はてなキーワード: ケアとは
努力しないブスが嫌いだ。
自分のことをブスとわかっていて、何も努力しないブスが大嫌いだ。
私が自分のことをブスだと気付いたのは高校生になった頃だった。
それまで親族から可愛い可愛いと言われ育て上げられ、すっかり自分は可愛いのだと刷り込まれた脳ミソが、ある日やっと、鏡に映った自分をどうしようもないブスだと認識したのである。
その時のショックは忘れようとしても忘れられない。
自分が今まで生きてきた世界を自分で否定してしまったのだから。
周りの同級生はバレない程度に化粧を施し、可愛く髪をアレンジしている子もいた。
そうじゃない子もちゃんと肌のケアをして、最低限、眉毛を整えていた。
そんな中、私はそれまでの十数年間、化粧水の使い方一つも知らなかった。
アンタはまだ若いから早い、親にそう言われたのを間に受けてなんのケアもしてこなかったのである。
時は思春期、度重なるニキビ軍の猛攻によって肌はボロボロだった。
こんな状態でロクにケアもしないと、顔面が荒れに荒れた戦場地帯となるのはサルでもわかる。
長年自覚のないブスだった私が、ようやく美容に手を出した瞬間だった。
それからというものの自分のお小遣い(月3000円、バイトは禁止されていた)の中でファッション雑誌や化粧品を少しずつ集め始めた。
私は筋金入りの腐女子だったため、化粧品代は同人関係にお金を割く中でのごく一部であったが、そのごく一部の範囲でなるべく良い物を買おう、と@cosme等に張り付くことが多くなった。それに比例して化粧品の知識も増えていった。
途中途中でサボったこともあったが、つけまつげを付けれるようになったり、コンタクトを入れれるようになったり、一重を二重にすることができたり。
自分のできることが増えていくにつれて、自分が少し可愛くなれたような気がして嬉しかった。
と同時に、垢抜け切れない自分に腹が立っていた。
大学に入ってしばらくした頃、自分の顔をきちんと鏡で見ることを心がけた。
今までは、自分の顔があまりにも嫌いすぎて、見るのもイヤだと目を背け続けていたからだ。
こうなりたい!という顔を決め、その顔と自分は何が違うのか、どうすれば近づけるのかを徹底して研究した。
私がなりたい顔は平行二重にぱっちりと開いた大きな目、ぷっくりとした涙袋に高く小さな鼻、薄い唇、シュッとした輪郭の俗にいうドール顔。
対して私は重い一重に開ききらない瞼、小粒で蒙古ひだの厚い目、涙袋は皆無で正面から穴が見える低い鼻、分厚い唇に面長丸顔かつ老け顔。
全く違う。そもそもパーツが違いすぎる。
再び向き合った現実に嫌気がさしながら、来る日も来る日も空いた時間でメイクを練習した。
どうやれば鼻が高く見えるのか、どういう髪型にすれば輪郭がマシに見えるのか……。
涙袋の書き方を覚えた日、鏡の中には、すっぴんの私とは違う人が座っていた。
ようやく一人前に化粧ができるようになってから、街中で声をかけられることが多くなった。
以前は全くされなかったナンパやスカウトも、鬱陶しいくらいにされるようになった。
すれ違った後に可愛いと言われることが現実に起きるなんて、昔の私は信じないだろう。
元の顔が大きなコンプレックスなだけに、今、容姿を褒められることが何よりも嬉しい。
冒頭に戻るが、私はブスが嫌いなわけじゃない。ブスを自覚してなおかつ何の努力もせず、「私ブスだからな〜」「〇〇ちゃんは可愛いから羨ましい」と言ってくるようなブスが大嫌いだ。
本当に脱ブスしたいのなら体毛を処理するところからでも始めればいいのに、と思う。
皮膚が弱いから化粧品使えないという主張も嫌と言うほどに聞いてきたが、正直、何もしないことへの言い訳としか思えない。
肌が弱い人向けの化粧品なんか今の時代はたくさん出ているし、それすら使えないほど弱くてもボサボサの眉毛くらいはなんとかできるはずだ。
元の顔がどんなにブスでも、努力さえすればマシにはなれる。
私の元の顔より恵まれたパーツや配置、輪郭を持った人達がブスに甘んじているのを見ると、私と顔を交換してよ、と無性にイライラしてしまう。
ファッション誌には「弱点強化」あると思うよ。あんまり男性誌読まないけど女性誌だと「体型別お悩み解決ファッション」が載ってるの結構ある。
体型をカバーできるコーデとか、ダイエット指南もある。似合うメイクとかアクセ、髪型なんかも顔の形やバランスで変わってくる。
確かに男性誌はカッコつけた写真と靴とこだわりの隠れ家系飲食店ばっかり載ってるイメージが強いから、基本が載ってる大学生向けのを買ってみるといいんじゃないか。
美容師もちゃんと顔の形とか見て髪型考えてくれるし、男だって髪型と帽子と眼鏡、髭と眉毛と肌ケアで顔の印象変わると思うよ。あとは服のサイズ感。サイズ超大事。
自分の顔の形とか体型を把握して似合う形や色を見つけて頑張ってほしい。中の下でも中の上、もしかしたら上の下の中くらいになれる。
モテは話が面白いとか優しいとか色んなベクトルがあるので趣味等で交友関係を広げて(そもそも出会いがないとどうしようもない)高望みしなければなんとかなる。
「ベンチャー役員三界に家なし」のユウタロスさんが、通りすがりの64歳無職に1歳の子供を殴られる被害に遭いましたが、
「持たざる者を擁護」って、ここで通りすがりの無職を擁護するようなものだと思うので。
ユウタロスさんの家族と、1歳児を殴るメンタリティの64歳無職だったら、後者の方が断然「持たざる者」じゃないですか。
恵まれないから暴力を振るってもいい、孤独で傷ついているから他人を搾取してもいい、
この手の「被害者面で自己正当化している加害者」からは、とにかく距離を置きたいと思っているし、支援する気は無いです。
毎月結構な金額だけど「金ならどうぞどうぞ、時間はやらないけど」という感じです。
haruharu1 『奪う者は弱者』『弱者の犠牲になって磨耗する必要はない』説っぽい。でも奪う者が弱いのではない。奪うことでしか得られない弱者の存在と、単純に奪う者の存在とを混在していると思う。悪はそんなに弱くはないぞ
「奪う者」になるのはヘドロがどんどん湧いてくる思考のクセを持っているからで、
そういう思考から抜けだせないのは頭が悪いからだから弱者だよねと思っています。
内面はというと、親にしてもらうのが当然で、親が自分に割いてるリソースを軽んじるし、親への不満ばっかりです。
子供は弱い。経済的にも精神的にも自立出来ないし、親次第のところが大きいです。だから「奪う者」になる。
低所得で孤独な人々の行動の特徴として、大人になっても中学生相当の考え方・ものの見方からアップデートしてないというのがあります。
私はそれを怠惰とか悪とかじゃなく、そういう脳のスペック、と思っています。器質的な話です。
大学生になっても64歳になっても「奪う者」から成長できないと、当然のように周りの人間を使います。
「奪う者」って、悪に目覚めて成るものじゃなくて、対等な大人同士で与え合う立場に一生成れない不具者ってことだと思います。
gazi4 程度問題かな。どんなに優れた人間であろうと、個々人のリソースは乏しい。分け合うことは必要だし、増田の言う頭のいい人は、与えたことも経験にできる。
与えるばっかりだと頭が良くても潰れますよ。頭は、自分が潰れない環境作りに使ったほうが良い。
元エントリの性犯罪者は、屋上娘にしてもらったことの価値を軽んじるじゃないですか。
屋上娘が子供の頃に大人の役割を期待されて、仕方ないと諦めさせられて、ケア役割を押し付けられて身につけた能力でも、
「屋上娘にとっては簡単なことだったのだろう。それが僕の救いになった!」みたいに軽んじちゃうじゃないですか。
いや、お前ソレ、「簡単だったらいいな」と「簡単に違いない」の区別がついてない案件だろ、と思いましたね。
プロのイラストレーターが「タダで絵描いてください」と乞食みたいなリプ受けて傷つくのも、
自分が身につけた能力の価値を軽んじられた気がするからじゃないですかね。
でも乞食ってそういう感じなので。リソースを無為に無限に毟り取られるばっかで、何の経験にもなりません。
Amarron 時代や文化で人間の価値が変わる所や、能力や環境が幸福に繋がりそれは功績ではなく運である所が少し理不尽だと思う事も共感できる。Pepperの話がテロスと定言命法を思い出す。哲学的な印象。
哲学は全く知りませんが、「功績ではなく運である所が少し理不尽」という部分を読んで、「分かっていただけた」と思いました。
結果を決めるのは運と努力、両方の要素が関わりますが、結果を出した人ほど努力が9割だと思いたがる。
私は運が9割だと思います。
運がいい人への攻撃の気持ちは無く、むしろ私は運がいい人が好きです。
運が悪かっただけの人を差別している!となじられようが、「そうで~す」という感じ。
ヒトラーのように障害者は死ねみたいには思わないので、社会保障費は喜んで支払います。
それは自分も事故や病気で障害者になる可能性があるとか、自分の能力が下がった訳ではなくても社会の変革によって
誰からも認められなくなり実質障害者状態になる可能性があるからです。不当な支払いとは全然思いません。
yamorca 世間が無神経に置き去りにしている処をしっかり見る人の声。増田は姥捨て容認派みたいだけど、同じ視点を持って公共の福祉の最大効力を求めてる人も居る。情けは人の為ならず
江戸時代は、姥捨て"容認"も何も、姥捨てするしか成り立たなかったですよね。社会が。
公共の福祉のレベルが上がった要因は、国の技術レベルが上がって豊かになったからですよね。
物質的に豊かになった結果、江戸時代と比べて餓死は減りましたが、
コミュニケーション乞食として、屋上娘さんやはせさんのような人に縋り付く人間は減らせて居ません。
「公共の福祉の最大効力を求めてる人」って何をやってるんでしょうか?
健康な人間に、福祉を必要とする人間に奉仕する義務を与える活動でしょうか?それ暴力じゃないですか?
それと、持つ者側、奪われることに怯える側でしか物事を考えない人に言いたいのは、
自分も事故や病気や加齢によって、奪う側に転落する可能性がゼロではないということです。
奪う赤ちゃんとして生まれ、与える大人になり、奪う老人になって死んでいくのが人間だと思います。
私は老人になっても出来るだけ、生きた人間を自分が生きるための奴隷にしたくないですね。
道具なら構いません。だから心についての言説より、技術についての言説の方が、愛に溢れているとすら感じます。
学校で教える科目に三角関数が必要なのか、簿記は、プログラムは、ダンスは義務教育に追加すべきか。そういうエントリーが目端に映る今日このごろ。確かに今の学校教育には何かが不足しているような気がしないでもないし、過剰な教育によってあらゆる部分が中途半端になっているような気もする。
そう考えているとふと気づいた。そもそも「勉強のやり方を教える」という授業が不足しているのではないだろうか。
習ったことを忘れないようにするためには忘却曲線の知識が必要だ。学校側でも復習はさせているがそれだけでは時間が足らない。生徒たちの自発的な学習は必要不可欠だ。そうでないなら皆テストで100点を取っているはずだが小学校ですらケアレス以外の理由で酷い点を取る生徒がいる。彼らに予習や復習をさせる必要がある。だけど彼らはやらない。何故か、その重要性に気づいていないからだ。
予習複数の重要性を教えるのに「頑張りなさい」だけでは絶対に説得しきれない。そんなのは教える力のない教師の泣き言にしか聞こえないだろう。だがここで生徒と教師が脳科学の知識を共有したらどうなるだろうか?学校から帰ってきて10分勉強するだけで将来の勉強や居残りの時間が何時間も減少すると知ったら。確かにそこまでやっても勉強しない生徒はいるだろう。だが脳科学の知識を身に付けることで正しい学習方法に目覚める生徒も少なからずいるはずだ。
また長期的な学習スケジュールを立てることの有用性も教えるべきだろう。期日までに勉強が必要な量の概算を出す、それをカレンダーに振り分ける、学習の進行具合を記録して軌道修正をする、学習してきた記録を見て学習した事自体を誇らしく感じる。大学受験を終える頃には大部分の学生は自分でコレが出来るようになるのかもしれない。だがこれはもっと早いうちに身につけた方がいい技能、知識だ。大人になっても身につけていないなんて事になったらそりゃもう大変だ。これも隔週や月に1度でいいから生徒に方法論と有用性を教えて、それが身についているか確認をすべきだ。小学生にはまだ早いかもしれないが、高校受験を見据えた中学生には絶対に教えるべきだ。
既に学校では個々の教師が自主的にそういう話をしているという反論もあるだろう。だが、それはあくまで学校教育全体の管理から離れた教師側の自発的な活動でしかない。そういう授業をする時間を儲けるべきなのだ。くだらない総合的学習の時間とやらでも削れば教える時間は出来るはずだ。むしろ総合的な学習として「勉強・学習・努力・生活の仕方の基礎」を教えるカリキュラムを組むべきなのではないだろうか?学校が本来教えるべき物は学ぶという姿勢そのものなのではないだろうかと私は思う。学ぶという姿勢を身に付けるためには学び方を知ることは非常に重要なはずだ。
ゴキブリといっても、火星に出る「しょうじ」って喋る奴ではない。
もし地球でそいつに遭遇したら、国際的に懸念すべき安全保障上の緊急事態なので、命の安全を第一に確保した上で、然るべき公的機関に通報してくれ。
部屋に出る奴だ。
火星のアレほどではないが、部屋に出る奴も、いざ殺ろうとすると案外難しい。
打撃で仕留めようとしても、動きが早い上に、狭いところや角、張り出しなどに逃げ込まれて、有効にヒットしない。
そうこうしているうちにさらに狭い穴や隙間、家具や家電の下に逃げ込まれてしまう。
触覚などのセンサーが強力で、打撃は察知されて、強力な走力で躱されてしまうのだ。
全く厄介だが、お手元に専用の撃退グッズがないときに、何をお見舞いすれば良いのか。
意外なものが奴らを仕留めるウェポンになる。
スーツのお手入れや、観葉植物のケアに使う霧吹き、そして誰のうちの台所にもある中性洗剤がそれだ。
まず、霧吹きに水を満たす。
次に中性洗剤を適量入れる。
そして人間の雑な打撃などに打ち取られるはずがないと慢心している奴に近づけば、君の仕事の半分は終わっている。
そう、シュッシュしろ。
ちょっと逃げ回っても、放射状に出る洗剤が奴を必ず捉える。
打撃じゃ難しい角っこや張り出しはむしろ好都合。行き場を失って逡巡する奴にシュッシュするんだ。
シュッシュシュッシュシュッシュシュッシュシュッシュ、オッケー、まだ奴は動いてる。
続けろ、ワンモア シュッシュだ!
しばらくすると、奴はちょっとヌルヌルした泡の中で仰向けになって活動を停止するはずだ。
もう奴に起き上がる力はない。
ミッションコンプリート、君はオオスズメバチやカニの遺伝子のスーパーパワーに頼ることなく、奴との戦いに勝利した。
しかし、なぜ洗剤が奴にとって死の雨となるのか?
別に中性洗剤が毒ってわけではない。
ゴキブリは体に気門という穴が開いていて、そこで呼吸をしている。
通常、その気門は、油と毛で守られていて、水が入ってこないようになっている。
しかし、これが洗剤入りとなると話が変わってくる。
洗剤の界面活性剤が、油と水の境を曖昧にし、奴らの気門を塞いでしまうのだ。
製剤の雨に濡れて、奴らは丘で溺れてしまう。
正確には肛門の周辺がかゆい。
何気なく、風呂場でボリボリかいて、その翌日からひたすらかゆい。
薬は色々試した。オロナイン、紫雲膏、ボラギノール、ベトネードN、フルコートF、デリケア、ブテナロックなどなど。
どれも効かないか、効いても数日でまたかゆくなる。
数年前、肛門科の病院に行った。問診票を書いて受付のおねいさんに症状を話すと「ぷっ」と笑われた。肛門科ってそうゆう症状の人もよく来るじゃないのかな?
医者の簡単な診察が終わり「薬、塗ったらなおるよ」と処方されたが、数ヶ月塗り続けても治らず、行くのをやめた。
ネットで調べたら皮膚科でも診てもらえるらしいが、皮膚科か…皮膚科で肛門かぁ…
とりあえず今はコーフルという薬を塗ってる。
どうしよう、ささいな喧嘩の末、今晩、今後を話し合うことになった・・・
これは、今晩中に結婚するか別れるか結論出せってことだわ、悩む・・・
急な仕事のトラブルで、終わり次第、朝までに行くとは言ってみたものの、もう時間がない。
今の彼女はネットでの出会いだけど、おっとりしてて素朴で気立ての良い子を選んだ。
料理もつくってくれるし、おいしい。女子大出身で男性経験2人とのこと、もう1年半になる。
一つ目は、見た目。
まず、胴長で、胸がない。
胸フェチかつ足フェチの俺には、浮気せずにこの子と添い遂げられる自信があまりない。
部屋着で気を抜いてる訳じゃなくて、オフィスでもデートでもださい。
服だけを考えると、隣を歩くのが少し辛い時がある。
最後に老化。肌のくすみやしわも出てきてるし、口元に黒い産毛も。だけど、ケアしようとしない。
次に天然すぎるところ。
外でジッパー下がっててパンツみせちゃうくらいなら、たまにならまあ許そう。
トイレのうんこ流してないのは、、、水に流そう。女性のを見るのは意外とショックだよ。
病気とか、基本的なアドバイスも聞かない。その病気は皮膚科で治ると言っても聞かない。
細かいことは色々あるけど、人としての違和感を感じる瞬間が時折ある。
ちょっとメンヘラかなって観察してたけど、アスペルガーのような傾向があるのがわかるくらい。
ただし、異常なほどの泣き虫で、軽く注意しただけで、こもって泣き出す。
暴れたりはしないし、泣くときも迷惑にならないように泣くことを意識している様子。
相手は強烈に結婚したがっているようだ。
俺もそんなにたいした人間でもないし、性格も良いほうではない。
だけど、相手は一途というか、尊敬して、誠実に想っててくれているようだ。
ただし、それも結婚するまでの擬態ではない、とまでは言い切れない。
教えてください、結婚をすべきか、別れて別な相手を探すべきか。
全部受け入れろと言う人が居るけど、メシマズなら矯正するし、太ったりしたら一緒に運動するよね。
おとなしい性格の割に、相手にアドバイスしてもほとんど聞いてもらえないんだよ。何を話しても泣くだけで終わりだよ。
今回は、見た目から入らずに、性格と雰囲気だけで選んだからこうなった。
迷ってるくらいなら結婚しないほうがよいのだろうか。
【追記】
ありがとう、指摘されて気付いたけど、無意識に結婚しない方向で考えてますね。
ただ、手放すと、これ以上気の合う良い人は現れないかもって恐怖心もある。
結婚はしたい、0~2年以内で。だらだらと付き合うのは相手に悪いとは常に考えてる。
相手選びで消去法や加点法は最悪だ、だけど、自分の直感に従うと人生狂うことが多かったので、基準はほしい。
愛してるかというとイエスなんだが、頭の中で合唱団が第九を歌い出すような愛の感動もない。
後々の介護をラクにできるんじゃないかと思うようになった。
順調に見えたんだけど。
私たちが見えていないところで、
やむを得ず、バタバタしながらの同居となった。
ここ半年で介護度は上がり、日常の動作で介助が必要なシーンもかなり増えてきた。
リハビリも根気がいる。
私にはあまり負担をかけたくない、と主人も一人でケアを頑張っていた時期があり。
疲れからか、痩せてきた。
横から助けてきたつもりだったけど、足りなかったんだなあと反省している。
と思っている。
成人前だけどアダルトチルドレンの特徴にことごとく当てはまるから、将来は立派なアダルトチルドレンになる予定のキラキラJK(笑)の私だよ。こんにちは。
アダルトチルドレンって健全な機能を果たしていない家庭で育った子供が成人してもなお内心的なトラウマを持つことを指すのね。一口にアダルトチルドレンといっても色々タイプがあるんだけど、私はすぐに自分が責められていると感じたり、自信が全然なかったり、欲求を押し殺したりしてしまうケア・テイカータイプをベースにピエロタイプちょっと足したみたいなアダルトチルドレン予備軍かな。
まあ子供の発育になんの障害ももたらさないような健全な機能をちゃんと果たしてる家庭なんかそうそうないと思うけども。
家庭がね、ちゃんと機能してないと子供は演技に走るんだよね。演技って言っても将来は女優になりたい!とかそういう華々しい方の演技じゃないのがまあまあ残念なところ。
なんていうか、こう、私の場合は子供で居続けるための演技みたいな?
私の家庭はざっくり言って否定から入る親くらいの問題だったけど、でも子供でいなくちゃいけないと思い込んでしまう。
親は好きだし心配で色々言ってくるのは百も承知だけどプレッシャーがすごい。腹を空かせたティラノサウルスがいつも物陰からこっち見てるみたいな。
私のアイデアは基本的に却下されるし、自分で考えてやってることなのに、お前はなんでそうするんだ違うだろうって言われてるとだんだん自分って何なのかな〜と思えてくる。
何か自分からアクションを起こして、それを否定されるくらいなら、子供のフリして「は〜い、パパ!」「わかった!そうするね!ママ!」ってやる方が絶対角が立たないし楽だって気付くでしょ。
もうそこからは演技派女優の誕生ですよ。「ええ〜そうだったのかあ!わからなかった!」「ねえねえ!ここどうやったらいいのかな!教えて教えて!」みたいな。
なんかもうさあ、口調がさ、鼻垂らして妖怪ウォッチつけて走り回ってそうな感じじゃん。妖怪の〜せいなのね、そ〜なのね。
勿論外では普通に話すしきちんと自分の考えを持って動いてる。誰も私を否定しないからね。
でも、お前は本当に何にも考えてないんだな!って言われるたびに辛くなる。考えてるよ。言わないだけ。
お前がそう思うならそうしてみればいいって言って欲しかった。
まあ私はもう仏顔で悟りの境地にいる感じだし諦めがついてて、どうにでもな〜あれ〜☆キラッ☆みたいなところあるし、ここまで育っちゃうとこういうのと上手く付き合っていってどうにか改善していくしかないから仕方ないんだけど、これから子供育てる人は子供の意見に対してまず否定から入るよりも尊重しつつより良い提案をしてみるくらいの方がいいのではと。
あんまり否定すると家庭内限定で芦田愛菜ちゃんのような名子役が誕生してしまう。
お母さんお父さんだって、作られた”役名:子供”とではなく、きちんと子供自身と向き合う方が良いでしょう。
私も三浦春馬くん大好きで握手したいけど、エレン・イェーガー役の三浦春馬くんには話通じなさそうだしあんまり会いたいと思わないもんな。
子供に提案するときは「ゲームなんか何の役にも立たないんだからやめろ。勉強をしなさい。」みたいな感じじゃなくて、会社で画期的な新企画をプレゼンするかのように勉強をすることによってどんなに楽しいことがあって自分のプラスになるかを提案したほうがいいんじゃないかな〜と、キラキラJK思いました。
正直子供の頃って将来とか仕事をするようになってからとか言われても遠すぎてイメージ全く湧かないから、近い未来にあるであろう良いことを言ったほうがやる気出るね。
まだ10年やそこらしか生きてないのに15年後には〜とか言われても銀河の向こうにいるであろう地球外生命体くらい想像つかないからね。
詳しく書くと
自殺したのは私の高校時代の親友で、ただの友人ではなく母にも名前を言えば分かる人物だった。
その人物が「パワハラで自殺した」と聞けば、普通なら友人のことについてもっと詳しく話を聞いてきたり、悲しんだり、
20代で親しい友人を失った私の悲しい心情を汲み取って、母らしくケアする優しい言葉を期待していた。
その返答が「◯◯さんとこの息子もパワハラで会社を辞めた」だった。
私は◯◯さん自体を知らないしその息子も知らないんだ。まったくの他人だ。
「そいつ、死んでねえじゃん、辞めただけじゃん。そもそも誰だよそれ。知らねえよ。
夫が子供(幼児と乳児)ばかりかまっているので、すねて一人で買い物に出掛けてしまった。電車で数駅のショッピングモールで思う存分ブラブラと。
子供はパパ大好きで、休日は一日中遊べ遊べとまとわりついているから、こっちにむける気持ちの余裕がないのはわかってるけど。でも本当は、子供に向けるそれを1割でも2割でも減らしてくれていいから、その分私がフォローするから、その減らした分を(育児ストレスをそれなりに抱えている)私に向けてほしい・・・・・。
という主旨のことを前にも(それなりに真剣に)告げたはずなんだけどな。尾木ママだってTVで、子供のケアよりもまず妻のケア!と言ってて、そうそうこれが言いたかったの!と後日夫に見せたはずなんだけどなぁ。私が望みすぎなのかな。
それにしても夫にこういう要望を告げるとき、私だって結構考えた挙句に、「一人で我慢して溜め込むんじゃなくて、やっぱりふたりのこれからのために言おう」と緊張しながら伝えてるのに。全然相手に響く感じがしないんだよなぁ・・・・。(今回だけじゃなく)
吐き出させてくれ。
たまにものすごい可能性を感じる人が面接にきてくれるが、周りにいるメンヘラや仕事しないのに権利だけを主張する輩の中で生きていけるか勝ってに心配してしまい、気の強さや、バカにバカと言わずに我慢できるかな?なんて事を気にしながら話をしている。
上層部は「新卒なんてとりあえず取れよ。ケアしなくてもできるやるは勝手にやってくれるよ。」という。
それは確かにその通りかもしれないが、自分は彼らの一歩目を挫かせるのがしのびない。
結果、ほとんどの人は辞退していく。
使えないやつだと思われているだろう。
実際の会社に対する貢献度としてはその通りだ。
返す言葉もない。
いや。ちょっとまてよ。
書いててすっきりしてきた。
しのびないとかいいながら結局自分が嫌な目に合いたくないだけなんだ。
病んでいく彼らのケアをするのが面倒くさいんだな。
一番のひとでなしは自分だ。