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はてなキーワード: 休日とは

2024-07-13

田舎中小企業・30代

新卒求人媒体に100万円以上払ったが、新卒は1年も経たずに辞めた。残るは行き場のない年食った中堅社員のみ。ここに明日はあるか。

     

・ここは中小企業

  ・売上規模5億円にも満たない中小企業

  ・人口規模5万人に満たない田舎

  ・研修もなく、ぶっつけ本番で4月1日から電話応対させられる新卒新入社員

  ・年功序列のため出世してしまった割合計算が出来ない40代管理職

  ・30代の求職者を中途雇用するも入社半年も経たずに身体に支障が出て休職

  ・60歳~30歳の男性社員が30代の女性社員を「女の子」呼び

   ・それをセクハラ非難するわけでもなく純粋に喜ぶ女性社員

       

負担選択

  ・お子様の学業・心身の事情により唐突休日および早退申請を行う社員

  ・サビ残してまで代打業務をこなす独身実家暮らし社員

   ・缶コーヒーと共に労いの言葉をかけるも反応は風になびく向日葵

  ・入社3ヵ月で退職した新卒新入社員

   ・電話応対後の内容を指導先輩に報連相するも溜息をつかれたとの事

   ・トイレに篭り30分~1時間出てこない日が何度かあったとの事

     

    

それでも、ここには明日があるさ。

2024-07-12

妊活疲れた

妊活疲れた

もともとセックス苦痛

早く終わってくれと思ってるのに長い方がいいかと思って…って夫がわざとゆっくりしてたことが分かって殺意沸いた

入れてさっさと出してくれたらいい、3分で終わらせてくれ

ほんとに気持ち良く無いんだ

痛いし苦しい

痛いし苦しいってことを伝えたら気を遣われた上で上記のように長くされたわけだけど

世の中の不倫してる女性セックス好きなん?逆に羨ましい

いつから気持ちいいの?最初から

私は不良品なんですかね

出来ちゃった婚の人、すごいですね

タイミングが神がかってるじゃないですか

妊活してる人、妊娠までの性行為苦痛じゃなかったん?

そこからつまづいてるんだけど

毎月毎月なんで痛い思いして10ヶ月後にも死ぬほど痛い思いしないといけないんだよ!って気持ちになってくる

でも夫に惚れてないかと言うとそういうわけではない

以下惚気と自慢話に聞こえると思うので耐性ある人だけどうぞ。もう唐突自己語りと自慢でいいや。あと私は毒親育ちの元激務で元うつ病持ち。今は事務職

現在アラフォー、数年前恋愛結婚10歳年下の20代夫と結婚アラサー時に一瞬婚活したけどすぐ辞めた。私は婚活市場において価値はない、あと好きでもない男と話すの苦痛すぎるし将来なんて考えられるわけがない。そもそも論として私はうっすら全ての男性が嫌い。

今まで告白されて付き合った彼氏も好きじゃないけどみんなそういうもんだと思ってたから付き合ってた。

私の見た目が地味で言うこと聞きそうな大人しい感じなので同世代の男にサイゼリアチェックもされたし電車止まってる大雪の日に呼び出すモラもいた。

私の趣味小馬鹿にする人もいた。

なので、男性嫌いが加速した。ここまで歴代彼氏は全員生理的に無理目です。でもみんなそういうもん(略

色々ラッキーが重なって夫と出会い、世の中には私を意識のある人間として扱ってくれる男の人がいるんだと思った。

私と私の好きな物可愛いと褒めてくれたり体調が悪いと心配して食べ物と薬を買い、結婚後は私の分の家事を代わってくれるなどした。

勤めてる会社ホワイト大企業(この言い方好きではないけど)だと付き合った後に知った。

もちろん見た目も好みだった。

スタイルが良くて、スキンケアもして服装も垢抜けてた。

歴代の同世代彼氏は男が化粧水なんて笑

って言ってたのでその汚い肌に触りたくも無かった。

夫は朗らかで陽気で一緒にいても顔色伺ったりしなくていい。不意打ちの言葉に傷つけられる事がない。一日中一緒に家にいても疲れない。

夫と仕事終わりに買い物するのが楽しい、ただの日常楽しい休日デート楽しい旅行楽しい

生きてるとこんなご褒美みたいな事あるんだなって思った。死ぬなら人生史上株価高潮の今死にたい。この後離婚されたら辛い。

夫は結婚式場のメイクさんから、頭の形もすごく綺麗って言われてたので骨格から良いのだと思う。私のメイクの時よりテンション上がってた気がする。

なので夫の遺伝子を残した方がよいのかもと思い始めた。夫の子なら愛せるかもと思った。

夫の性格とか気質と見た目が受け継がれた子供は見てみたい。私と夫の遺伝子が半分ずつ混ざった人間ってどんなのだろう

上記理由妊活頑張ろうと思ったんだよ

婦人科先生的には私は若い夫婦共に検査結果問題はないらしい、けど、35歳以上の受精率って18%くらいってネットに書いてあった

ちゃん排卵タイミング取れたとして(これも難しいけど)

5回して1回、ちゃんと着床するかは一年妊活続けた上で妊娠する確率50%とかそんなんらしいです。意外と高いな?と思ったんだけど毎月くるPMS妊娠超初期の症状なのかな?って期待してから生理で落ち込む。

20代なら妊娠確率高かったのかもだけど20代では夫には出会ってない

ていうか20代なんて新卒で入った会社人権なくて激務で生理止まってた

から、今が一番好機なんだと言い聞かせて頑張るしかないんだろうな

もし私が子供産めなかったら〜という話をするけど、夫はその時は養子でもいいと言う。

その気楽さ?が若い子ぽいなと思う。ペット飼うんじゃないんだぞ。

でも私も20代の時卵子提供するからどっかの夫婦の所で子供育っててくれないかなと思ったから。20代って子供現実感ないよね。

夫が30代になった時、不妊理由で別れてたら悲しいなぁ

追記編集:

上に続く言葉。後悔したく無いのでここで吐き出してまた妊活頑張るか、です。

努力したけどダメだった時の方が後悔は少ないと思う。

コメント内臓を〜って書いてくれた人、ほんとにそう!相手の事好きなのにそれと体の痛みとか違和感は別なんですよね。共感してくれてありがとうございます…。少しほっとする。

メンヘラ子供を産まなって書いてくれた人、杞憂だったらいいのだけどメンヘラ母親に育てられて苦労した人なのかなと思った。私もその気持ち分かるよ、とても苦しんだので。

コメント主は今は逃げられたのかな、自分人生を生きられていたら良いなと思う。

うちは両親両方問題があったのだけど、幸い私の夫と義実家はまともです。

精神病気質環境50%ずつ影響するらしいので、環境を整えて子供安心できる場所複数作るのが目標

二人で暮らしても〜ってコメントくれた人、優しい言葉ありがとう。毎月妊娠失敗したと分かる時に私もそれが頭に過ぎる。多分夫となら二人でも幸せかもしれない、思い詰めすぎずに行きますありがとう

化粧水〜ってコメントくれた人、ごめんこれは見た目の話です。ニキビとか脂ぎった肌が無理でした。

今月も妊娠無理で落ち込んで書き散らしてた文章に構ってもらえて嬉しかったので追記した。

聞いてくれてありがとうございました。

終わり。

anond:20240712101903

周辺分野の研究者だけど、日本語で発信する意味いからね

母数も少ないし英語が読めない人はそもそも土俵にすら立ってないし、そこにアプローチする意味あんまりない 休日にわざわざ無償で懇切丁寧に説明する意味もないしね

今まではいろんな技術とかを無償公開してたけど、金を生み出さないだの何だので古巣研究所とか詰められてたからじゃあ金を払って聞きに来てねよろしくって感じではある

中学生高校生の時、定期テスト後の「採点日」という名目休日に、両親が出かけた後一人で留守番していたことがある。なお普通の平日。

セールス電話がかかってきて、「お家の人いますか?」と聞かれて「いません」と答えたら、「お子さんですか?」。

「そうです」、「学生さんですか?」、「そうです」、「本当にお家の人ではないんですよね?」、「そうですけど…」と会話をしていたら、最終的に「なんで家にいるんですか!?」とめちゃくちゃ怒られて電話を切られた。

本当に学校休みから家にいただけだったのに、どうして謎のセールスあんな感じで怒鳴られなくちゃいけなかったんだ…理不尽

2024-07-11

出会い系出会った女はペペロンチーノが好きな女だった

昔マチアプで出会った女とヤッたことがある。

連絡したのは俺の方からだった。

その日は金曜で、仕事終わりに合流するとまずは食事に行った。

彼女黒髪ポニーテールでグレーのスーツを着ていた。清楚系で歳は24ぐらいに見えたが、大学生と言っても通ずるような幼さもあった。

食事は駅近くのイタリアンにした。俺はボロネーゼを注文し、彼女ペペロンチーノだった。

食事の後バーに寄った。翌日は土曜で休日なので、気兼ねなくお酒を飲むことが出来る。

そうした思いは彼女も一緒だったようで、俺たちは楽しくお酒を嗜んだ。

彼女は二杯ほど飲むと軽くふらつき始め、甘えるように何度も俺に寄りかかってきた。

これは合図と思い、店を出てホテルに誘うと彼女OKしてくれた。

元々がセフレ募集を謳うような定型文に応えてくれたのだ。彼女も心の内では最初から了承していたのだろう。

ホテル彼女は部屋に入るとその場でシャワーを浴びるかのようにスルスルと衣服を脱ぎ始め、すぐに全裸になった。

酔っぱらってるからかと思いながらも驚き、彼女は俺にも全裸になるよう催促してきた。

そのあと俺も服を脱ぎ、彼女は跪くと俺のちんちんを撫でるように触り、それから口にくわえ・・・

一通りのセックスを終えて二人で横になっていると彼女スマホが鳴った。横になったまま彼女は手を伸ばしてスマホを取り、確認するとゆっくり起き上がった。

ごめん帰る、と言って彼女は服を着るとすぐに出て行った。俺は咄嗟出来事唖然としながらもまた会えるだろうと何処か漠然とした思いを抱いていた。

その後、帰宅するとシャワーを浴びることにした。そのとき初めて違和感に気付く。

俺のちんちんがくさいのだ。ガーリック臭い。そう、ガーリック臭かったのだ。

臭いを払おうと丹念に払い、何度もゴシゴシと洗った。それで臭いは消えたと思う。実際、その後ガーリック臭いと言われたことはない。

しかしどうしてか、今でもたまに自分ちんちんガーリック臭いような気になるのだ。

それは幻肢のような存在しないものであると分かっていながらも、そう思ってしまう時が度々存在する。

あの女とはあれ以降会っていない。別に彼女のことが好きとか、本当に良いセックスだったというわけでもない。

それでもちんちんから漂う幻のガーリック臭と共に、俺はあの女のことを思い出す。

これは一種マーキングで、俺はあの女に呪いをかけられたのかもしれない

小池演説蓮舫ファンがやって来て騒ぐぐらいなら、蓮舫も呼んできて

公開生討論をやったら、どちらのファンも納得しそう

東京ドームでやったら、休日ならチケット売れるぞ

東京都選挙管理委員会運営しま

2024-07-10

視界が欠けた

いつものように昼飯を食べながらスマホニュースを読んでいたら視界がおかしいことに気付いた。

文章を読むとき、大体4~6文字くらいを同時に認識して文章を読むと思うんだけど、その中の後半1~2文字くらいが盲点になっているようになって読めない。

視線を数文字横にズラせば文字は読めるが、やっぱり一度に認知できる文字は3~4文字くらい。

視野の98%くらいは普通に見えているのに、ちょうど、文章を読むときちょっと先が見えない。

このストレスは思ったよりもすごい。

試しに横書き文章右から左に読むと、一応読むことは出来る。当たり前か。でもものすごく疲れるし、一文が長いと無理だ。

片目をつむったりしても盲点はなくならないが、気持ち読みやすい気がする。おそらく片目を瞑った状態の肉体的な刺激と視界が一部奪われるのは似ているから?そんな気がする。

新鮮な経験だったので色々と試してみたけど徐々に盲点が大きくなってきた。

今日運転をする予定は無いけど、資料を読みながら電話で打合せをしなければならない。

仕方なく前もって資料を読んでおくことで何とかなった。

視野が欠けるのはたまにある。梅雨のこの季節が圧倒的に多くて、この症状は1時間程度で治まり、そのあとでとんでもない頭痛が来る。

初めては中学生のころで、部活でへとへとに疲れて家に帰ったら徐々に視界が狭まって、最終的に4割くらいが見えなくなった。

視界は戻ったが、それと引き換えのように地獄のような頭痛に襲われ、次の日は微動だに出来なかった。

運悪く頭痛薬を切らしているときにこの症状が訪れると最悪だ。

太陽光の眩しさが頭痛悪化させるので、貴重な休日を一日中窓のないトイレの暗闇で過ごしたこともある。

いわゆる片頭痛閃輝暗点だろう。

今ではすっかり慣れて、むしろ頭痛を予告してくれる症状としてありがたいとさえ思う。

いつものパターンでは視界の端が見えなくなることが多いのだけど、今回は珍しく視界の中心に近い場所、それもよりによって滅茶苦茶邪魔位置に視界の欠けが発生した。

今日頭痛薬を読んで頭痛の直撃を避けて仕事を続けている。

珍しいパターンだったので記録しておく。

あ~~~~~~~~~~~~ちょうど頭が痛くなってきたいててててててて

最悪~~~~~~~~~~~~!!!!!!くそがよぉ

2024-07-09

Apple watch愛おしすぎ

Apple Watch買ったんですよ。

わたし自身普段全くお金を使わない性質で、休日図書館とか散歩とか行くだけだし、家族も友人もいないか交通費もかからないような、そういう人間なので勝手お金は溜まってくんですね。でも使わない。使う機会がないから。

で、なんの間違いかフラッと立ち寄ったビックカメラApple watch買ったんですよ。

というか店員さんがグイグイきて買わないって言えなかった。

から買ったんですよ、SE

うわー無駄遣いしたーって会計終わって早々後悔したけど、でも使ってみると意外に良いんですよね。

アラーム設定すると小さく震えて教えてくれるし、仕事中こっそり株価も見れるし、suica使えるし、つけるだけでそれなりにカッコよくキマるし。

ちょうど孤独だったので、なんだか脳が段々愛情を向ける対象として認識してしまって、かっこいいウォッチバンドを買って着飾ったりフルカバーゴリラガラスフィルムを買って液晶ウエットシートも買って丁寧に拭いたりした。

この時点で、Apple watch本体を除いても月に使う雑費を余裕でオーバーしている。普段ならありえないことだ。

それなのにさらに、Apple watchを置いている棚にApple watch用の台座を用意したくなって都市部に出て雑貨屋巡りをして、潰れかけのマライカで石のミニコースターっぽいのを買った。5000円。お昼ご飯20回分。やべえよ。エンゲル係数爆上がりだよ。(?)

でも愛おしいのでもっと金を貢ぎたくなる。Apple Watchの為の交換用バンドも増やしたいし台座の上に置く充電台ももっとおしゃれなのにしてあげたい。欲望が止まらない!!!

Apple watchわたしが用意した台座の上でちょんと鎮座している。犬みたいに懐いたり、猫みたいに膝に乗ったりはしない。ただいるだけ。

なのにこんなに愛おしい。

こんなに愛おしいのにバッテリー1年半ぐらいしか持たないらしいと聞いてしょげてる。

ハムスター並に短いじゃんふざけんなよ。

どうしよう壊れたりしたら。

そうしたらわたし大泣きすると思う。

自分の父が毒親だとわかった日

「30年近く同居している祖母精神疾患があると知った日」

https://anond.hatelabo.jp/20240706023024

数日前に↑を投稿した。

思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かにしたことほとんどなかったから。

前回の投稿追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリング相談に行った。

そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。

コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。

正直、私は今も自分の父を毒親という言葉表現していいのかはわからない。

でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。

長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。

私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。

悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。

私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。

それでも父は猛勉強して、希望していた大学合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母一人暮らしになり、このタイミング精神疾患発症し、精神科に3回入院していたようだ。

父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。

父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。

父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつ価値観になってしまった。

ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。

父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。

父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。

仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事ラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。

家族食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。

私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。

から母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。

気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。

喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。

いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。

学校休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。

でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。

行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。

父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。

中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。

そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。

その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。

え?お父さんとお母さんってこんなに普通に話すもの

友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。

え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの

友達の家の全てが衝撃だった。

私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか

私って、ひどい娘なんじゃないか

ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。

そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。

それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。

父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。

私が直接父に不満を言うことはなかった。

父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから父親が下手なのも当然だと思っていた。

父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。

父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。

自分父親大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。

それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。

こうして私は父を避けて生きるようになる。

ここから祖母の話になる。

正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロ相手をしてくれたことくらいだ。

日中妄想独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室手作り人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。

様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。

でもまともな祖母を見たことがなかった。だから祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。

祖母普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。

クラス友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんボケちゃって〜と笑っていた。

それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。

みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。

祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。

「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。

空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。

今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母普通じゃないんだ。それがわからなかった自分普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。

私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。

「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。

私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。

祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。

次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母無視してその場を離れた。

部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。

こんなことは日常茶飯事だった。

祖母がずっとずっと不気味だった。

でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。

祖母が早く死んだらいいのに。

そしたらこの家ももう少しはまともだったかもしれないのに。

そう思うこともあった。

そんなことを考える自分が情けなかった。

気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。

これが私から見た父と祖母だ。

もちろん書いたことが全てではない。

父や祖母から愛情を感じることもあったような気がする。

でもなぜか今は思い出せない。

父も祖母も、普通じゃなかった。

私は、気づくまで30年近くかかった。

食事表現活動の一環だという意識がある

外国産レモン増田https://anond.hatelabo.jp/20240708211707)が燃えた。

燃えるように書いたんだから当たり前だ。

そもそも俺は男だし、恋人もいないし、童貞だし、食事の話で他人と揉めた経験もない。

「こういうことを書けばはてなーが喜ぶだろうな」という勘で書いただけの嘘八百増田だ。

最近はそういう増田が週1くらいの頻度でホットエントリ入りするので、伸びてる増田殆ど釣りなんじゃねーかという気がうっすらしている。

まあそれはともかく、書いてあることの全てが嘘かというとそうでもない。

俺は外国産食材国産食材を選べるタイミングがあるなら迷わず国産を選ぶ人間だ。

外国産排斥する動機は全くないが、外国産レモンを買おうと思ったことはない。

醤油でもみりんでも酒でも、原材料国産かしっかり確かめから買っている(もちろん、選べるならそうするだけで、そもそも国産が無い食材特にこだわらない)。

そういう人間なので、外食は付き合い以外ではしないし、菓子類も食べない。アルコールにいたっては未経験だ。365日自炊する人間でありたいと思う。

そんな俺だから食事というもの表現活動一種なんじゃないか?と思う瞬間がある。

休日スーパーに買い出しに行ったとして(時にはスーパー梯子して)、膨大な食材の中から自分なりに選び抜いた食材をカゴに入れるわけだ。

そして自宅で調理法をあれこれ思案して、YouTubeなんかも参考にしながら、より美味く体に悪くなさそうなものを、適量食べる。

俺の体はそれを消化して、それに基づいて細胞なり筋肉なりを作っていく。多分、自分性格なり気分なりにもそこそこ影響してくるだろう。

からこれは「どういう自分を作るか」という創作活動なんじゃねーかと思う。

転じて、他人食事に目を向けると、たまに目眩をするような感覚を覚える。

コンビニカップラーメンたまごサンド菓子パンを休憩室で食べる同僚を目の当たりにして、「何を考えてそれを選んだのか」と聞きたい衝動に駆られる。聞かないけどね。

他人自由だ。俺にそれをどうこう言う資格はない。

一方で、「それを食べてどんな自分になりたいのか」という問いはある。

仮にそこに何の意図もなかったとしても、自分というものは食べたものによって形作られてしまう。

俺にとって会社の休憩室は創作活動の場だし、みんな思い思いに何かを主張しているように思える。

今日食べるものがどんな自分を導き出すのか、考えるだけで俺はウキウキするんだが、世間の人らはそういう感覚はないのだろうか。

韓流アイドルにハマる妻がキモい

韓流アイドルにハマる既婚女性どう思う?

妻と結婚して10年弱、子供は2人。共働きで互いに一部上場企業に勤めていて都内住み。世帯収入は2,000万くらい。世間で言うところのパワーカップルに属すると思う。

妻が韓国アイドルにハマって5年ほど経つのだが、マジでキモくて受け入れられずにいる。

どハマりするだけならキモいで片付けられる。問題は、妻が子供の世話を俺に任せてライブ地方遠征に行ったり、共通リモートワークルームが推しのグッズで占拠されてて、居心地が悪い。

そんなわけで妻が好き勝手やってるからいいだろ?と会社の後輩と休日の昼から飲んでいたのだが、全く同じ悩みを抱えていて存外盛り上がってしまった。あらかた愚痴を言い合ってスッキリしたが、家庭の不協和を肴に飲むのはそれはそれで居心地悪いと言うか、一方で楽しみきれない感もある。

妻がなぜ韓流アイドルにハマるのか以下に仮説を立ててみたんだけど、みんなの考えを教えてほしい。

ストレス半端ない

俺もよく気持ちが分かるが、東京バリバリ働くって結構ストレスしか女性ストレスの発散先として推し活に向いているのではないか

夫婦生活への不満説

夫の愛情を感じない、ときめかないなどの不満が韓国アイドルに向いてる説。セックスは年に2,3回くらい。半年くらい経つと思い出したかのように儀式的なセックスをする。後輩もそんな感じらしい。

ガチショタ

元々そう言う性癖だった説。

女性から意見も聞いてみたい。

2024-07-08

anond:20240708195131

田舎民を舐めてはいけない

スタバマック休日家族で車に乗ってお出かけする所だ

平日は労働に俺の時間搾取され

休日増田に俺の時間搾取される

俺の人生はずっと搾取されてばかりだ

anond:20240706072246

子供寝かしつけた後、2時間ぐらい

子供がもう少し大きくなったら晩飯前後休日に一緒に遊べるかも

おいオマエら日傘はけっこう違うぞ、効くぞ

オマエら中高年男性にだけおしえるよ!

通勤中は恥ずかしいなら、休日だけでもやってみよう

(わざわざ無理して日傘を買わなくても家族同居や家庭持ちなら古ぼけた色の濃い柄物の雨傘でいいぞ、それなら出先でどうしても羞恥心に耐えられなかったり酔っぱらったりして忘れてきても惜しくない)

ワイは屋外交誘導業務警備員からね、直射日光顔面焙煎される痛みを知っとるので

ぐっすり居眠りマン

会社にかなりの頻度で居眠りをする人がいる。

午前中9-11時くらいは概ね寝てる。

昼食後も寝てる。

寝方が面白くて、

仕事中の居眠りといったら、気づいたら寝ちゃってたみたいな寝方が普通だと思うんだけど、

その人はもう、寝るぞ!という強い意志を感じる。

隣の席だからよく見える。

具体的な姿勢はというと、

手はPCから離してデスク手前で組んでるか、膝の上。

頭は背もたれに預けて、顔は上を向いている。

上を向いているせいで口も開いてる。

調子が良いといびきかいている。

たまに自分いびきで起きる。

ほぼ休日のお父さん。

寝起きにはしっかりとノビをして、しばらく微睡んでいる。

初めて気付いた瞬間は、私が知る仕事中の体勢からかけ離れていたので体調が悪いのかと思った。

目眩が酷くて前を向いていられないみたいな。

心配してしばらく様子を見てたら、

5分以上微動だにしないし、表情も安らかだから、なんだ寝てるだけかと安心した。

同時に、本気で寝すぎだろ!と、ちょっとイラッとした。

仕事も遅いし、結構周りに迷惑かけるし、普段の態度もアレな人なので最初の頃こそ結構イライラしたけど、

1年も経つと段々面白くなってきた。

それに起きている間は貧乏ゆすりをしたり、ストレッチのつもりか変なポーズで揺れてたりして気になるので、

何もせず寝ていてくれた方が結果的に助かる。

仕事自分は別のことやってるからこちらには迷惑からないし。

どんな生き方をしていたらそんな居眠り姿にたどり着くんだろうと気になったりもするけど、

仕事はおろか雑談すら話が噛み合わなくてイライラちゃうから

話を聞いてみようという気にはなれないや。

今まで色んな奇行エンターテイメント提供してくれてありがとう

私はもう転職ちゃうけど、これからもその奇行でみんなに笑いを届けてあげてね。

さよならぐっすり居眠りマン

anond:20240706072246

子供が生まれる前はかみさん風呂に入っているときかにやってたな。

あとは、かみさん休日にゆっくりしたいタイプだったので、かみさんゆっくりしていときゲームしたり、動画見たりしてたな。

子供が生まれからはしばらくゲーム封印していたけれど、子供が世の中にゲームがあるということを知ってから

月並みゲームをして見せたほうがよいかなと思ったので、休みの日に子供ゲームをすることもある。

子供はやるよりも見るのが好きらしいので、やっているのを見せることも結構あるかな

いや、最近はやるほうが好きかな。

ちっちゃいころはうまくできなくてすぐやられちゃうから自分でやってもあまり楽しくなかったんだろうな。

あとは一緒にやることでいろいろと訓練されたところもあると思う。

もちろん、独身のころに比べるとやる時間はずっと減ったし、やるジャンル結構変わったね。

以前はいろいろやってたけれど、結婚してからは名の知れたメーカーが作っているもの家族に見せられるものしかやらない。

カーシェアが便利すぎたので車を買ってしまった話

カーシェアで車の便利さに気づいて、ついにディーラーに行って新車契約してきてしまったので、その話をしてみる。

カーシェア以前

免許取得まで

もともと実家首都圏で車を持たない家庭で育った。父親原付免許しか持っておらず、母親普通免許を持っていたものの完全なペーパードライバーだった。自家用車で移動する感覚が無く、免許を取ったのも20代後半・社会人になってからだった。ただ、結果的にこのタイミングは良かった。大学在学中に義務的免許を取っていたら、家に車が無いので完全なペーパードライバーになっていたと思う。

なぜ免許を取ろうと思ったのかは、記憶あいまいだけど、ちょっと新しいことをしたかたからのような気がする。MTで申し込んで、補習を受けながら卒業して免許を取得することができた。最後までMTシフトチェンジは苦手で下手だった。教習で同乗した時に、同乗の女の子シフトチェンジがとてもスムーズで随分違うなーと思った記憶がある。

運転が苦手な人が免許を取る話は いつまでもとれない免許:非情のライセンス島へ免許を取りに行く面白いと思う。

免許取得後

免許取得直後に友人とドライブ旅行に行った。東京から運転するのではなく、新幹線飛行機地方に行き、そこからレンタカーを借りる方式地方空港の周辺は道が広くて運転やすいので、運転初心者ペーパードライバーおすすめ。このあと定期的にレンタカーを借りて旅行するようになる。

運転練習

とはいえ仕事で忙しく数年単位運転しない時期があり、そのときアクセルブレーキ区別も怪しくなったりしたので、トヨタメガウェブホンダドライビングスクールを利用して感覚を取り戻すようにした。ペーパードライバー教習も考えたけど使うことは結局無かった。

カーシェア以後

カーシェアを利用するようになったのはコロナから。在宅環境を整えようとして、IKEAで買い物をしたり実家から物を持ってくるのに、配送料を払うよりカーシェアを使った方が安上がりだと気づいたから。とりあえず大手タイムズカーに申し込んで利用を始めた。(以降は基本的タイムズカーの話)

使ってみたら意外と便利で、コロナ禍の最中東京近郊を旅行するのにカーシェアを使うようになる。

タイムズカーの最適利用法

もともとの性格ケチなので、旅行で使う時もいかに安く上げるかを考えた使い方になった。

こうやって思った以上に安く済ませられることがわかったので、利用頻度が増えていった。

首都高に慣れる

運転に苦手意識のある自分にとって、首都高運転は一つの難関で、最初はなるべく使わず、使うとしても湾岸線などの運転やすい道に限定していた。とはいえ東京運転する以上、首都高運転できないと話にならないので、次のように慣れるようにしていった。

今ではだいたいの分岐は覚えてしまったので首都高に苦手意識はないけど、もし阪神高速名古屋高速運転することがあったら予習なしでは難しい気がする。

カーシェアで満足して車を買う必要性を感じなかった

車を運転することが増えて、多い月だとほぼ毎週末運転して月に700kmくらい運転するようになったのだけど、それでも車を買う必要性は感じなかった。理由としては



当時は新車を買うことになるとは思っていなかった。長くなったので、カーディーラーに行って新車契約した話はまた次回。

2024-07-07

anond:20240707211205

本筋からはそれるけど、選挙活動基本的に暇な学生かジジババしかできないってのは覚えておいた方が良いぞ。社会人は働いてるんだし、休日くらいしか動けん。これは俺が学生の頃、就活の話のタネ選挙活動を手伝ったことがあるから嫌と言うほどわかってる。選挙活動を手伝った候補無所属だったから、統括する専属秘書みたいな人以外は学生とジジババしかおらんかった。

からちゃんとした選挙活動ができる社会人層の人員をどの候補者も欲しがるし、妙な団体から入り込んでしま余地が生まれるんだよ。

夏の二次創作

 彼には名前がなかった。名前があっても使わないだろう、と両親から思われたのだ。だから彼は名前を与えられなかった。彼は学校でも会社でも病院でも名前を呼ばれないまま二十一歳になったが、本人も、周囲の人間も、それで不自由なかった。両親の予測は恐ろしいほど正確だった。だから子供を作ったともいえる。彼は結婚式場で働いている。

 彼は毎朝起きてすぐにニュースを見る。ひと通り世の中について確認すると冷蔵庫からチョコレートを取り出して一列だけ食べる。それから顔を洗い歯を磨いてスーツに着替えると、七時にはもう家を出てしまう。式場に着くのは八時頃で、その日に挙式の予定があれば遅刻だし、何もなければ休日である。その日は休日だった。彼は式場の近くのレストランチョコレートを一列食べて自宅に戻った。何かの封筒ポストに入っていた。

 都知事選投票所入場券だった。もうそんな季節か、と思った(毎朝ニュースを見ているのにそう思うのは不可解である)。彼は今日仕事があると思っていたので他の予定がなかった。だから期日前投票に行こうと思った。投票は、信頼する人間名前を書く行為だ。彼の人生において、それは重大な意味を持たざるを得なかった。彼はスーツのまま候補者について一通り調べると、暇空あかね投票すると決めて家を出た。

 外では太陽が彼の全身をくまなく蒸らした。十時だった。投票所のある隣駅に向かうための駅では、平日の昼なのに下積みの歌手が歌っていた。たまの『夏の前日』だった。彼はその曲を知らなかったから足を止めなかった。改札を抜けホームに出てもその歌声はかすかに聞こえた。電車はまもなくやって来て、彼はそれに乗った。車内は静かだったが外と変わらず蒸し暑かった

 投票所は静かで涼しかった。彼は鉛筆を持って仕切りのある机に向かうと、最後にもう一度考えてから、暇空あかねと書いた。そして用紙を二つ折りにして、銀色投票箱の中に落とした。一分もかからなかった。

 彼は投票所を出てから家に着くまでの間、絶え間なく投票記憶を噛み締めていた。彼は投票のたびに向こう数ヶ月ぶんの生気を充填している(それほど重要投票の日が迫っていることを封筒を見るまで忘れているのは不可解である)。彼は着替えると、猫の名前を呼んだ。猫はすぐにやって来た。彼は猫を撫でながら、今しがた届いた結婚式場から解雇メール音読してみせた。猫は満足そうな声を出すと腹を向けて寝転びさらなる愛情をねだった。彼は求められた通りにした。

 その日の深夜に彼は目を覚ました。寝床から立ち上がると冷凍庫から氷を取り出してそのまま噛み砕いた。次に花が生けてあるままの花瓶の中身をすべてシンクに出した。花の種類は暗くてよくわからなかったので、彼はその匂いを嗅いだ。次にトイレに入って排尿すると布団に戻った。いつの間にか目を覚ましていた猫がもう一度彼のそばで丸くなった。

 翌朝彼が目を覚ましたのは九時だった。布団の中から手だけでリモコンを探し、ニュース確認する。番組では彼が普段見ていた時間とは違う種類のニュースを扱っていた。猫はもうどこかに行ったようで彼の部屋にはいなかった。彼は起き上がると花でいっぱいのシンクに水を出した。花はまだ茶色くはなかったが、次の日には花弁の端が変色し始め、その次の日には完全に茶色くなって縮んでいた。彼は水を止めると、その花を口に運んだ。チョコレートと同じ色だった。二本目も三本目も同じようにして食べた。次第に彼の目に涙が溜まりはじめ、ついに零れ、縮んだ花に落ちた。肩を震わせながら次々に花を貪った。彼の家に入った空き巣最初に見たのは、その彼の背中だった。

 彼は両手に枯れた花を掴んだまま振り返った。見知らぬ男が玄関を半分開けて覗いていた。空き巣は泣き腫らした彼の顔を見た。猫に似ているな、と思った。彼はその男空き巣であることを察知したがその先は特に考えなかった。まだ花を食べていたかった。空き巣玄関に足を踏み入れた。彼はシンクに向き直って次の花を齧ろうとした。その花は積み重なった花々の内側にありあまり空気に触れていなかったので少し桃色の部分があった。葉も茎にも緑色が残っていた。彼はその花を開けた口から離し、再び振り返って、空き巣差し出した。空き巣は靴箱の中にあった猫の死体を持ち上げているところだった。

 夕方になると空き巣は帰って行った。彼の部屋はほとんど元の状態のままだった。彼は壁にもたれて床に座り、空き巣からもらった名刺を眺めた。空き巣本業プール監視員で、田母神俊雄投票していた。彼は立ち上がると部屋の隅々までていねいに掃除機をかけた。それが終わると冷蔵庫を開けてチョコレートを一列食べた。最後の列だった。彼はサンダルを履きチョコレートを買うために外に出た。遠くで花火のような音がしたが見えなかった。

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