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はてなキーワード: 架空とは

2022-07-20

anond:20220720182254

完全架空地名業界統一で使ってプレミアム感あげればいいのにねー。

「信頼のの兜五条製」とか言って。誰にも迷惑からん

2022-07-19

anond:20220719021526

いやローン契約したのに(マルチグルになってる金融会社だろうけど)放置するのは確実に自分に跳ね返ってるだろ

そういう時は消費者センターに行って契約解除してもらわんと

でも住所も架空契約してれば意味ないのか?

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-16

anond:20220716095433

正しく記法を使えない輩が何か架空の設定で言ってますなwww

2022-07-13

架空の名声であるバズりを求めるお前らブクマカカルトを笑えると思ってるの?

同じ穴のムジナ。

英語で言えばHole Brotherだぜ?

2022-07-12

anond:20220711183504

フェミ二次批判はもう少し手が込んでいて、(確かに直接の悪影響を言うフェミ議連のようなバカもいるけど)例えば架空キャラであれ、戸定梨香という性的要素のあるキャラ警察キャンペーン使用されることで、なんとなく「未成年女性性的に見ていいと社会が認めることにならないか?」というものだ。

かにそんな遠回りな理屈が成り立つんであれば、例えば安倍元首相を模したマスクブルドーザーで轢くパフォーマンス共産党議員というイチ公務員が関わることは、まさに「あべ◯ね」というメッセージを少なくとも共産党という組織公的に認めたことにはなるよね(だから吉良議員必死になって否定するんだろうが)。

戸定梨香がただその造形が問題にされただけで「私を性的に見てね」なんていうメッセージは一切出していないのに比べて、ブルドーザーデモなんてあまりに直球のメッセージだよね。

私はその理屈賛同しないけど。

2022-07-09

アナトール・フランス禁書目録ジャンヌ・ダルク

100年ほど前、アナトール・フランスの書いたジャンヌ・ダルクの伝記が、

ジャンヌ・ダルク聖人として崇敬するカトリック教会の機嫌を損ねたらしく、

アナトール・フランス著作禁書目録掲載されるに至った

禁書目録1966年の第2バチカン公会議さなかに廃止された

現代日本でも、カトリック教会が反発しそうな形でジャンヌ・ダルクを描いた作品はいくつかあるが

特に抗議されているという話も聞かない

なにもカトリック教会が寛容であるというわけでもなく、

それらの作品に登場するジャンヌ・ダルクは、あくま架空存在で、

歴史上のジャンヌ・ダルクとは無関係だと解釈すれば、まあ、スルーでもいいのだろう

とあるエロゲーで、ジャンヌ・ダルクという名前ジャンヌ・ダルクっぽい要素をもった人のエロシーンがあっても、別に構わないのだ

anond:20220708230410

架空ではなく本物のヴィランだよね

それを討ち取ったんだから山上ヒーローだね

安倍経済政策格差拡大してどれだけの人が死んだの?

餓死した人もいるし子ども食堂とか言う狂った施設もできてる

消費税増税決定したのは完全に安倍

安倍人殺しの顔をして死んでいったね

国会で嘘100回以上ついて公文書改ざん統計改ざんしてた安倍こそが民主主義に挑戦していたよね

その事実を踏まえたうえでギリギリの部分で暴力は許さないと踏みとどまってるんだが

そんなこともわからないお前は恥を知れよ

2022-07-08

anond:20220708071904

増田はいかに他人にバレない設定を作って架空人物像を描き出すかの創作の場という使い方してる人多いからな

本当にリアルですという話はほとんどない

近年は年末かに今年はこんなの書きましたってまとめてくる人も時々見かける

まり間に受けない方がいいよ

2022-07-04

今季アニメ観た

治安悪い架空日本普段喫茶店ウェイトレスしながら、

銃持って警備をしている美少女

効率主義左遷されてきた美少女がそこにやってきて…みたいな話

なんで警備してる人が全員美少女なのか、

犯人側は全員男性なのか

美少女が重火器扱うのが描きたいぜぜぜぜぇぇぇ!!

っていう欲望を出すのは別に全然いいんだけど、

(銃の描写はすごかった)

流石にちょっと自然すぎんか…

もうちょっと理由つけてくれ

(例えば戦闘用の強化手術が女性しか耐えられんとかな

 ※このアニメはそういう世界観じゃないけど。多分普通人間

今後ちゃん描写されるんならごめんなさいね

私は嘘つきだった

嘘をつく癖があった。

一番最初に覚えてる嘘は、小学1年の時に親の財布から金を盗んで友達の家に大量のお菓子を買っていった時だ。

友達には知らないおじさんにもらった、と訳の分からない嘘をつき、不審に思った友達母親がうちのの母親に連絡してバレ、その日の夜に親父に顔の形が変わるくらい殴られた。

その他にもゲームでありもしないバグ技を友達にべらべらと喋ったりしてた。今思えばみんなが知らないことを披露して承認欲求を得たかったのだろう。今でも思い出してじたばたするくらい鮮明に覚えている。

幸い親が転勤族で1年に一回学校が変わっていたため、致命的に嘘がバレていじめられたりなどは経験したことがなかった。

中学の頃は少しは知恵をつけ、ここぞという時にしか嘘をつかなくなった。

その頃は中二病も周りにいっぱいいて、親に成績ごまかすとか、塾での自己採点の模試の点数ごまかしてクラスで1位になったりして優越感に浸ったりしてた。

高校の時、県内で上位の進学校入学体育会系部活に入り勉強との両立がもちろんできなくなり、割とサボった。

勉強もついていけないし、部活もきついしで週1とかで学校行くふりして漫喫に朝から部活終わる時間までサボったりしてた。

恋空とか流行ってて、少女漫画の僕らがいたにもドはまりして架空彼女が死んで海まで行ったとか匂わせSNSとかしてた。

友達は割といっぱいいた方だと思うが特につっこんまれもせず「ああ・・・」みたいな空気になってた。

高校落ちこぼれたが何とかセンター利用で私立大学入学

飲みサーみたいなところに入り、毎日酒浸りしてた。

人よりお酒が飲める方だったため、周りから評価されている気になり毎日ぶれるまで飲み、優越感に浸れてた。

架空彼女が死んだ設定も忘れておらず、ちょいちょい痛いやつみたいになってた。

そんな日々を送っていたらもちろん4年で卒業できず、留年した。

親への言い訳は僕らがいたか引用して、パニック障害電車に乗れない嘘でごり押しした。

借金もバレて、親に肩代わりしてもらった。

色々とボロボロだった。

家にいたくなくて週6でバイトしてた。

気づいたらバイトリーダーになってて、後輩もできて、みんなから頼られて承認欲求が満たされて気持ちよかった。

バイトしすぎて大事な実習に行けなくなったことが学校経由で親にバレ、怒られるのが嫌で逃げた。

とりあえず沖縄に行こうと思って電車に乗り続けて名古屋あきらめて漫喫泊まって次の日帰った。

めちゃくちゃ心配されてうやむやになってとりあえず卒業がんばろうみたいな感じで落ち着いた。

なんとか卒業してバイトしてた会社にそのまま就職した。

かなりのブラック企業で月300時間オーバーで働いてた。最初は楽しかったが、上司が変わって辛くなった。

会社に行きたくなさ過ぎて、2年目にマンションの2階から飛び降りた。

思いのほか痛くて、色々骨折して痛みで正気になりひき逃げにあった嘘をついた。

2か月入院して保険もおりないから親に肩代わりしてもらった。

その1年後くらいに会社をバックレて友人のつての工場で働きだした。

会社バックレたときは友人に心療内科に連れていかれたりして通院してた。自律神経失調症パニック障害と鬱の診断書が出た。

薬も1年くらい飲み続けた。

工場で働きだした当初は相変わらず嘘をついたりしてたが、本当のことを言っても誰も怒らないことがわかり嘘をつく癖がなくなっていった。

前職の半分の労働時間で倍以上の給料をもらえるようになった。

嘘をつくことも少なくなった。

自分ごまさないとかなり気持ちが楽だと知った。

仕事が暇でふと思い出して初めて増田文章を書いている。

人生何が起こるか本当にわからない。

死にたいと思ったことはあまりないけど、全て投げ出して誰も知らない土地かに逃げ出さなくて本当によかった。

と、ボーナス支給日前に思った。

2022-06-30

anond:20220630122520

架空の女つくって日傘使わない理由創作しなくて良いよ。

富野由悠季ガンダムシリーズ人種多様性やLGBTQに配慮した作品作りをしてきたのにそういう文脈評価されないのは悲しい。

結局のところそういう熱心な人達あんまりガンダム等々の富野作品を見ないのだというやらせなさを感じる。そもそもガンダムでは架空人種間の軋轢テーマに描いているので当然ではあるのだが。

機動戦士ガンダムの頃からそもそも日本人しかつの人種しか活躍しない宇宙戦艦ヤマトアンチテーゼとして多様な人種構成されたアニメであったのだ、ちなみに黒人だけは当時の放送コードで出せなかったと当時を富野監督述懐している、黒人アニメに出せない時代があったのである

人種だけでなく、戦う女性が描かれる、富野監督ガンダムでは女性は男の帰りを待つのではなく自ら戦闘機戦闘ロボット(ロボットと書くと富野監督ガンオタからは怒られるだろうが)に乗り勇しく戦うのだ。これZガンダム以降の作品でも一貫して描かれていく。

平成初頭に放送された∀ガンダムでは黒人主人公ガンダムすら描いた、主人公を務めた声優在日朝鮮人朴ロ美さんが演じており、この配役は劇中でのとある設定からメッセージ性のある役のわりふりであり、是非∀を見て確かめてほしい。

要人物の中には男性同性愛者だと示唆されるキャラも登場する。当時の他のアニメではコメディリリーフのようなオカマキャラは描かれることはあっても確立した立場のある男性として同性愛者が描かれるのはこのアニメが初めてだったのではないか

Gのレコンギスタではチアガール男性が実に自然と紛れており周囲の登場人物達も誰もそこに疑問を呈さない、マイノリティが受け入れられている世界観を描いているのだ。

今回出した例は一例に過ぎず日本アニメ漫画がLGBTQや多様性への配慮がないと批判する人が今目立つが、きちんと多様性を昔から描いている人はいるのである。もちろん富野監督以外でも多様性配慮してきた監督はいるので是非アニメをみて探してみてほしい。

2022-06-29

SPY x FAMILYが面白い仕組みは

色々あると思うんだけど、ひとつは、架空家族であるがゆえに、ロイド黄昏)が「まじこんなことやるの、クソ面倒だな」っていうすべての男親の声を代表した発言をしても、問題発言にならないからじゃない?

普通に実際の父親だったらそんな発言許されないよね、おっさん同士で飲んでるとき以外は。さらスーパーサラリーマンであるロイドさんの口から「こんなん、普段やってる仕事より難易度高いだろ」って言ってもらえることで、承認欲求も満たされる。

まぁヨルさんはちょっとロイドに甘すぎるけどな。現実はそんな甘くないよね。まぁ女性はどっちかというとアーニャ自分を重ねるのかな。

2022-06-28

anond:20220628005224

nekosichi その憎しみは、自分派遣会社にだけぶつけるべきで、他の人々は関係ない。

alpha_zero 恨むべきは産休明けで帰ってくる人でももちろん生まれてきた赤ちゃんでもなく、マネジメント能力のない派遣先上司派遣会社じゃないの。

ikebukuro3 悪いのは会社であって産休とった奴じゃねえだろ。全て会社が悪い。

rakugoman これが本当なら同情するが、敵は産休育休取得者じゃない。もし架空の作り話なら迷惑

myama0221 産休取った人を責めたり憎んだりするのはおかどちがい。会社が悪い

mory2080 会社に非があるのであって、産休取った人は当然の権利行使とはいえ、対価を払って受けたサービス同様、関わった人に対する感謝の念は忘れずにいたい。Thank you.

こういう、カスが子持ちになっただけみたいな連中ってなんなんだろうなほんと(いや、カスが子持ちになっただけだということは分かるんだけど)。

2022-06-26

anond:20220626002532

年収1億の誇張も自虐もないリアルを教えてやる。

スペック

30代。既婚で子供なし。ネコ2匹。

起業して上手くいって今5年目。

年収1億って言ったけど、厳密には会社利益役員報酬含)が1億。

会社自分と嫁のみで社員は無し。役員報酬は2人で4000万くらい。

年収1億のリアル

ぶっちゃけ5000万増田とそんなに変わらない。

普段生活で困ることは無いし、欲しい物はほぼ全て買えるが、富裕層向けのサービスを受けるには厳しい。

値段見ないで買えるとかいう話もあったが、普通に見る。あえて見ない理由が謎。

ただ、「値段を理由に欲しい物を諦める」というのは流石になくなった。

そうなると、結局「欲しい物」自体がほぼなくなる。

収集癖が無いのもあるが

「欲しかったらいつでも買える」

と思うと、不思議と「じゃあ今買わなくていいか」と思うことが増えた。

生活リアル

住居

自分も妻も引っ越しが楽しくて好きなので、色々な賃貸を移り歩いてる

タワマンとかも候補に上がってくるが、このあたりは上を見るとキリが無くて平気で100万円とか超えてくる

個人的には20~30万辺りが、利便性や快適さとコストが一番丁度良いラインだと感じる。

住もうと思えばもちろん100万でも200万でも住めるが、そこまでの価値は感じないし、正直固定費200とか言われると怯む。

食事

好きなものを食べれるし、あえて予約の取れない1人5万円とかするような高級店とかに行ってみたりもする。

ただ、普段からそんなのばっかりかというと、もちろんそんなことはなく

妻が趣味がてら料理をしたりもするが、適当飲食店やウーバーで済ますことが多い。

というか、高級店はだいたい拘束時間がエグいし、量も多いので、日常から頻繁に行きたいとは思わない。

大体自分たちの楽しみというよりも、人と一緒に食事を楽しむときに行くことが多い。

もちろん記念日は奮発したりもする。

服・アクセサリー

全く関心が無いのでユニクロとか着てる。

肌触りがすごく良い!とかめちゃくちゃ暖かい! みたいに話題になったものは高くても買ってみたりする。

ようするに機能面でしか見てない。

自分の周りでもファッションめっちゃお金を使う経営者はあまり多くない。

もちろんブランド大好きな経営者も多いが(特に女性に多い)、感覚的には半々くらい。

男性経営者は儲かると腕時計を買いたがる人も多いが、自分は興味ない。

ただ、結局高級時計リセールも高いので、結構合理的な買い物かもなと思ったりする。

自分の周りでここ5年位で高級時計を買っていた人は、下手な金融商品買うよりも全然儲かってる。

ちなみに自分都会暮らしということもあって車も持ってない。

タクシーは頻繁に利用する。

とはいえ歩くのも好きなので、天候に難が無ければ30分くらいなら普通に歩く。

経費について

全部経費は言いすぎだけど、実際、問題のない範囲でも色々なものが経費になる。

もちろん税務調査否認されたこともあるが、そしたらその分払えば良いだけ。

税務調査問題になるのは基本的架空の経費だったり、売上のごまかしの部分なので、

生活費が入ってる入ってない、くらいで大騒ぎになることは正直無いと思う。

(経費にしても、何百万とかのキャバクラとか、そういった部分が真っ先に見られる)

自分は正直、自分判断するのは面倒なので、レシートカード履歴等を税理士に全て投げて

税務調査来ても戦えるとこまででよろしくお願いします」

とお願いしてる。

金持ちはズルしてる」

みたいに言われることもあるが、実際自分レベルだとそこまで感じない。

というか、真っ当な「節税対策」とかいものほとんど無い。

よく言われてる節税対策って大体「脱税」か「繰り延べ」だと思う。

明確に得なのってふるさと納税とか、上限のある社会保険の部分くらいじゃなかろうか

意識できてないだけだったらゴメン

投資状況

投資はあまり詳しくないので、無難にVTI,VYMといったETFを積み立てていたり、

目についた高配当や良い優待のものを買ったりしている。

正直結構ガバガバなわけだけど、

自分はまだ事業収入があるため、今はこれでも良いかなと思っている

とはいえ配当収入だけで最低限暮らしていけるだけの水準ではある。

もちろん今の暮らしは無理だけれど、

悪事収入0になっても働かなくていいくらいの収入があるというのは、かなり安心感がある。

不動産投資はよくやらないの? とよく聞かれるが、正直あえてリスクをとってやる理由がよくわからない。

資産1020億みたいなのを目指すならやったほうが良いと思うが、自分はそこまでは求めていない。

結局レバレッジ効かせないと旨味がないが、そのために何億も融資を引っ張るのは抵抗があるので、

それなら多少利率が落ちてもREIT等で十分だと思っている。

ちなみに富裕層向けの投資商品? とやらの誘いが来たことは一度も無い。

逆に何処で来るの? 道で「あなた富裕層ですよね??」とか言われるの??

納税に行くと銀行員がアホみたいな手数料投信を進めてきたりするくらい。

あ、銀行員からコンテナ?とか、飛行機?のリースでどうこうみたいな誘いはあったけれど、

まりにもバカらしくて断った。申し訳ないが詳細は忘れたけど、節税というより税金の繰り延べの話だったと思う。

何に幸せを置くか

自分は妻のことが好きだし、いわゆる女遊びにあまり興味はない

大金を稼ぐと、大きくお金を「使い続ける」ことが出来るのって結局

事業

・女遊び

の2つくらしか無いことに気付く。

嫌味になるとは思うが、自分が好き勝手するのしても、正直1億も必要ない。

ただ、「何もしなくても生活費が入ってくる」状態を得るためには、

年1億とか、数千万とか、そういったレベルの入金が無いと、あまり時間がかかりすぎてしまう。

自分目標としていたその状態を作ることができたので、最近はどんどん自分の稼働時間を削っている。

事業を全部やめることは無いが、収入だけを追うのはもうやめようと思っている。

いざ自分の「理想暮らし」を考えると、年間4~500万もあれば充分だということに気づいたからだ。

酒池肉林生活をしたいならもっと頑張る必要はあるが、そんな必要も無いからだ。

というか、原動力が「働きたくないから働かなくてもいいよにお金稼ぐ」だったので、

それが達成した以上、事業モチベが保てないというのも本音のところだ。

ダラダラと書いてしまったが、何かの参考になれば幸いに思う。

2022-06-24

実在児童セックスする代わりに架空児童セックスするという行為は、実在児童セックスしたいという欲求を増大させる」らしい。

なるほど、それなら「実在児童セックスする代わりに実在成人とセックスするという行為は、実在児童セックスしたいという欲求を増大させる」んだろうな。

「俺は実在児童の代わりとして実在成人とセックスしてないか大丈夫」と主張する人もいるけど、それはその人個人が正常だからであって、異常な性犯罪者は違う。

実在成人とセックスしてもよい」という社会的風潮が、異常な性犯罪者予備軍の心に「実在児童セックスしてもよい」というお墨付きを与えるんだろうな。

2022-06-22

世間では男が別荘に女性監禁して殺したり女性店員人質ネカフェで立てこもったりしているというのにはてなーときたら架空女性男性社会的に殺す架空事件で紛糾し続けてるの隔絶されすぎだろ

anond:20220622090327

本人以外の言う「被害者」に架空以外のものがあっただろうか

AV被害者って本当にいたんだっけ?

架空被害者のために規制強まったの?

2022-06-21

anond:20220621090135

女叩きって基本架空の女を叩いてるだけで、俺のような惨めでオスにいじめられまくりのキショ個体自尊心が保てないから女を憎んでしまうんです!幼稚だからバカプライドのために他人を叩いてしまうんです!

でも女と話したこともろくにないし女のことは知らないんです!バカで惨めで低収入頭が悪いから自分自分が何をしているのか理解もできないんです!発達障害なんで女と会話が成立しないんです!!!

って言ってるようなもんだよね

2022-06-20

anond:20220620115050

ちゃうやろ、

敵はTwitterやろ。

Twitter見て勝手に起こってもいない架空事象についてあーだこーだ言って大喧嘩して、

Twitterで味方増やそうとして敵もいっぱい増やして喧嘩をどんどん大きくして。

そもそも人の個人的な呟きにマイク当てて音量デカくする、なんて悪魔の発明以外の何物でもないわ。

やめなさい。

Twitterを。

今すぐ。

童貞だったけど、はてなとツイフェミのせいで女性勘違いしていた話

増田の年齢は21歳、元中男子高校生現在MARCHよりちょい偏差値上ぐらいの理系大学生

まぁ中高男子校だと恋愛観が小学生のまま化粧した女性に向き合うわけだからモテる訳もなく(そもそも耐性無いから周囲の女が全員橋本環奈に見えて目とか合わせられない)、大学入学しても21までろくに彼女とか出来なかった。

そんな中ではてなとかツイフェミとかの投稿を目にすると、やっぱり女性観拗れるんですよ。

一部のフェミ男性蔑視女性の声がデカいせいで、全ての女性二次元女性絵を忌避してたり、ワリカンする男をゴミ扱いしてたり、被害者意識が強いように思ってた。

でも21になって後輩の初彼女が出来てやっと理解したけど、実際の女性って全然そんなことないわ。

現在彼女巨乳二次元絵とか「可愛い」って言って普通に愛でてるし、奢っても「なんか申し訳いから」って後からお金返してくるし、性格めちゃくちゃ良いし...

AED論とかもそうだけど、最近男vs女みたいな話題多くない?

非モテフェミ架空男性像、女性像を設定してそれぞれ「男は〜」とか「女は〜」とかのクソデカ主語自身偏見を語り出すからより異性への蔑視傾向が増幅されてる気がするんだよな。

実際の異性ってそんなステレオタイプに当てはまるような人間ばっかじゃない。

もっと魅力的だし、頭も柔らかいし、素敵だわ。

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