はてなキーワード: 婚姻とは
この話は尋常じゃないぐらい面倒くさい話になるんだけど、一例を示すと、そもそも同性愛者の一部が求める「同性婚」って何なんですかって話になる。
別に婚姻関係を結ぶだけなら、同性愛者であっても、契約書を作って婚姻関係を送れば良い。これも立派な”同性婚”でしょう、ということになる。
じゃあ「同性婚」ってのは何なのかというと、何となく皆がイメージするのは役所に届け出を出して婚姻を認めてもらう、というもの。
すると”同性婚”と「同性婚」とで何が違うの?ということになるが、平たく言えば法律上の効果や機能が違う。「同性婚」には大量の効果や機能が付属しているが、”同性婚”にはこれがない(一部類推されたりするが)。
そして、大量の効果や機能の中には異性愛者のカップルを前提に設計されたものも多数ある。
じゃあそれも全部同性愛者のカップルに認めていいのか?みたいな話になるとかなり難しいことになる。
(元増田の挙げた事件も、要するに「結婚していれば強制退去の裁量判断においてそれが考慮される」っていう結婚機能の1つが問題になったということになる)
結局効果や機能を1個1個検証していくしかないわけだが、これを裁判所がやれるかっていうと絶対無理。訴訟を起こせば全部解決、ということには到底ならない。
他にも、司法で争うとしてもそもそもどういう事例でどう争うのかとか、立法不作為を争うんだったら要件がクソ厳しいよとか、同性愛者は同性婚をどれだけ望んでるのかとか、問題が山積み。
俺の話は憲法14条1項(ないし平等原則)で争う場面を想定して書いたものなんだけど、それを前提にするなら成立する。
何でかっていうと、これは単に誰と誰が区別(差別)されてるのかをはっきりさせる作業をしているに過ぎないから。
もちろん「23年間事実上婚姻関係にあった同性カップルと、法律上婚姻関係にあるカップル」という捉え方より、問題の実態をより良く捉えられる構図が見つかれば、裁判官はそっちを採用するだろうけどね。
増田が冷たいかどうかは知らん。こんなの好みの問題だし。好きに考えれば良い。
ただ法律に対する考え方はちょっと固い印象を受ける。事案の詳細は確認してないが、増田の書いた内容を前提にすると、割と筋は悪くない。
23年間事実上婚姻関係にあった同性カップルと、法律上婚姻関係にあるカップルとで、同性愛者か異性愛者かに基づいてかなり大きな区別が生じている。その合理的根拠は何ですか?と聞かれたら結構答えに窮するのでは。
しかも増田の言う通り「可哀想」。この「可哀想」ってので司法は動く。むしろここが一番重要。当事者が「可哀想」でない限り裁判所は大胆な判断(憲法判断)なんか踏み込まない。
これ良い事件だよ。裁判官も弁護士も正直ワクワクしてるんじゃないかな。最高裁まで行けばそれなりにしっかりした判決が出るはず。
結局、集団の利益(=婚姻外交)より個人の利益(=近親相姦)を優先する奴がリーダーになって、かつ近親相姦を禁止することによってそれを防げる状況って、かなり少ないと思うんだよね。
それだけでは、普遍的なルールとして人類社会に定着するには弱いんじゃないか、という印象を受ける。
というか議論してて思ったけど、近親婚の禁止あるいは推奨によって血縁関係をコントロールして集団に利益をもたらすことと、倫理道徳としての近親相姦の禁止は、やはり別の問題ではないかと。
レヴィ=ストロースは前者の禁止パターンを上手く説明しているけど、でも後者の理由を考えたときには「近親相姦したら障害児が生まれた神の怒りじゃー」とか、もっと素朴に「息子/娘に妻/夫を奪られたくねえ」みたいな感情を原因としたほうが、どうにも納得はしやすいよなー。
「財閥が資産を分散せず豪族を形成するために近親婚を繰り返させる」ことが社会的にまずいのは分からんでもないが、「そのため、意に沿わない一族内結婚を強いられる人がでる」という理由は、現に「意に沿わない一族外結婚を強いられる人」が出ている現在において、是とはしづらいだろうな。
まあ、財閥内においても、近親婚されたら逆に「縁戚関係を広げるチャンスが失われる」から「近親婚をさせない」という発想だってあり得るだろうし、どうせ財閥同士が巨大に結びつくことを社会学的に禁じる方法なんてないんだから、そこは心配しても同じなような気がするなあ。
近親婚、問題あるとすればせいぜい「発想がヒキコモリのそれ」ということぐらいかなあ。つまり世界が狭い。とはいえ、まあ狭い島国に引きこもって同質な民族内での婚姻をひたすら繰り返してきた国の人間がうだうだいっても、そもそもの説得力が低いつーのはある。むしろ、王族からしてそういう婚姻繰り返してきたこの国で、それでもインセストタブーが感覚的に正しいとされてきた理由はなぜか、そこを問うてみた方がよいと思う。
近親相姦の法規制の是非について、いろいろ議論が拡散しててモヤモヤするので自分なりにまとめてみたい。
<2017/9/10 12:21 ブクマ数187users 追記した。イヤマウンターへの回答になるか分からないけど…あと微細な誤字修正。
2017/9/10 23:01 ブクマ数350users 良い指摘も貰ったので再追記&読み辛い記号は省略して浄書した。>
前提の確認として、2017年現在の日本には、成人(=18才)した近親間のセックスを取り締まる法律はない。
ただし、13歳未満に対しては例え同意があっても強姦罪(強制性交等罪)が構成される。(刑法第177条)
18歳未満であれば、地方自治体が定める青少年保護条例に基づいて規制されうる。(淫行条例)
また、3親等以内の近親間は婚姻はできない。(民法第734条)
たとえ法律的に禁じられていなくとも、現時点では、近親間でセックスすることについて、単純に不快感を感じるから反対するという意見が大勢を占めると思われる。
しかし、不快感だけに戻づいて法規制を行うことは、「ゲイは不快だから反対する」となんら変わらず、その他の行為にも「利害関係にない他人の心情」という不確かな要件で法規制を成しうるため、不快感を法律の根拠にするのは避けるべきだろう。
規制の根拠としては、「年長者が年少者に対して、権力的優位を利用して性交する虐待の可能性がある」から禁止という論理展開をとるのが適当だろう。
そして「権力的優位を利用した強制性交」というところまで抽象化すれば、これは何も近親相姦に限らないと気付くはずだ。最近、大学教授が学生を言いくるめ性的関係を迫る事件が起きた。
年齢差、年収差、肩書、男女…あらゆる要素で権力勾配は生じうる。相手の弱い立場につけ込み強制的な関係を迫るのは近親間に限らない。20歳差以上もある男女や玉の輿と呼ばれる婚姻を訝しむ人は、暗黙的に権力勾配による強制性を疑うのだろう。
かと言って、権力勾配がない平等な男女でなければ性交・婚姻できないとするのは現実的ではないように思われる。
「生物として長年同棲した人間は互いに性欲を感じない」という意見もある。(ウェスターマーク効果)
では、年長・年少の差異(=権力勾配)がない双子が、生まれてすぐ別々に過ごし、互いに成人した後出会ったのちの近親相姦はどうか?
成人した両者が合意の上で、子どもも儲けず血も交わらない安全なセーフセックスをする分には、外部の人間がそれを規制する根拠は乏しいと思われる。
現在の日本には同性婚制度が存在しないが、近年の議論として、「同性愛者・両性愛者・性転換者(LGBT)にも同性同士の婚姻を認めるべき」という意見がある。
日本国憲法第24条では、「婚姻は、両性の合意のみ」に基いて成立すると定めている。
ここから(もちろん歴史的な経緯からも)長らく「婚姻とは、男女間の契約であることが含意されている」と認識され、現在も同性婚は認められていない。
しかし、この「両性」には男同士・女同士も含まれるとして、LGBTにも婚姻を認めるべきという容認論が出てきた。
アメリカでも同様の議論がなされ、リベラル派は賛成し、宗教保守派は反対している。
保守派は、反対理由として「LGBT間の婚姻が認められるならば、近親婚、複婚(ポリガミー:一夫多妻・多夫多妻制)、児童性愛(ペドフィリア)も認めることになるだろう。」と主張している。
http://www.hrc.org/blog/texas-legislators-argue-same-sex-marriage-leads-to-incest-polygamy-pedophil
つまり、「両性」にLGBTが含まれるなら、なぜその「両性」が近親ではダメなのか?なぜ「両性」が2人の関係でなければならないのか?3人でも4人でも彼らが合意すれば外野が口を出す必要はないではないか?相手が児童でもいいのではないか?(いやダメである。)という論理だ。
次に、近親の組み合わせが、親子ときょうだいの場合を分ける必要がある。
一般的に、親子ならば、父×娘、母×息子。
きょうだいなら、兄×妹、姉×弟が想定される。
しかし最近のLGBTを擁護する世論を考慮すれば、近親相姦・近親婚においても父×息子、母×娘、兄×弟、姉×妹の組み合わせすら理論上ありえる。
そして、異父母きょうだい×異父母きょうだい、親×連れ子、親×養子、連れ子×連れ子、3親等まで広げれば叔父×姪、叔母×甥、祖父母×……さらにそれらの複婚関係……といった創作の題材になりそうな組み合わせも無限にありえる。
「近親交配しないのは不利な劣性遺伝子を顕在させず、生物的な多様性を保持するため」として近親交配に反対する意見がある。
ここで注意したいのは、劣性(潜性)遺伝とは、即、不利な形質を示すわけではない。
もちろんハプスブルク家やロマノフ家の例を出すまでもなく、近親交配によって虚弱体質等の潜性遺伝子が顕在することもありえる。
しかし、サラブレッド育成や家畜の品種改良に見られるように、近親交配(インブリード)によって、人間が有利と認める形質を顕現させる交配は日常的に行われている。
では、優れた(とされる形質を持つ)人間を顕現させるための手段として近親交配を行うことは許されるのか?
「優生学」とは、表層的には「優れた人間を人為的に作り出す」を意味するが、もっと抽象化すれば「社会に貢献する人間を遺伝子操作で生み出す」ことである。「優れた子を産み、社会へ貢献せよ」という繁殖圧力が埋め込まれている。
同様に、遺伝子の多様性を守るべきという立場は、(遺伝的多様性を備えた「=優れた」)子どもを儲け、社会に貢献することを暗示的に求めていないか?
「多様な遺伝子(=新たな「優れた人間」の基準)を持つ子を産め」という圧力である。
「日本の国力を維持するために子どもを2人以上作るべき」という意見は、時代遅れの家父長制として批判されるだろう。
では、この考えを拡張した「人類の繁栄と遺伝子多様性のために、近親相姦で子どもを儲けるべきではない。遺伝子的に遠い組み合わせを選ぶべき」という意見は優生学として批判されないのだろうか?
なぜ、見ず知らずの他人と社会のために、子どもの遺伝子多様性を考え子作りしなければならないのだろう?また、子どもを作らなければならない社会的圧力は、不妊夫婦やLGBTカップルにも襲い掛かる。
要旨としては、「一個体単体での多様性は存在しない。遺伝子の多様性とは、社会全体で見たときに様々な遺伝子をもった個体がいて、あらゆる環境変化にも社会全体として生き残る可能性のある個体を総体として保持する状態を指す」というものだ。
まさに、そのとおりである。
元増田のコメント欄 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170908230300 で、「近親交配は遺伝子の多様性を狭める」「『血が濃い』子どもを産むのは多様性に反する」といった反対論がいくつか見受けられた。
似た遺伝子を持つ近親が交配することで生まれる子どもは、その遺伝子に一族が持つ因子以外の多種多様な因子を持たず不都合が生じるといった主張だろう。
これを受けて、一族が持つ因子と異なる個体と交配することを「遺伝的多様性」と表現した。
だが、「社会全体の遺伝的多様性」と捉えなおしても、やはり結論は変わらないだろう。
「社会全体の遺伝子多様性を考慮せよ」ということであれば、近親交配で生まれた「血の濃い」子どもだろうが、高齢出産で生まれた障害児やダウン症児だろうが、互いに遠い因子を持つ両親から生まれた「(元コメントが支持する)多様性を実現した」子どもだろうが、すべてイコールなのである。
どんな組み合わせの子どもも、何に役に立つかわからないから全て尊いのだ。
酷い貧血で苦しむ鎌状赤血球を持つ個体は、マラリアに耐性を持つ。
「血が濃い」ことによって何らかの潜性遺伝が顕現し生活に不自由を生じるかもしれない。だが、それすらも何らかの環境で役立つかもしれないのだ。
カンブリア大爆発で生まれた珍奇な生物は、ほとんどが「失敗作」だったかもしれない。
生物のミクロにおけるあらゆる試みは、現時点で正しいかどうか判断できない。
もしかしたら将来、障害児が持つ因子がを生かしておくことが正解だったと判断される時代が来るかもしれない。
ミクロのレベルでは、将来どんな因子を持つのが有利なのか判断できないし、そんなことを判断して子孫を作るわけではない。
(※再追記ここまで)
互いに愛し合う両性は、人類の遺伝子多様性を守るために子どもを儲けるのではないはずだ。
多様性を善とするならば、近親交配で生まれた子どもも多様性の一種として認められないのか?
「やーい、インブリード」「お前の母ちゃんふーたり」「淫乱家族」「本能や自然の摂理に反している」「相続税が複雑になる」といった差別と罵倒を受けるかもしれない。だが、これはLGBTが受けてきた偏見そのものである。歴史は繰り返す。
「富裕層が節税に使う」といった意見は単なる税制の失敗であり、状況に合わせた税制改正で対応すべきであって、税制の設計ミスが人々の自由恋愛を拘束してよい理由にはならないだろう。
近年、CRISPR/Cas9の登場で、生物の遺伝子を直接改変する「ゲノム編集」が技術的に可能になってきた。
まるでタトゥーを彫るごとく、遺伝子を編集し、発現する特質をコントロールする時代がいずれ訪れる。
「多様性が善」ならば、各人が好き勝手に自分の遺伝子を編集することは許容されるのか?
自分の子を希望通りに設計する「デザイナーベビー」もいずれ可能になるだろう。
果たしてデザイナーベビーは子どもに対する人権侵害なのか。アメリカの宗教保守派は、受精卵にも人権は生じると主張する。だが、精子と卵子の状態から「設計」し始めたらどうなるのだろう?
予め遺伝子由来の病気が顕現することが分かっていて、予防的にゲノム編集による遺伝子治療を施すこととの線引きはどうするのか?
また、近親交配に反対する理由として挙げられていた、生活上不利な劣性(潜性)遺伝子の発現を抑えることができるのならば、近親交配は許容されるのか?
「近親交配で生まれた『失敗した』子どもは間引かれる」という意見もある。だが、遺伝子治療によって間引く必要がなくなったらどうなるのだろう?
「女は、他の家に嫁がせ血族ネットワークを拡大し一族の繁栄を図るための道具」という認識から、女は他の一族に対するプレゼントとして考えられていた時代があった。
つまり、「身内で女を消費するな。嫁入り前の性交は大事な贈答物が『キズモノ』になる」から、近親相姦を禁じる論理だ。
婚前交渉を『キズモノ』となじる貞操観念も、もはや薄れつつある。
何のために婚姻をしていたのか?
「家督」を守り繋げるため?
子どもを育てるため?
婚姻制度が形骸化し、婚外子が一般化しているフランスや北欧では、事実上の多夫多妻制度に移りつつある。
皮肉なことに、女性は一度子どもを儲けると長期間にわたって身体的不自由が続くため、自由恋愛&事実婚の社会では一夫多妻に近い形態をとる。(奥さんが子育てをしている間に、男が他の女に会うなんてスキャンダルが最近もあったね。)
一人の恋愛強者男性が精子をバラまき、多くの女性に子どもを産ませる。恋愛弱者の遺伝子は途絶える。(安心したまえ、恋愛強者の子ども達は社会全体とキミの税金でしっかり育てるから。)
つまり、一夫多妻制の基では、社会の遺伝子プールは多様性を減らす方向に働く。
これは、社会の遺伝子多様性を守るために規制されるべきだろうか?
※「気持ち悪い」「素直に近親相姦したいだけって言え」⇒つまり、フィクションのお姉ちゃん最高!飯田ぽち。先生の「姉なるもの」好評連載中!
http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM09000031010000_68/
元の主張からはずれるかもしれないけど、 子供の育成にかかる費用を社会全体で負担すべきという考えには賛成している。
そもそもの始まりは親子の関係が、 人類の起源(よりもずっと前)から存在する社会的に特別な人間関係だから それに引きずられた社会システム上(経済上)の問題がいつまでたっても解決できないのではないか。
だからこそ、 親子の関係を特別視することをやめるほうに進むべきではないかという主張だ。
民族の風習や個々人の生まれによってはそうではないこともあるが、 現在の主要国のほとんどが親が子を育て、 子は親に育てられることが当然のこととして社会が成り立っている。
生みの親と育ての親が違うということはあるし、 いわゆる孤児というかたちで育った人もいるが、 社会的には弱者(少数派)としてとらえられることが多い。 (実際どうかではなく、多数派の人々が彼らにその社会観を押し付けるのだ)
そういう価値観のもと社会が形成されているので、 親は子供を産めば育てなければならない義務を負うことになり、 子供も親に育ててもらっている以上、 家族として拘束されるという力関係が生まれる。
子供が一人、成人するまでにかかる費用は莫大だ。 実際のところ、日本でもこの経済的な問題は認知されていて、 教育費の無償化や子供手当、だとかまあ色々な経済対策は取られている。 (独身税というのが導入されるとしたら、この一環になるだろう)
ではなぜ親が子供を育てるのかという議題もあるが、 それは人の価値観それぞれなので省略する。 ここでは、教育費無償化や子供手当(さらにいうと独身税とやら)を負担する社会側にとって、 出生率が下がり人口バランスが崩れることが、 社会全体にとってリスクや損失になることを考慮しておく。
では、親が一切子供を育てる費用を出さなくてよいと仮定してみよう。 これなら子供を出産できる環境にある人が、 経済的な理由で出生を拒むことはないだろう。
残念ながら、子供が一人で生活していくことも困難だ。 そもそも働くだけの十分な能力を持っていることは稀で、 能力が十分だったとしても、児童労働は法律で制限されている。 他、子供は多くの社会的活動に「親の許可」が必要だ。
親は子供を育てることで、かなりの経済的負担を強いられているが、 子供はそれ以上に親によって自分の人生を左右されているのだ。 (奪われていると言っていい)
親の子育てに対する経済的負担の軽減は、当然主張されるべきことだが、 これは、親が子供の人生にどれだけ影響を与えるか考慮しなければならない。
親ではなく社会が子育ての経済的負担を支払うようになるなら、 親が子供から搾取しないことが担保されなければならない。 仮に子供を産んでから成人するまでの費用(育児時間含)を100%社会が負担するなら、 親が子供の職業選択や進学選択に口出ししたり、 老後の介護を期待することはナンセンスになる。
ここまでの主張はこういう形でまとめたい。
という認識のもと、生みの親・育ての親に対して十分な報酬を与え、 さらに親が子供を自分の所有物だと誤解しないように、 子供の経済活動を社会側が支援し、親に搾取されないようにする必要がある。
今では私たちは自由な経済活動を謳歌できるようにっている。 職業選択は自由になり、手続きを踏めば住居の移動や国籍を変えることだって不可能ではない。 同性婚は認められつつあり、かつての社会的性差による不自由は取り払われてきている。
親子の関係から経済的な拘束を取り払おう。 そして、出産と育児に携わった人に対して社会から十分な報酬が支払われるようにしよう。
さて、最後にここまでの話を前提のもと、具体的な施策をまとめる。(時系列順)
おしまい。
数年前に結婚したが、手本となるような女性はいない。私は誰を参考にする事もなく、一人で決断した。私が期待しているのは「長姉として責任を負わせ過ぎてしまったね、申し訳ないね」という言葉。男なら、まだ頼りに出来る、参考に出来る人が周囲にいた。それなりに稼ぎがあって、奥さんを支える力がある人。しかし私は違う。男ではなく、女。職を捨て、夫の為に支えとならなければならない。年の近く同じ状況の者がいないというのは大体理解していたが、それでも生き辛さが拭えない。要領や愛想の良い、二番目の子なら違ったかも知れない。私はいつでも兄弟の手本となり、失敗が許されない立場だった。誰かの手本として立派に生きられている自信はない。
例えば私に姉がいたら、もう少し冷静なアドバイスを貰えただろうか。そいつは愛する価値がある人間かと、面倒臭い叱咤や反対があっただろうか。
そういう上から目線、客観的な立場に立ってくれる人を求めていたのかも知れない。自分の行動に裏付け、動機が欲しい。
結婚適齢期とはいえまだ余裕がある従姉妹達。苦しい受験期間も誰かを頼らず努力していたようだ。
彼女らにもいずれ、婚姻する時が訪れるのだろう。その時私は何の手助けも出来ずにただ悩める彼女達を見守る事しか出来ないのだろう。何名かは妊娠し、出産するだろう。それを当たり前の事のようにやり過ごしながら私の人生は閉じて、終わりを迎える。
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
「婚姻」が異性婚・同性婚両方を含むなら「両性」は「男性と男性か男性と女性か女性と女性」の組合せを意味し、
「異性婚あるいは同性婚は、男性と男性か男性と女性か女性と女性の合意のみに基づいて成立し」となる。
「婚姻」が異性婚のみを意味するなら「両性」は「男性と女性」の組合せのみを意味し、
「異性婚は、男性と女性の合意のみに基づいて成立し」となり、同性婚に関しては肯定も否定も何も言及していないことになる。
@momoneiro_exh
はてな匿名ダイヤリーに書かれた、ももねいろの元夫と称する書き込みは私のものではありません。もとより、婚姻期間についての悪意を持った情報をインターネットにお互いに流さないこと、離婚協議書にも記述して合意を得ています。
返信先: @momoneiro_exhさん
https://twitter.com/momoneiro_exh
2つほどツイートがあるが、ともに夕方5時前にツイートしてた。
夫は社畜じゃなかったんだっけ?
社畜なのに夕方5時にこんな言い訳クサイツイートをするアカウントを作ってツイート出来るのだろうか?
内容も
もとより、婚姻期間についての悪意を持った情報をインターネットにお互いに流さないこと、離婚協議書にも記述して合意を得ています。
とかあるけど、ブログの記事の内容は明らかに夫に対して悪意を持った情報なんだけど。
あの記事の意図は、「妻より収入低くなって仕事のやる気も無くした駄目社畜夫」、ということを印象つけようとしてると思うし、
(結果的にはそれ以外の事実の夫が家事をしている事や子供が夫側に付いた事で夫を素直に駄目夫、と捉える読者は少ないと思うが、それは著者の意図ではないだろう。)
......なんというか、やることなすこと浅くない?
https://anond.hatelabo.jp/20170821132343
石原慎太郎は、エロ漫画を販売禁止にしろ、この世から無くせ、と言っていたわけではない。
記者会見でくりかえし述べているが、石原氏の立場はあくまでもゾーニングの徹底だ。
だから私は、そういうもの(筆者注:ロリコン漫画)は書いちゃいけないと言うのではない。日本はめちゃくちゃに表現の自由が保障されているから。
しかしなお、まあ変な嗜好をもつ大人が、そういうものを書き、それも表現の自由ではあるだろう。そしてそれを変な大人が愛好して読むというのも自由かもしれないが……。
しかしそれは、その対象となる7,8歳の未成年、若い子供、幼い子供の目にするということは、私は健全じゃないと思う。ですからね、それを規制することは結構だと思う。
つまり、子供の目にふれないように展示をするということを、販売店の良識ではなしに、とにかくキチッとした規則を設けて守らせるということは、私は、私たち行政は、この社会を構築している健全な大人の、子供に対する責任だと思いますよ。
その本は焚書されるわけではなくて、成人指定となって一般図書から隔離される。そうなると陳列・包装などの規制を受けるが、店舗での販売が禁止されるということはない。
2 図書類販売業者等は、前項に定める表示をした図書類(指定図書類を除く。以下「表示図書類」という。)を青少年に販売し、頒布し、又は貸し付けないように努めなければならない。
3 図書類発行業者は、表示図書類について、青少年が閲覧できないように東京都規則で定める方法により包装するように努めなければならない。
4 図書類販売業者等は、表示図書類を陳列するとき(自動販売機等により図書類を販売し、又は貸し付ける場合を除く。)は、東京都規則で定めるところにより当該表示図書類を他の図書類と明確に区分し、営業の場所の容易に監視することのできる場所に置くように努めなければならない。
5 何人も、青少年に表示図書類を閲覧させ、又は観覧させないように努めなければならない。(表示図書類に関する勧告等)
もしリベラルが規制推進派でないとすれば、石原慎太郎を規制推進派と呼ぶことも間違いだったのである。
彼は「子供に読ませるな」という目的のため、ゾーニングを徹底しようとしていたにすぎない。この点でリベラルとは志を同じくしている。
条例を見てみよう。
漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
これ、リベラルがいつも言っていることだよなwww
「エロが悪いんじゃない。女性差別や性暴力を肯定することが悪いんだ」っていう理屈。
友達にも親戚にも親にも近所の人にも、「子供は?(まだ?)」とよく聞かれる。家族と、特に仲の良い友達以外は会うたびに聞いてくる。正直うんざりだ。毎回聞いてくる友達とは疎遠になった。今年に入って姉が出産してから、さらに言われる回数が増えた。聞かれるたびにつらくなる。
どうしてこうも、「子供がいないと夫婦として、家族として認めない」風潮が強いのだろう。日本人の90%以上は、結婚イコール子供という方程式の中に住んでいるのではないか。
私たち夫婦は、子供は欲しいけれど、子供を産み育てることで背負うリスクを考えると、そこまで…という考え方であることと、流れに身を任せているだけでは子供ができない体質(検査はしていないので不妊という言葉は使わない)であるという理由で今のところ夫婦2人で楽しくやっている。
子供がいなくても、2人とも趣味があるからそれなりに忙しいし、2人でいるのが楽しいし、今とても幸せだ。もし子供がいたとすれば、幸せなんだろうけど、お金のことや不妊治療をしてストレスを溜め込むことで今の幸せが崩れてしまうのが怖い。そう思って子供を産まないことは、臆病なんだろうか?自分たちが一番大切、ではダメなんだろうか?
「子供は早く産んだ方がいいよ」「産めるうちに産んでおいた方がいいよ」「子供かわいいよ」「(今作らないと)欲しいと思った時にできなくなっちゃうよ」
そんなことは重々承知している。でも今そこまで欲しいと思っていないのに産まなきゃならないなんて、なんか違う。周りにとやかく言われる問題ではない。そうやっていってくる人の半分は子供を産んだことのある人間だから、余計に厄介。でも、妊娠のために我慢しなくてはならないのは私だし、産むのも育てるのも私なのだ。そんなに赤ちゃんが欲しいなら自分で産んでくれ。私に期待しないで欲しい。私は今の自分が一番幸せだと思う生き方をしていたい。
そもそも結婚とは何なのだろう。何のための結婚なのだろう。こんな風に周りに言われて、その度に気にして、傷ついて、だったら別に婚姻関係など、いらないとさえ思う。結婚して、子供ができて、親になることこそ、結婚の醍醐味なのか?それが結婚の意味なのか?紙切れ一枚の誓約で、こんなに苦しめられるなんて思っていなかった。子供がいないことが悪いことのような気がして、子連れを見ると萎縮してしまうし、私は女性としての大切な何かが欠落しているのではないかとも思うようになった。子供がいないことが後ろめたい。子供のいない夫婦で、ゴメンナサイ。
産む人、産まない人、産めない人、産んだ人。それぞれにそれぞれの言い分があって、考え方があって、感じ方があって、きっと分かり合えることはない。子供のいない人は、子供のいる人に対してとやかく言わないほうがいいし、子供のいる人は、子供のいない人に対してとやかく言わないほうがいい。
私の場合は子供だが、これが未婚の人の場合は結婚になるんだろう。「結婚はまだ?」「いい人いないの?」「そろそろ結婚しないと、子供産めなくなるよ」「仕事ばっかりしてないで」、、、
デリカシーのない人が多いな。人の心配ばかりするおせっかいが多いな。
結婚してわかったことは、そんなことだった。
もっとのびのび、生きたい。