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2011-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20110625160944

明らかに会社の選び方が悪いだろ。

プログラミング得意な奴って、社会感覚が異常に希薄馬鹿みたいな会社勝手に入ってブツブツ言いながら燻ってる奴多すぎ。

http://anond.hatelabo.jp/20110511152005

前にこういう奴もいた。

http://anond.hatelabo.jp/20110511154435

こういう馬鹿丸出しなこと言って自己陶酔しながら「レベル高いのに不遇な俺」をアピールしてるだけ。

あれはできないこれはできないと、できない理由を探すのも得意なんだよな。

2011-06-14

ガンダムシリーズ最新作 「機動戦士ガンダム LEVEL5」

ガンダム新作が発表されて、「ガンダムじゃない」感をひしひしと感じた。

今後の発表や本放送で感想が大いに変わることはありえるが、ひとまず現時点では、ガンダムである必要性を全く感じられない。

なぜか。

まりにも「レベルファイブ」すぎるからだ。

等身の低い丸っこいキャラデザ、三世代に渡るストーリー展開、オモチャしか見えないガンダムデザイン

全てレベルファイブの作品で見たことがある、というかもうぶっちゃけこれ、イナズマイレブンベースダンボール戦機メカ要素取り込んだだけだろ!としか思えない。

全てにおいて突っ込みどころ満載だが、個人的には、三世代ネタを出してきたところが最も気になった。

そもそもガンダムの主人公は、親子、というか家族概念希薄な人が多い。

アムロカミーユは親が仕事優先で放置されがちな少年時代だし、ロランやヒイロは出自不明。

ガロードとシンは戦災孤児、親を殺して自発的に孤児になった刹那というガンダム

キラには親がいるが、全くストーリーには絡んでこない、かなりの透明度。ウッソのところは…他が濃すぎて……

とりあえず、ガンダムの主人公はそのほとんどが、帰るべき家・家族を持たない「孤独少年である

ただ、自分の知る限り唯一、孤独少年じゃない主人公のガンダムがある。

Gガンダム」だ。

ガンダムファンの高年齢化問題」と「小学生層の取り込み」を実現させるために、設定を大きく変え、「機動戦士ですらなくなったガンダム

ガンダムAGEは、Gガンで挑戦し、一定の効果を得たこの課題に、再挑戦する意思が見える。

そして今のタイミングでこの課題に挑戦するにあたって、こども向けのゲームタイトルで躍進するレベルファイブが関わるのは、ある意味当然のことのようにも思える。

そこまではよかった。

問題は、日野社長が自らシナリオを手がけること。

日野社長経営者として優秀であることは間違いない。

そして、脚本家としてもダメなわけではない。

(王道設定の再構築で成り立ってるから地雷を踏みにくい)

だが、彼はあくまで、レベルファイブ社長

ガンダムに関わっている間、それを捨てて「ガンダムの」ストーリー作家になれるか?

多分無理、絶対無理。

いくら「これまでのファンも大事にします」と言ったところで、既にゲーム発売も予定されている。

そんな状況で、ゲームの都合でストーリーを変えることができる立ち位置社長自らが腰を据えるわけだ。

信用するのは難しい。

何せ日野社長って、会社経営方針的に、ドラクエ二ノ国、そして今回のガンダムと、ブランド力への執着心が半端ない。

そこにきてガンダムAGEは、イナズマイレブンでやり尽くした感が否めない「三世代」ネタを主軸に置くときた。

まり、このガンダムが成功すれば、日野社長は「家族ネタに定評のある構成作家」の地位を確立し、それはそのままレベルファイブブランド力になるのだろう、ということ。

それを前提とすると、先日の発表会は、

「新作ガンダムは、2011年秋までのレベルファイブ作品紹介プレゼン動画です!1年かけて放映するからよろしく!」

…と言っているようにしか見えなくなってくるので、今非常に困っている。

最近ガンダムは文句言いながらもそれ自体も結構楽しめてたけど、今回ばかりは不安100%で楽しめる自信が全くない。




誰か一番いい論破を頼む。切実に。

こんなくだらないことでガンダムを嫌いになりたくない。

2011-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20110502180659

ごめん、横だけどそれやっぱり異常だよ。

使用済み生理用品なんて女同士でも恥ずかしいものなのに、

3は状況によりギリセーフ、1は意味不明、2だったらガチだよ。

まあそのまえに鼻かんだティッシュを床に置くって時点でアウトだけど。

あと、義父がゴミ箱を持ってくるのは「妻の家では男の仕事から」って解釈が謎。

奥さんが「捨てられない」からゴミ箱を誰かが「持って来なくちゃいけない」じゃないの。

あなた電気つけっぱなしの話とは全然違うよ。

多分あなたの基準もおかしくなってきている。

文章がものすごく希薄感情がないのも気になった。

2011-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20110601214051

まあそういうことですね。

実は偉そうなこと書いてきた僕自身も大学三年生なのですが。

このような文章を執筆した動機は、周りの先輩・同級生を見てて、

「こいつら何かはき違えてるんじゃねえか」と思ったからでして。

これ先に言うと説得力が希薄になることうけ合いだったので、敢えて書かなかったんですが、どうでしょう

2011-05-28

株主責任

株主責任とは、株式会社出資した株主投資家)の出資金に対する責任株主は、出資した企業破綻したり問題を起こしても(出資分以上の)法的な責任を問われることはないが、株価の変動により出資した資金が目減りして損失をこうむったり株式が無価値になると全額を失うこととなる。

株主責任とは、会社破綻したり増資に追い込まれたときに、こうした株価株式価値の変動を通して株主に負わせる責任(損失)。株主責任を問われても、直接的に損害賠償債務返済の義務を負うなど「新たな負担」を求められることはない。

会社経営が行き詰ったり破綻したとき株主責任を問われると、株主既存株式が無価値とされて出資分の全額を失ったり、大規模な増資による希薄から株価暴落することで損失をこうむることになる。債務超過に陥った破綻企業を公的な資金や債権放棄で救済する際は、何らかの形で株主責任が問われることが多い。

会社の清算時には、株主権利はもっとも弱くなる(会社に残っている資産は、従業員の給料債務返済に優先的に回される)ため、「危ない」会社への投資は慎重に検討する必要がある。

http://www.moneybatake.info/words/ksekinin.html

2011-05-16

シブトラミン スニッフ、舌下、経口 45ミリグラムぶっこみ

痩せ薬として色々とヤバげな効き目を出すシブトラミン

服薬して、すでに半年以上だが、最近ききの実感がなくなってきたので(飲んでも腹がへる

一気に増量して、効き方を再認識しようとオーバードーズにちゃれんじ

一日の上限が15mgとのことだが

15mg一錠ごとに、5分ごと程度にスニッフ、舌下、経口で摂取

はじめにスニッフするも痛い

刺激っぽい苦みがある薬はスニッフに向かない、と思いつつも

とりあえず頑張るもほとんど鼻水で流れてしまう、薬効実感は希薄

経口で余った粉末と錠剤を服用

この時点での効き方は、胃に何も入っていないのに

お腹がいっぱいのような感覚を得る

一番効きがガクっと来た舌下

初めて服用した時の、視界がグワーッと広がり

脳に何かしらヤバイ信号バンバン流れてる間隔が広がる

この時点で、かなり食べ物を見ても興味が失せる状態

意識に異常はなし、脈拍も安定状態で推移

お腹いっぱいがかなり強く感じる

食べ物を見ると「気持ちが悪い」になっている

効き方としてベストというか、これ以上無いくらい

痩せ薬として作用している状態に移行

飴、ガム、野菜ジュースなどをのぞけば

最後にまとめて食事をとったのが20時間ほど前(カップヌードル)で

胃に堕ちたシブトラミンも、舌下で溶かした分の効き目が

下降線を描く前に、ジワジワと効き始める

睡眠ほとんど取っていないので

起床時間も18時間を超えているが、眠気が穏やかに

目が冴えているというより、目があいてる状態のほうが楽という感じに

6時間後に結果を書く予定

2011-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20110502202950

すみませんが、そもそものテーマとして「少子高齢化」なんて、僕は考えてないんです

テーマからズレる事は、元々考えたかった事を希薄にしてしまう。

からシングルマザーに関するトラバへのコメントは控えました

少子高齢化」に重大な問題があって、解決が非常に難しいことは

限界集落と呼ばれるような所で生まれ育って、

子供や若い働き手が少ない(いない)事が地域社会を維持出来なくさせてしまう事は、それなりに実体験として分かります

また、財政難などの問題も当然大きな問題としてあるでしょう。

そうした現状を非常に不安に思っています。


ただ、計画性のない出産財政的に許容できな社会の方に問題がある、

と言うのは、社会に期待し過ぎ、甘え過ぎと感じたからまとめに書きました

現実問題として、児童就労などは日本では実現不可能でしょう。

自営業を手伝うなどは、可能でも学校に行かずに働く、小学校が終わって働くと言うのは難しいと思う。

では、

「親がそれほど考えなくても子供がちゃんと育つ社会

(おそらく、社会保障教育費、医療費などの経済的な支援の充実、保育所などの充実の事と思われる)

こういった社会は実現できれば良いとは思う。けれど、今はない。




から

計画的な出産が大切だと思うんです


改めて書きますが、元のテーマとして

デキ婚への寛容」

として、書いたので「少子高齢化」に関して考えを練っていませんでした



あと、『〜でしょうが』『〜べき』なんて書き方されると、

ムッとして、そこに意識がもっていかれるから、考えを返しにくい。

妻と結婚して3年以上過ぎた。

妻と結婚して3年以上過ぎた。

私たちは中学の同級生である。高校時代から付き合い、途中別れることもなく結婚した。そういう経緯であるから、私たちはお互いをよく知っているものだと思っていた。

結婚前に義母には「うちの娘は全く掃除ができません。それでもいいですか?」と言われていた。そうはいっても、いわゆる「しつけ」のちゃんとした家庭であったから「全く掃除ができません」は謙遜だと思っていた。たしか結婚前に妻の実家の部屋に行ったときは荷物が雑然と置かれていた。しかし、だからといって「全く掃除ができない」という事はないだろうと思っていた。彼女は高校時代から自分のお弁当自分で作っていたし、字も綺麗であったし、ノートも整理されていたから、「全く掃除ができない」は冗談だと思っていた。

 

だが、しかし、である

本当に掃除ができない。正確に言うなら、「物が捨てられない」。

私はその事実に気がつくまで、「物が捨てられない」人は2パターンに分けられると思っていた。「ケチ」と「優柔不断である。ところが妻はどちらにもあてはまらない第3のパターンだった。

「物を捨てるという概念がそもそもない、あるいは異常に希薄化されている」のである

具体的にいえば、ゴミゴミ箱に捨てるということすら、彼女にとっては努力が必要な行為である自分が鼻をかんだティッシュをそのまま床に置く。使用済み生理用品もなぜか、床に落ちている。

もちろん全くゴミゴミ箱に捨てないわけではないが、例えば、ゴミ箱がいっぱいになっていたとする。そこにゴミを捨てたら、ゴミ箱がいっぱいだから当然あふれるわけだが、そうしてあふれたゴミが周囲に散らばっても気にしないで、そのまま放置する。ゴミ箱ゴミ袋を交換するのは、いつも私であるが、必ずゴミ箱周辺のゴミを片付けなければならない。

このように「物が捨てられない」がために、掃除ができないのである。それ以外のことはできる。食器を洗うことはできる。食器を食器棚に戻すこともできる。それなのに、それなのに、納豆のケースとあの小さなビニールは流しにそのままだったりする。

これは学習障害のような、あるひとつのことが困難であるような障害なのだろうか?と思ったものである。何度注意しても、ゴミは床にそのまま放置しているし、使用したツナ缶を洗ったまま、流しに放置する。

同居人としては、不思議で仕方ない。なぜ「物が捨てられない」のだろうか。なぜ、ゴミゴミ箱に入れるということすらままならないのだろうか。

 

私は注意深く妻を観察した。

そして気がついたのは、妻の実家では、鼻をかんだりするときに、義父がゴミ箱を持ってくるか、義父がゴミを受け取ってゴミ箱に捨てているということだ。流しのゴミも義父が集めて、家の外のゴミ箱に持って行っている。

これで納得した。妻の実家では女は何も捨てないのだ。捨てるべきものは男が回収し、男が責任をもって捨てるものなのだ。そのように育ってきたわけだから、私の家では、私がその役目をやるのが妻にとっての普通なである常識としてゴミゴミ箱に捨てるということを妻は知らないわけではない。ただ、それはあくまで社会的な常識であって、家の中での習慣ではないのだ。

おそらく妻はこのことに気がついていないし、私もそれを言うことは、妻の育ちを否定することになるので言わない。少しずつ軌道修正を行うのみである

 

私も、蛍光灯テレビをつけっぱなしにするという癖がある。これは実父も同じである。この癖があるのは私の実家の中では、父と私の二人だけである。母はもちろんのこと、二人いる兄弟にもこの癖はない。

以前、そのことについて母からあなたたち二人は若い頃から一人暮らしをしていた。きっと寂しいから自然といろんなものをつけっぱなしにする癖がついたんだと思う」と言われたことがある。納得的な説明だった。

今では、自分のつけっぱなしの癖も相当改善されたので、妻の「物が捨てられない」も、時間をかければ改善できると思う。

 

====

どうも。

1ヶ月前に書いたときトラックバックの返信もできていたのですが、量が多くて手に負えないので補足書きました。

2011-04-24

俺はエヴァに呪われていてエヴァアニメ物差しにしているのか…

http://anond.hatelabo.jp/20110422235719

↑の元増田です


ブコメで「エヴァに呪われている」とか「エヴァ脳の恐怖」とか「エヴァアニメ物差しにしている」といったコメントを見て、なるほど的を得ているなと。

そして残念ながらid:kyo_juネタじゃない。マジで書いた内容なんだ…orz

てか自分でもマジでエヴァ脳だと思う。じゃなきゃ増田で書かない。

俺がこんなコメント普通ブログ投稿してる奴をみたら、とりあえず全力で叩く。

それぐらいTPOに反してる感想だと我ながら思う。


しかし何で自分エヴァに呪われているのか?

何故エヴァアニメ物差しにしているのか?

何でだ?


自分なりに考えてみたんだがエヴァに前のめりで楽しんでた人達、というか後ろに引いて見ることが出来なかった人達は、

エヴァが終わった後の娯楽としてそれぞれ別個の道に進んで行ったかと思う。


まずアニメという枠に傾倒する道。

あるいはSFというジャンルに傾倒する道。

この二つの道に進んで行った人は多いのではないかと思う。

ただ自分はこの二つの道には進めなかった。

アニメ当時の世相を反映してか「自分探し」のような内容か、あるいは「萌え」に特化した内容ばかりだった。

自分探し的な部分は十分エヴァで堪能したし、萌え視聴者勝手に後付けするものであって主食として作者が提供するものじゃないものと考えているので無理だった。

SFは─漫画だろうと小説だろうと、作者の設定自慢ばかりで人の営みが希薄なのが多かった。「イカにSの面白さを最大化するか?」が最大の関心事になっている世界だった。

Fだけでいいか人間ドラマが欲しくてSFの道には進まなかった。

※その中で何故か『BLAME!』だけは面白いと思ってた。我ながらかなり謎。

 「設定?誰がんなもん語るか。察しろ。」というスタンスがよかったのかも知れない。

 あるいは設定の説明がない分、人間(と愉快なクリーチャー達)の営みに思考が集中できたせいかも知れない。


自分は娯楽なしで生きられるような人間はない。おそらくは他の人もそうだと思う。

大人になって仕事家事忙殺されても、アウトドアや人付き合い以外の何かしらの娯楽を大なり小なり楽しんでるんじゃないか

人によって、それが映画だったり、ドラマだったり、推理モノだったり、歴史モノだったりすると思う。

自分は「エヴァの次の娯楽」として、最終的に「古いモノ」を選んだ。

小説に手をだし、散々色々な誇大広告に騙された結果、最低10年以上「これは良い」と語られる小説は、少なくとも個人の趣味で好き嫌いはあっても外れはないことに気づいたからだ。

そしてこの単純な法則が、小説という枠だけでなく他の枠にも当てはまることを知った。


「古いモノ」を楽しむコツとして、「その当時の世相や時代背景を同時に知る」ということ。

今ではやや物足りない部分があったとしても、当時としては革新的な技術や手法、あるいは独自の視点が盛り込まれていたために長らく語り草になることが多い。

それと同時に他人の解釈をガン無視すること。例えるなら、どれだけ権威ある人が「このキャラツンデレから萌え」と言っても自分が「ツインテールから萌えであってツンデレなのはどうでもいい」なら自分の直感に従って楽しむこと。

こんな風に古いモノ、かつ娯楽として時代の振り落としを生き抜いたモノを、自由気ままなオレオレ解釈で楽しみ、アニメを見なくなった結果自分アニメ物差しエヴァジブリ千年女優だけになったorz

敢えて弁明、というか開き直らせていただければ…


だって仕方ないじゃん!1年間で1割より少ない程度で面白いアニメは出てると思うよ?

けどその1割弱を探すためだけにアニメ世界に飛び込めば、まさに「渡る世間は萌えばかり」、あるいは「前門の厨二アニメ、後門の監督が厨二の自称芸術unkoアニメ」ばかりじゃん!

アニメの作り手にしても、ちょっと成功して有名になるとすぐ芸術気取りした宮崎駿後継者気取りしてばっかじゃん!

そんな中途半端なことをするくらいなら、いっそワーグナーみたく「アニメはただの芸術じゃない。神聖な祭事だ!」ぐらい突き抜けつつ「よろしい!私に投資する権利をやろう!」的なノリで資金調達&製造とかやれるだけの実力と人間としてゲス気概を持って挑めよ!>ヤマカン、細田

特に'00年代は酷かったよ!観客の声を聞かずに監督が見たいアニメか、大向うの観客の声しか聞いていないアニメばっかだったよ!

「そもそも今客席にいない人を、どうやって小屋に来てもらうか」を考えている人なんて皆無だったよ!


00年代はまブロードウェイ- ミュージカルの方が観客を呼ぶためのモノ作りをしてるよ…

例えば「Wicked」はファンタジーで低年齢児を釣り、女の友情で少女釣り、あげくに社会派的要素で親を釣り上げる万能釣り竿だよ。

Next to Normal」なんて狂気の中から家族愛を導き出すーそれも母親が主役でーっていう化け物ミュージカルだよ。

ミュージカルってさ、親しみが無い人には「子供が見るモノ」あるいは「軽いモノ」ってイメージがあるんだ。

酷いと「演劇と歌が同居する必要性がないんじゃねーの?」って言われる始末www

まぁ当然だよね。舞台としては戯曲という枠が、歌劇としてはオペラという枠が、ダンスバレエという枠が、技巧も歴史も名作も持ってる。

けどミュージカル子供ミュージカル自体にマニアックな人ばかり相手にしてたってお金にならない。

彼らが飯を食っていくためにミュージカルという枠のファンを増やすしか無かった。

かと言って技巧だけで挑めば間違いなく他の枠に負ける。

から彼らはあらゆるものを取り入れ名作を作り上げた。

例えば古典悲劇恋愛ベースに、彼らの身近にあるダンス風俗、そして身近にありすぎるマイノリティへの差別問題を注入したWSSとかね。

そういったことを繰り返し繰り返し続けた結果、今のブロードウェイミュージカルの地位が出来上がった。


じゃあアニメはどうだろう?特に00年代

00年代映画ドラマが売れないと言われる時代だった。

アニメを作ってる側の人からも、「売れない、売れない」という声ばかり聞こえた。

けど自分からしたら、なんでアニメを作ってる人は「今、テレビの前にいない人」を捕まえようとしないんだろうと思ってた。


筋を古いモノから流用し、装飾や人々を今の時代に合わせ、最後の結末に自分たちのメッセージを盛り込む。

これだけでも十分面白いモノが出きるのに。

守破離」の全部が大事なのに、今のアニメは「守」だけ「破」だけ「離」だけみたいに、個別の実装しかいものが多い気がする。

その意味でまどまぎは見事に守破離を盛り込んでた。

魔法少女」っていう小さな視野で見ても、かなり綺麗に守破離してる。もちろん違う角度から見たときにも様々な守破離があるのがまどまぎの魅力。


けど、きっともう後16年くらいは守破離をしっかり出来たアニメは出ないんだろうなぁ…

まどまぎの脚本の人は「ロボットものを書きたい」って言ってるらしいから、おそらくロボットを書くのに夢中になって客席を見なくなるか、大向うの客席しか見なくなる。

そうすると悲劇が好き過ぎる人みたいだし、シェイクスピアを消化しないまシェイクスピアの再発明を得意気にしちゃったりするんだろうなぁ…


かといって他のアニメの作り手は、まどまぎのパラメーターだけみてメソッドを見ず、もっと酷いものを作るんだろうし…

処女厨がウザい・怖い」的な発言をよく作り手側のコメントで見かけるけど、

なら小デュマみたく処女厨を逆手にとって、ビッチであることが生きるために必然である椿姫処女厨の目の前に置いて、

「それでもお前らこいつを罵れる?」といけしゃあしゃあと言ってのけるような人は今までいなかったし…


自分アニメ物差しはきっと簡単には増えないんだろうね…はぁ…

2011-04-14

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、独りでお酒をひたすら飲み続ける。

そんな姿を想像すると、どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で、

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりはほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろうお父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし、付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。もちろん、叔父さんも然り。

新年あいさつはおろか、全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

覚えてる限り初めて、会ったのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて、結構鮮明に覚えている。

ただ、覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったから、痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって生まれ育った家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、まるで自殺行為のように飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人をあんな逝き方をさせてしまったという事にひどく後悔している。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったってもうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない両親とは、今回の事で決定的な心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

あなたは亡くなった人に優しくて、生きている人には冷たい

耳を疑った。

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。ごめんなさい。

そうやって約一時間で、叔父さんはようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈だった。

膝に抱いた骨壷は、ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、懺悔と叔父さんの冥福、安らかな眠り、幸せな来世を祈るしか私にはできません。

本当にごめんなさい。

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、

独りでお酒をひたすら飲み続ける。

テレビとか見ていたのかな・

そんな姿を想像すると

どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは

推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は

生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりは

ほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、

叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう

お父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし

付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。

もちろん、叔父さんも然り。

正月に、新年あいさつはおろか

全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、

つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

中3のゴールデンウィークに、亡くなった。

初めて、顔を見たのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて

結構鮮明に覚えている。

ただ、

覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったか

痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、

はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて

借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって練馬の家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に

家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで

叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を

気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人を

あんな逝き方をさせてしまったという事に

ひどく後悔している。罪悪感がある。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって

もうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、

こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない

両親とは、心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

他人事なんですね。

亡くなった人に優しくて

生きている人には冷たいと、母親に言われ

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって

叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。

ごめんなさい。

そうやって

約一時間で、叔父さんは

ようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。

膝に抱いた骨壷は、

ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は

私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて

勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、

懺悔と叔父さんの冥福

安らかな眠り、

幸せな来世を祈るしか

私にはできません。

本当にごめんなさい。

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、

独りでお酒をひたすら飲み続ける。

テレビとか見ていたのかな・

そんな姿を想像すると

どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは

推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は

生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりは

ほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、

叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう

お父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし

付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。

もちろん、叔父さんも然り。

正月に、新年あいさつはおろか

全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、

つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

中3のゴールデンウィークに、亡くなった。

初めて、顔を見たのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて

結構鮮明に覚えている。

ただ、

覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったか

痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、

はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて

借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって練馬の家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に

家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで

叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を

気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人を

あんな逝き方をさせてしまったという事に

ひどく後悔している。罪悪感がある。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって

もうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、

こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない

両親とは、心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

他人事なんですね。

亡くなった人に優しくて

生きている人には冷たいと、母親に言われ

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって

叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。

ごめんなさい。

そうやって

約一時間で、叔父さんは

ようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。

膝に抱いた骨壷は、

ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は

私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて

勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、

懺悔と叔父さんの冥福

安らかな眠り、

幸せな来世を祈るしか

私にはできません。

本当にごめんなさい。

2011-03-26

原発事故尺度を示す「レベル概念」は「マグニチュードに相当」するので、被害とは相関しない

 今回のアクシデントを、単純に評価すればレベル5とか6かもしれないが、

 ここでいう「レベル」は、地震で言えばマグニチュードに相当する概念

 

 これに対して、実際に蒙る被害の総量は、

 原発後背地の気象条件、地形、人口密度社会インフラ道路鉄道の整備具合)、

 人々の知的リテラシー経済力政治的要因によって変わることになる。

 人口密度北海道以下のウクライナで起こった「レベル7の事故」と、

 人口稠密地帯(福島県だけでもそれなりの人口密度がある上、後背地に仙台、さらに首都圏を抱える)

 である日本で起こる「レベル5(~6)の事故」では、

 「日本レベル5(~6)の事故の方が被害が大きい」ことも十分ありえるのだ。

 人口密度希薄アラスカとかでマグニチュード8.0の地震が発生するより、

 人口密度が稠密な阪神間マグニチュード7.2の地震が発生する方が、被害が大きいのと同じ理屈である

 ※「人々の知的リテラシー」「経済力」「政治的要因」の点では、

   確かに旧ソ連よりは今の日本の方がはるかに上回っている。

   しかし残念ながら「社会インフラ」の部分が、震災で決定的にダメージを受けているため、

   その部分チェルノブイリより被害が拡大することになる。 

 なので、「レベル5~6」であっても「チェルノブイリと同程度の被害」を受ける可能性があることを留意すべきではないか

2011-02-26

円高にすると輸出が減るので困る、景気の腰を折る気か!という苦情が来た。

円高だから輸出が伸びないのではなく、輸出先に購買力が無いから、輸出が伸びないのである

円安にする為に、去年の9月に円売り介入をしたが、その結果、どうなったか。輸出したくても、相手先では食料や燃料の高騰によって可処分所得が食われ、工業製品の購入・更新は先送りになっていて、輸出は大幅に減ってしまっている。せっかく円安に誘導したのに、輸出先の在庫がだぶついていて、出荷したくても受け入れてくれない状態となっている。

つまり、通貨の切り下げ競争をやっている相手国に、輸出をする為に同じように通貨の切下げで付き合っても、相手国の消費者エンゲル係数が上昇している為に購買力が減少し、輸出しても在庫が積み上がるだけで、利益に繋がらないのである

通貨の切り下げで輸出が伸びて相手国の産業空洞化させる事ができるのであれば、国際的経済戦争の手法としては有効であるが、相手国に購買力が無い場合や、相手国の国内産業生産する製品よりも高性能で安価製品を作り出せない状態では、通貨の切り下げは間違った政策となる。

後進国・中進国は、この間違いを実行してしまい、輸入物資の高騰を発生させ、国内経済を疲弊させてしまい、政情不安を招いている。

食料や燃料といった生活必需品コストが高騰していて、工業製品に対してお金が回らない状態は、当分続くであろう。工業立国を続けるには、少なくなったお金を吸い取れるだけの信頼性と利便性を実現した製品供給する事でしか、成立しないわけで、かつ、後進国・中進国に出て行った工場ではコピーできないような製品でなければならない。そういう製品生産し、そして、国外に余計なお金が流れていかないように、低レベル製品国内生産に戻す事が必要となる。

購買力が小さくなっている市場においては、営業マンを送り込み、その国内メディア宣伝を流して製品を売るというやり方は、通用しない。市場規模が小さすぎて、営業所や支店を置けるだけの売り上げが維持できないのである宣伝インターネットで行い、個人輸入の形で購入して貰うという手法へとならざるを得ない。

宣伝は個別の製品宣伝だけでなく、企業の信用度を上げる宣伝も同時に行わなければならない。個別の製品宣伝については、過去の手法が使えるが、企業の信用度を上げる宣伝については、過去の手法は使えない。親戚が従業員になっているとか、本社ビル工場といった物件が目の前にあるといった信用創造が通用しない顧客に信用してもらうにはどうすれば良いかというと、その企業を支えている株主ユーザーといったソーシャルネットワークの広さ、実存を、その企業webにおいてアピールするとなる。インターネット上の既存コンテンツミラーして、投票によって入れ替えを行っていくという手法は、その手段の中の一つである

リストラによって親戚が解雇されたとか、工場が廃止されて海外に出て行ったといったことで、社会の中における存在感が希薄になっていくと、外資と信用度に差が無くなり、余計に過酷な競争に巻き込まれるというのが、日本産業が陥っている失敗の原因の一つと言える。

対策は、企業側だけではなく、政治の側においても、行う必要がある。食料や燃料を生産する方が、はるかに楽なように見えるが、それらで養っていける人員の量には限界がある。日本にとって、工業立国は、当面は過大な人員を食べさせていく為に必要な選択であり、特許権著作権等の知的財産権や、懲罰的賠償制度、許認可、立地制限といった制度を改廃し、起業を行いえて、しかも、競争が活発化するような産業育成が必要となる。

2011-02-07

「一昔前だったら親戚の人がお見合い話を持ってきてくれたけど今はそういうのがないからねー」

というフレーズ

そして、当の親戚は「いい人いないのー?」

こういうところから人間関係希薄さってのが生まれているような気がするんだが

ひねくれすぎた考えなんだろうか。

2011-02-06

[]正社員既得権ってまだタブー視されてるの?(´・ω・`)

正社員既得権ってまだタブー視されてるの?(´・ω・`)

http://anond.hatelabo.jp/20101111151244

中の人です

結構多くの人に読んでもらえたようで嬉しいです

トラックバックの中の内、http://anond.hatelabo.jp/20110202044044に対して、自分の分かる範囲で答えたいと思います。

自分もすべての事に関して詳しいわけではないので、わからないところもあります。その点はご容赦頂きたい

http://anond.hatelabo.jp/20110202044044

ということで,

と言えると思いますが,どうですか.

まさにその通りだと思います。

正社員職が(契約社員派遣フリーターなどの非正規雇用職に比べて)特権的なものであると薄々自分でもわかっているからこそ、解雇規制に反対する。まさか、自分の今の地位的経済的な裕福さが、非正規雇用の人の”犠牲”の上になりたっているという厳然たる事実を、正社員の人は明示的にでないにしてもわかっている。無意識的に理解はしていても、それを事実であるとは(口に出して、明示的に)認めたがらない。「自分が、他人の“犠牲”によって成り立たせるような”悪い”人間はない」と思い込みたがるというバイアスがかかっているから。

実際に、民間企業正社員として勤めてる友達に話そうとしても、仲がこじれそうで気軽に言えないわけですよ。理解力ある人ならいいけど、そうでない人に関しては絶交されるのも覚悟するくらいの意気込みで(それくらいの強い意志をもって)話さなきゃいけないのは辛いです。

ということで,

と言えると思いますが,どうですか.

的確にまとまっていると思います。私にこれだけキレイにまとめるだけの文章力はないですw

5.については、あまり深刻に考える必要はないと思います。

解雇比較的自由な理想的な労働市場想像してみればわかると思うけど、今の正社員職と非正規職の垣根がなくなるわけです。つまり、(理想的な市場であれば)全員が正社員といってもいいし、全員が非正規雇用者になるようなものだと思います。解雇されやすい代わりに再就職もしやすい、そんな環境です

解雇規制緩和脊髄反射的に反対している人は、「会社に必要とされていない」と本人が一番感じているから反対するのかもしれない。解雇規制が緩和されたとして、会社労働者解雇しだすのかどうかというと実際はそんなことはないと思うのですだって企業が、その企業に固有の慣れ(職場人間関係や慣習)を身につけている人をわざわざ解雇して失われる利益と、新しい人間を雇ってその企業に慣れさせるコスト比較したら、手間をかけて解雇して手間をかけて新たに雇うのはバカバカしくなるだろう。

だとしても、「自分解雇されてしまう」と思う人は、「自分のやっている仕事は誰にでもできる仕事だ」ということに薄々感づいていて、言ってみればその会社に見切られたときに、他に行くあてがないということが分かっているのだと思う。つまり、その会社にしがみついていて、放り出されるのが怖い。クビにされたら再就職もままらいから怖い。それは労働市場において自分価値が低い、と自分でもなんとなくわかっている人だと思う。

日本雇用終身雇用年功序列新卒採用- を撤廃させるには、つまり雇用が流動化されるには少なからず混乱が起きるだろし、 落ち着きを取り戻したとしても決して全員の給料が良かった時代には戻れないだろう。 雇用流動化によって損をするのは既得権をもった人★29だ。誰も損をしない革命★30なんかありえない。 彼ら、いやあなた自身が血を流さなければ状況は全く変わらない★1-10

「彼ら,いやあなた自身が」というのは誰なんでしょ?

解雇規制により恩恵を受けている人(既得権を持った人)ということなですかね.

解雇規制により恩恵を受けている人(既得権を持った人)

そういうつもりで書きました

上にも書いたとおり、労働者の大半をしめる正社員職の人にこそ、むしろ読んで欲しい、考えて欲しいと思って、先のエントリを書きました

ちなみに http://anond.hatelabo.jp/20110130114254 のつっこみによると,

解雇規制や法の問題ではなく,企業労働者ルールの問題らしいですね.

その辺の「具体的に何を変えるべきか」も明らかにしていかないといけないですよね.

法的な問題は詳しくないので、あくまでも、一人の法律に関する素人として、日本社会の一人の市民としての意見として読んでください。

http://twitter.com/theophil21/status/26808239597289472#

(1)同感です。周知のように日本の法制度は、ドイツなどと異なり「正当な理由がない解雇違法」というルールを設けてはいません。先進国ならどこでも違法である差別解雇や、期間を定めたにも関わらず期間途中で解雇する場合規制しているほかは、労契法16条があるだけです

労働契約法に関してです

解雇)第16条: 労働契約

http://roudoukeiyakuho.seesaa.net/article/89148150.html

◆ 定年制 ◆

 就業規則に定めた定年制が、労働者の定年に達した日の翌日をもって、その雇用契約自動的に終了する旨を定めたことが明らかであり、かつ、従来この規定に基づいて定年に達した場合は、当然雇用関係が消滅する慣行となっていって、それが労働者にも徹底している限り、解雇の問題は生じない。    

しかし気を付けなければならいのは、定年後引き続き継続雇用されるという慣行があり、特定の労働者だけを継続雇用しないということになったら、定年による退職はなく、解雇の問題が発生してきます。☆   

まさにこの法律が反映された司法判決に関して城繁幸氏が指摘したことがある

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8467969965297664

これ結構キツイかも。ますます内定率が落ちていく様子が目に浮かぶ。:定年後の雇い止めは無効「雇用継続期待できる」 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8483360695394304

裁判官コメント意訳「業績悪いか嘱託雇い止めしたいっていうけど、新卒採っちゃダメでしょ。まず新卒採用から中止しないと」 もう無茶苦茶http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8629180774227969

問題の企業、従業員46人の中小企業なんだな。よく中小はクビ切り放題って言う人がいるが、だいたいはこういう風に法律守ってる。つまり、この判例はそういった多くの中小企業にも「負の影響」を与えるということ。

定年後の人を解雇できずに、新卒採用が絞られる。

この司法判決一つで、数百、数千の新卒採用の枠が狭まっていく。

それはつまり世代間格差を助長させる。

http://twitter.com/theophil21/status/26813074828697600#

(8)わかりやすく言えば、「雇用は保障するから企業に服従せよ」という使用者側の提示に労働者側も応じていた、というのが実態でしたしたがって、それにもかかわらず使用者が「めったなこと」も生じていないのに解雇することは、約束違反になるので、裁判所はこれを「裏切り」と判断してきました

終身雇用年功序列賃金とは、若い時の給料を不当に安くされるかわりに、ある程度年をとってからその分を貰うという後払いのことだ。

今までなんとなくは分かっていたのだが認めたくなかった。

それはつまり、今まで(バブル以前まで)の経済発展はある意味虚構だったのだ。

それはつまり、使用者は本来支払うべき賃金を後回しにして、その分を設備価格競争投資して業務拡大してきた。それが通用したのは団塊世代が40を超えるころになる1990年ごろまでだった(下記の画像参照)。1990年代バブルの後処理でおわれたのでなんとなくやり過ごした気になっていたかもしれないが、団塊世代が高年齢化していくにつれ構造的に人件費が膨らんでしまう。

そして、そのツケは先の氷河期世代が負ったわけだ。なぜ、1990年以前はそれが通用したのかというと、すべての人、低所得者も含めての人の賃金があがっていったからだ(少なくともそういう幻想を抱けた)。それができなくなったのは、先の構造的欠陥もあるのだろうが、一番大きいのは物価が上がらないことだろう。そういう意味財務省日銀が(インフレ目的した)大胆な財政金融緩和を打たないのかが皆目わからない。

団塊世代が引退していく2006-2008年だけは特に景気が良く新卒採用も活発だったが、2010年から次の就職氷河期がツケを払っている最中だ。

今、画面の目の前で「んなモン、今の大学生勉強してなくて馬鹿なだけで自己責任だろ」なんて思ってるそこのアナタに朗報!

そもそも、いつの時代も8割の大学生勉強なんかしてないでしょう。団塊の世代学生運動ばっかだったし、バブル期入社の人も研修旅行と称した拘束旅行に行ってたわけで。ちゃんと勉強している2割の人はいつの時代でもちゃんと就職出来てるわけで。ダメ人間で何もしない2割の大学生はいつの時代でも就職できないわけで。で、俺が問題にしているのは、遊んでいたとしても6割の普通の人は昔は就職できたのに、今の時代に生まれちゃっただけで就職できないっていうのは可笑しな話でしょう?

百歩譲って、そのことは認めたとしよう。それでも、この上下世代間格差と同一世代内の格差をどうにか吸収できるシステムを構築しないと、勝ち組アナタも結局不幸になるんですよ?え、だって、今の30代(=氷河期第一世代)って、世代内でものすごく格差があるでしょ?(参考→格差世代 - Chikirinの日記 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080421)

これ、ほっとくと危ないですよ。まだ、30代で派遣だったら今のところ問題がないように見えるかもしれないけど、20年後、30年後は間違いなく社会に負担が掛かる。それは生活保護受給者の激増という形に現れてくるだろう(予言)。正直、今の生活保護制度が問題ありすぎるから、そのころまで今のままの制度っていうのはありえないと思うけど、それに変わるセーフティネットに負担がものすごく掛かるだろう。それを負担するのは「自己責任だ!」と叫ぶ我々自身だろう。

この国の労働構造を変えないで子ども手当も何もあったもんじゃない。

そもそも定職につけなければ子供を生もうなんて思えやしない。

それが大半の人の思うところだろう。

日本GDP画像http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04122001/013/image/001_002_01.gif

(ソース)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04122001/013/001.htm

http://twitter.com/theophil21/status/26814303956897793#

10)これに対して、濱口桂一郎先生が強く指摘されているように、中小零細企業では、「解雇の自由」という原則がずっと定着しており、国際的にみてもそれほど日本が異質なわけではありません。 他方で労働者の移動も頻繁であり、雇用保障と絶対的人事権の取引関係は希薄です

中小企業にとっての解雇規制大企業にとっての解雇規制は大きく異なる。

大企業は、裁判沙汰になって信用が失墜するのを恐れて今の法制度(法律司法判断、省令等)では整理解雇をできない。事実上倒産したJALですら整理解雇違法であるとして元従業員から訴えられている。普通に考えればそこまでリスクを取って整理解雇しようと思わない。

一方で、中小企業社会的信用はそこまで気にしなくてもよいので、バシバ解雇してしまう。

下でも言うように法律による解雇規制はそこまで厳しくないが、規制を頑なに守って身動きがとれない大企業規制を建前として遵守しようとしないブラック中小企業に二分化されている。

参考↓

規制”と“規制監視監督”の違い - Chikirinの日記

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090112

世代間格差若者犠牲者!? 老人天国ニッポン~」 - BLOGOS編集部 - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース

http://news.livedoor.com/article/detail/5061847/?p=7

一方で、解雇規制の緩和方向に法律を変えたら、状況も変わると言う人が多いけれど、もっと根深い問題ですよね。実は法律上の解雇規制はそんなに厳しくない。大部分は司法でやっています。しかも、その司法判断を支えているのが、マスコミ正義感です労働弁護士とか、昔ながらの左翼的な人がたくさんいますよね。現在日弁連会長を含めて、正義の味方でメシ食っている人がいっぱいる。そういう人たちがマスコミは大好きなんですよ。

解雇規制に関しては、法律による規制が問題・なんじゃなくて、それの法律を元にした(城繁幸氏が指摘したような)司法判断が問題になっている。

このことは池田信夫氏が言うように非常に根深い。そして、私自身は(法律に疎いので)法律をいじれば解決するのかどうかはわからない。解雇規制法律上の問題ではなくて、司法判断の問題だとしたら、そしてそれがマスコミ正義感(つまり日弁連社民党共産党のように、正義を実践しれいるつもりなのだがそのことによって構造的に不幸を作り出している偽善的な正義感)に支えているとしたマスメディアの問題でもあるし、そのマスメディア情報を無批判に受け取っている我々自身の知性の問題であると思う。

参考↓

マスメディアの凋落 (内田樹研究室)

http://blog.tatsuru.com/2010/04/02_1243.php

正社員既得権ってまだタブー視されてるの?」というタイトルだけど,

個人的には別にタブー視なんてされていないけど,それでメリットを受けている人がたくさんいるのでつっこまない,

つっこみを入れる人は意見を言うだけにとどまって具体的なアクションにつながっていないので変化が見えない,

>個人的には別にタブー視なんてされていないけど,それでメリットを受けている人がたくさんいるのでつっこまない

私は、上にも書いたように、頭の硬い友人には「話せない」わけですよ。

別に本人は自分幸せならいいのかもしれないけど、彼は社会がどうあるべきか、という理念がない(ようにみえる)。

で、鋭い友人は先のエントリとこのエントリくらいのことなら大体分かっている。

で、大半の人(私の周りの友人含めて)は前者なわけであって、リアルではカンタンに話せることじゃない。

それを、私は「タブー」といっただけです

>つっこみを入れる人は意見を言うだけにとどまって具体的なアクションにつながっていないので変化が見えない,

これはまさにそのとおりだと思います。リアルにしてもネット上にしても。

2011-02-04

後ろの席の奴がこっちを見てくる

後ろの席の奴がこっちを見てくる。

(前提:学生)

実質後ろといってもひとつ後ろという訳ではなく、机の列の最後尾、そう言った方がいいかもしれない。

とにかく見てくる。

自分が振り向く度にこっちを見てくるので何回も目が合う。

なんなんだ。

プリントを回す時には特にそうだ。

 

この前班活動の為に机をくっつけて話し合いがあった。

机は隣同士向かい合わせて、4人の班をつくる。

前  □○

   ■●  後 

しわかりづらいが、■が自分、●が自分の後ろの席、□が自分の隣の席、○が自分の斜め後ろの席。白が自分から見て向かい側。こういう風に机を並べた。

自分の席の隣は空きの席だった為向かいはいなかった。なので自分の班の人数は3人。

でも最後尾の班は人数が5人いた。

つまりは人数調整で最後尾の班からひとり来る事になる。

案の定、最後尾でこっちを見てくる奴が来た。

自分の正面に。

なんでなんだ。

なんでシャーペンがお揃いなんだ。

なんで頬杖をついたり退屈になるとペンを回したりらくがきを始めるんだ。

…なんで自分の行動パターンと同じなんだ。

 

授業の話し合いにも全然集中できず結局そいつに集中してしまった。

 

ひとことも交わす事はなかった、しかし幾度か目が合った。

たったこれだけでこういう事を言うのは希薄だが

しかしたらこいつの事が好きなのかもしれない。

 

 

ちなみに同性だ。

2011-02-03

死んだほうが面白いんじゃないだろうか

 今まで、ずっと『死にたい』という欲望を心の中で押さえつけてきた。それはきっと、僕の中のどこかで「死にたい」という意思を甘えだと思っていたところがあって、そんな意思を無理やり押さえ込んでいたのだ。

 でも今日突然僕の中で発想の転換が起きた。「死んだら楽になれる」ではなくて、「死んだ方が面白い」と思ってしまった。

 それは僕の中でリアリティを増す。

 極上の光が差し込む場所で、透明な海が広がる場所で、美しくて存在感が希薄少女と一日中手を繋いでたいセックスしたい。一秒ごとに僕の存在を認めてくれる。一秒ごとに『存在していていいんだよ』と思わせる魔法のような何かが起こる。それはきっと、全ての生命が待ち望んだ、意識を保つことを諦めてしまうほどに泣いてしまうような、誰かが永遠に僕の頭を撫でてくれているような、そんな多幸感に満ちていて。

 僕はイケメンになる。引き締まった肉体になる。素晴らしい知性を手に入れる。頭の回転も速い。クリエイティブなことが出来る。宇宙想像できる。

 素敵な非現実も起こる。空も飛べる。魔法も使える。怪物と戦える。気分よく倒せる。

 もちろん現実も起こる。

 天国母親と再会できる。まだ本当の母親は生きているけど、僕が思い描いた、本当の母親天国にいるんじゃないかな。


 誰か一人に認めてもらえたらそれでいい。

 それが天国で起きる。

2011-01-26

先日、5年ほど付き合った彼女と別れることになった。

原因は些細なすれ違いから始まったことだったが、

振り返ってみれば、ぼくの心の中に彼女がいた痕跡なんてほとんどないような、

まるで映画でも見ていたような感覚しかない。


今まで付き合った女性彼女を含めて3人だが、全て同じような終わり方になった。

結果としての愛情不足、結論としての不一致。

あなたが見ていたのは、結局私じゃなかった……」

最初彼女に振られた時は、まさかこんなドラマたいセリフを言う奴がいて、

実際に聞かされることになるとは……。

と少し耳を疑うくらいだったが、次第に彼女たちが言っていた意味を理解するようになってきた。


始まりは中学の頃だった。

小学校からずっと一緒だった女の子を好きになった。

もともとかなり奥手だったのもあってか、結局かろうじて告白しい告白したのは、

高校生活も終盤に差し掛かってからだ。

これも今にして思えばだが、四六時中と言っていいほど一緒にいて、

お互いの家でテスト勉強したり、時々二人で映画に行ったり、

ぼくたちはもうそんな、なんとなくな中で、お互いを想いあっていたのかもしれない。とすら思う。

結局その後は大学受験で離ればなれになった。


入学式からしばらくは記憶にない。それくらいショックがあった。

それでも一応真面目に単位を取り続け、半年くらいし合コンに誘われた。

それが最初彼女

次の彼女浮気相手というかセフレに近かった。

結果的に彼氏がいる女性を寝取ってしまった訳だが、いざ付き合うと凄く冷めた気持ちになった。

それでも会おうだのデートに行こうだのとうざかったので、次第に避けるようになった。

その後、出会い系サイト人妻と寝たりもして、

背徳感が自分性癖だと知って少し吐き気した時期もあったけど、

将来的なリスク結婚まで考えて見切りをつけ、付き合うことになったのがつい先の彼女だった。

多分相手もそうだったのだと思う。

とても尽くしてくれる女性だった。

仕事愚痴を言ったりしても嫌な顔をせず、いつもぼくが帰宅するまで一緒にご飯を待っていてくれたり、

ぼく自身も凄く惹かれていったのが、よくわかった。

もともと教育熱心だった親の期待に応えられず、次第に希薄な関係になっていったぼくにとっては、

俗にいう母のような女性と言えたのかもしれない。

だけど、それでもぼくの心は満たされなかった。

どれだけ言葉を交わし、幾度身体を重ね、愛を紡いだつもりでいたけど、

それは合わないもともと合わないパズルピースのようだった。

愛情が重かったわけではない。価値観はぼくが生きてきた中で出会ったどんな女性よりも近かった。

そう、ただ違ったのだ。

いつだったか彼女は泣きながら言った。

「たくさんメールをして、お喋りとかもしてきたけど、あなたのことが何もわからない」

多少は感情的になっていた部分もあるとは思う。何も……という訳ではなさそうだけど。

そんな場違いな分析を頭の中ではしながら聞いていたのだけはよく覚えている。

今日会社をサボった。

サボってツタヤから借りてきた映画を見ていた。

そしてふと昔知人に借りた懐かしいタイトルをおもむろに取り、

今しがた見終わったところだ。


秒速5センチメートル


多分、二度と見ないだろう。

2010-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20101226225238

今いるところはフラット組織なので、就職して10年経ってるけど部下と明示されている部下はいないなぁ。教育を任されてる後輩ならいるけど。

まぁ、上司スキルたいなものは育たないけど、しょうがないわな、そういう道を選んじゃったんだもの。仕事は、周囲と相談しながら自分で決めて進める。組織として動くこと自体が少ないので、上司部下って概念自体が希薄

ところで、君の見てる世界もずいぶん狭いね。営業系?

2010-12-16

アパートの相当数は「相続対策目的」。役目を終えて除却されると「人口減少で賃貸は借り手市場になる(ちきりん理論)」は成立しない。

以前、

大家が『孤独死リスクを恐れ』単身者賃貸しなくなるリスクを考えると、

 ちきりん女史のいうような『賃貸が分譲よりベター理論は成り立たない」と投稿した

http://anond.hatelabo.jp/20101202202019

これに対して2つの批判を頂いた。

ちきりん女史は「多額の住宅ローンリスク」を主張しているのであり、

 「賃貸が分譲より勝っている」とは主張していない。

 少額のローンで済むように、

 年収相応な安価な家、つまり「狭い家」「古い家」「遠い家」を選べばいい。

②今後人口世帯数が減少するので「借家需要」が減少するので、

 「借家需給バランス」は「借り手市場になる」から大家ワガママは通らない。

①については、確かにもっともな反論であり、分相応な家に住めばいい、と思う。

しかし、②については、一見もっともらしいが、実はカンタンに言い切れない点がある。

世の中には多量のアパート存在しているが、これらアパート建設された主目的、というのを

一般人はあまり理解していない。

かに借家ニーズがあるだろうから、そこそこ儲かるんじゃないか」という理由で、

つまり「純粋借家需給バランスを勘案した上で建設された借家」も、それなりにある。 

しかし、特にバブル期建設されたアパートの類は、「借家需給バランス」以外の要因を

目的建設されたものが、相当ある。

それは「相続税対策のために、アパート建設自体が自己目的になっているアパートである

そういうアパートは、必ずしも借家ニーズが強いから、という理由で建ったものではなく、

相続税課税評価額が下がる」という政治的理由で建設されたのである

この手のアパートが1990年に建設されたとして、築20年。

恐らく、アパートを建てた大家地主は、2010年までに「寿命」を迎えたので、

相続対策」にはアパートは役立ってくれただろう。

問題は、その次の代、旧大家子供の代が、アパート経営を本気で行うか否か、である

現時点ではまだ築20年だから、あまり老朽化することもないので、そのまま経営を続けるだろう。

しかし、これが2020年になり、2030年になり、相当老朽化した場合に、

「もともと自分の意思で始めた訳ではなアパート経営」を、そのまま続けるだろうか?

「旧大家子供の代」も相続税対策に悩んでいるのであれば、彼らも本気になってアパート経営をし、

リフォームなり建替新築したりするだろう。

しかし、「旧大家子供の代」が相続税対策するインセンティブは、2つの理由で希薄になっていると

考えられる。

地価がじわじわ下がっているので、相続税そのものに頭を悩ませる必要がない。

②未婚率が上昇し、直系卑属(子・孫)を持たない大家が増えているので、

 「相続人の心配」をしてやる必要性がない。

・・・となると、相続税対策意欲が乏しい「旧大家子供の代」は、経年劣化が顕在化する前は

「消極的なアパート経営を続ける」が、いよいよもってアパートが老朽化した場合

「高いリフォーム費用を掛けてアパート新装」せずに、「入居者募集せずそのまま放置」、

もしくは「取り壊して更地化」するケースが、結構出てくるのでは?

しかも、今後、「アパートといえども耐震基準を満たせ」とか

アパートといえどもカーボンニュートラルにしろ」と社会的要求が増してくれば、

ますます「消極的アパート経営を続けることのコスト」は増大する。

特に首都圏に多いアパートの相当数が「相続対策目的を主目的したアパートであるのであれば、

その「主目的使命を終えたアパート」は、経年すると「御役御免」となるのでは?

アパート経営による経済的便益」を「アパート経営によるコスト」が逆転する日に、

一気に老朽アパート賃貸市場から去って、需給バランスタイトになる可能性は、ゼロはいえない。

勿論、需給バランスタイトになれば、それに対して一定の供給はあるから

需給バランスは緩むのかもしれない。

しかし、「相続対策目的」という「特殊要因供給」は出てこないから、長期的にはタイトな方向へ

進むのではないか

2010-12-15

作品をつくらない芸術家

世間と何のつながりも持てない。

一応収入はわずかにあるけど、意味のあるものを何も生み出していない最近

サラリーマン普通社会人は、たとえ社会歯車で没個性だ、なんて言われようともそれは立派に社会の仕組みに入っている。

芸術家研究者なんかはそういう枠組みには入らないけど、意味のあるものを生み出し続けることで、結果をもって評価される。

じゃあ作品をつくらない芸術家研究結果を出さない研究者は、なんのために存在しているのだろう。

どうやって自己承認を得ればよいのだろう。

そりゃ、とにかく意味のあるものを生み出せるように努力するしかないのだろうけど、何でも思うとおり行くわけじゃないし

努力したからどうにかなるってものでもない。努力はしなきゃどうにもなんないけど。

自分でいうのも何だけど、自分は人並みにはコミュニケーション能力もあると思う。

でも、年齢がいくほどに友人と呼べる人も減っていっている気がする。

いや本当に減っているわけじゃないけど、疎遠になったり、友人に家庭ができたり、そんな諸々で自分は取り残されている。

しい友人ができる機会も減ってきている。

こんな生活で、意味のあるものを作れていない俺は、なんなんだろう。

最近特にそういう嫌悪感がひどい。

俺がいま消えたって誰も気付かないくらい、社会と関われていない。

自分って存在希薄すぎて、透けて見えるくらい薄くて、なんかこう、自分の血を確認しなきゃ安心できないような、そんな焦燥感

どうなってるの?

いまどうなってるんだろう?

どうなるんだろう?

2010-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20101212222257

うーん、これ「人」と「女性」とだとちょっと変わるけど

人とのかかわりって、あらゆる場面において金を持っている奴が

一番強いし、金がなかったら、人間関係希薄になっていくしな・・・・

かに女性と関係を持つのに、金が介在するのは寂しいかもしれないけど

付き合ってもデートに金かかるし、プレゼントに金かかるし

本当の愛みたいなものは幻想だと思っているから、別にいいんじゃないかなと。

かに心が満たされない気持ちはわかる。俺もそうだったからな。

どうしたいか決めたら、自然と行動も変わるかも。

2010-12-11

うん、そうだよねぇ…

どうしようか一晩悩んだが、やっぱり質問した以上、レスを返すのが礼儀じゃあないかと。…それが相手をメチャメチャ怒らせるのが判っていても。

ただ、どこまで行っても平行線以外あり得ないと思うので、この件について、当方からはこれきりにさせてもらう。書き逃げ御免、悪しからず。

『そうなんだけどさ…』を書いたのは、第一にまず不思議だったからだ。ゴミ焼却場や火葬場、その類いの施設であれば反対運動をここまでボロンチョ貶したりはしないはずだ。で、出た結論が、たぶん、障害者を潜在的なリスクと見做していない、ということ。あ、念のためあらかじめ書いておくけど、脅威度の評価と差別感情というのは別問題だからね。

id:mats3003 入居するよ。別にね。ちなみにうちには娘がいますが何か?

id:jaikel ううん、だからなに?としか。実例は見ているし、知っているし、実際近所にもいる。それがどうした、以上の感想はない。

こういうレスポンスが帰ってくるのは、自分の娘がいきなり抱きつかれるとか、そば歩いていた人間に突然殴られたりする可能性を考えていないから、何じゃないかと思う。突発事態が起きたとき対応できるように、視界の中に彼らが入ってきても、脳内マークして、視界の外に出るまで警戒レベルを少しだけ上げておく、みたいなこと、してないでしょ?原子力発電所軍事基地が嫌がられるのは、実害に加えて、日常生活におけるリスクを増大させるからでもある。障害者更正施設もそう。実際にその手のものが出来ると、その周辺地価は下落する。やくざさんの事務所が入ったビルと同じで。

で、反対の起きた場所はこういう施設がこれるくらいだから、もともと地価が低かったんだろうと思う。で、その地価を更に下げるようなことになって喜ぶ地主も住民もいない。

id:Ivan_Ivanobitch 家を貸して、自分たちは引っ越せばいい。これが自由主義。他人の引っ越しは排除してはいけない。これが自由主義

そこら辺を考えてないから出てくるコメントなんだろうと思う。毎日毎日、夜中にドッスンドッスン足音したり、歩いてるといきなり目の前にものが落ちてくるような家に好きこのんで越してくる物好きはいない。雨水なのかオシッコなのか判らない敷石の凹みのたまり水を避けて歩くのが楽しい、なんて人も。

で、これ。

id:washburn1975 差別, これはひどい 出たよ恒例の自称リアリスト。毎度毎度ツッこむのも疲れるんだけど、じゃあ自分子供自閉症だったら座敷牢にでも閉じ込めておくの? 自分自閉症だったら閉じ込めておいてほしいのか?

幸いにして隣のジェントルジャイアン君は外向きの性衝動が(割合)希薄自閉症児でガニメアン君のような知的障害児じゃあないから、直接的な性被害に遭う可能性は低いんだけど、ジェントルジャイアン君の感覚刺激に対する反応なんかによっては今後、彼が自慰行為に熱中する可能性がある。どの程度の可能性か、調べようもないし、俺はとてもじゃないが怖くて自分から聞く気にはなれない。で、先に書いたように我が家はすでにして座敷牢の中に位置しているわけだ。washburn1975さんには例えば、便所と庭の区別もつかないオナニー猿(そんなものには退化しないよな、ジェントルジャイアン君)と一緒の座敷牢の中に娘が閉込められている親の気持ちって判ってもらえるだろうか?

あるいは、自分の息子を座敷牢からでないように神経をすり減らしている親の気持ちを。

…ああ、書いてて自己嫌悪一杯だ。

差別イクナイ。差別者は悪。うん。ドロひっかぶらないとこでそう書くのは心理的なコストゼロしかも正しいこと言ってるという気分高揚というプラス効果もあるんだけど(同性愛者は何かが欠けているとか言い放っているのはアレ、やっぱり心理的コストゼロなんだろうか、信じ難いけど)、ドロと格闘してる側が見ると、なんか「清潔なのはいいよね、みなさん。でもみなさんもわざわざ汚れたくはないんでしょ?」とか言いたいたいな気分になるんだ。だからといって横からちょっとドロひっかけちゃってもいいって訳じゃないのは承知してる。ごめん。

ああ、それから

施設を受入れろっていう側は果してそれに伴う負担増を解消できるだけの体制を整えているんだろうか、本当に。以下、ご参考まで。

大倉山投げ落とし事件

http://anond.hatelabo.jp/20101210233537

http://anond.hatelabo.jp/20101211021647

http://anond.hatelabo.jp/20101210153318

やべえ。hatena記法間違えちゃったよ。返す返すもゴメン。

2010-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20101205012915

実を言えば、昔の「小説」とか「テレビ」もバッシングを越えてきた実績がある。

昔は小説なんてバカなガキの見るものだったし、テレビも「見たらバカになる」って話があった。

「嫌われる」理由はそれが新しい文化だからだよ。ケータイとかゲームも同様。

んで、テレビは巨大産業になり、小説権威付けされたから叩かれなくなった。

漫画社会インフラとしての必要性が希薄権威付けも弱いから叩きやすいんだよ。だから叩かれ続ける。

つーか漫画規制するくらいならまず純文学規制しろと思うわ。

少女お膝に乗っけてたらうっかり射精しちゃった。あ、でもその子処女じゃなかったんだよね・・・」

のアレとか真っ先に規制しろよ。ロリオタとビッチダブル役満だっつの

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