤字が出ることが予想されているイベントをなんでやろうとしているのか

高度経済成長期にやったイベントを、半世紀たってなんでもう一度やろうという話になるのか

あの頃の日本は勢いがあったから、イベントをもう一回やったら日本も勢いを取り戻すという予想にもとづいているということ?

そういうノスタルジーを共有できる層が日本人口にどれだけいるというのか

高齢者テレビ懐メロ番組を見ながら、あの頃はよかったねという発想とあまり変わらないと思うのだが

そういうノスタルジアのためにどうして赤字を垂れ流すイベントを反対を押し切ってやってよい空気になったのか

こういう爺むさいことが違和感なく受け入れられるような、感性閾値の低さにどうして世の中が慣れ切っているのか

さっぱりわからない

2018-01-05

世代

1920年代1930年代まれ

戦前世代

青少年期に日中戦争太平洋戦争体験し、1920年代まれ徴兵経験する。

終戦時の年齢は6歳から25歳。

高度経済成長期(1954-1973)には15歳から53歳

安定成長期(1973-1991)には34歳から71歳。

バブル時代(1986-1991)には47歳から71歳で管理職および経営トップを担う。

定年(60歳)は1980年から2000年まで。

現在は80代・90代。

バブル時代総理大臣を務めたのは中曽根康弘(1918生)・竹下登(1924生)・宇野宗佑(1922生)・海部俊樹(1931生)。

それ以降も小泉純一郎就任まで、1920年代1930年代まれ総理大臣が続く。

1940年代まれ

1960年1970年安保闘争ベトナム戦争に対する反戦運動1960年代後半に過激化した学生運動などを大学体験した「全共闘世代」。

1940年代後半生まれ戦争終結による第一ベビーブームで生まれた「団塊の世代」。

高度経済成長期(1954-1973)には5歳から33歳で、主に青少年期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には24から51歳。

バブル時代(1986-1991)には37歳から51歳。

定年(60歳)は2000年から2010年まで。

現在は70代。

歴代首相では、麻生太郎(1940生)・小泉純一郎(1942生)・菅直人(1946生)・鳩山由紀夫(1947生)。

1950年代まれ

上の世代反面教師政治的無関心が増えた「しらけ世代」。

1950年代前半生まれ団塊から引き続き人口の多い「ポスト団塊」。

1950年代後半生まれ人口の少ない「谷間世代」。

高度経済成長期(1954-1973)に幼少期・青少年期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には14歳から41歳。

バブル時代(1986-1991)には27歳から41歳。

定年(60歳)は2010年から2020年まで。

現在は60代。

歴代首相では、安倍晋三(1954生)・野田佳彦(1957生)。

1960年代まれ

従来とは異なる感性を持つとされた「新人類」。

1960年代前半生まれは引き続き「谷間世代」。

1960年代後半生まれバブル時代就職した「バブル世代」。

幼い頃からマンガアニメゲームバラエティ番組洋楽などに親しんだ「元祖サブカル世代」「オタク第一世代」。

高度経済成長期(1954-1973)に幼少期を過ごした。

安定成長期(1973-1991)には4歳から31歳。

バブル時代(1986-1991)には17から31歳。

現在は50代。

1970年代まれ

バブル崩壊後の不景気就職した「就職氷河期世代」「ロスジェネ」。

1970年代前半生まれは、団塊の世代による第二次ベビーブームで生まれた「団塊ジュニア」。

安定成長期(1973-1991)に幼少期・青少年期を過ごした。

バブル時代(1986-1991)には7歳から21歳。

現在40代

1980年代まれ

出生率の低下が問題となりはじめた時期に生まれた「少子化世代」。

1980年代後半生まれは、脱・詰め込みの教育を受けた「ゆとり世代」。

ただしゆとり教育のもの1980年から施行されている。

安定成長期(1973-1991)に幼少期を過ごした。

現在は30代。

1990年代まれ

物心ついた頃からPCインターネットが普及していた「デジタルネイティブ」。

ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」、および不景気下で育ったために無欲と言われる「さとり世代」。

現在20代

2017-12-31

文明が成立したのも、幾つかの好条件による。

日本高度経済成長も、幾つかの好条件によってもたらされた。

  

外部要因に恵まれ外貨の獲得が出来て、好条件が重なるならば、少子高齢化社会改善もされるんだろう。

2017-12-26

anond:20171226031815

※部分は民謡合いの手みたいな、ファルセット女性声で、AメロおよびBメロは明るい昭和歌謡高度経済成長期風で!

あー作曲ソフトとか使えるなら曲つけるのになー

2017-12-14

学生服は元々格差を隠すため云々

貧乏学生服負担が大きい学生服廃止してほしい」って貧困ニュース話題に端を発して「学生服は元々格差を隠すためのもの」って反論最近見かけるようになったけど、あれ嘘か誤解、勘違いしてるとしか思えない。

元々は西洋化近代化の流れで、統一して洋装化しやすかったのが、軍隊学校だったと言うのが導入のきっかけで、

しかもあの当時では高級品で、「学生服が着れる裕福な学生」と「学生服が着れない貧乏人」と言うあからさまに格差を示すものだったから、格差を隠すためと言うのは完全に誤解だし、あったとしてもずっと後の理屈

仮に途中で格差を隠すためだったとしても、現状として学校ごとに学生服が違うために、「学校間のもつ生活格差が露わになっている」こと

また、同じ学校でも、学生服を何年も一着で通す上に繕いも出来ない家庭が存在するために、ボロボロ学生服の生徒が存在し「生活環境の格差があきらか」なので、格差を隠すことに基本役に立ってない。

格差を隠すのに役に立ったのは、中流層が厚く、繕いのできる専業主婦が多かった、せいぜい高度経済成長期ぐらいじゃないだろうか。今現在、通じる理屈ではない。

2017-12-09

anond:20171209005757

いや、自分たち世代いかに不遇だったのかって、最近になってようやくはっきりしてきただけだから

リアルタイムで過ごしている間は、個人問題自己責任ってされてきて、殆どの人がそれ信じてたし今でも信じてる人多いから。

自分たちちょっと上の世代バブルだし、子供時代は豊かに育ってきたからあまり反抗心とか育たなかったしなぁ。

そんで親も高度経済成長時代を生きてきたから、危機感がない。

自分の子供が完全に社会からドロップアウトして中年になってるのに、それでも「そのうちどうにかなるだろう」と思ってる。

2017-11-25

anond:20171125163730

戦争がなかったら日本高度経済成長は無かったね。

いま戦争すれば同じことが起こるかといわれれば難しいだろう。

状況がぜんぜん違うからな。

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