はてなキーワード: 一眼レフとは
よく税金安くして消費してくれれば景気よくなるじゃん、というのが本当か?という素直な疑問から来ている。
『いくらあっても困らない』『貯蓄する』というのが大半というのもわかるのだが、今回はその解答は制限させて欲しい。
ここはわかりやすいしイメージし易いし、大半はこれかと思われる。挙げればキリがない。
ここで寄付なんてのも出てこないのは大多数か。
田舎住みなので打ち合わせで街に出る時は1日戻れないことが多い。
どうせ出るなら、ということで1泊してまとめて用事を済ますことの方が多かったりする。
持ち物は以下の通り。
・その他の電子周辺機器(モバイルWiFi、モバイルバッテリー、デジカメ、替えレンズが一つ)
・資料など(だいたいA4用紙が数枚程度)
昔と違い今はいろんなものがコンパクトになって軽くなった。この中でいうとMacBookが一番重い。カバンから抜くと何も入れてない感じレベルになる。
都会だと電源の確保もあまり不自由しないのも助かる。モバイルバッテリーは使わないか、あるいはスマホ半分充電できる程度のサイズでも心配なくなった。
カフェでPC作業してる人も多いので、ガッツリ仕事してても違和感ないのも助かる。
1泊するならこのほかに替えの下着とコンセントにつけるUSBの充電のなんちゃらが入る。異動先の状況によってはもう一回り大型のモバイルバッテリーを持つこともあるが稀だ。
デジカメは基本的にミラーレスだけど、仕事の内容によっては一眼レフになる場合もある。でも一眼レフの場合はほかのあれこれもあるのでコロコロの付いた大きなカバンで持ち歩く。
1泊のコストも随分安くなったと感じる。
私は配達のバイトをしているのだが、先日お前の配達は遅いと注意を受けた。
それ自体には何も文句はない。実際私は遅い方だという自覚はある。
だが、かといってサボッてるわけでもなければ無駄に遠回りをしているわけでもないが、早くしたくないわけでもないのでどのようにすれば早くなるか聞いてみると「そんなものはお前が自分で考えるんだ」と言われ、そのまま気がつけば軽く口論になっていた。
そんな様子を見かねたのか、別の先輩が割って入ってきた。
「お前は黙ってはい、わかりました」と言えばいいんだよ!!
と
私としてはそんなものは何も事態の解決にはならないので分けが分からなかったが、さすがにここで反論しては火に油を注ぐ行為だということぐらいは理解していたので、言われた通りにマリパのミニゲームのノリで話に合わせて「はい」というだけのリズムゲームをしてみた。
するとどうだろう。その先輩は勝手に持論を展開し、勝手に納得し、勝手に気分よくなり、説教は終わった。
私は何も考えずテンポよく、「はい」と言っていただけである。一言も頭に言葉は届いていない。
今まで幾度となく様々な場所で似たようなことで衝突したことがあったが、結局の所、本当の意味で何の意味もないのであった。
彼らは、より良くするという目的ではなく、自分が説教をしたという事実が欲しいだけなのである。
良くなる様に自分は注意・説教をした。その時点で満足してしまっているのである。改善されなければ何の意味もないというのに。
だが、確かに偉大なことは一つ教わった。本当に「はい、わかりました」と言っているだけで奴らは勝手に納得するのである。事態の改善案を提示する必要もなければ、改善のために努力する必要もなかったのだ。
勿論、これを読んでお前は子供だ、とか社会で通用しないという思う人はいるだろう。
だが、そもそも私はバイト先に仕事をしに行っているつもりはない。
別に私は配達業を目指しているわけでもなければ、クビになった所ですぐに生活に困るわけでもない。
それに志高く頑張ろうが、私のように未熟なまま他人に迷惑をかけようが、時給はほぼ変わらない。せいぜい50円程度の差だ。その上9割9分バイトで回しているような店だ、社員登用もまずなければ、所詮店長から見れば私もその意識高いバイトの先輩方も究極的には同じ使い捨ての安い労働力程度にしか見られていないだろう。
彼らにとって私たちは使い捨てのカメラと大差はない。ならば、私も使い捨てのカメラ以上の仕事をする気はない。
先輩方のように頑張って一眼レフ?等の高いカメラのような性能を発揮した所で所詮フィルムが無くなり使えなくなったら捨てられる。
そんなことはない。という経営者の方もいるかもしれない。実際そうでない現場もいくらでもあるのだろう。
だが、リストラやブラック企業などをまざまざと見せられて育ってきた私には何も響かない。ネットに潜る必要すらなく、世の中には人情で会社に救われたホワイト企業話よりも頑張って結果を出したにも関わらず会社に裏切られたブラック企業話が溢れている。
そもそも私の親の時点で、パートにもっと働けといいながらこれ以上時給を上げればすぐに会社が潰れてしまうとのたまっているのだ。
以前は能力はないがクビにしづらい人間に対してどうでもいい仕事を押し付けられる人達に対して窓際族という言葉があったらしい。
良いじゃないか、窓際族。そう思ってしまうほどには社会に対する信用など露ほどもなくなっているのだ。
最近は、1人ディズニーも増えてるみたいだね!先人たちがたくさん行ってくれたからかな。1人でも気にしないで行ける人が多くなったらいいなと思うよ!ではどんどん書いてくね!
reharmonize 本質的にはテーマパークだと思うので、主要キャラを覚えましょう。ビッグ8とプーさん、ピクサー系、可能ならプリンセス一式まで。できれば自分の好きなキャラを1つ決めておくと楽しみやすいです
https://snaplace.jp/tdlphotospot/
http://www.tokyodisneyresort.jp/blog/
http://ure.pia.co.jp/list/media?c=dmania
http://blog.livedoor.jp/wininter001/
http://www.disneyparkstory.com/
http://www.tokyodisneyresort.jp/treasure/fantasy/starwars/program.html
ジョニデ愛してるぜー!! と絶叫(新技:2007年から) … +10pt
https://dpost.jp/2013/02/13/wp-11386/
https://togetter.com/li/961004
次へ続く
どこに行くか何を食べるかは、インスタのタグ付けで探す。
行ったところや食べたものは、加工してインスタに載せる。
「インスタに載せたいから、〜に行きたい」そういう動機って本当にあるんだ。フィクションかと思ってた。
例えば、「コーヒーが好きだから、評判のカフェに行きたい」ではなく、「コーヒーは好きではないが、内装が可愛くインスタ映えするから行きたい」そういう風に行き先を決めたりする。
いまここにある誰かや何かの関心・興味ではなく、インスタの向こうの誰かを意識した行動。そういう価値観は私にはなかったから、ただただ新鮮だった。
(余談であるが、国境を越えるはずのインターネットやSNSが、リアルな繋がりをより強固なものにしていることも興味深いと思う。)
彼女が一眼レフを買ったのも、猫が好きなのも、カフェが好きなのも、子どもが好きなのも、インスタに映えるからなのかもしれない。
FBとかTwitterとかTumblrとか名の知れたSNSのIDは一通り持っている私だが、一般人のご多分にもれず、そんなにあっちゃこっちゃに書き分けるほどネタがない。で、同じネタをあちこちで使いまわしたりするんだけど、リアルな知り合いがいっぱいいるはずのSNSであまりリアクションがもらえないと結構凹む。
別に特段文章がうまいわけじゃないし、愚痴っぽいこととか他人様が読んでも楽しくなさそうなことも書いてしまうので、その辺が原因だと思うけど、始めたときはいろいろリアクションがもらえたのにそれが減っていくと、「自分の書く内容に問題があるんじゃ…」とか心配になってくる。
とりあえずFBはなるべく投稿を減らし、他人様の投稿には適宜「イイネ!」を押して、「ちゃんと見てるから」アピールだけしてるけど、それだけでもうざかったらどうしようかと心配な今日この頃。
で、そうやってリアクションのないSNSを見ているとむなしくなってなぜかリセットしたくなる。「全然知らない人に違う私を見てほしい!」みたいな…。で、なぜか新しいwebサービスに手を出したり、新しいブログを作って誰にも見てもらえなかったりする。今日はTumblrに新しいサブブログを作ってみた。今まで極力一眼レフかミラーレス機で撮った写真をアップしていたのだけれど、今度はスマホでやるぞっていう…。ランチとかスイーツの写真は世の中にあふれているので、その中に埋もれることになりそうだけど、みんなどうやってネタを調達しているんだろう?
最近はSNS映えする写真を撮るために行動する輩が増えているようだけど、自分もどっぷりその中にはまっている気がする。だからといってお洒落な高級店で食べ歩いたり、しょっちゅう楽し気なレジャースポットに行ったりするわけにもいかないので、結局「今日のランチはこんなです」みたいな投稿しかしようがない。まぁ一部の人気者以外にとっては自己満足のためのツールだと思って割り切るしかないのかも知れない。
周りの友人はインスタ映えインスタ映えと口にする。
写真目的がなければ行かないような場所にわざわざ行って、スマホのカメラで何枚も撮る。
外食だって流行っている物を食べなきゃいけないし、家で食べるにも凝ったお洒落なものを作らなきゃいけない。
正直、甘ったるい生クリームや合成着色料が過剰についた食べ物はお世辞にも美味しいとは言えないし、値段も結構する。
周りは若い女の子で混み合っていて、みんな同じようにスマホとにらめっこして加工してトリミングしてインスタに投稿するのだ。
同じ値段で落ち着いたレストランでランチが食べられるのになぁと私はいつも思っている。
周りに強く勧められてインスタのアプリをインストールしたが彼女達が夢中になる理由は分からなかった。
一応、私も趣味の1つに写真があってたまに一人で一眼レフを持って旅行する。
だから自分が綺麗だなとか素敵だなって思った記憶を残しておきたいのはわかる。
だけど、友人達は一眼レフで撮ったら綺麗に写りすぎて盛れないとかインスタにすぐ投稿したいとかで友人との時は必ず私もスマホのカメラのみだ。
結局後で写真を見返してもアプリで犬になった自撮りと彼女達の言うフォトジェニックな有名人を真似した写真しか残っていない。
せっかく出かけたのに写真撮ることに一生懸命で残るデータがこれってなんだかなぁ...。
色々書いたけれどSNSへの感性が違うだけでみんな良い友人だし、遊ぶ事自体は楽しいから辞めろとは言わないけど(さすがに某ネズミの国の座り込みとかお店の迷惑になるような事は止めて欲しい)
たまにはインスタ映えとか気にせずにゆっくり美味しいご飯でも食べたいなと思う。
そうでもないさね。
どっかの限界集落に落ちて、集落そのものが消滅してしまったとする。
あるいは中国との全面戦争になって、多くの都市市町村が直接攻撃を受けて
そう言う時、「何の役にも立ちそうになかったスナップ写真」が
本人として知られていた写真は別人だった」とかもあるらしい。
百年後にどんな意味を持つかなんて、百年後にならないとわからないん。
ましてや今はスマホスマホでプリントされる写真自体が少ないから端末壊れてパーになる写真も多い。
自撮りなんかは盛るのが当たり前だから、現在の一般的な未成年の加工されていない写真は多分レア。
一眼レフ等で取られて、プリントされた写真が歴史的資料として重宝される未来はありうる。
個人的に0から1を生み出す「くりえいたー」になりたい。憧れてる。
そういう人結構多いと思う。
でも多いからか、何か「くりえいたー」じゃないのに「くりえいたー」的な事言いはる偽物も多い。
純血を貶める、なんちゃって「くりえいたー」ども。
純血の「くりえいたー」と一緒にしてはいけない。
歌うだけのヤツは偽物。純血ではない。作詞だけ、作曲だけも同じ。
最終アウトプットが歌である以上、一人でそれを構成しなくてはいけない。
曲も歌にするなインストで売れ、歌うだけの奴はオペラとか古典歌って歌声だけで戦え。
それができない格下だから徒党を組んでいるのに純血ヅラするな。
・漫画家
こちらも同じく最終アウトプットが漫画なので、一人でそれを構成してこそ純血。
原作が純血ヅラしたければ小説家になれ。作画家は絵描きになれ。
一人で漫画家になれないから徒党を組んでるくせに純血ヅラしてはいけない。
また、一人で書いていたとしても企画先行モノは論外。
受注制作しているものは純血ではない。ビジネスに飼われた負け犬。
・絵描き
最近数多いる有象無象の商業イラストレーターの多くは純血ではない。
二次創作は純血どころか、かなりの劣等種。なぜかそのくせ声はでかい。
その多くが純血。
0から自分の体だけで感動を生み出しているので「くりえいたー」と言っていい。
己の体をくりえいとしている。
・写真家
どちらかと言えば「くりえいたー」の成果を掠め取る、「ぷろでゅーさー」に近い。
シャッター押して出来合いのフィルタかけるだけで作った気になれちゃうインスタグラムがいい例。
・映画屋
・アニメ屋
・ゲーム屋
勘違いされがちだがこいつらも偽物。
なぜならば、これら全て産業が巨大で一人で作り上げるのが不可能だから。
商業に染まり、多人数で創るものはどうあがいても純血ではない。
ただ、産業が巨大なので中にいる人間のプライドは高く純血ヅラするものが多い。
でもたまに一人で作っている人も少なからずいる。
純血の定義は一つ。
それ以外は すべて偽物。まがいもの。
純血ヅラしている人間は、今一度胸に手を当てて考えてもらいたい。
そして、
純血は純血のみとしか通じ合えない。
尊敬と畏怖と共に、肝に銘じなければいけない。
一眼バリバリ使ってる人でも、出来上がった写真はスマホと大して変わらんとか言いはじめて頭痛がしてくる。
そういう人は意味もわからず一眼買って、市場活性化に貢献してくれたらいいと思います。
所有欲を満たすことも大切なこと。どうぞどうぞ。レンズ沼はこちらです。
一番に言われるのは画質の違い。
で、これをわからんと言っている人ははっきり言って一眼レフを使う必要がない人です。
言い換えると、写真を撮るということイコールシャッターを切ることと思っている人。
そういわれてピンとこない人はカメラ向いてない。スマホで撮ってSNSにアップして狭い世界で駄サイクルを楽しんで下さい。
カメラというのは、基本的に全て絵作りがされています。これは例外なく全てのカメラがそう。
細かい話は端折るけど、理由は単純。今の技術では現実に存在する全ての要素をカメラで写しきれるわけがないから。
わかりやすいのはダイナミックレンジや色空間。それでわからんて人は勉強してこい。
さらに、ただでさえ絵作りされている中でデジカメが画像データを作成する上で現像という避けて通れない過程がある。
それをカメラ内でしている人は、さらにカメラメーカーの意図による絵作りがされた写真を撮っていること。
もう少し言えば、RAWデータ撮影、現像という行為をしたことがない人。
つまり、画質の違いがわからんという人はこのあたりにいる人たちと置き換えて支障がない。
メーカーは、撮影された写真を少しでも綺麗と感じてほしくてあの手この手で元の写真をカメラ内でいじり倒します。
その傾向の違いによってメーカーの好き嫌いが別れたりするわけです。
そうして作られた写真を見て、画質の良し悪しを議論しようとしても、それはカメラそのものの画質について議論しているのではなく、処理ソフトの性能について議論しているに過ぎません。
つまり、君たちはカメラの話をしているようでソフトウェアの話をしていたというわけ。
そんなものは同世代のカメラ並べて大差があるわけがないし、スマホがその性能を上回ることがあるのも当然といえば当然。
そうやって作られた写真をさらにレタッチしておりじなりてぃとか言ってしまうのよね。うぇーい。
以上。コレで納得できた人は帰ってよし。
でももし、写真を撮るということイコールシャッターを切ることとから脱したい人は、これから先に目を通しておくことをお勧めする。
頑張ってまとめてもこの長さだから無理強いはしない。早く帰れ。
中級機以上のカメラに備わっている機能で、最近ではスマホでも撮影できるようになった。
それこそカメラの素子(フィルムにあたるもの)の性能と、レンズの性能、絞り、シャッタースピードだけで作られた色すら決まってないデータです。
写真にするのに現像という作業が必要で、その差によっては出来上がりの違いに大きな差ができてしまうもの。
カメラの仕組みを理解していないと結局カメラ任せの現像と同じものかそれ以下になってしまうという、まさに初心者お断りながら基礎的な仕組み。フィルムのままでは写真にならないように、これをしないとそもそも写真は出来上がることはない。
でも写真なんて綺麗ならいいんじゃね?って思った?
おめでとう!その通り!それこそが消費者の本音!クライアントも同じこと言う!言うよねー!
だから最初から言ってる通り、そういう人には一眼レフは必要ありません。
スマホで撮って、あとでぼかしエフェクト入れるのが一番安いし綺麗で簡単。
だけど、表現したい人は違う。
メーカーが作った絵作りに乗って、それが自分の作品だなんて口が裂けても言わない。
最後まで人の作ったものの上に乗っかることしかできない世界だけど、少しでも多くの要素を自分でコントロールしておきたい。
そんな人のためにあるのが一眼レフであり、RAW撮影という機能のついたカメラ。
それで、その基本となるRAWデータの画質は、カメラの性能=価格に基本的に比例する。
それが分かる人のために、高いカメラは存在するし、それがわからない人がどれだけいらないと言ってもなくなることはない。
これはレンズにも言えること。
交換レンズもものによって同等のスペックでも価格が全然違ったりする。
違いがわかる人、そういう性能を求めている人がいる以上存在するもので、それがわからない人には不要なもの。それがわからない人は沼に落ちる。それが分かる人の養分になるために。感謝。
まとめると、出来上がった画質はそれほど大差ないということ。
だけど、そこに至るまでに通る道筋や目的が全然違うのだから、そもそも議論が不毛だという結論。
それがわからない人間だけがとやかく言っている問題で、プロが見分けられなかったからって、それはそれで優れた性能ですねって言うだけの話。
もちろんダイナミックレンジやノイズ量、ボケ味などカメラの価格に比例して有利になるものはある。さらにこれは光学的な問題なので物理的に解決することはできない。
ただ、それだからといって写真的に優劣が生まれるかどうかは別。
特に写真には撮影者と被写体の関係性が色濃く現れるもので、写真の評価はどちらかというとそちらに重点を置かれる場合が多い。
そうなればそもそも画質に対する議論なんて不毛そのものでしかなくて、つまりは撮りたい写真に応じた機材を選べばよいということになる。
ただし、そうしたコンパクトで安価なカメラやスマホに比べて、基本的に高級なカメラには圧倒的な違いがある。
決定的瞬間とはまさに瞬間である。
その瞬間を逃さないためには、カメラに高い信頼性が必要となる。
起動の速さ、ピントの精度と速度、連射速度、バッファ枚数、カメラにおけるシーン判断力、あらゆる要求に答えるシャッター速度、暗所における感度とノイズ量、長時間露光に対するカメラの安定性、カメラの操作性、要求に応じたカスタマイズ性、過酷な環境下で耐えられる堅牢性、、、数え上げればまさにキリがないほどの機能がカメラには集約されている。
それに価値を見いだせない人間にしてみれば、高級カメラを買うということはまさに無駄遣いでしかない。
しかし、様々な環境下で失敗の許されないプロが機材を選ぶとするならば、どちらを選ぶかは言うまでもないことだ。
様々なプロがいる中で一眼レフを選ばないプロも当然存在する。それはつまり自らのニーズを正確に判断できているからの選択であって、だからといってプロすら一眼レフを必要としないという結論にはなるわけもないのだ。
カメラメーカーもその辺を曖昧にすることで素人に高級機を売ろうとするのもわかるが、そろそろこんなつまらない議論には終止符を打って頂きたい。
結局はこの辺のことを理解できない層が虚栄心やら妬みなんかの薄汚い感情で、目を輝かせる初心者立ちを追い払っているのが現状ではないか。
そもそも機材は自由だ。
自分がいちばん使いやすいもの、愛着を持ったものを使うのが一番だ。
それでもし、進んでいく先に不満や問題を抱えたのであれば、具体的な悩みを持って色々なお店や信頼できる経験者に相談してみるといい。
もしかしたらそれはカメラではないかもしれない。でもとにかく探すことが大切だ。
カメラ店以外にも、色々な思いつく限りの売り場を回ってみよう。
そうしてはじめて、自分の表現を自分でコントロールしていると言えるようになる。
それは、どんな高級なカメラを使って表現者を気取ることよりも大切なことだ。
はじめに、写真を撮るということイコールシャッターを切ることではないといったのはそういうことだからだ。
表現とは道具の選び方から始まっているし、被写体との関係の築き方、撮影状況に合わせた機材の選択、そのための下見や事前準備、現場に合わせた状況判断、一瞬を逃さないための機材の習熟度、撮影後の現像による仕上げ、人の目に見せる瞬間の演出、運など、数え切れないほどの目に見えない労力を投じてはじめて完成に近づけるものなのだ。
あとの言いたいことは前回とおんなじだ!
カメラマンの展示会に行った。かなり小さい展示会。そこのカメラマンと話をした。行った理由は、自分もクリエイティブなプロになってみたかったから。偶然が起きた。プロになるには~こうするといいんだぁ~という話が勝手に始まったのだ。自慢話のようにも聞こえた。でも、チャンスだと思い、彼の話を真面目に聞いた。
【プロになるには】
プロと話してごらん。
いいものを使ってごらん(多少、高くても。カメラマンなら一眼レフとかかな?)
そして、これを、自分で経験してごらん。これが1番、大事だよ。
プロのいうことが本当なのか?は、実際に自分で経験してみないとわからないよ。
間違っているかもしれないよ。
【あと、これは僕の中で1番、印象的だった言葉】
失敗してもいいよ。
いいものだけ見ろってこういうことか!!!というのを本気で納得した日でした。いいものってなに?と思ってたけど、プロの作品。人気作品、レベルの高いコンクール入選作品。意外と基本的なことばかりだけど、僕はできていない。そういえば、プロに話しかけたのも、はじめてだ。本気でプロのそばに近づいたこともない。作品にも近づいたことあまりなかった。僕はアマチュア作品が好きだった。フリーゲームが映画化するほうが面白い。でも、もちろんプロのほうがハイレベルだ。
なにか大事なことを忘れていた気がする。〇〇になりたい!っていう人がいる。でも、プロと実際に話した人はあまりいないかも。いいものを作っている人のそばに少しでも行く。これも、僕はできていない。そういえば、どっかの本で読んだことある。俺の劇団に見学に来ていいよ!勉強になるよって言ったベテラン役者がいた。たくさんなりたい人がいた。でも、1人しかl実際には来なかった。その1人だけが女優になった。人気女優なんとかさん。
このカメラマン、僕がプロに憧れているのを見抜いていたのかな。小さな個展だったから、長時間、そこにいただけだけど。教わったことを、全部、メモしておいた。プロになるコツを教えてくれるおじさんの目が、キラキラ輝いていたのも、印象的。
http://this.kiji.is/124649168083369991
なるべくして、なったって思ったわ。
で、2chやら見てると、
「やっぱり西成www」って西成がバカにされとるから、わいが知ってること、一言、三言ぐらいいうとくで。
ちなみにわいは26沿いのマンションに住んどるが、西成ではない。
これは酔客が正義ンゴ。少なくともワイは酔客の味方や。
毎月1回~2回、26沿いを爆音×100で通り過ぎるけど、それはめちゃくちゃうるさいんや。
うるさいというか、うるさいを超えとる。
あまりにうるさいから、わい、プロのカメラマン気取りで、一眼レフ片手に26沿いを撮影したいと思ったぐらいや。
50人ぐらいは確実におる。
で、昨夜に限ってはバイクの数が多すぎて、爆音×1000ぐらいで、それはもうひどいもんよ。
爆音というか轟音やな。轟音。地響きやで。音が終わらへん。
わい、この轟音で目覚めて、しかもそれがずっと鳴り響くから、怖なったん初めてやで。
わい大阪に来て5年目で、昨夜ばかりは「治安もへったくれもない」って初めて思った。
阪神大震災、経験した人いるやろ。あまりの恐怖に「はよ地震終わってや」っていう祈りに似た気持ち。
それ知ってるやろ?
それと似とる。
というか、平気で破るやで。
酔客がきれてもしゃーないし、むしろきれて、ゴミ箱やら自転車を投げて、
暴走族の一部を止まらせたんは正直度胸あるし、めちゃくちゃ偉いンゴ。
わい、その酔客に感謝しとる。
100人の暴走族がバイクを走らせて、それに対して自転車投げられるか、ふつー?
喧嘩できるか?
無理や。
酔客が自転車やらゴミ箱やら投げ飛ばして、暴走族と喧嘩せーへんかったら、
毎月ひどいけど、ほんま昨夜の暴走族の轟音はひどすぎた。
わい、時々、大阪府警の世話になっとるから、大阪府警に感謝しとる。
けど、はっきりいうて、大阪府警はこの暴走族になめられまくってるわ。
ほんまケツ犯されてるやで、大阪府警。
わい、これをきっかけに、この連中の身元がばれて、こいつらの活動が少しましになることを期待しとる。
わい、その酔客にお礼いうやで。
おおきに。
出張から帰ってきたらカメラ談義で手斧飛び交いまくってたことを知ってとても悔しい気分だよ!
被写体への愛とか、アマチュアは一眼レフ捨てろとか、手っ取り早く撮影できるコツを教えろとか、ひとまずみんな正しいよね。
だけど、写真を撮る上で本当に本当に根幹にある部分について誰もまだ言及してないことがあるよ。
それはね、写真に映る世界は撮り手が見てる世界でしかないってことだよ。
だって、カメラは透明人間ではないから、その空間には必ず撮り手がいるはずなんだ。
だから、写真には必ず撮影者と被写体の関係性が映るはずなんだよね。
その関係性っていうのが、人が写真を通してみたいものの一つでもあるんだ。
例えば被写体とのダイレクトな関係性を写す写真かといえば梅佳代ちゃんだよね。
そもそも逆立ちできないし、でももしかしたらそんな惨めな姿を眼の前にしている人との意外な関係性が写せるかもしれないね!
被写体との関係性を高い次元で成功させているのはアンリ・カルティエ・ブレッソンだよね。
彼は決定的瞬間を発明した人間として有名だけど、それよりもすごいのは膨大な数のストリートスナップだと僕は思っているよ。
どうしてそんな瞬間に居合わせたんだろうっていう写真もあれば、写ってる人に見つかったら大変なことになりそうなドキドキを感じる写真もあるよね。
被写体に愛があることは大事だけど、被写体に愛がないというのも関係性なんだ。
商用であることを前提にしないなら、そんなことを気にする必要なんてないんだ。
それよりも何よりも愚かなことは、自らの関係性に目を背けて他人の関係性を真似しようとしかしないことだ。
当然関係性というのは人に対してだけじゃなくてものに対しても生まれるよ。
被写体に対してどういう想いがあったかによって見え方だって変わってくるし、感じたままを写そうとすれば撮り方だって変わってくるよね。
そんな他人でも作れる写真をいくら量産したって、自分にとって何の意味も持たない。
これだけは断言してもいいよ。
次に機材の話。
だって、自分の目から見える世界とカメラに写る写真とは同じはずがないからね。
だから、自分の見た世界にどれだけ近づけることができるかを考えて、機材を選ぶんだ。
高ければいい写真が撮れるなら、みんな高い機材使うよね。
違うよね。
君が機材との相性が合わなかったり合ったりを感じるのは、君が見てる世界との違和感を感じているからだよ。
だからアマチュアだって一眼レフを使ってもいいし、使わなくてもいい。
どちらでもいいけど、自分が追い求めるべきは、自分の見てる世界の表現だと割りきったほうが、余計な機材を買わなくて済むよね。
それはね、自分と自分以外の関係性に恐れず一歩踏み込むことだよ。
もしそれが自分と周囲との関係性を表現してたなら、それをつまらないと言われたら腹が立つのは当然のことだよ。
僕だって、人の中に交わるより遠くから冷静に眺めてる事のほうが好きだ。
もしその奥さんが自分と周囲との関係性を汲みとって写真に撮ってと言ってたとしたなら、そしたら話は早いよね。
僕は奥さんのことを知らないからなんとも言えないけど、例えば僕が奥さんと一緒にいる時は、奥さんと子供が楽しそうにしている雰囲気を奥さん目線で撮ったり子供目線で撮ったりするよ。
この人に限って言えば、デジカメじゃなくてチェキを使って撮ったら面白いかなって思った。
暗い部屋の中ならフラッシュが届く距離も限られてくるし、すぐに写真を渡せるから相手のリアクションを楽しみながらコツをつかめるんじゃないかな?
最後に、もし写真を楽しみたいならハイスペックな防犯カメラになるのだけは止めよう。
その風景はあなたがいて初めて出来上がった風景なんだから、それをしっかり写真に収めていこうよ!
そうしたら、きっとカメラの役割が記録から記憶に変わっていくと思うんだ!
みんな偉そうなことを言ってる割には、こんな基本的なことも忘れてんじゃない?
人生観が変わる出来事が、平凡な私の人生に起こるとは思っていませんでした。海外旅行に行くとか、サイクリング始めるとか、一眼レフやるとかそんな外出必須のアクティブ趣味もなく、友達もいない。
だけど、出産、育児が始まった途端、生活が一変しました。朝起きて寝るまで、毎日子供中心の生活。何を食べさせよう。どこで遊ぼう。何をしたら喜んでくれるかな。しつけってどうしたらいいんだろう。
人生観を変える。生活そのものを変える。見えてくるものが変わる。価値観が変わる。
子育ては大変。だけど、この子のために私は生きているんだと、一生ものの生きがいをくれます。
産めよ。育てよ。と簡単には言えないことは分かります。しかし「人生観を変えたい」という視点だけを見るならば、出産、育児は人生観が必ず変わる方法です。