「臨床心理士」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 臨床心理士とは

2022-11-15

anond:20221114130845

ヒステリーって現代ではほぼなくて(性的欲求の過度抑圧からくるから100年前とか、ちょっと調べればまず「 女性特有の疾患との誤解から子宮に原因があると誤って信じられていた頃」と出てくるからね、本当に恥ずかしいよ。ロボトミーは最高!ってレベルの知性だよ)

未だにこの言葉誤用した上、女性特有と思い込んでる男にうんざりするというのが

現場臨床心理士精神科医)の大多数の意見です。

2022-10-09

anond:20221009130112

懐かしいなあ。確かこの人臨床心理士でもないのに、自宅に若い女子だけ招いてカウンセリングしてた人でしょ。それでこのおじさんが所属してた大学強姦大学とか呼ばれたり…

気持ちいかもしれないけど、他のビール腹おじさんも性欲を社会性でコーティングされているだけの存在だよ。お嬢さんも夢見てないで現実世界に戻っておいで。

2022-09-23

発達障害アスペへの差別感情って要は

以前、臨床心理士(そのひとが発達障害者の専門かは知らないけど)に発達障害が増えた原因について聞いた時に

社会の様々な活動ハードルが上がったから、産業などが急速に発展したけど人類基本的なペースにあってないから、みたいなことを言われたんだけど

これは「発達~」という部分の説明にはなってるんだけどそれに「障害」が付く説明にはなってないんだよね

臨床心理士説明が正しかったら「社会発達障害」とか「第三次産業発達障害」とか社会側の問題として描かれるべきでさ、大量に「発達障害」「アスペ」とされる個人転嫁する問題じゃないからね

発達障害はいわゆる(知的とかの)「障害」ではありません」「本人の困りに名前を付けてあげただけです」みたいなのは当事者にとってトンチとか言葉遊びしか過ぎない訳でさ

じゃあなんで個人障害転嫁してるのかね

外国人とか意思疎通の取れない人間でもない、同じ民族文化言語教育地域で共に暮らしているはずの(発達障害者でも高卒大卒大勢いる)、

発達障害アスペルガーへの差別感情って結局は、「企業政府教育といった社会の行動が「普通」「平常」に行われているのに、それを乱す」からということをすごくあいまい適用してるってことだよね

この「普通」ってものをじゃあ説明してくれよっていったら、自称定型社会活動を「普通」に行っているはずの連中は誰一人、それこそ言葉につっかえて馬鹿にされる発達障害者みたいに答えられないんだよね

まり自分達が定型であるという最低限の薄っぺら多数派意識を守るためだけに「普通」「通常」みたいな概念を、明文化された法律とか合意みたいな何かでもなく信仰してるってことだよね

そんでそれに疑問を持つ人間が増えたら「発達障害」「アスペ」みたいな説明を付けて来たんだろ?統一協会を笑えないよ日本

普通」を説明したり示せないならそれはそれで良いんだよ

ただそれなら発達障害アスペに対する差別感情を止めるっていうか自覚しろ

自分の部下や同僚が「発達障害者」でも、自分の子もの彼氏彼女が「アスペルガー」でも、それと自分は等しい何かなんだって

そうしないならいつか発達障害者集団を作って自分達の社会を作ろうとするだけだよ

普通」の社会がいつか作られた瞬間があるみたいに

2022-09-08

anond:20220908170510

臨床心理士なんておかしな奴山ほど見てんだから増田いくらおかしなこと言おうとびっくりはしないだろ。

精神科に行って自分普通じゃないと知った。

発達障害を疑い、先日精神科に行った。

大人の発達障害にも対応してくれるらしく、20歳を超えた自分にはありがたい病院を見つけた。

その診断中、ASDの診断テストを受けた。

その内容としては、漫画の一コマのようなイラストが書かれており、発言者に対する返事を自分で考えて記入するものであった。

例えば、「車の鍵をなくしてしまった」、「途中で車が故障してしまい、予約した電車に間に合わせることができませんでした。」に対する答えを書いた。

その問題が全部終わったあとに、臨床心理士さんから「難しかった問題はなにかありましたか?」というふうに聞かれ、僕は「あなたの車を追い越そうとしているとき事故を起こしてしまいました。あなたにも非があります(意訳)」のような問題が難しかったと述べた。

理由を聞かれ、僕は「このような経験したことがないから。今まで人とのコミュニケーション漫画小説ドラマなどを見て返事を学んできたけどこれは今まで見たことがないから窮してしまった。実際の会話もトライ・アンド・エラーを繰り返しており、今まで事故を起こしたことがないからわからない。」と答えた。

その返答に臨床心理士さんは非常に驚き「会話の仕方をそうやって学んだ人を初めてみました。じゃあ全て見たり読んだりした会話をすべて記憶しているんですか?」と聞かれたので首を縦に振った。

どうやら、この会話の学び方は普通ではなかったらしい。子供の頃から他人気持ちがわからず、迷惑をかけ続けた自分が編み出した会話の経験値を積む方法がどうやら異常だったらしい。

増田の皆さんはどうやって会話の経験値を積んだんですか?

ご教示ください。

2022-08-30

心理士の向上のため、臨床心理士はgルート合格者の手を取ってほしい

心理資格者について

公認心理師国家資格されて5年が経った。

今まで心理の中心だった臨床心理士が「心理支援知識技術がない人間資格を取って公認心理師を名乗っている」と文句を上げている。

主にTwitterで主張している。不毛すぎる。

公認心理師について、ご存知ない方に説明すると、要は新しい国家資格公認心理師」(以下CPP)ができた。

受験資格が非常に面倒くさいので、移行期間として

仕事心理支援をした実績があるものには今だけ受験資格をあげますよ」と銘打って講義を受ければ受験できるようにしたのだ。

対象は主に教師看護師リハビリスタッフ介護士臨床心理士で、直近5年の実務経験がある者だ。

CPP本来受験資格は文末に載せるので興味がある方は目を通してほしい。

心理支援者たち

教師看護師はこれまで心理学を履修しているし、業務でも精神状態留意して対応してきたからその資格はあるという建前である

しかしこれまで心理職として活動してきた臨床心理士面白くない。

心理を専門に学んでいない人間心理国家資格を持たせるのは面白くなかろう。

そもそも心理状態を正しく観察して分析できるのかという尤もな疑問がある。僕もそう思う。

しかし如何せん、この臨床心理士がしょぼすぎる。職能集団として無能と言っていい。

臨床心理士そもそも民間資格である病院学校が働き場所になるが治療費ほとんど取れないので利益を上げられない。

非常勤が多い彼ら彼女らの平均年収は350万円で、福利厚生に至ってはペラペラに薄い。多分ない。

1988年から試験を行っており、これまで国家資格にしようという動きがあった。

しか派閥が多く、全く結束できないまま別の団体がCPPの資格を作ってジャンジャカ合格者を輩出してしまった。

ちなみにこの臨床心理士受験資格が厳しく、資格取得したとしても活動を続けなければ失効するアホ仕様だ。

金もない、仕事もない、頭数がない、結束力もない、それが臨床心理士ってわけだ。

資格者の背景

話を戻す。

2022年現在である

CPPは資格制定の混乱をまとめて国家資格化し、この5年間で取得したものは5万人を超える。医療教職保育士など資格者が多い。

心理学の知識評価分析一定ではないが、仕事を持ち家庭を築ける程度の年収はあるものが多いと思われる。

臨床心理士は制定から30年経つもの民間資格で、資格者は4万人を超える程度。

設立30年も経つの統一学会はなく、資格者仕事不安定である

学会所属して会費を収めなければ資格も消えてしまう。

まともに稼げる人間であれば資格を維持する必要がないので優秀な人材ほどいなくなる。

これはあまりにも政治力がない。

心理職の職務向上

公認心理師はその政治力で頭数を増やし、しか臨床心理士と協力するのでなく部分的に取り込む形であるえげつない

心理職を向上するためには学会統一し、データを蓄積して診療報酬を設定する必要がある。

そうすることで心理士の生活が安定し、組織力の向上に繋がりひいては資格者職務向上につながる。

臨床心理士はgルート合格者を敵視するのでなく、協力者だと思ってほしい。

受験資格

公認心理師(CPP)の受験資格

対象となる心理学の大学大学院を6年通う

・在学中、臨床実習に行く。

臨床心理士受験資格

心理系の大学院にいき、修士論文を提出する

大学院のみ臨床実習に行く。

心理資格に憧れる物が多いので心理学部の倍率はイタズラに高い。でも就職は厳しい。

蛇足であるが、臨床心理士学部や院に在籍している者の一部は、公認心理師受験資格を得られない。絶望的に政治力がない。

2022-08-22

anond:20220821212546

行政相談窓口に子育て相談したことある?私は神奈川なんだけど、以下に電話して具体的なしつけ方法や甘えの受容と躾の線引きラインなど教えてもらった。ただ、ここは乳幼児https://www.pref.kanagawa.jp/docs/a4b/cnt/f984/p1213507.html#:~:text=%E9%9B%BB%E8%A9%B1%200465%2D81%2D3717,%E5%8D%88%E5%BE%8C1%E6%99%82%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

児童になっても何らかの相談窓口があって、臨床心理士さんに話を聞いてもらえたりすると思う。行政の示す各種電話番号は誰が何を担当しているのかよくわからないけど、どれか一つに電話してみて具体的な内容を伝えると、ここに電話してっていう窓口を示してくれるからとりあえず気軽にそれっぽいところに電話したらいいと思う。

ちなみに、市町村機関より県の機関のほうが対応スムーズだった。具体的な生活支援提案する市町村と、まずは話を聞いて心理学的な読み解きと親の取るべき態度を教えてくれる県ってかんじ。臨床心理士さんに対応してもらえる機関が良かったと思う。ちなみに、心理士さんいわく、大学大学病院?でも小児発達相談みたいなカウンセリング機関があってそれもおすすめとのこと。

子供のために、できることしてあげたいよね。日々大変だと思うけど、頑張ってね。

2022-07-14

anond:20220714064115

基本聴くのが仕事から(傾聴)、一方的に喋るとボロ出やす

一般的に思ってる相談って答えを教えてもらう~的な感じだけど、

聴いて相槌打って、たまに続きとかを促して相談者の考えをどんどん引き出すのが基本みたいなことをお世話になってた臨床心理士さんにも聞いたし、実際そうしてもらってたきがする

追記

なんか公認心理士さんのほうが積極的に助言や指導、援助する~みたいなのをみかけた

とはいえやっぱり、そこに至るまでの過程でじっくり話をきかんとあかんので、手紙一枚でおやなみ相談みたいなのは本来仕事とずれてるような気がする

公認心理士のお世話になったことないかわからん

2022-07-07

自助グループがしんどかった話

※論旨に影響が無い程度のフェイクを混ぜています

また、特定自助グループ非難する意図も、自助グループ存在非難する意図もありません。

あくま自分体験です。

自助グループがしんどかった

先日、初めてある自助グループに参加した。

私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関相談したところ、自助グループに参加することになった。

自助グループとはなんなのか

自助グループとはどういうものかというと、なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさな気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。

なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。

そもそも正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーン出来事タイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。

とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。

結論からして、具体的なアドバイス医師カウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思う。

ただ、他の人の経験を聞ける、自分経験を話せると言う点では自助グループ有意義だとも思う。個人的感想です。)

私もメンタルの病を持っており、医師カウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタル問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。

~~~~~~~~~~~

びっくらこいた。

ガンガンアドバイスをされるのである

形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ち吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。

また、ミーティング中は特定施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。

しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。

①全体的に否定される

前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。

正直病んでてもともとなのである

自分の話になるが、物心がついたときから死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。

親との関係そもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである

病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。

そこに状況の否定が来ると、混乱する。

おかしいと言われれば、たしかおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。

②繋がりを否定される

まあ、おかしいだとか普通じゃない否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つが、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。

前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。

また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。

そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。

友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。

死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。

しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院カウンセリングに頼る。友人にサービス要求しない。傾聴はするし、お互いの嬉しかたことや悲しかたことを共有こそするが、それは友人関係範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手相談することはない。

これは(成人して一応社会生活を送れる身としては、)友人を親に置き換えてもほぼ当てはまる。少なくとも私の状況では。

なので、病院カウンセリングを中心に頼っている今は、友人たちとも親ともかなり良好な関係が築けていると思っている。

友人や親とは一応心配しあってはいるし、お互いの状況や気持ちを聞いて「そりゃきびしいなあ」とか「やったやん」などと言うことはあるが、それで「あれをしてあげた、これをしてあげた」ということはない。

そんな関係を、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。

③傾聴が機能していない

また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。

夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情考慮した結果、また同居をするつもりでいる。

その旨を話すと、鬼のように止められた。

絶対同居はダメ」くらいの勢いである。

しかに同居にはデメリットもある。心理的距離が保てない(=自他境界曖昧な)二人が同居すると、それはそれはトラブルが絶えない。

しかし、「自他境界曖昧問題が起こる」ということを自覚した上で、病院カウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。

実際、別居のメリットも十分感じた。

最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。

でもその上で、仕事場へのアクセス金銭事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。

トラブルがあれば、その都度カウンセリング医療機関を頼る、また一時的親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。

細々(こまごま)とした事情自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである

これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。

そのことがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。

もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。

そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。

また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもやもやもや

~~~~~~~~~~

その自助グループに参加してから、混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ

それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。

その場では参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。

行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリング相談したらいいのではないかと考えた。

ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しか意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。

カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。

一通り打ち明けたところ、自助グループ役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。

心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。

結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー医師相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。

自助グループしんどい人へ

何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループ行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。

自助グループしんどいとき、これらを見ると、更にしんどい。

その自助グループや、自助グループというもの自体否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。

私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。

でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。

場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。

その場合は、カウンセラー医師相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先だ。

それに、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点でも、医師カウンセラー相談して、安心して話せる自助グループを探してみてほしい。

(カウンセラーについても、無資格カウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック

臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます

http://www.jsccp.jp/near/rinsho/indexsch)

この記事にたどり着いた人が、無理せず、良き生活、良き自助グループライフを送れるように、祈っています

自助グループがしんどかった話

※論旨に影響が無い程度のフェイクを混ぜています

また、特定自助グループ非難する意図も、自助グループ存在非難する意図もありません。

あくま自分体験です。

先日、初めてある自助グループに参加した。

私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関相談したところ、自助グループに参加することになった。

自助グループとはどういうものかというと、

なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさな気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。

なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。

そもそも正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーン出来事タイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。

とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。

具体的なアドバイス医師カウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思われる。(個人的感想です。)

私もメンタルの病を持っており、医師カウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタル問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。

~~~~~~~~~~~

びっくらこいた。

ガンガンアドバイスをされるのである

形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ち吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。

また、ミーティング中は特定施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。

しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。

①全体的に否定される

前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。

正直病んでてもともとなのである

自分の話になるが、物心がついたときから死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。

親との関係そもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである

病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。

そこに状況の否定が来ると、混乱する。

おかしいと言われれば、たしかおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。

②繋がりを否定される

まあ、おかしいだとか普通じゃない否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つは、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。

前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。

また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。

そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。

友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。

死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。

しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院カウンセリングに頼る。友人にサービス要求しない。嬉しかたことや悲しかたことを共有こそするが、それは友人関係範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手相談することはない。

友人たちとはかなり良好な関係が築けていると思っている。そこを、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。(今思うとあまり詳しく話をしていない状況だったか否定されたのかもしれない。)

③傾聴が機能していない

また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。

夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情考慮した結果、また同居をするつもりでいる。

その旨を話すと、鬼のように止められた。

絶対同居はダメ」くらいの勢いである。

しかに同居にはデメリットもある。心理的距離が保てない(=自他境界曖昧な)二人が同居するとそれはそれはトラブルが絶えない。

しかし、「自他境界曖昧問題が起こる」ということを自覚した上で、病院カウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。

実際、別居のメリットも十分感じた。

最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。

でもその上で、仕事場へのアクセス金銭事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。

トラブルがあれば、その都度カウンセリング医療機関を頼る、また一時的親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。

細々(こまごま)とした事情自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである

これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。

これがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。

もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。

そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。

また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもやもやもや

~~~~~~~~~~

それで混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ

それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。

それで参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。

行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリング相談したらいいのではないかと考えた。

ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しか意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。

カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。

一通り打ち明けたところ、自助グループ役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。

心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。

結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー医師相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。

何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループ行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。

自助グループしんどいとき、これらを見ると、更にしんどい。

その自助グループや、自助グループというもの自体否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。

私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。

でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。

場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。

その場合は、カウンセラー医師相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先かと考えている。

あと、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点も、医師カウンセラー相談して探してみてほしい。

(カウンセラーについても、無資格カウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック

臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます

http://www.jsccp.jp/near/rinsho/indexsch)

この記事にたどり着いた人が、無理せず、良き生活、良き自助グループライフを送れるように、祈っています

2022-07-03

anond:20220703225132

今までカウンセリングを10人以上から受けてきた俺の経験から言うと、

保険適用ではない一般カウンセラー自分意見を言うことが多い。

50分5000円だと保険適用外かなと思うので、そのタイプかなと思う。

ただ臨床心理士公認心理士の人だと変わった人は少ない。

傾聴するのがカウンセリングの基本だから

なぜ自分意見を言わず傾聴するかというと、問題相談者本人が解決すべきという理念があるから

でも、資格持っててもちょっとそれはどうなの?という人もいる。

俺は「あなたってチョウチンアンコウみたいな人ね。孤独で寂しく深海に沈んでるような」

って言われた。これは流石にカウンセラーとしていっちゃダメだろうって思ったよ。

からカウンセラーからといって上に持ち上げることはなく、

変だと思ったら気にせずカウンセラーを変えたらいいと思うよ。

anond:20220703225132

子供のことでいろいろと気になったので3歳児検診の時にいろいろと心理士相談したら、そのまま継続観察みたいになって定期的に面談したことがある。

1年くらいやってみて、心理士思い込み押し付けられるだけで全然役に立たなかったなとふとこの増田を読んで思い出した。

役に立たないというより、いちいち的外れブコメを突っ込んでくるのがむしろストレスだった。

障碍者支援センターで話を聞いたり、災害ボランティアの話を聞いたりとかほかにもいろいろと聞いて、自分なりに試した方法がうまくいったのを思い出す。

最近クライアント中心カウンセリングなどを知って、臨床心理士が残念な奴だったのかと理解した。

自分体験解決策をむやみに提案するような奴って人の話を聞かないし、自分想像もつかないような状況について聞かれたら黙るしかないんだよな。

あるいは、相手を責め立てて自分の無策をごまかすかだな。

カウンセラーコーチも聞き上手で、自分のことはまず話さないし、意見を求められない限りブコメしないものらしいが、増田も俺も変な奴につかまったなと思った。

カウンセリングでの会話がすごい噛み合わなかった

 

オンラインカウンセリングでの会話がすごい噛み合わなかったので、そのときのやりとりを書いてみる。

 

自分は30代。カウンセリング経験ほぼなし。

ふだんは特になにもないけど

2日前に自分にとってはしんどい出来事があったので

利用してみようと思った。

 

50分で5000円くらい。

ビデオなし音声通話のみ。

 

相手臨床心理士公認心理士と書いてあった。

たぶん60代くらい。

使える時間が限られていたので、平日の晩に予約できる相手で、

親族の子育ての話題になるので、子育て経験がある人がいいかなとわりとざくっと選んだ。

(今思えばもっとちゃんと選ぶべきだった。)

(以下では「Aさん」とします。)

 

自分からみると以下のような印象で、会話が難しかった。

 

一方的によく喋る

思い込みが多いように見える

目的文脈が共有できてない感じがする(後で確認したら最初に話した自己紹介カウンセリング目的を覚えてもらえていなかった)

・よく喋る人だけど、詳細を掘り下げたいなと思って質問すると、黙り込んだり、ずれた返事が返ってくるので、主張の根拠みえなくて「あまり深くは考えずに言ってるのかな?」とこちからは思ってしま

・「一人一人見えてる世界は違う」「人が内面で考えていること、感じていることは、一人一人異なっている」みたいな前提が自分からみるとなくて、「自分には見えてる」「わかってる」みたいな前提で話してくる感じがしてコミュニケーションとりづらい

 

 

カウンセリング自体ほぼ経験なかったので

最初のうちは、多少「あれ?」と思うことがあっても、様子をみて、話を聞くようにしていたけど

結局最後に疑問点ひととおり確認したら

相手が単に、話を聞いてなかったり、覚えてなかったり

思い違いしてることがわかったので

最初のよく聞く態度は裏目に出てたと思った。

 

もしはじめからしっかり疑問点を潰すように話していたら

少しはましだったんだろうか…?

 

 

以下、エピソードをいくつか書いてみる。

 

 

① はじまってすぐ、登場人物Bさんの家族構成について聞かれたときのこと

 

カウンセラーA「Bさんの家族構成は?」

私「結婚していて、子供が2人の、4人家族です」

A「幸せそうにみえるんですね。本当に幸せかどうかはわからないことですけどね」(言い聞かせる感じ?)

私(え? 家族構成聞かれたから答えただけだけど…。そんなふうにいちいち考えないけどな。妙なこと言うな…。)

 

 

そもそも相談内容が

親族Bさんが(Bさんの)子供をけなしたり他の子比較したりするのを2日前に間近で見て

の子の様子をみていると「ボクは◯◯」と親の言うことを復唱するなどしていて

いたましくて気にかかっている。

の子のことも気になるし

自分もみてると辛いから、今度Bさんと会う時

軽くでも話そうと思うんだけど

何をどう話すか整理したい

というもの

一番最初に話している。

からしろBさん親子のことをかなり気にかけているという話をしているので(そういう話をしてもおかしくはない関係性なので)

なんでそんな発想になるのかなと思った。

 

 

最初のうちは何を聞かれても

主題を話していくにあたって、背景情報がいろいろ必要なんだろうな」

と思って何でも答えていたけど

やたらと母親の話ばかり聞いてきて、いっこうに本題に入れる気配がないので

(また、母親に対する愚痴を引き出そうとするような、自分が興味ない方向に誘導されている気がしたので)

30分くらいの時点で時間も気になって

「親の愚痴を言いに来たわけじゃないので、本題に入りますね」と話題を転換した。

 

それで本題の「Bさんと何をどう話すか」について、自分の考えをあれこれ言っていたところ

カウンセラー

「言いたいこと言わないとウツになるよ!」と、ピシャっと言って

それでその話はすぐ終わってしまった。

 

だいぶ唐突な感じがしてびっくりした。

からみると、相手と何をどう話すか、事前に検討することと、ウツになることには、相当飛躍があると思うけど…。

ウツに詳しいわけではないけど)

「言いたいことが言えないで困っている」んじゃなくて、ただいくつか気になることがあるから検討しているんだけど。

自分からすると、この話題以外に特に話したい話はないのと

「この人とコミュニケーション成立させるの無理そう」

と思って、ここで諦めてしまった。

30分時点くらい。

今思うとここで終了してもよかったと思うけど

残り20分弱、なんとなく続けた。

 

 

③ 40分くらいの時点で、唐突に、「発達障害は『障害』とついてますけど、悪いものじゃないんですよ、気にしなくていいんですよ」という話が始まる。

 

心の声: いや、知り合い何人かいて、悪い印象もってないんだけど…

なんでそんな一点にフォーカスするんだろ。

発達障害です」って言いたいんだよね。きっと。

発達障害かどうか、診断するとしたらもっとちゃんしかるべき人にお願いしたいからここではその話する気はないんだけど

カウンセリングだったら、むしろ発達障害だとすると、あなた課題に対してこういう対策がとれます」みたいな、具体的な提案があれば聞きたいけど

そういう展開があるわけでもないしな。

この人、ついさっき、その話題については「言いたいこと言えばいいでしょ。ウツになるよ!」で終わらせてるからな…。 

最初に、普段特に何もない、2日前から急に体調崩してる、って言った最初自己紹介覚えてるのかな。

Bさんと今度話し合う内容を整理するのに必要情報っていう観点で、情報出してたんだけど、それで40分くらいで判定できるのかなあ。

2日前の出来事、Bさんの話、母親の話しかしてないけど。

日常生活とか仕事で困ってることがあるわけじゃないから、その辺の話もなしで発達障害の判定されるのもモヤモヤするんだけど。

疑問だらけだけどぜんぶは聞けない…

 

 

私「発達障害の特徴に何かしらあてはまるものがあると言われたら、そうなんだねって思います

愛着障害とか、他の、似た症状をみせるような障害や他疾患の可能性ってどのくらい検討しまたか?」

A「くぁwせdrftgyふじこlp」(慌ててるのはわかるけど、何を言ってるかわからなかった)

 

 

 

結局、自分がもともと話したかった話は

行政の子育て支援の窓口(結構いろいろあった)に問い合わせてみたら、

ちょうどいい話し相手をみつけることができた。

子供をけなしたり怒鳴ったりしてしまうのをやめたいっていう親御さんから相談よくあるんです。どんなふうに関わっていけるか話してみましょう」

みたいな感じで、対応してもらえた。

そこで、話しているうちに、言ってよさそうなことと、他人が介入することじゃないなって部分と、自分なりに見当がついた気がして、本人(Bさん)とも話しやすくなった。

 

いろいろ問い合わせてみた感じ、個人的には行政の窓口はいろいろ使えそうなものが多そうに思った。

東京都は多いのかな?

 

 

カウンセラーのAさんの場合、私が「何を言って、何を言うべきでないか、まとまらないので、人と話して整理したいんですよね」という話をしたら

Aさんは「それは発達障害の脳の傾向なんです」と言っていて

からすると「いや、他人の子育てに口出すって初めてのことだから迷うんで、適当な準備をすれば整理できると思うけど…」

と思うので平行線だった。

 

発達障害にもともと悪い印象や思い入れはなかったけど

(何人か知り合いいるけど、気にしたことなかった)

このパターンの話になるのは嫌だなと思った。

 

 

「適切な知見がなかったり、経験がないからできない(学習すればできる)」状態

「それは脳の特性から起こるので、できないものなんだ」っていう状態

混同されるの嫌だなと思った。

 

  

私の特徴が、発達障害チェックリストに何かしらあてはまってるんだろうと思うけど

課題が生じたときに、都度個別対応して

それで回っていればいいと思うので

そういう感じでやってる人に「発達障害だ」って強く主張することの意味ってなんだろうと思う。

 

2022-06-23

Twitterで色んな職業リスト作って、30人ずつぶち込んで観察してたんだけど

・ねちっこい

悪口批判が多い

・バレないように(バレバレ)ちくちく言葉空リプをする

自分が正しいと思っている

インターネットリテラシーが低い人にやたら厳しいが自分も低い。嘘を嘘だと見破れない、噂みたいなのを信じ叩く

・人の意見異端とし聞き入れない

・直接指摘されたらすぐツイ消しする

同業者にクソ厳しいどころか目指してる人にも厳しく勉強不足を必要以上にぶっ叩く

これらを性格悪いとすると、一番性格悪いのは臨床心理士だった

閉鎖的な息苦しい業界なんだろうなというのがツイート見るだけでもよく分かりました

2022-06-11

anond:20220611110822

そのツイートに同じ臨床心理士の人たちがえ…あの人…?みたいにつぶやいててやっぱ臨床心理士ってクソしかいねえなと思った

ネットリテラシーどうにかしろ

有名な美容看護師の人が有名な臨床心理士過去について告発して炎上させようとしてるけど

美容看護師の方にはアンチ大量にいて過去やらかしたこと色々あるからやめといた方がいい気がする

モンスター同士の対決感

anond:20220611002744

ぶっちゃけ臨床心理士って癖の強い人しかいないからね

健康にほがらかに過ごしてたら人の心に興味を持たない

SNSを長く見てると、別人か…?というくらい方向性を変えてる人やアカウントが見られるんだけど

芸能人の顔を勝手分析して嘲笑ったりブスの特徴みたいな感じで悪意のあるイラストばっかり書いたりしてた明らかに性格やばいアカウントが「臨床心理士目指して勉強中。知性のある美人に。」みたいな感じになっててさすがにびびった

こんなやつが臨床心理士になれるとしたら絶対世話になりたくないかメンタルケアちゃんとしとこ

2022-05-20

anond:20220520015935

そうなんか?会社採用していた心理カウンセラー

一応有資格採用(臨床心理士精神保健福祉士産業カウンセラー)だったみたいやが

資格者でもハズレはハズレらしいぞ

 

しか会社で使ったカウンセラーの人はあたりだった

会社と戦うつもりだったのでなんかいい感じの言葉取れないかな?とカウンセラーの人が不利になるような言質を取ろうとしたけど

それは人事に・・・それは人事に・・・でかわされた

自分はだいぶ失礼な態度だったと思うけど、カウンセラーの人はキレなかったか不快感全然表に出さなかったよ

めっちゃプロフェッショナル

 

あの態度がすべての場面で貫けるなら出世営業も余裕やろ

心理カウンセラー」は占い師みたいなもんなんだけど

なぜか臨床心理士より世間的に信頼されている

しか無資格心理カウンセラーがなぜか臨床心理士ディスることもかなりあり

もうわけがからない

2022-05-16

anond:20220516200702

相談したいタイプの人も相談してほしいタイプもどちらも「満たされない人間」だからな。

相談されたい奴は、相談されることによって自分価値確認したいの。そんな奴に相談して悩みが解決するわけない。

頼るなら素直にプロ心理士を頼れ。怪しい民間資格のやつじゃなく、臨床心理士認定心理士資格もったやつな。

2022-05-13

いのちの電話」にかかってくるのは自殺相談とは限らないらしいよ

いのちの電話」が話題になっていたので少し。

以前、知人が「いのちの電話」の相談員をやっていて、内部事情を多少聞く機会があった。「いのちの電話」の相談員無償どころか持ち出しのボランティアで、それが可能主婦とか年金生活者とかが多数を占めるというのはその通り。それゆえに相談員側に世間知らず的な傾向があり、来談者との感覚のずれが生じやすいというのもそうだろうと思う。その知人も私から見てそういうところはあり、真面目で善意の人ではあるのだが、そのずれによって無自覚相手を刺激していた可能性はある。

しかし補足しておくと、「いのちの電話」の研修臨床心理学プロ基本的カウンセリング技術をかなりみっちり教えていていて、真面目にそれを守っている限りさほど無茶な対応をする相談員にはならないように思えた。「一方的説教」というようなのは当然やってはいけないこととして教えられている。知人は慣れないうちはとにかく相槌だけ打って聴き続けろと教えられたそうだ。「○○なんです」と言われれば、「○○なんですね」と返すようなのが基本。自分意見を押しつけるような応答は禁じられている。とはいえ相談員も慣れてくると自我が出てきたり、後に書くような来談者側の問題もあって、相手圧力を感じさせるような応答をする場合もあるだろう。

医師カウンセラーでもそうだが、こういう人間がやることにはどうしても当たり外れや相性の問題がある。「いのちの電話」のボランティア無償であるべきかにはいろいろ意見があるだろうが、有償にすることで相談員の質及び来談者の満足度が飛躍的に上がるかは個人的には疑問である有償で高度な資格を持つはずの医師臨床心理士にも「ひどい対応をされた」という不満の声はよく聞くからだ。

で、ここからが本題なのだが、「いのちの電話」と聞いて相談員自殺相談の深刻な電話ばかり受けていると思うのはどうも違うらしいよ、ということ。「いのちの電話」の回線がいつもつながらないというのも、自殺相談で埋まっているわけでは全くないらしい。

では何が多いかというと、知人が言っていたのは、女性の声と聞くと「テレフォンセックス」を始めたがる常連最初は一応「死にたいんです」などと言ったりするらしいが、間もなく「ところでどんな下着を着ていらっしゃいますか」「パンツは何色でしょうか」などと言いだす。この手の電話は非常に多いそうで、相談員側にもマニュアル的なものがあってなるべく早く切り上げるよう誘導するのだが、相談員の側からガチャ切りするわけにもいかないのでしばらくは付き合わざるを得ないようだ。

女性とみると性的な話を始める常連来談者というのは「いのちの電話」に限らずよくいるらしい。別の電話相談を受けていた別の知人も「あー、いるいる」と言っていた。企業コールセンターで働いていたりしても経験するのだろう。ちなみにそういう常連男性の声と判断すると一瞬で切ることが多いが、そもそも電話相談員コールセンター係に女性が多いので、何度かかけ直せばすぐ女性が出てしまう。

知人が頻繁に相談員をしていた頃はダイヤルQ2というもの流行っていたのだが、その頃の常連の一人はダイヤルQ2でいつも生活費を使い果たしてしまうので、家族からいのちの電話ならタダだからそっちにかけろ」(!)と言い含められていたそうだ。「いのちの電話」は確かに無料で、通常の電話料金すらいらない。

こういう事例は生活困窮者を「いのちの電話」が間接的に救っていると言えなくもないのだが、外部の人がイメージする「自殺防止のボランティア」とは少し違うのではないだろうか。相談員には守秘義務があるので具体的な相談内容はほとんど聞いたことがないが、典型的いかにも自殺相談というようなものは頻度としてはかなり低いとのことだった。しかし、一見ただの愚痴であったり、さらにはセクハラであったりするような内容の電話でも、「いのちの電話」に吐き出すことでバランスを保っている人が一定数いるのであれば、それは「いのちの電話」の目的に適っているようにも思う。

いのちの電話」の相談員はさぞメンタルをやられるだろうと言う時、今にも死にそうな人から自殺相談想像している人が多いだろう。しかし実際の現場はそのイメージとはかなり違って、メンタルをやられるとすれば常連のしつこいセクハラやひたすら堂々巡りする愚痴に付き合い続ける消耗が大きいかもしれない、というのが知人から断片的に事情を聞いての感想だった。

2022-04-22

社労士を使わずADHDのみで障害厚生年金3級給付が決定した

https://anond.hatelabo.jp/20200410224728

上記増田を書いたものです。

前職の年収が340万円、障害者雇用になるにあたり、呈示額を320万円として、

だいたい残業時間が月20時間だと聞いていたか残業代でカバーできるかと思っていたら、

実際は配慮されまくり業務量で残業がほぼなく、また、一般雇用のように役職がついて年収が上がる見込みも少ないっぽいので、障害厚生年金申請した。

ネット(というか主に5ちゃんねるメンタルヘルス板)では、

社労士なしの申し込みでうつなどの二次障害なしのADHDは、申請受理されにくいというのが定説だが、

増田は無事支給につながったので、ここに増田なりに気をつけたポイントを記しておく。

主治医には普段から自分の困りごとを言語化して伝えておくことが大事

障害厚生年金申請時には診断書必要となるが、そこで、障害認定日ごろの状況を医師に詳しく書いてもらう必要がある。

丁寧な医師であれば、診断書の記入にあたり別途ヒアリングをしてくれるかもしれないが、そこまで時間を取ってくれる人は稀かと思うので、

普段の診察で困りごとを言語化して伝え、カルテにそれを記載しておいてもらうことが重要だと思われる。

病歴・就労状況等申立書は大変だがなるべく詳しく書く

A3の用紙に手書きする形で提出したが、ADHD場合は急になるものではなく、生まれつきの脳機能問題であるため、幼少期から履歴必要である

めちゃくちゃ面倒くさかったが、受給につながるために手を抜いてはいけないとおもい、

・幼少期

小学校

中学校

高校

大学

就職

心療内科受診

の7つのパートにわけて、ADHDによって起きた様々なエピソードを列挙した。

パートを分けるにあたって用紙が足りなかったため、申立書(続紙)を使用した。

もし親との関係が良好な人は、自身の幼少期に何か定型発達児と比べて変わったところがなかったか尋ねたり、当時の成績表などを見せてもらうとよいかもしれない。

増田の具体的なエピソードとしては、

・中高の夏休みの宿題は最終日に徹夜をして終わらせていたこ

大学下宿時にダンボールゴミを出せずベランダに退去するまで放置していたこ

仕事によるストレスによりポスティングされたチラシを捨てられずためていたこ

などがある。

また、上記の申立書に加えてA4の別紙をWord作成印刷し添付した。

ここには、日常生活で困っていることを列挙した。

ピックアップすると下記のようなことである

・初めて行くお店や場所勝手がわからず、会計の順番を抜かしてしまうことがあること

・買ったばかりの数万円する靴を電車座席の下に忘れてきてしまたこ

・口頭で言われたことを覚えていることが難しいため、事務職必須とされる電話対応が苦手なこと

心理検査を受ける

診断される際にWAISなどの心理検査を受ける人も多いと思うが、増田場合簡単チェックシートに加え、日常の困りごとを訴えた結果診断に至ったため、心理検査を受けたことがなかった。

ただ、障害厚生年金診断書を書くに当たって医師より心理検査必要とのことだったので、違う医療機関にてWAIS-Ⅳを受けることになった。

検査は数時間有給休暇を取って臨む必要があったが、いざ出てきた検査結果や臨床心理士コメントを読むと、

より自分の発達特性俯瞰的に見られるようになったため、これは障害厚生年金申請の有無関係なしに受けてよかったなと感じた。

上記のような準備を行い、申請から2ヶ月後に無事支給決定の連絡が来た。

社労士に頼むお金は勿体無いけれど、ADHDだけでは通らないときいているし……と不安な方も、増田のような例があると知って勇気を出してみてほしい。

2022-04-15

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。

エンパワメントシスターフッドという自己肯定を重視した精神的な言葉最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。

だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズム信頼度が著しく弱まっている。

セラピー面も学問言論面もひと固まりからフェミニストはメンヘラだとか、他人幸せを許せないだとか、ミサンドリストセックスヘイタージェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。

追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)


本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。

たとえ学位免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者から理論議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。

本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。

冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てる。
冷静なフェミニズム研究者もしくは心理医療専門家が、セラピーの場の最低限の安全が保たれるように監督をする。
セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装したり、怨恨を吐き出したり、過激むちゃくちゃな主張をする。(なぜなら、セラピー的な場では、ひどい発言原則許されるべきだから。ただし、それをそのまま社会への要求として広めるべきではない)

×
まだ傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間研究者としての発言力を得て、本来患者としてすべき主張を研究者立場でする。
×
傷の残っている研究者セラピー監督役をやり、セラピー患者同調してしま患者内面吐露検討・洗練せずそのまま社会にぶつける。
×
研究者同士でも肯定しあえないと傷が痛んで耐えられないので、アカデミックであるべき関係を仲良しグループにする。




本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役と教師役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療心理専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から普通健全当事者セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者要求研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人当事者過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。

全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害抑制ができている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者区切り曖昧になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張したことに対し、「議論や説得において言い方ってのは大事だろ」と反論されているのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交議論感覚がごちゃまぜになっているせいだ。

「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である

「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である

だがそれを同時にやろうとする、「自分セラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラー看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と同一人物だったり肩入れしすぎたりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会要求するには妥当性に欠ける内容が研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストはメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。

それにもかかわらずフェミニズム大義名分世界中で力を持ち、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性が十分な時だけ応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その好き勝手発言暴言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。

弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である

辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者対話可能研究者弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。




おまけの具体例 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

フェミニズムジェンダー学周辺で、セラピー機能学問言論機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

『かがみよかがみ』は読者投稿エッセイメインコンテンツとするWebサイトだ。

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、そこから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。

(略)

『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイ投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

伊藤あかり編集長モットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。

傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。



追記。本稿は3か月ほど前に増田に投げたが無反応だったものの再投稿である。)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん