はてなキーワード: 新婦とは
ガン告知を受けて2ヶ月で亡くなった。
(※最初に断っておきますが、非常に自己中心的な考えなので不快に思う方がいらっしゃったら大変申し訳ございません。)
のどっちかかと思われる。
新郎新婦やそのご家族がしきたりに厳しいようなら、喪中の出席はやめておいた方が良いかなと勝手に思う。
私の場合は大親友だったので、相手は私の母親が亡くなったことも知っているし、私も「喪中だけど出席して問題ないか」と聞いてOKをもらったから参列することにした。
さすがに忌中だったら友人の許可云々以前に辞退してたけど。
中座のエスコートを頼まれていたくらい、とても仲の良い友人なので私も結婚式にはなるべく参加したかったしとても楽しみにしていた。
母親が死んでからずっと抱いてきた鬱々とした気分も、お祝い事を目の前にすれば吹き飛ぶかもしれないという考えもあった。
結果、「親友の花嫁姿を見られて良かった、でも結婚式の演出がしんどくて出席を後悔した」というのが感想。
「自分で出席すること選んでおいて後悔とか言い出すの常識ねーわ」ってのはわかっている。
でももちろん親友本人にはそんなこと言ってないから見逃してほしい。
挙式、披露宴で随所に差し込まれる、「父親・母親・娘(花嫁)」の3人が揃っていることを大前提とした演出がしんどかった。
調べたらいろんな事情で親が結婚式に参列できない場合の演出方法もあるらしい。
もし親を亡くして数年経っていたなら落ち着いて見ていられたのだろうが、両親がいることを「完璧」として、どちらか一人でもいなかったら「欠陥」とみなされているようでとてもつらかった。
また、母親が生きているうちに結婚できなかった自分も責められているような気になってしまった。
披露宴で泣いたが、感動して泣いたわけではない。
自分の母親は亡くなったということを改めて突きつけられているようでつらくて泣いたのだ。
中座のエスコート役をやると、カメラマンが花嫁とのツーショットを撮ってくれる。
カメラマンに「笑って〜!」と何度も言われた。
笑えたら笑ってるし、笑ってないってことは笑えないということだからなにも言わないでくれと思った。
ただまぁ人の結婚式出て写真撮ってもらうのに笑わない人間は常識がない。
あり出席者側が「今日ちょっと機嫌悪いからムスッとしてる」とかはダメだと思う。(当たり前)
■結婚式後も引きずる痛み
結婚式の最中に感じた悲しみのせいでもあるし、大親友の結婚式に出てもネガティブな感情しか抱けなかった自分への嫌悪のせいでもあった。
家に着いたら、花嫁から「結婚式来てくれて本当にありがとう!!」「大好き!!!!」といったLINEが届いていた。
また悲しくなった。
これに対して私は「めちゃくちゃ良い式だったね!!」とかなんとか、素敵な言葉で返答しなければならない。
今は微塵もそんなこと思えないのに。
喪中なのに参加すると言ったのは私自身だし私がどうしようもないくらい悲しみを感じてしまうのはすべて私に責任がある。
■結論:新婦側の友人の場合、親が死んだばかりなら欠席した方が良い
結婚式からもうしばらく経つが、未だに花嫁である友人とは距離を置こうとしている。
「この友人と会って、結婚式の話になるたびに私はこのとき感じた痛みを思い起こしてしまうのか。」
「そして私はその痛みを隠して友人に当たり障りのないことを言い続けなければならないのか。」
そう思うと会いたくもなくなってくる。
中学生の時からの友人だし、社会人になってからも月1で会っているし、(コロナ前は)年に一回は一緒に海外旅行していた仲なのに、私はもう会いたくない。
結論としては、親が死んで喪中ならやっぱり結婚式への出席は考えた方が良いかもしれない。
また、結婚式を行う側の方々も、もしどうしても出席してほしい大親友が親御さんを亡くされたばかりなら、どうか気を配ってあげて出席辞退しやすいようにしてあげてください。
私は断るべきだったと思うし、もしかしたらこのままこの親友とは交流を断つかもしれない。
3万円出して、ノリの合わない空間で何時間も耐えて家に帰った後心が疲れすぎてぐったりしてしまうイベント、この世から無くしてくれ。
もしドラゴンボール揃えられたら真っ先に結婚式という文化を無かったことにさせるね。
それくらい無理。なんならお金だから出すから行きたくない。いや、お金も出したくないけど…うん。
でもしょうがない。結婚式っていうのは女の友情のメンテナンス費用なわけです。結婚式に出たという実績と3万円というお金が友情をさらに素晴らしいものにするのです。
この友情のメンテナンスのために、とにかく陽の場が苦手なわたしが結婚式にいくこと、誰か褒めてくれ。誰かというかもう全世界の人が褒めてもいいくらい偉い。
大学時代はサークルの飲み会が無理で途中でフェードアウトしたタイプで、コールの楽しさが理解できなかったし、飲み会の出し物で笑えたことないし、カラオケオールなんて何が楽しいのかわからないし、今も会社の飲み会とかも苦痛。
自分が結婚するとしても式をあげるなんて考えられないくらい陰キャなのにひとの結婚式出てる。本当えらい。
人の結婚式とか幸せに本当に心から感動して喜べる人もいるみたいだけど、わたしはそこまで共感性もないし…。あ、おめでとう!よかったね!くらいの感想しか持てないから、新婦の親への感謝の手紙とか、出会いのムービーとか何見せられてるの?って思っちゃうし、余興とかしんどすぎて泣けてくる。顔には出さないけど。
ニコニコしておめでとう〜!本当に嬉しい!幸せになったね!って言ってるわたし本当に偉い。偉すぎて涙が出てくるよ。
コロナの唯一の功績はこの世から無駄な結婚式を消したことだ。世の幸せなカップルには申し訳ないが…。感染対策のための欠席は費用を払わなくても友情をメンテナンスできる魔法の言葉だったよ。ありがとう。
来年の5月ごろからまた結婚式増えるけど、私、がんばろうね。偉いよ。きっとその友情のいくつかは消えるけど、人生の宝となる友情もあるはずだよ。株みたいなものです。メンテナンス頑張ろうな。
中学生の時はリ○ーンや銀○や○.Gray-manなんかを通り後に、女性向けジャンルにハマって「○○くんは旦那さん☆」なんて言って10代20代は順当に黒歴史を積み上げて生きてきた人間です。
30を少し過ぎた今、オタクであることが恥ずかしくて仕方がないと痛感したもで書き捨てていきます。
前述のような痛いオタクで青春時代を過ごした私は、学生時代の友人も同じような趣味の人間に偏っていました。
2人に共有しているのは、極度に他者とのコミュニケーションが苦手なこと。
例えば友人とファミレスに行くと、オーダーの時2人とも小声で自分の食べたいものを私に向かって言い、私が同じことを店員に伝える。
『オー!マイキー』に登場するボブ先生とボブママの状態と言えばわかる人がいるだろうか。
オタク同士で趣味の話をする時はやたらデカい声で騒ぐのに、それ以外の人間とのコミュニケーションが全く取れない。
私は昔から我が強く比較的外交的なタイプであった故か、友人たちと外界との窓口になってきた。
お互い大人になってたまに集まると、未だに相変わらずオーダーは私に向かって小声。
店員はA子やB子に向かって紅茶はホットかアイスか尋ねているのに、2人とも私を見て小声で「アイス」なんてって言ってくる。
どんなお店でもこの状態で毎回店員さんはやりとりをしづらそうにしている。
でも自分の好きなジャンルの話は周りもドン引きのテンションで話す。
私はそのジャンル全く興味ないって何度も言ってるのに布教と称して一方的に語られるのも辛かった。
趣味で盛り上がるのも学生時代は楽しかったけど、今では冷めた感情を抱くしかなかった。
Pちゃん自体はオタクではないが、私を含めてA子とBことも接点があったため招待してくれていた。
席に着くなり2人のカバンから出てくるわ出てくるわ俗に言う『もち』『まんじゅう』『アクスタ』の数々。
彼女たちは自分の推しを、テーブルに綺麗に並べてスマホで撮影。
そのスマホもキャラクターがデカデカとプリントされてたり、どう見ても本人に似つかわしくないデザインなのでキャラクターモチーフ系と思われる物。
挙句Pちゃんと友人みんなで写真を撮る時も彼女たちの推しも一生。
テーブルにグッズを並べ始めた時点で流石に見かねて「そういうことは他人の結婚式という場でやるものではないよ。」といった旨を彼女らに伝えたが、「えーでも〇〇くんたちもお祝いしたいって言ってるからぁ〜...フフフッ!」と言った返答で諦めた。
後に確認して彼女のSNSには写真と共に『(推しカプ名)が結婚しました/////』と投稿されていた。
A子が行きたいと言い出して誘われた格式高めのホテルのアフタヌーンティーでもずっと男言葉全開で自分の好きなBLの推しカプの話をされた時も嫌だった。
どんなシチュエーションでも自分がどう思われるか全く気にせず趣味を主張し続けることが何かのステータスなんだろうか。
③ ファッション
遊びに行くときのB子格好が、タボダボの無地のネイビーシャツ・パツパツのデニム・ダボダボのグレーのロングカーディガン・黒のショルダ・爪先のところがくしゅっとしてる茶色のバレエシューズ。そしてすっぴん。
目立つのが嫌だからと地味な色しか買わなかった結果、地味な色オールスター感謝祭が結構されてしまう。
本人は地味な色という統一感を感じて安心して家を出たかもしれないが、一般的には大事故だ。
新しいものを買っていないというわけではなく、毎回似たものを買い続けているせいで不変が生まれている。
A子の服装は『擬態』と称したファッションであるがサイズ感や着丈のバランスもめちゃくちゃ。配色も全身推しキャラの担当カラーを好きなCPイメージで固められている。そしてすっぴん。
一般的に『擬態』の定義は、オタクっぽくない非オタのキレイめ女性の雰囲気に近づくことを指していると考えていた。
つまり「えっこんな綺麗なお姉さんがオタクなの〜!?」というノリを想像しているのだろう。
髪型や髪色、アウターや靴や靴下やカバンも含めて洋服のバランスやトレンド感、自分の体型にあったもののチョイス、それらとバランスの取れたメイクか。
パッと考えたけで『擬態』端的に言えばオシャレな人に見せる行為というのはものすごく大変である。
見様見真似で1日2日で簡単にどうにかできるものではないのだ。
そしてこれは男性オタクのダメファッションにも挙げられるが、自分の服のサイズがわかっていないのは共通している。
原因としては、MやLだと入らない気がしてXXLなどを毎回購入しているとのこと。しかし2人とも中肉中背である。
そしてメイクもよくわからないし、グッズ買い過ぎてお金に余裕がないからコスメを買おうとも思わないと。
自分はオシャレではないが、20代前半で自分がダサいことに気づき、遅れを取り戻すようにPC診断や骨格診断を行い3サイズや肩幅なども定期的に測って洋服のサイズを細かく見て必ず試着して購入、美容室にもこまめに通って特にコンプレックスがあった部分なので昔の自分がダサいと気付かず30を越えた場合の姿を見ているようで本当に許せない気持ちになっていた。
しかし学生時代や20代前半は許せていたいたことが年を重ねるにつれどんどん許せなくなり今に至る。
公共の場で汚い言葉使いやプギャーとか死語含めてオタク用語を交えて離さないで欲しい。
大人なんだからグッズ買いすぎてお金ないとかやめて自己管理して欲しい。
大人なんだから求められる身だしなみが歳とともに変わることに気づいて欲しい。
こんなことが20代の後半から積もっていき、30を超えてついに爆発した。
オタクであるというのは彼女たちと同類と世間的には見られるんだろうか。
昔は楽しかったのに、今はこんなにも恥ずかしい。
恥ずかしい。恥ずかしい。
気づいたらずっとクローゼットにしまったきりだった過去に買ったグッズの処分を始めていた。
山のようなゴミ服を見つめながら色々な思い出を振り返りこれを書いている。
ただそれだけの話。
交易の需要と供給が時間的にも場所的にも一致することは稀であり、現在当たり前のように行われている交易や交易に基づく経済制度のほとんどが存在し得ないほどであった。さらに、新しい家族の形成、死、犯罪、戦争の勝敗など、親族集団にとっての重大な出来事と需要と供給が3回も重なることは、もっとあり得ないことであった。後述するように、一族や個人は、これらのイベントの際にタイムリーに富を移転することで大きな利益を得ていた。このような富の移動は、消耗品や他の目的のために作られた道具よりも、より耐久性のある一般的な富の貯蔵庫の移動であれば、より無駄のないものであった。したがって、これらの制度で使用するための耐久性のある一般的な富の貯蔵に対する需要は、貿易そのものよりもさらに切実なものであった。さらに、結婚、相続、紛争解決、貢ぎ物などの制度は、部族間の交易よりも先に行われていた可能性があり、ほとんどの部族では交易よりも大きな富の移動が行われていた。このように、貿易よりもこれらの制度の方が、初期の原始的な貨幣の動機付けと育成に役立ったのである。
ほとんどの狩猟採集民の部族では、この富は、とんでもなく裕福な現代人には些細なものとしか思えないような形でもたらされていた。たとえば、木の道具、火打ち石や骨の道具や武器、紐につけられた貝殻、おそらく小屋、寒い地域では汚れた毛皮などのコレクションである。時にはそれらをすべて身につけていたこともあった。とはいえ、これらの雑多な品々は、我々にとっての不動産や株式、債券と同様に、狩猟採集民にとっての富であった。狩猟採集民にとって、生きていくためには道具や、時には防寒着も必要であった。その中には、飢えに備えたり、仲間を買ったり、戦争や敗戦の際に虐殺や飢えの代わりになるような、価値の高い収集品も多くあった。生き残るための資本を子孫に移すことができるのも、ホモ・サピエンス・サピエンスがそれまでの動物に対して持っていた利点である。さらに、熟練した部族や一族は、余った消耗品を耐久性のある財産(特に収集品)と交換することで、時折ではあるが生涯にわたって累積的に余剰の富を蓄積することができた。一時的な体力の優位性は、子孫のためのより永続的な体力の優位性に変換することができる。
考古学者からは見えない別の富の形として、役職名があった。多くの狩猟採集民の文化では、このような社会的地位は、有形の富よりも価値があった。例えば、一族のリーダー、戦争部隊のリーダー、狩猟部隊のリーダー、(近隣の一族や部族の特定の人物との)長期的な交易パートナーシップのメンバー、助産師、宗教的なヒーラーなどが挙げられる。収集品は富の象徴であるだけでなく、一族の責任ある特権的な地位の称号を表すニーモニックの役割も果たしていた。死後、秩序を維持するためには、そのような地位の継承者を迅速かつ明確に決定する必要があった。それが遅れれば悪質な争いを生むことになる。そのため、一般的な行事として、安置の宴が行われた。この宴では、故人を歓待するとともに、慣習や一族の決定権者、あるいは故人の遺言によって決定された有形・無形の財産が子孫に分配された。
マルセル・モースをはじめとする人類学者が指摘しているように、近代以前の文化では他の種類の無料贈与は非常に稀であった。一見すると無償の贈り物は、実は受け取る側に暗黙の義務を課していたのである。契約法が制定される以前は、この「贈り物」の暗黙の義務と、暗黙の義務が果たされなかった場合に続くコミュニティの不名誉や罰が、おそらく遅延交換における最も一般的な互恵の動機であり、今でも我々がお互いに行う様々な非公式の好意に共通している。相続やその他の親族利他主義は、現代人が「適切な贈与」と呼ぶもの、つまり受取人に義務を課さない贈与の唯一の形として広く行われていた。
初期の西洋の商人や宣教師は、原住民を子供のような原始人と見なし、貢ぎ物の支払いを「ギフト」、取引を「ギフト交換」と呼ぶことがあった。これは、大人の契約や納税の義務というよりも、西洋の子供たちのクリスマスや誕生日のプレゼント交換に似ているかのようである。これは、偏見によるものもあるが、当時の西洋では、義務は原住民が持っていない文字によって形式化されるのが普通だったという事実もある。そのため西洋人は、先住民が交換制度や権利、義務を表す豊富な言葉を「ギフト」と訳していたのである。17世紀にアメリカに入植したフランス人は、より多くのインディアン部族の中に薄く散らばっていたため、これらの部族に貢ぎ物をしていたことがよくあった。それを「贈与」と呼ぶことで、そのような必要性に迫られていない他のヨーロッパ人との面目を保ち、それを臆病だと感じていたのである。
モースや現代の人類学者は、残念ながらこの用語を使い続けている。未開の人間は子供のようなものだが、今では子供のように無邪気で、我々のような卑劣で冷酷な経済取引に身を投じることのない、道徳的に優れた生き物である。しかし、西洋では、特に取引に関する法律で使われる公式用語では、「贈与」とは義務を負わない譲渡のことを指す。現代の人類学者は、我々が現代的に使っている「ギフト」という言葉の中で一般的に言及している無料または非公式のギフトを全く意味していない。現代の人類学者は、現代の我々がよく使う「贈り物」という言葉の中で、自由で非公式な贈り物を指しているのではなく、むしろ、富の移転に関わる多種多様な権利と義務のシステムを指しているのである。先史時代の文化において、現代の「贈与」に似た唯一の主要な取引は、それ自体が広く認識された義務ではなく、受取人に何の義務も課されていないという点で、親や母方の親族が子供の世話をしたり、相続をしたりすることであった。(例外として、地位を相続すると、その地位の責任と特権が相続人に課せられることがあった。)
ある種の家宝の相続は、何世代にもわたって途切れることなく続くかもしれないが、それだけでは収集品の移動の閉ざされたループを形成することはできない。家宝は最終的に何かに使われて初めて価値を持つ。家宝は、しばしば一族間の結婚取引に使われ、収集品の閉ループサイクルを形成していた。
収集品によって可能になった小さな閉ループ取引ネットワークの初期の重要な例は、霊長類に比べて人間が子孫を育てるために行う投資がはるかに大きいことと、それに関連する人間の結婚制度に関するものである。一族の間で取り決められた交配と子育てのための長期的な組み合わせと、富の移転を組み合わせた結婚は、人類の普遍的なものであり、おそらく最初のホモ・サピエンス・サピエンスにまでさかのぼることができる。
親の投資は長期的で、ほとんど一回限りのものであり、繰り返し交流する時間はない。怠慢な父親や浮気をした妻との離婚は、浮気をされた側にとっては、遺伝的適性の観点から、数年分の時間を無駄にすることになるのが普通である。子供への忠誠と献身は、主に義理の家族、つまり一族によって強制された。結婚は一族間の契約であり、その中には通常、このような貞節と献身の約束に加えて、富の移転も含まれていた。
男性と女性が結婚生活にもたらす貢献度が同じであることはほとんどない。結婚相手の選択が氏族によって大きく左右され、氏族のリーダーが選ぶことのできる人口が非常に少なかった時代には、なおさらそうであった。最も一般的には、女性の方が価値があると考えられ、花婿の一族は花嫁の一族に花嫁代金を支払いた。それに比べて非常に珍しいのが、花嫁の一族が新しいカップルに支払う「持参金」である。これは主に中世ヨーロッパやインドの一夫一婦制でありながら格差の大きい社会の上流階級で行われていたもので、最終的には上流階級の娘よりも上流階級の息子の方が繁殖能力がはるかに高いことが動機となっていた。文学は主に上流階級について書かれていたので、ヨーロッパの伝統的な物語では持参金がよく登場する。これは、人類の文化圏における持参金の実際の頻度を反映したものではなく、非常に稀なものであった。
一族間の結婚は、収集品の閉ざされたサイクルを形成する可能性がある。実際、2つの氏族がパートナーを交換しても、花嫁が交互に来る傾向がある限り、閉ループを維持するのに十分である。一方の氏族が他の種類の譲渡によって収集品がより豊かになった場合、その氏族はより多くの息子をより良い花嫁と結婚させるか(一夫一婦制社会の場合)、より多くの花嫁と結婚させるか(多夫一婦制社会の場合)する。結婚だけのループでは、原始的な貨幣は、生殖資源の偏った移転の間に長い期間にわたって一族間の記憶と信頼を必要とすることを置き換える役割を果たすだけである。
相続、訴訟、貢ぎ物のように、結婚にはイベント(この場合は結婚)と需要と供給の3つの一致が必要である。譲渡可能で耐久性のある価値の蓄えがなければ、新郎の一族が新婦の一族の現在の欲求を、新郎新婦間の価値のミスマッチを埋め合わせるのに十分な大きさで、しかも政治的・恋愛的な制約を満足させることができるかどうかは、かなり微妙なところであった。一つの解決策は、新郎またはその一族から新婦の一族への継続的な奉仕の義務を課すことである。これは既知の文化の約15%で行われている。それよりもはるかに多い67%の文化では、新郎または新郎の一族が新婦の一族にかなりの額の富を支払う。この花嫁代金の一部は、結婚の祝宴のために収穫された植物や屠殺された動物など、すぐに使える消費物で支払われる。牧畜社会や農業社会では、花嫁の対価の多くは長期的な富である家畜で支払われる。残りの部分、つまり家畜を持たない文化では通常、最も価値のある部分は、最も希少で高価で耐久性のあるペンダントや指輪などの家宝で支払われる。花婿が花嫁に指輪を贈り、求婚者が乙女に他の種類の宝石を贈るという西洋の習慣は、かつては実質的な富の移転であり、他の多くの文化で一般的であった。約23%の文化(主に現代の文化)では、実質的な富の交換はない。約6%の文化では、新郎新婦の一族間で実質的な富の相互交換が行われている。花嫁の一族が新婚カップルに持参金を支払う文化は約2%しかない。
残念なことに、一部の富の移転は、相続財産の贈与のような利他主義や結婚の喜びとは程遠いものであった。貢ぎ物の場合は全く逆である。
タイトルのとおり。
昨年予定していた結婚式・披露宴が延期→中止になって、前撮りと家族のみの挙式を行った。
もともと式を挙げたかったのは私というよりうちの親・祖父母なんだけど、私自身も仕事でいろんな企画を行うことが多いので、打ち合わせや段取りの9割以上は私が行った。
打ち合わせは夫婦で出席するけど、夫や両家の親といろいろ話して計画表を書いたり、演出を提案したり、各種リストを作ったりするのはほぼ全部私。
プランナーさんや花屋さん、カメラマンさんと電話やメールをするのは完全に私。
実際の打ち合わせのときは和気藹々と夫婦で話すけど、「じゃあ次回までにこの項目を」みたいなやつを全部私がやってた。書いてて思ったけど9割どころじゃないなこれ。
別にそんなに結婚式に憧れがあるわけでもなく、仕事も忙しい時期で面倒だな…と思ったこともあるし、何よりコロナ禍でいろんなイレギュラー・変更点があってそれなりに大変だった。
それでも前撮りは楽しかったし、夫の格好いい姿も見られたし、当日もひっそりとしたセレモニーだったけど家族に感謝の気持ちを伝えられて概ね満足したし、「やってよかった!」と素直に思った。
挙式後、専用サイトに写真データがアップされるので、それをレイアウトしてアルバムをオーダーする。(よくあるフォトブックのサービスとほぼ同じ)
思った以上に綺麗な写真で、出席人数の少なさも感じさせず(友達や親戚の写真がないのはやっぱり残念だけど)、祝ってくれた家族の表情もよく写っていてとてもよかった。一生懸命頭をひねって、バランスよく写真をチョイスし、いちばんいいレイアウトを考えた。
そして。つい先日、完成したアルバムが届いた。
夫はほとんどネットショッピングを利用しないので彼宛に荷物が塗届くことは珍しい。
「(夫)さーん、宅配です」と呼ばれて「なんだろう?」と受け取りに行き、差出人が結婚式場の運営会社だったので「え???」と感じた。
一瞬でいろんな考えが浮かんでは消えたけど、まず直感的に、一気に蔑ろにされたように感じた。
打ち合わせのとき、確かに毎回二人で行ってたけど、私が主体だったじゃん。
「両家」・「夫婦」のことだけど、それでも明らかに「窓口」としては私だったじゃん。
正直、今まで「妻の車を買いに行ったのに営業担当者は夫にばかり話しかける、資料を渡す」「共働きで(なんなら妻のほうが稼ぐ)マンションを買うのに(以下同様)」「夫はきちんと名前で、妻は『(その)奥様』と呼ばれたり書かれたりする」というつぶやきを見るたび、「別にえーやん、気持ちは分かるけど便宜上…とか、その業界では実際にほとんどが夫メインで理にかなってるとかでしょ」と思ってた。
自分が同じような経験をして初めて分かる、ということは世の常だけど、まさにそれだった。
なんだかなー。
式場からはこれまでもいろんな郵便物が届いてたけど、いつも「山田 太郎様・花子様」と書かれてたし、見積書や請求書もその宛名だったから、当然アルバムもそうだろうと思ってた。
(ちなみに、話が前後するけど、式の代金は私名義でとりあえず一括入金してる)
「式の後、ご住所の変更はありませんか?送り先はこれでよいですか?」と、それだけ訊いてくれたらよかったのに。
もしくは今までどおり「太郎様・花子様」でよかったのに。(ここで「妻が下側じゃん!」と言うつもりはない)
一年半くらいの積み重ね(ちなみにプランナーさんはじめ、スタッフさんとは円滑だったし嫌なことを言われたこともない)やまだ記憶に新しい思い出が、最後の最後に思わぬ形で少し苦くなった気分。
ただの気持ちの整理、書き残しなのでこれ以上の議論は要らないし式場に文句を入れるつもりもないけど、夫婦を相手に仕事をするみなさん、少しだけでも頭の隅に置いておいてもらえたら嬉しいです。
私には何してもいいと思ってるクラスメイトだったから何してくるかわかったもんじゃない
例え何もしてこなかったとしても何もメリットは無い
「元クラスメイトが幸せを壊しにくるんじゃないか」って怯えるだけ
それってデメリット
最近あの子連絡つかないんだよね。どうしたのかな。入院でもしてんじゃない?さわらんとこ。とかで誤魔化して欲しい
もしもまた今何かあったら、迷惑がかかるのは私の家族や親戚や友達だけじゃない
そんなの困る
でもそれがわからない人もいる
式に呼ばなきゃよかったのか
なんで呼んでくれなかったのなんてことになるのも嫌だったし
私が行かなくても友達が行くんだよな
式あげなければよかったのかな
いや式はあげたかったしな
私は参加すべきなのか?
誘わないでくれー
誘わないでくれー
実は結婚してるんじゃない?
気を遣って言わないだけでさ
男なんだけどさ、結婚式挙げようとしていくつかの式場やイベント行ってるんだけど
うちのカップルはどちらかというと俺のほうが結婚式に憧れがあって、
花嫁たるパートナーの方はお金がかかるといってあまり乗り気じゃない。
だけど相談会でいろんな式場のブース回ってもほぼ全てのプランナーさんは
基本女性の方にアッピールする。(目線が基本新婦の方を向いてる)
あとは、式場が契約しているドレスメーカーはバリエーション豊富なのに、
結婚(式)は2人で挙げるものなのに、そこに新郎は不在なのです。
なんだろな、gender equality考えるなら結婚式=ハナヨメという
テンプレートを外してほしいんだよね。
これ男女逆だったらそれなりに問題になりうるよね。
とはいえ世の殆どのカップルは女性側が結婚式の主導権を握るんだろうから
商業的には正しいのだろうけど。
もっといえば、ヒアリングシートとかも書かされるんだけど新郎・新婦前提なんだよね。
これも同性愛カップルの事考えたらあんまりよろしくないよなあと思いながら
なんだよ、さんざん金かかるから挙げたくないんだよねとか言いつつ、ノリノリじゃん。
デブじゃなかったら異性を寛容に扱うっていうのか。
デブか否かはそう簡単に変えられるパラメータじゃないのに、取り引きの材料にされる。
そういう理不尽が女性を、男性をも、生きづらくさせているんだ。
オッパイが大きいから職場で優遇する————これが社会的に悪いこととみなされているのは、理不尽だからだ。持って生まれた属性で、働く権利を奪われる。それは許されざる邪悪だ。
ずっと昔は奴隷制さえ許されていた。
恋愛の場での進歩は遅いが、「新婦を伴侶に選んだのは太ってなかったからです」などとは表の場所では誰も(冗談としてさえ)言わない。それくらいの分別は現代にもある。
いやむしろ元増田擁護して、やれ新婦をフレネミーだ性格悪いだのと勝手に想像してdisってる言及が複数ついてる事の方が怖いわ
実際はよく遊ぶ地元の友達くらいのポジだったであろう元増田が新婦を親友だと勘違いしてただけなのに
はてな匿名ってオタクかつ喪な人多そうだし思い込み激しそう、こういう奴らが第ニ第三の元増田みたいな被害妄想を撒き散らしそうで恐怖
アニメの最終回放送中のタイミングで、新婦にも増田が最終回を楽しみにしていると言っているから増田への結婚式報告は狙ってやったのかなと思う
結婚式の席が遠いのは、増田以外の人間も「えっ、あなたがよりによってここなの?」と思っているからおかしかったんだろう。
増田は犠牲にされたんじゃないかな。増田をこの席にしても優しいから何にも文句を言わずに座ってくれると。
増田なら適当に扱ってもいい人間だと思われた。普段新婦に優しくしすぎたし、尽くしすぎたから。
増田はけっこう搾取されてるけど、尽くし体質過ぎるのかなと思った
優しすぎる人間は小賢しい人間に利用されて、良いように使われるよ。
増田はこれからは増田に優しくしてくれる人だけに優しくしてあげて
すごく傷ついたと思うけどそのぶん良いことあるよ!人生勉強させてくれたんだよその子が。もっとひどく搾取してくるやつは世の中にはたくさんいる。尽くし体質のまま生きてたらもっとひどい目にあってたかも。勉強させてもらったと割りきって、新婦よりもっと幸せになろう。
結婚式は新婦のものだけじゃなく、新郎とか両家のものでもあるんだから、席配置とかスピーチなんてのも全体のバランスを取って決めるでしょうよ。
エスカレーター校の中の狭い人間関係で生きてきて、内輪意識が肥大してるのでは。
https://anond.hatelabo.jp/20201129032737
数年前新婦やったけど披露宴当日なんてヘロヘロで友人とかぶっちゃけ何も気遣う暇無い。
席次なんて食事するんだから仲良いグループでちょうどになるように席割り考えなきゃいけないし、親戚の赤子連れとかアレルギー持ちはいないかとかこの人とこの人は同じテーブルにしないほうがいいとか考えて考えてファイナルアンサーして、席の花はどうするとか余興はどうするとかBGMはどうするとか招待状の発想に引き出物にウェルカムボードに直前は自分のエステやお車代の準備とか超忙しい。遠方から来る親戚の宿とか手配するのもまた大変。
当日は朝早くからすっぴんで会館入りして、和装だったからガチンコ着込んでガチンコメイクして「腹減ったー」とか思っても飯も喉を通らないくらい緊張して式をやって、式やってる間も「親族や友人は滞りなく参列できているか」とか「この後押してないか」とか式の進行ばかり気になって誓いの言葉とか三三九度とか正直意識の外。あと猛烈な写真ラッシュに「和装暑い!」とも言えず「おめでとうおめでとう」「ハハハ、はい」みたいなテンションでついでに観光地で挙式したから旅行中のアフリカ系団体旅行客から「おうびゅーてぃふる!」「こんぐらっじえーしょん!」みたいにやんややんやされても頭の中は「この後披露宴頑張るぞこんちくしょう」がぐるぐるしてて、なんか親泣いてたけど感謝とか当時はそんな暇なかった。
披露宴始まっても無事に終わるかどうかだけ心配でというか飯を食う暇がない。試飲してめちゃくちゃ美味しかったウェルカムドリンクも半分くらい残して後はカメラタイム。出来上がった向こうの親戚のおじさんが半泣きで壇上にやってくる。赤ちゃん連れがちょっと気になる。余興などを削った代わりに飯をいいモノにしたのでみんな美味しく食べて欲しい。というか自分も食べたいけど無限に酒が注がれて飯を食う暇がない。
そうこうしているうちにお色直しで離席。和装から洋装になるのでスタッフ一丸で着替え&メイク直し。和装よりヒールが高いしドレス歩きにくい。会場暗くして登場なのでマジで足元見えなくて怖い。エスコートというか、マジで新郎に捕まってヨタヨタ歩く。各所からなんか聞こえるけど機械的に手を振ってるだけで何とか歩くことで精一杯。この辺で脳みそが擦り切れる。その後もカメラタイム。飯が食えない。気がついたら両親の手紙。一応読んだけど頭の中は「やっとここまで来た」一色。エンドロールで「やり切ったぞ!!!俺はやりきったぞおおおおお!!!」と泣く。めっちゃ泣く。気がついたら会場の出口でみんなを見送ってる。誰に挨拶したとか覚えてない。でもなんか「いい式でした」とか言われたのでよかった。
終わってから新郎新婦用の食事があったのマジで救い。泣きながら食べる。めちゃくちゃうまい。うまい飯にしてよかった。同窓会的なノリで二次会作ってもらったけど、せっかくの友人に囲まれたのにほぼ喋れずバイバイしてしまった。
あと残務処理とか諸々あるので当日塩対応だとしても新郎新婦をあんまり責めないであげて欲しい。スピーチは共通の友人のほうが何かといいし、そこで執着するなら彼女のためにもよくないので増田から離れていった方がいい。大人になれば未婚既婚で関係性なんていくらでも変わるし。まぁ増田は1回自分で結婚式やってから新婦のこと考えたらどうかな。結婚式の主役は新郎新婦であって増田じゃないよ。
https://anond.hatelabo.jp/20201129032737
親友の結婚式にご列席されたものの、その親友から裏切られた気持ちになっているんですね。
その辛い胸の内をお伝えくださってありがとうございます。
投稿されてからしばらく経ちますが、そんなに簡単に整理なんてできるもんじゃないですよね?
信じてきたものがそうではなかった時のショックとはそういうものなんです。
私も人生のいろんなフェイズで尊敬する人、信頼する人、色んな人と出会ってきました。
その中で増田さんと同じく”裏切られた”と感じるような出来事も経験してきました。
そのたびに何が自分を苦しめているのだろうかということを考えてきました。
前置きが長くなってしまいました。
増田さん。増田さんはご親友の結婚の知らせを一番最初に受け取ったことを嬉しく感じていましたね?
私も数多くの結婚式に参列してきましたが、結婚式に呼ばれる人に”特別ではない人”はおそらくいません。
新郎新婦にとって縁があり、人生におけるあらゆる出会いの中で厳選された人だけが呼ばれます。
そして増田さんはその中で”新婦が誰よりも早く招待した人”なのは間違いない事実です。
私も過去に後輩から結婚の知らせを受けた際、その初めての人だと聞かされたときには嬉しさと共に緊張のようなキリッとした気分になりました。
でね、増田さん。ご親友からすると増田さんのことをとても大切にしているように私には見えます。
でも増田さんはそうではないと感じている。
ここがポイントです。
増田さんの”親友”は結婚式に招待してくれたお友達が唯一かもしれません。
数多くの親友の中でひとりひとりに対して気持ちを伝えるためには役割を誰かに独り占めさせてはいけないとおもったのかもしれません。
これは私の想像でしかないので、もしかしたら違うかもしれません。
こういった価値観の違いは増田さんもご経験されてきたのではないですか?
整理できない感情から予期せぬ事態に発展してしまうことがよくあります。
カッとなってつい・・・とか、勢いに任せて・・・・とか聞いたことありませんか?
感情というのは波があるんです。この波が増田さんはショッキングな出来事で一番最高潮にきていると思うんです。
これは人生における緊急事態です。決して小さな出来事ではありません。
ただし、感情というのは時間をもって徐々に整理ができてくるものなのです。
だから、まずは会う予定についてご親友にお詫びを入れて一旦スキップしましょう。
嘘をつかなくても大丈夫です。
体調が優れなくて難しいことを伝えればよいのです。実際、増田さんは緊急事態に陥っています。
そして時間をおいてから、ご親友に対してどんな交友感をもっているのか、ご親友の考えている”親友”とはどういうものなのか。
その時、お二人の間で改めて”親友”がどういうものとして捉えられているのか、すり合わせができるはずです。
他者の価値観を確認し、自分の価値観がみなおされていく。またはその逆で自分の価値観に影響を受けて他者が価値観をみなおしていく。
https://anond.hatelabo.jp/20201129032737
親友の結婚式にご列席されたものの、その親友から裏切られた気持ちになっているんですね。
その辛い胸の内をお伝えくださってありがとうございます。
投稿されてからしばらく経ちますが、そんなに簡単に整理なんてできるもんじゃないですよね?
信じてきたものがそうではなかった時のショックとはそういうものなんです。
私も人生のいろんなフェイズで尊敬する人、信頼する人、色んな人と出会ってきました。
その中で増田さんと同じく”裏切られた”と感じるような出来事も経験してきました。
そのたびに何が自分を苦しめているのだろうかということを考えてきました。
前置きが長くなってしまいました。
増田さん。増田さんはご親友の結婚の知らせを一番最初に受け取ったことを嬉しく感じていましたね?
私も数多くの結婚式に参列してきましたが、結婚式に呼ばれる人に”特別ではない人”はおそらくいません。
新郎新婦にとって縁があり、人生におけるあらゆる出会いの中で厳選された人だけが呼ばれます。
そして増田さんはその中で”新婦が誰よりも早く招待した人”なのは間違いない事実です。
私も過去に後輩から結婚の知らせを受けた際、その初めての人だと聞かされたときには嬉しさと共に緊張のようなキリッとした気分になりました。
でね、増田さん。ご親友からすると増田さんのことをとても大切にしているように私には見えます。
でも増田さんはそうではないと感じている。
ここがポイントです。
増田さんの”親友”は結婚式に招待してくれたお友達が唯一かもしれません。
数多くの親友の中でひとりひとりに対して気持ちを伝えるためには役割を誰かに独り占めさせてはいけないとおもったのかもしれません。
これは私の想像でしかないので、もしかしたら違うかもしれません。
こういった価値観の違いは増田さんもご経験されてきたのではないですか?
整理できない感情から予期せぬ事態に発展してしまうことがよくあります。
カッとなってつい・・・とか、勢いに任せて・・・・とか聞いたことありませんか?
感情というのは波があるんです。この波が増田さんはショッキングな出来事で一番最高潮にきていると思うんです。
これは人生における緊急事態です。決して小さな出来事ではありません。
ただし、感情というのは時間をもって徐々に整理ができてくるものなのです。
だから、まずは会う予定についてご親友にお詫びを入れて一旦スキップしましょう。
嘘をつかなくても大丈夫です。
体調が優れなくて難しいことを伝えればよいのです。実際、増田さんは緊急事態に陥っています。
そして時間をおいてから、ご親友に対してどんな交友感をもっているのか、ご親友の考えている”親友”とはどういうものなのか。
その時、お二人の間で改めて”親友”がどういうものとして捉えられているのか、すり合わせができるはずです。
他者の価値観を確認し、自分の価値観がみなおされていく。またはその逆で自分の価値観に影響を受けて他者が価値観をみなおしていく。