私は配達のバイトをしているのだが、先日お前の配達は遅いと注意を受けた。
それ自体には何も文句はない。実際私は遅い方だという自覚はある。
だが、かといってサボッてるわけでもなければ無駄に遠回りをしているわけでもないが、早くしたくないわけでもないのでどのようにすれば早くなるか聞いてみると「そんなものはお前が自分で考えるんだ」と言われ、そのまま気がつけば軽く口論になっていた。
そんな様子を見かねたのか、別の先輩が割って入ってきた。
「お前は黙ってはい、わかりました」と言えばいいんだよ!!
と
私としてはそんなものは何も事態の解決にはならないので分けが分からなかったが、さすがにここで反論しては火に油を注ぐ行為だということぐらいは理解していたので、言われた通りにマリパのミニゲームのノリで話に合わせて「はい」というだけのリズムゲームをしてみた。
するとどうだろう。その先輩は勝手に持論を展開し、勝手に納得し、勝手に気分よくなり、説教は終わった。
私は何も考えずテンポよく、「はい」と言っていただけである。一言も頭に言葉は届いていない。
今まで幾度となく様々な場所で似たようなことで衝突したことがあったが、結局の所、本当の意味で何の意味もないのであった。
彼らは、より良くするという目的ではなく、自分が説教をしたという事実が欲しいだけなのである。
良くなる様に自分は注意・説教をした。その時点で満足してしまっているのである。改善されなければ何の意味もないというのに。
だが、確かに偉大なことは一つ教わった。本当に「はい、わかりました」と言っているだけで奴らは勝手に納得するのである。事態の改善案を提示する必要もなければ、改善のために努力する必要もなかったのだ。
勿論、これを読んでお前は子供だ、とか社会で通用しないという思う人はいるだろう。
だが、そもそも私はバイト先に仕事をしに行っているつもりはない。
別に私は配達業を目指しているわけでもなければ、クビになった所ですぐに生活に困るわけでもない。
それに志高く頑張ろうが、私のように未熟なまま他人に迷惑をかけようが、時給はほぼ変わらない。せいぜい50円程度の差だ。その上9割9分バイトで回しているような店だ、社員登用もまずなければ、所詮店長から見れば私もその意識高いバイトの先輩方も究極的には同じ使い捨ての安い労働力程度にしか見られていないだろう。
彼らにとって私たちは使い捨てのカメラと大差はない。ならば、私も使い捨てのカメラ以上の仕事をする気はない。
先輩方のように頑張って一眼レフ?等の高いカメラのような性能を発揮した所で所詮フィルムが無くなり使えなくなったら捨てられる。
そんなことはない。という経営者の方もいるかもしれない。実際そうでない現場もいくらでもあるのだろう。
だが、リストラやブラック企業などをまざまざと見せられて育ってきた私には何も響かない。ネットに潜る必要すらなく、世の中には人情で会社に救われたホワイト企業話よりも頑張って結果を出したにも関わらず会社に裏切られたブラック企業話が溢れている。
そもそも私の親の時点で、パートにもっと働けといいながらこれ以上時給を上げればすぐに会社が潰れてしまうとのたまっているのだ。
以前は能力はないがクビにしづらい人間に対してどうでもいい仕事を押し付けられる人達に対して窓際族という言葉があったらしい。
良いじゃないか、窓際族。そう思ってしまうほどには社会に対する信用など露ほどもなくなっているのだ。