はてなキーワード: 大凶とは
職員旅行から戻って、次の日さ、職場の雰囲気がちょっと変わってたんだよな。前よりなんかみんながフレンドリーで、話しやすくなってた気がする。
俺が朝職場に着くと、メガネくんがいつもより早く「おはよう!」って挨拶してくれてさ。それから、お姉さん先輩が「旅行、楽しかったね~」って話しかけてきた。
で、昼休みになって、いつもみたいにみんなバラバラで昼飯食べるかと思ったら、お姉さん先輩が「みんなでランチ行こうよ!」って言い出して、結局、俺とメガネくん、お姉さん先輩、数人の同僚で一緒に外で昼飯を食べたんだ。
その時、派遣のおっさんもいてさ、さっきの「大凶」のおみくじの話になって、みんなで大爆笑。おっさんも苦笑いしながら「まあ、あれはあれで良い思い出だ」って言ってた。
それから、メガネくんが職員旅行で撮った写真を見せてくれて、めちゃくちゃ上手でビックリ。みんなで「次回の旅行はメガネくんがカメラマンだな!」って言って笑ってた。
そんな感じで、職場が前よりも和やかで楽しい雰囲気になってさ。派遣のおっさんも、節約の話題で時々冗談を言ってきたりして、意外と面白いやつだった。
一つの旅行でこんなに職場の雰囲気が変わるなんて、思ってもなかったけど、本当に良い経験だったよ。
で、その次の日もさ、まだ職員旅行は続いてたんだよ。今日の予定は、バスで観光地を巡るツアーみたいな感じだった。俺、お姉さん先輩、メガネくん、そして派遣のおっさんも一緒にバスに乗ってさ。
最初に行ったのは、めちゃくちゃ古い神社。お姉さん先輩が「ここのおみくじ、当たるらしいよ」って言って、俺らもおみくじ引いたんだ。俺は「大吉」、めちゃ嬉しかったわ。メガネくんも「中吉」で、お姉さん先輩も「吉」。でも、派遣のおっさん、何と「大凶」って出てきてさ。
おっさん、すごい不機嫌になって、「こんなもん信じない!」って言ってた。俺ら、ちょっと笑っちゃってさ。
次に行ったのは、海沿いのレストランで昼食。ここでさ、メガネくんがずっとカメラを持って写真を撮ってたんだ。「写真、趣味なの?」って聞いたら、めちゃくちゃ熱く語り始めて、実はすごいカメラマニアだってことが判明。
派遣のおっさんも少し機嫌が直って、カニ料理に舌鼓。お姉さん先輩と話も弾んでた。
で、最後に行ったのは港町の小さなマーケット。ここでお土産を買って、バスに戻ることに。ただ、派遣のおっさんが何故か消えててさ。
バスの出発時間が迫ってるのに、おっさんが見当たらない。俺とメガネくんが探しに行ったら、なんとおっさん、地元のおっちゃんたちと釣りをしてるんだよ。
「何やってんだよ!」って言ったら、おっさん「ここで一生過ごす!」って冗談交じりに言ってた。結局、無事にバスに戻って、旅館に向かった。
旅館に戻って、最後の夜は打ち上げみたいな感じで宴会が開かれた。派遣のおっさんも、なんだかんだで楽しんでたし、メガネくんはカメラで写真を撮りまくってた。
この職員旅行で、いろんな一面を見れて、みんなとの絆が深まった気がする。派遣のおっさんも、普段は節約家だけど、ちょっと面白いやつだった。
最後に、みんなで記念写真を撮って、旅行は終わり。もう、めちゃくちゃ楽しかったわ。これからもこんな感じで仲良くやっていきたいもんだよな。
「おみくじ」っていうのは、その人間の運勢を示すテスターみたいなものじゃないの?
科学実験で、実験器具に対して「良い結果が出ますように」とは願わないわけで、
それと同じ意味で、おみくじを引く前の「大吉」を求める祈りに意味不明さを感じる。
その祈りが通じて、実際には「大凶」な一年が始まるのに、おみくじで「大吉」が出てしまった、
みたいなシチュエーションを考えてみれば、その「大吉」を求める祈りには、何の意味もないことがわかるだろう。
だから、幸運を願う祈りはおみくじの前に済ませておき、おみくじを引く際は、「大吉」を願うのではなく、
テスターとしての精度が高いこと(今年一年の運勢を適切に示し、そのアドバイスが今年の運命を切り開いていくものとなること)を願ったほうがよいと思う。
そして、そのおみくじを本当に信じているのであれば、枯れ木に結んで、その記載内容を気分よく忘れてしまうのではなく、
持ち帰って机の前にでも貼っておき、そのアドバイスを毎日気にしながら生きていくべきだろう。
それぐらい活用すれば、おみくじの100円は十分元が取れると思う。
元旦だけ神に願えば、一年ずっと守ってくれるってほど、神も寛容ではないだろうから、毎日、そのおみくじを前に神の加護を願ったら良いのではないのだろうか。
ここまで頭おかしいと人災というより何らかの地理的因縁を感じる
八戸藩は、天明の大飢饉で深刻な打撃を受け、百姓一揆も起き、年貢の増徴による藩財政の改善も見込めない状況に陥っていた。このため、八戸藩の運営は御用商人からの借り入れに頼らざるを得なくなっていた。そんな中、時の藩主南部信真は野村軍記を登用し、文政2年(1819年)、「国政御主法替」と称する藩政改革に乗り出した。その一環として、八戸藩最大の産物である大豆の専売制を開始。もともと大豆の流通に力を持っていた商人たちを排除し、あらたな御用商人を登用した。その過程で、従来最大の権勢を誇っていた七崎屋を取り潰した。文政6年には大野鉄山を藩営とし、実際の運用を西町屋に任せて利益を藩に収めさせた。天保3年(1832年)、天保の大飢饉が発生。八戸藩では領知高2万石のうち1万1千石が損毛となる大凶作となった。翌年も8割の減収となった。藩は財政に窮し、御用商人の西町屋や美濃屋に銀札を発行させ、預かり小切手も発行して米や食糧の買占めを行おうとした。しかし、インフレが急激に進行し経済が大混乱となり、天保5年には久慈の農民が一揆をおこし、民衆が八戸城下へ押し寄せる事態となった。いわゆる「稗三合一揆」である。これは、藩が1人1日稗三合の食糧を残して、残りを全て価値の激減している銀札や小切手で買い占めようとしたことから、このように呼ばれた。一揆に対して野村軍記は武力鎮圧を主張したが採用されず、一揆側の主張をほぼ受け入れる形で決着した。そのため野村軍記が進めていた藩政改革はほとんどが否定されることになり、野村自身も失脚。幽閉され間もなく死去した[2]。
2022/6/21 18:48
新年会で男性に渡された賞状を模した書面。翌月、男性は自殺した(画像の一部を加工しています)
青森県八戸市の住宅会社「ハシモトホーム」が、青森市の40代の男性社員=平成30年に自殺=に、賞状を模し侮辱する内容の書面を渡していたことが、遺族側への取材で分かった。遺族は20日、パワハラや長時間労働が自殺につながったとして、会社などに約8千万円の損害賠償を求め、青森地裁に提訴した。会社側は「表彰の一環」と説明している。
原告側によると、関係会社も参加した30年1月の新年会で、男性は課長が作った「症状」と題した書面を渡された。文面には「今まで大した成績を残さず、あーあって感じ」などと書かれていた。上司から「おまえはバカ」とのショートメッセージを受け取るなどした男性は翌2月、重度の鬱病を発症し自殺した。
男性の妻は、代理人弁護士を通じ「こんな『症状』を渡して、家族が見たらどう思うのか、何も想像しなかったのかと不思議でなりません」とのコメントを出している。
https://www.sankei.com/article/20220621-SAR4XBLCPVNZNEDYKGDZKZPR74/
被害者に合掌
と、今年の正月、2人で行った初詣の帰り道に小5の甥っ子が言った。
甥の言う「良い事」とは、初詣中に車椅子の手助けをしたことだ。
親娘のように見える80代くらいの車椅子に座ったおばあさんと、60台くらいのおばさんが自分達の前にいた。
神社の敷地に入る所に段差があり、中々上がらないようで、「良かったら押しましょうか?」と声をかけ、
手伝って押し上げた事。もう一度、今度は拝殿前にある階段、あがるのは娘さんに支えられ自分の足で上がりはったが、
車椅子は階段の下のままだったので、今度も声をかけてから車椅子を上に運んだ。
甥の言葉は公正世界仮説とか、因果応報とかそういうものの表れなんだろう。
俺は因果応報も公正世界仮説も信じないし、おみくじも信じない。
だから、大吉引こうが大凶引こうがふーんて感じだし、一人ならおみくじ引かない。
俺は甥に嘘付いた酷い人間なのかな?と逆にそんな事を考えてしまう。
そもそも、今のご時世だから、参拝も1組ずつってことで、神社の入り口の外までずらーっと並んでた。
車道の邪魔にならない様に道なりに折れて並んでたのに、車椅子の親娘は俺と甥が目に入らなかったのか、
俺達の前に並びやがったんだよね。「ワレなに横入りさらしてくれとんねん、どこに目ェつけとんのや!」って
心の中で一瞬沸騰したけど、直ぐに「まぁ急いでないし別にええか」となって上記のお手伝いしたんだけど。
まぁ普通それくらいはするよね。
心の中で悪態付いた因果はどういう応報として帰ってきたのだろうか……まぁ応報なんて無いんだけどね。
甥っ子はいつどうやって因果応報的な考えを身に着けたのかなぁ?と正月から暫く考えてたんだけど、
基本そういうお話おおいし、子どもが触れるコンテンツは特にそうだから、そう考えるのは自然なのかなぁという結論に至った。
甥っ子は喋り始めるのが結構遅くて、ちょっと鈍くさい所も多いのだが、親の教育がいいのか心根はまっすぐでいい子に育ってると思う。
皆々が我に詣でた後、おみくじを引く光景を見ていつも不思議に思うんだが、
箱をジャラジャラ振ってリズムを取りつつ、我に向かって必死に「♪大吉がっ♪出ますっ♪ようにっ」と願う奴が居る。
あれは、全くもって何の意味があるのかのぅ。
もちろん、我に「一年の幸せ」や「無病息災」を願うのはよくわかる。
しかし、「大吉」を願うなんてどうかしとるぞ。「大吉」かどうかは、そなたの性根を見て我が判断することじゃ。
例えば、占い師に「良い運勢出してくださいよ」と言って得られた結果に、そなたは信頼を置けるのかのう。
いや仮に、その場のちょっとの願いで運勢が変わり、思い通りの「大吉」を得られたとしてどうなるんじゃ。
そんなボラティリティを持つ結果であれば、例えば帰り道で容易に「大凶」に変わり、犬の糞でも踏みそうなもんじゃろう。
(「なーに、ウンがつく」ってか。やかましいわ。)
それに、「大吉」が出て喜ぶ奴もいまいちわからんのう。まあ、皆々の喜ぶ様子は見ていて悪い気はせぬものの。
そもそも、おみくじとは運勢を測るリトマス試験紙みたいなものなんじゃから、嬉しいも何も無いじゃろう。
その人に「大吉」が出るのは、その人が既に大吉に値する運勢を持っているから出るだけのこと。
宝くじのような偶然で出てくるのはない。偶然で結果が変わるのであれば、我の居る意味が無いじゃろう。
我の存在に関わることなので、二度繰り返すことにする。おみくじの結果は偶然ではなく、我の力じゃ。
だから、宝くじの当たりみたいに嬉しがられると、我は不思議な気持ちとなる。当たり前のことになぜ喜ぶのかと。
それはあたかも、レモン汁にリトマス試験紙を入れて赤くなったと喜んでるかのように見える。中学生か。
それより、「大吉」だの書かれた運勢の下にある我の記したエッセイをしっかり読んでもらいたいももんじゃ。
「大吉」かどうかは我の頭にビビっときてパパっと答えられる簡単なお仕事だが、
エッセイの部分は我が1年かけて必死に考えた珠玉の品々なんじゃからな。毎年考えるのも大変なことよ。
だから、そのエッセイを読んで欲しいがために、エッセイ通りの一年を送ると、運勢以上の幸せが得られるようになっているぞ。
ちなみに、それらしいことを言っておくと、そのエッセイを毎日の生活の参考にして初めて、その「大吉」という運勢が末長く成立するわけじゃ。
その点では、おみくじなども世の中の啓発書のひとつだと考えるとよろしい。
行動を変えるきっかけとして、現在の運勢を表示しているだけに過ぎぬ。おみくじと啓発書の違いはそれだけじゃ。
おみくじの書かれている運勢も、生活習慣病の指導をする際に血圧の値を示すようなもので、
別に血圧の値が重要なわけではない。だから、先に述べたとおり「大吉」を喜ぶ必要はないわけじゃ。
だから、「大吉」をただ有り難がって引き出しにしまっておくだけでは何の意味も無い。
そんなわけで、我の啓発書兼エッセイの重要性を力説したところで、この男もすなる増田というものを終えることとしよう。
それでは、よいお年を…始めてくだされ。
お昼頃に集合して、すぐ手を繋いだ。初めて繋いだ。小町通りのひとつ隣の通りにある海鮮丼屋で生しらす丼を食べた。美味しかった。美味しそうに食べる顔が良かった。食べきれないかもと言われたので少しもらった。
そのまま成り行きで鶴岡八幡宮へ行き、おみくじを引いた。大凶を引いてた。落ち込んでた。相手を信用してはならないと書いてあり、半ば合っていたのでドキリとした。願掛けもした。何を願ったのか尋ねたら、言ってしまっては叶わないと言われた。気になった。
小町通りに戻って静かなスイーツ屋でかき氷と黒蜜バニラを頼んだ。いちごシロップは控えめな味で気に入った。黒蜜バニラを少しもらった。マナーのこととか、バッグの中身とか次にどこへ行くかを話した。
進路のこととか話しながらダラダラと駅周辺を歩いたあと、江ノ電に乗って由比ヶ浜へ向かった。以前茅ヶ崎へ言ったときも感じたけど、海が近い住宅街の雰囲気は良いよねと伝えたら、海好きなんじゃない?と言われた。このとき自分は海が好きなんだなと気づいた。
浜辺で遊ぶ小さな子どもを眺めながらたくさん話をした。可愛いねと伝えたら照れてた。このときが一番こころが安らいで、幸せだった。
寒くなってきたので江ノ電に乗って江ノ島へ向かったが、水族館は閉まりかけてたので鎌倉へ引き返した。この際に降りた高校駅は、目の前に海が広がっており綺麗だった。電車を待ってる間、何も話さなくてもスマホを触りたくならないと言われた。確かにと思った。
鎌倉へ戻り、また手を繋いでダラダラと歩いた。2人で手を繋いで歩いているだけで幸せだと伝えたら、同意してくれた。
小町通りに戻り今川焼きを食べた。お互いの価値観について少し話した。なんとなく似通っていたので安心した。あなたの手はぷにぷにしてて良いねと褒められたので、そんなこと初めて言われたよと笑ったら、初めてもらっちゃったと喜んでた。可愛かった。
まだ一緒にいたかったので夜ご飯も食べようと誘った。にっこり笑って頷いてくれた。でもあんまり食べられないだろうから、どうしようか迷った。恐る恐るサイゼでもいいかと尋ねたら、快諾してくれた。慣れてなくてゴメンネと謝ったら、慣れてない方がいいと言われた。気を遣ってくれたのかもしれないが、言葉通りに受け取ることにした。
以前、ファミレスに行った時は向かい合って座るのではなく、ソファに隣り合って座ってみたいんだ、となんの気なしに話したのだが、それを覚えていてくれたらしく、席に座る際、隣に来なよと言われた。嬉しかったが、周りの目が少し恥ずかしいと伝えたら、そんなの気にならないと言われた。それもそうかと思い、隣へ座った。想像していた通り、隣は良かった。
サラダとパスタを頼み2人で分けた。お互いの学校や友だち、男や女について話した。たくさん盛り上がって、一瞬親友のように感じた。
サイゼを後にし、帰ろうかとなったとき、後30分ほど話していかないかと誘われた。まだ一緒にいたかったから、そうすることにした。手を繋ぎながらまたたくさん話をした。ママに見せるからと写真を撮られた。あんまり盛れてなかった。次はいつ会おうかなんて話もした。また2週間後くらいに会えそうだった。
別れるとき寂しかった。ずっと一緒にいたかった。でもまた2週間後くらいに会えるしなとも思った。
おわり
今日のことをなるべく多く覚えておきたかったので、思い出せる範囲で書いた。もっと細かく書くこともできたが、キリがないのでこれくらいにしとく。
増田のハンドルネームは「増田太郎」みたいな、所謂一般的な日本人名と似た構成の、漢字の苗字名前で構成されたものだった。
一時期は創るものいっぱい見てもらえてチヤホヤされてたのに、最近はすっかり。という悩みを抱えていた増田は、この頃占いに興味があった。
人は悩んでいるとどうしても、そういうオカルティックなものに縋りたくなってしまうのだろう。
占いにはさまざまな種類があるが、その中の一つに名前の画数などで占う「姓名判断」というやつがある。
今は名前を入力すると診断結果が即座に出てくるホームページも多く、何気なくそこに自分のハンドルネームを入れてみる。
すると、結果は散々なものだった。
まず総画数を占う部分が凶。大凶と判定された項目もある。しかも使用してはいけない漢字としてチェックも入っている……。
「一旦は栄えるが、長く続かない」と書かれていたコメントを見て「まさに……!!」とバカバカしくも思ってしまったのだ。
ちょうどHNをそろそろ新しくするかと思っていた頃合いだったので、姓名判断上つよっつよのHNにしてやろう。
そして出来上がったのが全項目が大吉以上のつよつよHNだ。もちろん使用してしてはいけない漢字もなし!
……で、不思議なことなんだけど、HN変えたら創作が伸びたんですよ。
変えた瞬間かな、急にみんな見てくれるようになって。
それから間もなくみんなの人気者みたいな人も気にかけてくれるようになったし、片手間にやってるYouTubeもチャンネル登録者一気に倍になったし。
マジで。