はてなキーワード: 春休みとは
前回のSARSの場合、中国では北京の陸軍病院が虚偽報告していたりして発症症例が過少に報告されていた。そのときはWHOが懸念を示し、中国政府も国内の医療機関にSARSの発症件数を正確に報告するよう指導している。イランもどうなのか。
新型コロナウイルスの対策本部では安倍総理大臣がも27日午後6時過ぎに、来月2日から全国すべての小学校・中学校、それに高校と特別支援学校について、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請する考えを示した。
それぞれの県や市町村の判断もあるだろうけど、前回のSARSでも香港が休校になっているから
わかっているよね。教育委員会のおえらいさん。
株価も日経平均が1000円以上下落した。震災以上のインパクトだ。
一部では不安が広がり衛生用品や日用品買の棚が空になっている。
都内の居酒屋、レストランも人が少なくなってきたように感じるぞ。
もう少し危機感を持とう。
何かあったのか?ってくらい消毒液で念入りに拭いていたぞ!
それな
ディズニーランドもしばらく閉園だ。
これがなにを意味するのかわかるだろうか。
まだまだ混乱は避けられそうになさそうだ。
前回のSARSの場合、中国では北京の陸軍病院が虚偽報告していたりして発症症例が過少に報告されていた。そのときはWHOが懸念を示し、中国政府も国内の医療機関にSARSの発症件数を正確に報告するよう指導している。イランもどうなのか。
新型コロナウイルスの対策本部では安倍総理大臣がも27日午後6時過ぎに、来月2日から全国すべての小学校・中学校、それに高校と特別支援学校について、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請する考えを示した。
それぞれの県や市町村の判断もあるだろうけど、前回のSARSでも香港が休校になっているから
わかっているよね。教育委員会のおえらいさん。
株価も日経平均が1000円以上下落した。震災以上のインパクトだ。
一部では不安が広がり衛生用品や日用品買の棚が空になっている。
都内の居酒屋、レストランも人が少なくなってきたように感じるぞ。
もう少し危機感を持とう。
何かあったのか?ってくらい消毒液で念入りに拭いていたぞ!
それな
ディズニーランドもしばらく閉園だ。
これがなにを意味するのかわかるだろうか。
まだまだ混乱は避けられそうになさそうだ。
これで一昔前ならやる事無く暇な人達がレンタルビデオ屋に殺到、とかなったんだろうけど。
動画のサブスク配信サービス普及した今となってはそういう特需は見込めなさそう。
※注:仮説と推論だけです
・そもそも感染症とは、人の動きに合わせて感染範囲が拡大していく
・感染拡大を止めるには、啓蒙(性病におけるゴムつけろとか)、ワクチン予防接種で免疫作っておく、社会を止める がある
・最近はインフルエンザも猛威を奮ってるが(もちろん今年は少ないけど)、以前はそうでもなかった
・これは昔は小中学校で集団ワクチンを摂取していたことが大きい(とされている)
・つまりは感染拡大には、大人が外で感染→家庭内で子供に感染→子供が学校で撒き散らす→各家庭に持ち帰り親に移す→親が会社で撒き散らす→ 、、、という流れがある
・covid19にはワクチンがない
・代わりに春休みを前倒し
・大人はせっせと手洗いとうがいと濃厚接触を減らした上でテレワークなどやれや
・学業一ヶ月停止したところで大差ないけど、東京を武漢のように停止したらエライコッチャや
っていうことでしょう。
まぁあと、学校単位でクラスター感染が起こったら、その地域の病院は大パニックにも成るし、どのみち親も仕事休むし、
それだったら首相の大号令かましたほうが、経営者も理解も配慮もしやすいんじゃない?
って感じ
1.患者クラスターや地域の流行状況に応じ、学校医と相談のうえ、 地域における学校の臨時休業や春休みの弾力的な設定
2.医療現場におけるマスク、手袋、防護具、消毒薬等を含めた医 療資機材の確保と迅速な配備
3.医師の判断による PCR 検査を確実に実施する体制の強化
5.感染症危機管理体制の強化、並びに健康医療情報を学術的な見地から国民に発信し情報共有ができる「いわゆる日本版 CDC」 の創設
http://www.toyama.med.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/02/osirase_iryoukikan_2019_2019ken2_293.pdf
2月某日
aさん「ちょっと、あの、何かないの。先手先手っぽい、その、つまり、まさに、対策」
bさん「真っ当にやろうとするとどうあがいても経済面の影響が出ます」
aさん「ダメに決まってるだろうそんなもの。経済に影響が出ない、その、まさに、株価に影響が無いような先手だよ」
cさん「そうですとも!サラリーマン諸君には仕事をしてしっかりと経済を維持してもらわないと!」
dさん「では子供を休ませてみては?」
aさん「ソレだ!それだよキミぃ!春休み、早めちゃおう。先手っぽい!あと子供なら株価下がらないだろうし」
bさん「それであれば所管も1つで済みますね」
お互いにADHD(未診断だが生活からして確定でそうだと思う)
最近クソ上司のおかげで仕事がうまくいっておらず、ストレスで体調が悪い日々が続いている。
年末から一月末あたりがかなり激務で体力的にもかなり消耗してしまった。
もうしんどすぎて情緒が安定せず、毎晩特に何もないのに泣き続けるなどいろいろピンチなので来月7連休をとった。
年末もバイトはほぼ出ておらず、この春休みの間もフルタイムで週2程度の出勤。
学生相手にわかってもらおうと思うのも馬鹿だなとは思うけど、こっちのしんどいをさっぱりわかってもらえなくて困っている。
まず、彼は朝全く起きない。
日付が変わる頃に一緒に就寝して、朝9時に目覚ましをかけているのだが起きない。
毎晩明日の朝ご飯は俺がやる!と宣言をするが、私が起こさない限りは昼まで夢の中だ。
期待する私も悪いが、起きる気がないのであればもういっそ起きないよ!と言ってくれた方が気持ちが楽だと伝えると目覚ましすらかけなくなった。
言い出したのは私なので私が悪いが、イライラするのも嫌なのでしばらく自宅に帰るよう促すと拒否された。
一応起こせば起きるので、以降は叩き起こしている。
起こされた彼氏は毎日朝ご飯を作り、帰宅後の晩ご飯も作ってくれる。
その作ったときに使った調理器具や食べた後のお皿は私が洗っている。
私が出勤、彼氏が休みの日も私が起こすのでご飯はいつも通り作ってくれる。
逆の日は彼氏をギリギリまで寝かせて、食事を支度してからいい時間で起こす。
元気な日はそのまま掃除や買い物をして晩ご飯を支度してから迎えに行く。
開凸を約束しても私は起きるが彼氏が起きてくれないので仕方なく余った時間で食事を用意する。
着ていた服は床に投げ捨てるので、拾って洗濯籠に入れるのは私。
洗濯カゴが溢れても言わないと何もしないので洗濯をするのも私。
干すのは手伝ってくれるけどたたむのは私。
こんなのはほんの一部だが、最近はこういうことが多く余裕のない私は思ったことをそのまま言ってしまった。
内容としては、
・今とてもしんどいので助けてほしい
・たまには私も朝ゆっくり寝たい
・余裕がないのでこんなことばっかり言ってしまうからしばらく自宅に帰ってはどうか
・家事も尻拭いばっかりで、私より休みの多い彼が自分も眠い中スヤスヤ気持ちよさそうに眠る顔を見るとイライラしてしまう。
こんなだけど優しい人ではあるのでやんわりくるんで伝えたつもりだったが、本人は頑張っていたらしく責められるの辛い。けど一緒にいたい。と言われてしまった。
その日は消耗しすぎて何も考えられなくなってしまい、きついことを言ってごめんねと謝って寝た。
もちろん彼だって疲れているだろうし、日ごろの私のわがままを聞いてくれているところや、ストレスからきている体調不良時に横にならせてくれるだけでもありがたいと思う。
実際にそういうところに感謝はしているし、別れたいとは全く思わない。
言われたから起こされたからじゃなくて、たまには疲れているでしょ、今日は寝ていてもいいよ!と言われたい。
どうしたらこういう気持ちがわかってもらえるのか私にはわからないので、いい案があったらぜひ教えてほしい。
今までに私はこういう時こうすると喜ぶよ!とかはしつこいくらいに言ってみたがダメだった。
隣で母親が祖母にブチギレるのを壁越しで聞きながらそれを打ち消すようにイヤホンを耳に差し込み斉藤和義の「やさしくなりたい」を聞きながら、就職出来ずにニートになってしまうんじゃないかと自分の未来に怯える日々。
私にとって母親は大切で尊敬できる、私に最も優しい人で、大好きなんだけど、この瞬間の母親はあんまり好きじゃない。
自分にとって優しい人が誰かに優しいわけじゃないし、善人が本当に善人ってわけでもなくて、生理的に許せない存在はあるんだな。
私は母親に似てるって言われるとちょっとだけ嬉しい気も起きるけど、母親は祖母に似てるって言われても全然嫌そうだ。
相手を好きになったり、嫌いになったりとか、物を好きになったり、嫌いになったりするのは苦手で、なんでも受け入れたい、という気持ちがある。特に、悪人でも、嫌いになれないことが多くだ。「アイツは悪いやつだから好き」「アイツは悪いやつだから嫌い」とかたまに聞くけど、私が好きになるのは善人だろうが悪人だろうが、自分にとってそれが尊敬するものだったり、「天才」とか自分の考えを凌駕するような存在が好きだ。
現実では、いつも悪人の裏側ばかりを考えている。どんな悪人でも「ああだったら」なんて、やったことが取り返せる訳でもないのにね。
結局、「人間」「女」「男」「日本人」「中国人」「白人」「黒人」「若人」「老人」っていう大きな分類で考えすぎて、皆息苦しくなっている気がする。
例えば、Aさん(70歳)(女)(日本人)がわるいことをしてしまったとして、Aさんを責めるはずが、「これだから老人は嫌い」「これだから女は嫌い」「これだから日本人は嫌い」みたいな感じで、偏見が出来てしまう。
確かに統計で見たらそうなのかもしれないし実際そうなんだろうし、自粛とかそういうのをすべきなのかもしれない。
でも、私という人間や、個人という人生で、相手と相対するならば、「これだから」という言い訳や偏見はできるだけ無くしていきたい。
個人の本質とか、言いたくないけど、全てをさらけ出すことが善というわけでもないけど、私という人間の豊かさを得るために、大きな分類で相手を仕分けたくはない。
何を目指して生きていくのか。動物が繁殖を目指して生きていくのならば、私達はどこに向かうんだろうか。幸せのため、とか、生きていくため、とか、それぞれ見つけていくんだろうか。
こんなことを考えるなんて、社会に役立つわけじゃないし、自分を苦しめて、鬱になっていくだけで、答えは出ないし、就職に役に立つわけじゃない。
私は何をしてどうやって生きていくのかを、まだ決められもしないし、一生未来に不安を抱いて、現在の幸福を未来に切り売りしながら、自分の首を絞めていく。
引きこもりというか親へのカモフラージュのために家からは出ていたので実際は引きこもりというよりただの学校をサボったクズ大学生の話なのだが、まあ書く。
実家暮らし、私大(理系)。偏差値は全国レベルだとそこそこ高いと思っている。
今年、大学2年の春から半年学校をサボった。学校に一回も行かなかった。かろうじて必修のみ履修申告はしてしまったので単位は全落ち。GPAはやばい事になった。
サークル関連のことでちょっと嫌になったらぐずぐずと半年も学校に行かなかった。ちなみにサークル関連の件も私のコミニュケーション不足のせいであり10割こちらが悪い案件である。
バイトだけはかろうじてしていた。辞める勇気が無かっただけである。週2程度だったけど今思うと寝てるんじゃなくて稼げばよかったなと思う。
ぶっちゃけ6月くらいからまずいなと思っていたけど、これから行ってもどうせ単位落ちるし行きたくねーとか思っていたら気づいたら夏休みだった。
8月のある日、もし退学になったらどうしようと思い学生課に相談に行った。留年する気満々で相談に行ったら、後期から頑張れば4年で卒業できるから頑張れと言われてしまった。留年したらサークルのメンツと会わなくていいからヒャッホイとか思っていたので残念に思った。
いわゆるカウンセラーを利用するような落ちぶれた人間になりたくなかったのだがあれよあれよと利用してしまった。もう使いたくない。ただすごくいい人たちだったので感謝はしている。
(これがよくない思考だとは分かっている。もっとガンガン使うべきなのだということも分かってはいる。)
で、後期から何食わぬ顔で登校した。一年の時とか仲良くしていた友達とかいたんだけど私を見て驚いてくれて、引きこもってたの超ウケるでしょと言ったら超笑ってくれた。うれしかった。こういうとき一番困るのがいわゆる腫れ物に触れるような扱いであるよね。しばらくは私は元引きこもりのヤバイやつでいじってくれた。うれしい限りである。
ちなみにサークルは正式に辞めて、元のメンバーとは残念ながら一言も話せていない。そこは引っかかっているところである。ただ次まともに話す機会があるとすれば4年になって研究室に入ってからなので、そこまで時間がたてば業務連絡くらいはできるくらい風化しているだろうと信じている。
今は無事後期も終えての春休みである。ちなみにこんな感じで人間関係めちゃめちゃなので、勉強だけがアイデンティティだと思ってめっちゃ勉強した。過去最高にいい成績を取った。
今になって思うことは、まずこんな感じになったのが大学生でよかったということである。中学高校レベルの閉鎖空間じゃ半年いないとかとんだ有名人で絶対このまま引きこもって卒業コースだった。大学じゃ同じ学科に何百人もいるから一人くらいこんなことになったところで近しい人以外は全然気づかない。ぬるっと復帰できてうれしい限りである。
あと大学じゃ割とお勉強ができる方だという自負はあるんですけど(順位とか出るわけじゃないし実際のほどは知らない)、だから現在お勉強をアイデンティティに生きていられている。大学院外部受験しよう。
試験期間が終わり、大学生の俺は目覚まし時計も鳴らさず起きたい時にすっくとベッドから降りた。
今日は昼前に目が覚め、麻婆豆腐をブランチとして食べた。寝起きの舌に麻婆豆腐の辛味は感じづらく、ご飯と一緒にゆっくりと食べた。食べ終わる時にはもう14時でもう1日がこんなに終わったのかと驚きつつ、冷蔵庫からアイスバーを取り出して食べた。最近はクッキーとバニラが入っているのがお気に入りだ。
お昼にアイスバーを食べたのは、何ヶ月ぶりだろう。大学に通っていた時期であれば、今頃3限目の講義を受けている頃だ。学食で蕎麦を急いで啜り、講義室でノートを広げる。だいたい10分過ぎたあたりで眠くなって、話が入ってこなくなる。思考が石のように固まり、意思はアイスバーのように溶けて形を保てなくなる。だいたいの日はそうなることを察知し、おぼつく手でスマホから録音させて事なきを得る。それでも、録音で講義は取り戻せない。俺は血糖値の上がり下がりで意思を、時間を、講義内容を、失ってしまうのだった。
アイスバーを食べ終わる。もはや持ちての木の棒の味しかしないと思いつつ、それを咥えたまま窓の外を見る。空は青く、雲はどこかへ行ってしまう。俺のクッキー・アンド・クリームもどこかにいってしまった。
なけなしの力を込めコタツから這い上がり、台所のゴミ箱にアイスの棒を捨てる。時間はとっくに15時を回っている。
自室に戻りカバンを漁る。試験最終日、俺は呼吸の浅くなった体を引きずりながら図書館で思い思いの小説を借りた。返却日は4月○日と言われた。今は長期貸出期間らしい。俺は図書館の図らいに感謝した。
エアコンを付ける。カバンから幾つかの小説を見つけ、そのうちの一つを取り出した。長い深呼吸をしながら、椅子に深々と座り、上から毛布を掛けた。そして文庫本サイズの本を開いた。読み進めるも、話がはいってこなかった。俺は同じ行を複数回読み、あるときは声に出し、ある時は人物と同じ仕草をして、読み進めた。それでも、どんどん話が入ってこなくなった。
あぁまた君か。そう気付いたときには目を閉じていて、充電中のロボットのように頭をだらんと垂らした。しばらくそうやって動かないうちに正気を取り戻した。まぁ春休みくらいは、時間を多少失おうとも、気にはならない。でもこの眠気、血糖値の上下に振り回されない日が来るのか、俺には分からなかった。それに、あいつに振り回されて眠りに落ちるとき、変な幸福感に襲われるとき、俺はどうしたいのかわからなくなる。そんなことを考えていると、決まって陽はスルスルと落ちていくのだった。
私(シス女性・ヘテロ)にはFtMの親友がいる。これから、私から見たその親友について、彼と初めて出会ったときから順番に時系列で書いてみようと思う。
この記事を書こうと思ったのは、ツイッターやネットには、ジェンダーについていろんな意見が飛び交っているけれど、LGBT(この言い方は性自認と肉体の問題であるトランスを性志向の問題であるLGBと一緒くたにしていてあまり良い言い方ではないと思うが)の当事者とヘテロの人との関わりについて、ヘテロ側から書いた記事が少ないなあと思い、そういう視点からの話があったら何かしらの意義はあるかもしれないと思ったからである。
最初に断っておくが、私は「性別なんて結局関係なくて全ては人間同士の問題だ」といった浅はかな話を伝えたいわけではない。私の親友は現在進行形で社会のトランスジェンダーの人々への不理解・不寛容による様々な不利益を被っている。そのような不利益はなるべく早くこの世から無くすべきだし、そのためには多くの人々がジェンダーにまつわる問題を自分事として、リアルに考えられるようになることが必要である。そのために、この記事が少しでも世の中のジェンダーにまつわる問題を考える人の参考になったら幸いである。
↓以下自分語り↓
彼とは中学で出会ったけれど、初めて出会ったころからしばらくは彼はまだ「彼女」として生きていた。お堅い私立の女子校に入った割には少しやんちゃなタイプで、4月早々の初めて一緒に帰った日に寄り道禁止の校則を破って一人で新宿で電車を降りようとした私に、彼女は「面白そう!」と言って付いてきてくれた。
一緒に帰ってる子がいるのに勝手に寄り道しようとするところから察せられると思うが、当時の私は集団行動がとにかく苦手だった。あと、謎のプロフィールカードを回して(書くのが地味にめんどくさい)、趣味とか性格とかをやたらと自己開示して同じ雰囲気の人同士で固まっていく、女子特有のあの謎の雰囲気にも全然なじめなくて、あんまり友達ができてなかった。彼女は一緒にいても無理に私のことを聞き出したり、自分のことを話したりもしなくて、そういうサッパリしたところがすごく楽で私たちはすぐに意気投合した。
毎日一緒に新宿で降りてその日のノリで無意味にアルタとか世界堂とかを気が済むまで一緒にぶらついた。私は可愛いアクセとか服とかをよく買ったけど、彼女は最新のごついボールペンとか、銀粘土という私が知らない謎の粘土(それを使ってクロムハーツっぽいかっこいい系のシルバーアクセを作っていた)とかを買っていた。お金がない日はパックのジュースをコンビニで買って地元駅のベンチで座ってずっとだらだらどうでもいいことを喋っていた。彼女も私もあんまり家に帰りたくないタイプだったので、無意味に夜の9時くらいまでベンチで喋っていた記憶とかあるけど、何をしゃべっていたのか全然思い出せない。多分最近やったおすすめのゲームとかそういう他愛もないどうでもいい話をずっとしていたんだろうと思う。中二の頃は二人してゲーセン通いにハマって、大金をつぎ込んでハウスオブザデッドをラストまでクリアしたり(金の無駄すぎる)、夏休みを全てクイズマジックアカデミーに溶かしたりした。マジアカに関しては昔は1クレで2回遊べるような気前のいい設定のゲーセンが結構あって、二人で交互にお金を出すと1000円もかからずに一日中遊べた。答えるジャンルは彼女は理系学問と歴史の担当で、私はアニメゲーム芸能の担当だった。あと彼女はクレーンゲームを一度やると取れるまで諦められないという悪癖があり、月のお小遣いを一瞬で溶かしてどうでもいい景品を取ったりしていた。いつだったか、彼女がクレーンで私のために戦国BASARAの伊達政宗のフィギュアを取ってプレゼントしてくれた時はすごくうれしかった。
中学二年生できっちり中二病になった私が突然ロリータに目覚めてピンクのフリフリドレスを着だしたときも、「似合ってるしいいんじゃね」の一言でそれ以上特に何も突っ込んでこなくて、その雑さがかえって楽でありがたかった。
とまあとにかくこんな感じで彼女と遊ぶのはとても楽しかったけれど、仲良くなるにつれてだんだんと、そして確信的に、私は彼女が他の「女の子」とはどこかが違うということを感じつつあった。何が違うのかはまだはっきりとはわからなかったけど、とにかく彼女は他の女の子と何かが決定的に違っていて、そして、違っているからこそこんなに気が合うんだろうなあと漠然と思っていた。
中学二年の終わりごろのある日、彼女が急に長かった髪をバッサリ切って学校にやってきた。私服の服装も、ワンピースとカーディガンみたいな感じから、Tシャツにジーパンみたいな男の子っぽい服装に変えた。他の子は「すごい大胆にイメチェンしたね~!」とか言ってたけど、私は彼女のそれが「イメチェン」なんかじゃ絶対ないことが何となく分かっていた。自分の性別についてとか、そういう話を彼女としたことは無かったけど、その時は漠然と「多分彼女は本来の自分の姿に戻ろうとしてるいるんだろう」と思った。私がロリータを着だしたとき、「うちのお母さん宝塚とか好きだからさ、そういうの着て欲しそうにするんだけど、嫌なんだよね。」とポツリと言っていたことを、何となく思い出した。髪の毛は、お母さんはもったいないから切るのやめなよ!そんなに短くしたら男の子みたいだよ!って言って反対したらしいけど、自分で勝手に美容室に行って切ったと言っていた。「そっちのほうがしっくりくるじゃん!」って彼女に伝えた。
中三の頃から、お母さんとの折り合いが悪いとかで、彼女の元気がない日が多くなっていった。私はそういうことに無理に相談に乗ろうとするタイプじゃなかったし、彼女も多分それを望んでないだろうと思ったので、元気がない日はとりあえず一緒に遊んで、彼女が家に帰らずに済むようになるべく長い時間一緒にいるようにした。ジョナサンのドリンクバーで追い出されるまで粘って、彼女が授業を休んだ分を一緒に勉強したりした(完璧に教えられるほど私が頭が良くなかったのは申し訳なかった)。一緒に夜遅くまでいると彼女の携帯にお母さんからしょっちゅう電話がかかってきていたけど、そうなると彼女は携帯の電源を切っていた。確か彼女の携帯はストラップも何もついていない、青いシンプルなソニーのやつだった。
高校生になると、彼女はだんだんと学校に来なくなる日が増えた。学校になじめないとかそういうことじゃなくて、多分、彼女が「彼女」でいることが限界を迎えつつあったんだと思う。たまに学校に来られる日はむしろ楽しそうにしていたし、学校はすごく楽しい、全然嫌じゃないって言っていた。今にして思えば、女子校で性別が一つの空間だったから、自分が男の子に対する女の子だっていうことをことさらに考える必要が逆に無くて、彼女を苦しめる色んなものから解放される場所だったんだと思う。
けど、そういうことを彼女のお母さんはどうやら絶対にわかってくれないようだった。学校の先生も「何でいじめもないのに来ないんだ」って感じだったし、周りの大人は誰もかもが、何か彼女の根本的な何かを理解してなさそうだった。私もその時はまだはっきりと彼女の苦しみを理解できていたわけではないけど、ただの思春期の悩みとか親子関係のもつれとかではないだろうことはぼんやりと感じていたし、そして多分、私が彼女のことを根本的に救うことは出来ないだろうということを感じていて、何とも言えない気持ちになっていた。私にできることはただ今までと変わらず仲良くすることだけだよな~と思って努めてそうしようとしていたけど、先生とかに「〇〇さんと仲良くしてあげてね~」といかにも不登校の子のケア的な感じで言われるたびに、そんなことずっと昔からとっくにしとるわ!と白けた気持ちになった。
彼女は結局高二高三と結局ほとんど学校に来られなかった。私はアホなりに頑張って何とか大学に合格したけど、彼女はそんな調子だったから、何とか卒業はできたけど当然現役で受験するのは無理で浪人することになって、春休みに会ったときに予備校に通うことにしたと言っていた。大学に入ってからは私も忙しかったし、彼女も親と一緒にいるのが限界で一人暮らしを始めたりした関係で、初めて半年くらい会わない期間があった。その半年の間に、私は女子校を出て男という存在に実に小学校ぶりに接触し、この世界には男と女がいてそうやって社会が成り立っていることを久方ぶりに思い出した。何なら初めての彼氏まで出来た。
そんなある日、サークルの部室でスマブラでもみんなでやろっか~ってなったときに「ゲームとかやったことある?」って何気なく男の子に聞かれて、その瞬間、「ああ、「男の子」と「女の子」っていう、こういう感じの雰囲気、あったな」という感覚が自分の中に鮮烈に蘇ってくるのを感じた。私は小学校の頃からゲームが大好きで結構いろいろなソフトを遊んでいたけど、女の子でゲームが好きな子は小学校のクラスに一人もいなかった。男の子が新作ゲームの話で盛り上がって「今日俺んちで一緒にやろうぜ!」って言ってるのを聞いて、混ぜて欲しいなあって思っていたけど、何故か言えなかった。そういう小さいころほのかに感じていた違和感とさみしさが心の中にバーッと思い出されてきた。小学生までの私はずっと一人でゲームしていてすごくさみしかったし、一緒に気兼ねなくゲームしてくれる友達がいればいいのにな~ってずっと思っていた。だから、男だからとか女だからとか考えずにとりあえず一緒にゲーセンに通って、アホほどマジアカやれたのが、あんなに楽しかったんだなあってことがようやくしっくりきたのだった。
夏の終わりころ、「引っ越し終わったから会おうよ」って連絡が来て、家に遊びに行って半年ぶりに会った。一人暮らし始めたてだという部屋はめちゃくちゃ殺風景で、唯一あるデカめな本棚に河合塾とか駿台のテキストに混ざって横光三国志とかジョジョとかいろいろな漫画がたくさん詰まっていた。プレステがない事にちょっとがっかりしたが、「浪人してるので親に止められた」って言われてまあそりゃそうかって納得した。けれど、親に干渉されない空間で前よりだいぶ生き生きしているようで安心し、それからちょくちょくまた一緒に遊ぶようになった。
最近はよくそういう話もするけれど、どういうタイミングで性同一性障害とか、FtMとか、そういう話を彼から聞くようになったかを私は何故かはっきり覚えていない。大学生になってからだというのは覚えているが、はっきりとしたカムアウト的なことを受けたのがいつだったか、記憶があいまいなのである。もしかしたらそういうはっきりしたカムアウトも無くて、「男なんだよね~」「そっか、まあだろうね~」みたいな感じで、ダラダラ喋ってるときにノリで言われたのかもしれない。どのみち、私は大学に入って自分の中で「男」という概念を思い出した時点で、ああ、彼女はやっぱり完全に「男」だったなという確信を持っていた。肉体の上での性などどうでもよく、長年一緒にいて相手のことを知りつくした結果、彼女が「女」では絶対にないということが理性を超え出でて感覚レベルでしっくりくるものがあったのである。性別というものは全くもって不思議なものだなあと思う。とにかく、大学生になってからは私の中では彼女だったあいつは完全に「彼」になった。もっとも、私は中学生のころからきっと、もともと彼のことを特別に彼「女」とも思っていなかったけれど。
けれど、「彼」として彼と一緒に過ごすようになってから、私は何回か彼のことを配慮のない言葉で傷つけてしまったことがある。例えば、「久々にプールでも一緒に行かない?」って何気なく誘ったとき。中高のときは家も近かったし、ゲームの合間にたまに区民プールに一緒に行って泳いだりしていたのだ。彼は泳ぎがとてもうまかった。けど彼は「水着が着られないから行けないよ。もうずっとプール行ってないな。」って、ちょっと悲しそうな顔をして答えた。私は、ああそうか、まだ一緒の更衣室で着替えていたあの時も、彼はずっと気まずい思いを抱えて過ごしていたんだなあと思って、そういうことにひっそりと苦しみながら誰にも言わずにずっと耐えていたことを思い、ものすごくつらい気持ちになると同時に、無神経に誘ってしまって申し訳なく思った。あとは、彼が中高の共通の友人の結婚式に出るのを断ったと聞いて、行けばいいのに!って言ってしまったとき。なんで行かないのって聞いたら、まだオペしていないから男物のスーツを着て行って浮きたくないし、何より「女子校時代の友人」って言われるのがつらいって言われて、ああそうかごめん…と思った。私の結婚式はドレスコード何でもOKで、「昔からの超マブダチ」みたいな感じでぼんやり紹介するから来てよって言ったら、それは行くわと言ってくれてうれしかった。
とにかく女として見られることがつらいので、彼は大学生になってからは名前の漢字も男の子っぽい名前に名乗り変えて(予備校で事情を説明して対応してもらったらしい)、高校を出てからは基本的に男として過ごしていた。だから、予備校で知り合った友人に私を紹介してくれたときも「高校の友達だとだけ言っといて!どこの学校か聞かれたら適当にごまかすから」と私に言った。何でわざわざぼかすの?って聞いたら、女子校出身だってバレたくないから、ごめん!って言われて、なるほどそうか…と思い、私はよく分からない共学出身の人としてその彼の友人とよく遊ぶようになった(ちなみにその人はすごく理解のあるいい人だったので、最終的には彼がFtMで女子校出身ということもきちんとカムアウトしてすっきり過ごせるようになった)。
とにかく、彼と友人として共に過ごしていく中で、私は世の中がいかにトランスジェンダーに対して無関心で配慮が無いかということを、図らずも身に染みて思い知ることが出来た。私は元々ジェンダーに対してあまり意識が高くなかったけど、彼は大学に無事合格してからはそういうジェンダーにまつわる問題に取り組むサークルに入って、この社会が抱える色々な、特にトランスジェンダーに関する問題について、私に色々と教えてくれた。「病院で保険証出してあれ?みたいになるときマジ困るんだよね~ここばっかりは女っていうよりしょうがないけどでもやっぱ嫌なんだよね~」みたいな、彼の身近な問題から分かりやすく説明してくれて全然押しつけがましくないのが、彼らしくて良いなあとよく思う。
つい最近、彼が昔の話になったときに、「一度だけ学校の先生に『自分は男なんだ』と相談したけど、その時『言ってる意味が分からない』と言われて否定されてすごくつらかった。それから中高の時にはそういうことを言えなくなってしまった。けど、お前に自分が男なんだってことを言ったとき、『やっぱそっか、私にとって〇〇は〇〇で男でも女でも変わらないけど、今度から男って思っとくわ!』とあっさり言われたのが、すごく気楽で救われた。自分の性別について否定されるのはつらいけど、逆に気を遣われすぎるのもつらいから。」と彼に言われた。私はマジで思ったことをそのまま言っただけで意識してそう言ったわけではなかったけど、そう言ってもらえたのはすごくうれしかった。これからもずっと、大切な友人として、過ごせたらいいなあと思っているし、彼を取り巻くあらゆる不利益が一刻も早くなくなるよう祈り、自分ができることをやっていきたいと思っている。
N子という子がいた。
目がぱっちりとしていて可愛く、快活な子だった。
何のきっかけかは忘れたけれど
将来は声優になりたいと言っていた。
私はアニメも好きだったけど、絵や漫画を描くのが好きだったので
漫画家になりたいと思っていた。
N子はアニメから遠ざかり、制服のスカートを少し短くしたりしてオシャレになった。
その頃にはJ事務所のタレントや、恋愛話が共通の話題になっていた。
クヨクヨしてたらいかんよー」というようなことが書いてあった。
高校は別々だった。
お互い笑顔で「ひさしぶりー!」となって話をしたはずなのだけれど、
何の話をしたのかは覚えていない。
ただ、私が何か失礼なことをしてしまったのか
N子は急に不機嫌になり、男の子のスクーターに2人乗りで去っていった。
縁には賞味期限があるという一文を
ネットかどこかで見たけど、
今思えば、それが縁の賞味期限だったのだろうと思う。
ふと思い出したので、書き殴ってみる
※深夜に思いつきで書きなぐったものなので誤字脱字などがあったりごちゃごちゃして読みづらいかもしれませんがよろしくお願いします
僕が15歳2018年年3月〜4月に精巣捻転症になりました。そのことを忘れないように書き留めておきたいなーと思いつつできていなかったし周りの学校の友達などには言えずモヤモヤしていたのでここに残しておきたいと思いました。
まずそもそも睾丸捻転症とはどのような病気かといいますと精巣内の血管がねじれて精巣に血液が行かなくなり精巣が壊死するというものです(間違ってたらすみません)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%B7%A3%E6%8D%BB%E8%BB%A2%E7%97%87 (詳しくはwiki)
もしこの病気にかかったら六時間以内に病院に行って手術をしないとそれ以降は成功率が格段に落ちます24時間をすぎるともう無理と言われています
僕がこの病気になったのが3月の中旬くらいの卒業式が終わったあたりから左の方の睾丸がいつもより腫れていておかしいな~と思いつつ親に言う恥ずかしさもあり少したてば症状も収まるだろうと思い放置してしまいました
その後一週間後くらいに中学生から高校生という間もあり春休み期間が長かったため祖父母の家に帰省することになりました。新幹線で行くことになり新幹線に乗りましたが車内で流石に痛みに耐えきれずに親に連絡して祖父母の家についてから近くの泌尿器科に行くことになりました。その時は発症してから時間が立っていたことから精巣上体炎なのでは?と言われ次の日に総合病院の方に行くことになりました。この時気づいたのですが熱は37.5くらいで普段より高い状態でした(手術するまでこの体温のまま続きました)そして次の日病院に行ったとき詳しく調べてもらい精巣捻転か精巣上体炎のどちらかと言われました。症状の重さやもう精巣捻転なら精巣がだめになっているのでとりあえず薬を飲んでみて落ち着くかどうか見てみようということになりました。そして薬を飲んで一週間後にまた行くことになりました。薬を飲み腫れは少し治まったので僕としても精巣を取らなくて済むと安心し始めていました。一週間後また病院に行き収まったことを言うとまだ完全に治ってないから家に帰ってからまたそこでまた病院に早めに行ったほうがいいといわれたので行くことになりました。前に家族の中で入院した人があった大きな病院の仙台赤十字病院に行きました。行って診察でエコーを受けて診断されたときこれは「睾丸捻転だねもうこれを残してもしょうがないので切除してもう片方も捻転しないように固定する手術を明日しよう、ここまで耐えてられたのは捻転が一回転したのではなく途中で半回転くらいだったからじゃないかな」と言われてその日のうちに入院することになりました。その診断を受けたときは一気に具合が悪くなりめまいが激しく起こったりしました。その後血液の検査などを受けて病院に入院しお風呂などなどを済まました。その日の病院食はくっそ不味かった覚えがあります。その夜は全然寝ることができず何回も嘔吐をして体調は最悪でした。そして次の日も熱を測ると38.0くらいまで上がっていて体が手術を拒んでいました。手術室の前まで行きましたがお医者さんに無理して今日手術するのはやめようということになって一週間後に手術することになりました。そして家に帰ってからは横になりながらダラダラ過ごしてリラックスすることができました。(家で過ごすと本当に落ち着きます)そして一週間後また病院に行き入院しました。相変わらず病院食は口に合わずコンビニで弁当を買ってきてもらって食べたのを覚えています。その日の夜は嘔吐などもせずにそのまま眠ることができました。そして手術の日浣腸などをして準備をしっかり整えて手術室に向かいました。手術室に入ってからは全身麻酔をすることろからだったので麻酔から始まり記憶が薄れて気がついたら手術終わった後でしたこの手術前から後までが本当に一瞬だったのでびっくりしました。
それからベッドに戻り麻酔が切れてきてからが辛くなりました。体の一部を切ったので動かなくてもすごく痛かったです。特にトイレをする時立つことすら痛くて出来ず最初は尿瓶にしていました。おむつのようなものをつけていましたがそれをずらすのだけですごく痛く大変でした。そして一日一回先生が来て菌などが入らないように絆創膏?みたいなのを取り替えてくれるのですが取り替えるときがとても痛くて耐えるのが辛かったです。二日目からは前日から動いていないのでそれを徐々に慣らすのも兼ねてトイレまで歩いて行くようになりました。体の向きを変えること体を置きあげること立つこと歩くこと全て日常的にやっていることが大変ですごい苦労しました。それを次の日も続け手術から四日目で無事退院することができました。担任してからも数日間は辛いのが続きましたが徐々に慣れていき普通の生活に戻ることができました。
僕はこの病気にかかったとき医学が進歩している今でも睾丸を片方切除しないといけないというほどの病気があるのかって最初に思いました。この病気が起こる原因ははっきりとしていなく起こる原因もわからないことが多いそうです。このような病気に自分でかかってしまったショックがすごく大きかったです。まあ片方の睾丸があれば大丈夫と言われているやおこた病気が外見で見えるところじゃなくてよかったと自分に言い聞かせて今は過ごしています。これからこの事でたびたび問題が起こると思うのですが頑張って乗り越えていきたいと思います。この病気自体4000人に一人と言われていて男性の10代から20代の人なら起こる可能性が誰でもあるのでもしこの記事を読んでくれた若い男性がいるなら頭の片隅にこのことを覚えてくれたら嬉しいです。