はてなキーワード: 自己分析とは
文字にすれば、このつかみ所のないもやもやとした暗い気持ちにも整理がつくかもしれないとの期待を込めて、心の暗部を覗いてみる。
照れていたのではない。悲しいような、つらいような、屈辱的なような、とにかく、これは嫌な感情だ。
小学校で、たびたび音読の宿題が出た。教科書の指定された箇所を、親の前で声に出して読み、その感想と日付を、専用の表に親に書いてもらって、先生に提出する。当時、そういう機会では空気を読まずにはしゃぐタイプの子供だった私は、必要以上に大袈裟に演劇的に抑揚をつけて、大きな声でハキハキと音読していたと思う。
父は、私が音読をすると、とてもよく褒めてくれた。
「天才だ。」
「すごいね~。」
「上手だなあ。」
それが本当に不快で。
なんだかひどく屈辱的な気持ちになった。だから私は音読の相手は母に頼んでいた。でも、父は仕事が終わるのが早く(夕飯はいつも家族皆で食べていた)、母が家事で手があかないと「お父さんに頼んで」ということもあったし、そういう時は本当に嫌だった。自分のプライドが許す限り、つまらなそうに、つまらない気持ちで読んだ気がする。
あまり覚えていない。
でも父親が笑顔でベタ褒めするのも、読めない達筆というよりは汚い字で何か一言コメントを残すのも、嫌な気持ちが湧き上がるものだった。
父は、自他共に認める親バカで、私のことをことあれば「天才だ、頭がいい」「かわいい、美人だ」と褒めていた。
「美人だね~と言って育てると、美人に育つらしい」と言っていたから、意図的に積極的に言っていたのもあると思う。
5歳の時に、親や祖父母が、この子東大に行けるんじゃないのウフフみたいな話をしていて、私は「東大ってすごいところ? じゃあ行く~!」と発言をした。この発言は高校生になるくらいまで繰り返しひっぱられ、その度に父は頬を緩ませた。あいにく東大はさすがににムリだったけど。顔面の方も、まあ仲いい人には褒められることはある。くらいに人並みで、劇的なモテエピソードなんかは特に無い。
父はとても頭のいい大学の頭のいい学科を卒業し、頭のいい人しか取れないような資格をとって、それでたくさん稼いでいる。ブランド志向というか、学校の名前をすごく気にしていて、私の受験のときも、あそこは旧帝国大学だ、筑波大は横国に比べて昔なんとかかんとかだったから格上だ、とか、そういうところをニコニコと語っていた。
父は私のことを間違いなく愛していたと思うが、小学校低学年くらいまでのころは、子供の子供な所に我慢ができず、時々キレて怒鳴ることがあった。
私はすぐにものを散らかしっぱなし、部屋を汚いままにしてしまう子供で(今もだけど)、「片付けなさい」といって片付けを始めても、他のことに気を取られてしまい、気がついたら片付けがちっとも進んでいない。ということが、たびたびあった。片付け以外にも、何か、やりなさいと言われて、「あとでやる~」と返事をしたきり、いつまでたってもやらない、ということはよくあった。そういう子供だった。今なら気持ちもわかるけど、子供の将来を思ってしつけが~とか、それ以前のところで、父はイライラしてキレた。(その気持も今はわかるんだけど)。
「なんでお前は言われたことができないんだ。」
「俺は命令しているんだ。俺がやれといったらただそれだけをやればいいんだ。」
「ただ1こやってほしいってお願いしているだけなのに、何でお前はソレ以外のことだけをやるんだ。」
「何回言わせるんだ。」
「お前は俺がやれといったことだけをやればいいのに、なんでそれだけのことができないんだ。」
「何度も何度も何度も。これだけ言っているのになんでわからないんだ」
なんていうか、たまに裏声混じりにでもなりかけた、抑揚のある言い方で、時には囁き時には大声になる、メリハリのある語り口で、父は私をよく、叱りつけた。
思えば反抗期は無かった。というより、させてもらえなかった、いや、できなかった。
父に少しでも叱られる…言及される可能性があることを避けていたから、いわゆる反抗期の時期は、自室でばれないようにばれないように泣くことが増えた。それだけだった。
家族で服を買いに行くことができなかったし、今でも親におねだりということができない。ちらりとでも、例えば「違うのにしたら?」みたいなことを言われると、なぜだかわからないけれど辛くて、泣いてしまう。
12月になって就活が解禁になって、自己分析とかそういうこと、その度に私は自分の卑屈さに苦しめられる。
頭ではおかしいとわかっているし、友人に溢す度に否定してもらっていることなのだけれど、自分の存在が企業にとって足手まといになるとしか思えなくて、つらい。失敗をして迷惑をかける未来しか思い浮かばないし、なにか自分の決断が、ささやかながらこの社会に影響をおよぼすのかと思うと怖くて不安で、何よりも申し訳なく後ろめたくて仕方がない。
この気持ちはもちろん、就活がストレスになっていたり、ゆとりつくした学生から社会人へとなる上での甘ったれた逃げや、通過儀礼的なものも多分に含んでいるのだろうけれど。
あなたが重視する価値観は? という分析では、「他者への影響」がゼロで「組織への忠誠」がマックス、「先人や上司への尊敬」が次いで高かった。ちょっと気持ちの悪い結果だ。笑ってしまった。
この卑屈さをたどったら、父に怒鳴られ萎縮してただただ泣いた15年前を思い出した。そうか、小さいころあんなふうに怒鳴られたら、そりゃあ卑屈にもなるなって。
少し違えば反骨精神あふれる人間になったかもしれないけれど。なるほど、あの過去が今にこうつながるのね。納得。
なにがあんなに嫌なんだろう。
私は父の笑顔のなにがショックだったんだろう。
育児論でよくNGとされる、「努力ではなく才能を褒める」ことをしたから?
じゃあ父は、どういう態度を取れば私は喜んだんだろうか?
就職活動においてスマホがあれば便利だが、絶対に必要な道具というわけではない。
強迫観念のようなものを持っている人がほんとうにいるので、こういうことを整理してみる。
スマートフォンの普及を考えると意味のない助言かもしれない。就職活動は複雑で個人的な体験なので抽象的な内容になってしまうし。
身もふたもない結論として、「スマホ必須ですか?」と不安に思う人はスマホにすればいいんじゃないでしょうか。
新卒採用は人生で1度きりの機会だから出来ることは何でもやるべき。間違いない。
便利だからスマホを買いなさい。と言われるのも道具で差がつくのはバカらしいからなのだろう。
けれども例えば、スマホがなくてもパソコンと携帯電話が使えれば問題ないこともある。
調べものは自宅のパソコンを使えばいい。大学のパソコンを借りに行くのは時間の無駄が大きいように思うけれど…
折りたたみフィーチャーフォンでもある程度のブラウザと地図の閲覧することはできる(今のフィーチャーフォンはモバイルGoogleマップが使えないらしいが。
人気企業の説明会が予約しづらいかもしれないが、締切り前にパソコンでキャンセルが出るのを狙うことはできる。
スマホおすすめという程度。使いこなせなくても、PC向けサイトの閲覧とGoogleMapが使えれば十分。
彼女に嫌われてから、もう何ヶ月も苦しくて毎晩のように布団の中へ泣き叫んでしまう。
彼女はぼくに対して惜しげなく好意を与えてくれた。一人の人に好かれるということを知った。ぼくも同じように好意を見せたつもりである。そのひとひらひとひらを思い起こしては切なくなる。
舞台は大学の工学系学科。その学科では、彼女とぼくは多分優秀と呼ばれる方に属している。ふとしたきっかけで仲良くなって、ごく当たり前のように惹かれ合った。そして遠ざけられてしまった。
どうしてそんな風になってしまったのか、色々なことを考える。
例えば、少し前まで所属していたサークルのことを思い出す。そのサークルは特に嫌という訳では無かったし、学祭まではそこそこ通って活動していたのだけど、学祭を過ぎるとパタリとやる気が無くなってしまった。結果的に新入生扱いされる期間中タダ飯食らいをしに行っていたことになるのだが、それが本質的な理由というわけではなくて(数万円くらい置きに行っても構わないのだがそれはそれで気味悪かろう)、そのサークルで消費する対象となるものによって成立するコミュニティ、そういうものに浸りきれなかったのだと思う。あるいは自分のコミュ力不足で単に人と馴染めなかったのかもしれない。確かにおごってもらえなくなるのがきっかけにあったのもかもしれない。今となっては良く分からないが、とにかく何かコミットしようとする気は消え失せてしまった。刹那の恋愛感情はそんな風にして失われるのかもしれない。
あるいは、ちょっと学問分野において優秀であることを格下の人に対して暗にアピールし、それによる承認感を糧としている人たち。そういう風に見える人は何となく警戒しているが、ともすると自分がそうなってしまっていて、彼女に悪い印象を与えているのではないだろうか、そんなことを考える。
はたまた、あそこでもっと自分の気持ちを率直に伝えていれば良かったとか、あんな言い方をしたせいで誤解を招いただろうかとか、延々と反省を繰り返す。彼女はやや特殊な面があるが、そのことによって迷いがあったのだろうか、仮に迷いがあったとしてその迷いをもっとはっきりした形で伝えれば良かっただろうか、むしろ彼女のそういった面を都合の良い存在としていたのではないだろうか、そんなことで延々とループする。
それとも単純に、こういう言い方をするのは決して良くないと思いつつ書くが、知的障害者のように妙に馴れ馴れしくてぼくが気持ち悪いだけなのかもしれない、という風に自分を蔑んでみたりもする。多分自分はアスペか何かであるとは思っている。
正しいものもあって、間違っているものもあって、でも全部引っくるめたところで、彼女の思いに届くことは無いのだろう。人に人の思いは分からない。少なくとも、ぼくにとって、人の気持ちはあまりに理解に遠い。彼女だって徐々に入っていたヒビを表すサインを出していたはずで、それに気づけなかったことに後悔し、だけどどうしようも無かったのだと思う。
しかしその自己分析と諦念だけならまだ良い。それだけに留まらず、ぼくは今後も彼女と仲良くすべきだと考える。色々な理由をこじつけて。
純粋に学問的な部分にしたってそうだ。まともな助言をぼくに示してくれるのは彼女くらいだ。あるいは、そうでない部分にしても、ぼくのことを正確に観察した上で的確な言葉を与えてくれる。それは間違いない。もちろん、彼女はぼく以外の誰にだってそうした力添えをすることができて、ぼくが独占する権利などどこにも無い。
こちらから彼女のことを見ると、明らかに本人が望んでいる以上に苦しいことを抱え込んでいるように見えて、少しでも力添えになりたいと思う。人間は協力し合うべきだと、声高に独善を主張したくなる。
ぼくがつまらない人間のように見えるのかもしれないが、そんな十把一絡げな学生と一緒ではなくて、自分はもっと自分自身を、あるいはこの世界を、深く考えているのだと、そんなありふれた自意識によって彼女の傍にいる権利を正当化しようとする。
こうしたこじつけは数あれど、そもそもぼくは基本的に人に関心が薄い。ではなぜ彼女に対して関心を抱くのか。結局のところ、たまたま好きになったからか。性的な欲求なのか。たまたま出会った人を愛するものだということは認めるし、それなりに性欲はある。「主たる要因」をまるで分析せずに、まともそうな理由をでっちあげて彼女と親しくあることが正しいと主張しようとする。
そう、ぼくは非論理的な態度を平気で取る。「それとこれとは違う」なんてことを考えず、自分の感情のために全てを一緒くたに主張する。そんな何もかもが混ぜこぜになった主張を一々論駁しないと気がすまない性質なのに、そんなことはお構いなしだ。いくらでも偽善ぶる。想いが先にあって、言葉なんていくらでもでっち上げられる。「恋人」という関係、近代的な恋愛感情といったものが一つの制度とするならば、自分は骨の髄から制度に侵されきっているのだろう。
別の恋をするべきなのかもしれない。そこでもまた同じように相手の気持ちを大切にできなくて同じようなことになるのもかしれない。あるいは精神科にでも行くべきなのかもしれない。もっと気楽に物事を考えるべきなのかもしれない。
これらは全てある程度正しい主張に感じられる。だけど自分にとってより正しい主張というものは、「せめて彼女と親しい友人として普通に接することができるようになりたい」というその一点であると、自信を持って言おう。
自己分析してたら、タイトルの考えが頭から離れなくなってしまった。
指導教官は尊敬しているし好きだ、この人の下でもっと学びたくて修士に進んだ。
でもM1になってから急にやることが難しくなって、B4と違って講義もあるし、アタフタしてたら就活始まるし。
ただでさえてんやわんやなのに、他大学の教授との共同研究が始まって、研究室の学生のうち関係しそうな専攻テーマなのが私だけで、
気付いたらB4の頃とは全然違う方向に研究が進んでて、ついていけない。
実際には「ついていけない」なんて言えない、研究者面してたいから。
研究ガリガリやって学会にもバンバン参加してドヤ顔したいから。
ただの出たがりの見栄王。
理解してない事を隠すのは無理があって、結果、論文が書けない。
内容が陳腐だ、何も伝わってこないと言われる。
自分で望んでついて行ってる指導教官でなく、共同研究の教授に言われるからなおさら傷つく。共著者怖い。
時間のない中添削して頂いているのだから、ありがたく頂戴して泣きながら論文を修正して、またチェック沢山頂いて、徹夜で修正して。
なんとか査読通ったけど、カメラレディ提出前もフルボッコされて、今は発表スライドをフルボッコされてる。
この分野に明るくない人でも何となくわかった気になれる、そういう発表にしたかったんだけど、それじゃ共著者はお気に召さないらしい。
多分この共著者と私は、もともと人間としての反りが合わないんだろう。
「反りが合わない」と思ってるから余計こじれるのもわかってるけど、どうしたって怖い。打ち合わせの日が憂鬱。行きたくない。
きっと頭悪いと思われてるんだろうな。
共著者へのただの愚痴になってしまったけど、厳しい添削も素直に受け取れないようじゃ研究者としてやってけないと思う。
学会発表へのモチベーションが下がって、それに伴って研究へのモチベーションも下がって。
こんなことでモチベ下げるぐらいだから、きっとそこまで研究好きな人間ではなかったんだ、私は。
そう考えたら就活も不安になってきた。今の希望職種って本当に私に合ってるのか?思い込んでるだけじゃないのか?
もうなんか色々めんどくさい。やりたくないのにやらなきゃいけない事ばかりだ。
それでもタスクをこなすのが社会人なんだろう。投げ出してしまったら私は研究者にも社会人にもなれない気がする。
だから早くスライド修正しなきゃいけないんだけど、「しなきゃいけない」と思うと息が詰まる。
研究からしばらく離れて、就活に専念したほうが精神的にもいいんだろうけど、何故か次の学会の予定も入れてしまった。
みんなにも昔、好きな子がいたと思うけど、昔の好きだった子って今でも好き?
僕は今思うと、
昔の「好き」ってごく単純なもので、「かわいい=好き」「カッコイイ=好き」だった。
矛盾してるように聞こえるかもしれないけれど、
もしその子がカワイイ顔をしてなかったら、僕はその子のことを「好き」だとは思わなかったと思う。
「顔」が好きだから好きだったわけで、その子”本人”が好きだったわけではなかった。
それでも今も、昔好きだった子はやっぱり今でも意識してしまう。。。
まだ錯覚してんのかな。
今思うと19歳に成長した僕は、
「好き」の形が単純なものから、どんどん”複雑化”してるんだと思う。
だって、今の僕は「顔」だけでその人を好きになるようなことはないし、
今の僕の「見てるところ」は、顔だけじゃない。
その人の目や口、表情や体格、言葉や話し方、雰囲気や人格、、、
見れるようになったものは全部見てる。
最近になって、
自分の好き嫌いを紙に書き出したりして「自己分析」を続けていったことが良かったのか、
自分の好き嫌いや欲望や感情などを含め、少し自分のことが分かってきたのかな、と思う。
自分の「好き」の正体を知らないと、自分の「本当の好き」に気づくことができず、
顔は好きだけど、その人自身は好きじゃない。でも「好き」っていう気持ちはあるから好きだと錯覚しそうだから。
僕が思う「本当の好き」ってたぶん、
ブサイクだけど好き。
口が悪いけど好き。
お金を持ってないけど好き。
何も持ってないけど好き。。。
そんな感じで、「○○だけど好き」の○○に入るところは、
好きになる人にとってはどーでもいいことで、そんなところを本人は見てないんだと思う。
結局、人を好きになる仕組みってのは、
好きな相手を見てる自分の目(フィルター)に依存するものなんだと思う。
「自分が相手のどこを見てるか?」にかかってるんだと思う。
そういうわけで、僕は今でも顔が可愛い人は好きだけど、
でもでも、かなり前に精神科には行ったんですが、言おうと思ったことの一割も言えずやっぱり大丈夫ですと帰ってきてしまいました。だって健康管理室よりハードルが高いから。
と、こんな風にちゃかして、いらつかせて、さっきまで言ったこと全部ウソウソ。という雰囲気に自分が勝手にもっていってしまうので悩んでます。話してる最を中に本当のこと言っていいのかウソをついたほうがいいのかという葛藤があったままウソを話してしまう。けがをしたり病気になったりしたとき、本当のことを言えない。言うともっと悪いことが起きると思う。(それか!いま自己分析してる場合かよ。まぁいいか)自分が勝手にウソをつく。そうか、まぁ、でもでもだってか。すみません。でもでもだってです
自分には5歳の息子がいる。
1歳半から3歳半まで、元々精神は病んでいたのだが、あまりに調子を崩して実家に帰っていたので、
義母と夫が育てていた。
子供の人生の半分弱は物理的に触れ合ってないし、電話もしない、文字通り音信不通の状態。
そして、産んでから一度お別れする時まで、正直可愛いと思ったことがなかった。
母親だからという義務感と、子供はお母さんが必要だから、という周囲の言葉で仕方なくやって
いたようなもんだった。
で、メンタル面も2週に1度の通院程度で落ち着いて帰ってきたのが1年半前。
子供は割とおとなしい、人見知りは激しいけど、いつもニコニコしている子になっていた。
「ちゃんと育ったんだなぁ」
と、夫と義母に感謝してもし足りないくらい、良い具合に育っていた。
それでも、愛情って意味では??で、くっついてくれば非常にうざったいし、疲れてる時に遊んでと
言われれば即NG出すし、子供より自分のしたいことを優先して、更に余裕がある時(殆ど無いのだが)
にしか上手く接することができなかった。
「子供への愛情」「母性本能」って本当にあるんですか?普通の人にはあって私にはないんだから
私自身の感情が欠損してるんじゃないか?と、凄く不安、けど行動原理は変えられぬ、そんな日が続いていた。
で、ある日。
いきなり可愛く見えるようになった。
なんじゃそら、である。驚天動地である。自分でも何が起こったのか解らなくて大混乱。
「あ、あ、あれ?」
崖から転がり落ちるような勢いで、何かにつけて可愛い、多少疲れててもじゃけんにできない、
つまるところ、私は5年間かけてようやく「母性」というものが発芽して、にょきにょき育っている
どうも私の「母性」というのは元からあったものではなく、たとえば「欲しいものがある」や「創作したい」
「夫を愛している」など、削っても損害が少ない既存の感情や欲求を削って、その分を子供への
「何かをしてやりたい」や「ずっと笑っていて欲しい」「どうやって育てていきたい?」に変換しているようだ。
悪いことじゃない、むしろいいことだと分かっているけれど不安はある。
こういう「母性」が合ってるか間違えてるかは解らないとか。
けど、自分の子供への愛情はこのような成り立ちでしか作ることができないだろう、という自覚もある。
「人間なんてそんなもんだよ?」
とサラリと返されました。
そんなものでよかったんだな。
地方在住の俺(30代半ば)の場合、ハローワークにいる臨床心理士(無料)はまあまあ役に立った。
それと前後してサポステの活動に参加、淡い恋とか経験(笑)しつつ、
スタッフからの(ときどき微妙に的外れな)アドバイスや講義を我慢して受けた。
履歴書や職務経歴書の書き方はハロワにおいてある無料のパンフを熟読。
(それ以前にも出版されてるハウツー本はそれなりに読んでたけど。)
で、ハロワ経由で、低賃金だけど期間の定めのない雇用契約で就職。
長い失業期間で自分の人生が壊れてしまった気がしていて、つらさを感じ始めたから、
「もし僕が自殺すれば、両親は一生悔やむだろうし、
弟は僕の死を引きずりながら生きていくんだろうな」
って書いてあるけど、俺はこれを読んで
「それってある意味うぬぼれ(思いあがり)なのでは?」って思った。
うまく言えないけど。
依存するのは仕方ないことと割り切って、
その先は・・・知らない。考えてない。
あー、あとネットのどこかにも書いてあったけど、
俺は応募した職種じゃないことやらされてるけど、
今はこっちの方がいいなと思ってます。
ひとつの事例として。
日々の暮らしに困ることのない所得を得ているが、最近は仕事が手につかない。
やらなくてはならないことが山積みだけど、仕事に対して向き合うことが出来ない。
なぜなのだろう?と思い、自己分析をしてみた結果、バーンアウト症候群に近い症状であることに気づいた。
俺は3年前に起業をした。
起業をした理由は社会貢献をしたいとか、新しいものを創造するといった推敲なものではなく、単に前職に嫌気が差したこと、チャンスさえあれば俺はもっと出来ると勘違いをしたということだ。
友人を交えて起業をしたが、起業というものは生易しいものではなかった。
サラリーマン時代に貯めた貯蓄は給与やら事業資金やらですぐに底をついた。
その後なんとか事業を軌道に乗せ、利益が出るまでに成長させることは出来た。
しかし、仕事のキツさと、金儲け主義の俺の考えに愛想を尽かし、友人は去った。
友人が去ってから俺は従業員のためにと働いてきたが、今では「一体自分は何のために働いてきたのかわからない」という状態になってしまった。
金儲け主義に走ってしまったがために「何が何でも売上を上げる」という短絡的な考えに至ってしまったからなのだと思う。
俺は何のために働いているのだろうか?
ひとりぼっちの会社経営。この先に待ち受けているものはなんなんだろう。
今の俺にはわからない。
楽しかったなぁ。
二人で会社を作って、がむしゃらに働いていたあの頃は。
貧しい片親に育てられヤンキーになって高校を中退、その後大検取って受験した奴も、
高2の冬、罵倒に耐えかねて野球部の監督どついて退部した奴も、
ハイピッチな声でマニアックなことを語るダンロップしか履いてこないあのコミュ障気味の奴も
全部俺の知り合いだが、学力試験があったから、東大に受かった。
こういう奴らは人物重視の面接が採用されたら、東大に入れない。
もし、こんな奴らが面接に来たら
「なぜ部活を2年の冬に退部しているのですか、その後は何をやっていたのですか」
「恋人はいま・・せんよね(笑) 友達から何て言われることが多いですか、えっ、あまり友達がいないのですか(笑)」
あの「賢くて爽やか」で「洗練された雰囲気」を持っていて、かつ東大教授と会話するのに慣れているような文化資本を備えた奴らが増える。
文化的にレベルの高い会話が溢れる環境に囲まれて育ってきた奴が勝つに決まっている。
留学、ボランティア、NPO活動などを高校生のときにやれる余裕を持った奴らが増える。
大学時代も就活を見据えて、有意義な活動をする学生が増えるだろう。
自己分析によって自らの軸を発見し、人を巻き込んでリーダーシップを取った活動を、みんなが目指すだろう。
渋谷の街で浮いてる服装をしているダサい東大生もいなくなるかもしれない。
就活が始まってから「自己PRに使えるような、かつ面接官が突っ込みようもない、意識の高い活動をしてきていない…」と
悩むような大学生は存在しなくなっていくだろう。自分の有能性をどうアピールできるかを常に意識して行動できる学生が増えるだろう。
いいことじゃないか。
http://anond.hatelabo.jp/20131001115840
http://anond.hatelabo.jp/20131001120310
似たような話題(?)が並んでいたので書き換えできるか試してみた
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プロジェクト設立前からのアイディア出しに参加し、プロジェクト開始初日から開発を続けたものの
コーディング専門期間が終わり、1ヶ月分のマネージメントをしたがあまり仕事するモチベーションのない、実質引退状態の社員になってしまった。
簡単に言うと、今後マネージメントを続けるほどの継続的な面白さを見出だせなくなっているということなのだが、もうちょっと詳しく自己分析も含めて書いてみようと思う。
スマフォゲーム開発は序盤から複数人との会議が必須の定期レビューと、同じく複数人必須の社長とのバトルコンテンツがある。
どのくらいの比率かというと、ソフトウェア要求分析までの開発で約10日間程度、そこから開発をすすめるには、定期レビューを3つクリアしないといけない。その後1、2週間程度の開発で社長とのバトルコンテンツがある。これで全員会議は数えて4つ。
それが終わると、その後10日程度開発をした後に定期レビューのクリアを命ぜられる。その後同様に10日程度するとまたしても定期レビューのクリアを命ぜられる。
なにかと全員会議必須な定期レビューで進展に蓋をしているのが現状だ。
上記会議(およびそこまでの開発)にはセオリーというものが存在する。マネージャと呼ばれるHPと防御力の高い職が先頭を走り、立ちふさがる味方の不満を集め、モチベーションを維持しながらコーダーがコーディングをし、デザイナーが主にキャラクターや背景を制作する。
さて、初めて攻略する開発フェーズにおいて、一番敷居の高い職はなんだろうと考えたところ、圧倒的にマネージャ職だろう。
常に開発の先頭を走るために、内部事情(メンバーの性格等)をある程度把握していないといけない。危険な範囲攻撃や大きな被害を被るいざこざを繰り出すコミュニケーション不足を最初に倒すべく、考えてメンバーを釣らなければいけない。
明らかに責任が重い。
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マネージャの経験、ネットゲームの経験、文章力、全てが皆無な自分では無理でした。
ごめんなさい。
発売前にはβテストからのテストプレイ全てに参加し、サービス開始初日からプレイを続けたものの
無料期間が終わり、1ヶ月分の課金をしたがあまりINするモチベーションのない、実質引退状態のプレイヤーになってしまった。
簡単に言うと、今後課金を続けるほどの継続的な面白さを見出だせなくなっているということなのだが、もうちょっと詳しく自己分析も含めて書いてみようと思う。
FF14は序盤からメインストーリーに、複数人とのパーティープレイ必須のインスタンスダンジョン(以下ID)と、同じく複数人必須のボスとのバトルコンテンツがある。
どのくらいの比率かというと、レベル17までのプレイは初回で約10時間程度、そこからストーリーをすすめるには、IDを3つクリアしないといけない。その後1、2時間程度のプレイでボスとのバトルコンテンツがある。これでPTプレイは数えて4つ。
それが終わると、その後10時間程度レベル上げをした後にIDのクリアを命ぜられる。その後同様に10時間程度するとまたしてもIDのクリアを命ぜられる。
なにかとパーティプレイ必須なIDで進展に蓋をしているのが現状だ。
上記PTプレイにはセオリーというものが存在する。TANKと呼ばれるHPと防御力の高い職が先頭を走り、立ちふさがる敵の注意を集め、敵視を維持しながらDPS職が殴り、HEALERが主に攻撃を受けているTANKを回復する。
さて、初めて攻略するIDにおいて、一番敷居の高い職はなんだろうと考えたところ、圧倒的にTANK職だろう。
常にダンジョンの先頭を走るために、内部構造をある程度把握していないといけない。危険な範囲攻撃や大きな被害を被る攻撃を繰り出す敵を最初に倒すべく、考えて敵を釣らなければいけない。
明らかに責任が重い。
たまたま斧術士というTANK職でプレイしていた俺は、それが煩わしくてしょうがなかった。面倒である。
現在、斧術士を戦士(よりTANKとしての特性に特化した職)へランクアップ(といっても過言ではないだろう)し、レベルは31(現在は最高50レベル)になったが、道中のトトラクの千獄と呼ばれるIDはクリアしていない。
これから先、まだ幾つものIDやボスがあるのは知っている。そして、ダンジョンやボスのギミックも加速度的に難易度が上がることも、TANKへの他プレイヤーの要求が上がることも聞いている。
そして、それらのPTプレイを終え、メインストーリーをクリアした後に待っているものは、装備を更新するためのID、ボスバトルだ。
PTプレイを推奨しながら、ライトなプレイングを提唱するその基板には、ある程度快適なPT編成システムがあるからだろう。
コンテンツファインダー(以下CF)という、PTプレイが必要なコンテンツに自分を登録しておくことで、申請者の中からサーバーの壁を超えて勝手にPTを集めて組み立ててくれるシステムだ。
非常に便利な半面、この一期一会のシステムが、「質の悪いプレイヤー」と接する機会を激増させている。
終われば、あるいは自分から切断すればその後散り散りになるため、後先を考慮する必要がないと捉えた上記の「質が悪いプレイヤー」を抑制することが出来ない。コンテンツの難易度が上がれば比例的に数が増えると聞いている。
「聞いているだけで実際はそうではない」という話は、実際は事実かどうかは関係なく、その話で躊躇するプレイヤーをゲームから遠ざけてしまうという事が間違いなくある事が大事である。俺だ。
βテストの時点では、レベル20キャップ、最初のパーティプレイのチュートリアルとして3つのIDと1つのボスバトルがあるという話であった。
これを終えれば、まだ自由にコンテンツを楽しむことが出来ると思っていたが、実はコンテンツは、そのメインストーリーと各職業のレベルが5上がるごとに受けられるジョブクエスト、mob狩りとfateと呼ばれるフィールドに突発的に発生するクエスト、ギャザラーと呼ばれる職業によるアイテム集め、それらを加工する生産職であるクラフターでの生産。これだけだった。
これだけ見て、多いと感じるだろうか?少ないと感じるだろうか?
メインストーリーは置いておくとして、ジョブクエストは、クリアするとその時のレベル適正装備やスキルがもらえるお使いクエストだ。
ギャザラーのアイテム採取は、フィールドの採取ポイントを往復しながらボタンを連打したあげく、数時間をかけて入手したアイテムはガンガン相場が下がっている。
クラフターは一部先行者が儲けを独占し、後続は投げ売りで価値を暴落させる。そもそもクラフターが作るアイテムの中で、戦闘職用の装備はIDの宝箱から出るもののほうが性能が良いため、二束三文。非戦闘職用のものを売れるならまだいいが、消費するものではないためそれも頭打ちになる。
では回復薬やステータスアップにつながる料理などはというと、基本的に必要とされておらず価値がつかない。
(ここらへんのバランスはテスト時にもさんざん言われてきたが、そういうゲーム構造なので現状ではどうしようもないだろう)
レベル上げとIDを何度もクリアして装備を集める事とメインストーリーしかやることがなかった。多様性が全くなかったのだ。
レベルはとても上がりやすい。今の俺のレベル30位なら、2日効率よくやれば到達できるだろう。クエストはお使いモノがたくさんあるし、各地のfateをやるだけでどんどん上がる。IDへ入り浸っているならなおさらだ。
だからこそ、ある程度普通にやるだけでエンドコンテンツへ簡単にたどり着いてしまう。そこに待っているのは高難易度で面倒なPTプレイ「しか」無い。
自分で知らない場所へ赴き、SCをとるだけでも楽しいものであるが、この世界の住人はとかく足が速い。
プレイヤーは最初からファストトラベルで、常人の足でありながら高速に動く。レベルが少し上がり、初心者を脱した時には自分専用の騎乗動物「マイチョコボ」が与えられ、いつでもどこでも呼び出して乗ることが出来る。
このため、一見広そうな世界でも、とにかく狭い。足の速さはプレイヤーの快適さにも直結する部分だが、一方で世界観の構築にはあまり寄与しない。
世界の広さに関しては、今後のVUで確実に改善する部分だが、初期段階で今の全世界の倍は用意して欲しいと思った。
現在、フリーカンパニーと呼ばれる集団にも加入し、一応のコミュニティには属しているわけだが、どうにも上記の要素を感じてしまって未来を感じない。
新生エオルゼアには本当にものすごく期待していたのだが、(FF11も、旧14もプレイ済み)どうやらこのままフェードアウトしそうだ。
文句を言っているのではない。ただ、残念である。
ネットを回っていて、性嫌悪症というものが男性に広まっているという話題に触れて、
28歳男
彼女いない歴=年齢
良くも悪くも良い人、優等生。
勉強が忙しいとか、今付き合っても将来の見通しが立たないとか、
これまで積極的に女性にアプローチすることなくこの年齢になってしまった。
決して、性欲がないわけじゃなくて、エロ雑誌やAVも見るし、セックス自体はしたいと思っている。
モテたいという願望もある。
ただ、どうしても
という流れが未だに現実感を持って繋がらない。
むしろ、いきなり結婚してしまったほうがいいんじゃないかとすら思う。
(親が見合い結婚で、家庭の中でいまいち恋愛的な雰囲気を感じなかったせいもあるかもしれない。)
なんでそんなに性を遠ざけて生きてきてしまったのか、自分でも不思議なんだが、
振り返ってみると思い当たる節がないわけではない。
テレビとかでいわゆる、「キャー、のび太さんのエッチ!!」的なシーンを見て、
単なるお色気シーンとして見ておけばよかったんだろうけど、
「女性に対して性的なことをすると嫌がられるんだな。自分はしないように気をつけよう。」
という今から思えば極端な教訓を自分に摺りこんできた気がする。
保健体育の授業では、避妊方法に関して習っても、どの避妊法でも確実な方法はありませんと言われ、
テレビなどで痴漢のニュースを見て、痴漢はいけないということ以上に、
こういう些細な勘違いの積み重ねで、今の自分ができてしまったんじゃないかとふと思った。
(悪い意味で)優等生な自分は、失敗を恐れて、「してはいけないこと」ばかりリスト化して自分の中に溜め込んでしまっていた。
「自分の」失敗を気にしているんだから、相手のためという体裁をとっていただけで、自意識過剰だったと言わざるを得ない。
やっと最近になって、「してあげれること」は何かを考えるようになってきた。
自分がもし、女性に告白されたら嬉しいように、自分が女性にアプローチすることで、
喜んでくれる女性もきっといるはずだ。(と信じたい。信じるしかない。)
そのためには、まず女性がなにをしてほしいのか理解する必要があると思った。
理由は給与体系というのが初任給をモデルとして大卒と院卒で1万円以上違います。
しかし、果たして差別化するほど、それに見合った能力があるのかというと不透明です。
また、やはり院卒であることから、給与はこの額でないとダメであると自らハードルを設定して
その要求に添えられる企業がなかなか見つからないという事もあります。
いずれにしても妥協点が見つからないために本当は見つかるはずの就職が互いの要求がいがみ合う事で
まして、文系院卒は理系院卒のような工学や電気、通信、医療等といった専門性を伴う事象を扱いません。
ですので、文系院卒が専門とする文学系統というのが、業界選択にしてもその範囲が狭いということや企業側が文系というのが
無能あるいは専門性を伴う仕事の場において本当に役立つのかが気になり、二の足を踏むのだと考えます。
文系院卒であれば、志望業界と実際とのミスマッチがとにかく多いのが特徴的でしょう。
理系院卒であれば出来る事というのは、企業側にとっても選択肢の多い部分を占めており、つまりジョブマッチングし易いです。
しかし文系院卒の場合、実際の職場で出来る事が極端に少ない事や院卒であるという自負やプライドから妥協しない事が挙げられます。
そのため本当であれば就職できるのに対して実は文系院卒であることが足枷になってしまい、思うように仕事探しが進まないのだと思われます。
ジョブカフェ等の自己PRセミナーにしてもやはりプライドや見栄から自己分析が不完全なままで自己PRを作ってしまいがちになります。
また、コンサルタントの方の助言ですら、余計なひと言に聞こえているのかもしれません。
ですので、本当は仕事だってたくさんあるのですが、大学院を出たという丁稚なプライドのせいで自ら選択肢を狭めている事が、この風潮を生み出したのだと考えます。
就職不利であるというのは、恐らく企業は欲しい人材であれば確保に前向きです。
むしろ、そういった企業は幻想なのだと考える人が、やはりプライドも高いので売れ残ってしまい、更に卑屈になって就職不利なのだと理解してしまうのだと思います。
逆に言えば、このプライドを捨てさえすれば、妥協することが出来れば選択の幅は大きく増えますし、企業だって文系院卒に興味があるのです。
性別:男、年齢:30中盤、年収:中の上or上の下、見た目:中の上or上の下(たぶん)
周りの結婚ラッシュもとうに終わって、facebookに嫁と子供二人と仲良く家族サービスなんて写真がバンバン載るのに焦りを覚えて、友達に紹介してもらったり合コンしたりホームパーティに行ったり商業ベースの婚活サービスや出会い系パーティーにも首を突っ込んでみた。
でも、結局のところ、結婚する意義を見い出せない、ってかそんな意義をすっ飛ばしてくれる程にときめきがなかった。
結婚を前提に女の子を見てしまうと、どうしても減点法になりがちで、会って食事をしたりする最中でも、まるで採用面接みたいな妙な緊張感が走る。
それは向こうにとっても同じで、一見すると楽しい会話に見えるが、お互いがお互いを品定めしている感じがどうしても付きまとう。
そんな状況をすっ飛ばしてくれるのがときめきだと思っていたが、ここまで冷静に歳を重ねると、そりゃときめきのハードルも上がるというもの。
さて、振り返って何で自分は結婚したい、いやしなきゃと思ったのだろうか。
それを就活の自己分析のノリでやってみたら、結局行き着くのは・・・”他の人がしているから”
facebookに溢れる同世代の家庭生活の幸せな部分だけを毎日毎日見るたびに、ある種の洗脳状態になっていたのかもしれない。
試しにfacebookを見るのをやめたら、もともと職場はプライベートな領域に突っ込まない環境なので、結果としてその結婚に対する妙な焦りが少し和らいだ。
数年前の仕事に趣味に社会に友達に自己に、好きなものに対して純粋に向き合える自分を取り戻した気さえする。
そして、この他の人との横並び意識から来る結婚への焦りは、今後どんどん結婚する人が少なくなるにつれて、和らいでくるのではないかという期待がある。
結婚はみんながするものではなく、大部分はするけどしない人も一部はいる・・・ちょうど自動車の免許証の様な位置づけになっていくのではないか?
そうなると、独身者をターゲットにしたビジネスの多様性が生まれ、結婚したのと同じような幸せ感が得られるサービスも今後多く出てくることだろう。
帰って来たら「お帰りなさいアナタ!ご飯にする?お風呂にする?それともア・タ・シ?」といった訪問型家事支援&風俗サービスや、休日に子役タレントのような子供を独身者に対して派遣して幸せな家族の一日を体験出来るサービス・・・そんな、ありとあらゆる独身者のコンプレックスを解消するサービスの出現が考えられる。
思えば、時代は持ち家から賃貸へ、ネットの世界も自前サーバを構築運用するSIから必要な時に必要なだけサービスを使うASP、SaaSの時代へ確実にシフトしているだけに、少なくとも30年以上は運用の義務が課せられる結婚というサービス形態は、今のSaaS時代にはそぐわないのではないか?
あと10年経って同世代が結婚生活の厳しい現実に直面している頃に、自分は仕事に疲れたら新婚サービスで若くてフレッシュな嫁と甘い夜を過ごし、お盆休みには子供レンタルサービスを活用してキャンプで幸せ家庭体験でもしているのだろう。
その時、世の中はどちらを幸せとジャッジするのだろうか・・・。
と、こんな腐りきった考え方に至ってしまった自分にときめきが訪れるか、もしくは弾丸論破されるか、どちらにせよ、もう婚活なんてしないなんて言わないよ絶対と言える日がまたやってくることを心の奥底では真に願っている。
「こういうタイプが好きそう。」って誰かが言ってくれるようなサイト。
素人の分析でいいから、「自分はどういうものを好む傾向があるのか?」みたいなことが分かるような感じ。
・好きな音楽の傾向
・好きなアニメの傾向
・好きな映画の傾向、、、など
・魔法少女まどか☆マギカの黄色「巴マミ」
・中二病でも恋がしたい!の「モリサマー」
・マギの「モルさん」
・ガッチャマンクラウズの女主人公「一ノ瀬はじめ」
・あねどきっの「姉」
好きというより、「魅力を感じるキャラ」っていうのに近いです。
俺は有名私立中高一貫校出身で、周りのブルジョワジーたちに揉まれつつエリート街道らしきものをここまで登ってきて、
なんとなくで文系にして、そのまま文科一類に入って、今一年生なんだけど、
将来のヴィジョンが全く見えない。
考えてみれば自分には21世紀前半を生きるための付加価値(具体的に言えば英語、IT、その他資格?)が全くない。
もちろん学歴と、そのバックグラウンドと、大したことをしなくても得られる人脈がある、っていうのはそれなりに長所なんだろうけど、
で不安なら何か努力してるかって言われると何もしてなくて、ひたすらダラダラしてる。
周りには官庁志望の奴とか、弁護士になる!とか決めてる奴もそれなりにいて、
そいつらはヴィジョンがはっきり見えてるから、やるべきこと分かって努力も出来るんだろうけど、
少なくとも「お前何やった?具体的に」って問いに全く答えられない。
もちろん周りには学生団体とか頑張ってる奴らもいるんだけど、
一回片足突っ込んでみて「あ、自分には合ってないな」って思った(はてなにはそういう人多いかもしれない)。
それで、結局何もしてない。
なんちゃって自己分析しちゃうと、下手に高学歴歩んできたから無根拠に全能感抱いちゃってんじゃねーの、俺、って思う。
不安で不安で仕方ないので、夏休みに何個かインターンとか入れてみたけど、迷走してる気しかしない。
ていうかとりあえず留学みたいな、とりあえずインターン感がハンパじゃない。
いろいろやってる内に将来の夢とか、人生を賭す価値とか見つかるだろうと大学入る前は思ってたけど、本当に見つかるんだろうか。
p.s.どうでもいいけど「ディスチミア親和型うつ病」ってニュースかなんかで見て「あ、俺じゃん」って思った。思っただけ
完全に中毒してるね。
アルコール中毒とおんなじ。
「しんどさの種類」みたいなもの?今の精神状態?に中毒してるように見える。
多分ほんとうに辛いんだと思うな。
そりゃ深層心理やら無意識やら掘っていけば、「結局自分がそれを望んでる」わけだけど、
少なくとも意識の上では本当にやめたい、けどすごい強い力でそっちにいっちゃう、って感じかなと。
ブコメ読んだけど、
確かにこの彼は冷たくすれば去っていきそうな気もする。
まずは、強い意志をもって「断つ」ことを続けるしかないのでは?
彼連絡もtwitterも、その「今の状態」を作ってるもの全部断つ。断ち続ける。
同時進行で自己分析。