大学時代につまらないことして徹夜して、朝キャンパスの木の下でボーっとしていた時の事を思い出した。
何故か矢沢永吉を聴いているときに思い出した。当時矢沢を聞いていなかったからデジャブではないな。
多分、今の状況と一緒なのかなと思った。
今は敗北感。
認められず、みんなに置いていかれ、後輩にも追い抜かれ。
当時感じていたのに似ているように思った。
必要なことだろうが、評価制度が憎いな。
ネットをしているとTwitterなりmixiなりで縁を切られたり距離を置いたり置かれたりしてる知り合いの名前をたまに見かける。
IDをブロックしても、あだ名などで書かれてたりするとどうしても目に入ってしまうこともしばしば。
大体は自分のせいなので愚痴っても周りに嫌な思いをさせるだけだから表面的にはなにも言わないようにしているが、名前を見たり
思い出してしまうと当時の出来事などがフラッシュバックしてまともに仕事に手につかなかったり、実生活に影響が出ることもある。
オフでの知り合いに何度か打ち明けたり、ひどい時には心療内科にも診てもらったこともあったが、一時的に持ち直しても結局また
同じ事の繰り返しになってこれがかれこれ数年続いている。もはやネット自体離れるべきなのかとさえ思うが、ネット上でのみとは言え、
良くしてもらっている人たちがいるので、その人たちと離れるのはものすごく忍びないとも思っている。
だからといってやはり愚痴る事も出来ないので悶々とした思いが晴れないままでいる。
いっそ死ぬかとさえ思ったが、それもまた何か違うと思っているので、どうしたらいいのか全く分からない。
優生学って、ちょろ見しただけなんだけど、より優秀な人間を作り出していくために、優秀でない個体を排除したり、そもそも生まれる段階で手を加えたりする、という話だよね
そうだとすると、優生学を否定してるって根拠があんまり分からないな
第二次世界大戦当時のアメリカの国力と現代日本の国力を比較する。
人口は同等。
工業力同等以上。鉄鋼生産でも自動車生産でもエネルギー消費でも上回っている。
アメリカは一千万人以上を動員し、GDP比132%の総戦費を投じて世界大戦を勝ち抜いた。
私たちもそのくらい本気になればあの程度の物量は投入できる。
景気は刺激され、適度な通貨膨張も期待できる。
彼らはしれっと原子炉を再稼動させるまで、民間企業は忍従させればいいと思っている。
要は本気でない。
そうなのかもしれないなー。
適度に距離とったほうがいいんだろうなあ。
次いった方が効率はいいんだろうけど、そういう心境になれないのが困った。
詰んでるから次の一手はないのかもしれないけど、諦めきれないんだよね。
「言いたいことを持たない」というのが避難経路なわけですよ、この手合いは
この手のことに苦しむ人は、ほんとうの意味で相手に向き合ってないひとが多いような。
http://anond.hatelabo.jp/20110706212120
何かあるたびにネトウヨへの批判がうざい
同じです
「ほら!また使わない部屋の電気ずっとつけっぱなしにして!」
「うるさいわね!お父さんはおとなしかったのに!」
「オヤジは毎晩飲んでてヘベレケだったからだろ!死んだオヤジが言わなかった分オレが言ってるんだ!」
「だったら毎晩酒でも飲んでておとなしくしてて頂戴!」
twitterやってて何か知らんが相互followする羽目になったのだけど。
そんなに日本をどうにかしたかったら、まずはお前が出産して日本の労働人口増やせよ。もういい年なんだからさ。クリスマスケーキの売れ残り年齢なんてとっくに過ぎてるんだろ?
いくら自分が悪口を言わなくても、不快なことを言われ、怒らずグッとこらえても、
いわんや相手が意識して不快なことを言ってきてもなお、ビジネス記事はどこも
怒ったり、悪口を言ったりしてはいけないという。
はたして本当なのか。このふつふつを湧き上がる感情というものは
抑えきれるものなのか。そもそも抑えきれないほどの気持ちだからこそ、悩んでいるのに!
明らかに相手に悪意があった場合、さらに相手に非がある、または
相手は分かっていないようだが非常に自分に対して失礼なことをした場合・言った場合など、
(俗にいう、理不尽なこの怒りどうしてくれようというやつ)
一瞬でも、仕返ししよう、論破しよう、相手をねじ伏せよう、など、
その手のことを一切考えない聖人たる人、というのは なかなかいないのでは
ないだろうか。
ここで、にっくき彼奴のことを考えながら、一度興奮かつ冷静に、
ひとりのビジネスパーソンとして、彼(彼女)を客観視してみましょう。
2割が優秀
6割が普通
2割が残念
とすると、8割、実に8割の人間が普通以下ということになります。
イラッとさせる人は、きっと8割のほうなのでしょう。
(優秀な人、というのは、相手の表情を読むのがうまかったり、相手への気遣いが
価値観の違いうんぬん以前に、たいしたことない人間(!)なんだから、
そのうじゃうじゃいるたいしたことない人間について、
いちいち悪口いったり、
ことを証明することに力をそそぐ(世間一般的に、それを努力という)
ほうが、よっぽど時間を有効に使っている。
(なぜなら、少なくとも相手より優秀であるその人、まさにあなたが、
時間をかけて努力しているんだから!無駄な時間のハズがない!)
一方、たいしたことないうじゃうじゃ(!)にたいしてさく時間は、
(いかに論理的に相手の愚劣さを証明しても、愚劣なヤツのために、
つまり、積極的理由であれ消極的理由であれ、優秀なあなた自身に
貴重な時間を使うほうが、どう考えても得なわけだ。
結局、そうやって無駄なものを無視して、有効な時間を過ごしましょう、という
ためのスキルが、怒らないことだったり、飲みながら悪口言わないようにしたり、そういうことなのだ。
7つの習慣で言うところの、
他人を変えることは難しいが、自分を変えるためのことはすぐできる。自分がやるだけである。
というようなこと(を書いていたとおもう・・)
であり、
怒りや悔しさは、ためてパワーにし、爆発させるのだ!という
バカでも年収1000万円の著者が言うところなのであろう。
しかし、たとえ空虚な時間を使っても、悪口をいったり感情を爆発させたりしたほうが、
とっても気持ちいい、自分が満たされて納得できる、というならば、ここはしかたない、
人に言って得することは何もないし、もれなく人数分×空虚で無意味な時間が生産・消費されるのである。
それだけの無意味時間を生産するあなたは、いずれ彼らの悪口の対象になり、さらに世の中に
なんという負の連鎖。
あなたはきっと、8割のほうの・・・なのだ。
さぁ、上位2割へ。
国と地方は対等だとか、国に対して抗議するとかさ。
それって政府じゃないの。
あるいは中央省庁じゃないの。
これからは「おかみ」って呼ぼうぜw
それか、さっさと民主主義やめようぜw
所詮、合わないんだよ。
別の方には書いてるけど、むしろ優生学を否定してまっせ。
まだ生きてる。スペックと一部の質問だけ。