はてなキーワード: 参考書とは
実家太い家に生まれたなら小学校からダブルスクールでインターナショナル行きつつSAPIX行って、英語と数学先取りして、御三家から東大余裕で行けるのに、エスカレーターで慶應卒って死にたくならんのかな?
俺が増田なら中学で「このままじゃ私大!やばい!人生終わる!」ってなって勉強ガチって大学は外部受験して国立行くけどな。塾行くための金や参考書代ならいくらでもあるだろうし。
私大の時点で国立卒の女の子に相手にされないのに、その上文系となると私立理系の女の子にも相手にされない。私文が大卒の女の子と結婚しようと思ったら相当選択肢が減る。慶應幼稚舎行かせるって一種虐待だよな。
簿記って「そういう決まりになっている、だから暗記しろ」という参考書ばかりな気がして、自分は全然頭に残らなくてさっぱり覚えられなかったからチャレンジしてる人すごいと思う。自分は三級3回受けて受からなかったから諦めたけど、簿記って全然知らない語学をやるのに似てると思った…英検受ける時にひたすら英単語覚えるみたいな…
うちのような10人くらいの赤字も黒字も出ない小企業だと、仕訳はソフトで相手勘定選ぶだけ、決算は税理士先生にお任せ、って感じであとは銀行に支払いに行ったり払込確認しに行ったり…って感じ
経理と総務とその他諸々の雑務をやらせてもらってるけど、労務とかの方が転職する時の将来性がありそうな気がする
最近は情シスの真似事をする機会が増えたから情報系の資格にチャレンジしてるけど、たまたま参考書が自分に向いてたのか簿記よりは覚えやすいし勉強しててもこういうことか〜!って思うこと多くて楽しい。FPとか宅建も楽しかった。
物理の参考書を捲ってみたら下記リンク先のimgurにアップしたグラフと共にこういうことが書いてありました。
(完全なurlを記載したら書き込めなかったのでご容赦ください)
つまり、(モル比熱C)=(熱量Q)/(モル数n)×(温度の変位ΔT)で定義されるが、同じ温度(ΔT)だけ温めるのにも温め方によって必要な熱量はいくらでも変わるから、比熱は具体的な数値としては何通りも定義できると書いてありました。
たとえば体積一定の状態で温める場合はグラフでいうならAからBに向かってP軸に平行に等温線にぶつかるまでの経路上で必要になる熱量で定義される。これが定積比熱だとありました。
圧力一定の場合もまた同様の考え方でV軸に平行な経路をとったときの熱量で定義され、これが定圧比熱だというわけです。
それなら気体の状態方程式の気体定数もそれに対応する熱量から見れば等温線にたどり着くまでの経路として表現されるはずなわけですが、それについては書いてありませんでした。
に対して返ってきた答え
答えになってねーよ。わかったような口きくぐらいなら黙ってろよ虚栄心まみれの暇人が。
なのでこう補足してやった
経路に依存しないという条件で定義のつじつまを合わせて概念を作ったのではなく、あくまで定義したものが状態量の条件を満たしていた、ということですよね?
それなら定圧・定積比熱が経路に依存するのに対し、経路に依存しないことはどうやって示すことができるのでしょうか?解説いただけるとありがたいです。
758ご冗談でしょう?名無しさん2023/02/18(土) 11:10:15.83ID:???
というより、今調べると定圧・定積比熱も状態量のようですね。
とすると、定圧比熱などにおける「経路に依存しない」とは、二次元グラフ上で圧力一定を満たす経路が一通りしかないという意味においてだと考えられます。
今週末大事な試験あって今日午後休なのにたっぷり3時間昼寝してしまいました。懺悔。
ていうかもう1年ぐらい勉強し続けてきて過去問も何周もしてて、あらゆる参考書も(ほぼ)目を通して、セミナーとかも無料なら手を出してみたりして、わりともう勉強やりきってる感あるんだよな
6割とれれば合格らしいし
集中が続かないのよ
全然煽りとかじゃなく、仕事の関係で近々住むことになったから、折角ならならではのモノを知って楽しみたいので教えてくれると大変助かる。
(つまり先のバズり話題と同じく、"※ただし仕事は既に確保できているものとする" の注釈付きになっちゃう。ごめん。)
田舎でそこそこ快適に育ったから過去の経験からのバイアスがデカすぎるのはあると思うが、
趣味はほんとに趣味によって都会が良かったり田舎が良かったりでマチマチで、かつ都会メインの趣味でも地方公演だとよく当たって人多すぎなくて快適とか、田舎メインの趣味でも東京からだと多方面にアクセス良かったりでまた色んな要素があるし、
子供の教育って言っても、ガキの頃は田んぼとか海に近い場所で友達と毎日遊んではしゃいでたのはそれなりにいい経験だった気がするし、勉学でも公文とかで高校行って周りは頭良くて人も良いみたいな奴ばっかだったし、定番参考書とか通信の予備校講座とかでそこそこの大学行けたし、周りの友人も多少の差はあれどだいたい似たような感じだからあんまり実感が湧かないんよな。
掲示板に以下の引用文を書いたらいろいろ文句を言われてむかついた。
句読点や文の区切りを意識すると読みやすくなるといったって、お前らが書いてる文章と比べて読点の量やタイミングや文と区切り方と差なんてねーじゃねーかと大概的外れに感じたが、なにに比べても圧倒的にむかついたのが「頭の中と文字が上手く繋がらないんでしょ。よくある発達さん」というもの。まあとにかく引用する。
気象予報するには予報士受かった程度じゃ全く足りず大学で気象学なり地学専攻してないときついと前スレにあったけど、逆にそのあたりの学士どころか博士さえ予報士資格を確実に取れるかといえばかなり微妙なところあるんじゃないの?と思う
大学で学べば解析学なりテンソルなりの知識を授かるから物理現象の数式化によって数値予報モデルを作れるようになる、つまり機械に予報させるスキルは身に付くことになるだろうけど。
まあ衛星画像から雲の存在高度や厚さを答えろみたいな問題ならさすがにパターン化できるけど、時系列ごとに並べた予想図を使って予想を答えろ的な問題は全然無理。
この日時までの部分を含めていいのかとか、微妙にこの県も含まれてる気がするけど含むべきかとか、そのあたりかなり曖昧で、少なくとも私は解くごとに間違える
むしろ物理現象の数式化というスキルと比べても予想図の解釈とかいうのはチャート式みたいに言語化して教えられない主観的なセンスによるところが大きすぎる。たとえるなら株のチャートを見てこの株は上がるか下がるかみたいなデイトレのスキルに似てる。あれもだめなやつはどんなに練習しても次の一回で大損する選択をしかねない。
実技の参考書持ち込み可でも50点も取れる気がしないから、大学行ってりゃ受かるとかいうものじゃないと思うんだがどうだろう?真鍋叔郎氏でもある意味で落ちるんじゃね?
「頭の中と文字が上手く繋がってない」などと言うからには、批判先の文章が日本語として体をなしてないはずだ。
しかし別にそんなことなかろう。むしろ山田悠介より全然ましだと思う。これがたとえば日本語学びたての外国人が書いたかのような文章に見えるだろうか?
頭の中と文字がつながらないとはやや専門的に言えば、内言を同じ意味を持つ文法等がまともな日本語に変換できないということを意味するが、俺自身が発達だから知らんが別に字面からそんなふうなことが起こっているようには見受けられない。
シネプレとかは予告編長すぎてあんまり好きじゃないから(たまに行くならいいけど)
小さい映画館通ってるけど、鬼滅に取られて上映数激減してて
あんまり良くないスクリーンで席も前列端っこ座っちゃって、最初はちょっと後悔してたんだよね
でもこれが幸いしたぜ!初めてのアングルで見るから新鮮だし、画質は下がった分作画の良さに気付くみたいな
最初の後戸の真水の質感とかすげーよ
これまで、遊園地戦までは正直見飽きててダレるところもあったけど、今回は最初から楽しめた
気付いたことなど
最初の天気予報、よく雨降ってるし何かの伏線かと思ったけど、単にそこが九州って示すためか
すずめの部屋とかスナックの二階とか、何か初めて行く他人の家みたいな感じがする
生活感なんかなぁ
ダイジン負いかけるとこ、多分地震の影響でコンクリがちょっと崩れてんだよな
東京行くだと糸、クレジットだとギザギザハートと三年目の浮気の間だからおしぼりとか氷でわちゃわちゃしてる辺りで流れたんだろうか
朝にはダイジン東京にいてミミズが出てくるの夕方だから時間あるんだよな
東京駅からお茶の水の乗り換えで改札映るの、すずめが改札使ったんじゃなくて駅の風景描写かもしれん
フェリーで寝がえりうつおっさんとかスナックから店員が帰宅するシーンみたいな
芹沢、参考書のとこ見てたけど閉じ師日誌とか散らかってるの普通に見てるよなぁ
作画コストというよりワチャワチャ動かしてそっちに注意がいっちゃうとかえって本筋わからなくなるからかも
そういや安彦良和のインタビューで、若手でコンテ切ってた頃の富野がモブに細かい芝居付けててアニメーターから嫌われてたみたいな話してた気がする
裸の銃を持つ男って映画で、背景に小ネタ仕込みまくってたけど集中して見ないとわからないってことでウケが悪くて、TV版にしたらヒットしたという逸話が…
あったと思い込んでたんだけど、今調べたらTV版に小ネタ仕込みまくってたけどウケなくて、劇場版にしたら大ヒットしたらしい。逆に覚えてたわ
ついでに、昔、裸の銃を持つ男のビデオ見たら、冒頭でイスラム系の悪役をボコボコにするシーンがあって、
911後だし観客向けのサービスだろうけど悪趣味すぎる、ってそこで見るのやめたんだよね
でも今思うと逆にそういう風潮を戯画化して皮肉ってたのかも…で、調べたら裸の銃を持つ男、シリーズ最後が90年代だから911関係ないんだよね…じゃああれは何だったのか?
環さんがすずめと出会う回想、うちの子になろうのシーン出てくるから本当は覚えてたんじゃね?と思ったけど
あれ寝てるすずめが見てる夢か
草太と幼すずめとすずめが手を繋いでるビジュアル
こんなシーンなかっただろ、と思ったけど絵日記で書いてあったわ
後戸まで幼すずめを送る道中かな
最後のおかえりのとこ
すずめが高2なので、最長で翌年の冬という可能性もあるけど
いずれにしても平日早朝に来てるわけだから多分就職はしてないし
そもそも東京から九州に移動して早朝散策するには、夜行バスとかで夜に移動するか一泊するかのどちらかだから色々しんどい…
意外とマメな男
すずめもこの後重役出勤か無断欠席すると考えられる
重厚長大系メーカで工場勤務をしてるんだけど、来年度あたりでシステム子会社に出向する可能性が浮上している。それも管理職として。
しかし困ったことに、俺は今までプログラミングを全くやったことが無い。自慢じゃないが仕事でも情シスが作ったTeamsのアプリしか使ってない。
大卒なのに我ながら情けないが、そもそも設備メンテと生産管理を渡り歩いた人間に、まともにプログラミングをやる状況なんて全然無かったからどうしようもない。
去年「if文の書けないエンジニア」とかいうツイートが擦られてたのを見かけたが、このまま子会社に飛ばされると俺がif文の書けない管理職になってしまう。
行き先は企画部らしいから、自分自身でゴリゴリコードを書くことは実際あまりないのかもしれない。とはいえ流石に一文字も書けませんじゃ管理職として格好がつかないから、四十手前にして人生初めてPythonの参考書を買ってプログラミングの勉強をしている。しかし参考書は分かるような分からんような...正直厳しい。
増田には現役のエンジニアが多々居られるだろうから相談させてほしい。
親会社から管理職が来るとして、その管理職どの程度知識を求めるんだろうか。
できれば、弊社みたいな製造業のシステム子会社(ユーザー系)に勤めている人の意見が聞きたい。
本気で悩んでる。
今日から特典で芹沢本が貰えるからみんな、劇場行こう(ダイレクトマーケティング)
ネタバレにならない範囲でネタバレすると、あの世界でもコロナ禍は発生してた
すずめが新幹線でマスクするの身バレ防止かと思ったらそういうことなんやな
そういえばスナックでも消毒してたな
来週から上映回数減って辛い。終映じゃないからいいけど…すずめの戸締まりが観れない世界が私には怖いんです!
気付いたこと
・響鬼でやりたかった清めて鎮めるってこんな感じなのかな。響鬼見たことないけど
・明石海峡大橋の先は明石なのに、草太は東京モンだから神戸だと勘違いしてると思ってた。調べたら明石じゃなくて神戸だった
整式の割り算。高校数学で、筆算書いてやったのを覚えている人もいるだろう。文字係数のたんまり入ったxの6次式とかをx−2とかで割っていくやつだ
なんと鉄緑会計算練習ではあれを暗算でやらせるらしい。ソースは鉄緑会基礎力完成という参考書
無理………………
やっぱ理三はすげーわ
某トレーターの言じゃないけど分かってることとできることは違うわけだよね。
自分で問題を設定してそれを解くというときにはその分野の問題をどれだけ解いたかがやはり生きてくる。
問題を解くのでなく、解かれた問題の解説を読むというのであれば、たとえばああだからこうというふうに書いてあったとして、それは論理学の表現を使えばp⇒qという風になるだろうが、解説中にpとqは既に提示されているわけだから、あとはpとqを絡める公式なり法則なりを思い出しさえすれば確かにp⇒qは真だと納得できるわけだ。
pとqと二つも手がかりがあって(比ゆ的にだが)両側から思い出すべき公式なり法則なりが束縛を受けるわけだから比較的思い出しやすいというわけだ。
しかし問題演習の問題はざっくりいえば「p⇒x,xを求めよ」という類型なわけで、pはともかくqにあたるものは未知数なのだから、その少ない手がかりのなかでxを導き出すためにどの公式なり法則なりを適用すれば解けるのかということを考えなくてはいけない。
問題演習をしなくても最悪参考書を熟読すれば同じ分野の科学的な解説は理解できるようになるかもしれないが、自分で設定した問題を解くということについては問題演習を通じて、問題に応じて使える法則等を都度見つけ出すという練習をしないと出来るようにならない道理なのだ。
なんだか大学以降になると一気に「問題集」と呼べるようなものが少なくなる感じがする。
それは高校までに何度もいろんな教科で問題演習をしてるのだから、いい加減手取り足取り鍛えなくても自分で公式とかを見つけ出すことができるようになってるだろうという考えによるのだろうか?
ならいやいやそれはないでしょと言いたい。
高校でも単元が変わるたびにベクトルでも2II程度の初歩的な微分でも三角関数とかが入った定積分でも都度問題を解いてやっとできるようになったんじゃないか。それは高3の最後まで変わらなかった。
ようするに人間ちょっとでも扱う分野が異なればすぐ応用できなくなっちゃうものなので、また公式などを見出す力というのはいくら多様な分野にまたがって訓練を積んだところで次の新しい分野に活かせるような普遍的な力として身に付くものではないから、言い換えれば「貯金」が利くようなものじゃないから、大学に入ってからも当然新しい理論を学ぶたびにその理論を使いこなすために問題演習が不可欠なのだ。
これは反ワクチンの話にも通じる。
反コロナの中には専門家の言ってる難しいことは分からないから、たとえ根拠不明の噂話でもその人が発言力があって理解できる内容なのでその言説を受け入れて支持しているみたいな人もいる。
これもワクチンの効用なり副作用なりの原論文にあたって理解する力があるのならこうはならなかったはずなのだ。
さきほど解説は最悪問題演習しなくても理解できるといったがやはりこう高度な専門的な話を理解するのにはその分野の問題を自分でも解けるような力が背景知識みたいなものとして必要になってくるんだと思う。
というのも高校生向けの参考書のガイドブックみたいなやつに、数学の参考書をまとめた部分の書評欄にはオリジナル問題集や黒大数などレベルが高いと名高い本に対してもせいぜい単に「難しい」とまでしか書いてなかったのだが、生物はお医者さんになろうや考える生物100選に対して、とても難しいので取り組むかどうかは担当講師に要相談みたいに書いてあったのだ。
このような評価は一つの塾のみでそうだったのではなく、東進と東大志望向けの小冊子と東大蛍雪会と最低二つの塾でそういう表現をしてるのを確認済みだ。
イメージとしては数学はいうまでもない一方で生物は考える余地のない暗記事項で成り立ってる部分が多いのだからどうやっても問題を難しくするには限りがありそうな気がするんだが…遺伝の問題にしたって解くのに用いるが法則やその適用のシビアさが数学より難解かといえば違うだろうし。
日曜に我慢できなくなって観た
気づいた事
東京からお茶の水行くとき、改札でスイカ使ってからホームにいるけど乗り換えあったっけ?地下鉄とか使ったのかもだが
・ミミズは普通の人には見えない←ダイナミックコードも普通の人は見ない
・ミミズの表面は安定していない←ダイナミックコードの作画も安定していない
・説明不足で誤解されるダイジン←ダイナミックコードも全体的に説明不足
・すずめ、すごーい!←スッゲー!スッゲースッゲー!
・そこに生活していた人々の思いを聴く←生まれた土地、イエ゛ッ、色んな土壌と環境であなたたちだけの音楽が生みだされてるんでしょ?
・お姉ちゃんのお金があったって全然割に合わん!←こんなlive…お金じゃ買えない!
・私が要石になるよ←お前が消えないなら…俺が消えてやる
カフェで一服してるんだが、隣に浪人生がいる。俺も大学入る前に1年間浪人してたのだが、テーブルの予備校教科書の名前的に浪人生で間違いない。カフェの近くにその予備校がある。こいつが本当にイライラする。
別に俺はカフェ側の人間じゃないので、カフェで勉強は迷惑だ云々の話をするつもりは一切ない。
こいつ教科書や参考書を開いて勉強を始めて、五分もしないうちにスマホに手が出るんだよ。ちょっと参考書眺めてはスマホ。ペンをとって始めたかと思ったら書きもせずまた参考書閉じてスマホ。勉強してる時間なんてほとんどなく、ほぼスマホと背伸び。
そもそも自分が予備校時代には予備校の自習室に缶詰だったから帰宅以外で外に出た記憶なんて殆どない。陰気な風貌と顔も相まってすごくイライラする。スマホの電源切って自習室行って勉強しろよ。
自分のポンコツ社会不適合者ぶりを冷静に見直した結果、専業主婦として男に庇護され養われることを選んだ。
半端に地頭はあったおかげで、子供時代はサボりがちだったがなんだかんだ地元公立高校→地元私大の文学部に進学できた。
しかし大学では地頭だけじゃ全然通用せず、不登校でもないのにただただ単位が取れずに留年、ファミレス等のバイトを一ヶ月足らずで連続バックレ、サークルのイベントをバックレしサークル自体もバックレなど弱者性を存分に発揮し、これは将来マトモに社会人をやれないな?とうっすら自覚した。
ゼミは噂で一番楽だと聞いた所に入った。ゼミの定期発表も当日までサボって博士課程の人にパワポを全部作ってもらうような有様だったが、夏目漱石の小説を3本読み読書感想文に毛の生えた卒論を書いてなんとか卒業した。
学生時代に告白され何回か付き合ったこともあった。が、みな数ヶ月で向こうから振って行った。多分気づかないうちに私の弱者性が出てたんだと思う。
ゼミに入ったころから専業主婦になる未来しか描いてなかったが、周りに合わせて就活はやった。当初サボってもクビにならなそうな(出世にはミリも興味なかったため)公務員に憧れていたが、参考書をパラパラめくって秒で諦め、結局実家から通える大手の孫会社のさらに下みたいな小さい企業に引っかかることできた。
仕事には正直何の興味もなく、実家で毎朝母に叩き起こしてもらえなければ半年でバックレていたと思う。この件もふくめて親には感謝しかない。
だがぶっちゃけ最初から寿退社しか頭になく、就職後すぐ自分で色々調べて県庁所在地にある結婚相談所に登録した。
相談所に登録するとき、スタッフの人に希望を聞かれ「すぐ結婚して専業主婦になりたいです。それ以外の希望はあんまりないです」と正直に答えた。
さすがに怒られるかなと思ったが「将来転勤される方や、お父様の会社を継ぐ予定の方で専業主婦をご希望の男性もいますよ」と案外具体的な提案を受け、これはもしや上手く行けちゃうのでは?と期待が膨らんだのをよく覚えている。
相談所で何回かお見合いを重ね、さすがに人としてどうなのという男性も何人かいたが5~6人目に今の夫と出会った。隣県の10歳上の33歳で、見た目はチョイブサくらいで普通にデートも奢ってくれる普通の人という印象だった。仮交際に入ってから聞いてみると、やっぱり何年後かは分からないけど転勤がありそうと。申し訳なさそうに言われたので「私は全然着いていくよ!」と答えてこっちからグイグイ押し、そのまま社会人1.5年でゴールイン。無事寿退社して夫の職場近くに引っ越した。
その後、予言通り結婚2年目に予言通り東京へ転勤、その後3年してまた別の地方の工場へ転勤。その間今までずっと専業。東京時代に子どもも生まれた。
https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き
カフェレーサーというのは1960年代にイギリスで流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである。
カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル、通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。
このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。
すると、カウルのハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。
そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。
珍奇とは他と違うという事だから、所属を表す象徴の作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族的である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である。
これはバックミラーを鬼のように付けたモッズのベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前の祭りの山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用的であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。
一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用の問題が絡んでいる。
カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。
だから更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である。
あんな高い所にカウルとヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである。
車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。
これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明のエントリがあったはずだが忘れてしまった。
もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。
次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代~60年代のバイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。
これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。
次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイスと進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。
現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素な製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである。
1968年に富士重工がラビットスクーターをディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年にディスコンになるとスクーターはベスパ以外製造されない時期が続いた。
ホンダはここにバイクと無縁な主婦の市場があると見抜き、1976年にラッタッタでお馴染みのソフトバイク、ロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化と低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンでリリースする。
この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れます、バイクとは違うものですってイメージにならない。
そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。
http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html
歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデルは小川ローザだ。
それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所はスーパーや自転車屋であってバイク屋ではない。内装はナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。
ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。
1986年に原付もヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。
こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族やヤンキーしかいない。なのでまた所属の象徴化である。それで90年代にはヤンキーや暴走族を象徴するアイテムになった。
だからロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ。
更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称は60年代を借用して実体のオリジナルは70年代にある、という錯綜した現象なんである。
ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットをgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。
70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイスは暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。
このタイプのデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。
暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字の名前と分かれている。
これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナの名前を使う。
一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフや漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値の問題である。
街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分でエンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。
こういう風に族車デザインは当初はスピードの象徴であったものが文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体が価値を持つという現象である。
特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。
カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーとロケットカウルを組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である。
こんな珍奇な族車だが、実は日本のキッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。
試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?
日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツ、フェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこちが大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本のキッチュ大好き国民なんじゃないかな?
更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku
出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本の暴走族ファッションを中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディースの特攻服風着物が特に人気のようだ。
そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。