はてなキーワード: ケアとは
小学校低学年までは東京在住→北関東に引っ越しだったので、親に連れられて徒歩ないし電車で出かけた記憶は、幼少時に集中していたりする(北関東は車社会なんすよ)。
そして東京と言えば雑踏・人混みという印象が強いし、それはまあだいたいあってるのだが、ウチの親は、この人混みを巧みに避けて自分を連れて行っていたことに今頃気づいた。
例えば駅での乗り換えでは、大きな駅で乗り換えないよう、その前後の駅を使うようにしていた。
新宿の代わりに代々木・中野・高田馬場で、東京の代わりに神田で、上野の代わりに日暮里という具合に、上手いこと乗り換えていた。
やむなく大きな駅で乗り換える場合(池袋とか渋谷とか)はいつもの3倍位、自分の立ち振る舞いに口うるさかったっけ。
そもそも都内にいながら、大きな駅があるような場所には殆ど出かけず、大抵の用事はなるべく近場で済ませるよう、当時は電話帳をフル活用して調べていた。
徒歩で公園に行く場合は、人が集中する出入り口は使わないどころか、一切近づけさせなかった。
大きくなってから分かったけど、こういう人混みが誘拐犯ホイホイ・痴漢ホイホイであることを踏まえると、実に真っ当で現実的な判断だったと思う。
というか、彼らは人口密度が上がれば上がるほど元気になるという意味でも変態なのかも。
まあ、親に言わせれば当然のことをしたんだろうけど、とても感動してしまった。
具体的に言うと、パックの納豆にごま油小さじ一杯、チューブのおろしニンニクを2センチほど乗せ、これを混ぜてご飯にかけて食べてる。朝飯と晩飯。
その効果がすごい。
まず疲れない。寝不足も平気。何時間でも連続して働けるようになった。
二日酔いにも効いて、前夜深酒してもまったく後を引かない。
俺は季節の変わり目になるとよく体調を崩していたんだが、今年はそれがない。
食事直後は妙に体がぽかぽかして、ちょっと乳でかい女の子を見掛けただけでもギンギンに勃起する。
なんというかやばい。肉体と頭脳のリミッターが外れたみたいな状態になる。
お前らもやってみろ。こんな簡単なことで人生って変わるかもしれないぞ。
なんか考えがズレているな。
結婚ってのは、そもそも結婚した男女が子供をもつということが暗黙の了解になっているからこそ、制度はいろいろな保障を行なってるんだろ?
契約そのものは個人間の合意によってなされるものであっても、その制度は、子供、孫そしてさらにその先の世代をつくっていくこのシステムに対してケアしているわけだ。
そのケアすべきシステムを「家」と呼んで保護しているわけで、結婚するときに単一の姓にすることは、当然のことだろうに。
ある男に傷つけられた経験から、男性全体に嫌悪感を持ち不条理なレベルの批判に繋がってしまってるんだろうってのは分かってる。(俺はね)(それすら分かってない馬鹿な奴もいるが)
分かった上で、そういうトラウマがあっても意見が不条理だったら断固否定していくって姿勢。
友達や家族や恋人みたいな個人個人の緊密な人間関係の上ではトラウマに配慮するのもいいと思うし俺もそうしてるけど、
ウェブの行きずりの相手だの、社会的な事柄についての議論の場だったりでは、他人のトラウマに配慮してらんないんだよ。
そもそも人間の意見なんて、遺伝、家族、環境、対人経験、もろもろ、なんかしらの原因に作用されて作られるわけで、性格は全てトラウマの積み重ねだとすら言える。
でもだからって、滅茶苦茶極端なことを言ったりやったりする人に同情して「きっと事情があるんだねえ、大変だね、気持ちがわかるよ」って言ってたら狂人大勝利になるんだ。
毒母に育てられたり、女に手ひどくフられたりでミソジニーになった男を、議論の場で女は仕方ないねえというのか?
ジョン・ゲイシーだのヘンリー・リー・ルーカスだの、幼少時の虐待が連続殺人に結びついただろう殺人鬼は沢山いるけど、あいつらは逮捕されなくていいのか?
それと同じで、過去のトラウマから、問題提起じみたスタンスで不条理なことを言うようなら徹底的に反論する。
性犯罪を減らすだの、その後のケアや処理をいい感じにしてくって話を妥当にされるんだったら賛同することもあるが、
ユーフォニアムの絵に男根のメタファーを感じると叩いたり、あるいは反性犯罪が趣旨でもアプローチが無理筋だったら譲ることはない。
内心同情したとしてもそれを見せることは(こういう場所以外では)ない。
そのケアってのが「暴力振るわれたりレイプされても我慢する」って事なら
何でそんな事してやらなきゃならんねんって話になるわけだが
一級の大先輩ですね。僕はまだまだ下っ端です。
自転車の事故ですが、知り合いはバイクで車につっこまれて車いすになりました。
公共交通機関にのってても事故で障害者になる可能性はありますし、それは誰にでも存在することだと思います。
最近はいろんなところで終末ケアとか安楽死とか聞こえてくるようになってましたが
例えば家族も本人も同意して国も幸福追求権として認めてくれればいいと思います。
僕もおそらく年間7,800万円は公のお金を食いつぶしている身なので、これだけ納税するには2000万とか稼がないと恩返しはできません。
ほんと、援助を受けてる側からしたらこの国のシステムはすばらしい。
http://www.goodbyebluethursday.com/entry/2015/11/11/184513
もしも自分の子供が「就職せずに自分の夢を追いかけたい」と言ってきたら、あなたはどうしますか?
私はこの人に近い考えだと思うのだが、
今その時にやりたいことをやらせてあげるのが子供の幸せに繋がるとは限らない。
うちの子は本が好きだ。できることなら好きなだけ本を読ませてあげたいが、
放っておけば食事や身の回りの事をそっちのけで没頭する。
やむなく本を読むのは基本的な生活を逸脱しない範囲に規制せざるをえない。
食事が偏れば体調を崩す。歯を磨かなければ虫歯になる。
パッチを当てる役目は親や周りの大人たちの役割ではないだろうか?
歩きながら本を読んで車にはねられてからでは取り返しがつかない。
成人しているのなら、
というか言われるまでもなく好きにするだろう。
かつての自分がそうであったように。
その夢が自身や周りの人々の心と身体と金銭に対して脆弱性を持っているなら、
きっと私は黙って見過ごすことは出来ないだろう。
出来る限りは手や口を出さずに見守るだけに留めたい。
幸せに暮らして欲しいと願うが、子がそれに応えて幸せに暮らす義務は無い。
あと十数年、彼女達が大人になるまでに子離れできるだろうか。
結果
面倒臭くなったのでここまで。気が向いたら追加する。
そんな、るんるんな気分、
すごいモイスチャー感あふれる
このモイスチャー感が
意外と増田で油断してたら
割れるわよ!
身元が!
いや違う違う
クチビルが!
最近思ったのよ。
気温どうのこうのより
湿度は気にしてた方がいいわ。
そうそう、
湿度について調べてたら
わりと高価な湿度計には
ギロッポンのパツキンのちゃんねーの髪のモイスチャー感がいいのかも知れないわね。
きっと!
たまには湿度のことも思い出してあげて下さい。
中から潤いそうね。
この満たされそうな感じ。
モイスチャー感を求めて
なんかモイスチャー感あふれてる感じがしないかしら?
はい!モイスチャー!モイスチャー!
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
という話が話題になっている。
http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2015/10/26/144601
この記事の中で、
という話がある。
痴漢されるのは魅力的な女性だけではなくほとんど無差別なのだ。
ということが言いたいらしい。
幾つかの記事をみてもそういった話が出てくる。
しかし、近年のジェンダー問題やフェミニズム、弱者男性、非モテの話等を組み合わせてこの問題を探っていくと
ある一つの考え方が浮かんでくる。
被害女性に対する第二の被害を起こす社会を是正しようとする彼ら彼女らはこのあまりにも醜い一つの問題点を認識していない。
いや、そもそも認識することができないのかもしれない。
それは
ありていに言うと嫉妬や羨望だ。
この世の中には身体的な接触を行うことすら抑制された人々が存在する。
自分から握手を求める。道を通りがけに人にぶつかる。相手の目を見る。
そういった自分が存在することによってこの世に迷惑をかけているのではないか?
接触することがしてはいけないことなのではないかという認識をしている人達が存在する。
こんな自分でも誰かに触ってもよいのではないか、触られ、求められることがあるんじゃないかと常に妄想し続けているのだ。
この承認欲求と自己の感情がないまぜになった醜い思考をやめることができない人たちが存在する。
彼ら彼女らが痴漢被害にあった女性に対して何を思うかといえばそれは明白だ。
「嫉妬」だ
そう。
端的にいえば、痴漢被害を自慢だと思う人たちの自己評価があまりにも低すぎるからこういう発言が跋扈するのだ。
痴漢被害者に文句をいう彼ら彼女らは心のどこかで他者に触れることを禁忌としている。
少なくとも自ら触れることは神に罰せられる許されざる行為で自分だけがそうしてはいけないのだ、と認識している。
もし痴漢被害を「自慢」と取られたくないのであれば彼ら彼女らへのケアこそが重要となる。
あなたも社会から求められているのですよ。という承認欲求を満たしてやらなければならない。
しかし残念ながら社会は彼ら彼女らのような心も体も醜い者たちに救いの手を差し伸べることはないだろう。
この怨嗟の声がやむことはない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/wedge.ismedia.jp/articles/-/5510で「肝心の症状が出た人をどう治療していくかの視点がちょっと欠けてない?」という米を見かけたので「だから、原因不明だと思うならワクチン以外の原因の可能性も考えておかないとダメなんだ」という話をちょっと書く。
はてなーには有名な話だけどちょっと前まで「ワクチンのせいで自閉症になる」という話があった。もちろんデマである。現在ではその話の元になった論文がデータの取り扱いがでたらめであった捏造論文であったことがわかっている。
このデマは信じた人がたくさんいた。予防接種の後に自閉症になったと思った自閉症児の親が本当に無視できないぐらいでてしまった。その結果何が起きたか。
自閉症児に対して標準的な、現在適切と考えられているケアを行わずに、予防接種で体内にはいった有害物質を取り除こうという治療にのめり込んでしまった親がたくさん出てしまった。適切なケアを受ける機会を奪われた児がたくさん出てしまったんだな。
仮に今ワクチンが原因だ!真相を究明しろってことにのめりこみすぎると、心因性な人たちの治療の機会が奪われてしまうんだな。
海外では日本みたいな騒動が起きてないってことにもう少し注目してほしいと思う。
原因がわからないから心因性だっていってるんじゃないんだよ。すでにたくさん海外で予防接種がされていて、副反応の症例報告もそれなりに蓄積されてるんだよ。
精神的にキツくて、メンタルケアに行った。ケアされたいというよりは、自分に発達障害の兆候があるような気がして、診断してもらえるというクリニックを選んだ。
来院して、発達障害を判断するために20問程度のチェックシートをやった。ネットで見たのと同じやつだった。
「発達障害ではなくて、うつです。薬で必ず治ります。頑張っていきましょう!」
と言われてあっさり終わった。
医者は儲けのために患者が必要で、儲けのために診察期間を長期化させることしか考えてないんじゃないか、そう考えてしまう。
医者は俺が発達障害ではなく、うつである方が都合がいいと考えているんじゃないか、そう考えてしまう。
もらった診察券も薬の処方箋も速攻で捨てた。やはりオレは病んでいるのか、教えて欲しい。
二月ごとに年金90万
退職金は1700万
車は買わず、持ち家はローン返し終わって、固定資産税は安い田舎で
夫との中は悪くないが離婚する意気地はない。なぜなら仕事はパートでさえ長続きしたことがないから
暇すぎてありとあらゆるものにケチをつけ、世界は妬み嫉みと悪意だけでできていると力説する
自分は誰よりも優れていて頭がよく、センスも抜群、妬まない奴なんていないと思っている
親切にされるのは当然、それすらも下心があってのこと
腹をたてる人がいてもやはり自分の気を引きたい、甘えた子供のような精神だからだと断罪する
ありとあらゆるものが自分を中心に回っていると思っているけどあんたはただのおばさんだ
どれだけ本を読んでも、ボーダーやサイコパスを知識として仕入れていても自分のことだとは絶対に思わない、認知の歪んだ人間だ
あんたの年金はどっから出てると思ってんだろくに働いたこともないくせに
あんたが薬飲みすぎるたびに呼ばれるのは誰だと思ってんだ
自分は親のことを憎んでいるから縁を切ったというくせに、子供に対してはそれを許さない
何かあれば癇癪を起こして物を壊すあんたが子供以外のなんなんだ
世間体が気になって結婚しろと言うくせに、子供が相手を連れてくれば全力で潰そうとするあんたのどこが賢いんだ
今まで散々人のことを馬鹿だのブスだの人の気持ちがわからないと入っていたくせに妹に反撃されたら頭のなかで妹と俺がいれかわったらしい 昔から一番心が優しかった?反吐が出る
その貯蓄がなくなったら金は出してやろう
働かずに人の金で食う飯はさぞかしおいしかろう
桐谷美玲似の彼女が居る男のセフレだった時期がある。桐谷美玲似が共通の知り合いだった。
以下セフレのことはA男とする。A男は完全に私のタイプの顔だった。目尻が垂れていて、眠そうな幅広二重の大きな目。鼻筋はスッと通っていて、歯並びの良い口元は横顔まで綺麗だった。私の元彼は顔が大きくて肩幅が狭く、あまりスタイルが良くなかったので、A男の肩幅の広さや身長の高さ(177cm)、首周りのバランスの良さや脚の長さには惚れ惚れした。とても手が届かないと思った。でもA男は女にだらしなく、彼女が居ても別の女をセフレ候補としてとりあえず口説いておくような男だったので、私もA男と寝ることができた。並んで外を歩く気は起こらなかった。A男が並んで歩くなら、桐谷美玲との方が明らかにバランスが良かった。私は喪女ではないが、美女では決して無い。桐谷美玲ともA男とも、並べば非常に見劣りする。自覚はある。
A男はサイドの髪を短くして、身体も鍛えて(オアシスとかいうジムに通っていた)、一見オラついていると言えなくもない見た目をしていたが、私とのセックスでは完全に「受け」だった。童貞喪失が年上女性だったらしい。セフレだった頃、A男は26歳、桐谷美玲は25歳、私は23歳だったが、A男は本質的には年上に攻められるのが趣味で、社会的地位もA男より低く年下の私に「上位女性」として攻めて欲しがった。桐谷美玲にこういうプレイは頼めないようだった。A男は私とセフレになる前から既に乳首が開発されており、舐めてやると腹を波打たせて、背中を反らして、顔を横に振って悦がった。乳首だけで射精できるレベルではないので、陰茎を放置して乳首だけ20分30分と攻め続けると、目に涙を浮かべて呻きながら震えていた。女受け重視で細マッチョに鍛えたヤリチンの身体が、快感によじれる様子は本当に絵になった。乳首だけを攻められ続けて焦らされて焦らされてカウパーを垂らしながら耐える表情は本当にエロかった。美しいとも思った。A男は体臭ケアに余念が無く、体毛も全剃りではなく量を減らすような専用の剃刀で減らしており、スキンケアや髪型のセットに随分凝っていた。「女に熱烈に身体を求められる俺」が大好きな、ナルシシストだったんじゃないかと思う。ただ、肛門に指を突っ込もうとしたときには「それはマジで怖い」と断られた。
A男は元サッカー部で、Jリーグやヨーロッパサッカーの話を好んだが、私は興味が無いのであまり聞いていなかった。音楽の趣味も合わなかった(A男はワンオクとか聴いていた)。漫画の趣味も合わなかった(A男は「あひるの空」や「アオハライド」を読んでいた)。関係は1年ほど続いたが、桐谷美玲と別れたことでA男が情緒不安定になり、私宛に面倒くさいLINEがいっぱい届くようになったので嫌になって連絡を絶ってしまった。A男は元々不安定だったのだと思う。桐谷美玲がメンタルケアをしてくれて、私が性癖をフォローしていたことで、とりあえず上手く回っていただけで。私にメンタルケアはできないので、連絡を絶ったことに後悔はない。ただ、本当にエロかったなあ。もし私が男性に生まれていたら、お金を払わないと自分よりずっと美しい異性は抱けないだろう。ホテル代はA男が出してくれていた。いい男だった。男性が「メンヘラ女はエロい」と言うのを聞いたことがあるけど、メンヘラ男もエロいと思う。自己愛、自意識、承認欲求、性感に悶える自分に陶酔している感じ。美しい身体。声も良かった。本当にいい思い出。私の人生にあの1年があって良かった。
ここさけとやらを全然知らないんだが
いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
これが「奇跡的」なの?
と言うから小学生くらいなのか?と思ったけど、調べたら高校生だよね?
高校生にもなりゃ共働きで当たり前じゃね?例え母親が専業主婦だったとしても、子供を置いて出掛けたりする事もあるよね?
それでいちいち「びくりと身構える」とか「胸が張り裂ける」とか大げさすぎでは?
増田んちの母親はずーっと専業主婦で、高校生の子供を一人で留守番なんて絶対にさせないザマス!とかいう人だったの?そっちの方が異常では?つーかマザコン??
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
転勤族が子供幼いうちから一軒家なんて買うかよ。いつ転勤になる=引っ越すか分からんのに。
新興住宅地に住む=転勤族・新参者、という発想って事は、そうでなければ親の家に同居するはずとか思ってんの?どんだけ田舎?
母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
いやだから高校生にもなりゃ母親働いてて当然だっつーの。金持ちばかりの高級住宅地ってならともかく普通の住宅地だろ?
そもそもそんな濃い近所づきあいなんてのも新興住宅地では存在しねえっつの。どんだけ田舎?
えっいかにも「心に一物抱えてる子供です」的説明に見えるけど?
そんな子供は中二入ってる思春期ならごくありがちだから何だかんだで平凡だ、ってなら分かるけど、そういう意味で平凡つってる訳じゃなさそうだし。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
むしろ(「父親」側である)製作者&視聴者の「普段子供にあまり関われてないけど子供は自分の影響受けていて欲しいなあ」と言うドリームを反映した、
家族モノとしてはごくごくありがちで手垢の付いた設定だと思うけど。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
離婚した女は再婚して男に頼ったり育児放棄するのが当たり前でそうしないのが特別だと思ってるの?どんだけDQN?
全体的に、ホラーでもないしありがちにしか見えないなあ、と思ったんだが
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
感受性高い高校生とかならともかく、父親になるような年齢でその精神力って幼稚過ぎるんじゃない?
と思ったが父親なのに友人と連れだって映画行くって辺り、若くて父親の自覚なくて奥さんと子供放置で独身時代と同じように友人と遊んでるみたいな父親か?
やっぱり、どんだけDQN?
http://anond.hatelabo.jp/20151005175917
の続き
「心が叫びたがっているんだ」を語るにあたって、最も欠かせない部分。それは学園パートではなく、家庭でのシーンにあると思う。
意外に思ったはずだ。学級会議で突然歌い出した成瀬に対するクラスメイトの人間的にまっとうすぎるリアクション。そしてそもそも成瀬のような生徒がいじめられていないクラスという環境。最初の印象は「やさしい世界」そのものだった。
しかし一方で、私はこのクラスの環境について、全くのファンタジーだとも思わない。私自身、近い環境は経験したことがあるからだ。私は高専という5年間同じクラスで学生が生活をし、工業系ということでオタクばかりが集まった中で学生生活を送ったことがある。それがちょうどあのクラスの環境に似ていた。いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
ともかく、「やさしい世界」的に描かれた学校のシーンは、とても淡泊なものとなった。これはいじめ描写を除外することでその他のドラマに描写を注ぐためだったのだろうと思う。(本当は少し違うと思うのだが、後述する)
そのドラマとは当然青春ラブストーリーもあるが、それよりも重要なのは家庭のシーンだったと考えている。
まずは描写も直接的でわかりやすい成瀬の家庭について説明する。
まず、女手ひとつで子供を養うために母親が就いた仕事が「保険の勧誘員」というところ。ある程度年齢がいった女性が中途で採用される職業で、比較的安定しており生活が成立する収入を得られるものとして、典型的なものだ。彼女らの仕事は半歩合制であることが多く、望む収入によって仕事の量が変わってくる。夫婦共働きなら昼間だけつとめれば良いが、一般的サラリーマン並みを一人で稼ぐとなると残業は当たり前で、劇中のように帰りが遅くなることが多いだろう。
そして、母が在宅していない時、成瀬一人で自宅にいるときの「明かり」の付け方。あれもものすごく写実的だ。リビングのうちシステムキッチンの明かりだけつけて最低限の明かりを確保するだけ。ひどくリアルだと感じた。これは単に成瀬の暗い性格を表す演出というだけではなく、親が出かけており子供一人で留守番をしている光景として、典型的なものだと思う。電気代を節約して家計に貢献だとか、そういうことでは恐らくない。単に子供一人にとって、一軒家が広すぎるからだ。どうしても明かりは最低限となり、家全体で見たとき、点々と明かりがぼんやりとついているような状態になるのだ。何も片親だった人だけでなく、夫婦共働きの子供だった人なら思い当たるところがあるだろう。
車の音やインターホン、他人や親の気配を感じてびくりと身構えるあの感じも、そのものを写し取ったかのような正確さだと思う。
片親の親、あるいは子。共働きの親なら胸が張り裂けるような描写であっただろう。
登場人物のうち、自宅の描写があるのは成瀬と坂上だけだが、坂上が昔ながらの一軒家の形式に対して、成瀬の家が異なっていることはすぐ気づくところだと思う。
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
そこでまもなく彼女の意図しない密告により、両親の関係は決裂してしまうことになる。母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
建物一つの描写をとっても、このように彼女が今に至るまでで、そうなってしかるべきであったという状況が、写実的に示されているのだ。
この状況は、成瀬本人にとってはもちろん、母親にとっても過酷だ。母は成瀬に対して辛く当たるひどい親として描写されてはいたが、彼女の立場に立ってみれば、同情を禁じえない境遇といえるだろう。
坂上家で成瀬の母が「娘がおしゃべりで電話代がたいへん」なんて見栄を張っている描写もあったが、恐らく彼女は仕事場でも同じ嘘をついている。
典型的な母親のつく仕事である「保険の勧誘員」という職場において、子供の話題というのは避けて通れないものだろうから。
「心が叫びたがっているんだ」という映画。うわっつらはありきたりで平和な青春ラブストーリーであるが、このように少し掘り下げるだけで緻密で残酷な描写がちりばめられている。
しかしこれだけではない。行間に隠されてはいるが、物語の読解に重要なもう一方。勝るとも劣らない残酷な描写がある。
それはもちろん坂上の家庭環境だ。
坂上は父方の祖父母の元で生活している。そこは父親の実家であり、本宅でもある。しかし父親は家には寄りつかず、事実上は別宅みたいな扱いになっている。坂上の両親も成瀬の家庭と同じく離婚しており、母親が居ない片親の環境。子供の世話は父の両親、坂上からすれば祖父母に任せっきりだ。
以上が物語上で語られ、描写された内容ほぼすべて。祖父母が居ると言うことで、成瀬の家とは異なり暖かい明かりに包まれており、表面上とても平和に描写されているし、事実、平和なのだろうと思う。
しかしこれらの「行間」には、特に現役の父親にとって、致死量のカミソリが仕込まれているのだ。
それは、直接的には描写されない坂上の父親の影を追っていくことで明らかになっていく。
まず、成瀬が初めて坂上の家を訪れたとき通された父親の部屋。あれで一気に、坂上の父親の像がはっきりする。
普通の一軒家に見える家屋の二階に突如出現する、完全防音の音楽室。典型的な趣味人の部屋だ。防音設備など普通のサラリーマンでは考えられないような出費を伴うものだ。そもそもがあの家自体、広大な土地がある北海道において「坪庭」など、まさに道楽者そのものだと言える。※坪庭というのは家屋の中に四角く切り取った庭をこしらえたもの。本来は土地の限られた京都などのような所でふさわしいものだ。
そこから推測できる父親像はつまり、かなりの収入を得ている人物。さらに推し量ると恐らく音楽関係の業界人。それも相当名の高い人物と考えられる。
坂上は幼少期いやいやピアノを習わされた。しかし次第に夢中になり、ピアノに専念したいから私立校に進学するのはいやだと母親の勧めを突っぱねることになる。彼を擁護する父親、反対する母親。それが坂上の両親の離婚の原因になったという。しかし言葉の上では確かにそうかも知れないが、少なくとも現代の日本において離婚はまだそこまで軽々しいことではない。子供の進路についてもめることはどこの家庭でもあることだし、私はそこまで致命的な問題ではないと思う。
恐らく坂上の母親は、その件がきっかけで堪忍袋の緒が切れたのだ。家庭を顧みず、父親ではなく趣味人としてしか生きない男に。
男の片親。子育てを彼の両親に一任して自分は仕事に専念する。頼れる両親の健在な父親にとって、至極妥当な選択かつ、リアルなものに感じる。恐らく音楽の業界人ならば、仕事は都心のことが多いだろうし、それは当然家庭にほとんど寄りつかなくなるだろう。それに、当人にしてみれば、苦言を言う妻という存在がなくなり、以前よりよりいっそう父親の任を感じることなく趣味の延長のような仕事に没頭できるようになったのだ。坂上の祖父母はとても温厚だ。孫相手だというのもあるだろうが、坂上父のこれまで推察した人物像から考えれば、彼もまたこの二人に甘やかされて育ったのだろう。
今の彼は、もう一度独身貴族を楽しんでいるような感覚でいるかも知れない。「お子さんいるんですかぁ?信じられなぁい」なんて言われたりして。
父親が習わせたピアノで、坂上は母親を失うことになった。少なくとも表面上の因果的には。
しかし恐らく、父はそれについて罪の意識は抱いていない。そもそも、ピアノを教えたことが正しかった、間違っていたの葛藤すら抱いていないと思う。
ピアノを習うことは彼にとって当然だからそうしただけのこと。彼は自分が息子に与えた影響というものを全く意識していないのだろう。そもそも、父親としての自覚が希薄だから。
息子の坂上自身について考えてみよう。公式サイトにおいての彼のキャラクター紹介はこうだ
まるで平凡で人畜無害な子供のような説明になっているが、本編を見れば明白なとおり、事実とは真逆だ。
まずクラスでの立ち位置。無口でエアー的に振る舞う様は説明の通りではあるが、実行委員に選抜されたあと、坂上は学級会議の司会を堂々とつとめている。それを受けてのクラスメイトの態度、そして平時からのDTM研での扱い。これはいわゆる「表立って目立つタイプではないが一目置かれてるタイプ」の生徒のそれだ。成瀬や仁藤を除いても、もう一人や二人くらい、彼を思っている女子がいてしかるべき立ち位置に彼は居る。これは上で説明した彼の家柄によるものと考えることもできるが、彼の振る舞いを観察すれば、なんとなく推測できるところがある。
まず、その人格が常軌を逸している。言うなれば英雄的なところ。
完全に異常者である成瀬に対して、彼は最初から一切、一ミリも物怖じすることなく接した。普通にできることではない。彼の異常性というか、異端、あるいは抜きんでた人格を表していると思う。
「やさしい世界」のクラスメイトも成瀬に対して差別的な態度はとっていなかったものの、進んで接触するようなことはそれまでしなかった。
そのハードルを素知らぬ顔で乗り越える。というより、彼自身の異常性のためその特別さに気づいていないだろうところ。彼が一般人とはかけ離れている描写だと思った。
そして音楽の才能。
彼は「作曲はできない」と謙遜してはいるものの、ミュージカルの曲目において、それぞれのシーンを象徴する完璧と言える選曲を行った。そして即興でクラシックのマッシュアップさえしてみせたのである。それも、もう一つの結末の案を成瀬から聞いてたった数秒の逡巡の後にだ。才能があると言うほか無い。
つまりそこに集約される。クラスから一目おかれ、常人離れした振る舞いをし、音楽の才能がある、彼はいわゆる「天才」である。
ここで先ほど挙げたシーンに立ち戻ることができる。
「あこがれのお城」での彼の涙の理由について。
彼はもちろん、彼が説明するとおりの理由で涙した。「坂上拓実」と連呼する彼女の言葉に聞き入りながら。
奇しくもミュージカルの最終幕の歌詞をなぞらえるように、音の上では名前を呼んでいるだけのそれが、「愛しています」と聞こえてくるその芸術性に感じ入って涙したのだ。
言葉はその意味を越えて話し手の気持ちを投影するものなのだと。
あの切迫した状況においてである。天才の感受性と言うにふさわしい。
さて、彼の父親は誰だったか。
音楽業界において有力な人物である。彼もまた、音楽の天才と言えるのだろう。こんな自覚が希薄な男でも、坂上にとって彼は間違いなく「父親」であった。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
ところで、ここまで一切触れることはなかったが、仁藤の人格についても考えよう。
チア部のリーダーで責任感が強い。ラストのミュージカルで急遽代役を務める事になったときの態度からも読み取れるように、背負い込み、気負いすぎる性質を持っている。
私には彼女がある人物に重なって見える。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
彼女もまた、責任感が強く、背負い込み、気負いすぎる性質を持っているといえるだろう。
一方坂上はといえば、父親としての役目を全うできない道楽者の生き写しである。
ここまで考えると想像せずには居られなくなる。
彼らが結ばれ、子供をもうけるようなことになったとき、待ち受けている結末について。
そうならないと信じたい。
交流会を通しての経験から何かを得、成瀬や田崎のように坂上もまたその業からぬけだすことができるのだと。
以下は蛇足になる。
ここまで残酷で緻密な描写ができる監督、脚本家というのは何者なのだろう?と考える。もしかしたら、彼、あるいは彼らもまた、過酷な家庭環境で育ったのではないだろうか。そうでもなければ、ここまで緻密な描写など不可能なのではと思えてならない。
そして劇中の「やさしい世界」としてのクラス。部活でもクラスでも一目置かれる坂上の立場。
彼は過酷な家庭環境をもつ一方で、その救いを学校生活に見いだしていたのではないだろうか。
さらに推し量るなら、彼の担任教師の高校教師らしからぬ立ち振る舞い。そして文化祭の主役という立場を、スケープゴートとしてしか捉えない大人びた生徒達。彼の原体験は、大学生活にあったのではないか(あるいは高専?)と想像してしまった。
そして家庭シーンの原体験は成瀬と坂上の家庭の合いの子。きっと彼は「坂上と仁藤」の間に生まれたのではないだろうか。
そして彼は「父」になることを恐れているのだ。
ここまで書いたが、実は以上の内容、ほとんど筆者である私が気づいたことではない。
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
彼はその境遇故に、この映画の行間に仕込まれた凶器すべての気配を感じ取り、とても傷ついていた。一方で私ともう一人の友人といえば青春ラブストーリーとしてみていたので平和なものだったが。
彼は「もう二度と見たくない」とは言っていたが、その理由を聞いていくうちに、「心が叫びたがっているんだ」という映画の全体像を捉えることができた。私はこのことにとても感動したので、彼にぜひブログポストするように勧めたが、とてもできないということだったので、許可を得てこの文章を書いている。彼の現在の家庭は幸いにして、父親である彼と母親、両方かけることない家庭を築けている。(今のところ)
しかし彼の反応を観察するに、とても子を持つ親に勧められる作品とは言いがたいのかも知れない。
下衆の勘ぐりが正しいとすれば、この作品はつまり「サマーウォーズ」対抗軸、家庭という環境、父、母という存在を否定し、子供は学校などの社会でその人間性を開花させていくものだと説いたものなのだから。
事実、子供である成瀬に対して救済はあったが、彼女の母にそれはなかった。ミュージカルのシーンは母への救済と取ることもできなくはないが、今の私には罪と向き合い自分の無力さに泣き崩れる母親に見える。
ともあれ、ここまで読み解いてみてつくづくこの映画の凄さ、恐ろしさを感じる。
「青春ラブストーリー」としても、「核家族ホラー」としても、核心の部分をすべて行間に潜め、合致する感性を持つ人、あるいは何度も繰り返し視聴した人が、ここまで深く読み解くことができる作りになっていることがだ。
「心が叫びたがっているんだ」は傑作というほかない。