はてなキーワード: 終末の過ごし方とは
虎柄ビキニ鬼、パッツンセーラー服、白衣保健女医、フリフリ女子……などなど。
ただ、高橋留美子の絵が「萌え絵」かというと、わりと微妙なエリアになる。
とちらかというと絵柄は水木しげるのとなりにある気もする。
そこに描かれた絵は確かに「萌え」の記号なのだが、絵柄として「萌え」かというと微妙である。
朝起きたら、「高橋留美子みたいな絵柄になっていたらいいな」とアニメオタクが思うかというと
微妙だ。
当時のオタク(アニメ)は「好きな絵柄」という自意識が強くあって
特に「A先生とB先生を合わせて2で割ったような絵柄になりたい」みたいなのが良くあった。
それは、これまでにない新しい絵柄というものが、ティーンエイジャーの心をむんずと掴んだのだ。
その意味でいうと高橋留美子の絵は、ティーンエイジャーにとっては新しいものではなかった。
ただ、うる星やつらで見つかった、オタク好みの絵の流れというのもある。
森山ゆうじのプロジェクトA子とか土器手司のダーティーペアとかへ繋がるあのへんのアニメ絵の流れ。
描く人が憧れる要素がある。
かつて少年漫画の絵はGペンの太い線。一方少女漫画は丸ペンの細い線だった。
そういう守るべきルールがあると子供は思っていた時代があった。
この細い丸ペンによる線。
「丸ペンは繊細な人間にしか描けない!」と、実際に紙にペンで描いてみようとした男子は思うものだった。
壊れやすい砂糖菓子のような絵。アニメのセル画塗りに対し、淡い水彩が似合う。
「終末の過ごし方」とか多少それっぽい。
この2つのDNAが、混ざり合って、オタクが憧れる絵柄は色々変わっていく。
デッサンはポンコツだが、雰囲気やカラー処理などこだわる部分が魅力的な絵が多く出てきた気がする。
雫とか。
そういう時代を経て、経て、経て、今はとにかくみんな上手い。
断絶の壁がある気がする。
PCでフォトショからSAIの塗りを経て、経て、経て、2018年だしな。
を聞くといつも「終末の過ごし方」だの「同級生」だの「sense off」だの
もっとぐっちゃぐちゃにエロくて下品で増田達の精子を奪いつくしたそんな抜きゲーのオススメを聞きたいんだ俺は
教えてくださいお願いします
朝起きたら思った以上に教えてもらっていたので追記
民間正義会社2→この手のゲーム性が強めのエロゲーやったことなかったのでやってみます!
3Dカスタム少女orCOM3D2→パソコンの容量と相談しながら入れていきます!
へんし~ん!!!~パンツになってクンクンペロペロ~→あたまが悪いエロゲーは傑作の法則
1~イチ~→タイトルで検索がアレで微妙にまだ辿りつけてないのでちゃんと調べます
あゆみちゃん物語→それたしかめちゃめちゃ古いやつでは?X68なんちゃらの
痕→Leaf…!
aukusoe アボカドパワーズの話しをしても最近アニメ化したやつの話をしてもどちらも言葉尻のオタクワードを広げるいつものブコメになるからむつかちいなあ。はーあ、何にもできねえな俺。
アボカドパワーズの話し
「週末の過ごし方」
DL版も発売されている
社長はお亡くなりになった
→「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」から。
2017年4月放送開始なのでほぼ一年前を最近と判断できるかは微妙だが、
三十路の体感時間だとまあ普通にあるかなという実体験からそのように予想する
最近のアニメで終末といえば少女終末旅行がまっさきに浮かぶかもしれないので
正直微妙なところではあるが、元増田からいってこちらのほうが適切・・・だと思う
一応「終末」が入るアニメは上記に加えて終末のイゼッタもあるがこちらはアニメ放送時期が2016年10月なので該当しない
キーワード的にいえばウテナも入るか?と余計な考えを巡らせたが、
よくよく考えると終末少女幻想アリスマチックというエロゲと混同していたので関係なかった
■その1。
前回の原稿で、オタク業界に蔓延している過剰なヒーリング志向について軽く触れたのだが、今回はそのあたりを少し突っ込んでみたい。というのも、「癒し」という言葉が、やたらと濫用され、単にナルシズムを肯定する為の方便に陥っているような気がするからだ。
さて、過剰なヒーリング志向の本質は、常に表層的な感動状態を維持したいという意志で、まあ、完璧に「感動ジャンキー」に陥っているのだけど、実の所、表層的に感動させるのは案外、簡単だったりもする。「心の琴線」というスイッチを押してやれば良いのだから。そして、感動のスイッチを押してくれるのを待ち望む人々の需要に合わせ、感傷的な設定のおたく向けメディアも大量に供給される時代になったけど、その水準には千差万別あるのも確か。
で、今回取り上げるゲームは『終末の過ごし方』なのだけど、このゲーム、インタラクティブ性はほとんどない。あくまで、CGと分岐を加えたデジタル小説というスタンスである。その為、うっかりいつものくせで速読法を使ったら、一時間もかからずにクリアしてしまった。
プレイヤーの視点は主人公ではなく、あくまで読者という第三者で設定されていて、その距離感が淡々としたイメージを増幅している。でも、美少女ゲームのはずなのに、感傷的な気持ちだけが残るというのは、どこか肩透かしな印象も受けるし、ゲームとしては、正直言ってあまり評価できないけど、心の中にひっかかりを残すという点では、上手い作品だと思う。……そして、淡々としたイメージを大事にしたことが、良くも悪くも物語を支配している。
まず、終末が近いのに、あくまで日常の延長を望むという意志を描くには、やがて来る非日常との対比が必要なのだけども、非日常の予兆が感じられるのは、章ごとのプロローグ的なラジオと、登場人物の断片的な台詞だけだったりする。主人公達以外の行動を具体的に描いてしまうと、せっかくの世界観が崩れてしまうという危険はあるけど、それにしても、慎重過ぎた気はする。また「終末」が、実際は「週末」としての意味しか持たず、学校という閉鎖空間への追憶に留まってしまったことに、少々歯がゆさもある。
『終末の過ごし方』は、感傷的な演出や舞台を、意図的に仕掛けることで成功した作品だ。それは、需要に対して忠実な姿勢だと言えるし、作品の水準も高いんだけど……。
■その2。
確かに、筆者は昔、虚構としての学校を描き、虚構の追憶を描いた『雫』を支持した。感傷的ではあっても『雫』には、自分の中の闇や暴力性を見つめる視点があったし、自分が何者であり、何処から来たのか、その理由を解体し、文脈化しようとする意志があったように思う。
最近、ユーザーの嗜好が視野狭窄的になっているというか、感傷的な設定のみに過敏に反応して持ち上げ、他の要素に対しては全く盲目になるという妙な風潮が、急スピードでユーザーとメーカーの感覚を支配しつつあるような気がする。この風潮に乗った作品がヒットを飛ばしているのは、他のメディアでも顕著に見られる傾向ではあるが、美少女ゲーム業界では、更に明確な形で現れている。その責任が誰にあるかは、また改めて書くつもりだが……。
……しかし、それほどまでに「癒し」が必要なのか? 過剰な「癒し」を消費する世界は何なのだ? という疑問は、心に残ったままだ。
話がずれるけども……残念ながら、世界は方向性を失っている。向上心を生むべき壮大な目的は、社会のどこにも存在しないし、怠惰で澱んだ空気が世界を支配している。先日、「児童売春禁止法改正」という事件があって……まあ、それ自体は強行した側も反対した側も、本質とかけ離れたつまらない思惑で動いているのが見え見えで、滑稽な印象しか抱けなかったのだけど、そんな澱んだ世界だからこそ、そもそも少女ポルノが問題となった訳だ。
だいたい、少女ポルノに需要が無ければそもそもそんな話にはならないし、何で需要があるかといえば、少女の瑞々しい生命力を媒介として、一瞬でも澱んだ空気から解き放たれたい=癒されたいという潜在的意識があるからだろう。もっとも、それも安易な幻想ではあるんだけど。
だから、癒されたいという本質が研ぎ澄まされた結果として、ポルノメディアがエロから乖離していくという現象も起きる。元々、肉体性の希薄な二次元メディアである美少女ゲームでは、更に現象が極端になっていくのは当然なのかもしれない。
僕らが置かれている世界は、全体としての方向性を失った為に、社会と向き合う意志を持たなくても十分に生きて行けるし、自分の立脚点を相対化する必要に迫られることも無い……むしろ、それを持っている者、自覚的である者が排除されていくというパラドックスも生じている。
各々が「癒されたい」「楽になりたい」という快楽原則に忠実であるあまりに、自覚的な存在は、快楽原則を脅かす存在として、集団の中から自動的に排除されてしまう。そうやって完成された巨大な快楽原則=システムには、既に評価軸なんてものは存在しないし、結果として、罪の意識を漂白した、商品としての表層的な刺激だけが残ってしまった。
……だからこそ、優雅でも感傷的でもない、痛みを伴う物語が必要になっていると思うのだけど?
■総括。
本当は、それぞれのユーザーが、ゲーム(物語)に対して、どのような意志を感じるかが問題で、このコラムも、あくまで参考資料だと思って欲しいなあ……という訳で、なんだか賛否両論な『こみっくパーティ』だけど、次回、テストプレイが間に合えば取り上げてみようかなあ、と思います。
あと、批判するつもりは無いのだけど、なーんか、批判的な言い回しが多くなってしまう……というジレンマを抱えながらも、同時に、論評に耐えられるだけの水準が無い、つまらないゲームは最初から取り上げないのが、このコラムだったりもするので、ここは一つ、実際にプレイして、自分なりの感想を持って欲しいのだな。