はてなキーワード: 世界地図とは
かつて趣味で小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系は歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ、物事を大局的に眺め、出来事の意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的な文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。
とはいえ、いきなり中世ヨーロッパを舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。
仮に十年前の日本を舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定に仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。
ところで、増田は世界史を勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパの知識が欲しい」と「知識欲から漠然と世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマやレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界の歴史」シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。
さて、過去の世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点が必要だと考えている。数理的視点、物質的視点、非物質的視点、それからエピソード的視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。
さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史の知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。
過去の世界は偉大なようだが、人口は現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物や工業製品の生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世の大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッドや紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ、庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリの城壁は今や環状線であるが、今のパリの都市圏はそれを越えて広がっている。
さて、小説を書く上ではリアリティが必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家の人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市と都市の距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか。集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代の数字をおおよその知っておくことで、明らかに不自然な描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界の人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。
要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士や農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田が必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市や農村、城の生活が細かく書かれている。
他に、当時栽培されていた植物や動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。
また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田が視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築や芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。
加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。
これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識や文化にまつわることだ。当時の科学知識、価値観、法律、迷信などもここに含めてよい。
さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活を想像するのはこれでさらに難しくなる。
たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランドの自由市民は犯罪が生じた場合には、その犯人を逮捕・処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。
ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャーや迷信に出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識の世界地図」が面白い。
法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田は理系だから「磁力と重力の発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識がいかに科学になっていくかを肌で感じられる。
当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。
キリスト教・宗教史に関しては、聖書のエピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。
これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事が世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。
このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家の歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズがおすすめだ。
当時の人々に身近だっただろう中世の騎士の物語については、ブルフィンチがアーサー王伝説、シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別に「マビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。
ギリシア・ローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスもオウィディウスも岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味の領域だから、小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点は面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。
もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。
以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパの歴史」「十二世紀ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界の形成」(ただしこの本は著名な王の事績がほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人からの視点として「「イスラーム」から見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。
書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。
他に、中世を舞台にした小説・映画もおすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ「薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ。
中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。
だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要な情報があるとしても、そもそもその資料は存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。
もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。
もうひとつ忘れてはいけないのは、増田は研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識は目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観が現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。
大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入しやすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマの戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。
そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネットと書籍の媒体の差だと思っている。
また、レッドオーシャンの中世ヨーロッパ風ファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である。
だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説も所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。
それを防ぐには、面白い小説を読み、面白いものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。
数学や物理を大人になって学び直したら、「そんなことあるの?」とびっくりした概念を書いていく。
地球儀を切り開いて、平面にしようとしても、2次元の世界地図はできません。
という定理。
3次元⇨2次元への距離を保った変換はできませんということを示しており、これを発展させた弟子のリーマンが、「じゃあ、4次元から3次元とか、もっと高次元でも同じじゃない?」とリーマン幾何学を創出。後の相対性理論(空間が曲がる)の記述へと繋がる。
2位 論理回路
信号機とかのプログラムを電気回路で表現するにはどうすればいいのか?ということの理論。
4ビットの信号(0101みたいなの)だと、16通り応答が必要となる。簡単に考えれば16通りの設計が必要そうだけど、カルノー図を使った簡易化という謎のテクニックにより、なんとかなり簡単に電気回路を設計することができる。
物理では、位置エネルギーとか運動エネルギーとか謎のエネルギーという量が出てくる。
なんと、解析力学では、「謎のエネルギーの方が本質であり、運動とか位置とかはエネルギーから導かれる。エネルギーが先、運動や位置が後」という理論。
4位 再起構文
再起構文というのを書くと、ナルトの「多重影分身」みたいなプログラムが書けたりする。
いまだに原理を理解できていないけど、結果的にそうなってる。不思議すぎる。
なんと、光の半分くらいまでしか画像を読み取ることができない。
光以外にも、エコー(超音波)で体の中を観れるけど、あれは超音波の波長が0.5mmとかなら、0.25mmまでの物しか判別できない。
だから何?と思ったけど、半導体制作で「波長が短い(nm)の光を使って半導体を描くので、この理論を使います」とか、いろんなところでかなり効いてくる理論みたい
6位 5次以上の方程式の解の公式(代数的な表現の)はない。(ガロア理論)
これは証明をぜひ追ってみて欲しい。
実際に、これらの手法が提案されたときは数学的な記述ができなくて、「それ本当に成り立つの?なぜ?」ということで数学者が紛糾。
量子力学とかも物理の不安定な理解が、数学的にどう不安定なのかが納得できる。
・地中が映って選手メタファーの種から芽が生えてくる→なんで種?それで表現するなら選手という花から種が散布される感じだろ?
・コロナっぽい練習風景→取って付けたようなコロナアピール。突貫工事としてはマシな方か。でもつまんね。
・四季っぽいなにか→せっかく作ったので無理やり入れました感。いらんわ。まあ発注したから金払わん訳にもいかんししゃーないっていう公共事業の常か?
・抽選会の思い出映像→普通。文句はないが褒める気もない。まあ意味不よりマシか。
・歴代選手と自衛隊による国旗運び→伝統だからしゃーないんだが、いっちにーいっちにーはダサすぎ。練度の低さ全世界放映すんな。
・国歌→まあ・・・日本の文化レベルじゃアレが限界だろ。頑張ったな。
・謎のIOCのオッサンやスポンサーの映像→いらねー。まあ舞台のセットし直しがあるからしゃーないか。でも言ってることと実態があってなさすぎ。
・大工タップダンス→ザ・ゴミ。仕事してるふりして踊ってるだけの人たちはなんかのメタファーか?国辱レベル。
・提灯軍団→提灯持ちの入場だ~~~~~。なんかのメタファーか?
・東京五輪のときの木→過去の栄光にすがりついてカーゴカルトするの辞めろっつってんだろ。
・ゲーム音楽入場→日本の文化なんてゲームぐらいしかねーんだと割り切れて大正解。そうだよ。こんな島国に求められてんのなんてそれぐらい。客の求めてるもんだしときゃ良いんだ素直に。
・各国選手入場→政治大好きちゃんじゃないからチャイニーズタイペイ~~とかはどうでもいいですわ。マッチョな旗手とか居たのが面白かったな~~ぐらい。正直道短いんだけどさ、これぐらいの方が今どの国がメインか分かりやすいしいいんじゃねーかなとは思った。
・積み木ゴッコ→キモいマスゲームだな~~~とは思ったけどロゴのコンセプトを伝える努力をしたのは良かった。パクリロゴだったら出来てなかったと思うと感慨深いね。
・ドローン→ええんとちゃう?最後世界地図になるってのも後付っぽいけどオリンピックらしさがあってよかったんじゃない。
・色んな人の宣誓→言ってる内容と実態が全く噛み合ってない棒読みはなんかのメタファーか?とりあえず言っておけばいいって感じのメタファーか?宣誓の内容を聞く限りは開催するに値する状態じゃなかったようにしか思えないぞ。
・お歌のコーナー→まあ、無難。つうかバッハがクソすぎて脳がもう判断力失ってる。
・ピクトグラムコーナー→こういうのってわざわざ「俺凄いでしょ~~~」って言い出したら負けだと思う。
これにぶら下がってるコメントを見ると、これが日本人の自覚なき人種差別だなっていうのがよく分かる。
このtweetに対して騒いでいる人たちは、中国人は世界を我が物にしようと世界地図を書き換えていると怒っている。
ただこの世界地図をよく見ると、アジアを中心とした世界地図(日本で見るものと一緒)の上に、中国をオーバーレイしているだけの地図だということが分かる。
その証拠に、色のついた地図の右上部分の形が、本来中国があるはずの位置に境界線として描かれている形と一致している。
「本来はここだよ。抜き出して中国の形をわかりやすくしているよ。その上で世界との時差を確認してね。」
ではなぜ、それ以上でもそれ以下でもない地図に、このtweetにぶら下がる日本人は中国人の支配欲を見出しているのだろうか。
それこそが中国人に対する偏見であり、差別意識の表れであり、ありもしないところから勝手に被害を持ち出して怒り=自らの攻撃を正当化しようとする身勝手の表れでもある。
これを見ても、「普段からの中国人の振る舞いが」とか、なんとか日本人を擁護する考えが芽生えてしまうなら、それも差別意識だということを付け加えておきたい。
デザインの敗北であることは否めない。しかし、それだとしてもそれ以上でもそれ以下でもない意味しかそこにはない。
この地図には、中国人による支配欲なんてものは微塵も表現されていないといことだけが事実である。
それに対し、「だから中国人は!」と批判することがどれだけおかしなことで、どれだけ間違っていることかわかっていただけるだろうか。
それが特定の国の人間を、勝手なステレオタイプに当てはめている人種差別と言わずしてなんと呼ぶというのか。
ついでにいうと、背景の世界地図自体、中国が中心にあるわけではなく、アメリカ大陸も左右に分断なく収めようとしているじつに合理的な世界地図でもある。
つまりはこの人達が思い込んでいるような身勝手さは微塵もないということだ。
これにあるはずもない中国人らしさを見出してしまった人は、それが自覚なき差別意識なのだと、まずは自覚するところから始めて見ると良いと思います。
「日本のゲームより海外のゲームのほうが面白い→だから日本のゲームはもう駄目だ」という問題認識自体がもうむちゃくちゃなんだな。世界地図見たことあるのか?という
「日本」と「海外(日本以外のすべての国)」という比較なんだから、そりゃ後者が勝つに決まってる
国別で見たら、アメリカがダントツ(これはどのエンターテイメントでもそうだから当然の結果)すぎるだけで、そこに差をつけて日本、イギリス、カナダあたりのグループがある。いまだ日本はゲーム開発強豪国と言える。その下にフランス、ポーランド、中国のグループがあって、その下にそのほかの国々が並ぶ(これは具体的には2020年のTGAで各賞を受賞したりノミネートされてるゲームをチェックした)
スキー板の購買基準はプリントデザインとブランドイメージで良いと思います。なお、異論は認めます。
鮮やかなブルーカラーと、潔い"RACE"の文字が特徴。S/RACEというモデル名を前面に出しつつ、テールには板の長さや細かいモデル名がわかりやすく表示されている。その反面、"salomon"のメーカーロゴの文字は非常に控えめで、簡潔なモデル形態と相まって非常にスマートなデザインに仕上がっている。しかし、ただスマートなだけでないのがこの板のカッコいいところだ。サロモンレースチームのコンセプトである"Sons of a Blast"のロゴマークがささやかに描かれているほか、20-21モデルではソール面に"SONS OF A BLAST"文字が大きくプリントされている。ゲレンデに吹く風のようにクールな外見と、その内に秘めるアツく激しい情熱が伝わる秀逸なデザインといえるだろう。
・Nordica DOBERMANN
赤黒のカラーリングと、ビンディングの前側に居座るドーベルマンのアイコンがイカツい一台。特に、小回り系の板はデザインのマッチョさがさらに映えており、SLレーシングモデルの"DOBERMANN SL WC"は板のトップに取り付けられたキャップがさらに力強さを際立たせている。ソール面にはトップにノルディカのロゴマークが描かれているほか、モデルによってはテールにドーベルマンのアイコンが描かれている。この板に乗るからには、固く締まったアイスバーンを凶暴にえぐりながらターンしていくような攻撃的な滑りをしていきたいところだ。
雪面で映えるオレンジのベースカラーに、黒もしくは藍色のメーカーロゴがシンプルに描かれる。一見シンプルすぎてつまらないデザインに思われるかもしれないが、ビンディングの前や、テールに記される"FIREBIRD"の文字に、翼をモチーフにしたアイコンがさりげなくデザインされている。削ぎ落したデザインの中にある細やかな工夫と、それに調和する"FIREBIRD"の名前に美しさが光る一台だ。
・ROSSIGNOL HERO MASTER 20-21モデル
14-15モデルから始まったHEROシリーズのデザインを踏襲しながら、さらにカッコよく進化させたデザインとなっている。鮮やかなオレンジ色のグラデーションや、ディスプレイにノイズが混じったような文字のデザインは、他メーカーの製品には中々見られないようなデザインながら、非常に完成度の高いものとなっている。鮮やかながら落ち着いたプリントデザインは、復活した老舗メーカーの新時代を想わせる。
・ROSSIGNOL Super VIRAGE V-LTD/V-TECH
"Super VIRAGE"は、かつて日本市場向けに開発され、日本中のゲレンデを風靡した憧れの名機である。この名機は約20年の時を経て、90年代を思わせるようなデザインをまといついに復活した。テールの"Super VIRAGE"のロゴマークはかつてのモデルを踏襲したものとなっており、ピンク色のベースカラーの上に描かれる濃いブルーの模様は、世界地図となっていて芸が細かい。そして、2021年現在ではかなり異彩を放つデザインにもかかわらず、トップに描かれるロシニョールのロゴマークが、他現行モデルとの統一感をしっかりと醸し出している。非常に賛否両論分かれるデザインであり、クソださく感じるスキーヤーも多いと思われるが、復活した往年の名機にふさわしいようなデザインであることには間違いないだろう。
1979年に誕生したロングセラーモデルの小賀坂Unity。14-15モデルから、白地に大きく"Unity"の文字を描く1979年当初のデザインが復刻し、「中身は毎年改良するが、デザインは極力変更しない」という理念と、本物を追及していく小賀坂の姿勢をひしひしと感じるデザインとなっている。他メーカーと比べて派手さや鮮やかさに欠け、垢抜けない雰囲気を感じてしまうものの、長い時を経てもなお強く流れる不変の小賀坂スピリットを感じるようなデザインであるといえるだろう。
大手メーカーのマジメなデザインとは違い、特徴的なフィッシュテールとアーティスティックなグラフィック、そして、遊び心あふれる工夫が存分に凝らされたデザインとなっている。年式によってデザインが大きく異なるが、魚の鱗を模した模様や、魚の形が浮き出るトリックアート、飛行機の絵など、どの年式のデザインも非常に美しいものになっている。そして、そのデザインを台無しにしないよう、メーカーロゴやモデル名のロゴはささやかに記されている。また、滑走面に描かれた「魚」の文字を模したマークは秀逸で、文字の一部が欠けているのは、この板の開発に携わったスキーヤーEric Pollard氏の頭文字"EP"をもじっているからである。
レーシングの世界で強い存在感を示すHEADであるが、板のデザインは少し残念に感じるところ。白地に黒でメーカ―ロゴなどを描くシンプルなデザインだが、白い雪面に対して白ベースのカラーなので、非常にデザインが薄味になってしまっている。そして、この薄味デザインは"World Cup Rebels(ワールドカップの反乱者たち)"という名前に対して完全に負けており、どうしても腰砕けな印象を受けてしまう。HEADのアルペンスキーシーンでの活躍は、(反乱者というより、むしろ支配者の気がするけど)決して名前負けしていないものであるが、デザインがその名前をショボく見せてしまうところが非常に残念だ。
地球儀のような食べ物が目の前にあった。それに唐辛子をかけた。
舌だけが砂を散りばめたように痛い。
煎り芥子がたくさん入っている。
体が焼けるように痛い。
深夜の散歩。
ぼくが目の前にいる。
眼の前のぼくはおれだという。
ぼくは手に持った唐辛子をかけて逃げた。
体中がかゆい。
家に帰った。
体中が真っ赤だ。
サラマンダーがいるとすればこんなふうに走り回るに違いない。
火山が爆発した!
火砕流で人が逃げ回っている。
テレビは真っ黒になった。
真っ黒な俺。
あれは唐辛子の塊だ。
唐辛子は俺の中に入り込んだ。
ぼくとおれは巴状に高速回転した。
中心が光った。
星々が集まってくる。
輪っかができて。
星が回って。
太陽系だ。
ぼくはようしがいい。
おれは反対にようしがわるい。
僕はそうして再びこの部屋に「いた」
朝食の時間だ。
もう一人の僕が万華鏡のように僕の中にいる。
同じように万華鏡の外にもう一人僕がいる。
その外側にも僕がいる。
俺が来ない限り朝食の時間は楽しめそう。
一週間なんてとんでもない。