はてなキーワード: 還元とは
最近SB光から他社光に乗り換えたんだけど本当にSoftBankはクソ。孫正義を許すな。
SB光は杜撰工事の挙げ句ハイパワーなルータ自腹切って設置したのに昼間でも連日上下60Mbps以下とかいうクソポンコツだったのに、某有名光の方はレンタルルータで夜も上下150Mbps余裕で越えてるんだよね。
しかもSB光解約しようと思って電話窓口に掛けたら全然繋がらんし。
3日くらいトライしてやっとつながったと思いきや、解約月料金日割りになるって説明の直後に「解約申し込み手続きに時間かかるのでまた1週間後に電話して下さい」って言われたんですよ。
なもんで案内に従い日を改めて電話入れたら「支払いが翌月10日になる関係で解約受付から1週間は回線切れません」とか言われたんだけどやばくない?
乗り換え先開通済んだんで遅すぎるWi-Fiに用はないしルータ切ってて、もう使ってないのに2
週間も余分に金払うのおかしくね?ってつついたら「すみません!今回線切れました!ご利用ありがとうございました!」って言われたんだよね。前回の案内については返金とかの説明も一切無し。確認したら本当にSB光の回線使えなくなってて笑っちゃったわ。
前sb光に乗り換えた時は還元あるって説明受けたのに還元なかったし説明よりも数千円月額高いし散々だったけど、最後まで不信感しかなかったよ。
もはやsb自体使ってる理由ないし他社に大手の別キャリアに乗り換えます!
私がジャンルと言っているのは、そのジャンルの作品数が増えることである。(質問わず)
ジャンルに関わるクリエイターが多くなり、作品数が増えることそれがジャンルの繁栄である。
富、名声、地位という代表的なものを、クリエイター個人個人が手に入れることが出来ることがクリエイターの繁栄である。
この二つを双方といったのは、ある時のジャンルの繁栄とクリエイターの繁栄は対立関係にあるからだ。
ジャンルがある程度育っている場合は、ジャンルとクリエイターは対立関係になく、協力関係に近くなるが
クリエイターによる革命的な創造によって、ジャンルとして発生する可能性を秘めている時点は、対立的である。
つまり属人的であるとき、ジャンルがまだクリエイター個人のものであるときは、それをジャンルとして扱われること、非属人化されることに拒絶反応が出るだろう。
その時にはまだ、作風として、クリエイターのアイデンティティとして機能するのだ。
例えば、アニメというジャンルは誰かのものではないが、アニメ作品となれば、誰かのものになる。
まだアニメ作品は集団で作られるので、ジャンルとして扱われるのだろう。
芸人を見るとわかりやすい。彼らの漫才やコントはアイデンティティを確保する。
これを真似れば、パクリとして扱われるだろう。
しかし、こういった状態は、ジャンルの繁栄としては悪いと言える。
誰もジャンルに関われず、似た作品を作ることは、集団、本人などしか作ることが出来ないだろう。
どのように行うかというと、抽象化になる。
もし、この抽象化を、全体へ還元せずに作風、アイデンティティに還元するなら意味はない。
より大きなものへと、広げていき、出来れば属人化されていないところまで広げられれば良いだろう。
しかし、完全な対立関係ではなく、ジャンルを使用するもののところにもクリエイターがいなければ、そのジャンル終わってしまうだろう。
その時点では、ジャンルを使用するものたちのクリエイターの質は低い状態が望ましい、なぜかというと、さらなる分裂は避けたいからだ。
そして、ジャンルが繁栄し、数が増えたとき、それはアイデンティティではなく、より大きなものになるのだ。
こう考えたときに、一時的な対立関係を経ずにはできないかと考える。
・凄腕クリエイター
・抽象化を行う物書きたち(評論家や、批評家がこれにあたるのではないか、その中でも全体へ還元することを良しとする人、グループでなければならない)
・物書きを支持する人たち(未成熟クリエイターや柔軟な考え方ができる視聴者も含む)
・投稿場所(サイト、未成熟なジャンルが埋もれないような場所、すみわけができるような場所)
しかし一次的な対立を回避することが可能になって、より包括的な繁栄が可能になる。
つまり凄腕クリエイターが創造し、それを即非属人化し、ジャンル化し、ジャンルの繁栄に対してクリエイターにインセンティブが発生するようにできるだろう。
気が向いたらどうが作るためのプロット作るか。
アマプラの会員を一時的にやめる前に、エヴァの動画及びそのプロットになるブログだけは作っとかなきゃ
「口の前に手を動かせ」
って言ってる時点でそうじゃん…。
テレビ版や序破のマヤ、かなりりっちゃんに愚痴ってたけど、そんなこと忘れて部下にゴリゴリ命令してる。
で、大人になって見ると
とかいって、自分がなりたくない種類の大人になってたり、ティーンが見たらバカっぽく見えるほど志の低い・感じの悪い行動取る人が多いんですよね。
エヴァンゲリオンの背骨になってる価値観を理解してない人が多いってことがわかったからそこをベースに組み立てていけば、いいのな。
うつヌケ描写とか、世界観の考察がどうとかってみんなそっちに行きたがるんだけど…そういうことじゃないんだよなぁ。
それは土台わかってる人がやることやねん
アマゾンレビューで星1つのやつみてたらこんなんあったけど、これトウジの
「多少事情は聞いとるが、けったいな話でよーわからん」でほぼ片付いとるんよね。
マジな話すると、ローマ帝国だって、全ての建物を2000年持つローマン・コンクリートで作ってるわけじゃないんってだけ
結局、ニアサードインパクトの後の世界に限ったことじゃなくて、国家権力が興味ない分野って技術があろうと投資されないんですよ。資源は有限ですし。
ましてや、ゲンドウのエゴと、それに対するアンチというすごく個人的な人達が政府やってるとなれば…戦わない庶民なんぞ後回しになりがち
で、この辺のことわかんない人が、現実の政治経済でも、フィクション上の設定の整合性に対しても、
みたいに言うけど…逆に庶民に還元されまくってる現代がレアですよ。
世界史的に、軍事に関わる分野しか優遇しない国なんか山のようにあるし
「受験で社会科科目の点数を冷遇した結果、想像力が全然広がらない人間が大人になって一丁前に意見や批評をしてるんやな」
って思っちゃうわけです。
きっと別の科目が得意な人は似たようなこと思ってたりするんだろうけどさ…。
トウジにとって同級生であり、命の恩人であることはもちろんなんだけど、トウジが医者で子持ちだから、子どもと接する機会が少ない大人よりシンジ目線に立てるのよね。
あの村が変わり者二人でできてる隠喩になってて好き
・他の大多数みたいに距離を取りながら接していうべきことだけ言う
委員長のおとんがウザキャラとして出てくるんだけど…これも後のゲンドウの回想シーンへの伏線というだけじゃなくて、
「常識人」
キャラなんですよね。
逆に、エヴァを見てる人達からしても部外者だからうざいし頭ごなしに見える
例えば、テニスの王子様や三田紀房見てて面白いのは、観戦してる人全員が会話してるみたいに必殺技の名前や状況認識を共有したり、距離離れてるのにテレパシーで会話することがよくある。
エヴァはその逆なんよね
よくよく考えたら、ケンスケがアスカの全裸見てもノーリアクションだった時点でお察しなのか!
地味に情報量が多いシーンだ。
最初見た時は問題児を二人拾ってきたからいまさらアスカの奇行にビビらないのかと思ってたけど…よく考えたらそういうことじゃないわ。
奇行で脱がないもんなぁ
そして、ケンスケだけ帰ってくると思ってアスカが全裸で待ってるとしたらそれはそれで解釈変わってきて面白い。
いや、アスカあれで尽くすタイプというか、求愛行動が激しいところあるから、あり得るんですよ。
そりゃ、ケンスケに当たるような会話になるわ…。
アスカ「ケンケンはどんな時も6時起床。もう仕事に出てる。朝飯はそこ」
だけど、愛妻女房が、夫の生態を徹底的に把握しつつ、一応夫の客人だから良妻っぽく食べないであろう食事まで出してるシーンとして見るとかわいいwww
エヴァってさ…多くのオタクの性癖を開発した作品としても有名だけど…今回ヤンデレとかロリババアがメインだと思ってたら、そっち方面でも開発してたのね。
メスガキって言葉ができる前のメスガキの代表例みたいな子が、まさかの人妻としても性癖のるつぼに
どうしようエヴァンゲリオンのアンチレビューがどうでもよくなるぐらい人妻アスカ気に入ってるんだけど…。
態度こそメスガキそのものなんだけど、行動がデレデレという奇跡的なバランス。
これやばいわ
人間同士の距離感とか、世界観とかロボットのアクションとか色々言われてんだけど、二次元やファンタジー設定だからこそできるキャラクターを掘り起こしてくるところが一番有能だから!
みんな考えすぎなんだよ
僕も含めて
黒綾波に対して「働けりゃなんでもええ」っていうおばさん…いい意味で大人よなぁ。
そうなんよ、学校生活に慣れてるから若い子の多くは自意識過剰になりがちだけど、大人になるといい意味での「無関心」を装える程度にスルースキルつくのよ。
この感覚描いてるのはすげーわ
アスカ「黙って隅っこに寝っ転がって自分は辛いってアピールしたいだけでしょ?掃除の邪魔、マジウザい」
これ後半が本音なんだ。
ミサトと暮らしてた時は、生活荒れてたアスカさんが掃除の邪魔とかいうの、マジで人妻化してておもろい
家事をシンジに丸投げしてた時期のアスカからすると、「人妻化すると、アスカってめっちゃ家キレイにして、夫に偶然を装って全裸待機するタイプのデレデレ女房になるんや」
って思うと、マジで感慨深い。
言動は湿度高くないのに、行動デレデレって現代人にとってある意味最高の妻では?いや、マジで
いやまぁ、同人誌で綾波以外全員人妻にして描いたら、色々解釈違いだなんだってオタク学級会起こすかもしれないけど。
アスカ「もううんざり。それあたし『ら』もしんどいんだけど。」
寝込んでるシンジにうんざりして出たセリフだと思ってたけど、これ「一向に帰ろうとしない夫の客人」へのセリフなんやな。
前のアスカなら「あたし」であって、「あたしら」とは絶対言わんから、これ人妻アスカのセリフやわ
アスカがケンスケの家でしゃべることば1つ1つ書き出していくと、必ず人妻感出してる。
人妻感は言い過ぎにしても前のアスカなら絶対言わないことばっかりだから、ちゃんと検証すると、デキてないと意味が通らないことを多く言ってるのすげー面白い
面白いなぁ…
大人に対して「もっと私を見て」とか渇望してたアスカが「一人で拗ねてろ、ガキ」と見放すのもおもろい。
ここでも迷惑な客人への(人妻アスカとしての)言葉でも成立するのもまた面白いが、それ以上に「年齢や立場が変わると、世代が違う子はおろか自分の過去とさえ会話が成立しない」のがおもろい
シンジくんの動向についてケンスケがアスカに聞くシーン…ストーリー上なんの違和感もないセリフだと思ったけど、連絡事項をやり取りした後に
人当たりのいいケンスケなら誰にでもお礼言いそうだが、ちゃんと応えるアスカがなぁ~
アスカ「私はひとり、これまでもこれからもずーっと一人、それが当たり前なのよ。アスカ」
面白いのは、こんな事言いながら、ケンスケと暮らしてる時はめっちゃ人妻してる。
ストーリー的にもケンスケの性格的にもアスカといる時間は短くなりがちだから、一人の時メンタルヘラってると…かわいい。
アスカって好きな相手ができると、相手に対する思いが強すぎて、誰に対しても会えない時にメンヘラ発言したり、嫉妬したり、自分が期待したほどかっこよくないことに切れ散らかしたりするから…解釈通りです。
人妻アスカと矛盾のないセリフ。多分、結婚しても暇になるとメンヘラ発言しそう
みたいな話もさぁ…アスカの現状(人妻アスカだけど、夫が不在・一緒にいるのに関心をシンジに取られててメンヘラ発言した直後)を考えると、自分に
シンジが黒綾波からのカセットテープを突っぱねるシーン…アレ、2回目だと解釈が変わって面白い。
単に「いま人と関わりたくない人にそんなことしてもなぁ」と思ってたけど、この時点でもうストーリーと繋がってるようにデキてるんだ。
誰が言ったか忘れたけど、アスカとケンスケがいい仲だと気づいた人の論拠は、トウジとケンスケの会話でトウジが
「シンジも早くこの村に馴染めばいいのに」
それで、2回目見る時にアスカのシーンを注視したら、アスカの言動が明らかに人妻なんよね。
私が、エヴァの動画を映画上映後すぐに出せなかったの、私よりも洞察力すごい人が、もう敷いてある畳までひっくり返す勢いで見てるからとても合わないと思ったから
あとは私の中で「うつヌケ」と妹のシーンが強すぎて、卒業とかいい仲とかそっちに目が行かなかったのよね
シンジくんがうつから脱却するトリガーを綾波が作っていくシーン…アレね、ほんと正しいんですよ。
うつの人に常識とか、大人の当たり前とか押し付けてもトラウマと不甲斐なさで病むんですよ。
基準を自分のベストパフォーマンスや、社会の大人として立派なところに置くのをやめる(それが求められてるという自意識過剰や、頭ごなしな大人から距離を置く)ところからスタートせな立ち直れないんですよ。
自分がうつからパフォーマンスを回復した経験やいまでも時々病むことからすごくわかる
ただ、普通の人ってエヴァ見てもシンジくんがうつから抜け出すシーンの的確さや、似たような体験をしたからこそ抜け出して立ち直れた時に自分のことのように感動する感覚ってないから…視点が合わないんですよ。
「エヴァは庵野秀明の私小説」という人はなおさら、そこを重視してみるべきなのよ
「なんでこんなに優しくするんだよ(泣)」
うつヌケの最大の近道ってそこなんですよ。
だから、もう僕の中では前半40分でエヴァって名作なんですよ。
うつヌケ作品として本質を描いてる上に、うつの人にとって一番欲しい「自分以上の理解者」の存在を描いてるから。
自分で下げられないハードルを下げてくれる理解者が見つからないと、無限に自己嫌悪と無力感がループするんですよ
シンジくんがうつヌケして、ケンケンの手伝いを始めると、唐突に「ポツンと一軒家」が始まる。
老朽化して放置されたインフラの話とか、川の水量をチェックするとか…日本の奥地の現状なんですよ。
第三村が原始的すぎて、低評価付けてた人いるけど…日本にも実在するんやで。ポツンと一軒家見てみ?
私、歴史の話とか、その土地の人の話聞くの好きなのは、自分の知らないものさしを大事にしてる場合があって、それが視野を広げてくれることがあるから。
エヴァの中で田舎を扱ってることに「技術レベル的にもっと開発できたはず」みたいに言うアンチがいるんだが…日本の田舎が開発できるはずの辺境地
逆にエヴァを見ても
みたいに思えない人がアマゾンレビューで星1を付けまくって、作品として星4にも到達してないのが、私には我慢ならんのよ。
人間(特に大人)が名前をつける相手って子どもとかペットとか苦労して作ったり発見したものに対してだから…遠回しに「碇くんに大事にされたい」という愛の告白なんよねぇ。
今の親御さんが言うのかは知らんが、私の時はまだ
的なことを言う人が、誰か忘れたけど、一応いた。
百姓という表現が物議を醸すことは横に置いといて、都会で自分だけで生きてるという感覚を消そうという教育・教えはあったのよね
ケンスケに撮影された時のアスカのリアクションが完全にメスなんだよなぁ…。
いや、もともと
って感じではないけど、恥じらい方が(頬を染めるなど)過剰すぎて、めっちゃメス。
これは確かに、デキてる設定の方が納得行く
破ぐらいまでの人間関係だったら
「フンッ」
「バッカみたい」
とか言って撮られてもスルーするか、本当に嫌なら蹴りの1つもお見舞いするのがアスカなんだけど…人妻化すると乙女に恥じらうから「やだ、女の子してる!!」と周回して驚くのよね
いきなり殴って「ドアホー」と罵りながらシンジくんに泣きつくサクラちゃん。
なのが、1回目は違和感なかったけど、2回目は突っ込みどころしかない。
1つは「お前が言う!?」です。
さっきまで女房やってたの君やん。
もう1つは「(本人的には)そうだよ」です。
開始1時間で
「本人に自覚ないけど、結婚すると夫ラブのデレデレ乙女に行動が豹変する人妻アスカ」
をだしたことに加え
「もう自分がゴールインしたと思って、束縛しながら崇拝してくるヤンデレサクラちゃん」
が出てくるんですよ?
「誰のおしっこかわからないこの再生水と同じ。清めれば済むと思ってる」
という一言で、全員同じものを食べたり飲んでるはずなのに、『飲尿女』というあだ名が付いた女の子が出てきた。
ネットの評判ってあまりにも短絡的に嫌いなキャラに変な仇(あだ)名付けるから、身内ノリとして楽しい
(訳:夫とラブラブしとったんじゃ)
「ほぉ、年頃の男の子は眼中にないと?」
(訳:お前人妻やしな)
(訳:年増には甘えんぼのガキがお似合いや)
1回目に普通に見た時は(訳:)に当たる部分が全く思い浮かばないマリのウザ絡みシーンにしか見えなかったけど…これ2回見ると Permalink | 記事への反応(1) | 15:16
お気遣いまで、ありがとうございます。
これは後出しでズルい話なのですが、高校受験ではそこそこの偏差値の学校の特待生をやっていました。
途中母が重度うつ病と肺炎を患い、その介護のため進学先は近場の専門学校にしたという経緯があります。
暴対法が出来てからは実家が貧しくなったのもあり夜はキャバクラで働いていました。
おっしゃる通りで、何かを器用にこなすことは昔から得意だったかもしれません。
「増田は他者に何かしら具体的なメリットをもたらさないと構ってもらう資格はないと考えてる」
これもおっしゃる通り、自分の精神にとって大きな問題だと思っています。
ひとりでいることはやはりさみしく、ついメリットをチラつかせてでも短期的に人を欲しがってしまう弱さがあります。
具体的なメリットをチラつかせる癖をまずは直してみようと思います。
細かい所で言うと、どんな相手にも食事代や贈り物にお金を使いすぎないことから始めてみます。
自信がありません。想像しただけですごく怖いです。
食事を奢らないで人と会うことなんて、私が連絡していいとは思えません。
なぜなら、幼少期から成人するまで私の衣食住はやくざものの父が違法行為や不法行為で作ったお金で賄われいたからです。
この体も心も頭も、社会や人々に還元しないと生きる資格なんてないと思ってしまいます。
怖いです。でも、普通の人に憧れます。普通になりたいです。そう思ってもいいものか自信はないです。
でも、一旦やってみようと思います。
なるほど。それは大変だったな…。
たぶんだけど、Fランとか専門卒とか言ってるけど元々の能力はある方なんじゃないかな。「普通」をやるセンスも本来は持ってるんじゃないかという気がする。それが育ちの問題で乱されてるだけなんじゃないか。増田に書いてあることから想像してるだけだから間違ってるかもしれないけど、増田は他者に何かしら具体的なメリットをもたらさないと構ってもらう資格はないと考えてるように見える。「友人や家族に"還元"」とか「上記の"条件があれば"すぐできるだろうと思った」とかその辺から。その結果として実際に「具体的なメリット」に群がる種類の人間が周りに大勢いるんじゃないか。でも増田自身は本来そういう関係性を求めるタイプではないから深入りする前に引いてしまう。
具体的なメリットをチラつかせないと寄ってこない人間とは付き合わなくていいんじゃないかね。そんなもんなくても増田が作っているものや考えていることに興味を持ってくれる人間と付き合って、増田も同じようにその人達のやっていることや考えていることに興味を持てばいいんだと思う。要は普通の人が普通にやってる人間関係という話だけどな。多分増田はそれはできるタイプのように見える。俺はそういうのがどうにも苦手で上手くやれないからこそそう思うんだけども。
Fランどころか専門学校卒業の女なのにひょんなことから20代で年収が1000万を超えてしまった。
とある専門職で、体は酷使ってほどではないけどまあ普通くらいに疲れる仕事。
元々質素な暮らしをするタイプなので、納税をしても割とお金が余るので友人や家族に還元していた。
資産運用も勉強したけどわからないから銀行とか証券会社に相談して任せた。
金があると美容にも金がかけられる。目も二重にして、ホワイトニングして、元々ラッキーな細身巨乳も相まって小綺麗な人間になれた。
恋人が欲しかった。上記の条件があればすぐできるだろうと思った。
でも全然できなかった。
マッチングアプリも飲み会も、バーも行った(クラブは行かなかった)。
声は掛けてもらったし、交際まで至ったり、セックスだけしたり、色々な形で異性と関係を持った。
でも結局恋人はできなかった。
かわいいね、きれいだね、素敵な服だね、一緒に話をしていて楽しいよ、って言われても、私自身に言ってるんじゃなくて私の持ってるお金に言ってるように聞こえた。
実際にヒモになりかけた人もいたし、お金も体も要求されてきた。
あー、私は性格とか人格とかはあんまり魅力的じゃないんだなあと思った。
どうしようか。
このまま男の金蔓になって虚しく死んでいくのか
ひとりでさみしいさみしいって薬飲みながら死んでいくのか
どっちのがマシだろうか
地方のインフラを維持する金は無いので、コンパクトシティ実現のために、地方の自動車生活は維持費がかかるようにした方がよく、
ゴミの回収についても回収車の負担が増えるのだから、有料費用を増やすべきだ。
今後、世帯数減により東京の不動産価格が下がる危険性があり、そうなれば東京の不動産価格上昇を前提に動いてる経済は破綻する。
もちろん東京の商品も色々価格上昇するだろうが、規模の経済があり、多少はましだろう。
地方交付税交付金を還元しないようにすれば、東京のインフラ更新費用にも充てられる。
地方を放棄というと反対する人が出てくると思うが、地方は何の価値を生み出しているのだろうか?
製造業が全盛期の時は、工場稼働するために土地も人も必要だった。
だがグローバル化によって、日本に工場を作る必要はなくなった。
工場で働きたいという人も少なくなっている。工場が出来たとしても周囲にお金を落として街の発展に貢献するわけでもない。
地方の農業についても、より経済拡大したり、規模拡大したりしない。
土地を大規模にしようとしても出来ず、借金をして新しい農機具を購入というのも規模拡大出来ないから購入も出来ない。
例えばお茶は静岡というイメージはあるが、今は機械化した鹿児島が迫っている。
機械化に向かない農作物は作るべきではない。技能実習制度で労働力を補う必要があるような農作物は作るべきではないのだ。
出資を募ってたとしても、そもそもグローバルで活躍できる技術を持っている人材がいない。
なにかなすわけでもなく、パチンコとガチャに多くの時間を割く。
今は、海外に子会社を作ったり、投資して稼いだ外貨を円に還元し、そこで稼いだ利益で、日本国内の従業員の給料を払うので、円安の方がいいという。
本当か?
日本国内へ投資しても成長率が見込めないのだから、成長が見込める地域に投資すべき、というのは正しいだろう。
では、稼いだ外貨を、わざわざ日本国内の従業員に支払うために還元するだろうか?
個人投資家も企業も海外に投資していって、電子データ上は資産が増えていっている。
日本国内のお金で海外が豊かになっていくのを見ていくことになる。
おま国みたいなことも出てくる。
変動相場制なので、本来バランスしている実力より円安に触れていると有利ということで、
あまり詳しくは言わないけど、反社・DQNと動物肉というのはからんでいるよ
2002年、この年は雪印食品や日本ハムといった食品メーカーにおいて、2001年ごろから次々と牛肉偽装事件が発覚し、大きな社会問題となっていた頃でした。
その中で、大手スーパーマーケットである西友においても、この牛肉偽装事件が発覚したのです。
事の発端は埼玉県狭山市にある西友狭山市駅前店において、アメリカ産やカナダ産の牛肉、豚肉を国産と偽って販売していたことが9月に赴任した畜産マネジャーによって発見されたことでした。
その後ほかの店舗も調べてみたところ、北海道札幌市東区にある元町店(現在の元町北24条店)でも同様の偽装が見られ、このため西友側はお詫びとして販売した牛肉や豚肉について、返金対応をすると発表しました。
しかし上記の偽装期間が調べてみると1年間ほど続いていたことや、スーパーマーケットなどで商品を購入した際のレシートや領収書を保管しているお客様が多くないことから、レシートなどの証明するものの提示が困難だと判断し、異例にもレシートや領収書なしでも自己申告制で返金対応を行うという方針を打ち出しました。
西友側は同年9月18日から狭山市駅前店で、9月27日からは札幌市東区元町店でも返金対応を開始したのですが、当初は主婦の方などが返金を求めて来店していたものの、次第に噂を聞きつけた若者や暴力団関係者(のちにDQN客などと表現されました)が店に殺到して返金を求めるようになるという事態に陥りました。
そしてそれでは終わらず、翌日の28日には1日の売上げをはるかに超える金額を要求するDQN客が現れたため、示談によって金額を支払うという結果になります。
それ以降の返金希望者には一律その金額が支払われるようになり、返金額はさらに増えていきました。
すると29日には返金額が5,000万円以上と、年間販売額の3倍以上になったため、ついに西友側は返金を打ち切り、特売による還元に転換することを発表しました。
その後も、西友側が臨時休業とした日にも若者ら数百人が終結して大混乱となり、警備員に暴行したとして19歳の男2人が現行犯逮捕される事件も発生しました。
これらの一連の流れから、ようやく西友側は北海道警察へ出動を要請し、道警は今回の返金騒動で暴力団が関与していたとし捜査を進めていく中で、10月4日に道内の暴力団関係者を恐喝未遂で逮捕しました。
DQN客とは?
こういった事件などが発生するようになってから、「DQN客」という言葉がよく使われるようになりました。
しかし皆さんは、そもそもこのDQN客という言葉について、正しく理解されているでしょうか。
DQN客とは、軽率そうな人や実際にそうである人、粗暴そうな風貌をしている者や実際に粗暴な者、かつ非常識で知識や知能が乏しい人を指す、一般的なインターネットスラングであると言われています。
この「DQN客」は侮辱語とも呼ばれ、良い意味で使われることはありません。
しかし振り返ってみると、西友偽装肉返金事件は、その肉産地偽装自体も問題でありながら、その後の返金対応において事態が大きく悪化し、収拾がつかないほどの大事件に発展したと言えるでしょう。それはどうしてなのでしょうか。
その後の調べでは、北海道札幌市東区にある元町店に来たとされる者の多くが、明らかに札幌の人間とは違う訛りや風貌であり、札幌以外のナンバーの車が多く押し寄せたとも言われています。
それに加えて、その後の報道でワゴン車にすし詰め状態で札幌にやってきたと証言する者が多数いたことが報道されたことなどから、実際には西友元町店で問題とされる肉を購入していないにもかかわらず、札幌以外からわざわざ返金処理目当てでやってきた者が多くいたということが浮き彫りになりました。
また一説には、地元メディアでは当てもなく北海道の地方からやってきて、すすきのでたむろしている若者を暴力団関係者が雇い、返金請求に行かせたことが騒動の原因ではないかとも報じていました。
実際、西友側がその後、購入を証明するものを持参した人のみの返金する方針に切り替えたところ、少数の主婦がレシートを持って返金を求めたに留まり、若者が返金を求めることはなかったという点でも、上記の説が事実であったということを裏付けているように感じます。
肉産地を偽るという偽装事件は大変な問題ではありますが、この西友偽装肉返金事件を通してもう一つ大きく浮き彫りとなったこと、それは何かあった時にそれを受け取る側(人間)のモラルが問われるということです。
もちろん当然ながら、該当の肉を購入した者がその後店側に返金を求める、というのは何の問題もありませんし通常の行動です。
しかしながら、店側の最大限のお詫びの気持ちと配慮で「レシートや領収書なしでも自己申告制で返金対応を行う」とした対応を逆手にとって、購入してもいないのに返金対応を求めて押し寄せるというのは、まったくのお門違いでありモラルを欠いた行動です。
こうした事件を逆手にとって便乗する行為をする人間が多数いたということについては、偽装事件とはまた別の観点で問題視しなくてはいけないのではないでしょうか。
犬、めちゃくちゃ好き。
もう1年くらい毎日通勤中に必ずすれ違う犬がいて、特に好きだ。あまり犬種に詳しくはないが多分なにかしらの大きい和犬で、焦げ茶色である。最近ちょっともっさりしてきて、冬らしい感じなのが良い。
品の良いご婦人と相当ゆったりめのペースで歩いており、やや前をとつとつ歩きながら、自信と活気に満ちた表情をしている。たまに振り返り、すぐまた前を向くのだが、その表情がすごく良い。自分が愛されているということに微塵の疑いもない様子がありありと伝わる、すんっ、というか、てんっ、というか、そういう収まりの良い擬音がつく顔である。
ほとんど毎朝見ているため、なんとなく犬のほうも私を知っているとみえる。角を曲がった先にいると、おっ、みたいな顔をする。そんな気がする。
そして犬というものは犬に敵意のない人間を理解できるのか、あなたは悪い人ではなさそうですね、そしてわたしに興味がありそうですね、というような表情をしている。そんな気がする。
先日いつもしていた白い首輪が赤いハーネス型のものに変わり、おっ赤も似合うじゃないの…と思いながら見ていたのだが、その目線も理解できていたのだろうか、彼または彼女のそれに対する反応も、分かりますか、いいでしょう…という感じの自信に満ちた様子があり、それもまた非常に良かった。
話しかけてみたい、撫でてみたいという気持ちは常にあるのだが、あまり人様の家族に気安く手など出すものではないということ、もしも他人から触れられる行為が好きではない犬であれば可哀想だということ、何より、あのご婦人と犬の間に漂う一幅の完成された絵画のような静謐な雰囲気に私が立ち入ってしまうと、何かが壊れやしないだろうかという懸念もある。そうこう考えているうちに、今日も彼女と一匹は、アスファルトと爪が触れ合うときの、ちゃっちゃっとした快活な音を残して去ってゆくのだった。
彼または彼女だけでなく、あらゆる犬のことがかなり好きなのだが、それゆえに却って犬を飼うという選択肢が選べないでいる。というのも、私は独り身だし、出張や転勤もあるし、家には庭もない。それに大して収入もないから、有事の際に出来ることには限りがあるだろう。
そういった制約下でも犬を飼うことは一応できるだろうが、幸せにできる確率は客観的にみて有意に低いだろうし、またその自信もない。私の望むところというのは犬が幸せにあることで、犬を飼うこと自体は望みではなくその実現における一つの手段に過ぎない。
ここ数年はボーナスを貰うと保護犬シェルター等に多少の寄附をしているが、これも時期が予定されていてかつ生活の不自由にならない金額であって、犬を飼う人々やそれに関わる人々が、彼らの病気や怪我など生命についてまわる数々の不確実性に向き合っているその覚悟に較べれば、実に都合のいいものだ。
たとえば毎朝すれ違うあの犬の背中に賽銭箱か何かが付いていて、良いね…という思いを多少なりとも彼または彼女の暮らしに還元できればと思うのだが、そういう訳にもいかないだろう。
祈るばかりで特に何もできないことが歯痒くもあり、もどかしくもあるのだが、世の中にいるすべての犬が幸せにあらんことを、と思わずにいられない。そして犬を飼っているすべての方は、あなたによって幸せに暮らしている犬が、世の中の誰かにとって良く思われていることを覚えておいていただきたい。そして、可能であれば犬の写真や動画をインターネットなどによって見せて欲しい。