2013-11-23

自分の「好き」の正体

みんなにも昔、好きな子がいたと思うけど、昔の好きだった子って今でも好き?


僕は今思うと、

昔の「好き」ってごく単純なもので、「かわいい=好き」「カッコイイ=好き」だった。


まり、顔がカワイイから好きだったわけで、

の子は好きだったけれど、その子が好きではなかった。


矛盾してるように聞こえるかもしれないけれど、

もしその子カワイイ顔をしてなかったら、僕はその子のことを「好き」だとは思わなかったと思う。

「顔」が好きだから好きだったわけで、その子”本人”が好きだったわけではなかった。

それでも今も、昔好きだった子はやっぱり今でも意識してしまう。。。

まだ錯覚してんのかな。


今思うと19歳に成長した僕は、

「好き」の形が単純なものから、どんどん”複雑化”してるんだと思う。


だって、今の僕は「顔」だけでその人を好きになるようなことはないし、

今の僕の「見てるところ」は、顔だけじゃない。

その人の目や口、表情や体格、言葉や話し方、雰囲気人格、、、

見れるようになったものは全部見てる。


最近になって、

人格的に「最高位」に入っていそうな人の存在を知ったことや、

自分の好き嫌いを紙に書き出したりして「自己分析」を続けていったことが良かったのか、

自分の好き嫌いや欲望や感情などを含め、少し自分のことが分かってきたのかな、と思う。


とりあえずまぁ、自分のことを知り続ける行為は大切だと思う。


自分の「好き」の正体を知らないと、自分の「本当の好き」に気づくことができず、

顔は好きだけど、その人自身は好きじゃない。でも「好き」っていう気持ちはあるから好きだと錯覚しそうだから


僕が思う「本当の好き」ってたぶん、

ブサイクだけど好き。

口が悪いけど好き。

お金を持ってないけど好き。

友達ゼロみたいだけど好き。

何も持ってないけど好き。。。


そんな感じで、「○○だけど好き」の○○に入るところは、

好きになる人にとってはどーでもいいことで、そんなところを本人は見てないんだと思う。


結局、人を好きになる仕組みってのは、

好きな相手を見てる自分の目(フィルター)に依存するものなんだと思う。

自分が相手のどこを見てるか?」にかかってるんだと思う。


そういうわけで、僕は今でも顔が可愛い人は好きだけど、

「顔だけでその人自身のことを好きになるわけじゃない。見てるところはもっと別のところだから。」

って理由で昔好きだった子を「実は好きじゃなかった」って言い訳するのかな(苦笑)。

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