はてなキーワード: カトリックとは
幼児洗礼から始まり生まれた時から信仰を植え付けられるから抜け出すのが難しいのだと思う。
個人のお気持ちの問題だけじゃなく、カトリック止めるなら家族友人全部と縁切りする覚悟がいる。
誰もが故郷の田舎町を捨ててゲイだらけのロサンゼルスに移住して毎晩男漁りを楽しめるGAFA勤務エンジニアなれるわけでもないし。
宗教自体がポリコレ違反なんだけど、ポリコレなんかよりも歴史が長い
で、カトリックとかイスラム教とか、生き残ってる宗教ってのは、「宗教狩りをやったら戦争な」ってのを血塗られた歴史で証明してるわけ
井戸に毒とナチスと聖書のどれが一番虐殺に加担してるかって言ったら、そらトータルでは圧倒的に聖書だよ。
ポリコレっていう新しくて弱っちい宗教にも叩かれ駆逐されるのが、第二次世界大戦敗戦国のナショナリズムだ。
第二次世界大戦勝利国が主導してる世界の宗教なんだからねアレは。
だから本来ポリコレなんかがポリコレ教に所属してない人にあれこれ指図する資格はない。
でも、空飛ぶスパゲッティーモンスター教や敗戦国ナショナリズムで、浅く広く多くの指示を集めてるポリコレ教に勝てるかっていうとそりゃ無理だよ。
ポリコレっていうのは正しさじゃなくて”政治的な”正しさで戦ってるんだから結局の所は本当に弱い奴の味方なんかしない。
味方をすると人気が得られる奴の味方をしてるだけ。
https://www.bbc.com/japanese/56410862
これ、大炎上しても全くおかしくない差別的な見解だと思うんだけど、大して炎上してない様に見えるのは日本に居るからなんだろうか?
キリスト教の同性愛忌避は歴史的に同性愛者への迫害と差別の一番大きい要因だったと思う
ある意味では過去のあらゆる悲劇の象徴を繰り返すような判断である訳で、それはヒトラー礼讃や日本で言えば「井戸に毒」を反復する以上に問題のある発表なのではないか?
2021年にもなってこんな認識のままである、にも拘らずこの反応の薄さは何だろう?
国内の反応に限定しても余りに薄すぎる(大半がキリスト者でないとしても)はっきり言って、手心を加えていないか?
自分の立場を明確にすると、所謂リベラルではないし、所謂「行き過ぎたポリコレ」には警戒さえ抱く事も有るタイプの人間だ
ただし女性差別や同性愛差別には怒りを覚える(自分自身はヘテロの男性)
これがキリスト教でなかったら、カトリックでなかったら大炎上していたのではないか?
これが漫画やアニメだったら?真っ先にリベラルは大批判し大炎上させただろう、もし日本での出来事だったら更に日本のリベラルは調子付いたはずだ
それがバチカンのカトリックだったらここまでトーンダウンする物なのか
おかしいだろう
普段ポリコレの名の下に色んな反ポリコレな物を叩いていた人達は一体どこに行ったのだ、どういうつもりなんだ?
普段反権力を標榜しておきながら、ローマ教皇庁というこれ以上ない権力にへぇこら揉み手して汗をかいてると言うのは一体どういう事なんだ?
勘違いしてもらっては困るが、私は本気で怒りを覚えている
じゃあ今まであなた達に燃やされた者達はなんだったんだ?ふざけるなよ、彼らは何で燃やされたんだ?カトリックじゃなかったからか?ローマ教皇程の権力を持っていなかったからか?お前等一体何なんだ?どういうつもりなんだ?
これまでポリコレに燃やされてきた色んな物や人を見てきて、少し反感を覚えながらも納得はして来た、確かに差別は無くさなければならない
それが、カトリックになら屈するのか?海外の宗教なら屈するのか?
ふざけるなよ、お前等本気でやれよ、何だったんだよ今までのは
お前等の仕掛けた炎上で犠牲になった人や物は決して小さくも少なくもないぞ?お前らの周りには夥しい焼死体が有るんだぞ?せめてお前らが燃やした者達の責任を抱えろよ
日本は関係無くなんかないぞ、ハッシュタグを作れよ、拡散しろよ、燃やせよ、「問題だと思うお前がやれ」とは言わせないぞ、お前らが始めたんだ、お前らが燃やしたんだ、問題だと思わない者達もお前らが焼いてきたんだ
追記しておくが、これはポリコレに水を差したり、揶揄や文句を言う為に書いたのでは断じて無い、誤解するな
俺は本気でお前等に「ローマ教皇庁を炎上させろ」と言っている(勿論物理的な炎上ではなく、ネット上の炎上だ)本気だ、本気でそう言っている、他の誰でもない、お前らの手でやれと言っている、それが責任だからだ
小中高と長崎で公立校過ごしていた者なんですが、校則で下着は白と指定されているという話を全く聞いた覚えがないんですよ。
ピアス禁止(自分で穴開けて病気になった生徒が出たので)というのはあったんですが、下着関連は話題になった記憶がさっぱりありません。
どっちかというと長崎市内では私立(特にカトリック系)の方がかなり校則が厳しくて、とある女子校ではポニーテールが禁止(うなじが男を誘惑するかららしいです)だったりスカートの長さのチェックがあったという話は聞きました。
私が通っていた高校は校則が緩い事で有名だったのですが、他の公立校に通っていた友人からもそういう話を聞いた事が全くないんです。
おっさんが飲み会で真実の愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。
どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。
読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌスが若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。
塩野七海がエッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしまう自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争や政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨の言葉があり、全くその通りだと思う。
未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女と童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等な社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。
自然科学的な考え方、ロジカルシンキングのマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考がそもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。
平凡社の上巻を読んで挫折。純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルトで時間とか空間とかの枠組み、基本的な概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。
この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。
エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務感から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。
自分は特定の信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分は自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。
「善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分はカトリックの中高一貫校出身であったせいか、キリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめ。マッチョぶってるところはあるが。
新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教の起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。
彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンとかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分はフロイトやアドラーよりもユング派だが。
ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。
「論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素。
ただ、言語の限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。
ちなみにウィトゲンシュタインがポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。
シン・ウルトラマンの予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。
この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族は身分を入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間(白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものだから。
定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。
面白い。僕自身のスタンスとしては、日本人が海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分も外国に対する偏見や無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分はイスラーム世界やインドについて、どれほどわかっているのだろう?
どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。
「遠野物語」しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。
自分が現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいちの本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。
上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーがサウナで美青年とイチャイチャしたり、七十年代の音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。
以上。
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
[B! 宗教] 土偶 on Twitter: "『聖★おにいさん』を現時点で出ている単行本全てを読んでいる。その中で気付いたことが幾つかある。"
こちらに関連しまして。少なくとも私は楽しみましたし馬鹿にされたと思ったことはないですね。
読んだのは相当昔のはなしです。
「この漫画がすごい」で名前をみかけたのが最初の出会いだったと思います。その直後に日曜牧師をやっている友人から押し付けるようにその漫画を渡されました。「面白いのに勧められる人がいないんだよ。クリスチャンじゃないと面白さがわからないからさ」と彼は言います。「そんなことないでしょう。その漫画たぶん有名だよ」と私は言いましたが彼はそんなはずはないと強く否定しました。
家に帰って読んで泣くほど笑いました。でも確かに彼と同じ感想を抱きました。これはクリスチャンと仏教徒向けに書かれた内輪受け漫画です。対象読者は狭いけれど刺さる人にはものすごく刺さるやつ。なぜこの漫画が一般受けしているのだろう・・・? というのが私の正直な感想でした。
キリスト教と仏教に理解のある人が愛情を込めて描いた漫画だと私は思います。
(上記書き換えました: よくない書き方でしたね。すみません)
読んだのが昔すぎて内容を覚えていないけれど、思い出せる部分を少しかいてみようとおもいます
キリスト教には三位一体といって主と御子と精霊を同一視する考え方があります。
グラブルでいえば バハムート と ルシオ と ビィ君 を同一視ですね(伝わるのかこれ?)
ところで聖書の中に「見よ、いま霊がハトのように天から舞い降りて・・・」という記述がよくでてきます。精霊ってハトみたいに降りてくるんですね。みたことないけれど。
それが聖★おにいさんではこうなります。
「息子よ・・・」といいながら天のお父様が舞い降りてくる。
見よ、霊がハトのように・・・ってこれ ハトじゃん?!キジバトじゃん!!
お父様、くるっぽくるっぽ言ってるんですけれどぉぉ???!!!
これ、めちゃくちゃ笑えるシーンなのですが、知らない人が読むと単にハトが舞い降りてきただけに見えるのです。この漫画って解説の類を全くしないんですよ。読者に前提知識を要求するのです。
古代の世界の典型的悪者に「ユダヤの高利貸し」があります。キリスト教はユダヤ教派生なので旧約聖書部分は同じです。そして旧約部分に「利息をつけて金を貸してはならない」みたいな記述があるのですね。ところが歴史的経緯からユダヤ人には金貸業を営むひとが大勢いました。このあたりから「ユダヤの高利貸し」という典型悪が誕生します。日本でいうと山吹色のお菓子を持った越後屋ですね。そちも悪よのぅ。ヴェニスの商人にでてくる「シャーロック」は有名だと思います。
もうひとつユダヤ教における悪者を紹介します。ユダヤの徴税人です。彼らは罪人と同じ扱いをうけ当時の社会で差別されていました。
さて、これを聖★おにいさんの現代日本に移植すると「やくざの闇金と借金取りたて」になるのですね!このセンスすごくないですか。そしてやくざの竜二さん、イエッサに出会い感激してヤクザの足を洗いイエッサに弟子入りを志願するのです。ひゃぁーーー原作通り!原作通りキタコレ!
イエッサは悪人とされている人たちに寄り添いました。「なぜ悪者たちと食卓をともにするのですか?」と問われて答えたのがかの有名な「迷える子羊のたとえ話」です。
ある人が100頭の羊を飼っていてその一匹が迷い出たとする。その人は99頭のをその場に残し1頭を探しに出かけるだろう。そしてもし見つけたならば迷わなかった99頭よりもその1頭を喜ぶであろう
キリスト教は罪人のための宗教。イエッサは迷える者に寄り添うのですーーーー
いやぁ、原作通りですね!なんか竜二さんの家にご招待されていますよ。徴税人ザアカイかな?いや弟子入り志願しているし、ひょっとして聖人コースじゃね?これ。たいへんだ竜二さんが聖人になってしまう!
このエピソード楽しいのは竜二さんもイエッサもお互いの正体に気がついてないところですね。イエッサは極道のボスと勘違いされているしイエッサはヤクザという概念をそもそも知らない。完璧にすれ違っているのに聖書を再現していくのが面白ポイントですかね。ちなみに竜二さんがヤクザであることがばれてもイエッサは気にしないだろうしそれどころか弟子たちも含めてとても優しい目になるんじゃないかな、という安心感があります。ブッタ様御一行とはちがってイエッサ御一行は、あのね、経歴がね、結構アレですからみんな優しいと思いますよ。あと迷える子羊だいすきだからね。
長くなったのでここで一旦止めます
気分を害する人がいることに無頓着でいたいなら自分の気持ちも話さずに消えろって話だ でも私は平気でしたなんてのは傲慢さでしかない
どこかに気分を害した人がいたとしたらそうですね。
先ほどのまとめの発言者は仏教徒の方です。雑にいうと「仏教の内容があまり描いてねぇ。日本にはキリスト教徒が少ないから怒られないだけだぞ」という主張です。
絶望したーー!!生者の声を勝手に代弁するダメイタコに絶望したーー!!
言いたいことがあるなら自分の口で言うんだ。俺は聖★おにいさんが嫌いだというんだ。勝手にクリスチャンのせいにしないでくれ。
どこかに聖おにいさんに気分を害したクリスチャンはいるでしょう。彼らが自分の口で語り、それに耳を傾けるのは意味があると思います。でもダメイタコはやめませんかね?あまりにも不毛ではないですか?
私はこの作品を嫌いだという人を否定しません。作品の感想に正解はありません。あなたはこの作品が嫌い。私はこの作品がすき。これで話はおしまいです。
[追記2]
すみません、返信できなくなってきたので星のついてるコメントだけです。
cinefuk 増田だって「聖★はクリスチャンのママに見せても怒られない」とは思わないだろうし、あえて見せようとはしないだろうね。BL漫画じゃないけど、安彦良和『イエス』は面白かった https://manga.line.me/product/periodic?id=716781
すみません、ちょっとよくわからない・・・ ママに見せると怒られるんです??
漫画紹介ありがとう。これはすごいーー!本格的ですね!今の環境では解像度がおかしくて文字が読めないのであとで落ち着いて読みます。ありがとう。
sawaglico 前提知識あった方が楽しいよね。昔宗教美術を習ってた知識のおかげで面白いと思った。キャラのテンションについていけなくなって脱落したので、最近のネタ切れ感とかはわからないけど。
ひゃーーー すごい人きた!! 美大の方ですか?
minamihiroharu 「絶望したーー!!生者の声を勝手に代弁するダメイタコに絶望したーー!!」 ここでちょっと笑ってしまった。
ごめんなさい、絶望先生ネタです。ダメイタコ©︎久米田康治先生です。よろしくおねがいします。ちなみに「主語の大きい人」も久米田康治先生です。なぜかこっちだけ有名に。
あと私は腐女子ではないです。ごめんなさい。でも友人に腐女子の方はいますし、特に禁じられているという話は聞いたことないですね・・・? うちはプロテスタントなのでゆるゆるかも。牧師さんだって結婚するし酒飲むしタバコ吸います。カトリックだとどうなのでしょうね?