はてなキーワード: 春休みとは
※深夜に思いつきで書きなぐったものなので誤字脱字などがあったりごちゃごちゃして読みづらいかもしれませんがよろしくお願いします
僕が15歳2018年年3月〜4月に精巣捻転症になりました。そのことを忘れないように書き留めておきたいなーと思いつつできていなかったし周りの学校の友達などには言えずモヤモヤしていたのでここに残しておきたいと思いました。
まずそもそも睾丸捻転症とはどのような病気かといいますと精巣内の血管がねじれて精巣に血液が行かなくなり精巣が壊死するというものです(間違ってたらすみません)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%B7%A3%E6%8D%BB%E8%BB%A2%E7%97%87 (詳しくはwiki)
もしこの病気にかかったら六時間以内に病院に行って手術をしないとそれ以降は成功率が格段に落ちます24時間をすぎるともう無理と言われています
僕がこの病気になったのが3月の中旬くらいの卒業式が終わったあたりから左の方の睾丸がいつもより腫れていておかしいな~と思いつつ親に言う恥ずかしさもあり少したてば症状も収まるだろうと思い放置してしまいました
その後一週間後くらいに中学生から高校生という間もあり春休み期間が長かったため祖父母の家に帰省することになりました。新幹線で行くことになり新幹線に乗りましたが車内で流石に痛みに耐えきれずに親に連絡して祖父母の家についてから近くの泌尿器科に行くことになりました。その時は発症してから時間が立っていたことから精巣上体炎なのでは?と言われ次の日に総合病院の方に行くことになりました。この時気づいたのですが熱は37.5くらいで普段より高い状態でした(手術するまでこの体温のまま続きました)そして次の日病院に行ったとき詳しく調べてもらい精巣捻転か精巣上体炎のどちらかと言われました。症状の重さやもう精巣捻転なら精巣がだめになっているのでとりあえず薬を飲んでみて落ち着くかどうか見てみようということになりました。そして薬を飲んで一週間後にまた行くことになりました。薬を飲み腫れは少し治まったので僕としても精巣を取らなくて済むと安心し始めていました。一週間後また病院に行き収まったことを言うとまだ完全に治ってないから家に帰ってからまたそこでまた病院に早めに行ったほうがいいといわれたので行くことになりました。前に家族の中で入院した人があった大きな病院の仙台赤十字病院に行きました。行って診察でエコーを受けて診断されたときこれは「睾丸捻転だねもうこれを残してもしょうがないので切除してもう片方も捻転しないように固定する手術を明日しよう、ここまで耐えてられたのは捻転が一回転したのではなく途中で半回転くらいだったからじゃないかな」と言われてその日のうちに入院することになりました。その診断を受けたときは一気に具合が悪くなりめまいが激しく起こったりしました。その後血液の検査などを受けて病院に入院しお風呂などなどを済まました。その日の病院食はくっそ不味かった覚えがあります。その夜は全然寝ることができず何回も嘔吐をして体調は最悪でした。そして次の日も熱を測ると38.0くらいまで上がっていて体が手術を拒んでいました。手術室の前まで行きましたがお医者さんに無理して今日手術するのはやめようということになって一週間後に手術することになりました。そして家に帰ってからは横になりながらダラダラ過ごしてリラックスすることができました。(家で過ごすと本当に落ち着きます)そして一週間後また病院に行き入院しました。相変わらず病院食は口に合わずコンビニで弁当を買ってきてもらって食べたのを覚えています。その日の夜は嘔吐などもせずにそのまま眠ることができました。そして手術の日浣腸などをして準備をしっかり整えて手術室に向かいました。手術室に入ってからは全身麻酔をすることろからだったので麻酔から始まり記憶が薄れて気がついたら手術終わった後でしたこの手術前から後までが本当に一瞬だったのでびっくりしました。
それからベッドに戻り麻酔が切れてきてからが辛くなりました。体の一部を切ったので動かなくてもすごく痛かったです。特にトイレをする時立つことすら痛くて出来ず最初は尿瓶にしていました。おむつのようなものをつけていましたがそれをずらすのだけですごく痛く大変でした。そして一日一回先生が来て菌などが入らないように絆創膏?みたいなのを取り替えてくれるのですが取り替えるときがとても痛くて耐えるのが辛かったです。二日目からは前日から動いていないのでそれを徐々に慣らすのも兼ねてトイレまで歩いて行くようになりました。体の向きを変えること体を置きあげること立つこと歩くこと全て日常的にやっていることが大変ですごい苦労しました。それを次の日も続け手術から四日目で無事退院することができました。担任してからも数日間は辛いのが続きましたが徐々に慣れていき普通の生活に戻ることができました。
僕はこの病気にかかったとき医学が進歩している今でも睾丸を片方切除しないといけないというほどの病気があるのかって最初に思いました。この病気が起こる原因ははっきりとしていなく起こる原因もわからないことが多いそうです。このような病気に自分でかかってしまったショックがすごく大きかったです。まあ片方の睾丸があれば大丈夫と言われているやおこた病気が外見で見えるところじゃなくてよかったと自分に言い聞かせて今は過ごしています。これからこの事でたびたび問題が起こると思うのですが頑張って乗り越えていきたいと思います。この病気自体4000人に一人と言われていて男性の10代から20代の人なら起こる可能性が誰でもあるのでもしこの記事を読んでくれた若い男性がいるなら頭の片隅にこのことを覚えてくれたら嬉しいです。
大学生でスーパーのレジ打ちのバイト、2年目に突入。レジ打ちのスピードも今年の春休みから急激に上がって、バックヤードに張り出される当店レジスピードランキングの順位が2位にまで上がった。
レジスピードランキングがどういうアレで計算されてるのか知らないけど、とにかく商品を打ち始めてから合計ボタンを押すまでの時間とかなんか色んなアレコレを数値化したもので、数字が大きければ多いほどレジスピードが速いということになる。バイトを始めたばかりの頃はもたついてて1000もなかったレジスピードが今では2200くらいになった。ちなみに当店の目標レジスピードは1400。結構頑張ったと思う。
レジスピードの数値が2000超、これを4週連続で保つとなんかよく分からんが本社からバッジを贈呈される。まあ要するに「この人はレジ速いですよ」というのをお客様が目に見て分かるようにしたもの。24金らしい。僕は4月にそれを貰った。当店でそのバッジを貰ったのはその時はまだ僕含めて2人だけだったし、バイトがそれを貰えたのも初めてだったらしいから何故か贈呈されているところの写真も撮られた。負けず嫌いだし褒められるのが好きだから、「仕事ができる人間」と認められたような気がして嬉しかった。僕は有能だと思い、誇りを持って働いた。
だけど先日、レジの合間のゴミ捨ての担当になった。滅多にやらない作業だ。各レジにあるゴミ箱のゴミとサッカー台に捨てられたゴミを分別しゴミ捨て場に置く。レジが混んだら入る。それだけの作業で何故か僕はパニックに陥った。とにかく段取りが悪く、非常に効率が悪い。慣れてないとはいえこれはどうなの?と思ってしまうくらいだ。パートさんに入社2日目か?くらいのめちゃくちゃ優しい口調でフォローさせてしまった。すみません。
ただそれだけの失敗、なのに僕はとんでもなく落ち込んだ。元々落ち込みやすい気質だけど、ここまで仕事中に凹むとは思っていなかった。自分はなんて無能なんだろう、こんな簡単なこともできないなんて。
24金のバッジなんて、ただレジが速いというだけのアピールでそれ以外には何も評価されてないじゃないか。それ以外ポンコツでもレジが速ければ速いほど本社様からは有能だと思われるんだ、なんて表面的なんだろう。正味レジがそんなに速くなくてももっと有能な人は沢山いるんだよ。掃除をささっとできたり両替したり返品処理をしたりレジ点検ができるパートさんたちの方がよっぽど優秀だよ。なのにその人たちが評価されなくてただレジが速いだけの僕の方が評価されてるなんて悲しすぎる。どうかこの大好きな人達も評価してくれ。僕の24金、あなた達にあげたい。
ツイッターには才能溢れるオタクが溢れているなぁと思う、才能といっても私が言いたいのは、クオリティの高い絵や音楽などの創作物を作り上げる才能のことではなく、“オタクとしての人生を歩む”才能のことだ。
今から5年前、バイト禁止で、宿題がたくさん出る私立高校に通っていた私。当然、勉強は忙しいし、バイトもできないからお金もない、そんな私の日々の唯一の楽しみは、本屋さんで売ってる商業BL本をお小遣いで買って家でこっそり読んだり、録画してる深夜アニメを観ることやニコニコ動画でボーカロイドの楽曲を聴くことだった。
ちょうどその頃に、ツイッターとpixivを始めた私、これらのコンテンツで興味本位で同じ趣味を持つ人を探すと、そこには、同じキャラのグッズをめちゃくちゃたくさん集めて痛バッグを作ってたり、円盤を全巻3枚ずつ買って周りのオタクに布教してたり、自身で2次創作の同人誌を作って友達の輪を広げたり、推しの妄想や推しへの想いを毎日大量に呟いてたり、そんなオタクのお姉さんたちが大量にいて、「大人のオタクってすごいな」「私も大人になったら、こんな風に全財産つぎ込むくらい本気でオタクをするんだ…!」と思ったものである。
そんなこんなでオタクデビューした私は、高校1〜2年生の間は、勉強の合間に、アニメやpixivを見て、ボカロ曲を聴いて、クラスのオタク友達とそれについて語り合って、親に内緒でこっそり刀○乱舞に課金して、デッサン人形を買って夜中に一人でイラストの練習をしたりしていた。
たまに親から交遊費をもらって池袋に友達と同人誌を買いにいったり、早朝のりんかい線に乗ってはじめて即売会に行ったりとそれなりに楽しくオタクライフを過ごしていたと思う。
しかし同時に、「オタク活動にたくさんのお金や時間などのリソースを払える人=作品への愛や想いが深い人」という考えをしていた当時の私は、自分のオタク活動に物足りなさも感じており、「お金かけられないから、私は真のオタクにはまだまだ遠いな、そんなにこの作品のこと好きじゃないな」と変なことを考えてしまってもいた。よくよく考えれば、本当に好きなら、グッズや円盤が買えないくらいで作品への愛が変わる時点でおかしいのだが。
このときには、深夜アニメにもBLにもボカロにも飽きかけていた私、オタクであることをアイデンティティだと感じていた私は、次にハマれるものを必死に探していた。
そんな時、私はとある2.5次元ものの作品を見つける、作品名はぼかすため詳細は省くが、ソシャゲや3次元のキャストの公演、アニメなど多くのコンテンツを展開していたプロジェクトで、これから2.5次元系が流行ると言われている時期に合わせてデビューしたジャンルだった。私はこの作品に目をつけ、「よし、私は大学生になったらこの作品のオタクになってバイト代で円盤を買ったり、イベントに行ったりするんだ!」と意気込んだ。
大学生になり、月に5万ほどバイト代を稼げるようになった私は、サークルの友人との付き合い以外のお金はほとんど“オタク活動代”に回した。
円盤を買い、ソシャゲに課金をし、イベントに参加し、グッズを買った。
これで、私も真のオタクになれたと思った、でも、結局私は作品を愛しきれなかった。
買った円盤は一回観てそのあとはずっと引き出しにしまいっぱなしで特に見返したいとかは思わなかった。
ソシャゲの課金はなんだか、悪いことをしてるみたいな気持ちになって、1回1万円課金したら、もうするのはやめた。
イベントは楽しかったが、感極まって大泣きしてる友人ほど感動はしなかった。
グッズは買って後日、家で開けながら、「なんでわざわざたんなるキーホルダーを1000円で買ったんだろう」と冷静になった。
それと同時に、私は別のものに興味の対象が写っていることを感じた、服やコスメ、海外ドラマ、洋楽だ。これらのものは自分がたとえ実物を買えずに店頭で見てるだけだったり、円盤をTSUTAYAで借りてきて観たり聴いてるだけだったりとそんなにお金をかけてはいなかったが、そんなことは関係なく心の底から好きだと感じられた。
そうこうしているうちに、私がオタクをしていた作品のプロジェクト終了が発表された。飽和化した2.5次元ジャンルの中で、パッとしない存在だったその作品は多様な展開をしていたにも関わらず、いともあっさり全てのコンテンツが終了した。
そして今、コンテンツ終了に伴いオタクをやめた私は、少し高めの美容院で髪を切ってもらったり、ファッションビルに入ってるセレクトショップで奮発してちょっといい服を買ったり、友達とランチに2000円使って美味しい小籠包をたべたり、Spotifyで流行りの洋楽を聞いたり、Huluで海外ドラマを見たりしながら毎日を過ごしている。
大学では知り合いから「垢抜けたよね」と言われることが多くなり、SpotifyやHuluに登録したことで国を超えて多くの良質な芸術作品を楽しむことができるようにもなった。アニメ以外にもこんなに面白い映像作品がたくさんあるんだと感動した。好きなものに必要以上のお金をかけなくても、何も気にせずに、好きなものを楽しめるようになり、心は満ち満ちている。
今、改めて自分の志向について考えてみると、私は単純にシナリオが面白いものが好きだし、あんまりキャラクターに思い入れを持たないタイプで、そもそもオタク向きの性格ではなかったのかもしれない。
しかし、一つのジャンルを全身全霊で好きになってる“才能のあるオタク”をみると、話題作のドラマや流行りの服をなんとなく見たり買ったりとあっさりとした消費を続けている私は、時々彼らが羨ましくもなるのだ。
自分で自分の性格を書くは恥ずかしいけど、俺は多分、やんちゃで、自由で、人の気持ちみたいなのをあんまり考えずに、自分のやりたいことをやる元気な方なんだと思う。
でも、中学生になったら、この性格ゆえ、いや、普通に性格以外にもいろいろ問題はあったんだろうけど、クラスの奴らから嫌われ始めた。
中学受験して行った中学のため、いじめなどはなかったが、いろいろと相手にされなくなったり、輪に入れなくなった。
俺はここで初めて、空気を読むとか、人と合わせるとか、そういうことを体で覚え、中学生活のその後はひっそりと生活することに徹した。ちょうどパソコンをゲットしたこともあり、オンゲやアニメにハマっていたため特に問題はなかったし、このつながりで、クラスの影である人たちと友達になれた。
そして、高校生のとき、広く学生を募集してアメリカに20日ぐらい旅行するみたいなものがあり、親の勧めで参加させてもらえることになった。
テンションが上がっていたし、仲良くいこうみたいな雰囲気があったから、久しぶりに俺はひっそりと生きるという枷を外し、自由にしてみた。
その結果はまあなんというか言うまでもなくで、旅行後半は本当にボッチで行動した。
二度もこういうことがあったから、自分の性格は本当にクソでだめなんだと思った。再度俺はこの性格を封印し、おとなしいやつとして過ごすことにした。
その結果、高校生活は特段問題もなかったが、仲が深い友達もできず、彼女なんでもっての他だった。
1年のとき、サークルの中で一人変わった女の子がいて、あっちの方からグイグイ来た。俺は過去の経験から絶対に素の自分を出しては行けないと思い、細心の注意を払い行動した。彼女の言動一つ一つに神経尖らせて、少しでも怒らせたり、不機嫌にさせないようにした。そして、些細な行動で傷ついていた。
そんなこんなで仲良くしていたが、だんだん彼女の方は俺に飽きて行き、距離を置かれるようになった。毎日来るLINEが来なくなり、遊ぶ機会も減り、呼び方も名字へと戻った。
本来自由で、人の気持ちをあんまり考えない性格なのに、その自分に嘘をつくというのは楽なもんじゃない。なのになんでって思って、人間関係がわけわからなくなった。
不満は爆発し、サークルの仲間すべてを失った。
抗うつ剤を飲んだ。毎日ベッドの上で考えるだけで1日が終わる日々だった。ちょうど大学が春休みだったのが幸いした。
そして、2年生、新しいバイトを始めたのだが、これが幸運なことに同世代が多く、明るく優しい人が集まるような場所だったために、俺のメンタルは急激に回復した。
おとなしいフリをした性格も、ちょっと変だけど優しい、みたいな感じで受け入れられた。
本来なら仲間もいっぱいできて喜ぶところだが、俺はこの関係を壊れることを恐れ、壊さないようにするために必死だった。
本当の自分の性格なんて忘れていた。バイトは楽しかったが、人間関係は楽しくはなく、うまくやれてホッとするか、ミスったと思い込みどこが行けなかったのかを考えるかのどっちかだった。
そして、仲もたいして深まらなかった。みんな表面上の付き合いのように思えてならなかった。遊びに誘われたらめちゃくちゃ嬉しかったし、逆に誘われなかったのを知るととても辛かった。
自分に嘘をつくのもきつかった。どうすれば人生楽になれるんだろう。どうすれば人間関係が楽になるんだろう。
表面上は楽しかったが実際は地獄みたいな1年を過ごし、現在大学3年生。
不満が1年と半年分たまり、爆発しそうになったため、夏休みでもあるし、1週間ぐらいバイトにも行かず、家に引きこもって、人間関係について考えないようにした。
バイトに行かなければ人と仲が深まらないし、進展もない。なにより、一人は寂しい。だから最初は怖かった。でも、悩みを投げ出して、一人で漫画読んだりアニメみたり、ゲームしてるうちに、本来のやんちゃで、自由で、人の気持ちを考えない性格を思い出した。そうだ俺はこうだったんだと、思った。やっと見つけてくれた、と心の中で声がするような気がした。
だが、この性格を出せば、100%嫌われることになる。バイトでなんだかんだ築いた関係も全部壊すことになる。けど、もう自分に嘘をつくのは嫌だし、もうメンタルがもたない。
俺は今後、部分的にだんだんこの嫌われる性格を出していくことになるだろう。
だからここに決意を書く。
俺はこの先、一人になる。周りを見る目は厳しくなり、味方はいなくなる。怖い、怖いし、不安だ。でも、それが俺だ。突き進め。向かい風の方向が、俺の進む道だ。俺、頑張れ!
定職を持ち、長く住む場所が定まり、精神的な余裕がある人間以外は子供を持ってはいけない。当たり前の先人のアドバイスを繰り返すだけになってしまった。
自分が小さい私立大学に職を得たのはようやく40歳目前で、それ以前から妻子を置いて移転を繰り返し、50代目前まで長く単身赴任だった。精神的余裕は当時も今もないけれど、結婚したことと子供を持ったことは自分にとって悪いことではなかった。辛いことはいろいろあったし、妻ともかなりこじれたが、それでも家族を持ってよかったと思えるのは、妻が私の仕事の仕方を受け入れてくれたからだと思う。どこで折り合いが付くかは分からないけれど、根っこの信頼が二人の間にあるのなら、答を急がなくてもいいかもしれない(上手く言えなくて申し訳ない)。
家事や子供の身の回りの面倒を見る大人が2人ではなく1人になるというのは、子供にとっては不幸では?
また、自分の父親の顔を覚えていない子というのは、たとえば学校生活で父親の話をするときに、気まずい思いをするものではないのか?
我が家の場合、子供たちと私がともに過ごしたのは5年程度しかない。数ヶ月に一度、週末に帰省して、あとは夏休みと春休みに2週間ずつぐらいだったか。
直接聞いていないが、彼らはこの状態をあまり不幸だとは思っていなかったように思うし、父親不在が彼らの友人関係にひびを入れたというほど大きな影響はなかったようだ。もっとも、妻が子供らの気分を上手くサポートしてくれたのかもしれない。ただ、今はスカイプのような手段もあるし、遠距離に離れていることは昔ほど心配しなくて良いのではないか。
片親状態が辛いのは、子供が片親状態を負い目に思うかどうかではなくて、育てる側の親が生活と育児に余裕がなくなり、精神的肉体的に疲労して、子供にその悪影響が出ることだ。家事育児のしんどさを核家族内で抱え込まないようにしたほうがいい。そして自分の反省を込めて言うが、離れる側は、育てる側の親の悩みをよく受け止めてあげることだと思う。離れる側にもしんどさはあるけれど、育てる側はとにかく大変だし、その精神状態は子供に直結しているので。
彼は黙々とギターを練習してるやつだった。大学入学前から趣味でやっていたのだろう、初心者の私たちから見たら抜群に上手かった。放課後に部室に行くとだいたいいつも彼が居た。
彼が2浪だったと知ったのは入学して半年後くらいだった。確かに少し大人っぽかった。けど年齢の差なんて気にせず仲間内でワイワイ騒ぐのが当たり前になっていた。
そんな感じで4年間一緒に過ごしていくのだろうと思ってたが、1年の終わりの春休みに色々あり、2年目を彼とともに迎えることはなかった。亡くなったのでもう会えないし、葬儀にも行かなかった。
ギターが上手い以外は特別変わった学生ではなかったと思う。後から後期の成績が悪かったのなんだの聞いたけど他によっぽど頭の悪そうな学生は周りにたくさんいたので正直信じられなかった。
先日の春休みにディズニーランドに行った。家族を連れて。私自身は何十年ぶり。しかし、あまりにもひどい体験でなぜこんな場所に高いお金を払ってくる人が大勢いるのか全く理解できなかった。
入場料は大人2人と子供2人で合計2万円強ぐらい支払う。多くのアドバイスに従ってホテルに前泊し朝8時に入場。しかし、のんびり歩いて入場したのが悪かったのか、すべてが手遅れであった。ファストパスというものは一つも取れず、結局楽しんだアトラクションは1つ、1時間半程度行列を並んで乗ったダンボだけだった。さらに言うと私と小さいほうの子はダンボには乗らず外から眺めて写真を撮る係だった。私自身は乗り物とかにはそれほど執着しないので、家族が楽しんでくれればいいと思っているし、テーマパークの楽しい雰囲気を感じられればいいなと思ったのだけど、それも不可能だった。大混雑で入場制限がかかるほどなので、周りを見渡してもイライラしている人ばかりだし、パレードを見るための場所取りで地面に座って待っている人が周辺を埋め尽くしているのでちょっとした移動も困難。スタッフが場所取りをしないでねー、とアナウンスするけど誰も従わない。従うわけがない。
飲食は持ち込み不可なのに買うのも困難。20分以上待たされて低品質なドリンクを350円で買ったり(ファミレスでドリンクバーになっているようなコカ・コーラ系列のものだ)、1時間待たされてポップコーンを買ったりしただけだった。空腹でぐずる子のために、ルール違反は承知だが持参した菓子パンを食べてもらった。なんでこんな場所なのに、座ることもできずに最低レベルの食事を取っているのだろうと泣きたくなった。
せっかくの夢の舞台ということなので積極的に楽しもうと終始ニコニコしていたつもりなのだけど、こどもがぐずり始めてからは妻もキレてしまい、家族と妻のご機嫌を取るのにいつも以上のストレスをため込む結果になった。結局1時には会場を後にした。出てから舞浜駅のそばのカフェで食事をとったが、安くておいしくて座れるし、店員も親切で、日常空間のやさしさを痛感したのだった。会場内でお土産に買ったおもちゃは、残念なことに、本人が希望したモノと似ているが違う商品だった。今更返品交換するわけにもいかず思い出もしょっぱい物となってしまった。
おそく混雑ゆえの不満がすべての元凶だったと思う。混雑を承知で、それでもなお入場したい人や、訓練されて最適行動をとっている人に圧倒されたのだ。それなりのお金を払っているのだから適当に散歩しているだけでも楽しいだろうと思った私がバカだったのだ。混雑が予想される春休みに行くのがバカなのだという意見もあるだろうけど、2月ごろに行こうとして詳しい人に聞いてみたら寒いのはつらいよ、春休みの穏やかな季節のほうが良いよとのことだったからだ。
ということをSNSで書き散らしたいのだけど、つながっている人にはディズニーのファンがそれなりにいて、安易に愚痴も言える雰囲気じゃない。それもまた辛い。こどもがまた行きたいと言わないことを願っている。
歳が近く仲のいい従弟がいる。
遠方に住んでいるので夏・冬・春休みにしか会えなかったが小さい頃から毎年遊んでいた。
従弟の家は貧乏で、父親が蒸発したりするような機能不全家庭だったので、高校あたりでグレてしまったが
根はマジメでいいやつなのもあり、成人する頃には電設工事のプロになって、立派な社会人になった。
結婚もした。子供もできた。妻子を養う傍ら、母親の面倒も見ていた。
よくぞここまで真っ当な人間になれたと親類からも褒められるような奴だった。
でも、蒸発してた父親が姿を現してから、奥さんの家と不穏な感じになってしまい、
育児ノイローゼ気味でもあった奥さんとも険悪になってしまった。
その上、母親が脳梗塞で倒れて認知症になったり、仕事で大きなミスをやらかして借金を抱えたりと
子どもの親権は母親へ、住んでいた家も母子へ渡して独りアパート生活。
辛い境遇を乗り越えて、ようやく手にした温かい家庭だったが、何がいけなかったのか、
従弟の手に残ったのは多額の借金と、世話が必要な年老いた両親だけだった。
従弟は養育費と借金返済、両親の為に身を粉にして働いていたが、
中卒ブルーカラーにはやはり限界があるようで、うちの実家に「金を貸してください」と言ってくるようになった。
親類は「関わるな」とにべもなかった。従弟はさておき、従弟の両親の信用が全くなかったからだ。
借金さえ完済できれば返してくれる見込みもあった(従弟の当時の月収は悪い方じゃなかった)ので数十万貸した。
この時は最悪返ってこなくてもまあしょうがないかな、と思っていた。
最初のうちは少しずつ返してくれた。だが段々首が回らなくなって、返済どころか追加の融資が必要な状態に陥っていった。
「取引先にトンズラされて今月の収入がゼロになった」「母親にガンが見つかって手術費用が必要になった」
「貸主から勤め先に連絡が行ったらクビになる」「これ以上家賃滞納したら追い出されてホームレスになる」と満身創痍だった。
(後々になって分かったが、サラ金にも手を出していたらしい。もっと早い段階で聞き出しておくべきだった)
対症療法というか、寸借詐欺にかかったように少しずつ金を貸していたら、どんどん総額が膨らんでしまった。
職を失って雲隠れされたり野垂れ死になんてことになったら全てが無駄になる、とコンコルド効果抜群な思考に陥り、貸すのを止められなかった。
結果的に、従弟の借金の大半は実質、数年がかりで自分が肩代わりした形になった。
でもあそこで自分が助けなかったら、従弟はどうなっていたか分からないし、
従弟は養育費の支払いだけは絶対滞らせない、と必死だったので、どうしても見捨てられなかったのもある。
1人で頑張ってきた従弟とその両親、元奥さんと子供の人生を支えたんだと胸を張りたい。
ただ、こうして貯金がゼロになった今、もうこれ以上助けてやることはできないし、
何より自分の手元にも何も残っていない。無くなったものばかりだ。
分水嶺はどこだったのだろう? これからどうすればいいんだろう?
従弟は週末に弁護士と相談する予約を取ったので、そこで道が見つかればいいのだが。
ダラダラ書いたけど、後になってこんなウジウジ言うくらいなら最初から貸すなよって話だし、
間違ってなかったと思うんならウジウジ言うなよって話なんだろうなぁ。
くっそー。
僕はとある2次元コンテンツのオタクだ。別に今まで龍が如くをやったこともないし、何ならPS4も持っていなかった。
ジャッジアイズが発表された日、Twitterを眺めていたら、キムタクが操作できるゲームのPVに出会った。キムタクで新宿の街を歩き、キムタクでチンピラやヤクザをぶっ飛ばし、キムタクでコンビニを荒らす。
今まで興味がありつつも触れてこなかった龍が如くというゲームが、主人公がキムタクになるだけでこんなにワクワクするものかと思った。
しかし、PS4を持っていなかった僕は、そのために買う気も起きず、そのままジャッジアイズは「いつかやれたらいいゲーム」になったまま、記憶の隅に消えていった。
時は過ぎて、バイトの休憩中に見ていたTwitterにとんでもないニュースが舞い込んだ。ピエール瀧の逮捕だ。
誤解のないように述べておくが、僕はピエール瀧の逮捕で特にイメージが下がった、ということはない。人に危害を加えたわけではない(石野卓球は色々言われたりしたけど)し、悪いことはであっても僕個人として失望した、というわけではない。
しかし、ゲーム会社その他はそれを許すことができないのも事実で、ジャッジアイズはその日のうちに販売の自粛が決まった。
このゲームをやりたいという欲求と、今後発売されるプロスピへの先行投資と考え、僕は春休みに貯めたバイト代を握りしめて、回収される前にジャッジアイズを購入した。
まず、キムタク含め俳優陣の吹き替えが上手いので、ドラマを観る感覚で遊べる。キムタクはハウル、ピエール瀧はオラフをやってたこともあってか、違和感がなかった。中尾彬も上手い。
そこにゲームオリジナルのキャラが絡んでも、声優が洋画の吹き替えで活躍する人ばかりなので耳触りがいい。海藤さんが良いキャラクター過ぎて、こんな兄貴分欲しいって思えるくらいに没入できた。
そして、PVで観てた以上にキムタクで遊べる。チンピラやヤクザをぶっ飛ばし、コンビニを荒らし、ある時はキムタクになって麻雀を打ち、ロンで和了るとキムタクがドヤ顔をする。夜の店でキムタクを酔い潰し、フライデーもびっくりの4股交際に発展する。
が、ゲームが進むごとに、操作しているキムタクが、次第に八神隆之になっていった。八神隆之を操作して、黒幕を追う。シナリオの進行とともに盛り上がっていくシナリオに、どんどんハマっていった。
PVとかで出ている部分なのでここについては語るが、ストーリーの根幹の一つとして、羽村京平(ピエール瀧)を追っていくというものがある。羽村を追いつつ過去の謎の真相に迫るストーリーは、久々に続きが気になるゲームで遊べたという喜びにもなった。
龍が如くスタジオは、6月末に海外版ジャッジアイズを発売するために、羽村のモデルを全て差し替えている。これはおそらく今後日本版にも修正パッチが配布され、ピエール瀧の羽村は見られなくなると思われる。
正直、ピエール瀧のあの演技を、無かったことにしてしまうのはあまりにも惜しい。だからどうか、今のうちに、日本人にはジャッジアイズをやって欲しい。
家に金を入れる取り決めになっているのでニートしてる場合じゃないんだけど、なし崩し的にニートになった。
就職できなかったのは、元々就職しようという意識がほとんどなかったのが一つ。就職したら今まで以上に自分のためだけに使える時間が減り、今も生きるのが辛いのにもっと辛くなると思っていた。そこまでして生きる意味が分からなかった。
そして就職活動を「会社の奴隷になる権利を得るための努力」としか認識できなかったのが一つ。
最後に、申し訳程度にやった就職活動が全て書類段階で失敗に終わり何もかもどうでもよくなったのが原因だった。
前置き終わり。
……一瞬で1ヶ月が過ぎた。
起きて、飯食って、ネットサーフィンして、趣味の曲作りやって、自分の無能さに自己嫌悪して、何もかもに嫌気が差して寝る。それが約30回繰り返される。
ずっと大学生の春休みの延長線上。締まりのない日々。楽だけど虚無。でも楽。これ以上無いくらい楽。「楽」ってだけで何にも代えがたい。でも楽なだけで何にも楽しくなかった。自分を満足させることもできなかったし、誰にも必要とされなかったから。それは今も昔も変わらないけど。
肝心のやるべきこと、就職活動は1秒もしなかった。
できなかった。
本当はするつもりだった。
貯金が尽きるまでには収入源を確保しなきゃと思いながら1秒たりともバイトの求人情報にすら触れなかった。
貯金があるうちはまだ大丈夫だろうという楽観的な気持ちもあったが、一番の原因は「自分が就職している未来を想像できなかった」から。自分が社会に必要とされる未来などあり得ない。だから何もしたくなかった。このままではダメだ、何かしなければと思いながら。
心の底では自分の人生を好転させようという気がない。好転させられるなどとは微塵も思ってすらいない。ただ上辺で「ニートを脱するのが“正しい”からニートを脱さねば」と思っているだけ。周りの人間たちは頑張ってと言ってくれるがもはや自分の人生などどうでもいい。この人生は失敗作になることが確定しているから。
たぶん貯金が減るにつれもっと辛くなっていくのだろう。でもさすがに貯金が無くなる頃には生命維持のために動くだろうと楽観視してる自分がいる。
とりあえず貯金が尽きたらフリーターになって、フリーター生活も辛くなったら死ねばいいやと思っている。
本当は音楽クリエイターにでもなってみたいから勉強はしているが、曲を上げても10再生がいいところなので無理か。やはり力こそ正義なんだと思う。私には力が無い。
テトリスという匿名ダイアリーを読んで、ほとんど同じような経験をしていたのを思い出した。
突然すぎる家庭環境の変化に耐えかねて、警察沙汰になるようなイタズラを外で繰り返していた。
ひねくれすぎて、小学校の友達に卑屈な態度をとっていたせいで学校内で虐められた。
やがていじめから逃げるようにして、学校帰りゲームセンターに通い、コインゲームにハマっていった。
知らないおじさんからもらったメダルや拾ったメダルで、ただひたすらにコインゲームをやっていた。
今にして思えば、あのコインゲームのスペースは寂しい人たちの集まりだった。
いじめられっこや家庭内で放置された子供、それから家に居場所のない老人。
そこで新しいコミュニティを築いた。同い年の不良から老人まで幅広い世代の人たちと交流し、そこでいろんな人に優しくしてもらった。
中学校を卒業するまでゲームセンター通いは続いて、高校へ入学と同時にゲームセンター通いは止まった。
増田と同じように大学受験に失敗して浪人が決まった時、ゲームセンター通いが再開した。
結局この時も、大学が決まるまで2年間通い続けた。
大学に入ってからも春休みや夏休みなど大型連休で精神的なバランスが崩れるたび、ゲームセンターに足を運んだ。ひたすらにコインゲームを続けた。
彼女に振られたとき、家庭内が不穏なとき、大学の課題がキツイとき、強いストレスを受けるたびにコインゲームに没頭した。
社会人になっても長い休みを見つけるたびに足は自然とゲームセンターへと向かう。
3000円を両替機に突っ込み、メダルをジャラジャラさせながらプッシャー機にメダルを落としてゆく。
きっとこれからも強いストレスや不安を感じるたび、ただただ無心でコインゲームに没頭する。
それがテトリスの増田と同じ、傷ついた心の回復方法であり、安定剤なのだろう。
近頃だんだんと数を減らしてゆくゲームセンターとコインゲーム。
全てが消えてしまった時、私はどうやって傷を癒せばいいのだろうか。
最近、若い男の子が出演してる映画のグッズを、毎度まいど、初日に買い占めていく転売ヤーがいる。
どんどんエスカレートしていってるので、本当どうにかしてほしい。
ライブビューイングなら、購入数の制限とか、チケット提示とか、本部から指示されることもある。
私が認識してる転売ヤーは女性で、認識し始めたはまあ「たくさん買うなあ好きなのかなあ」くらいのレベルだった。
だけどどんどんエスカレートしている。
こないだは「L♡DK」と「PRINCE OF LEGEND」のグッズを、公開日の朝イチでごっそり買い占められて、その人の会計終えたら売り場がすっからかんだった。
LDKは「はじこい」で人気があがりつつある横浜流星くんが出てるし、
春休みが始まるタイミングでもあったから、若い子からの問い合わせがすごく多くて。
オトナだったら、すまんけど公式通販あたってくれ…ってなるけど、若い子だと公式通販を利用できる環境かどうかわからないじゃない。
送料とか、支払い方法とか、受取方法とか、なんかしら障壁がある子だっている、とおもうんだ(私は少なくとも勝手に通販頼める環境じゃなかった)。
でさ、公式通販にくらべたら、やっぱりフリマアプリとかってそのへんのハードルが低いよね。
転売ヤーがいなければ、正規のルートで欲しかったグッズを買えたはずの子たちが、フリマアプリでそれらを見つけて、
(それがどういうことかも理解せずに)転売ヤーから買ってしまうのかなとおもうと、あーほんとうなんとかできないのかなーっておもう。
別に法学なんざ全く知らんけどその辺が重要ってのは一般常識として知っている
ってかニュース見てりゃ分かるだろ
3月までは保育所に行っていたが、私は在宅ワーカーだし、息子は大人しい子だし、なんとかなるかなぁと思って4月からは学童に行かず家にいる。
が、なんともなっていない。
とりあえず春休みの目標は毎日学習プリント1枚、小学校まで一緒に一往復する、自転車で公道を走る練習をする、スクラッチでゲーム作り、
これを一通り午前中に一緒にやって、午後からは私は仕事、息子は1人遊びにしようと思ってたんだけど、当たり前に午後までかかるし、夕方ごろに終わったとしても私もヘロヘロで仕事にならん。
学校まで子供の足だと往復1時間かかるし、息子は自転車にハマって隣町まで行きたがるし…家のとなりのコンビニまでもわざわざ車で行く親には辛いぜ
まぁ、息子は楽しそうだしあと1週間体に鞭打って頑張ろう。
これを書いている人は、この3月で大学を卒業し4月から社会人生活を始める。
と言うと、世の大半の人は、人生最後になるかもしれない春休みを友達との旅行などで謳歌しているのだろうと思われるかもしれない。
しかし、卒業旅行や送別会などに全員が行く訳などなく、自分はこの1ヶ月半地元に帰り実家にいた。理由は至ってシンプルだ。あまりにもメンタルがやられてしまい卒業旅行に行く気になれなかったからだ。
ゼミやサークルどこに行っても弄られるキャラを演じる中で、表面上は笑いながらも精神的な負債が少しずつ蓄積されていき、今年の2月のゼミの飲み会でその負債が爆発した。あまりにもしんどすぎた。
その癖に、弄る側の人間は弄られて人はいつも笑いになって美味しいと勘違いしているのだろう、卒業旅行や送別会に行かないと言う連絡をすると「なぜ来ないんだよ?暇なら来いよー」と勝手に暇だし行けるだろという圧をかけてくる。何故卒業旅行に行くことが当たり前と思っているのか、そのスタンスを疑問視したくなった。
はっきり言って面倒この上ない。
行きたくないものに行かないという選択肢すら出来ないのかと思ってしまった。
かと言って本当のことを言って、雰囲気を壊してしまうのも憚られる。さらに、悩みとして打ち明けたとしても、弄られキャラのためにネタにされ、本当の悩みであってもまともなアドバイスを貰えることなんてない。大学生活最後の春休みに、わざわざ精神を削ってまでこいつらの相手をするほど穏やかではなかった。
こういう理由があって、実家に帰ったものの、親と妹が冷戦状態、愚痴を自分にぶつけてくるような状況、さらにはストレスや悩みから全く離れた生活を送っていると思われ、そのような類の話をしても「そんな訳ない」とすぐに遮られる。
大学生活の中で、本当に精神が落ち着くのは、一人暮らしをしている家の中だけだったが実家に帰ってもそれは変わらなかった。
ただ、大学の知り合いと1ヶ月以上離れたことでかなりメンタルが回復した。これほどまでにリフレッシュするのかと初めて帰省の良さを知ったほどであった。
おかげで明後日に控えた、社会人生活のスタートを問題なく切れそうであるのだが、始める上でいくつか言っておきたいことがある。
1.弄られて直ぐに拗ねる奴に弄る資格はない。
小学校の時、「自分が嫌だと思うことは相手にするな」と教わったはずだ。にもかかわらす、守れない輩が多すぎる。ゼミ同期にも精神科通いのクソメンヘラ女がいるが、ツイッター上でメンヘラ垢まで作って、人生辛いとしてるのに、ゼミでは弄る側になる。この矛盾が見てて痛々しすぎる。
2.弄られている役の人の中には悩みがあっても言えない人がいる。
弄られる役の人も、人間である以上悩みを持っている。だが、その悩みを打ち明けたとしても、笑いのネタにされてしまうことも多々ある。そのため、言わないで自己解決を図ろうとする。このやり方で上手くいくこともあれど、どこかで躓いてしまう。(実際に今回の自分がそうだった。)
弄られる側の人の中には、人に本音をあまり言わない方もいるが、リアクションがおかしいなどいずれ表情に変化が出るものだ。周りでその変化に気づいた方がいたら、是非真剣に話を聞くように受け入れることをお願いしたい。
3.弄られる側の人は怒りたくても怒れない。
弄られる内容や弄ってくる人によっては、反撃したいことも多々あるが、やり返したところでその場の空気が変になることくらい誰でもわかる。普段と全く違うリアクションを取っているわけだから。その異常を覚悟してリアクションを取るくらいなら、少々自分が傷付いても全体の笑いになればいいと思ってしまい、いつも通りのリアクションを取ってしまう。この少しの傷が蓄積されるとやがて取り返しのつかないことになってしまう。そうならないためにも嫌なことに対しては嫌と言っておくことも時には必要である。相手に直接言うのが難しい場合には、間に人を介するなどするのもアリだろう。とにかく、取り返しがつかなくなってはもう遅い。
4.辛くなったら休む
無理して弄られるキャラを続けてもやがてガタが来る。その場合には直ぐに休んで1人でいるか、若しくは全く別の関係である友達に会ってみることをお勧めしたい。
4月から社会人として仕事が中心になる生活が始まってしまうが、この文を1人でも多くの方が読み、1人でも弄られるキャラの人の救いになり、1人でも愛のない無責任な悪口や弄りを止める人が増えることをささやかながら祈っている。
失恋といえるほどのものでもないのだけど、でもきっとこれは恋だったと思います。私は忘れっぽいたちなので、忘れないよう、書き残しておきます。長いし、重いです。
出会ったのは小学1年生のとき。初めて友だちになってくれたのが彼女でした。誰とでも仲良くなれるような優しい女の子。彼女は誰とでも仲良くなれる人だけど、私は違った。人見知りで、自分勝手で、今考えるとどうしようもないような性格だったと思います。小学校から中学校にかけての様々な件で私の性格はひねくれにひねくれ、自分がいちばん醜いとまで思うようになっていきます。それでも小学校から中学校までの9年間、ずっと仲良くしてくれました。彼女のことが一番大切だと思いました。
転機は高校のときです。彼女は特殊な高校に、私は普通の高校に進学しました。彼女の学校と私の学校はそもそもシステムが違うため、長期休みが合うことはほとんどありません。臆病者な私は、彼女に連絡することを恐れるようになりました。彼女のことがとても大切だから、勉強や部活を私みたいな存在が邪魔するのは、私自身が許せない。アルバイトを始めたと聞きました。なおさら、連絡なんてできません。そうなると(もうわかると思いますが)、あとは疎遠になっていくだけです。月日が流れれば流れるだけ、彼女を神聖化したまま、私の記憶の中の彼女はやさしくてかわいいあの子のまま美化されていき、とうといものへと変わっていきます。もっともっと大切になっていきます。高校生の間にも、数回遊ぶことがありましたが、私の前では昔と変わらずとてもやさしくて、素敵な彼女のままでした。きっとさらにすきになっていたと思います。
はたちになると、成人式があります。いろいろな場所に散らばっていた友人たちも地元に集まります。私たちも同窓会をすることになりました。久しぶりにみんなに、特に彼女に会えることが嬉しくて、人一倍かわいくなりたくて、一番お気に入りのワンピースを着て、時間をかけて髪を巻いて、丁寧にメイクをしていきました。かわいいねって言ってくれて嬉しかった。あなたにそう言ってもらいたくてそうしたのだから。この同窓会のときに、今度遊ぼうね、と約束をしました。彼女は卒業後は就職のため地元を出て都会に行ってしまうらしいのです。とてもとても楽しみにして、大学でのテストもいつもより少し頑張れました。彼女はまだテストがあったようなので、終わったらまた連絡してねと言って、そのときは終わりました。その連絡が来ないまま、彼女が都会へ既に向かっていたことを数日前に知りました。
「いつ遊べそう?」「春休み終わっちゃうね」「遊べなかったね〜」「もう都会のほうにいるって本当?」何を言っても傷つけてしまうような気がして、この文章を書いている今も、どうメッセージを送ればいいのかわかりません。高校の友達と遊んでいるのならば邪魔したくはないなあ、引越しの準備が思うよりも大変で忙しいのかもしれないし…と思い込むことでなんとか今日まで生きてきました。「どうして知らせてくれなかったのかな」とも思ったけれど、たまにしか遊ばない友達に出発の日時を教えるわけがありません。この結末はただの自業自得です。大切にしたくて、私がいちばん醜いと考えている自分から遠ざけようとして疎遠になるなんて、自分でもびっくりするくらいのブーメラン。なんて救えない。彼女にとって昔よく遊んだ程度のお友達になっていただけなんです。どうしようもない、始まってすらいない私の初恋はここで終わります。
こんなこと、誰にも話せないから、ここに書きました。友達がずっと恋愛感情を持っていたなんて知ったら気持ち悪がられるに決まってる。なによりこんなことを書いている私が、私のことを一番気持ち悪いと思っているのだから。そう思われたくない。彼女に嫌われることは何より怖い。好きだと言うことも今後絶対にない。叶うこともない。だって彼女は女の子で、私も女。彼女はたぶん異性のことを好きになる人です。それでも話せるだけで嬉しかったし、満たされていたし、じゅうぶん幸せだった。ずっとずっと仲良くしてくれてありがとう。あなたは私の救いで、大げさかもしれないけれど、光でした。あなたは強い人だから、きっとお仕事もうまくいきます。あなたがこれからも幸せであるようにここから願っています。