はてなキーワード: 即非とは
2ちゃんヘビーユーザーはそもそも論として専ブラ使うのが当たり前でなんかうぜーやついたら即非表示がデフォだったしミュートワードも駆使してたからな。
この辺が意外と認識が違うところというか、表示させて読んだ上で強い気持ちでスルーしてたわけじゃなくて、スルーしたい奴はそもそもガンガンにミュートしてたんだよな。
まとめサイトに取り上げられるようなとこに常駐してた民だとまた話も違うんだろうけど、そんな感じでけっこうスルーは機能してたんだよな実際。
専ブラ使ってなくて荒らしに構う奴には専ブラ使えって誘導する文化もあったし。
SNSってかTwitterが流行り始めたころに、誰かにブロックされたらめっちゃ怒り狂ってた狂人が散見されたものだが、いやそんな発言してたらブロックされて当たり前やろって感じだったけど、今にして思えばあれって2ちゃん時代は自分が大半のスレ住民にミュートされてる現実に気付いてなかったおかしな奴だったんだろうな。
こいつあかんなーと思ったら即非表示にしてきたから低評価ボタンを押す暇がない。
非表示にしてきた奴らのブコメに逐一低評価ボタンを押してやりたいところだが、存在すら認識したくない奴らのブコメを見るのもそんな奴らのためにボタンを押す時間を費やすのも無駄の極みである。
非表示にするほどではないがこのブコメに関しては低評価という場合も考えられる。しかし低評価はブクマカの評価に将来影響を及ぼしそうだが非表示がユーザースコアに加味されるかどうかは不透明だ。ユーザーに与えるダメージが低評価より非表示の方が大きいならば、ユーザーそのものは非表示にせず部分的に低評価というのが可能になる。
アクシアとほんひまの匂わせが〜って騒いでたひとみーんな即非表示にしてて醜い醜い pic.twitter.com/rE0GqI41PO— ぽ (@auaudarunnn) August 18, 2022
私がジャンルと言っているのは、そのジャンルの作品数が増えることである。(質問わず)
ジャンルに関わるクリエイターが多くなり、作品数が増えることそれがジャンルの繁栄である。
富、名声、地位という代表的なものを、クリエイター個人個人が手に入れることが出来ることがクリエイターの繁栄である。
この二つを双方といったのは、ある時のジャンルの繁栄とクリエイターの繁栄は対立関係にあるからだ。
ジャンルがある程度育っている場合は、ジャンルとクリエイターは対立関係になく、協力関係に近くなるが
クリエイターによる革命的な創造によって、ジャンルとして発生する可能性を秘めている時点は、対立的である。
つまり属人的であるとき、ジャンルがまだクリエイター個人のものであるときは、それをジャンルとして扱われること、非属人化されることに拒絶反応が出るだろう。
その時にはまだ、作風として、クリエイターのアイデンティティとして機能するのだ。
例えば、アニメというジャンルは誰かのものではないが、アニメ作品となれば、誰かのものになる。
まだアニメ作品は集団で作られるので、ジャンルとして扱われるのだろう。
芸人を見るとわかりやすい。彼らの漫才やコントはアイデンティティを確保する。
これを真似れば、パクリとして扱われるだろう。
しかし、こういった状態は、ジャンルの繁栄としては悪いと言える。
誰もジャンルに関われず、似た作品を作ることは、集団、本人などしか作ることが出来ないだろう。
どのように行うかというと、抽象化になる。
もし、この抽象化を、全体へ還元せずに作風、アイデンティティに還元するなら意味はない。
より大きなものへと、広げていき、出来れば属人化されていないところまで広げられれば良いだろう。
しかし、完全な対立関係ではなく、ジャンルを使用するもののところにもクリエイターがいなければ、そのジャンル終わってしまうだろう。
その時点では、ジャンルを使用するものたちのクリエイターの質は低い状態が望ましい、なぜかというと、さらなる分裂は避けたいからだ。
そして、ジャンルが繁栄し、数が増えたとき、それはアイデンティティではなく、より大きなものになるのだ。
こう考えたときに、一時的な対立関係を経ずにはできないかと考える。
・凄腕クリエイター
・抽象化を行う物書きたち(評論家や、批評家がこれにあたるのではないか、その中でも全体へ還元することを良しとする人、グループでなければならない)
・物書きを支持する人たち(未成熟クリエイターや柔軟な考え方ができる視聴者も含む)
・投稿場所(サイト、未成熟なジャンルが埋もれないような場所、すみわけができるような場所)
しかし一次的な対立を回避することが可能になって、より包括的な繁栄が可能になる。
つまり凄腕クリエイターが創造し、それを即非属人化し、ジャンル化し、ジャンルの繁栄に対してクリエイターにインセンティブが発生するようにできるだろう。
[B! 増田] 【急募】オクラとささみにかける酸っぱくない調味料(できたらノンオイル)
人力検索に増田使う奴の善悪は置いといて、この手の質問増田に対して大前提(今回なら「酸っぱくない」)を無視して答えるidは即非表示リストに入れる
少なくとも本文、ひょっとしたらタイトルすら読んでない、もっと酷いと全部読んだ上で無視して書きたいことだけ書く(ブコメごときで他者の要求に誠実に応える必要はない)、というidの一覧なので非常に捗る
これを続けたおかげか、最近の人気コメントで「トップブコメ、●●は違うだろ」みたいな指摘があっても元発言が非表示のことが増えた
快適と思いきや文脈が気になったときにログアウトして確認するのはめんどい、でも確認すると大体のケースでああやっぱり非表示にしといて良かったとなるので多分オススメです
昔々あるところにお爺さんとお婆さんが暮らしていました。
ある日、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。
当時は高度経済成長の真っ只中で、産業があらゆるものより優先されていた時代です。
異臭を放ち虹色に輝く川で洗濯するお婆さんは、当時の価値観から言ってもかなり異質な存在として近所では有名となっていました。
しかしそのような世間の目を気にするようなお婆さんではありません。
洗う前より汚くなった着物を両手に担いて、お婆さんは笑顔で家へと帰ります。
一方その頃、海の向こうアメリカではベトナム戦争に反対する若者の間で東洋思想に対する関心が高まりつつありました。
第二次世界大戦の帰還兵は戦争から解放されると子供を作り、それがベビーブーム世代となり一大勢力を築き上げ、その彼らは親の世代が持っていない価値観を東洋に求めたのです。
少し時代は遡りますが、鈴木大拙は東洋の『ZEN』の精神を米国に紹介した人物の代表と言ってもいいでしょう。
彼は仏教における悟りを『霊性の自覚』と捉えました。それは『即非の論理』を体得することで得られるものです。
大拙は通常の論理を分別知の論理と位置づけ、対象を分別する前の段階を『即非の論理』とし、それをとても重要視しました。
https://anond.hatelabo.jp/20200614104254
まず理解しておくこととして、嫌なことをいうブックマーカーは特定の話題とホッテントリにしか湧かない。
特定の話題について触れなければそんなに嫌なことをいうやつはいない。
昔はそうでもなかったけど、今は嫌なことをいう人間はほとんどが左翼かフェミニストかプログラマの3種類だけだ。
この3つの連中以外は、安定して嫌なことをいう人間はほとんどいない。
あえてその話題に触れたいのでなければ、意識してこの3つの話題を避ければ嫌な奴と遭遇する機会は減る。
あと、ホッテントリだけみて嫌なコメントをして回る人間はバカだ。一切相手にする必要がない。
そもそもそういう連中はtwitterのフォロワー数が100以下で全く影響力がないし、
ブクマ数がすごく多いのにお気にいられ数がすごく少ないのですぐわかる。
嫌なコメントをしてくる人間がいた場合、まずそいつの個人ページを見て、投稿数/お気にいられ数が40以上だったら即非表示にした方が良い。
だいたいこの2つで9割の嫌な連中は防げる。
ただ、これだけだとたまに出てくる粘着質なキチガイブックマーカーを防げない。
こういう連中は本当に気持ち悪くて怖い。しかも自分が気持ち悪いという自覚がないので運営に始末してもらうしかない。
どうするか。
通報ボタンを押して、今までの発言とURLを貼って送るだけでいい。
とりあえずまず嫌がらせがされているという事実を伝えるだけでいい。
すぐに続けて通報を行う。
2回目は「この人から嫌がらせを受けています。〇/〇~〇/〇にも嫌がらせコメントをしていました」
と「今回が初めてではない」旨だけ伝える。
だいたいこれで運営からはてなブックマーカーに一度警告が飛ぶらしく、
アカウントが非表示にはならないが、嫌がらせがストップするケースが多い。
ここで止まる人間は、嫌がらせの自覚があって嫌がらせをしていた最低の人間だが、とにもかくにも自分にかかわりさえしなければよい。
一度嫌がらせがストップした後にしばらくした後ホッテントリに紛れて嫌がらせコメントをしてくることがあるが
一度運営が警告した後で再度通報があった場合は運営はかなり高い確率でアカウント非公開になる。
ここまで来てアカウントが非公開にならなかった場合は、メールでのお願いを出してもよい。
すでに〇/〇と〇/〇に運営にご報告させていただいております。
運営は2営業日後にちゃんと対応状況や対応の理由を丁寧に教えてくれる。
当たり前だがどれだけ怒っていても運営にその怒りをぶつけないように。
このあたりはめちゃくちゃ機械的で、嫌がらせの内容や反論の内容については一切考慮してくれない。
よほど悪質でない場合反論したらダメだし、それをブログ上で晒してもダメ。
というか、対応はしてもいいけどあなたの個人情報を相手に伝えるぞって言われる。事実上の詰みである。
このうちアカウント停止まで行ったのは2名だけで5名はブログに寄り付かなくなった。
あと1名は今日でも私が書いた記事がホッテントリした人は元気に嫌がらせをしてくる。qが頭文字のアカウントだ。
いい加減この人何とかならないのかと思うのだけれど、「記事内容にそぐわない頓珍漢なことを言ってるはいるけれど、私自身への侮辱はしてないからセーフ」だそうだ。
はてな運営ははてなブックマークやってる連中に甘すぎるし、これははてなブログ衰退の原因の一つではあると思うが
ただ、このやり方をもうちょっとちゃんと「はてなブックマークに対する嫌がらせを受けた時に」って感じで運営自身がまとめておいてほしい。
ま、サービスを提供している以上「はてなブックマークでは嫌がらせが可能です」ということを前提にしたTIPSは作れないんだろうけれど、別に書いてもいいと思うんだがな。
はてなブックマークで嫌がらせコメントを続けてる人は、MMOにおけるPKプレイヤーみたいなもので恥じるべき行為だというのをはてな運営自体がびしっと言ってくれたら惚れるんだが。
ミソジニストのブクマカは即非表示にしてるし、ミソジニストのツイッタラーも即ミュートにしている。話を聞く必要を感じないというか、何のメリットもない気がするというか、話の通じる相手だと思っていないから。
こういうことをしているのならば、はてなやツイッターで目にする強烈なミサンドリストも同じように無視するべきなんじゃないのか、という気がするのだ。
恐らく彼女達は今までに男性から何か大変な被害を受けたことがあって、そうなっているのだろう、とは思う。でも、話が通じる相手ではないという気がしている。
しかし犯罪被害者やその家族の手記を読んだ時、私は彼らに共感し同情する。その気持ちに寄り添うべきだと思う。レイプの被害者が男性恐怖症になったとしたら、それも仕方ないことだし、それを切り捨てて良いとは思えない。
でも私はミソジニストはあっさりと切り捨てている。何のためらいもなく。もしかしたら女性に虐められて女性恐怖症になったのかもしれないけれど、大体の人はモテなさ過ぎて拗らせたんだろうとしか思っていない。
はてなのホットエントリにはよくミサンドリストのブログが上がってくるけれど、議論の俎上に上るべきなのか疑問に思っている。でも自分が気にならないことだからといってマイノリティの気持ちを無碍にするべきでもないよね?なんというか線引きが難しい。
詩を名乗る以上韻律や抒情を持ち、言葉は厳しく吟味されているべきではないか。
詩のこの厳しさと一般の文章を対比して、「散文的(まとまりがなくとっ散らかった)」という表現が生まれたくらいである。
Qiitaの「ポエム」タグは技術的な視座からでなく、詩的観点から批評を浴びせられるべきだと思う。
そして「ポエム」を名乗りつつも詩の体をなしていないものは即非公開にし、投稿者は出入り禁止に付すべきである。
かような厳しい批評を受ければ、「ポエム」を軽々しく名乗ることも減り、「所感」や「私感」と言った適当な表現に落ち着くのではないか。
現状のような倒錯が続けば技術コミュニティの疲弊が進むのみならず、詩を含む文芸全般への軽視の風潮さえ招きかねないと危惧する。