はてなキーワード: 損得勘定とは
「わたし、やっぱりワクチン始まっても打つのやめようと思う。」
1年近く外出自粛してる母の家は、すでに掃除機もウォーターサーバーも食材もテレビ通販で買ったもので揃っている。
それくらいテレビに毒されてしまっていることはわかっていたけど、やっぱりか!
ワクチンを打っても無症状で感染させる危険性は残るらしいので、周りが大丈夫だからとでかけていくと、感染して自分だけ重症化する可能性は否定できない。
煽られた恐怖心が理屈でどうにかなるわけではないことはわかっているけど、あとは損得勘定にうったえるしかない。
これでワクチンで副作用でたなら全ての罪を背負う覚悟で「打て」と言い切ってきた。
反ワクチンなんてファッションに家族の命まで捧げるつもりは毛頭ない。
今朝のニュースだってドアノブからの感染の危険度を放送したあとに、一企業の抗菌ドアノブを紹介し始めやがった。
何これ?インサイダーか何か?
信用経済のところで、西野サロンで活動していると就活で損みたいなことを
リーダーや先輩の言うことにいちいち疑問をもたず、
素直で真面目でコミュニケーション能力が高いことは証明されており、
当然そういうエンターテイメント系の企業を中心に就活するんだろうし。
企業経営者たちは、貧困や労働の問題には全くと言って良いほど無関心で、
権力者や経営者ではなく若者だけに向けてハッパをかけ続ける西野には好意的なはず。
そもそも「挑戦」とか「信用」とか、西野やサロンメンバーの言っていること自体は、
民間企業の連中が若手社員や就活生に向けて言っているようなことと、さほど変わらない。
学生が参加している根本的な動機も、企業のインターンシップに参加している学生と
もちろん日本社会の方が病んでいるわけだけど。
なぜネットユーザーは絶対正義であるかのように転売を叩けるのか?
少しでも考えれば転売を叩ける理屈などどこにもないと分かるはずだ。
このまま順当にいけば日本の格差社会はますます加速していくに違いない。
国民年金は年間80万円だが、厚生年金は一般的に国民年金の2倍以上の金額を受け取ることができる。
なお年間80万円という値は現時点のもので将来はもっと少なくなるだろうと予想されている。
年間80万円という金額でどのようにして生活していけばいいのか?
素直に考えれば年間80万円という金額で生活していくことは難しいだろう。
ではお年寄りは老後どのようにして生活費を稼いでいけばいいのか?
当たり前だが老後の体力の衰えによって体力を必要とする仕事は難しいだろう。
そうでなくとも雇用側の年齢制限によって採用される仕事の幅は狭められている。
「仕事の選り好み」以前の段階で雇用側の都合によって生活費を稼ぐことは難しいのだ。
膝の軟骨がすり減って、ちょっと動くだけでも激痛が走る。しかも膝の軟骨は修復しない。
ネットユーザーがいくらキーボードをカチャカチャしても、お年寄りの膝の軟骨は修復しない。
気持ちよくテンバイヤーを叩いているネット論客に膝の軟骨のすり減ったお年寄りを救うことはできない。
iPS細胞による再生医療が実用化でもされない限りお年寄りの膝の軟骨は修復しないだろう。
その点で転売は体力の都合や面接の必要のないという点でお年寄りが生活費を得るのには最適だと言える。
一日中ネットに張り付いているようなネットユーザーならテンバイヤーがホームレスを動員していることは当然ご存知だろう。
ネットユーザーはきっとそれを「ホームレスのような社会的弱者の足元を見る、悪のテンバイヤー」とでも思っているのだろう?
はたしてそうだろうか?たとえつまらない仕事でもホームレスにとっては貴重な収入源に違いない。
君らの職場にホームレスが「働かせてくれ」と頼み込んでも君らは「自己責任」と魔除けの呪文を唱えながら無碍に断るのだろう?
ネットユーザーは「年金で生活できないのなら、生活保護を受給すればいいじゃないか」などと安易に発想するかもしれない。
生活保護バッシングや水際作戦の厳しい現状では生活保護を受給できずに餓死するパターンもあるのだという。
生活保護を受給するにはノーガードであることが求められ持ち家を手放すだけでなく保険をも解約することが求められる。
生活保護と転売についてだが生活保護を受給する際には贅沢品は手放さざるを得ない。
転売可能なグッズはケースワーカーによってことごとく強制的に二束三文で転売されるのだ。
いくら口では転売を憎んでいると言っても社会的なパワーによって有無を言わさず転売することを強いられる。
転売を叩いているものは、恐らくは富裕層で将来は十分過ぎるほどの年金を貰えるに違いない。
まさか、将来年金が年間80万円しか貰えないフリーターが転売を叩いているなどということはあり得ないだろう。
富裕層は自分自身の安定した生活を確保した上で「最後は大好きなグッズに囲まれて大往生したいなぁ」などと企てているのだ。
転売によって大好きなグッズが手に入らないくなるから転売は悪なのだ。
いや、あるいはすべてを見通した上で「下々の者達の生活など知ったことか!」とまで考えているのかもしれない。
だが現実には純粋に悪意なく「転売は悪いことだから悪いんだ」などとトートロジーを浮かべて悦に入っているのだ。
ところでグッズを欲しがっているのが将来になんの不安もない富裕層だけなのかというと、どうやらそうでもなさそうである。
実際には富裕層よりも年間80万円勢が後先考えずに刹那的にグッズに浪費しているのだろう。
マジレスすると年間80万円勢はグッズをゲットしようとテンバイヤーとバトってるような場合ではない。
年間80万円勢が身の丈を考えて将来のために貯金するようになれば民草は転売に怯える日々を過ごす必要もなくなる。
一般的には90年台にフリーターというライフスタイルが登場したとされる。
あと、20年もすればこれらフリーター世代が年金受給者となるだろう。
そうなれば年金格差という「現実」が重くのしかかってくるわけだ。
お年寄りの賢いライフハックとして転売が今まで以上に盛り上がることはまず間違いない。
年金格差が解消されていれば話は別だが、それは希望的観測でしかない。
今、街を歩いている老人はなんだかんだで正社員で終身雇用だったから十分な額の年金をもらっているのだ。
本当の年金格差時代、ひいては本当の転売時代はまだ訪れてはいない。
転売(TENBAI)が世界語として通用する日もそう遠くはないだろう。
世界中の人々に日本が誇るTENBAIの名を知らしめてやるのだ。
今、転売を痛烈批判しているもの(アンチ・テンバイヤー)も、いざ自分自身が経済困窮に陥ったら、まず真っ先に転売という発想が脳裏をよぎるのではないか?
今は良くとも、70代、80代になったらどうか?
まさかせっせとかき集めていた大切なグッズを転売するなどということはあるまいな?
どうせ、いざという段になったらマッハで手のひらを返すに決まっている。
いや、それどころかアンチ・テンバイヤーほどテンバイヤーとなる素質を備えているのだ。
人々の想像するであろうテンバイヤーVSアンチ・テンバイヤーという構図は誤りであると言える。
テンバイヤーになる素質のない人々は、テンバイヤーを敵視してはいない。
テンバイヤーへの敵意には少なからず嫉妬も含まれているのだろう。
ちなみに「仮想通貨で老後資金を得ればいい」などという甘言を囁くものもいるかもしれない。
だが、考えなしにこのような甘言に乗ってしまえば待っているのはより一層悲惨な末路だ。
仮想通貨では税金が発生することに気づかずに高額な税金を支払えず自己破産するパターンがあるのだ。
さらに自己破産した場合でも税金は非免責債権なのでチャラにはならない。
読者のみなさんは紀元前の哲学者ディオゲネスをご存知だろうか?
貨幣偽造の罪で奴隷の身分とされてしまった、あのディオゲネスだ。
自己破産でも取り消せない負債を負ったものはさながら現代のディオゲネスとでも言うべきだろう。
下手に仮想通貨になど手を出してしまえば国家の威信をかけて嫌がらせされてしまう。
よほど知識に自身があるのなら話は別だが素人が触れるべきものではない。
インターネットで甘言を囁くものは、ただ情弱を養分に還元したいだけなのだ。
それで「君らは転売しないつもりなのか?」というところに話を戻そう。
転売行為を批判しているものも「金に困ったときはグッズを金に換えよう」そして「それは転売ではない」とでも考えているのだろう。
表向きは転売を批判しているようで内心では手持ちのグッズにプレミア価格がつくことは満更でもないのだ。
つまり「誰も手放さないからめったに市場に出てこない伝説のコレクターズアイテム」となることを期待している。
さも社会正義のような体を装っているが、やれやれ結局は損得勘定でしかない。
自分が「転売脳」でものを考えていることすら自覚していないのだ。
しかも未練がましく後生大事に抱えて長年に渡って死蔵した上での転売だ。
金目当てでさっさと手放す転売よりも、よほどたちが悪い転売ではないか?
しかも!そういうやつらに限って自分が手放すときはテンバイヤーによる市場価格を参考にするのだ。
いや「思い入れが深い」「手放すのは惜しい」などと言いながら値段を釣り上げるまである。
「(金目当てで愛のないテンバイヤーと違って)大事に使ってました」などと悪のテンバイヤーにマウントを取りながらいけしゃあしゃあと値段を釣り上げるのだ。
常識的に考えて商品に無関心でノータッチで倉庫に眠っていたテンバイヤーの品のほうがコンディションはいいのでは?
ところで「グッズを手に入れたい」という一点だけを重視するなら、テンバイヤーのいない状況は理想的ではない。
テンバイヤーさえいれば、金に糸目をつけない覚悟を持てばとりあえずグッズは手に入る。
「本当のファンなら周辺情報を常にチェックしてるから、限定グッズなどを見逃して買い逃すことはありえない」とでも反論されるかもしれない。
その分野にテンバイヤーは一人もいないというような状況は果たして本当に理想的だろうか?
金目当てで手放すものがいるから、新人がその分野に新規参入することができるのだ。
逆説的ではあるがテンバイヤーのいない分野はおのずと新規参入のない閉じコン(閉じたコンテンツ)となる。
テンバイヤーの有無でそれが決まる。
ここまでで普通に生きていれば転売は避けられない定めだと分かったはずだ。
そこで「俺は上位1%の上級国民だから転売などとは無縁の人生だ」という人々もいるかもしれない。
よしんば鉄の掟によって一生転売しないですんだとしよう。
金持ちほどマンションなど転売していそうなものだが、この際それもないものとする。
グッズの持ち主が死んだあとは、どうする?
死後の世界にグッズは持ち込めない。
遺族によって転売されるか?あるいは遺品整理業者によって転売されるか?
ただし価値があることに気づかれずに捨てられるということはありうる。
勝手に転売されることを防ぐには転売に追い込まれる前に捨てるか、無償で贈与するかしかない。
なお贈与する場合は贈与税を支払わなければならない点に注意しなければならない。
その点、グッズと違ってチケットは消耗品だから気楽で気ままではある。
ただ転売が悪という前提がそもそも間違っているのであってチケットは文字通り無駄金だ。
そして貧困層ほどチケットのような後に残らない刹那的な用途に金を使うという負の連鎖がある。
いままで「転売」と大雑把に扱ってきたが、転売にも種類がある。
転売の話題がこじれるのは転売と聞いてイメージするものに差がある側面が大きい
ネット上で話題となるのは大きく分けて「せどり」「ダフ屋行為」だろう。
他にも「プレゼントとして受け取ったものを転売する」行為の善悪が問われることもなくはない。
まず少なくともせどりに関しては「可」としていいのではないか?
せどりは中古販売なのだから古物商営業許可が必要だという議論になることもある。
しかし古物商営業許可の意味合いを考えるに「盗品販売を防止する」という意味合いが強いのではないか?
さて転売の中でもチケット転売に限ってはダフ屋行為であり犯罪であるとされる。
「ダフ屋行為が反社会勢力の資金源となる」というのがよく聞く決まり文句だ。
しかし「芸能界はそれほどクリーンなのか」という疑問が新たに湧く。
「反社会勢力の資金源となる」というまったく同じ理屈でショービジネス自体の正当性が危うくなるのだ。
反社会勢力云々という言い分はそれほど有無を言わさず通用するような絶対的なものか?
それにやろうと思えば適当な分野と反社会勢力を結びつけることはさほど難しくはない。
例えば「仮想通貨は反社会勢力のマネーローンダリングに利用される恐れがあるから全面禁止とすべきだ」と言うことができる。
でもショービジネスは文化だから保護しなくちゃならないというわけだ。転売とて同じこと。
転売ヘイターはこれら文章を読んで、何か思うところはあるだろうか?
否。おそらくは逆ギレして「じゃあ転売を法律にて完全禁止すればいいじゃん」などと言い出すに違いない。
よしんば法律にて転売を完全撲滅できても背景が変わらない限り待っているのはより悲惨な世界だ。
転売はあくまで金目当てであって悪意があるわけでも嫌がらせでしているわけでもない。
そこで全面的に転売を一律禁止としたところで転売or死という図式は微塵も揺るがない。
転売ヘイターは「転売するくらいなら潔く死ね」とでも思っているのだろうが。
なぜ転売ごときのことがまるで大罪であるかのように扱われ禁止されねばならぬのだ?
転売文化によって人々の目利きのセンスが磨かれるという側面もある。
人の心を持たない冷たい機械による仮想通貨のマイニングによって地球温暖化はますます加速する。
転売か?仮想通貨か?良心ある人々ならどちらを選ぶべきかあえて言うまでもない。
インターネットでは転売は絶対悪であるかのように扱われているが擁護しようと思えばこのようにいくらでも擁護できる!というお話でした。
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。
言うまでもないがフェイクあり。
親族からの遺産として約2千万が急に入ってきた。これをどう投資するべきか?
自分のスペックは40台独身、定職あり、日常生活には不自由なし。遺産とは別に8桁円の資産あり。但しほぼ全額銀行預金。あとは自社の持株会ぐらい。
これまで投資には全く手を出してこなかった。普通預金にずっと入れておくのは金利≪インフレ率だからリスク大、という程度の知識しかない。
諸手続きで銀行に行った際にいろいろと勧誘を受けたので、一度ちゃんと考えてみようかと。
過去の人気増田 anond:20190530215559 を読み直して、まずつみたてNISAとIDeCoを考えた。
ただ、これらは毎月定期的に積み立てる前提だよな? 就労年数があと10数年+αなので、何もしないよりは良いとしても今から始めるのが良策なのかどうか。
銀行からは信託の類を勧められていて、低リスクだが金利は低い。まあ素人が手を出すには安全ではある。
それから家を買うという選択肢。現在アパート住まいなのでアリではあるが、老後は家を売って老人ホーム入りほぼ確定なので、投資として見た時にどうなのか。
家賃(+今後の更新リスク)との損得勘定だけで決まる話ではないけどな。
あと素人なりに思いつくのは国債ぐらい。どこで買えるのかすら知らない訳だが。
というところで、識者各位の知恵をお借りしたい。お願いします。
まず投資について勉強しろ、という意見はごもっともなので山崎元の本読みます。
あるときガツンと収入になるやつはがっつり税金かかるから、家賃収入みたいに短期的にリターンのあるやつも検討しろって言われた
2千万では足りないが
ですよねー。まず元手になる不動産が要るし。下手するとスルガ商法になるわけか。
国債は銀行で買える。安全といえば安全かな。いまは5年債を100万買うと1000円プレゼントされる。最低限の利率はつくけど、あとで利率のよい国債が出る可能性は否定できない。なので1年後からできる中途換金(途中で売却)する人はわりといる。日銀が既発債を積極的に買い入れてるし、銀行もそれとなく示唆してくれる。この状況で、様子見したかったらそれもあり。ただ既発債の買い入れ政策が1年後やってるかどうかは誰にもわからない。
新婚なのにどうしてそんなに普通なの?本当は幸せいっぱいなんでしょ?と言われる。
何でかって?感慨も実感もないから。
夫にとって、そのタイミングで結婚する事が都合が良かっただけで私じゃなくても良かったのだ。いい加減、親からお見合いを勧められそれを断るためにも、ちゃらんぽらんな独身だと思われる事に終止符を打つ為の手段が必要だった。夫にとって私はちょうどいい存在だったのだ。
夫は、私を家族だと思ってない。
いつでも自分が楽しければそれでいい。自分が心地よければそれでいい。私が楽しいかどうか、私が心地よいかどうかよりも、自分が快適かどうか自分が損をしないかどうかがすべての夫は、後で自分の立場が悪くならないよう先を見据えて行動するいつだって損得勘定の人。
そういう側面もあるかもしれないけど、制度としてあって使いたくても使えないみたいな層も多いと思うな
新入社員男性の8割が育休取りたいって調査あるのに、実際取ってるのは10%以下だし、このギャップを金銭損得勘定に基づく夫婦の決定とは断言できないんじゃないかな
下方婚問題は自分が上方婚しなかったからしない人の気持ちわからないんだけど、自分の年収レンジで状況が悪いってなった時に、はーやれやれ上方婚しないこの世界の女が悪いんですわ、全く…ってなって終わるか、じゃあ勉強して転職するかって思ったり自分より給与安いフリーターの女の子と結婚したり専業主夫募集のバリキャリの人探したり、ちょっと年齢いってる、ブス、デブのどれかに当てはまってる人探すとか、対策取れそうじゃん
下方婚しない傾向あっても全員じゃないし、全員から好かれる必要なんてないんだからたった1人好きな女の子探せばいいって思うのは皮算用すぎ…?色々やっててダメだったならごめんね…
「根拠なく他人を肯定することが、根拠のない自己肯定につながる」みたいな言説を見て、希死念慮が酷かったタイミングで無理やりやってみた。他人の肯定といっても、大したことではない。俺を虐めていたアイツも、俺の分の学費まで食い尽くした末にニートで寄生虫してる兄も、その兄に勝手に俺の金を渡した親も、なんであのゴミがのうのうと生きてんだ早く死ねとか思わずに、勝手に生きてろゴミめ、くらいに思っていくようにした。
それを始めて半年が経った結果、熾烈な希死念慮はだいぶ落ち着いて、うすぼんやりと誰か殺してくれねーかなーくらいになった。この誰か殺してくれねーかなーの根源もだいぶ見えてきて、人を信用するのが苦手だからこの世には味方が居ないように感じてる、ってことから来てるんだと思う。
他人の信用できる動機、「罰が嫌」>「損得勘定」>「やりたいからやる」=「敵意」>>>「好意」みたいな順番って思ってるの、多分まっとうに生きてる奴とは違うんだろうな。損得勘定で動いてる人、特に損の回避で動いてる人はある程度信用できる。
ちょっとずつ、「やりたいからやってる」っていうタイプの動機の人も信用してみようと思う。酷い目にあったら死ねば終わるんだし、俺が死んでも俺が死ぬだけだし、の気持ちで行こうと思う。
事の始まりは「何故お年寄りに席を譲らなければならないのか、自分だって疲れているのに」という一人の男の発言から始まった。
女である私は天地がひっくり返るくらい驚いて、「お年寄りは足腰が痛くて立つのが辛いってすぐ想像できるじゃない?」と聞くと、
「そんなの解らないじゃないか、もしかしたら物凄く元気なお年寄りかもしれない。確信が持てるのは俺は凄く疲れてて座りたいということだけだ。」と言っていた。
私はなるほどそういう理屈なのか…と同時にあまりの共感力や想像力の欠如ぶりに驚いた。
「じゃあこのお年寄りが本当に足腰痛くて座らせてもらいたい時どうしたらいいの?」
「ルールを設けたらいい。優先席は絶対お年寄り限定ですよ、とか。あと譲る時に俺にメリットがあればいい。老人や人々から感謝されるとか。あと譲らなければ俺に悪い事が起きるとか。老人や人々から突然罵声を浴びせられるとかね」
「間違っても『お年寄りは大変そうだなぁ』と思って手を差し伸べたりしないんだね」
「冷たい人間と思うかもしれないけど、自分の利益だけを即座に考えられるから強者で居られるんだよ。それで得た利益や資産を仲間に共有出来るメリットがある。男なんてみんなこんな感じだよ。もし共感が上手な男が居るなら、そいつは自分にメリットがあるから共感してるフリしてるだけだよ。そして共感が上手な男は弱者なことが多い。そんな弱い奴なんて女は結婚したがらないよ。」
一通り聴いてなるほどと思った後にモヤモヤした。
この男は、結構自分への共感は強要することが多い。そういう共感してくれる人に救われてるとは思いもしないのかな。もし己がなんらかの障害を持って弱者に回った時に誰も助けて貰えなかったりする時はどう思うのかな。
そして何よりも気になるのは「男はみんなはこんな感じだよ」という発言。
本当にそうなの?
男=共感力と想像力が欠如してて無神経な事を悪気なく言う人種だとしたら、私は男と結婚生活を送る自信がないな…
たとえば、育児が辛いから手伝ってほしいと言っても何ひとつ手伝わないどころか「なんで俺がやらなきゃいけないんだ!俺へのメリットなにもないだろ!!」とキレるわけなんだよね
そんなん、育児やってる方がどんどん負担がでなくなってしまう。
でもそれを解消したくてどれだけ育児が大変なのかといても相手には一切伝わらないわけだ。
人生で大変なのは育児だけでない、仕事だって介護だって辛い事なんて沢山ある
そんな辛いことをパートナーと半分こできないなんて辛すぎる
世の夫婦は一体どうしてるの?
みんな演技をしてるの?
それはこの天と地の間で二番目に強い絆だ」
メイド姉「そうであっても構いません。
いえ、だからこそ。それだからこそ手を取り合う意味があります。
ただそれだけのことが、ものすごいことなんだなあと感心することしきりです。
だからまあ、なんとかなるよって、そんなことを思いました。
条件のないアイ、そんなモノなんて存在するのか
何もなく唐突に許され、何もなく唐突に救われ、何もなく唐突に愛される、なんてことが
そんなものに、遭い、会い、合い、逢い、愛し愛されることが
それだけしか望みません。
それだけで、わたし達は立派にやっていける。
その後のことは“みんな”が上手く形にしてくれる。
私はそれを信じています。
だって信じて貰えなければ、私は人間でさえなかったんですから。
虫けらのままで死んでいたんですから」
理不尽な強制としてこの世に生を受けた幼子は、若者となり、己の意志でもう一度生誕を決意する。
自分が何者であるかを胸に刻み、望んでこの世界に生まれた二度目の赤子として自分自身の人生を歩み出すのだ。それは神聖なる契約であり、人はそうして連なってきた。それが人をいままで繋いできた。