はてなキーワード: 女工とは
最近、急に、昭和のドラマや映画をみるようになった。あれ、実は細部にいろんな仕掛けがあるんだな、という発見があり面白いと思うようになった。
解像度も上がって自宅で映画館で見るのとさして変わらない大画面で映像をミクロなところまでみれるようになったことも大きい。
最近みた「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、名匠といわれる篠田正浩監督作品だ。(ところで、これは自分用のメモなので、解説めいたことは省くし、ネタバレも気にしない。)
半世紀も生きてきているのに恥ずかしながら、実はこの監督の映画を全然見たことがなかった。
恥じ入るばかり。いや、若いころにみても、ただただ暗く寂しいだけで、ぴんと来なかった可能性が高い。
明治、大正の日本の原風景を撮りたかったと、篠田正浩監督は書いているらしい。ロケ地も全国にわたっているとか。
これはいろいろなところで触れられていることなので、どうしても観る者は知らず知らずにその監督の言葉に引きずられてしまうのか、観る者の映画評が、その「風景」に寄り添うようなものになっているようだ。
しかし、この映画でもっとも印象深いのは、おりんと、おりんに寄り添う鶴川という男の人となりだ。映画ではおりんを岩下志麻、鶴川を原田芳雄が演じている。
鶴川が脱走兵だということは、映画の出だしのほうで、おりんに飯ごうの蓋で水を差しだすシーンからうっすらと気が付かせる仕掛けになっている(演出がうまい)。
おりんのほうはというと、はなれ瞽女だ。瞽女という存在もこの映画で認識を改めた。
瞽女が新潟の長岡や高田で瞽女共同体を形成していたことを初めて知った。
おりんは禁制である「男との関係を持った」ことでその瞽女の共同体からもはじかれてしまった存在。瞽女という存在ですでにマージナルなのに、いわば二重にマージナルな境遇にある。しかも、それはレイプによるものであり、おりんが自分で選んだ道ではない。
いきなりかわいそすぎる境遇のおりんだが、そのおりんに心惹かれて、自ら導き手となり、おりんと寄り添う鶴川という男。
自分も天涯孤独だ、帰る場所もないとおりんに語り、兄のように思ってくれという鶴川だが、ドラマが展開するにつれ、少しずつ第三者が語る鶴川の人物像に不整合がみえてくる。
天涯孤独というわりには家族の存在が示唆されたりと。脱走兵なんだろうなーと思いながら、天涯孤独で兵隊?、官憲はお金を実家に送金していることもつかんでいるなど、家族がいるのでは?とつじつまが合わない。
しかし、おりんは鶴川のいうことを信じて、ますます心を寄せてゆく。鶴川さんのおかげでやっと「まともな暮らしができるようになった」と幸せをかみしめるおりん。
この物語の白眉は、脱走兵であることが官憲にバレてしまった鶴川が最後におりんに隠していた事実を告白するシーンだ。
連行される前に、軍隊を脱走した自分の心境を官憲にぶつけるシーンがある。
ちょっと前に増田で、おしんの感想でも書いたが、明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、そのイエの枠組みの中で国民という概念が編み出され、国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。鶴川の叫びはまさにその矛盾を表現している。
このイエを体系化した国民国家の矛盾の噴出は、明治、大正、昭和20年の敗戦にかけての日本近代史において概ね2つの時期にわけられると思う。
ひとつは、「君死に給うことなかれ」で有名な与謝野晶子の詩のきっかけとなった日露戦争から第一次世界大戦、シベリア出兵にかけての時期。国体という概念が確立し、厳格な家父長制のもと妻は銀行口座すら作ることが許されなかった時代。それに対するカウンターとして大正デモクラシーが勃興する時期。
もうひとつは、八紘一宇そしてのちの大東亜共栄圏という言葉に象徴されるように、イエの体系が日本国内の統一にとどまらず、アジアを中心とした海外に拡大し、アジアはひとつの家族になれると勝手に思い込み、一方的に他国を侵略をしていた時期。大正デモクラシーへの失望と不景気による生活の困窮は、人々の軍隊への期待を押し上げた。昭和12年の南京陥落のちょうちん行列以降、アジア進出と踊らされ、盛り上がってみたものの、協力させられる国民生活は次第に悲惨なものになっていった、その時代。
ドラマ「おしん」はこの2つの時期をどちらも丁寧に描写する稀有なドラマなのだが、なかでも、おしんのドラマでは、戦時中には配給制や隣組といった組織を通じて、田倉家が隣組のリーダーとしてふるまいながら、軍から甘い汁を吸っている、とおしんの家族が後ろ指をさされる場面がとても印象的だった。
「はなれ瞽女おりん」においては、時代背景としては前者の時代、シベリア出兵が描かれている。当時、大正デモクラシーへの失望として、天皇を頂点としたイエ体系の矛盾が表面化した時代だ。当時の殖産興業の旗印のもと製糸工場に動員された女工の問題などに象徴されるように、「労働」が社会問題化した時代だ。
農村においても、小作農家の困窮、重税、大地主による圧迫が社会問題化、やがて農民組合運動へと連なってゆく(おしんのドラマでは浩太の農民運動を通してこの時代の風景を切り取っていた)。しかし、期待された大正デモクラシーは失望に終わる。なぜなら政党政治は既得権益にコントロールされており、立憲政友会は大地主と財閥の側に立つ政党だった。政府は財閥に牛耳られていて腐敗しているという風刺画がこの時代の不満を象徴している。
「何が、国民皆兵だ」という鶴川という男の最後の叫びはまさに、その時代の原風景なのだ。
ともあれ、おりんは、鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけた手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。岩下志麻の演技すごい。
このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station」降旗康男監督(1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。
好きな男には帰る場所が別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。
おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないか、あんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。
その後のおりんの行動として、とくに注目に値するのは、駆け付けるようにして、高田の瞽女屋敷の戸をたたくシーンだ。戸をたたく音の速さからおりんの心情が伝わる。このテンポ感が演出として素晴らしい。
かつて、自分を追放した瞽女共同体を訪ねに行ったこの行動は、おりんの焦燥、不安と失望の入り混じった心情を強烈なまでに表現している。
それまでのおりんは、はなれ瞽女として、ある意味、自分の力で自立して生きていくという覚悟をもって生きていた。
しかし、鶴川の告白のあと、自分にとってのホームを確認しようとする行動に出るのだ。
かつての瞽女の頭も仲間たちもいなくなっていた。とうに亡くなっていた。
主の途絶えた寂しい屋敷で、自分を捨てた母親がまだ若狭のどこそこにいるらしい、といううわさ話がおりんの耳に入る。
鶴川は、おりんの導きをしているとき、いつも兄のように思ってくれといいつつ、決して体を合わせようとしなかった。
鶴川がおりんを女房にして下駄屋にしてあげられなかったのはなぜか。
その答えは、映画では何も説明されないが、鶴川の告白がすべてを物語っていた。
なぜ鶴川は家族がいることを隠していたのか、なぜ告白の際に、許してくれと泣いたのか、そこにすべての答えがある。
男は、自分の母親が瞽女のおりんを決して受け入れないとわかっていたからだ。男が隠していた母親の差別意識がここで暗示されている。
おりんは二重にどん底に突き落とされているのだ。瞽女共同体から「はなれ」となったいわば二重にマージナルな存在であるおりんには、もはやどこにも居場所はない。
男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい、自分の育ったホームを確かめに行く、しかし、すでに時がたちもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって宿場町を回る。この映画終盤のテンポが絶妙。
そして、親不知の峠で息絶える、という涙腺崩壊の結末。その親不知で人生最後を迎えるというのも、それは映画では親不知隧道の作業員が暗示しているだけという、演出、すごい。今のドラマっていちいちセリフで説明しすぎなんだよね。このくらい映像にすべてを託すくらいのことができないと面白みがない。
さて、篠田正浩監督の映画を初めてみた感想としては、やっぱりすごいっす、に尽きる。
明治、大正の日本の原風景を撮りたかったとのことだが、明治から大正時代のイエ体系の矛盾、ひたすらアウエイで生きることが強いられる女性の象徴としてのおりん、帰る場所がある男との非対称、これがまさに彼のいう原風景だと私は思った。
もちろん映画公開当時の国鉄、旅行キャンぺーンの影響とかいろいろあったかもしれないし、ロケ地も興味深いんだけど、いやそういうことじゃないんだよ、と強く思う。
男の周縁というのは、国民皆兵の欺瞞から脱走し、天皇を頂点としたイエからはマージナルな存在となったとしても、家やふるさとという寄る辺があるのに対し、女の周縁というのは、帰る場所がなく寄る辺が全くない。唯一の導き手だった男にまで、実は家族がいると告白されて別れなければならない。
この男女の非対称が終盤のシーンで象徴されている。
親知らずトンネルの建設現場から見えるおりん着物、白骨となったおりんの骸骨という寂しすぎるラストは、どんなにズタボロに傷ついても帰れる場所がある男とズタボロになっても帰れるふるさとのない女の、ホームグラウンドの相違が残酷な形で表現されているところが、この映画でもっとも印象に残った。
女はひたすらアウエイを強いられ、男は失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれるみたいな、この男女の人生の非対称は、先日観た「おしん」でも同様に感じた。
こないだ増田で書いた感想:https://anond.hatelabo.jp/20240906234755
農民運動に熱を入れていた浩太は官憲に拷問され転向を余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家は父親が貴族院で太かったのだ。一方、おしんには故郷を振り返るという選択肢は存在しない。ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。おしんと浩太は初恋同士でありながら、終生結ばれることはなく、微妙な距離感で生きていく。
単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数
経営者はみな頭を抱えることになる
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『市川房枝集』に収録されてる
1930年に書かれた『現代の婦人問題』という文章にはこうある
まったく見られないといっても差し支えはない。」
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黒澤明が戦時中に監督した国策映画『一番美しく』を見るとわかる
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そのころの大学進学率はせいぜい30%台な
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『「育児休職」協約の成立 高度成長期と家族的責任』(勁草書房)
という本によれば、1968年の専売公社職員の女性比率は43%(1万5600人)
平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造職
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東京商工会議所は女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限を撤廃
左翼フェミではなく資本の側が女性労働の制限撤廃を主張していた!!!!
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実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇にしろ運動」な
それが実現したのが1985年の男女雇用機会均等法なのだが……
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「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み
だされたものではなく、国連の婦人差別撤廃条約を批准するため政府が成
立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト
を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」
「西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本の集中豪雨的な輸出
が貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解
――雇用機会均等法の成立は左翼フェミや労働組合の要望もあったが
俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが
***
という論旨なのであるが
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いまだに定期的に
論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが
悪いけど完全に的外れなんだよ
ま、絶対に信じたくないだろうけどね
こないだの文化資本のホットエントリーじゃねーけど、今の都心の子は、狭いし忙しいしかわいそうだと思う。
俺はどちらかと言うと友達とワイワイなほうじゃなかったけど、それでも子供の頃は、小学校は、帰ったら玄関でランドセルぶん投げて友達と遊びに出かけた。父親は19時には帰ってきていた。一家団欒があった。
中学校に入ると、15インチのテレビ、VHS、ミニコンポがある狭い部屋に同級生4人が肩寄せ合って遊んだ。ゲームやCD持ち寄ってさ、兄貴姉貴がいるやつは重宝されたな。
都心の小学生は原っぱはおろか、遊べる路地も川もない。みんな監視が行き届いた学童保育。
父親や母親が早く帰ってきて迎えにくる家庭は、一家団欒のためじゃなくて塾や習い事の送迎。
都心の中学生には個室がない。みんな一人っ子で、3人兄弟なんかほとんどいない。いたらいたで、個室あてがってもらえないしな。
給付金やら減税でどうにかなるレベルじゃないきがする。江戸時代なんかもっと過密な長屋暮らしでも子供は育ったんだから、別に大丈夫なんかもしれんけど。子供はしたたかだから、勉強してるふりしてスマホで友達とつながってよろしくやってるんだろうけど。
都会人が都会の生活を手放せないのもわかる。
洋の東西を問わず、死罪の次に重いのが島流しだったわけで、文明人に取って文化を取り上げられるのは死の次に辛い。
電車通勤はその間寝れるとか勉強できるとか、かなり言ってることおかしいよ。
刑務所だって足くらい伸ばして寝れるし、17時には作業終了でしっかり8時間寝れると言うのに。
週末に美術館に行けたってさ、割に合わない気がする。
大人は命削って働いて発狂しながら子育て、子供は子供の時しかできないことを我慢させられて、その対価が美術館だとか博物館とかいわれてもさ。
製糸場の女工が就業時間が12時間とかいうけど、休憩含めた拘束時間。通勤時間含めたら現代人はすでにそれに近いと思うんだけど。
結核で死なないのは、栄養状態がいいからで、昔ならとっくに死んでる。
夏、冷房で部屋を冷やすと外はもっと暑い。美術館に行けて幸せか?暑すぎて命を守る行動をとテレビが叫ぶ土地なのにさ。
冬、人が多い屋内施設らいつも空気は淀んでて二酸化炭素濃度が高い。レストランもそうだ。他人の吐いた息を吸うんだから、当然臭いし病気はうつる。
当時はあまり思想とかわからなかったけど、バリバリのフェミニズム漫画
咲久子ちゃんと卯乃ちゃんという女の子二人の戦前から戦後までの話で12歳ぐらいから40代ぐらいまでが描かれるんだったかな
超絶美女の咲久子ちゃんは将来的に愛人にすることを予定して、工場経営者のブルジョアジーのおっさんに養女として引き取られる
おっさんは死に、その後華族の花嫁となり顔と体のみでのしあがっていく
卯乃ちゃんは新聞社で働く職業婦人となり、女性参政権を求める活動家になっていく
活動家のわりに卯乃ちゃんはわりとおっとり優しい子で、咲久子ちゃんはオラついてギラギラしている
オラついた咲久子ちゃんが卯乃ちゃんには弱くてたまに会うとべったり甘えて百合百合している
お互い結婚したり子供産んだりするけど、動乱の中で男たちは死んでいき、いつでも心のど真ん中にお互いがいる
ある時卯乃ちゃんは、活動家が次々と登壇して政治演説する集会みたいなのに行く
女の活動家が女性人権について語っているのを見て卯乃ちゃんは感銘を受けて聞き入る
「今の女、いい女だったな」「白い肌が汗ばんでてたまらんな」と女活動家の容姿の品評会をしていた
彼らは女活動家の話した内容については全く論じなかった
卯乃ちゃんは封建的な農家の子で、リベラルな都会にきたつもりでもなにかと女のくせにと言われ、活動家の集まりでようやく男女平等な場を得たつもりだった
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230215171319
テスラも機械化に失敗して他の自動車会社と同じ方式にしたって書いてあるのに機械化しろとかテスラの生産数は増えてるとか言ったり、どう見ても現状報告している増田がそんな素晴らしい機械は今のところ存在しないって書いてあるのに近視的コメが上位に来ていたりと本当にヤバいよね
1gでも軽く出来ないのかとか1.5kgあるって言ってんのに1g軽くなりましたで何か変わるのかと言ってやりたいし、何ならインパクトドライバーのバッテリーサイズを小さくすりゃ駆動時間減る代わりに1gどころか数十g変わるし、ていうか質量打撃で締め付けるインパクトドライバーを軽くするって意味を理解してないし、ググることすらしないでコイツら脊髄反射で書いてるよなって物凄く呆れる
今までの流れであれば、はてな界隈では絶賛されるであろう「一流企業の現場で10年もキャリア積んでる産休すら取得してる女性」が折角声を上げてくれたのにクソみたいなブコメが多数付いてて、はてブのレベルってマジでこの程度なんだなって実感したわ
幸いにもクソブコメを糾弾するブクマカもそこそこ居るのでまだ救いはあるけれど、マジで自覚しろよクソブコメ付けてる連中
一応クソブコメが沢山湧いたエントリの例をもう1個紹介しようか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220624184051
これマジでヤバいよ?新卒には大卒以外は存在しないものとして扱ってしまったっていう学歴差別の実例
就職氷河期世代が社会から透明化されていることに憤っているはずなのに、リーマン・ショックの影響で就職氷河期世代よりも更に低い就職難に遭った新卒の約半数を占めるはずの中高卒を存在しないことにしてコイツは嘘をついてるって決めつけたんだぞw
避妊法で実効性のあるものは無いに等しかっただろうけど、子供が生まれ過ぎたら間引く、養子に出す、丁稚奉公に出す、遊廓へ売る、早くに嫁にだすなどしていた。
第1話当時に12歳だった禰豆子(着ているものや髪型からして"大人"として扱われている)がまだ家にいる辺り、貧しいながらも極度に生活に困ってはいないのだろうな、と思う。
竈門家の場所は明らかではないけど、岐阜や石川、長野辺りの山の中ではないかと思う。そういう土地は貧しくて口減らしが普通だったはず。富岡製糸場の女工達がそういう地方の出だ。
そういう処でも禰豆子を家に置き続けていられたのは、竈門家が山の中にポツンと建った一軒家に住んでいて、どこの集落にも属しておらず、他人からごちゃごちゃと口を出されにくい環境だったからなのではないかと思う。
労研饅頭(ろうけんまんとう)は、愛媛県松山市内にある「労研饅頭たけうち」が製造販売している小麦粉を主原料とした蒸し菓子の
一種。和菓子の饅頭(まんじゅう)ではなく、蒸しパンまたは中華料理の甜饅頭(ティエンマントウ、tián mántou)に似る。
直径10cm前後、重さ60g前後の、小ぶりで甘みのある蒸しパン状の菓子である。
小麦粉をこねた生地を酵母で発酵させ、蒸し上げたものである。形状は種類によって円盤状のものと、楕円形のものがある。
生地によもぎやココアなどを練り込んだものや、豆類や乳製品を入れたもの、中に小豆餡を入れたものもあり、種類も豊富である。
太平洋戦争前から続く製法で作られており、素朴な味わいで、地元の一部の人に根強い人気がある。
昭和初期、松山市は深刻な不況に襲われ、夜学生が学資を確保することが困難であった。それを見かねた私立松山夜学校
(現在の私立松山城南高等学校)奨学会は、夜学生の学資を供給する事業がないか模索していた。
その頃、岡山県倉敷市にあった労働科学研究所が満州(現在の中国東北部)の労働者の主食であった「饅頭」(マントウ)を
日本人向けに甘くアレンジし、これを岡山県や京阪神の業者が販売していることを聞きつけた。
小麦粉で作る饅頭は安価に製造できるため、これを松山で製造販売し、学資を確保するとともに夜学生の主食にもしてもらうことを
こうして1931年に松山で「労研饅頭」の名で販売が開始された。「労研」とは労働科学研究所の略。また、饅頭を「まんとう」と
読むのは中国東北部の主食「マントウ」が起源だからである。なお、当時は4個で5銭、松山市内の学校や軍内で販売され、夜学生の
学資確保に貢献したという。
なお、労研はこれを、当時の女工の厳しい労働環境を配慮し、手を汚さず、素早くエネルギーを補給できる食品として開発した。
労研は、当時、クラボウの社長であった大原孫三郎が、労働者の環境改善のために設立した研究機関だった。
その後、労研饅頭は個人営業の竹内商店(現在の販売店「たけうち」の前身)が製造販売するようになったが、戦火の拡大により、
1943年には小麦粉も入手難となり、販売休止に追い込まれた。しかし、受け継いだ酵母は守り通され、1945年の終戦後には早くも
販売が再開されている。一方、岡山や京阪神では戦火によって労研饅頭の酵母が途絶えてしまい、京阪神では労研饅頭そのものが
復活することなく、消えてしまった。こうして、戦後唯一残った「たけうち」が1952年に「労研饅頭」の登録商標を取得した。
高度成長期には洋菓子などに押されたが、保存料などを使わない自然食であることが見直され、松山の名物菓子として定着している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E7%A0%94%E9%A5%85%E9%A0%AD
あのアニメの人気は俺たちのもんだみたいに言うわけでしょ?
おかしくない?
まずやることはオリジナルでしょ
そしたら円盤の権利も自分たちのもんだし、グッズも自分たちのもんだよ
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[追記]
あ~なんか誤解されてるな
本気でなんでオリジナルで勝負しないの?って思ってると思われちゃったw
そうだよね。金がないんだよね。勝負してこけたら潰れちゃうんだよね。安定って素晴らしいよね。うんうん
そんなことはわかってるよ
俺が言いたいのはさ、まさにそこよ
アイディアから何から何まで「リスク」取らないくせにさ、そのくせいっちょ前に給料くれって言ってるんでしょ?おかしくない?って意味で言ったのよ
リスクだの安定だの言って他人の持ってきた仕事をやるだけなんだろ?ぜんぜんクリエイティブじゃないよね
アニメーターは年収100万とからしいけど、中国の女工の人らの年収って100万とかもらえてるのかね
多分もらえてないと思うんだよ。とくに服飾関係は月3万円で人件費が高騰してるってブーブーいってベトナムだのバングラディシュだのに移っていったよ。
結局さ、アニメーターってそういうことなのよ。そういう存在なのよ。
普通だったら海外に移ってる仕事をなんでお前らやってるわけ?上流工程やりなさいよって思うし
逆に俺が可哀想だと思ったのは、上流にいるアニメ監督とかが500万円とかってことよ。
おそらく、下流のアニメーターを年収100万円で囲ってるから、その割を食ってると思うんだよね。
その部分を中国人だとかフィリピン人だとかにすれば、むしろ健全なアニメ会社増えると思うんだよね
たぶん人材が育成できないっていうんだろうけど
そんなの日本人枠で特別に300万円くらいで2,3人雇えばいいんだよ。(少なすぎっていうかもしれないけど、現状の離職率の高い状態より結果いいと思うけどね)
動画は99%海外で年収30万円くらいのところで作って、そんで日本人は上流に専念することでその人らの給料も上がると思うよ。
つまりリスク取らないんだったら文句言わないでね。あと誰かのせいにしないで。お前らのせいだから。
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[追記2]
話変わるけど
アニメ会社ってゲーム業界で言うギャルゲーレベルの対象の狭いもの作っといて、なんで給料安いとか言ってるのかね。
結局手堅く金出してくれるオタ向けに作ってるってことだよね。
ああ、またリスクの話になるわな結局
リスク取るのが嫌だから、安易に、甘ったれて、目の前のオタクに向けて作って、手銭稼いでるわけだよな
そんで気づいたら年収100万円だと
同情なんてされるわけないよなw
狭いとはいえギャルゲーのほうがオリジナルだろうからまだ実入りよさそうだな。実際さすがに年収100万円ってことはないだろうしな
「女性の社会進出を進めた」結果増えた女性の仕事はもっと高度かつ高給な仕事だろ。
今も昔も変わらずいる、女工になるしかない低層の女性は専業主婦にはなれない。
人間ってのは大抵同階層同士で結婚するものであり、低層の男性の収入だけでは食えないから。
そういう女性は結婚したら家事も育児も仕事も介護もやらなければならない。外注なんて出来る金はないから。
だったら結婚せず、自分の分の家事と仕事と自分の親の介護だけ・育児なしの方がまだマシだろう。
そして専業主婦になれる高層の女性は専業主婦になどなりたがらない。
昔と違って、洗濯機もあれば掃除機も有る、食器洗濯機まで有るようなこのご時世に
働かなければならなかったような、女工時代から、せっかく専業主婦になれたのに
わざわざ女工に戻らなきゃならないような理由はないだろ。
そりゃまぁ、誰しもが楽して儲かるポジションにつければいいんだろうが、それこそフザケルナというやつで
職業訓練もろくにしてない低学歴の女性に出来る職業は、昔の女工並みのブラックになるに決まってるだろ。
もともと大企業の事務職みたいにだれでも出来て、そこそこ高給ってのは、結婚してポジションを次の若いやつに譲ることが前提なんだよ。
譲らない奴が増えたから、派遣全盛期になるんだろうが。 それをお局化してもずっと働かせろ、若い奴ももっと同じポジションにつけろ、派遣は駄目だ。
そんな我儘通るわけ無いだろ。
だれでも出来て、そこそこ高給で、定年までいられる。そんな夢の様なポジションがあるわけないだろ。
育てた子供がほぼ確実に就職して自立してくれる時代だったら、うちも作ってみようかなとなるところが、
結構な確率でニートになる時代になったから、作るのを躊躇しているんだと思う。
頑張って働いて稼いで子供を育てても、育った子供の行き場がなく、いつまで経っても家にとどまられてタダ飯を食い続け、
社会から必要とされないストレスを家庭内暴力などの形で発散されたらたまったもんじゃない。
こういう家庭が「ごく一部の狂ったケース」だったら子作りの阻害要因にはならないと思うけど、
「ごく普通の家庭」から次々ニートが生まれているから、うちもそうなるんじゃないかって皆ビビるんだと思う。
貧しいから子供を作らないんだって言う人が居るけど、じゃあ貧しい戦時中はどうして出生数が多かったんだ?
あの頃は「男は兵隊さん、女は軍需工場の女工」として、片っ端から需要があって、限りなくニートになりにくい時代だったんだよ。