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2012-01-31

初めてインドっていうかケーララ州へ旅立つ人へのアドバイス

http://samuraibp.com/column/first-india-trip

この記事を見て、去年の2月に3週間ほどインド南部のケーララ州+インド最南端のカニャクマリを回ったことを思いだしました。そのことをかきます

たぶんリンク先の記事は、インド北部のメジャーどころを念頭に置いて書かれてるんだろうと思います自分10年前にデリーやバラナシを巡りましたが、その時は確かにこんな感じでした(IT化は全然してなかったけど)。でも、同じインドでも場所によって結構空気が違うんですよねえ。リンク先の記事はコンパクトなのにツボをおさえていて良い記事だと思いますが、地方を巡った経験からの、ちょっと異なるアドバイスを敢えて書かせていただきますよ。どっかしら観光地として日本ではマイナー感漂うケーララを推すべく。

オートリキシャ、サイクルリキシャ、人力リキシャ、タクシー

何故かケーララ州ではぼったくりが(あまり)ありませんでした。全般的に、デリーやバラナシの人たちと比べてギラギラしたがめつさが希薄しかも、どうやらリキシャ運転手同士で客引きルールが設定されているらしく、長距離バススタンドや駅といった場所では日本のようにリキシャが客の順番待ちをしていました。僕が間違って列の後ろの方の運転手に話しかけると「俺の順番じゃないから先頭に行ってくれ」と言われました。信じられますか。インドでですよ。3週間滞在しましたが、金のことでもめたことはほぼありませんでした。

(ここからは推測。ケーララはインドで唯一共産党政権とってる州でして、そのせいか妙に皆の団結力が強いそうです。リキシャの運転手たちも、全員で示し合わせてストをしたりしてるそうで。上記の話もその土地柄の一環なのかもしれません。彼らに直接聞いたわけではないですが)

(あと、田舎に行けば行くほど、観光客向けの商売人からギラギラさが薄れる気がしますね)

市街ローカルバス

ムンバイコーチンではよく見かけましたし利用もしました。

でもこの町では、バス結構難易度が高かったです。なんせ、バスの路線番号表示がアラビア数字じゃなくて現地語なんですよ。読めねえ。安いし、車窓が高いので町の見物にもってこいなんですけど、目当ての路線を探すのに手間取る可能性があります。あと当然車内アナウンスはないので、おりたい場所に近づいたら結構必死で町並みを観察していないといけません。もし自信が無ければ隣に座ってるおいちゃんに教えてもらうか、諦めてリキシャるかするといいと思います

鉄道

ケーララは長距離バス網が異様に発展しているので使いませんでした。

ちなみに鉄道はほぼ予約必須なんですが、最近ネット経由で予約ができるそうです。わざわざ駅に行って朝から窓口に並ぶ必要がない。すばらしい。はずなんですが、なぜか自分クレカ(viewスイカ)は使えませんでした…。使えるカードと使えないカードがあるみたいなので、渡航前に実際に予約サイトに行って、使えるかどうか実験しておくといいとおもいます。予約の件は日本人から教えてもらったので、日本クレカが全部ダメってわけでもないんでしょうけど。

長距離バス

公営バスがちょう整備されてます。ケーララを旅するためのメイン交通機関です。まちがいない。

うっかりデメリットの説明の方に力が入ってしまいましたが、便利だったのは間違いないです。ケーララは鉄道の本数が少ない土地なので、うまくバスを使いこなしていただきたいところです。

余談ですが、公営バスは全部、黄色と赤の共産党カラーで統一されてます。窓から見える風景には、鎚と鎌のあのマークがよく落書きされてるので、共産趣味の人は楽しめるはずです。

国内飛行機

前述の僕のクレカは、こちらのオンライン予約ではなぜか通りました。べんり。

携帯

SIMロック外したあいぽんと現地で買ったSIMカードとの組み合わせ最強です。foursquare普通にチェックインできます。でも、何故か、SIMカードを売ってくれる店と売ってくれない店がありましたね。コーチンなどの都会では、店はたくさんあるけど何故か売ってもらえず、地方都市のクミリーでようやく買えました。

噂によると、外国人SIMカードを買うためには、パスポートと、住所の確認が本当は必要で、住所がないバックパッカーは売ってもらいにくい、とのことです。とはいえ僕の英語力に問題があった可能性も大なので、本当かどうかはわかりませんが……。もし携帯を現地調達するなら、パスポートの写しと滞在ホテルの住所を持って行った方が吉かも。

ちなみに日本SIMカード海外ローミングを使っても通信はできます。当然一日1000円以上の高価な通信料がかかりますが、極めてお手軽なので、なんかあったら使えます

あ、それと、あいぽんコンセント形状さえなんとかすれば変圧器なしで充電できます

現地人とのおつきあい

子供の物売りやコジキは、引き際を知らないので大人より扱いに疲れます

他の旅人とのおつきあい

ケーララは日本人ぜんぜんおらんかったですよ。多分地球の歩き方で割かれてるページ数が少ないからだと思います。クミリーの動物保護区でトレッキングに参加したら「おれのツアーに参加した日本人はお前が始めてだ」と言われました。そのあとサファリツアーに参加したんですが、欧米人リア充カップルの群れに混じって、ぼっちジープに乗るのは辛いものがありました。ケーララは風光明媚だし商売人がギラギラしてなくてゆっくり過ごせるので、もっと日本でもメジャーになってもらいたいものですよ。

2012-01-25

細胞記憶

http://anond.hatelabo.jp/20120125044542

人は生まれてすぐは興奮という感覚のみがあり、乳児期に快と不快分化します。

2歳ぐらいの乳児期には快から愛情と喜び、不快からは怒りと恐れに分化し、さらに5歳頃の幼児期に怒りから羨望・嫉妬失望が、恐れから心配羞恥分化すると言われています

主さんが何歳頃にその体験をしたかによって、細胞記憶としてその体験による体の生理的な反応に付随する感情希薄ものでも不思議だとは思いません。

体験した記憶をその時に対処できない場合、人は体験ごとその記憶細胞筋肉に閉じ込めてしまます

快・不快という強烈な感覚が伴っていれば尚更だと思います

人が対処できる時期になると、その記憶タイムカプセルのように開かれていきます

現在、思い出したことで怒りなどのやり場のない感情を感じるのでしたら、カウンセラーなり心理セラピストなりに話を聞いてもらって、気持ちを理解し共有してもらうことで、今後の感情の行き詰まりは最小限に防げるかと思います

その体験から、今どのような怒りと不快感覚を感じるか、とても理解できます

2012-01-13

友達付き合い

進学して友達と呼べる人を少数だけど作れた。

けれど、今この関係を壊さなければいけないように思った。

そんな事を思ったのは結構前でズルズルと関係を引きずってきたようだ。

最初友達が別の人の悪口を言っていたことだ。

俺は今までの人生で悪口を言う人と友だちと呼べる関係になったことはない、関係を断絶したこともありこの時に嫌な予感がした。

友達が少ない人間である俺には一人の友だちでも貴重なのだがどうしても関係を続けることができない、信用できなくなってくるからだ。

もっとも仲良くなっても恥ずかしい本音トークなんかは出来なかったわけで、かなり純粋いや、子供のような関係ばかりしかしてこなかった。

それから時間が経つにつれ悪口を聞いた数は増えるわけで、だんだん辛いと感じるようになってきた。

でも、友達が少ない俺にはそんな人でも大切な人と感じている、悪口がなければかなり良い関係に持っていけたんだろう。

でも、そろそろ無理だと感じるようになってきた。類は友を呼ぶというのか、悪口を言う人が多いグループと接触が増えた。

その中には別の友達もいたが無理を感じて希薄になってしまった。そして今回の接触である。おそらく今回も希薄な関係になるだろう。

アドレス帳からの削除は何時でも出来る。授業だって大体はついていける。分からなければ教員に聞けばいい。自分の状況はだんだん希薄方向に動いているようだ。

残りの期間おそらく友達は(学校には)居ない生活になるだろう。

友達性格を変えればいいのだろうけど、中学、高校で悪口はその人の歴史であるということを知った。

歴史は変えれない、昔に戻らない限り。言っている本人も後戻りはできなくなっている。

そして俺はその歴史友達を続けられなくなる人間みたいだ。

昼飯どうしようかな。

2012-01-04

ゆっくりと下落していっている

ネットってこわいよな。

社会とつながってるような錯覚するけど、ネットのつながりなんてゆるい物。

後々使えるつながりなんて1割ない、ただの暇つぶし時間の浪費。

状況を改善していく努力を続けないと、ゆっくりと下落していく。

真綿で首を絞められるようにじわじわと悪い状況になっていく。

リスクや面倒から逃げていると、後でツケを払わされる。

いま、逃げてる自覚希薄だけど、続けていれば後で必ずやってくる。

どんなリスクも選択しないことが、一番リスクが高い。

2011-12-25

ゆるいつながりが欲しいんだが何が最適?

mixifacebookとかのSNSはあまりにもリアルとのつながりが大きくて、人間関係が煩わしい。

かといって、2ch増田だとネット寄り過ぎで人とのつながりが希薄すぎる。

何かちょうどいい感じのゆるいつながりが持てるサイトって無い?

2011-12-24

虐殺器官 リマインダー

一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの

第一部

 

 死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。

 僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっと効率的に争いを終結させられる標的。

 仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為打ち切り決断したことで、僕は気を病んでいる。

 仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司意図により隠されている。

 標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。

 ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。

 標的Bはすでにそこにはいなかった。

第二部

 仲間のアレックス自殺する。

 彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。

 ぼくの父も、かつて自殺したのだった。

 家の天井に散った父の血を拭き取ったのは誰なのだろう?

 標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦渡り歩いているようだった。

 だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーリピート平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。

 ペンタゴンに召集される。

 そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。

 彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。

 ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。

 死者の国の夢――「死体物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。

 幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。

 視線と、認証との類似性。

 ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語講師をしている彼女の生徒として。

 ルツィアに、「言語進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。

 チェコプラハ行方くらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。

 9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。

 ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMIT学者だったが、いつからDARPA研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」

 それは上司からは当たられていない情報だ。

 ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。

 彼は、指紋と虹彩とで、認証されるIDが異なる。

 サラエボの核クレーター

 IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。

 ――彼が関わった国で虐殺が起こるようになったのはそれから

第三部

 死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。

 その夢でも、母さんが現れる。

「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。

 ……母さんが死んだのは、ぼくが認証イエスと言ったときだったんだろうか?」

あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。

 でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断から

 ……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。

 けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなた決断によって死んだ。

 私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」

 夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。

 そのクラブでは、ID認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。

 クラブオーナールーシャス曰く、

「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」

 クラブでの、ルツィアの告白

 

 ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき彼女はジョン・ポール不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白

 罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。

 死者は誰も許すことはできない。

 ぼくの告白――もちろん、仕事の部分はルツィアに隠しながら。

「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女心臓は再び動き出した。――危険軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかたから?

 決断材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。

 かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。

 見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。

 結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。

 ――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。

 僕の告白に対してルツィアは、

人間生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だからあなたは許されるべき」

 ルツィアとの帰り道、気を失う。

 ジョン・ポールによる電撃を食らって。

 とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。

 ジョン本人により、虐殺言語の詳細が語られる。

 虐殺言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。

 ジョンの協力者によってつれていかれた先は、ルーシャスの店。

 ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。

 〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシー平和トレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。

 それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザビデオクリップ平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから

 ジョンとルツィアは去る。

 僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。

四部

 旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。

 痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。

 ――「殺される」前の母さんと同じ、希薄意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識希薄さ。

 この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。


 仲間のウィリアムズとリーランドとともに、インドに入る。

 ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。

 その少年少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。

 ジョンを輸送する列車

 ジョンは、

「私が行っている「虐殺言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心抑制する」と。

 ぼくは、

「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」

 ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。

 僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。

 リーランドミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄意識で戦い続けた。

第五部

 インドミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。

 それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。

 母さんのメタヒストリープロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。

 リーランドミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。

 発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉メタヒストリーの行き着く先。

 〈ヴィクトリア湖沿岸産業同盟〉は、人工筋肉利権を得るために、独立しようとしている。

 ジョンはそこの文化顧問だ。

 ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。

 ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。

4(物語のコア)

 ジョンは、

虐殺利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」

 ルツィアは、

あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているか虐殺言語をばらまいているのね?」

 ジョンは、

「いや、愛する人々を守るためだ」

 ――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカチェコでは、それが起きていない!

5(物語のコア)

ジョンは、

「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。

 ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺言語をふりまいた」

 ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。

 ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。

 と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。

 ウィリアムズによって。

「なぜ殺した」と僕。

「妻と子のためだ。彼女らは、この世界虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。

 ドミノ・ピザ認証で受け取る世界くそったれの平和世界を、俺は彼女らのために守る」

 ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。

 ジョンとともに、逃げる。

オリジナル

「おまえを逃がせばまた、虐殺言語を振りまくのだろう?」と僕。

「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界真実を知らせよう」

 タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。

 彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。

エピローグ

 僕のもとに、母さんのライフログ権利譲渡される。

 ……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。

 僕は幼いころ、常に母さんに監視ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在記述されていない。

 母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。

 僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺言語を語る。虐殺言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。

 そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。

 僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。

☆改変版

「お前はまた、虐殺言語をばらまくのか?」

 ジョンは、

「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造原理を知られれば、たか言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミ政府公報で、いくらでも虐殺言語を打ち消せるさ。

 だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」

「なにをするつもりだ?」

 僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。

エピローグ

 僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。

 それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。

 公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。

 ジョンから渡された「真実」オルタナに浮かべて話そうとする。

 すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。

 幼少の僕は、母さんに監視ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。

 それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実ログ世界からアメリカ憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシー提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザビデオクリップ平和の外を知ろうとしないことで起こると。

 ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。

 ……だが、アメリカ憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。

 ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国小国視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。

 ジョンの考えと僕の考えは違う。

 母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカから存在しない視線小国が期待するように。

 存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺言語と、僕のマザータンアメリカで語られる英語によった。

2011-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20111223203513

あとフェミニストは、なぜか主婦に冷たい。

もともとフェミは『家族』とか『家庭』という構造自体に反対している人間が多いってのもあるが。

WAN:Women's Action Network労働概念は変化したのか?  伊田久美子

私は70年代以降のフェミニズムは、以下の2点を明らかにしたと思っていた。

ひとつは、稼ぎのない妻の利害は「稼ぎ手」である夫と一致しているように思い込まされてきたが、

それは必ずしも一致しないこと、もうひとつは、「主婦」と「働く女」の利害は対立していると思い込まされてきたが、

実はけっこう一致している、ということである

ミクロ権力関係を含んだ「家父長制」と、一心同体とみなされてきた家族の中の仕事労働であると主張した「家事労働」という二大キー概念は、

これに呼応している。さらに言えば、ジェンダー論は労働/非労働の二項区分の自明を問い直す画期的ツールだったはずである

ここまでは解る。個人的にも、ある時点まではフェミニズム社会に有益な働きをしてきた、とも思ってる。

しかしこの日のシンポジウムを聞いていると、どうやら二つとも私の勘違いだったかのようである

むしろ女の多様化とか女女格差という議論の展開によって、上記の課題重要性は希薄になっているのだろうか。

しか70年代の「女」というアイデンティティは今の時代には既に齟齬があるだろうし、

この変化は機会を改めて考察したいテーマであるしかしあのとき開けた構造認識は、

運動にとって貴重な相互理解を可能にしたであろう。

なぜなら女たちが手探りで模索したフェミニズム理論とは、異なる立場の者、知り合うこともない者との連帯を可能にするためのツールだからである

私が衝撃を受けたのは、多くの発言の「主婦」についての辛辣で冷ややかな口調であり、

ほんの少し異なる立場への想像力と寛容の欠如であった。「主婦フェミニズム」という批判もあまりよく理解できなかった。

http://wan.or.jp/reading/?p=5396

運動が拡大する前は、どうしても頭数がいる、そういう利害もあって

活動に参加する時間がある専業主婦層を大量に取り込んだって感じなんだろうか。

そして今は女性側の権利もほぼ満たされ、より雇用の拡大をポジティブアクションで実現しようとしている、

そんな段階に達してしまうと、フェミ観点では主婦って面倒な存在なのかな、と思ったりもする。

2011-12-04

いっしょにいたいというきもち せかんどしーずん

今年もOB会があり、参加した。

今年は後輩もいる。昨年より確かな賑やかさがあった。

彼女は今年も参加していた。社交性ある彼女のことだから、きっと今日も楽しんでいくだろう。


どうやら、浮気されてから復縁したらしい。

僕はそれを会席で知ったが、何人かはそれを前から知っていたようだ。

僕はやはり許せなかった。彼女に、ではなく、浮気しておきながら、図々しくも縒りを戻した交際相手に我慢ならなかった。

が、彼女がそう決めたのだから、僕はとやかく言うつもりはない。

昨年はアドレス交換しなかったことを悔いていたが、今年はそれをする気にはならなかった。

一年は重い。


だが、今も彼女を好きだという気持ちは揺るがない。彼女はそれだけ、僕の定数としてそこにあり続けている。

これはもしかしたら信仰の類なのかもしれない。聖性たる彼女を、どうあれ蹂躙した男が憎いが、自分その男に取って代わり、彼女の手を取りともに歩むのは恐れおおく気が進まない。

処女信仰、というわけではない。それなら、彼女は聖女たり得ない。処女か否かに拘わらず、彼女はそれだけまばゆく映る。


一年彼女は大人びて、交際相手との関係を再構築する中、僕は何をしていたのか?

僕は堕落していた。自ら滅びの道を手繰り、社会的自傷のごとく大学を辞め、貯金も尽きかけてバイトを始めたものの、バイト一人かければ店が回らないような牢に囚われ、絡め取られ、縛られ、絶えていた。

不況だというが、皆はそれをはねのけるだけのバイタリティでもって仕事をしている。同期、後輩含め内定を取れなかったのは自分だけだったようだ。ここだけ見れば、氷河期だというのはうそ臭く思える。

もっとも、手取りが少ない、ボーナスがないというボヤキは聞こえてきたが。

一年で人はここまで変わり、会席のような定点観測格差意識する。


教授も同席していたのだが、僕に対してはそれほどつらくあたらないというか、良くも悪くも他人事のような風があった。まあ、OBなのだから当たり前でもある。私はOBではないが、席を用意してもらっている。

外国に行ってみれば、という教授の提案。考えなかった世界ではない。そしてそれは、おそらくとても刺激的なものになるだろう。しかし、そのようなお金はない。日本人が一泊二日でもなく海外旅行できるのは、貯金が溜まって、仕事を辞めて退職金をもらい、時間お金に余裕がある時と相場が決まっている。僕には溜めがない。両親の葬儀さえ執り行えない、もしかしたら介護に金をかけることさえできないかもしれない。旅行など、過ぎた贅沢だ。近場の散歩でいい。景勝地より多くの日常を歩くだけでいい。


話がだいぶそれた。

結局、僕は彼女に何をしてやれるか。

それは僕の思いを伝えることなく、彼女彼女で選んだ相手と幸せになって、それを僕が心底喜ぶことだ。

僕は彼女といてはならない。いっしょにいたいなどと願ってはならない。

希薄な関係がいきなり濃厚になるとしたら、それは夢や自分勝手な思い込みであり、現実ではない。それは彼女の意思を無視した暴力だ。

から、僕はこれから彼女と薄いつながりのままでありたい。

来年、同席したら思いを伝えてみようなど、考えてはならない。

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昨年(http://anond.hatelabo.jp/20101224212232)の続きです。多くの嘘を交え、暈しています矛盾もあります

タイトルは今見たらうへえ、な感じですが、僕自身うへえ、な人間なので、自分をよく体現しているだろうと、このままにします。

2011-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20111112233710

トリアージの問題だよ。

一定以上の能力をもった人が全力で、ようやく生きていけるレベル社会で、足手まといを養うことで社会崩壊しかねない場合、泣く泣く「切る」ことはあるだろう。神ならぬ不完全な人間には、他の人間価値を決めることなんてできはしないけれど、完全ではないからこそ、相手を殺さねば自分が死ぬ状況で相手を殺した人間を裁くこともまたできない。誰もそれが罪であるとは言えない。あんたのばあちゃんは、そういう社会の業を背負った職分を果たしていたわけで、それはとても尊いことだ。

だが、それはトリアージの問題だ。ばあちゃんの時代には、それは一定の正しさをもっていた。だが、そのばあちゃんの意見が、いついかなるときいかなる社会条件の下でも正しいわけではない。あんたはそこが全く分かってない。

すくなくとも、あんたのような未熟な物の考え方しかできない人間が、万人相手に考えをはき出せるような結構な世の中で、足手まといを養う余裕が「ない」とは言わせない。今の日本でぬくぬく暮らしながら「知的障害者は死んだほうがいい」なんて台詞を言うのは…つまり自分の便利で結構暮らしのためなら人間が死ぬくらい屁でもないなどと口走るのは、絶望的な想像力の欠如と身勝手さと希薄現実感に基づくガキの脳味噌の持ち主だ。

ばあちゃんとあんたの立ち位置全然違う。

ばあちゃんが崇高な仕事に携わった職人とすれば、あんたはその恩恵の下でぬくぬく生きてるだけの単なる甘ったれの馬鹿ガキだ。どうしてばあちゃんがそういう仕事をしてたか想像できず、ばあちゃんらがそういう仕事をせざるを得なかった当時の社会状況も想像できず、そんな不幸をなくそうと努力してきた結果今の社会を作り上げた大量の人たちの苦労を一顧だにしないで平気で戯れ言を言う。あんたはそういうごろつきの役立たずだ。あんたはあんたのばあちゃんが喜んでそんなことしてたと思ってるのか?あんたはあんたのばあちゃんのことも、ばあちゃんと同じ仕事をしてた沢山の人たちのことも愚弄してる。百歩譲って、致命的に無知蒙昧な暗愚下郎だ。

少しは傷ついたか

なら、あんたの意見もっと多くの人間を傷つけていることについても、考えを巡らせてみるべき。

「足手まとい」なんか殺しちまえ、というあんたは、多分「犯罪者」についても同じような意見を吐くだろう。だが、あなたの考えは現在社会全体にとって充分「犯罪的」である…(今の社会がそんな風にできていないことは、あんたは充分承知だろう。あんなエントリを書くくらいだから。)

…ならば、あんたはあんたの主義に則って、自分を「始末」するのかね?

それとも「犯罪的なものの考え方をする足手まといな人間にも、生きる価値くらいはある」、と今さら言うのかね?

2011-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20111104141720

いやだからその個性希薄恋愛モノの主人公とやらを挙げてみてくれよ。

だいたいのエロゲでそうなってるんだったら一人や二人くらい造作も無いことだろ?

http://anond.hatelabo.jp/20111104141335

だいたい恋愛モノのエロゲの主人公は感情移入しやすいように個性希薄

陵辱モノのエロゲの主人公は強烈だと昔聞いたな

例外多いだろうけどおおざっぱに

2011-10-28

まったく合法な自炊サービスを考える。 への反応の反応

http://anond.hatelabo.jp/20110907193725

を書いた増田だけど久しぶりに増田ログインしたらトラバがついてたんでお返事。

http://anond.hatelabo.jp/20111005112736

見てるかわかんないけど。

オプトイン・オプトアウトについて

許諾に関してだけど、業者はまずホワイトリスト制にすべきだよね。ブラックリスト制じゃなく。

これはそのつもりで書いてますブラックリストホワイトリストという言い方ではなくて、オプトイン、オプトアウトという考え方で。元記事にも書いてあるんだけど、日本法律ではオプトアウト方式は認められていないので、合法にやるにはオプトイン方式でないと無理だと思っています

オプトアウト方式が認められていないのに、著作権違反はいくら大規模にやろうと親告罪であると言うゆがみがあると思っているんで、個人的にはそこは改善されるべきだと思っているけど。フェアユース導入なり、大規模著作権違反の事案は摘発が可能なようにするとかバランスを取るべきだと思う。

自炊されたデータ違法流通した場合自炊業者の責任について

例えば自炊依頼のために許諾を求める業者は、その結果に責任取れるんだろうか?

例えば、何らかの事情データ漏れて実害が出たとき

その責任の所在を、自炊業者に求めるなら、法的リスク収益で割が合わないだろうし、事故として上限免責されてしまうなら、許諾するのが馬鹿らしい。

これはそもそも自炊業者には責任は発生しないと考えます。許諾を得ていればもちろんのこと、許諾を得ていない真っ黒な現状でも。

電子書籍でもDRMフリーで販売されているものがありますが、そのDRMフリー電子書籍違法流通して実害が出たとしても、DRMフリー電子書籍を正規に許諾を受けて販売した業者は責任を問われないのと同じです。違う言い方をすればコピー機を有料で貸し出しているコンビニや、ドキュメントスキャナコピー機を製造している業者が違法性を問われないのと一緒です。もちろん違法流通のために特別な何かをしている場合は別だし、幇助レベルではない別の違法行為があれば違います

実際に裁判で訴えられるとしても訴える側が自炊業者側に違法性を予見して未必の故意があった等と言う事を証明しなきゃならない事になるわけだけれど、そんなことはまず無理だと思う。

自炊業者と権利者との信頼関係について

証拠(因果関係)が希薄から自炊業者無罪なら、余計悪い方向だ。

実際、市場では自炊業者は縮小傾向。

ちなみに。

電子透かしを求めようが、何をしようが、業者が故意に行うデータ流出は防げないし、アフィリ等で流出の方が儲かる事情があれば簡単に崩壊する。

これは信頼関係を築いていくしかないと思います。と言うのはこれ電子書籍に必ずついて回る問題だし、昔は書籍についても同じ問題がついて回っていたから。と言うのは、販売量は業者しかからないと言う事だからです

最近の本でも伝統がある出版社の本なら奥付に「検印廃止」って書かれているのを見る事ができると思いますが、これは何かと言えば昔は出版社が作者に内緒でたくさんすって売っているのではないか(いわゆる偽版)を防ぐために、著者が検印を押した紙で確認するという事が行われていた名残です。同じ版をつかって作者に内緒で刷って裏流通させているんじゃないかと言う疑惑があったんですね。また電子書籍でもDRMがあろうがなかろうが、電子書籍販売業者が横流ししていると言う疑惑は当然ついて回ります

もちろん、「状況が同じだからって自炊業者が問題無いわけじゃないだろ」って話は当然あって、だからベンチャーなんかがぽっと出でやるのは難しくて、信頼のある印刷業者やら取次やらが既存自炊業者をノウハウごと買収してやるのがいいんじゃないかと言う〆にしてあるわけです

最後に。需要市場規模

自炊の可否が圧力になるくらいなら、そもそも電子書籍市場が先にできる。

電子書籍市場が必要ない位のニッチなら、そもそも圧力になんかならない。

実は元記事では触れてなかったけど、ここにある需要があって商売になるかってのが最大の問題としてある。でこれについてはなかなか難しい。

けど、逆にニッチからこそやれるのではないかと思っている。

今後電子書籍黎明期を脱してくるだろう思う。Amazonが来るぞとか言う印象論ではなく、

などが主な理由で、つまりは大手出版社が本気になりつつあるからと言う事なのだけれど、だけどこれは新刊や比較近年に発行されたものに限ると思うんだよ。

一方今自炊したいという人の話を聞くと、だいたい2種類需要があって

  • 新刊をタブレット端末で読みたい
  • すでにある本を電子化して圧縮してスペースを空けたい

と言う所なんだけど、電子書籍が普及してくると前者の需要は尻すぼみになると思う。と言うかむしろ成りつつある。わざわざ同価で販売されている電子書籍DRMがあるからといってわざわざ自炊する人間がどれだけいるのかというとそんなにいるとは思えない。

一方後者需要なんだが、こちらはむしろ電子書籍が普及すれば普及するほど増加してくるんじゃないか。今でも切実にスペースが足りない人は多い。たとえば私もそう。で、電子書籍環境だんだん使い物になるようになってくると、その欲求はどんどん膨らんでいくと思う。

また電子書籍で本を読むことが当たり前になってくると、古い蔵書を読みたいという時、紙じゃなくて電子化して読みたいという需要もどんどん増えてくると思っています

しかし、新刊書籍については需要もあるし、DTPデータも丸ごと保存された状態から発刊と同時に業務フローの一環で電子データを作る事ができるからコストは安くすむし、どんどん電子書籍が出るだろう。

一方、古い書籍はどうだろう?DTPデータが消えてしまっている、あるいはそもそもDTPで作られていないとかで電子書籍を作るコストも新刊書籍より高い。しか需要ニッチから作成コストがとれない。だから全ての書籍カバーすることなんてとうてい無理だ。ただこう言った事情から電子書籍が出ないのであって、権利問題がある訳ではなかったりするのも多いでしょう。電子化するコストは多くの人が言うほど安くはありませんし。

そこに、自炊業者と言うのは存在していけるのではないかと思うのだけれどどうだろう。確かに今の違法でありつづけることで必要なコストを払わない対価ではとても無理だが、たとえば引っ越し業者などと提携して、貴方の蔵書丸ごと電子書籍しますといったサービスとしてはありえるのではないか、許諾があるもの自炊し、許諾がないもの既存電子書籍がある場合はそれを案内しつつ、どうしても許諾がなく電子書籍化もできないものは返却する。(希望に応じて裁断だけ手がける)電子書籍化の要望が強いが権利者不明などの理由によってできないもの裁定制度を利用するといった電子ライブラリ構築エージェント的になれないかと思うわけです

こう言う希望があるからこそ、自炊業者はきちんと合法でやって欲しいと思うのですがね…。

2011-10-12

ミサンドリー女性からぶつけられなければ、自分男性性を承認できない。

誰か女性ミサンドリー男性全体に呪詛としてばら撒いている、その対象にカテゴライズされたことで、ようやく自分男性性をネガティブながら承認した。そんな自分の特性に、今日気が付いた。

別にネットでもリアルでもミソジニーをあからさまに振りまいてるつもりはないし、どっちかと言うと草食系で通っている。

ただ、どんどん希薄になっていく自分男性性が、ミサンドリーのような女性からの攻撃や批判を通じてでなければ、実感できない。これは自分女性と付き合った事の無い童貞から自分性的価値を誰から認証されたことがないのもあると思うけれども。

あるいは、母親からの「汗臭い」「ガサツ」なんて言葉からネガティブ自分男性性を発見して来た事に由来する、マザコンの延長線上にあるのかもしれない。

あいいや、ミサンドリーなんてそうそうぶつけられることがないし、そんな観念的な男性性なんぞ振り回すより、建設的な関係とやらでも築けるように努力した方がいいだろう。その損得勘定じみた恋愛観そのものが、フェミニストから見たらミソジニーだ!ってお叱りを受けそうだが。

2011-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20111009065400

それなんて私…

やるべきことやりたいことの区別があいまいで、

中学時代をのんべんだらりと漫画を描き、適当に進める高校へあがり

そこでもなんとなくテストをこなし将来何になりたいかも考えず…

大学へあがっても特になりたいものがなく縁故で職についてしまった

就職活動自分がやりたい仕事というものを深く追求しなかったため、

仕事とは何かという概念希薄で、仕事外の時間ネトゲでだらだら。

…他の人達勉強したり技術を身につけたりしている間、この調子なのだから

とても中途半端で何もできない人間が出来上がってしまった。

2011-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20111005103035

こちらの記事は知識のある人がずいぶん考えて書いているみたいだ

スカスカだと思うぞ。

自炊の可否が圧力になるくらいなら、そもそも電子書籍市場が先にできる。

電子書籍市場が必要ない位のニッチなら、そもそも圧力になんかならない。

んで、許諾に関してだけど、業者はまずホワイトリスト制にすべきだよね。ブラックリスト制じゃなく。

その上で、例えば自炊依頼のために許諾を求める業者は、その結果に責任取れるんだろうか?

例えば、何らかの事情データ漏れて実害が出たとき

その責任の所在を、自炊業者に求めるなら、法的リスク収益で割が合わないだろうし、事故として上限免責されてしまうなら、許諾するのが馬鹿らしい。

証拠(因果関係)が希薄から自炊業者無罪なら、余計悪い方向だ。

実際、市場では自炊業者は縮小傾向。


ちなみに。

電子透かしを求めようが、何をしようが、業者が故意に行うデータ流出は防げないし、アフィリ等で流出の方が儲かる事情があれば簡単に崩壊する。

2011-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20110918001920

前々からリアルの延長線上だったと思う。自分テキストサイト隆盛期のちょっと前ぐらいかしか知らないけど、それでもリアルの延長線上だったと感じた。ユーザーが少なめでリアルとのつながりが希薄だったっていうのはあっても。

人が増えれば場所が変わっていくのは世の常だし、自分の望む場所じゃなくなったからって、元増田のためにネットがあるわけでもない。

ネットに逃げ込むっていうのは、特別なことじゃない。自分の居心地のいい場所に逃げ込むっていうのと同じことだ。

それが人によっては女装バーになったり、ボランティアサークルだったり、自分の部屋だったり、の、違いであって。

逆にネット環境が整った分、今の子供は恵まれてる気もする。ネットを利用できるから

ネットはツールだから、それを利用して何かしたいことをするっていうのが容易くなった。

知りたい情報を把握するのが楽になった。

把握するのが楽になれば、行動にも幅が出る。いろんな選択肢が見えてくる。

お望みのところに逃げたいのであれば、探すことだって可能だし、逃げ方を考えるヒントはそこここに散らばってる。

状況が変わったことは不幸かもしれない。でも、だからってどうしたいのさ?再度状況を戻すことは不可能だし、自分希望を叶えるのは自分だろ?天から降ってくるなんてないよ。天から降ってくるのはラピュタだけだよ。

2011-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20110910075234

ネットが普及したせいで

人との繋がりが希薄になったと思うようになった。

食べログがあるせいで

美味しいお店を見つける楽しみもないし

人に道を尋ねたり確認する必要もないし

欲しいものは出歩かずにネットで買えるし

ネット情報チートばっかしてたら

人生がつまらなくなる。

2011-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20110905101739

今の若者には「卒業して大人になる」という概念希薄からね。

きっと彼らは老衰する一日前まで匿名で誰かをこき下ろし、炎上に加わり、作画にケチをつけ、草を大量に生やして死んでいくんだよ。

こういう奴らを叩き上げてひとりでも多く大人になってもらうためにも、通過儀礼として就職難が続いてほしいね

2011-07-20

ソーシャルネットワークの意義

ソーシャルネットワークと言う言葉が浸透し始めて以来、TwitterFacebookなど、様々なソーシャルネットワークを利用するユーザー数が急増中です

しかし、何事にも言える事ではあります

最初に浮かび上がる話題は、「★★★でビジネス展開」この言葉にどれだけの方々が踊らされ続けて来た事か・・・。

ビジネス展開の部分を煙に巻く様な内容のセミナーが横行し、その気にさせられた方々が無駄な動きを取ってしまう。

そんな話を聞いた事ってありませんか?

しかし、その展開して行く方向性を明確に理解していないとただの時間のロスにしか過ぎないのではないでしょうか?

確かに、ビジネス展開と言う点では間違えていないと思います

では、いかに効率的に自分自身のスタイルを崩す事なくソーシャルネットワークでのビジネス展開を進めて行けば良いのかと言う事を簡単にでは御座いますが、掻い摘んでお話したいと思います

インターネットが普及され、近所付き合い等の人間関係希薄なモノになろうとしている現在。人々は誰とも会話を交わさずに生きて行ってるでしょうか?

答えはNOです

これだけ簡単に色んな情報を手に入れる事が出来、これだけ手軽に世界中の人と繋がる事が出来る状況。それでも時が経てば経つほど、人は情報よりも人と人の関わりを求め始める。

人間と言うものはそう言う生き物なのです

金八先生曰く「人という字は人と人が支え合って出来ている」

そのとおりですね。人は人と関わり合って生きない限り満足を得る事は無いのです

そして、その流れも不思議なモノで

当初は、世界中の人と簡単にやり取りが出来ると言う斬新さが刺激的な部分でもありましたが

文化の壁と、言葉の壁と言うものは大きく

よりリアル距離感でのやり取りをスピード感を持って交わす事が出来るツールと言う使い方に変わろうとしてます

その流れが顕著に現れてるのがTwitterFacebookですね。

デベロッパー的な方(既に戦略的な利用をしてる方)は様々な地方の方との交流を図る場所として利用してる事が多いのですが、利用者の大半を占めている一般的な方々の利用方法は、身近な人とのコロニー的な交流を図る場所として利用する事が多い様です

その昔、人々は道端で言葉を交わしながらその人がどういう考えを持っているのかと言う事を把握しながら交流を重ねて来ました。

知り合いでは無い間柄でも、他の人から得た情報や時々目にする相手の姿を見る事により相手のヒューマンデータ確立が出来ていたと言う事なんです

ここは簡単に箇条書きで

1、相手の事を直接対話する前からある程度把握出来ている。

2、職業や業務内容も把握出来ている

3、大体どの辺りを拠点にしているのか把握出来ている。

ここまではリアル世界ネット世界も同じだと思います。では、わざわざネット上のソーシャルネットワークを使って人との交流を図る理由は?そんな疑問を持たれる方も多いのでは?

ソーシャルネットワークを利用する事によって更に大きな利点を得られるからこそ人々は利用するんだと考えています

では、プラスの内容を追記。

+1、相手の趣味や思考を把握できる。

+2、相手との接点を持ち易い

+3、電話リアルな会話と違った手軽さを体験出来る。

これこそが、ソーシャルネットワークの利点です

以上の内容で考えると、ビジネス展開と言う点での光が見えて来た方もいらっしゃるかと思います

情報を得る事も重要ではありますが、ソーシャルネットワークとは、如何にして自分自身のパーソナルデータを発信し続けるかと言う事がポイントになるので、あなた自身の日常趣味などを可能な限り公開し続ける事。

仕事に置き換えるとすれば、お客様や取引先の方に、表面上でしか把握されていなかったあなた自身のパーソナルデータを把握して貰う事が出来、より親近感を持って頂く事も可能であると言う事なんです

そして、それらの流れは今までの世界観とは全く違った営業活動にもなる訳です

インターネットは24時間ルオープン状態!!あなたが公開した情報は、今までの仕事時間では展開する事が出来なかった時間帯での活動をも可能にしてくれていると言う事なんです!!

では、あなたの事を検索された時の事を考えてみるとどうでしょう

検索結果に1~2つの内容が出るだけの場合と、検索結果ページ内にズラッとあなたの事が並んだ場合

このインパクトの差はかなり大きなものだと思いませんか?

必然的に、検索結果に色んな情報が出る方は再度検索される場合が多いと言う調査結果も出ており、ただ日常ネット上で表現(公開)するだけであなた自身の大きなブランディングが出来てしまう。

これこそがソーシャルネットワークでのビジネス展開になると思いませんか?

1、わざわざ日常とは違う何かを始める訳でも無い。

2、使っているうちにスキルアップも可能。

3、プロモーション費用がかからない。

ここまで書けばご理解頂けると思います

ネットは苦手なんだよなあ・・なんて言ってる場合では無いのです!!

こんなにも簡単に無料で使える最強ツールを使わない手は無いのです!!

表現方法や、内容は人それぞれ

自分はどんなふうに表現出来るのだろうか?

スタート前の悩みは尽きないと思います

まずは、始めてみる事です!!

あなた自身に合った最高のソーシャルネットワークの利用方法確立してみて下さい♪

2011-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20110711194143

え~っと、元増田は今の子供が無感情であることを訴えたいんだよ。

価値観とかそういったことじゃない。読み取れない?

・・・事実かどうかはさておいて、元増田は、

花と呼ばれるモノを見ても有機物としてしか見ていない。

"綺麗だ"、"臭い"、"ジャマ"、といった自分感情を持っていないか希薄

「花とは花を構成している一部で、めしべやおしべを保護・・・」といった理科教科書の一文を答えるのみ。

といったことを述べたいのだ。

ま、そうなったのも(周りの)教育、そうならないのも(周りの)教育。なんだけどね。

2011-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20110709015539

 「安全神話」という言葉に対する解釈が違うと思う。

>>そもそも「絶対安全」を喧伝されてきた、とか言われてるけど、そんな覚えなんて全然ないんだよね。原発見学に行ったこともあるけど、むしろ「絶対安全なんてことはあり得ないし、過信が最大の敵です」って向こうに言われたよ。

 「絶対安全は有り得ない」と口でいいつつ、事故が起こったとき対処真剣に考えていなかったら

それは結局危険について殆ど考えていなかったことと同じだと思う。

 原発立国のフランス日本対応が違う記事が二つある。

朝日新聞 2011年05月14日 朝刊 オピニオン1 

朝日デジタルには記事有り。7月中は無料なので確認してみて)

 フランスで以前、原発事故訓練を見学したが、そのリアルさに驚いた。参加者機器の状態などわずかな情報だけを与えられ、どんなトラブルが起きているか想像力を鍛える。既定シナリオに基づいて形式的な訓練を繰り返す日本と違い、危機感の差を感じた。

 富岡町人口は約1万5千人。約20キロ離れた隣村などへ全町民が逃げたが、避難計画は十分ではなかった。街なかは大渋滞し、普段は車の少ない山道にも長い車列。途中にトンネルや高架橋が多くあり、崖崩れなどがあればパニックだった。国も自治体東京電力もこれまで、部分的な訓練だけで、お茶を濁していたと思う。

放射線は身体にどのような影響を与えるか

福島第1原子力発電所事故を踏まえて~

http://niben.jp/or/kankyo/houkoku/h_20110328.pdf

ヨウ素剤のフランスでの対応について 31頁

特徴的なのはフランスですフランスは5キロ以内の圏内にいる家庭には,

全部,家庭配布をしているんです事故がなくても家庭に配布して,いざと

いうとき自分で飲める。5キロ圏内は学校にも配布しています。5キロ

ら10キロ圏内は,学校保育所に配布していて,希望すれば自分薬局

らもらえることになっています

日本は,こういう家庭配布は

全然やっていないんです。避難

所で与えるということになって

ます



フランス日本と同じように少数エリート原発についての決定権を握っているらしい。

フランス]電力の約8割が原子力サルコジは安全性誇示

http://globe.asahi.com/feature/110417/01_1.html

フランスでは原発事故がとてつもなく多い。8段階の国際評価尺度(INES)で下から2番目の「レベル1」の事故は、仏電力公社EDF)の原発だけでも2010年に74件、09年には95件あった。「レベル2」も両年で1件ずつ起きている。

だが、国民の関心は小さく、報道も少ない。高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故1995年)や関西電力美浜原発3号機の蒸気噴出事故(04年)など、「レベル1」の事故日本で大騒ぎになったのとは対照的だ。

フランスの鈍感さの理由は、原子力情報を一部のエリートが独占し、厳しく管理していること。そして、「地下資源に乏しく、エネルギーを確保するには原子力しかない」という国民意識だ。

 でも、日本は「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故などで大騒ぎをしたかもしれないけれど、

福島原発での点検不正告発したGE社員名前を、経産省東電に報せたり、

省庁再編の時、原子力安全委員会経産省傘下に完全に入れてしまったり

新聞報道はあったよ。ちゃんと問題点を指摘していた。)

柏崎刈羽原発事故でのIAEAの指摘(原子力保安院と安全委員会が共に推進側の経産省内にある)にも

なんら対処はしていなかった。

事故の多いフランスに比べて、日本原子力エリート対応は甘いどころか何もしていなかったに等しいと言えるんじゃないか

というか、事故後の対処以前に日本はそもそも事故を防ぐ気持ちも希薄だったのではとさえ思う。

 

これはどうみても「絶対安全なんてことはあり得ないし、過信が最大の敵です」っていう人の態度では無いよね。

以前からの反原発派が指摘していた「安全神話」というのは

安全のために幾重にも対処していますと口で言いながら何一つしていないか

それとは正反対の事さえしてしまい、

しかし心の何処かで事故など起こるはずがないと信じてるかのような

原発管理側の「安全信話」、もしくは「安全信者」とも言うべき「態度」に名付けられた言葉だと思う。

 増田もその事を指摘したいのかもしれないけれど、

原発派の極端な例を一般化したり、

原発構造理論で安全性を強調したり

設計図では良くてもその通りに作られていなかったりきちんと点検されてないのだから

今建っている原発には当てはまらないという指摘は大昔からあった)

という、原発管理側の手法をそっくりまねても(そうよ、この方法管理側「も」というか、むしろ管理側の常套手段だった)

説得力はない。

むしろ、今までの圧倒的な非対称を無視しての物言い原発推進派を利する事にしかならないと思う。

2011-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20110705000501

仲良し機能って使ってないけど、あれは名刺交換のノリでマイなんたらになってるだけの希薄な関係の相手と、

SNS上でも「ちゃんと」希薄な関係でいるための機能じゃないのかなあ

仲良し機能とか

有名国産SNSサイトお話だよ。

仲良し機能は、マイなんたらが、本当に親しい人から知っているだけの人になって、表面上は関係性を保ちたいけど、実は冷戦だったり、破綻だったりと複雑な人間関係隠蔽するためのものなのかなと思った。

規約上あんまり若い子はいないと思ったけど、学校でいうと、ハブりとか仲間はずれとも言えるような気がした。

クラスでそんふうになったらいやだよね。学校クラス替えはあるだろうし、3年で終わりだから我慢しとけよ。

この機能を使っている人は、なんだか裏と表を使い分けているようで、なんだかなぁ

さっさとマイなんたらを解除すればいいのにね。

そんな疑念が思い浮かんだときSNSが結びつけていた思い込みの人間関係って希薄ものだと思った。

そんなふうに思った人は、ちょっとのぞく程度のユウレイ会員みたいなものになるのだろうけど。

この会社中の人ってこのSNSをほんとうに使っているのかなとも思った。裏切り機能みたいなのは精神衛生上よろしくない。

仕事で作っているものプライベートで使いたくないような気もするし、他社のSNSも偵察しないといけないだろうから、自社以外のものも使っているのだろうし。社長とか部長日記でお知らせとかしてんのかなぁ。社内の派閥ごとに仲良し機能がつかわれていたりとかさ。

長期的には徐々に人がいなくなってしまうんだろうなとニフの歴史を思い出してみたり。

押すボタンが多くなって、だんだんとめんどくさくなっているのは間違いない。処理できる情報量とそれを楽しめるしきい値バランスがよくないのかもしれない。作業ゲームみたいになると何をやっているのかわけがわからないよ

SNS日記に書こうかとおもったけど、そのSNSを心から楽しんでいる人に悪いので、増田に書いた。

2011-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20110704042620

一体どっちが本来のありかたなのでしょうか?

社会契約存在しない状態においては、前者。

というか、そもそも「罪」と言う概念がない。

そこに社会契約が発展、「所有物」や「権利」という考え方が発生する。

その時点で、他者の「所有物」や「権利」を犯した場合、「罪」になるという考えに至る。

生まれた時から社会契約に縛られる現代日本においては、教育によって「罪」という概念が教えられるはず。…なんだが。

まぁ、現在教育がどのようになってしまっているかは察しの通りなわけで。

「罪」と言う概念希薄な輩が大量に存在していると。

そういった人間は、

罪は重くも本人の心身はいたって健康

である訳だ。

一方、親のしつけや教育甲斐もあって、きちんと「罪」という概念を持った人間は、

罪は軽くも本人の心身はズタボロ。

となる。

社会的にとっては前者であればあるほど悪、後者であればあるほど許容できるといったところでしょうか。

今の日本裁判制度社会保護制度は、前者である「罪の意識希薄存在」を無視しているシステムな訳で。

から、「光市母子殺害事件」が問題化されたり、「生活保護」が悪用されたりするわけだ。

システム上、「罪の意識希薄存在」は存在しえないと言う訳。

なので、社会的には前者であればあるほど「悪」というよりは「得体の知れないモノ」「存在するはずの無いモノ」となる。

後者後者であるほど、社会契約保護し損ねた人となる。後者は大概社会保護し損ねた結果として犯罪に走る。

まぁ、前者も大元を正せば、ネグレクト等が原因で後者であった可能性も否定は出来ない(永山則夫 等)が…。

本人の心身を最優先にしたら前者の方が心身の健康上には良いのかな。

前者の場合、本人に「罪」の意識希薄なので、無理やり捕えられ裁かれるという状況であり、トラウマになりうる。

例えば、スピード違反

路上喫煙禁止条例施行の頃に逆切れする女性映像が流れていたりしたのもこういった類。

後者場合は、本人に「罪」の意識があり、裁かれたのだから後は社会が庇護して行くべき。

というか、本当に後者しか居ない社会であるなら、フィンランドのような刑罰システムへ移行することも可能。

この場合は、ズタボロにはなるまいて。

罪を反省しないほうが社会的にはNGでも本人にとっては良い

って状態は、本人が中途半端に「罪」の意識を持っている。

自分や他人の「所有物」や「権利」という概念を知っていながら、それを奪うのが「罪」という意識までは至っていない場合だな。

万引きとか、詐欺罪ってのはそんな感じかな。

2011-07-03

最近人との繋がりが希薄になってってて

休日に何していいかからなくなってきて今日も一日ぼーっとしてしまった

そんで2のまとめサイト何気なく覗いてみてて今さら洗濯男とか読んでたらなんかしらんけど涙が止まらなくなってしまって

感情は動いてないんだけど涙が止まらないんだわ

まぁモニター見続けてたからだよなきっと

何か動物触りたいな

田舎帰って虫取りしたい

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