はてなキーワード: そんじょそこらとは
※K-POPの話です
SMエンタに推しグループがある人にはわかっていただけると思うが、最近SMの看板グループに熱愛報道が相次いだこの年末年始、これからの1年で使うエネルギーを全部使ったと思うくらい疲れた。
東方神起、Super Junior、EXO……。
私はELFなのでヒチョルのモモとの熱愛にそれなりにショックだったし、「マジな恋愛対象だったのか……」という驚きで1週間は鬱々とした気持ちだった。
何も恋愛されるのがショックなわけではない。
恋愛していいし結婚だってしていいと思っている。ステージの上でこれまで通り素敵な姿を見せてくれればそれを応援する。
もちろん結婚にはタイミング(グループにとっての)があるから手放しで全部賛成はできない。
でももうSJは全員兵役終わってのカムバを一旦果たしたし、これから「今だけはやめとけ」なんていうタイミングは訪れないだろう。
できれば早いうちに、っていうか40歳になる前に。
今回ヒチョルの熱愛が発覚し、私の気持ちがなんとか落ち着いた後も心を抉られたのはモモのファンだかTWICEのファンだかにヒチョルが「おじさん」と言われていたことだ。
ファンとしてはまだ現役なのにそんな風に言われたくないのだが、正直そう言う人の気持ちもわからなくはない。
歳の差がありすぎる。モモと私は同い年だが、私にとって30オーバーはもう恋愛対象ではない。
もちろん芸能界と一般の感覚は異なるだろうし、相手だってそんじょそこらの36歳ではなくキム・ヒチョルだし、一般人にも恋愛対象が年上の人は存在するんだろうけど。
歳の差があるとやっぱりちょっと、成人した二人が決めたことなのだから外野が口を出すべきではないと思いつつも「気持ち悪い」と思ってしまう。
20代の女と結婚したいんだったら百歩譲って40までに結婚してほしい。せめて付き合う段階までいっていてほしい。
私が推しの結婚賛成派で一生独身でいてくれなんて思わないのは、自分の推しが誰かを愛することができ、その人と一生を共にするという決意をできる人だったらいいな〜と思うからだ。
ファンにできるのがアイドルとしての彼らを支えることだけだからだ。ファンは彼のプライベートな部分、彼が見せてくれない部分に関しては助けになれない。そういうところはもっと身近な人に支えてほしい。メンバーはたとえ家族のような存在だとしても、やっぱ仕事仲間だ。
推しがインスタに意味深なキャプションをつけるたびに私の心のどこかが死ぬので、パートナーには推しのメンタルを支えてあげてほしい。
欲を言えば結婚相手は我々には姿を想像できないマジの一般人がいいし、それがダメなら年齢差を10歳以内にしておいてほしい。
でもそれも全部ダメでもいいからとにかくメンタル強靭な人と結婚してください。
そうは言ってもやはり他人の夫の顔がデカデカと印刷されたポスターを部屋に貼っている事実と向きあい、折り合いをつける時間は必要なので発表から1〜2週間は寝込むと思うが、それが過ぎたら私は相変わらず推しのアイドル人生を支えたい。
「金が無くても勉強することはできるし難関大学に入ることも可能」という主旨のことをブコメで書いている人たち、慶應大学医学部の授業料がいくらくらいか知ってる?
それだけの金額を出せる親が田舎の貧乏人のハズが無い。本人も「田舎ではそこそこ裕福な側だった」と書いてるじゃないか。
それに加えて、中学受験をして中高一貫校に入ってるところを見ると、そんじょそこらの一貫校ではなさそう。当県にも一貫校はいくつかあるけど、慶應の医学部への進学者が出そうなのはラ・サールだけだよ。私立だし、授業料もそれなり。もちろん受験準備に塾だ何だで金がかかる。
だから、田舎の貧乏人が上京して東京の金持ちにビビったという話というよりは、大学に進学して初めて見えてきた世の中のことがいろいろあったという程度のことでしょ。
だいたい、株主優待券なんて驚くようなことかよw どこかの株をちょっと持ってれば手に入るものだし、地方の国立大学に行ってた僕だって知ってたよ。僕の親もAJINOMOTOや全日空の株主優待を受け取ってた。
それに、地方都市だって帰国子女くらい今時いるさ。僕もそうだし、こっちでも仲間同士でつるんでたりする。ラ・サールにだっているだろ。
ただ、東京に住んでる人間でないと無さそうなのは、それなりの地位や人脈かな。その点は東京の親戚や友人たちを見ていて思う。大企業や中央官庁のそれなりの地位の人は地方都市にはほぼいないからね。
スマブラにこのキャラ参加してほしいなーって安易に言う連中にこの言葉を投げられるようになったのは大きいよなあ。
超超超有名ゲームのサブキャラが出てこれるとなったら、そんじょそこらの名作ゲームの主人公程度だったら永遠に出てこれなくてもおかしくないもの。
パックンフラワー参戦でみんな驚いたけど、そこに「コイツ誰?」って意見は全く無かった。
意外なキャラでありながらも皆が知っていた。
スマブラを「皆のよく知っているキャラクターによるお祭り」として見るのなら、超有名作品のサブキャラの優先度はちょい有名作品のメインキャラより上ってことになるわけで、そうなるともう「俺はこの作品が大好きだし、大好きな人も沢山いるんだからこの作品の主人公が出てこないのはおかしいだろ!ユーザーの意見を反映しろ!」なんてのはもう絶対言えなくなる。
貴方の好きだっていうその作品の主人公、果たしてハンマーブロスやノコノコよりも有名なんですか?
違いますよね?
じゃあもう黙っていてくださいね。
これで全部封殺できる。
凄い。
それ未満はせいぜい祈ってなさいな。
間違っても任天堂様の采配に文句なんて言っちゃダメ出し、よくわかんねーオタクによるオタクのための投票なんて始めて印籠として掲げたりはするなよ。
恥ずかしいからさ。
次は待ち合わせにおばさん連れてきそう。
自称モデルのマイミクさんが(本当に綺麗な人です)、それにハマってしまったらしく。
「彼女は****って新興宗教ですよ!勧誘されて怖い目にあいました、
会いたい言われてあったら、待ち合わせに知らないおばさん連れてきて、
入信勧められました。****って過激な処ですよ。
もし彼女に会いたい言われたら二人きりで会わないで下さい、勧誘されますよ!」
そのあと、彼女とマイミクになったきっかけの、共通のマイミクさんに、そのメッセ転送しました。
その方は実害がないからなのか、交流ないのか、まだマイミクみたいです。
綺麗な方でした。
ちょっと上の年代のバンドの知り合いもあるみたいで、そういう話もしてくれて、
上京したら会いましょうね💝と案の定言われてて、怖かったですよ。
本気て上京したら連絡してお茶して貰えるかなって思ってたのにバカだったなぁ。
宗教じゃないといいですね。
なんだか編プロ(編集プロダクション)の話が出ていたので思い出を語りたくなった。
そんじょそこらのブラック企業も顔を真っ青にして逃げ出すブラック企業がのさばっているのが編集プロダクションの世界だ。
業界が古い、仕事内容が特殊、憧れる人間が多い、縁故で仕事が発生する、単価が安価……などなど、ブラックになりやすい背景はゴマンとあるのだが、業界論を語れるほど偉くもないのでこの辺の理由は飛ばす。
私が編集プロダクションに入社したのは2000年ごろ。社員は10名未満の小さい会社で、だいたい3〜4社から仕事をうけており、常時5〜6媒体の案件があった。記事単体のものもあれば、雑誌まるまる一冊を請け負うこともザラ。
逮捕歴のある社員が在籍しているほか、アル中で仕事中にビールを飲んでいる人もいた。専門学校を卒業した私は新卒で入社することとなる。
環境は以下のとおり。
創価二世の子供とその親達で集まって子供版の創価新聞を読まされる。
そして皆で記事を読んでどう思ったか意見交換。将来の夢を語り合い、池田大作先生が作詞作曲を手がけた子供向けのテーマソングを歌う。
あんま覚えてないけど、エンジン~全開とっびっだそーうー♪みたいなフレーズだけ頭に残ってる。最後は勤行(お教の読みあげ)で締める。
各地域にある創価学会の文化会館で行われる座談会?にも参加させられた。月一くらいで開催されてて、100人以上いたんじゃないかな。
池田大作先生の説法っていうのかな、ありがたいVTRが放映された後に全員で勤行をあげる。
100人以上の勤行は圧巻だよ。
勤行のクライマックスになると、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経…って延々繰り返す所があるんだけど、
あの大合唱は圧巻だよ。
そんじょそこらのコンサートや映画なんかよりいろんな意味で大迫力だよ。
中1の頃の年越し前の座談会に連れていかれた時は青年部の人たちがいて、
大学生くらいの美人なおねーさんやかっこいいお兄さんたちが私たちの前に出てベートーヴェンの第九を歌ってくれたんだよ。
最初はにこやかに歌ってるんだけど、途中から感極まって泣いてんの。
泣き笑いながら青春ドラマみたいに皆で肩を叩き会いつつ第九を歌ってんの。
その後は恒例の勤行で締めて、紅白餅もらって帰ったよ。
どうでもいいけど勤行の最後の南無妙法蓮華経の繰り返し読み上げって回数決まってなくて、その場の盛り上がりと、勤行のリーダー役みたいな人のさじ加減で決まるんだよな。
盛り上がってる時は10分くらい南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経繰り返すんだぜ。
逆に時間が無い時なんかは数回繰り返して終わり。なんか面白いよね。
特に猛烈なファンというわけでもなく、何気ない気持ちで観てみたんだけど、アラフォーの自分にはじわじわ刺さる作品だった。
ネタバレに触れるかもしれないが(そもそもドキュメンタリーにネタバレがあるのかわからないが)、簡単に感想を書く。
「90年代に活躍した伝説のバンド」みたいな扱いになっているが、イエローモンキーって当時の日本の音楽シーンでは、どメジャーって感じでもなかった気がする。
カラオケでJAMを歌うやつはたくさんいたけど、GLAYとかラルクに代表されるような90年代に流行ったV系バンドほど人気があるわけでもないし、MICHELLE GUN ELEPHANTとか、エレカシほど硬派で骨太なイメージもない。
当時流行ったUKロックとか、グランジとか洋楽が好きなやつからはダサいと馬鹿にされていた。そんな立ち位置。
でも見た目は日本人離れしてかっこよかったかな。だから女子のファンが多かった。
2001年、人気の絶頂といわれた時代に突然活動を停止して、その約3年後に解散。理由は明らかにされていない。
映画は、2016年5月の代々木競技場での再結成ツアー初日から年明けのカウントダウンライブまでのステージと楽屋裏を淡々と密着していて、それにメンバーそれぞれのインタビューと彼らの原点であるという渋谷のライブハウス「La mama」の無観客ライブを織り交ぜて構成している。
過剰な演出もなく、シンプルに追ってるだけなんだけど、たいしてファンでもなかった自分が引き込まれてしまったのは、きっと映し出されている人の「人間臭さ」なんだと思う。
皆50を過ぎたおっさんだというのに、メンバー同士アホみたいに仲が良さげである。トランポリンを跳ねたり、リーゼントにしてみたり、ライブ前後の楽屋風景はさながら中学校の昼休みだ。
そしてアホみたいに化粧が濃い。深い皺の刻まれた50男の顔にファンデーションを幾重にも重ね、アイラインを引き、口紅を施し、頭皮マッサージをされている姿は、ある種のおぞましささえある。
そしてその年齢ゆえ、過酷なスケジュールのツアー中に起きる、体の不調。
ぎっくり腰や熱、腱鞘炎に加え、ステージ中にボーカルの吉井が声が突然出なくなるという、最悪のアクシデントもある。ライブが中断され、騒然とした客席、ピリピリとしたバックステージもカメラは追っている。
ライブのリハやレコーディングでの音作り風景も興味深かった。「こんな細かいところまで?」「そこまでして客はわかるのか?」というくらい綿密で、本番ギリギリまで試行錯誤している。
それなのに、ステージの上では、煌びやかな艶とオーラをもつ、ロックミュージシャンの魅力をまとうから不思議である。
上手く表現できないが、そんじょそこらの30代、40代のミュージシャンには出せそうにない「凄み」があるのだ。
これまでの日本のロックシーンで、音楽に地道かつ真摯に向き合いながらも「華のあるビジュアル」の中年ミュージシャンは存在しなかったのではないだろうかと思う。
90年代、20代の頃はさほど魅力を感じることができなかったが、自分も不惑を迎えた歳となって、素直に「かっこいい」と思える年上のおっさんが世の中に存在するのは有難いことである。
「オトトキ」ってタイトルは最後まで意味わからないうえ、めちゃめちゃダサいし、キャッチコピーは「4Pしようぜ!」だし、ポスターのビジュアルはクソスベってるけど、この歳に出会えてよかったな、と地味に思った作品だ。
いろいろ盛り上がってんだけどさ。
安部のいった「こんな人達」って、いわゆる「プロ市民」のことだろ? ってのは、まあその通りなんだけどさ。
そもそも、ああいう街頭演説って、プロの「仕込み」の上で成り立ってんだよね。
自民党ってのは、なんだかんだ組織化されている大企業なんであって、都議会議員風情の応援に総裁(総理)がくるとなりゃ、そりゃ現場は大騒ぎなわけさ。
自民党ってのは、都道府県ごとに都連やら県連やらがあって、各選挙区に「支部長」って形で国会議員なり候補者がいて、都議なんてその下なんだから、せいぜい課長クラス。
課長の仕切っているイベントに、社長みずからお越しいただけるんだから、恥かかせちゃ大変なわけ。
都議の下には、配下の区議がいて、それがまた都議に恥をかかせないように、末端レベルの動員を担当してる。
だから、自分の選挙区に総裁がくるとなったら、そりゃもう必死で動員かけるわけ。
まして、今回は、総裁唯一の街頭演説なんだから、すでに課長(都議選候補)レベルの話じゃなくて、支社長(都連会長)レベルの話なのよね。
当然、支社の総力を挙げて動員かけたはずだ。安部に恥をかかせないためにも。
大体、秋葉原に普通の人が日の丸の小旗を持って出かけるはずもない。
なのになぜ、あんなに日の丸もって安部に声援を送っている人がいたのかといえば、
随所に聴衆を盛り上げる人も配置されているし、いろんな「プロ」が動員されているわけ。
そんじょそこらの「プロ市民」では太刀打ちできない、経験と年月に裏打ちされたノウハウを持ってるはずなのよ、自民党ってのは。
今回、自民党にとってなにがやばいって、にもかかわらず、総理からみてほぼ正面、記者エリア脇の一等席を、
この一点で、自民党の力が落ちていることは一目瞭然。
支社長(都連会長)の下村の首が飛んだけど、たぶん、いろいろ怒られた現場関係者も山ほどいるはずだ。
麻生が「ローゼン閣下」などと呼ばれだしたころとか、安部の絶頂期には、秋葉原に会場設定して、テキトーに支持者動員して、道行く人に日の丸配っていれば、
あっという間に街頭が埋まったのかもしれないが、今回はそうもいかなかったらしい。
そして、今回はそうもいかないことを、あまり予測していなかったのだろう。
報道では一部でしか報じられていないが、当日、慌てふためいた自民党関係者が、必死に「プロ集団」の前で自民党の青い幟を結集させたり、はては車までとめて、
安部のほうから「プロ市民集団」が見えないように隠していたという。
予想していたら、初めからもっと人員の配置とか考えていたはずだもんね。
一方で、自民党が配った日の丸振りながら「安部ヤメロ!」と面白がって同調していた若者もいたとか、いないとか。
あと、今回の事態のようになった要因としては、公明が小池側についた影響は、かなり大きいよね。
公明党の大物クラスの街頭演説を一度でも見たことがある人はわかるだろうが、あの動員力は凄いよ。
しかも、数がすごいだけではなくて、統制とれてんの。盛り上げ上手。
今回、秘かに注目すべきは、安部が民主国家の政治家として資質を欠いているとか、そんな話ではなくて
(そんなこと、みんな知ってる)
「もはや公明の手を借りないと、自民は選挙に勝てない」ことが分かりやすくインパクトのある映像とともに、白日の下にさらされたことなのかもしれない。
安倍晋三の支持率が相変わらず下がらない。以前はこれぐらいのマスコミ攻撃を受けたら支持率が過半数を割り、自民党内部でも批判論が出始めていつ辞任するのかぐらいの論調になっていただろう。安倍晋三以前はみんなそうで一年ごとに首相が変わるのが珍しくなかった(これこそ民主主義だって海外から褒められていたよねー)。
それが安倍晋三の支持率は下がる気配がない。以前は一度見放したのに、いったいなぜなんだろう。
以前は何かあったらすぐ支持率が下がったのは、首相を変えればよくなると思っていたからだ。「ふさわしい人物」が首相になれば、国も景気もよくなると思っていた。
だが、何回も首相を変えてみて、どうもそうじゃないぞ、と国民が気づきだした可能性。政権与党を変えてみても何も効果がなかったので、もう首相を変えてもしょうがない、と思っているのかも。
小泉以後、ずっとマスコミが政権批判をして、それによって政局が動くというのを繰り返してきて、もうその動きそのものに飽きている可能性。
漢字の読み違えや経費で家族旅行など、いろんなスキャンダルが今まで出てきたので、国民が刺激に麻痺しているので、どんなスキャンダルが出てきても支持率が動かないのかも。
小泉以後、いろんな首相が政権を握ってきたけれど、経済政策を大々的に宣伝して実行した首相はほかにいない。せいぜい子ども手当やります、ぐらい。
首相の鶴の一声で黒田総裁を連れてきたり、記者会見やって株価回復させたり、消費増税を延期したり、リーダーシップを示して結果も出している。最近はアベノミクスを前に出さなくなったけど、このときの印象が強くて、安倍首相がやっているほうが経済は上向きになるんじゃないかと思っている可能性。
日本はここ数年右傾化したかのように見られているが、ずっと保守政党が政権を握ってきたバリバリ保守の国。あの手この手で保守層をがっちり掴んだ安倍晋三は、ちょっとの批判じゃビクともしない。今までの首相は分裂気味なリベラル層にも配慮しようとしていたから不安定だった。
日本会議も50年ぐらい地道に活動しているし、保守層の票はそんじょそこらじゃ動かなくなっているのかも。
T塚ヨットなんちゃらやW民が
あれは戦いじゃないよ
和解でもなんでもなく
結局教師への依存から脱却できなかったというだけにしか見えなかった
彼には自分の演奏が周囲から見てどう聞こえるかという客観的な視点がない
「自分が天才であることを証明してそんじょそこらのエリートなんか蹴散らしてやるぜ」
という動機だけでずっと行動している
あいつのドラムはフレッチャーに聞かせるためだけに演奏されているわけで
観客を感動させないよう意図されているはずなんだ
あの演奏を見て手放しで凄い凄いと言うのは少し見当違いじゃないかと僕は思う
http://anond.hatelabo.jp/20161130113432
試される大地へようこそ! 1月にいらっしゃるとのことで、お勧めのお店を紹介します。
ここの「ガタタン」を食え。「ガタタンラーメン」がスタンダードだが、個人的には「ガタタン」をチャーハンにかけたものが好み。
「ガタタン」は塩味のあんかけなのだが、ほとんどこの芦別でしか食べられない。戦後、満州から引き揚げてきた人が中国料理をアレンジした料理を蘆別で始めた。これが「ガタタン」。
炭鉱で栄えた芦別。炭鉱マンをあったかくする為に「ガタタン」は食べられてきた。そして近年ではご当地グルメに。
そんじょそこらの粗製乱造されたご当地グルメには叶わない、引き揚げ~炭鉱労働という、戦後北海道の歴史のド真ん中を歩いた食べ物といえる。
これを味わいながら、北海道の近代史というものに思いを馳せてほしい。
今ではめっきり少なくなった、ただの食堂。ラーメンがメインで、二人のばあさんが作っている。
化学調味料主体の、懐かしいラーメンを食べたかったらここ。醤油を頼め。チャーシューが激烈に、懐かしい。
昼時に行ってみてほしい。近くの道の駅に大型トラックを止めた運転手さんや、地元の昼間っから道楽してるおっさんを眼にすることができるだろう。
ここから北見に抜ける運ちゃん、阿寒に抜ける運ちゃん、帯広に抜ける運ちゃん。今も昔も、足寄は人間交差点なのだ。
いいか、北24条の「三船」に行くんだぞ。「三船」を冠する店は何件かある。美唄焼き鳥の元祖三船福太郎氏にあやかったものだ。
由緒論はえてして混迷を極める。ここは伝統だとかじゃなく、純粋にうまいところを紹介する。それが24の三船だ。
ここ、メインメニューが美唄焼き鳥の鳥串で、サイドメニューも大変豊富。そしてどれもとっても美味しい……のだが、サイドメニューは頼みすぎないほうがいい。
鳥串が美味しすぎて、何本でも食べられてしまうのだ。6人で行って、一時間半でお通しと串120本と酒だけで帰ったことがある。それだけ串がめちゃくちゃ美味い。
札幌でザンギを食べたいならここ。ザンギって鳥の空揚げの親戚みたいな北海道グルメだが、その王道、典型と言えば松のザンギ。
ただしここはまっとうな居酒屋なので、酒もちゃんと頼むべきだし、注文しないでずっと居座るようなことをしてはならん。
食事メインなら正直いかないほうがいい。あと和風パブっていってるが普通の居酒屋だから気負うことはない。
道北や道東のいなかには美味しい蕎麦屋が点在しているが、ここは士別市の郡部にあるお蕎麦屋さんだ。
田舎のロードサイドってのがどんなものが味わうに格別の場所。②のあさの食堂と似てるんだけど、こっちのほうが人の往来が多い気がする。
ここの主人は、道外からやってきた人。多寄の食材に惚れ込んで移り住んだ。この多寄、蕎麦は生産するが、それはどこか遠くへ運ばれるだけだった。地元産の店を、超田舎で提供する試みが始まった。新しい移住・挑戦の歴史を感じたいならばここだ。
焼き魚を食べたいならここだ。目の前で焼いてくれる感じだ。私は山育ちなので、豊富な魚メニューのどれが旬なのかさっぱりわからない。けれど、いつも頼んだものは絶対に激烈においしい。
近くに道の駅があるから、そこも見学しよう。そしてこの界隈には美術館がたくさんありますわ。いずれも郷土の画家ですの。お嬢鯖も大満足間違いなしですわよ!
ニシンの時代は遠くなった。最近はまた増えてるらしいが。では漁村では何が行われているのか。それは、ニシンが群来(くき:大量にやってくること)ていた時代から培われた「水産加工業」だ! そんな歴史はともかくだ。札幌から200キロ程。ここまで離れると海鮮丼が安い! 「羽幌丼」を食べよう。地元産にこだわりたいなら「甘エビ丼」だ。食べ終わって満足したら、付設の直売所を見に行こう。水産加工のテクニックを直に感じて、お土産を買って帰ろう。
・疑惑について「報道が出る可能性」があり,それを知ったのであれば,
・かつ「このまま竜王戦に入れば七番勝負が中断になる可能性もありますし、将棋連盟にとって最悪の展開は後に隠していたと言われること」が告発の理由なのであれば,
その時点で行動すべきではないのだろうか。
これについては、その時点では「黙殺する」「無視する」という可能性も考えていたのだとすれば合理化できる。
なにせ物証はないんだ。だったら週刊誌による憶測記事として黙殺したっていい(今年の文春の将棋報道なら森内と竹俣の師弟関係破綻とかもあるが、中村記者の力量もあっていい記事になってるが所詮はゴシップの域を出ていない。もちろんそんじょそこらのクズゴシップ記事とは比較にならん出来だが)。
ところが、いざ対局してみて「挙動不審の相手に」「思いもよらない好手を連発されて」完敗し、自分でソフト検証したら「一致率が高かった」。
おそらくこの時点で理性は吹っ飛んだと思うのよね。それで逆に文春を利用して洗いざらいぶちまける手に出た。
このへん、確かに合理性は欠くと思うよ、物証はない、根拠は超一流棋士のカンと、この時点では本人の主観ではそれなりの根拠になると考えていた一致率だけ。
だけどそもそも理性が吹っ飛んでいたとしたら、逆に理解可能だと思うのね。
これも常識的に考えればそうなんだが、しかしこの件は発端からして常識の範囲をはみ出てる。
三浦がシロだったとしても、そもそもは三浦の常軌を逸したレベルの挙動不審が発端なんだし、後から後から出て来る報道を見る限り、ほとんど芥川の『藪の中』のレベルで、関係者が残らず、何らかの嘘をついているとしか思えない(全員が本当のことを言っているとしたら何らの整合性もなくなってしまう)。
だから、この件で誰がどんな嘘をついていて、その理由はなにかということを考えるのはあまり意味がない気がする。
その上で敢えて言うと、俺はこの件、Aであったとしても渡辺はそのことに関する限り嘘をついていないと思う。
それは上記の通り、自分が「被害者」になるまでは黙殺も可と考える合理性がある点、それと竜王戦に関しては、渡辺三浦両者の合意のもと金属探知機で対局前の調査を行うことの決定が10/5付で連盟より発表されていて、おそらく打診と合意は10/3以前に取れていたはずで、渡辺としてもそれで十分と踏んでいたのではないかという点。
毎日新聞に掲載された三浦渡辺の順位戦の観戦記を読むと(これも図書館で確認できたら可)、とにかく渡辺の対局中からの意気消沈が半端なくて、三浦相手に完璧に読み負けていることにすごいショックを受けているんだよね(むろん観戦記者は観戦し執筆した段階では疑惑のことは知らない)。だから、この対局でスイッチが入ってしまった、ということは、それなりに合理性があると思う。
↓例えば、こうなったら交通事故で死なない