はてなキーワード: 徹夜とは
年取っても面白いことはないぞ。長生きすればいいことあるよと言われたけど高画質の無修正動画がタダで見られるようになったことぐらいだけだったぞ。今が楽しくなったら死んじゃった方がいい。
天人五衰って言葉があるけどこの言葉に当てはまるようになったら死に時。
衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で油染みる
腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る
不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる
俺は実際に
・服はワキガ汁・加齢汁ですぐに汚くなって洗っても着る前から歪な臭がしてくる
・頭はすっかりハゲ散らかしていい加減全部剃ってカツラでも被ろうかと思ってる
・別に徹夜してないのに脂汗でいつもテッカテカだしAg+を定期的に塗ったり吹いたりしてもいつも酸っぱくて苦い匂いがしてる
・ワキガも年取れば汗かかなくなって治るかと思ったら悪化する一方だ
・会社に向かう時も家に変えるときも絶望感しかなくて早くトラックに轢かれて異世界に転生したいといつも思ってる
こんな人間になってまで生きたいか?
俺は無修正エロ動画で抜ければそれでいいからまだ長生きするつもりだぜ。プライドはいつの間にか何千億の精子にまぎれて吐出された。
悪臭を撒き散らしながら毎日生きてても平気になっちまった。こんな風になりたくなかったよ。そう思っているのに全然平気なんだよ。感覚が完全に麻痺しちまってるんだ。
佐野研二郎氏の「ピンタレスト削除」騒動 真相はどうだったのか事務所にすべて聞いてみた : J-CASTニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.j-cast.com/2015/08/19242988.html
これ、はてブのコメントの擁護が余りに多いんだけど、ついに博報堂が動き出したとか?
2chのこの関連のスレを見てると一部火消しがいるみたいだけどまだ圧倒的に攻めてるのが多いから
はてブごときに擁護が出てくるとは思えないんだけど、びっくりするほど的はずれな擁護が多いんだけど。
まず、
「(佐野氏が)自分の作品であるTAMABIの広告シリーズを画像検索する目的で、アカウントを開設しましたので、それ以外の目的のためにピンタレストを使用したことはありません」
ということで、元々アカウントを持ってたのは事実。しかもそれは公式の(会社で使ってる)メールでのアカウントなので、趣味でちょっと自分の作品を、と言うだけではないだろ。
実は広報担当者の言うとおり、佐野氏は会見で「ピンタレストを見たことがない」と主張していたわけではなかった。会見の動画を確認すると、記者は「見たことがあるか」とは聞いてはおらず「ピンタレストというサイトを今回見たかどうか改めてお聞かせください」と質問している。
これに佐野氏は「見ておりません」と答え、続けて「今回は今までの自分の経験を全部つぎ込んでやりたいと思い、何日も徹夜して作った。もちろん、そういうものを参考にすることはありません」と話していた。
このやりとりを見て、どこが「広報担当者の言うとおり」なんだろうか?
これだけ見ると、むしろ「ピンタレストというサイトをみたかどうか」で「見た」と答えてる。
「今回」、と言う点を強く主張したいのかもしれないが、
普通に考えて、このやりとりは「ピンタレストというサイトを見たことがあるのかどうか」に対して、「一切見てない」と解釈されても全くおかしくない内容ではないだろうか?
しかも辞めた理由は乗っ取りが怖いから、という理由らしいが、twitterや他のアカウントもそういう理由らしい。
って、それ、もし仮に、その言い訳が本当だとしたら、アホみたいに弱いパスワードを使いまわしててそれが流出したとかそういうレベル。
つまり、この人に渡した重要な情報とかは外に流れても不思議ではない。
ま、実際には、そんなのはただの言い訳でピンタレストも見つからないようにアカウント削除しただけだろうけど。
上のやりとりも、アカウント削除が見つかってから上手いこと考えだしたんだろうけども。
今のところ、エンブレムの件は部下の尻尾きり、ピンタレストの件は無理やりごまかす、で逃げてるけど、
後、2,3個発覚したら流石に詰むかな。
面白かった。
大槻っちかわいすぎ。
河合克敏作品はモンキーターン→帯をギュッとね!→とめはねっ!と読んできたけど、とめはねっ!が一番全体として面白かった気がする。
モンキーターンはプロになってからと最後のgdgdがいまいちでバランスとれてないし、帯をギュッとね!は面白いしキャラに魅力あるけどギャグ偏重でしいて言えばワンパターンで長すぎた気もするし。
その点とめはねっ!は全体のバランスがすごくよくとれてて、感情移入がすごくしやすかった。
ユカリが徹夜で仕上げた書を見たとき、部員らには及ばなくてもすっごく感動したし。
それだけとめはねっ!の空気が自分のものになるくらい入れ込んでいたんだなあと改めて思った。
単純に自分が男だから女の子がたくさんでてきて百合風味もほんのりある作品がすごく好みだったってこともあるとは思うけど。
マンガってことで成長早すぎたりうますぎたりうまい人間多すぎたり都合よすぎってのもまああるっちゃあるけど。
あと1年の後輩についてのカラミまわりももうちょっと見たかったけど、全体のメインテーマからはずれるからあえて削ったのかなと思えばまあ。
それなりに出番とかはあったしね。
あーそれにしても大槻っちかわいすぎる・・・
そんなことを知ったのはTwitterでコミケ関連の呟きを見るようになってから。
毎年流れてくるので「よく分かんないけど禁止されてるんだね。」ぐらいに認識し、
最近見た「列管理の難しさとコツ」という増田でなんで駄目なのか大体把握した。
Twitterとかやる前どう思ってたっけと振り返ると、
前は「人気なやつだと早めに並ばないと手に入らないんだろうな。
熱心なファンの人達は3日とか4日とか前から並んでてよっぽど好きなんだね。」
ぐらいの認識だったと思う。
何かの雑誌で「ドラクエが出るときは何日も前から人が並んでたんだよ〜」と聞いてたのとか、
鮫亀@3日目東リ-24b
@samegamesan
夏のコミケが始まるということで参加者みんなで守っていきたいマナーについてまとめてみました pic.twitter.com/cSRLFnSupc
https://pbs.twimg.com/media/CMRicT3UEAAWQHF.png:large
twitter.com/samegamesan/status/631738087198949376/photo/1
https://mobile.twitter.com/samegamesan/status/631738087198949376/photo/1
・目にも止まらぬ速さで動きながら
徹夜で並ばない
ならば目視できないように動きながら並んでいれば
その場に井戸を掘らない
水脈はありません。あっても掘ってはいけません。
素直に持参してください。
・顧問弁護士を引き連れて
参加しない
いつでも裁判を起こせるようにと
顧問弁護士を引き連れて参加するのはやめましょう。
・支払い用の小銭袋を
引きずって歩かない
買い物をする際はおつりなどがなるべく
出ないようにお札ではなく小銭を用意しましょう。
だからといって持ち運ぶ量には限度があるし
持ち運び方にも気をつけなければなりません。
どう考えてもセキュリティが0の運び方はやめましょう。
・外で並んでいる時に
雨が降ってきたからといって
使い邪魔にならないようにしましょう。逆にここまで大きい傘だと
力技すぎるのでダメです。
次の冬コミまでずっと寝ない
次の冬コミを励みに頑張って起きましょう。
世の中にはお金をとればとるほど成立しがたくなる営為ってのがあって、コミケってその代表例だと思うんだよね。
参加者からお金を取ることによってお客様意識が生まれ、運営に対する責任追及の文化が強まり、その責任を果たすためには参加者が納得して支払える数倍の費用がかかるっていう負のループ。
コミケってのは全員参加者の理念を掲げて、参加者側にも参加コスト(学習コストや互助文化のコスト、問題に対して自営する文化の維持コスト)を支払ってもらってる。そういう金銭外コストでコミケは維持されている。
だから、参加者が「今よりちょっとだけましなサービス」を要求した途端、そのバランスが崩れて、「もちろんその対価としてちょっとした金銭コストを負担するつもり」だったとしても、全体が崩壊して、ちょっとやそっとの金銭負担じゃ回らない状況になっちゃうんじゃないかな。
その「今よりちょっとだけましなサービス」っていうのが、例えば徹夜規制だったり、抽選だったり、警備強化や、(ある種の人が不愉快だと思う)ジャンルの排除なんだよ。
それらを実行した途端に、参加者側には「俺たちはお客様である」意識が芽生えてしまって、いままで金銭コスト外負担で回ってた部分の参加者負担がなくなってしまう。そうなると主催側が金銭コストを支払ってもでそこを負担しなければならなくなる。その負担増加はおそらく、一般参加者が「たいしたことないだろ」っておもう金額の想像を絶するんじゃないかな。ディズニーランドの1Dayパスポートを上回る可能性すらある。
お礼と機会均等と公平性の話
正直、業種に対して好まれない方も多いかと思っていたので、ここまで肯定的に捉えて頂けて違う意味で勇気を頂きました。
その辺を多くは語りたくないのですが、業界自体は厳しい淘汰が進んでまして、一企業として健全に努力をしないと生き残れない時代に突入していたりして昔とはだいぶ変わってきているというのも事実です。
それでもイメージを大きく変えられないのは他でもない業界の責任なんですけどね。
それとここまで反響を頂けるとは本当に思っていなかったので、他所様の畑に口を出したのは行き過ぎだったと反省しています。
なんというか、惜しいなぁ。そこでこらえて欲しかったなぁ。と思った次第でして、現場の大変さは痛いほど共感いたします。
イベントとかお祭りごとって、やっぱり楽しく終わりたくて、みんなそう思っているのだけどそれに任せていてもうまくいかないのが現実です。
「抜け駆けダメよ。みんなで一緒に楽しみましょう。」っていう思いが運営側にあれば、ルールにもそうした気持ちが表れて参加者にも自ずと伝わっていくんじゃないかなぁと思います。
逆にそういう気持ちがないと、参加者は管理されている感じが強くなって、反抗心や抜け駆けしたい気持ちを刺激してしまうのだと思うんです。
ここに来てメンタルな話をすると拍子抜けかもしれませんが、囚人と看守のような関係性ではなく、おなじお祭りを盛り上げたい仲間という気持ちをもって臨まないと、必ずどこかでほころびが生じてしまうということも経験が教えてくれたことでした。
口を滑らしたついでにコミケの入場にまで言及をしてしまいましたが、これもまた規模の大きさが全くもって想定できていませんでした。
はじめてyoutubeで待機列が移動する様子を見たのですがどうすればあんなことができるのか見当もつきません。まさに驚異的なノウハウの賜物なのだと思います。
少し調べてみた限りではコミケの3日間ののべ参加人数は50万人程度とされていました。
1日で言えば17万人程度となるわけですが、その内のどれくらいが入場待ちを行うのかも見当がつきません。
ただ単に徹夜をなくすという目的であれば、ある程度の時点までに集まっている参加者で抽選を行い、それ以降を先着にするという手段は有効と言えます。
しかしながら、抽選に参加さえすれば早い順番を得ることができる可能性があることで参加者は先着順の場合よりも増えてしまうかもしれません。
ざっと調べてみたところ、始発から朝8時までにゆりかもめとりんかい線が輸送できる最大人数は2万5千人程度でした。(乗車率100%x本数)
そこにさらに車やバイクなどの交通手段を加えた規模となれば、それこそ抽選そのものにかかるコストが膨大なものになってしまうため、とても現実的とはいえそうにありません。
これほどの参加者数ともなると全くもって次元の違う対応が必要になることがよく理解できました。
ということで、せっかく反響もありましたのでイベントにおける機会均等と公平性の話も書き起こしてみたいと思います。
どうしても独学と経験則から成り立っているものなので用語の使い方が間違ってたりしたら指摘していただけると嬉しいです。
はじめに断っておきますが、パチンコ業界でイベントを行なっているなんてけしからんお店は存在しません。そんな話はまったくもってけしからん話です。
機会均等という話を少し掘り下げてみると、つまるところ「期待値と参加コストと参加率」が互いに相関関係にあるという話になります。
この辺の情報が明確にされていることによって参加者は公平性を感じることができ、逆に一部情報が隠されている・後から明るみに出る・人によって優位性があると、参加者は不公平さを感じてしまうようになります。
たまに見られるゲスいイベントなんかでは、期待値を高く参加コストを低く見せることによって参加率をあげようとするのが常套化しています。
いざ参加してみると期待値が全然低い、もしくは参加コストが高いなんてことはよくあることです。
そういうイベントに限って誤解するような表現をしておいて、ウソはついていませんみたいな顔をしている場合がほとんどです。
あまりにミエミエだとせっかくのファンを心底ガッカリさせるであんまり褒められた方法とは思いません。
期待値とは、イベントに参加することによって価値を得られる可能性です。
コミケでいうところの希少本を得られる可能性といったところでしょうか。
参加者は、この2つを計算しながらイベントにどのように関わるかを考えます。
「限定希少本を得るためなら徹夜も辞さない。」「徹夜する時間も覚悟もないので希少本は諦める」
この2つに不公平さをそれほど感じないのは、期待値が参加コストに比例することが理解できているからと言えます。
つまり、人によって得られる期待値が異なるにもかかわらず、そのために高いコストが必要であることを参加者が理解できていることによって、機会均等である=公平であると感じられるようになるわけです。
例えばここで、入場を抽選(可否は問わず)にした場合は当然期待値が下がります。
そうすると徹夜するという参加コストが見合わなくなるため、当然支払う必要性がなくなるわけです。
ただし、参加コストが下がるために単純に参加者が増える可能性があります。「当たればラッキー」ととりあえず参加してみるといった参加者も増えることから、徹夜をなくすことはできても参加者が増えてしまう可能性は十分に考えられます。
こうした参加率をコントロールするための基本的な考え方は、10人でも1000人でも10万人でも同じだと考えています。
この辺を明確にしておくことで得られるメリットは、支払うべき参加コストの判断を参加者側に委ねられるという点にもあります。
期待していたものが得られなかった時、自分がそう判断したのだからと思えることが主催者側にとって大きなリスク回避につながりますす。
ここで大切な要素とは、抽選やイベントに対する参加率はある程度コントロールできるという事実にあります。
「集まってしまうから対処する」ではなくて、「この時間に集まるようにコントロールしよう」「期待値に合わせて参加コストをコントロールすることで分散させよう」ということができるわけです。
つまるところ、失敗してしまったイベントというのは、この期待値と参加コストを見誤ってしまうことで十分な準備ができていない場合がほとんどいうことになります。
某駅100周年でいえば記念カードの価値を低く見積もってしまったことと現地でしか販売しないという参加コストを高く見積もってしまったということであるし、某ソーシャルゲームのイベントでいえばイベントそのものに対するユーザーからの期待値と幕張メッセという立地に対する参加コストをそれぞれ見誤ったことが原因と言えます。
いずれにしても参加率を小さく見積もってしまった(もしくははじめから管理コストが決められていた)がために、管理そのものが崩壊してしまったと言えるわけです。
この辺を加味して考えて見ても、コミケの場合は多くの指摘の通り参加者数が問題になってきます。
例えばオンライン抽選にしてみたとしても、その参加コストの低さから参加率が跳ね上がってしまい、管理することは不可能だといえるでしょう。
そう考えると、恐らくはシビアに順番を気にするであろう1000~5000人程度だけをいかにしてコントロールするかが課題になってくるのかもしれません。
(例)
・整列開始位置を抽選にする
例えば8つ程度整列開始位置を用意しておいて、始発組が到着したのちに正解を発表する。先頭に並んでも全体の先頭になる可能性は1/8となるため、少なくとも徹夜する理由はなくなる。
・始発到着組のみ抽選に参加できるようにする
参加コストが高い分ある程度まで参加者を絞り込めるが、始発電車争奪戦が始発駅で勃発して、徹夜する場所が変るだけの恐れあり。
参加者と同じだけのくじを用意して、そのうち1000番までのアタリと番号なしのハズレをいれて抽選する。
有料に参加したくない人間は1000番以降の入場順に甘んじることになるが、徹夜するメリットは奪うことができる。
1000番というのは暫定だが、この数字と価格設定さえ間違えなければ抽選参加者数と先着組とをうまくわけることができるかもしれない。
ちなみに、抽選から入場までの時間つぶしにおいて近隣店舗への影響などを気にされているコメントもありましたが、数万人が流動的になるということはある意味でビジネスチャンスといえるのでむしろ経済効果のほうが高いのではないかと思います。
と、いずれにしても現状を知らなさ過ぎるせいで素人臭さの抜けない恥ずかしい提案になってしまいました。
書くのをためらったのも事実ですが、この辺をもとに造詣の深い人の間で議論が進んでくれたならいいなぁと思いあえて書いてみることにしました。
どちらかというと蛇足エントリーなので元記事へのトラバは日和りました。
また何かの機会に!
なぜなら、管理する側は明確でも、管理される側(つまり並ぶ人)は素人さんだから。
並ぶのを管理する方と、並ぶ方の、双方が訓練を経て、初めて管理が成功するようになる。
これは、切符の購入から店の限定販売、施設への入場に至るまで全て同じ。
例えば徹夜はしないでね、に対して、徹夜組200名です、だと、これを弾くのは難しい。
店側にボディーガードが100名詰めてます、とかなら行けるだろうけど。
例えばコンビニの列に横入りする人、みたいなのは店員が1人で注意してもなんとかなる。1対1だから。
これが、例えばプレステ5を買う列に20人が大量横入りする、だとシステムで対応しないと個別じゃ弾けない。
色んなお店が頭を悩ませて、整理券だとか抽選だとか事前申し込みだとかに対応するのが、システム。
頭に思い描いて欲しいのは、お正月に浅草寺に押し寄せる初詣客、ね。
捌く人数が1000人を超えると、列管理とは全く違う管理が必要になります。
ここに至ると、多少の順番の前後とか横入りとか細かいことは無視する必要がある。
滞り無く「部隊」を移動させることが最優先であって、大抵「強権」を持った人が必要になる。
安全を考えると、「実力行使するぞ」という実行力を持った警備員が居ないと無理です。
このパチ屋の話http://anond.hatelabo.jp/20150805120855は、すごい面白いし有能。
訓練された客がいるというおかげではあるものの、インセンティブの与え方もコントロールも上手い。
ただ、1000人を4人で捌くのは大したものだけど、単純に1万人を40人とはいかない。
報道を聞く限りでは、そこまで到達してないと思うなあ。もっと前で破綻してる。
炎天下の幕張メッセに5万5千人来場、誘導スタッフ50人。1500人あたり1人の「誘導員」。
86人救護室、11人救急搬送、2万人は入場できず、という状況だったらしい。
たぶんマトモなイベント屋が間に入ってない。これ、社員の仕切りだと思う。
無料のイベントってことで、カネかけたく無かったんじゃないかなあ。
フツーに考えて、保安要員(警備員ね)が居ないとかアリエナイもの。
1番がかの有名なコミケットで、群衆を整然とした列に落としこんで、キチンと管理してる。
2番は初詣の警察の誘導とかね。大量の警備員で気合で守らせる。バックアップも十分用意する。
状況を伝え聞く限りでは2万人規模のイベントやる体制じゃない。
辞めると思う。いや冗談だけどさ。
自分だったら、まずキャパを把握する、次にボトルネック(一番細い通路)を確認する。
そうすると、流量(入ってくる量)と、ハコ(入れる量)からの算数になる。
例えば、ざっくりこんなことが判る。
どんなに風呂桶がでかくても、蛇口からひねった水の勢いでしか溜まらない。
つまり、チョロチョロとしか水が入らないなら、満杯になるにはすごい時間がかかるのは判るだろ?
んで、50人総出で、一斉に列形成に走る。会場内に入れちゃえばあとは適当に捌いて貰えば良いんだから。
9時開場で、すんげえ溜まっちゃってたら、もう入口側から対処していくしか無い。
準備不足では絶対に群集管理は出来ない。無理矢理にでも列管理するしか無くなる。
個別の質問には極力答えずに「この位置の人達は、最低でも何時間待ち」というのを叫んで回る必要がある。
そして、キャパを超えた人数には、「この位置では入場制限になるので、入れません」とハッキリ言って追い返す必要があった。
「まず入れません。会場入りした人が出た場合のキャンセル列だと思って下さい」と伝える必要がある。
キャンセル待ちって言い方にすると、どうしても帰れない人(遠方から来たとか)以外は、大抵諦めてくれる。
徹底的に追い返して、管理できる列を管理する。こまめに広報する。
列管理は「ルール違反者を弾く」のがポイント。並んだ人はルールを守る人。
群衆管理は「歩兵の大移動」。ルールを守らせる人が居ないと並ばない。
例の幕張メッセのイベントは「後ろの群衆を追い返す決断が出来なかった」のが一番の悪手。
たぶん暴動が怖くなってほとんど表に出ないっていう作戦に出たんだろうけど、まあ近隣迷惑だよな。
毎月1000人程度の行列を従業員4~5人で捌いてたコツを書くよ。
行列の理由:新台のオープンと、あとはなんでかしらないけど毎月ある特定の日に行列ができた。(諸般の事情により理由は答えられません。)
パチンコ屋さんが整理券を配る理由は、開店時間前後に行列をつくると隣接店舗の入り口を塞いでしまうという問題を回避したいとう目的が一番にあります。
そのため、隣接店舗がオープンする前に整理券を配布して、行列を捌いてしまおうとしているのです。
はじめのうちは早朝から並び始める程度だった行列は、加熱していくことで徹夜組を生み出します。
なかには前日の21時、お店が閉店する前から並び始める人もいました。
話題性目的で容認していたものの、ある日おまわりさんからお叱りを受けます。
ピンとくると人も多いと思うのだけど、数年前に突然行列の深夜組に対する指導が厳しくなった時期がありました。
「深夜に起こりえる事故の責任を徹夜を容認している店舗側に求めますよ。罰せられたくなければ徹夜を禁止にしてね。」といった内容です。
遠回しに言ってるけど、深夜にトラブルがあって呼ばれるのは警察なんだから余計な手間かけさせるようなことはしないでねってことですね。
おまわりさんは他にも守らなくてはいけないものが沢山あるので、問題の原因を作るようなことは愚の骨頂。ぐぅの音も出ない正論です。
ちなみに某駅100周年の時に行列を解散させざるを得なかった理由もおそらくこれ。
「行列管理できてないけど、警察に警備でもさせるつもり?責任とれるの?」の一言で駅長のHPはゼロになったものと思われます。
この辺の指導が厳しくなることで警備員の人件費なんて用意できない中小店舗は先着順の行列が実質不可能となります。
それ以外にも、この業界特有の「なんでこんなに人が並んでるの?理由説明して?」っていう別角度からのつっこみもありましたがこれは割愛します。
それでもユーザーはある特定の日に大挙として押し寄せて来てしまいます。
なのに徹夜を容認することはもうできません。
そのため、多くのパチンコ屋さんは整理券配布を抽選という手段にシフトしていきました。
某テレビ番組で徹夜組の後ろに店舗スタッフが並んで、それ以降から整理券配布をするというスカッとする解決策が提示されていましたが行列規模が100人を超える程度になるとこの手段はまず不可能です。
想像してみてください。徹夜で100人並んでる後ろにスタッフがついて、これより前の人は無効ですとされた状況を。
もし自分がその中にいたらあらゆる理由を見つけて自分を正当化するはずです。
店側のスタッフは数名しかいません。その状況で数の暴力に立ち向かうことはまず不可能と思ってください。
結果として数に押し切られた店舗側の人間は、相手のルール違反を容認した上で、さらに自分たちの不備さえ認めさせられる事態に陥ります。最悪の場合、ルールを守った人間すら敵に回してしまいます。
しかしながら、行列管理のポイントはこの正義=量的要因にあるのも事実です。
ここで熱中症患者を量産した某ソーシャルゲームのイベントを思い返してみましょう。
あのイベントが失敗した一番の要因は、限定遥かに上回る人数が押し寄せてくることを想定できなかったため、限定数を上回る参加者に対する準備を怠っていたことにあると言えます。
運営陣は、限定を2~3割上回る人間が来て、間に合わなくてくやしー!くらいで終わるつもりだったはずです。
ところが限定数と同等、もしくはそれ以上の人数が集まってしまったことでまず行列管理が崩壊しました。
その上で、もらえなかった人間が一斉に運営側の準備不足を声高に叫び始めたことでルールと正義が逆転します。
さらに状況を悪化させた点は、本来限定だった特典をユーザー全員に配布してしまうという判断でした。
これによって先着のために払った多くの参加者の労力を無駄にしてしまったからです。
つまりは高いお金を払って準備したイベントなのに、参加者全てを敵に回す結果になってしまったというわけです。
これついて某駅100周年イベントでも同様のミスが見られました。
徹夜を禁止していたにもかかわらず、徹夜で並んだ人間達から優先してしかも時間を繰上げてまで販売を開始してしまったのです。
当然ルールを守った人間からは不満が噴出。その数があまりにも圧倒的だったため現場はパニック状態となり、そこに加えて警察からの中止命令。
結果的に後日希望者全員に販売となったわけですが、高い交通費をかけて現地に赴いたファンはがっかりしたはずです。
さらに豪華な装丁を施したあのカードがもたらした全体の赤字は考えるだけでぞっとしてしまいます。
圧倒的な参加者を前に、少数の従業員でルールを正義するにはどうしたらいいのでしょうか。
方法は単純です。ルールを守った人間が正義になればいいのです。
そうすれば、ルールを守った側の人間が従業員側の味方についてくれることになり、ルールを破った少数派に打ち勝つことが出来ます。
「行列管理やイベントで最も重要なことは、単純でわかりやすいルールを視覚的に内容的にも明確に発信すること」です。
イベントにおける失敗の大半の要因は、ルールがわかりづらい、もしくは視覚的に明確にされていないという点といっても過言ではありません。
逆を返せば、いくら完成度の高いルールでも参加者が理解できない、もしくは参加者同士で共有できていなければ何の意味もなさないのです。
そのために必要なことは、ルールの完成度よりもわかりやすさを追い求めることにほかなりません。
このことは、自分自身、店舗新規オープンの時に1000もの人間を整理券配布のために3時間近く拘束してしまったという実体験によって身を持って知ることになりました。
くわしくは割愛しますが、公平性を厳密に守るために手順が煩雑になりすぎたとでも言っておきましょう。
整理券を配布すると同時に投げかけられた1000もの罵倒は今でもそのときのまま夢に出てきます。
徹夜組に対して言えば、徹夜が禁止であることが参加者全員にわかりやすく伝わること、それにくわえてルール違反に対するペナルティが明確であることが求められます。
その点を曖昧にしておくことによって、徹夜組は自分たちの正当性を理論武装し始めます。そうしていつのまにか同士が集まった時点でモラルハザードが発生してしまうわけです。
ただ、昨今の状況において期待参加者2~300を超えるようなイベントで先着を行なったとして、徹夜を禁止することは弊害が多すぎるため不可能と考えたほうがいいかもしれません。
抽選にシフトするか、容認して警備を強化するためにコストを投入する以外手段はないと言えるでしょう。
某ソーシャルゲームイベントに関して言えば、どこまでが先着に間に合ったかを明確にする必要がありました。それによって、人数がオーバーした上で並ぶか並ばないかの判断が自己責任へと変ることができるからです。
ただし、詳しく調べていませんが徹夜組に対する禁止・容認の流れなどがあったとすればそんな単純な話ではなかったかもしれません。
さて、手前味噌な話に戻りますが1000人の行列をどのように4~5人で管理していたかの話に戻ります。
尚、徹夜が禁止になってしまったため、整理券の配布は抽選で行なっています。
・まずは列の先頭に一人が待機します。
・行列ができはじめると同時に、ナンバリングがされた抽選引換券を配布しながら列の最後尾へと移動し続けます。
・その時点での抽選引換券のナンバリングを確認し、抽選マシンに母数を入力。
・抽選開始時間に間に合わなかった参加者には、特例として配布した番号以降の整理券を配布しています。
この方法を取ることによって、行列に対する割り込み管理を行う必要がなくなります。
そして大事なことは、こうした抽選方法だということをルールとして明確に提示しておくことです。
・抽選開始時間までに来店できなかった場合は、それ以降の整理券を配布します。(ただし、これも5分程度で打ち切ります)
これらを抽選場所と列最後尾に並ぶ人間とにプラカードで持たせることで参加者に明確に伝えています。
この段階であれば、3人程度で捌くことが出来ます。
抽選に間に合わなかったユーザーは、先着順の列に誘導します。ただ、この列も経験上開店30分前で50人を超えるようなことはありませんでした。
つぎに実際の入場です。
・入場開始時間
・整列のための列が100番刻みでできていること
そして店頭には、100番刻みで番号が書かれたプラカードと、そこから伸びる並ぶ場所を示したテープが歩道にはられています。
これによって列は100人までしか伸びず、また整列開始時間が記載されているために、店舗前に行列ができる時間を最低限に抑えることが出来ます。
次にその10分間に集まってくる整理券を持った人間を、該当する番号の列におおよそ誘導します。
この時、全員を綺麗に番号順に並べる必要はありません。前後10人程度なら入場の時に整理し直せるからです。
そうすれば4~5人で1000人を捌くこともそれほど大変ではありません。
人間の心理的にも順番をシビアに守りたいのは100番程度までということが経験でわかりました。
その為、はじめの100人は一人ずつ番号を呼び入場させますが、それ以降は「110番までの方」「120番までの方」とある程度の括りで入場させます。
この時、できるだけ大きな声で番号を叫ぶのがコツです。
面白いことに、そうなると自分たちの番号を参加者同士が確認し始めるのです。
その分、順番をしっかりと整列させる労力を割愛することができました。
それに多少前後してしまったとしても、そのことについてクレームを受けたことは一度もありません。どこかに確認できなかった自分の責任を感じているのかもしれません。
抽選が厳密に行われることがわかれば、徹夜をしようとする人間は居ません。
徹夜組に対する対応の答えにはならないかもしれませんが、SNSで話題が一挙に広がり参加者が大挙して訪れる可能性のある今の世の中では、徹夜禁止の上で先着順というのははっきりいって不可能だと思っています。
コミケの徹夜問題が叫ばれていますが、いっそのこと抽選配布にシフトしてみてはいかがでしょうか。
抽選引換券と、抽選開始時間、入場と整列開始時間、自分たちが並ぶべき列が明確になっていれば、それほどの労力を必要とせずとも数千人を対処できるかと思います。
少しでも早く入場したい人は抽選に参加するはずです。
あとは抽選に間に合わなかったユーザーを先着で並べるための列管理が必要になりますが、それこそそれ以降は先着順の整理券でも配布すれば列管理の労力を入場直前に集中させることができるものと思われます。
不謹慎かもしれないが、このテーマ、考える上でとてもおもしろかった。
あなたに言われるまで気づかなかったんだけど、この複雑な問題でモヤモヤするところの核は、まさにこれだと思う。当事者の女子高生たちも、周りで見ている大人たちも、はてブの人たちでさえ、臭いものに蓋をするように、問題の根源から目を逸らしているようにみえるんだ。
あなたはさらりと”リスク”という表現を使っていたけど、得体のしれない犯罪者によって引き起こされる事件を、まるで”天災”か”事故”のように考えることには危険があると思う。こんな思考実験を考えてみた。
1. JRが調査をおこなって、山手線の痴漢被害率が判明した。毎日の電車で、私服では0.01%が痴漢被害に遭う。セーラー服では0.03%。この情報が、新聞とかtwitterで世間に広まる。
2. 山手線を利用するある高校が、制服を廃止した。半分程度の学生が、なんちゃって制服(セーラー服)を着て登校し、もう半分が私服で登校するようになった。
さて、その高校に通っているある女子生徒がある日、セーラー服を着ていて痴漢にあったとする。このとき彼女に責任はあるでしょうか。
微妙かもしれないが、俺は「痴漢被害を受けたのは彼女自身の責任」、と言えそうだと思う。痴漢被害に遭う怖れが強いことは事前の情報で十分に予測できた。その上で自ら選択した。少なくとも、女子生徒の周りの友達や親は、「どうしてセーラー服なんか着ていったの」って彼女を責めるような気がする。さらにここで想定を追加しよう。後日、彼女のクラスメイトで友達の、後ろの席に座っている、増田マスオ君が頭を下げて謝ってきた、とする。ごめん。実はあのときの痴漢はオレだったんだ。ずっと後ろで見ていて、迷ったんだけど結局、勇気を出して触ることに決めた。今では悪かったと思ってます…。本当にごめんなさい。さて、痴漢にあった責任は彼女にあるでしょうか。
彼女を責める人はいないはずだ。この事件に関して落ち度があったとさえいえないだろう。100%増田マスオ君が悪くて、彼の責任である。俺はそう思う。だからバカバカしいと思うかもしれないけど、俺の考えはこうだ。「犯罪者に自由意志を想定するかどうかで、責任の所在は変わってみえる」。予防策を取ることは、ときに必要だし、現状もう、そうすべきなのかもしれない。でもそれが普通になって、自然になると、諸悪の根源たる犯罪者の実態から目を逸らすことに慣れてしまっていつしか見えなくなってしまう。脅かされ続けることを受け入れてしまう。そんな怖れがあると思うんだ。
おっしゃるとおり、痴漢の存在は謎です。先の返信で俺は「性的抑圧が原因では」とかテキトウな事を言ったけど(ごめん)、加害者の人にインタビューしたわけではないので本当のところはわからない。彼らは闇の中にいる。痴漢の被害にあった女子高生のきっと多くが通報さえしないと思う。一言「最悪…」って呟いて、ウンザリ顔で憂鬱な一日を過ごして、それからの日々に夢中になることで、前向きになれて、いつか傷は癒える。他方、はてなブックマークでは何度も、痴漢の人に総バッシングを与えてきた。ブックマーカの人は叩くのがどう見ても正義、って時には容赦なく叩く。脇目もふらずにぶっ叩く。夢中になって叩く。そういうのに忙しい。
必要なことは、謎を闇から引きずり出すこと。出来る限り、そこに注意を向け続けるべき。それが俺の意見です。
ところで俺の職業はプログラマーなんだ。つっても大したことなくて、二流で、バグを出しては上司に怒られ、同僚にさえ叱られ、はては数カ月後に徹夜してヒィヒィいいながら問題の原因を探して這いまわる、そんな日々を送っているんだ。忙しい日々の中で放置されたバグは、地面の下で邪悪なキノコのように、ムクムクと成長して、いつか俺(たち)の睡眠を奪う。悪くすると、仕事さえ奪う。だから職業柄、問題はそれが顕在化しているうちに、徹底的に深くまで根を掘り下げて撲滅し尽くさないと気がすまない性分だ。そうなっちゃったんだ。
万が一の事態は怖い。いつだって怖い。今回の話では、「制服を撤廃したことで、痴漢被害が0になってしまった」未来。もし万が一そうなったら、きっとその先の未来では、もう誰も、セーラー服を着れない。
すき家やワタミの騒動で、飲食の24時間営業に若干歯止めはかかったと思う
てかみんな深夜サービスはもっと割増料金取ればいいと思うんだよね
インフラ関連で深夜勤務の人も割増料金払わなきゃいけないのかって
深夜勤務にはそうしたリソース調達コスト込以上の深夜手当を付けよう
いろんな側面で過酷なので、なるべく働く人を減らして
その分高給払うってのが健康的な世の中なんじゃないかなと思うんだけど
下げることを実現している。でも、これって個人としてはもちろん
社会としても、きっと持続可能ぽくないよなあ
この辺、一部外国は深夜やクリスマスとかの時給がすごく高いとか
見たことあるけど、どういう経緯で実現してったのか
ちょっと興味あるけど調べてない。国が規制して実現できるもんなんだろうか
北欧なんかだと、白夜の逆の極夜とか体内時計狂って鬱になりやすいとか聞くので
さて、加齢した。なので、加齢による気づきでも書いてみよう。
まず肉体だが、これは思ったよりガタ来ない。知り合いのおっさんによると50歳超すとやばいそうだ。ガタが来ないといっても個人差もあることだし、なにより継続してずーっと体力その他は落ちていくので、あまり自覚しなくて済んでいるだけという可能性が高い。朝がきつくなったりとか徹夜がだめになったりとか、まあいろいろあるんだけど、継続して朝がきついんだとそれが日常の一部になるんで「まあ、そういうもんか」と思って行動するようになったりもする。
体力のなかでは瞬発力がいちばんやばい。体を支えられるかと思った無理な体制で膝がかくっと行ったりとか、しゃがんだ状態から立ち上がってダッシュでどこかかけつけるみたいなときに、あれあれ?みたいな感じで下半身がいうこときかない。
でもまあ俺が運動不足すぎることもあるので、これほんとはある程度継続して運動してればそれほど気にならないことなんじゃないだろうか。
肉体関連でいちばん明確にガタ来てんなーと思うのは、歯。40歳越したらほんとは定期的に歯医者通わないとだめだねこれ。あと歯周病の恐怖な。このあいだドラッグストア行ったときに、ディスプレーで「五十代が歯を失ういちばんの理由は歯周病」とか言ってて、いまんとこ俺は平気だけど、その兆候は随所にあって、そろそろ歯医者通い始めようとかなーと思ってるとこ。
あと老眼な。俺は40歳越してからようやく来た感じだけど、いまのところはさほど気にならない。文庫程度なら読めるのもそうなんだけど、Kindle買って以降は、ふつうに文字の大きさを調節できるので読書に関して問題はまったくない。これも遠からずどんどん進んでいくんだろうが、字のほうもそれにあわせてどんどんでかくできるわけなので、まあとうぶんは戦えるでしょう。疲れ目のほうはいかんともしがたいけど。
というわけでですね、40歳になる前にできることは、歯医者通いと体力の維持です。軽い筋トレやってある程度散歩とか自転車乗ったりしてれば充分に四十代五十代も戦えるんじゃねーかと思います。
あとは精神的なもんですよな。最近どこかの増田で「新しいアニメとか見るの億劫」みたいなの見かけたけど、あれは確かにありますな。感情が動くのが面倒っていう。生きるのがつらいとかだるいとか、まあ理由はいろいろあるんでしょうけども、つまり「自分以外の人間がたくさん存在するこの現実というもの」との大小さまざまな軋轢がストレスとして蓄積していくわけですよ。年食ってくると「自分の及ぶ範囲」みたいなのがわかってきて、その範囲内での自分のふるまいってのもある程度は定型化してくる。そうすると自分の存在そのものが定型化してくるわけで、その状態でも充分に金稼いで食ってくことがある程度は可能になるわけですよ。つまり「変わらない」ことがいちばんストレスない方法になってくる。
安定してるってのは、別の側面から考えれば、自信があるということでもあります。人間黙って寝てると死ぬわけで、メシ食ってかなきゃいけないんで、四十代まで生きてるってのは生きるためにさまざまなことをしてきたということです。つまり「ただここにいる」ということが自信の根源になったりするわけですよ。ほら、おっさんって基本的にうざいじゃないですか。死んでないってのは生きてるってことで、生きてることに関して成功者なんですよ。「だから」自分は正しい。正しいっていっても、別に全能の神であるっていう自信まで持ってるわけじゃないので、正しさを脅かすものには鋭敏なんですよな。つまり、自分の正しさを否定するものを否定する。最近、与謝野訳の源氏物語読んでるんですけど、源氏物語にも出てきましたよ、若者叩き。あと源氏の君が平安レイパー伝説GENZIすぎて引いた。若紫の思春期ボディそんなにすごいのか。すごいんだろうなあ。
なにかを否定しないと成立しない正しさって、実はそれ正しくないじゃないですか。生きるためにいろなことをしてきたってのは、実は正しくないこと、後ろめたいこともしてきていて、それゆえに否定が必要なんですよな。おっさんのうざさっていうのは、そういう部分にも起因してると思いますん。
そうやって、なんだ、適応ですか? 適応してきたにしても、それはそのおっさんが生きてきた時代にあわせて適応してきたわけで、その後もアップデートを続けるなら、不断に自分の正しさとやらを疑いつづけなきゃいけない。それは十代や二十代の人たちが社会とやらいう巨大なものと向き合ったときに、社会が悪いのか自分が悪いのか、あるいはもっと別の悪いことがあるのか懊悩したりするように。主観的には「ただ生きている」というだけで成功者の立場にいるおっさんが、疑うことを続けるのはえらいつらいことではあります。ひとつの価値観、文化にくるまれて生き、死んでいくというのは幸福のひとつのかたちであると司馬遼太郎は言ってましたけど、その意味ではグローバル化ですか? そういう世界に生きているということは不幸の源泉なのかもしんないです。いまや日本人を共通して覆う価値観みたいなものもかつてと比較すれば希薄になってきていることですし。そういう意味ではおっさんがうざいことはある意味でしょうがないことなのかもしんないです。
ただ思うんですよね。この年齢になってみて。
俺も思考が柔軟じゃなくなったり、新しいものへの食いつきが悪くなってきたり、ガハマさんは肉体にしか興味もてなくなったり、いろはすに振り回されていいように扱われたいなあと思うようになったり、いろいろするわけなんですけども、それって、たとえば肉体が衰えていくのと同じように不可避なことなのかなって。俺は同年代のおっさんの知人があまりいないのでなんともいえないんですけど、インタビューしてあるいてみたりしたいですよね。本当に自覚もなく、なんとなく現状あるような自分になっちゃったの?って。そして現状ある自分がもっとも正しいと思ってるの?って。
そんなことはないはずなんですよ。これじゃよくないと思ってること、こうなりたいと思ってること、いろいろあるはずで、あとは死ぬまでそのままだからしょうがない、こういうもんなんだって思ってるだけなんじゃねーのか。
まあ他人のことなんでね、それを変えろとかいうことは俺にはできないんで、あとは個人の趣味の問題かなーと思います。たとえばスクールカーストみたいなものがテーマの一部として内包されてるラノベに新鮮な共感を持つこととかはもうできないはずで、そりゃ学生だったのが30年近くも前の話だからあたりまえのことなんですよ。でもだからってガハマさんがえろいことを否定する必要はまったくない。ああガハマさんの肉付きのいい太ももが汗だくになってるところに腕突っ込んだり抜いたりしたらすごいだろうなあとか妄想する余地は残されている。
そういうことだと思うんです。
どういうことなんだろう。