はてなキーワード: 主催者とは
妙な敵意を受けた
何に対してだかはよく分からない
皆の集まる打ち合わせの場で、私は普段は内容を聞くばかりなのだが
と言っても質問の内容をまず把握していない
なのでどういった話なのか、聞き返そうとした
それも随分と強い口調で
私が言葉が出ないでいると、会の主催者が改めて確認するということで、、と その場を収めた
その後も彼女は語気強く、「今いない御社のリーダーにこの件をどなたか伝えて下さい!」と続けた
弊社の競合他社からの参画で、さらにはその会社の正社員でもない
会議はその会社のメンバーが招集しているが、主催者は元請け会社の管理メンバーである
彼女には競合他社の弊社の業務の段取りについて意見する権限もなければ、弊社メンバーに対して指示する権限もない
剥き出しの悪意を感じる発言にいやな気分になった
当時は気づかなかったけれど幼い頃は割と裕福な家庭でした。バイオリンにスイミング、書道、英会話スクール、塾、そろばん、アート、バレエetcとほぼ毎日のように習い事に通っていました。どれも自分がやりたいと思った習い事です。習い事帰りには母がデパートに連れて行ってくれ、その度にブランドの服を買ってくれました。毎年家族で海外旅行に行く決まりがありました。
ある子は、習い事の帰りは道路に並んだ複数の高級車から好きな車に乗って帰り、
ある子は、まだ年齢が片手で数えられるくらいの年齢なのに近所(都会)のお店は子供1人で入っても全てツケで生活してたり、
ある子は、誕生日パーティーには結婚式場を貸し切りにし、パーティー後には招待客を皆ディズニーに連れて行く(チケット代のみでなく、ディズニーのホテル代も全て主催者もち)
ある子は、お互い親子一緒に食事をしている際にその子の母親にかかってきた電話が都内の一等地のマンション丸々一棟売りに出た連絡で、その場で購入決定、
などまぁドラマに出てくる金持ちみたいな子が多かったです。今は普通の生活(むしろキツキツな方)をしている私はたまにあれは現実だったのか不思議に思うほど…
近頃私の周りにいるお金持ちもなんだか凄い生活だけどこの話はまた別の機会に。
ただ今思うことはお金持ちの方がいつも心に余裕があったなと言うこと。世の中に一着しかない服を一回しか着ずに生活するような人ほど自分の生活の事よりも社会の事を考えている。(環境とかは頭にあまりないかもしれないけど)
人間お金よりも大切なものがあるとか聞くけどその大切なもののために時間なりお金をかけるのだから結局お金か1番大切なのだと思う。
裕福っていいなって話💰
京浜急行にて活躍し、現在はことでんに譲渡されて走行しているデハ1000形を赤色にラッピングし製造60周年を祝う と言った趣旨である。
趣味者が主催となりクラウドファンティングを用いた資金調達で電車のラッピングを実現したことで話題となった。
http://tkr-charter.jp/type1080project/
このプロジェクトの概要が発表された当初から否定的な意見が(勿論肯定的な意見もある)twitter等に投稿された。
その中には「(京浜急行時代の姿を再現するのだから)ことでんロゴを無くせ」などという物もあり、ついにはことちゃんが言及するに至った。
「ことでんロゴなくせ」という議論を目にするたびに、ここまで多くの人に愛されている京浜急行さんの偉大さを感じ、身が引き締まります。プロジェクト主催者様のご了承の上、ことでんロゴをつけての運行となりますが、京急さんの名を汚さぬよう社員一同で精一杯運行しますので、ぜひ応援ください。— ことちゃん (@irucakoto) 2019年3月5日
クラウドファンティングは主催の企画に同意して支援金を拠出する制度であるし、支援を行わない人間が口出しする権利など無いのは当然である。
それなのにどうして常識の範囲内のラッピングや運営に因縁を付けるような批判が多かったのだろうか?
第三者の人間が見ても理解できないか、「鉄道オタクは細かいことに拘るんだなぁ」くらいにしか思わないだろう。
以下の引用は還暦の赤プロジェクト代表を務める佐羽内氏の発言である。
@keikyu_vvvf え~っとこちらの発送先は仏生山でよろしいですかww? pic.twitter.com/ZL4f1DlBfb— 鯖内勇太【3月8日はサバの日】本当は佐羽内です (@sabanai1501) 2013年8月6日
リプライ先は本プロジェクトの主要メンバーの一人(ID変更や転生を行ってるためアカウントは現存しない)で、度を過ぎた不謹慎なツイートや他人への攻撃的なツイートも多く見られた。
ここでそれらの証拠を列挙しても仕方ないので割愛するが、本プロジェクトの主要メンバーの多く(該当しない方ももちろんいらっしゃいます)がそのような行為をしていた。
そのような人達が京急ファンの代表かのような立ち振る舞いで、今までの行いなど無かったかのように、事情を知らない人間からクラウドファンティングで資金を集め始めたのだから過去を知る人間がこれを快く思わないのは当然だ。
そうした背景を元に因縁めいた批判が”返ってきた”のでは無いだろうか?
結果としてクラウドファンティングは達成され、ラッピングされた実車が走りだしたものの批判的な意見が未だに散見されるのが実情だ。
赤い電車はかっこいい(真理)
あれだけ騒がれなければきっと知りもしなかっただろうし、仮に普通の宣伝RTが流れてきたならおそらく気にもとめなかっただろうけど、今とてもあのアンソロが欲しい。調べれば調べるほど神本だと思うので。出来たらノベルティも含めて欲しい。転売じゃなく主催者さんに諭吉を払って欲しい。イベント価格3000円、通販5000円ということだけど、倍払わせていただいてなんとか再版をお願いしたい。はるこみには買いにいけなくて申し訳ない。
時間的な不足と性的な枯れから長らく同人からは離れていたけど、あんな神本(と思われる)があるならすごく欲しい。最近の相場は分からないけど、個人的には10000円、いや、20000円までなら出したいレベルで欲しい。
本当にあの、すごい恵まれてるね…?と一連の騒動を見てて思う。こみっくぼっくすじゅにあとオールキャラアンソロで育ち、何のカップリングが出てくるか分からないままページをめくり、嗜好がマイナーなもんだから数ある王道=地雷カプは大変申し訳ないながら見なかったことにして、稀少な萌えカプを何度も何度もページが擦りきれるまで読んでいたあの頃……あれが普通だと思っていた私よ、此処にこんなにも恵まれている今がある。羨ましい。とても羨ましい。過去はこうだったんだから我慢しろなんて言う気は全くない、恵まれている方がいいに決まっている。萌えカプだけの、それも特定のシチュエーションだけのアンソロが手に入るなんて、なんと良い時代。なんと肥沃なジャンル。それだけに、楽しみにしていて思わぬ方向から地雷カプの襲撃を受けてしまった人も可哀想だし、きっとドキドキしながら新たな挑戦をしたのであろう描き手の人も可哀想だし、感想きてるかなってわくわくエゴサしたらアレだった他の描き手の人も可哀想だし、萌え語りで余韻に浸りたかった読み手の人も可哀想だし、これだけの神達を集めて沢山のお金と時間をかけてあれだけ凝った本を作り上げた主催の人も可哀想だと思う。こんなにも恵まれた条件だからこその悲劇。
ほんと、カプ表記って難しいよね。一次創作ならもう何が来ようがこれがこの作品です!って言えるけど、まあABとCDかと思ったら途中からADとCBになって阿鼻叫喚になったジャンルもあったけど。二次創作でカプ表記前提だとそれを期待されるわけで、その中で個性を出そうと思ってCAが出てきた…のかな?該当作品を読んでみないと分からないけど、悪気はなかったんだと思う。自分なりにAB萌えを表現したかったんだよね、きっと。そんなの要らねえと思うか、いやいや萌えたわ、と思うかは読んでみないと略。再版を是非お願いいたします。これはテロだわ、と思って悲しくてやりきれなかった人の気持ちもお察しだし、ほんともうね。
こう、描いた人は個人誌でやれば無難だったし、被弾した人は主催の人に伝えれば無難だったし、主催の人は「一作品に過去のR18モブA描写があります」とだけ注記してくれたら無難だったし、我々はこうして騒がなければ無難だったし、ねえ。
本当なら100%win-winで皆が楽しめる筈だったところにこうなのが、皆お疲れさまというか。いいことあるといいよねというか。
要は、インテリでハイスペでアカデミックで物静かな雰囲気のあるイケてるオジサン・オバサンではなくて、ただの知識を摘まみ食いして嬉しがってるミーハーに過ぎないオジサン・オバサンだったから、ガッカリした訳ね。
まーそんな奴はサロンなんて主催せずともネットに頼らずとも、真っ当に人生を歩みリアルな生活の延長で居場所を作っている訳だし。そういう延長で交友関係が広げられず、学生時代にも友達も居なかった人間が、社会人デビューして人間の端くれになる事が出来て、調子づいて自分のサロンを立ち上げちゃうわけでしょ?
弱者までいかないまでも、サロン主催者含めて弱者に片足を突っ込んでる人間が惹かれるんじゃない?だから増田はそのコミュニティに異質というか違和感を感じたんでしょ?
引きずってないで、見限れば良いじゃない。
無意識に期待値が上がっていた。顔を見るのは勿論、どの様な話し方、立ち振る舞いなのかは、Twitterやブログでは解らなかった。
以降はフィクションを交えて書く。
とあるコンテンツで悩み相談を受け付けるサービスが設けられた。私に対して答えたのはまだ無名のサロン主催者だった。私に対する言葉は大変励ましになったし、さすが本職だなあとは思った。
まだ無名のサロン主催者がそのコンテンツサービスから離れてからも、Twitterやブログではなかなか良い話を書くので、私は読んでいた。
次第に私はプライベートの方が忙しくなりTwitterやブログ等を暫く見ることがなくなっていった。
その数年後、ふと思い出し、そのサロン主催者のツイッターやブログをまた読んでみた。PV/UU目当てか、かなり荒っぽい言動が目立つようになった。
もっと言うと、性格や人格が変わったかのような、謙虚さや労わりがなくなっていた。それくらいの過激な内容のブログであった。
その人がサロンを立ち上げるというので、彼の言葉にも救われた事だし参加してみることにした。期待を込めていたのかもしれない。しかし…。
サロン主催者は勿論、コアな参加者数人が何というか異質だった。宗教までは行かないが、世間知らずの喋り上手なサロン主催者に群がる非リア非モテがコアな構成メンバーと言った感じだった。
少し気味が悪くなり、単純にサロン内容を楽しむ普通の会社員数名とずっと私は絡んでいた。
ブログではもっともらしい事を書いている。でも実際に会ってみると、大人なら誰でも解るような事を初めて知ったことを「それらしく」上手く語る事に長けている人だった。
言葉選びも態度も乱暴で、社会経験が未熟な人だった。遊び慣れていない大学生の溜まり場、みたいなところだった。
一目見て、「あ、ADHD系なのかな」と感じた。サロンの内容も「何だ…この程度なのか」とガッカリした。しかし、周囲はサロン主催者の勢いのある話し方とテンションで気にもならない様子。
結局、私はそのサロンを即日退会した。
ガッカリした事があまりにも同時多発的に来たので、ショックだった。
確かに私は、当時のサロン主催者の言葉に救われたし、具体的な解決策や提案に「なるほど」と思った。感情論だけではなく、実際にどうしたらよいかが書かれていた点に「デキるな」と感じた。
でも、数年前のその人と、今現在の人格は違うという事が良く解った。認知のゆがみが激しく、思わず突っ込んでしまいたくなる事が多々あった。「本当に数年前に見たあのブログやTwitterは、目の前に居るその人が書いたのだろうか」と思うほど軽薄だった。
そんなサロン主催者に私は怯んでしまい、身バレしたくない(距離を縮めたくない)思いでいっぱいで、当たり障りの無い言葉で距離感をとった。品定めをする様に、グイグイと尋ねてくるが。次第に「コイツ今後はサロンで使える人材ではない」と悟ったのか、サロン主催者からも望まれていない事も空気感で分かった。
これで角を立てずにフェードアウトできるのに、なぜかモヤモヤしている。色々なガッカリ感と、向こうが私に対するガッカリ感もあったからであろうか。
とにかく、私の悩みに同調し具体的な解決案を出した彼と、現実の彼が、同一人物なのか解らない位、乖離していて、いまだに私の脳のバグが解消しない。
サロン参加者は大規模になっているようだけれども、未だに参加者が数人しか集まらない理由は、私と似た理由なのかは解らない。
ただ、「割に合わないサロン」だったな、という思いでいっぱいになった。
業界の傾向なのかそれとも類が友を読んでいるだけなのか、
私の身の回りにいる人間たちはどいつもこいつもあって遅刻癖なくて遅刻癖の持ち主であり
まあまず時間どおりに来るやつなどおらぬ、おらぬのだな
全盛期には参加者全員が遅刻したため事実上誰も遅刻してないっぽい雰囲気になったことも
ある種の障害持ちなのかもしれない
他のやつらを低く見ているのかもしれない
チクタクマンのように時間という観念がそもそも欠落しているのかもしれない
そもそも何らかのシステムで遅刻という概念を制御したほうが早い
「待ち合わせの集合時間を通常よりも早めに設定しておく(いわゆる遅刻マンズ締切)」がある。
これはまあそこそこ上手く機能する
ふだん十五分遅れてくるやつに対して十五分早めの集合時刻を伝えておくと実験マウスのようにピッタリ現れる(遅刻マンの平均知能は低い)のは当然として、
遅刻マンズ締切をすっ飛ばし、本来想定の締切すら吹っ飛ばすやつはそもそも集まりごとバックレる気分である可能性が高いため
結局の所「集合時刻通りに来るやつが待つことになる」のは変わらないのだ。
遅刻マンズ締切は遅刻マンが大量に棲息する地域のみで可能なのであって、
普通の時間の感覚を持つ人間たちが大半を占める場所、たとえばNHKの社内やJRの駅構内や郵便局の受付窓口などではイライラする人を増やすのみである。
いや集合すらするな。
入れ。
そこがおしゃれなカフェだろうがオタクどもが波濤となり押し寄せてくるコンサート会場だろうが脱出ゲームのハコだろうが、さっさと遅刻者などおいていけ。
設定時間を過ぎたらゲームオーバーなイベントの場合、遅れたやつは不参加しかない
設定時間を過ぎても一応参加できる系のイベント(お茶会とか)の場合、遅れたやつも一応グループに加われる。そこで自分の知らない流れになっていても自己責任だ。
知るか。グーグルマップを使えないなら今すぐ老人ホームに入ってそこで余生を送れ
現地に行く前にみんなでキャピキャピする時間を大切にしたい?
どうでもいい。心底どうでもいい。そんなに人生のローディング画面を大事にしたいんならイヌでも飼って人とは付き合うな。
そもそも「集合する」という行為自体が時代から遅れているのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-00009302-bengocom-soci
京都造形芸術大の公開講座で精神的苦痛を受けたとして訴訟を起こした件へのブックマークコメントだが、
「勉強不足」
「シラバス読め」
「当たり屋」
なんだこれ。地獄かよ。
こういうコメントつけている奴らは、公開講座が何なのか分かってんのか?
公開講座は、あらゆる人の生涯学習を支えるために行われる大学の社会貢献的事業であり、
正課の授業とは全く性質が異なるんだよ。
専門分野に属した学生がカリキュラムに従って体系的に学ぶものではなく、
本当に60-70代のおじちゃんおばあちゃんばっかりだったりして、
講座によって参加者層は極めて多様なわけだよ。
特定の年齢層や特定分野の前提知識を有する層を対象とすることは、
今回はあくまで原告が偶然この分野を専門とする人だったというだけで、
公開講座の趣旨を鑑みれば、年齢や学歴問わず「学ぶ自由」を保障するための仕組みなんだから、
参加者層を限定していない以上、主催側たる大学が、きちんと事前に条件や詳細な内容を説明して
参加者募集をする責務がある。
そもそも「シラバス読め」と言っている皆さんは、自分でシラバス読んだんですか?
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1811318
第3回:ヌードあれこれ話
ヌード、あるいは女性像を画題にした自作を中心に話します。たぶん芸術と対立概念になりがちなポルノの話や、第二次性徴期の話、フェミニズムの話なども避けては通れないでしょうね。
会田 誠 (美術家)
1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術館研究科修了。絵画、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画など表現領域は国内外多岐に渡る。近年の主な個展に「天才でごめんなさい」(森美術館、東京、2012-13年)、「考えない人」(ブルターニュ公爵城、ナント、フランス、14年)、「世界遺産への道!!~会いにいけるアーティストAMK48歳」(霧島アートの森、鹿児島、14年)など。
この文章で、残忍で強烈な画像を見せつけられそうな雰囲気が、どこから汲み取れる???
本当に何も知らない人が読んだら、普通のアーティストさんにしか見えない文章じゃんか。
これ読んだところで内容の想定は不可能だと思うし、公開講座の受講者がシラバス以上に深い知識を
事前に自分で調べないと応募してはならない、なんて義務はどこにもないですよ。
ちなみに、シラバスを見ればわかる通り、受講条件も何も書いていない。
他の科目を見てみると、何らかの条件がある場合は「備考」に書いてあるケースも
あるので、決して書く欄が無かったわけではないことは明白である。
(例)"なお、認定の条件は、18歳以上で、"
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1823304
さらに付け加えると、↓の上部に掲載されている受講規約を見れば、
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/matter/matter/
受講資格は、満 15歳以上の藝術学舎で学びたいという意志をもち、本受講
規約を遵守することに同意される方とします。学歴等の制約や選抜試験はあ
りません。
と書いてあり、シラバスで特段の条件指定が無ければ、15歳の中学生が受講する可能性だってあるわけで、
そのような前提の講座にも関わらず、事前説明なく記事のような内容の授業が行われたとすれば、
何より、この原告の女性は、会田誠の芸術表現自体は否定してないじゃんか。
会田誠のような芸術表現が世の中に存在することは理解するとしたうえでも、
それを大学の公開講座という学問のプラットフォームにのせるのであれば、
その主催者が相応に運営上の配慮や工夫はしてよ、というお話でしょ?
そんなの当然じゃんか。それをやらないなら、大学は何のために存在してるんだ?
学問のコーディネータとしての責務を果たせていたかを問われているわけでしょ?
にも関わらず、「会田誠くらい知ってて当然。知らなかったほうが悪い」という論調のブコメばかり。
山本太郎議員が極右カルト「日本母親連盟」の講演会で主催者をフルボッコにしてしまう | Buzzap!(バザップ!)
https://buzzap.jp/news/20190227-yamamoto-taro-nihon-hahaoya-renmei/
日本のフェミニズムは昔から女性の権利開放の中に母親の意思も強く密接に関わってきた
例えば昨今話題の女体の性的搾取に関する部分で言えば、母親を中心とした団体による悪書追放運動・有害図書指定がある
ここまで言えば何となく察している人も出て来るだろうが、いわゆる母親団体は右派系と左派系が存在してしまっている
この両者ともお題目は大ざっぱに言えば、母親の権利獲得と子供の健やかな成長だ
これらを願ったからこそ前述した有害図書の件は右左が協調して行なわれたという歴史がしっかりある
今回、山田太郎議員が指摘した母親団体は自分自身としても好印象を抱かない団体ではあるが、母親団体を非難するためにわざわざ右翼と付ける必要はないのではないか?と思う
もし″右翼″な母親団体が"左翼"な人々から敵視され、非難されるという状況になったとき、母親団体全体としては片翼を失ない、単純な計算では母親団体の力は半減する
これもまた前述したように日本のフェミニズムは母親の意思も強く密接に関わっている
つまり、日本のフェミニズム界隈から"右翼"な母親団体が排除されると、日本のフェミニズム界隈の力も極端に落ちると考えて良い
これはもう、完全にお前の能力不足だよ、と言われる案件かもしれんが。
”ちょい有名人がやるイベント”に参加したときに味わう絶望感が半端ない。
もうちょっと正確に言うと、そういうイベント終わりに、そのちょい有名人と
名刺交換するときの、「あ、俺、ただの一般人だな」と感じさせられる、
どうしようもない、あの絶望感。
主催者は、その界隈でちょい有名な人。
で、その内容は果てしなく面白いことが多い。
「ふむふむ」「へー、そうなんだ」「やっぱりこの人はすごいな」とか思うわけだ。
んで、イベントが終わる。
最後は、恒例と言っていい、あれが始まる。
登壇者の前に列ができる。
ひとりあたり、だいたい1、2分くらいだろうか、名刺を交換して言葉を交わす。
あれがどうもダメだ。
我先にと列に並ぶ熱心さもないから、人が掃けつつあるところで向かう。
もう10、20人くらい対応してるから、たぶんちょい有名人も疲れている。
(名刺交換)
ちょい有名人「そうですか。ありがとうございます」
……
もう話すことがないのだ。
もちろん、仕事と関連した質問することもあるし、個人的に気になっている質問もする。
でもそれでおしまい。
そうじゃないから、登壇者にとっても「話しても意味ない」存在なんだろうな、と
感じさせられる。
悲しい。