はてなキーワード: 私服とは
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
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今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
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ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
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しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
メイク興味あるけどそういう色づいたものは家庭学校共に禁止だったからスターターキットほしかった
家庭ではもちろん雑誌もダメ、ネット調べても就活メイク程度の情報(化粧の仕方が主で何が必要とかはあまり書いてなかった)しかなく、ブログは制限で見れず、Twitterもできたばっかりだったらから美容アカウントなんてない。
進学直前の春休みに会った友人は化粧普通にしてて、私も綺麗になりたい何とか追いつきたいとおもった。でも化粧の仕方は手に入れられるけど、何が必要か、何を買えばいいかの情報をあまり手に入れられなかった。
だからこれあればとりあえず化粧できますのスターターキットは欲しかった。
最初は訳分からずデパコスカウンターに行ったが金持ってなさそうなオドオドしたスッピン学生なんて相手にして貰えなかったよ。相手にして貰えたと思ったらYSLのコンシーラー、化粧するには必須です!って勧められて買ったけどコンシーラーだけあっても何にもならなかったし。
今はデパートが家から徒歩圏内なので、近所のコンビニ行く感覚でスッピンメガネ+気合い入ってない私服でデパコス買いに行くと化粧分かるの?金あるの?みたいな態度を取られる事はある。今は余裕があるから気にならないけど化粧はじめたての頃はすごく恥ずかしくて惨めに感じたな。
化粧はじめたての頃はたまたま友人に恵まれて予算を出して選んでもらって化粧するようになったから嫌いにならずに今がある。
友人いなかったらたぶん化粧したくなくなったと思う。
私は興味があったけど制限されててできなかったタイプなのでできるようになれば普通にデパコス買えるようになったし、ジェルネイルも10年以上前継続している。
30超えてからは化粧品より美容医療に金突っ込むようになって最近はあんまりデパコス買ってないけど
化粧に限らないけどどの分野も入口は広い方がいいと思う。
自分は中学生のころまでは他の女子たちよりも何倍も遅れてる子だった。
ブラジャーを何故つけなければいけないのかも分かってなかったし、母も買ってくれなかったから体育の授業もずっとノーブラで同級生から「ブラしたほうがいいよ」と言われ続け、脇毛は剃るものだと知らなかったから水泳の授業でも脇毛ボーボーで参加して「脇毛は剃ったほうがいいよ」と同級生から言われ……。
スカートから出てる生足にすね毛がボーボーに生えてる? 知らんがな。勝手に生えてきてるだけ。そういう認識。
私服も親が買ってくれないから持ってない。制服以外だと、林間学校用に親が西友で買ってくれた1枚1000円のTシャツ2枚とダボダボのジーンズとノーブランドのへんなスニーカーしか持ってないレベル。
16歳のときにバイト先の美人な先輩から「化粧してみたら?」と言われて、貯めたバイト代を持って勇気を振り絞ってデパコスカウンターへ行ってビューティーアドバイザーさんからイチからメイクを教わった。
習ったメイク用品を全て買って2〜3万円くらい。
雑誌に載っていた、青山にある美容室に死ぬほど勇気を振り絞って行ってカット&カラーで15000円くらい。
服は何を買っていいかどこに行けばいいのか分からなかったから、とりあえずユニクロでひたすら試着を繰り返して分からないなりに適当に2〜3万円分くらい購入。
そしたらいきなり周りの人の見る目が変わって、「こいつは女だ」と認識されるようになった。
バイト先の警備員からいきなり映画に誘われたり、早朝ウォーキングしてたらいきなり車が寄ってきてナンパされて恐怖したり。
こいつらマジで外見で「女」か「それ以外の生き物」かを判断してやがるんだ……と衝撃を受けた。
「女」は大人になったら自動的になるものじゃなくて、努力してなるものなんだと知った。
周りの人は、彼氏が出来たからメイクやオシャレをするようになったと思ったらしい。
いや違うよ。ダサい生き物に男なんて寄ってこないから彼氏なんてできないよ?
いいよと軽く言ったら20万もかかって驚いた
結局出したけど
振袖率は90%を超えていて、5%がスーツ、2.5%が私服、1.2%がドレスといった感じ
なんというか同調圧力すさまじいな
俺は行かなかったけど、女子にとって成人式は「振り袖を着るイベント」になってるらしい
あと何と言ってもレンタル代が高くて驚いた
何で成人式の振り袖だけこんなに高いのかと思ったら、髪のセットや前撮りやメイクなど色々込み込みで高くなってるらしい
と説明されたがなんか納得できなかった
あとは混み合うからとか?
当然金がなくて参加を諦める人もそこそこ居るらしい
アンケートでみれば、非参加の10%くらいだから、全体の約3〜4%?ちょっと嘘くさいな
20万円もポンと出せるか??
(よく見ると参加者の3割がレンタルで、4割は親か親戚に借りると書いていたのでそれもあるかも。あとプランを最低にすればもう少し安くはなる)
男がこういう事知るのって娘ができて20歳になってからなんだろうな
俺はまだ30代なのでそんな年じゃないんだが
まったく女子は金がかかるね
ド派手だった
あれ、もう1人居たはずだけど見せてもらったかな、見せてもらったっけ?って聞けないわ
多分、授業か何かで書いたんだと思うハガキが家に届いていた。
「成人した私へ
成人おめでとう。
15の私は、まあまあ元気です。
今の猫は2歳です。
7歳くらいになるんだっけ?まだまだ元気だと思うけど、もし地元から離れてるんだったら、そばにはいないんだね。
私のことだから、多分色々悩んでるだろうけど、生きていたら、なんとかなるので、生きて、本読んで、写真撮って、好きなことを好きって言えるのなら、それでよいです。それが全部です。
15の私からしたら、それが全部です。
15の私より」
中3の半ばくらいまで、ほぼ記憶が(多分ストレスか何かで)吹っ飛んでいるので、自分のことなのに又聞きのような状態になっている。
だから、このハガキが来たときに「その時生きてたんだ。」と思った。
過去に自分がいた証拠が、家の外からもたらされたことが、なんだか新鮮だった。
し、嬉しかった。
手紙やメールなどを、意思疎通のためのものという認識しかしていなかったけれど、「自分がそこにいた記録」として手元に来ると、感慨深いものがあった。
アラサーの男。
大学在学中に起業→卒業後に負債を抱えて倒産→債権者が取引先の企業や経営者で自己破産は免れる→実家に帰って公務員試験を受けて採用される→働きながら返済という状況。
返済は後4年間。
問題は母だ。
毎日のように「〇〇君は結婚している」「〇〇ちゃんは彼氏を連れてきた」「初詣に行ったら〇〇君が結婚する相手を連れて親といた」と言って俺が一人っ子でもあることから彼女を作ることや結婚を迫ってくる。
手取りから借金を返し、定期代、スマホ代、家に入れる生活費を残ったら一円も残らない。
交友関係も少ない。
職場の人との食事や飲み会には参加費がないので行かない。昔からの仲良い友人と会うのは向こうが帰省した時に近所のコンビニで長話したり、向こうが奢ってくれる時に飲みに行くくらい。
母は俺が自分で髪を切ったりバリカンでスポーツ刈りにしていること、仕事で着るスーツやポロシャツを除いた私服は5年前からずっと同じものを着ていることを見ている。
また、大学も卒業後に過ごしていたのも東京で実家に帰るつもりはなかったため免許もなく、仕事で運転が必要な時も先輩や同僚、後輩が運転してくれている。
買い物でも母か父の運転。
母はこのような状況で「彼女を作れ」と言ってくるのだ。
母は「私の同級生や知人でも独身は全員変わった人だった。結婚していないとダメになる。結婚しなくても彼女はいるべき」と常々言っている。
「借金の返済が先。彼女を作るために身なりを整えたり食事に行ったり服を買ったり車の免許を取る余裕もないから無理」と言っても「それでもあんたを好いてくれる女性を見つけられないお前の問題」と宣う。
「田舎で免許もない男がどうやってデートしたりするの?彼女作って欲しいなら免許代くれよ」と言っても「それはお前の自業自得で関係ないし出さない。この辺の高校生や中学生のカップルは自転車でデートしている。彼女がいない理由にはならない」と返された。
無視しても「家においてやってるのに無視するのか。態度が悪い」とこちらが根を上げるまで永遠にぐちぐち言われ、家を出ようとしても「借金も返せないのに一人暮らしなんてダメ人間」と文句を言われる。実際家を出る余裕はない。
家を出ることもできない状況で毎日のように母にガミガミ独身でいることを詰られ頭がおかしくなりそう。
年末年始は同級生達が恋人を連れて帰ったり、地元が家族を連れて帰省した人で溢れるので特にひどい。今朝、母が勝手に見下していた俺の同級生が彼女を連れて帰省しているのを知ったらしく一日中発狂している。
父は完全に母の尻に敷かれており何も力になってくれない。
どうすれば母の小言を止めることができるのか。
もうすぐ新幹線が出発する。
すし詰めの社内にいるのは私服だらけだ。
仕事で使うときは自分と同じでスーツ姿が半分ぐらいなのが、今はまるっきり違う。
新幹線にもハレとケがあるようだ。
それは値段にも現れている。
いつもより少しだけ高い。
地元に帰るまでの往復代金を全部合わせれば一人暮らし用の家電ぐらいなら1つか2つ新品に出来る程度だ。
後悔している。
仕事を無理やり納めて出発し、部屋の掃除もろくにしきれてない。
大掃除の時にやろうと思って部屋の奥に積まれたものはいつ片付くのだろう。
そうまでして実家に帰ってやることは親の顔を見て愚痴を聞き、親の車を代わりに運転してやって初詣に連れ出すぐらいか。
地元に戻っても正月早々やってるのなんてせいぜいデパートぐらいだ。
子供の頃に行ったおもちゃ屋の廃墟を眺めるとか、数年前に出来た店がまだ生き残ってるか見に行くとかぐらいか?
わざわざ高い金と手間をかけて地元まで帰ってトンボ返りも癪だが、別に地元に帰ってやることがあるかと言えば大してあるわけでもない。
知り合いと飲むにしたって半日潰せるかどうかだろう。
結局2日か3日か過ごしたらやることがなくなって、そのあとはまた帰りの新幹線だ。
面倒くさい。
何のためにこんなことをしなけりゃならんのか。
実家の本棚でも残ってれば読み返せるが、俺の部屋はもう片付けラエて両親の趣味のものばかり。
とくにやることもないままダラダラと寝正月か。
こんなことのために高い金を出してわざわざ戻る連中で溢れているんだから御苦労なこった。
もう全部テレビ電話でいいだろ。
育てて貰った恩みたいなもんに縛られてるから、帰ってこれるかと言われて断るのも気が引ける。
いやこれ事実だと思いますね。下記みたいに書いているブクマカがいるんだが
その理屈なら親の庇護のもとで20代まで気楽に勉強だけしてればいい大学生より金のない厳しい環境で育ち中卒で働いて自分の生計を立ててる人間の方が身なりも収入も良くなってないとおかしいはずだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231227082825
そうだぞ、中卒・高卒の方が給与高い、(集団生活で強制されていれば)身の回りを衛生的に保つ習慣はつき易いし、
(ストレス受容・耐性はともかく)健康習慣はつき易いと書いてるんだぞ、何を読んだんだ?あっタイトルかって思った
あと稼がないと生活が出来ないので『自分は稼いでやっていける』っていう成功体験が強制的に積めた
行きたかった高校を定期代が払えないとか私服だとお金が掛かるとかいう理解不能な理由で却下されたので、
(なお、親は極端に教育に無関心なのでノーダメ。先生は荒れている学校だと言ったはずだけど何を思ったのか・・・。
このチンピラ学校の子は全日なのに高確率でフルタイムで働いて、20万以上稼いでいる子はザラにいた
そういう状況にない人も、
- 父母がそれぞれに浮気して家から出て行っちゃって高校生でマンションで一人暮らし
- ずっと施設や祖母の家に預けられ、唐突に母親の元に呼び出されたが、もうひとりの兄弟とはあからさまに扱いが違う(もうひとりの兄弟は私立)
- 父親がアル中DVの犯罪者で母親と逃げてきた
・・・とか、みんなそんなん
で、高校在籍中に新卒以上に稼いでたわけだし、稼いでない子もただ普通に働くだけで今までの人生で一番いい状態になるし、
やっぱ、そういう人らは今も逞しくやってるよね。たぶん稼ぎも平均よりいいと思う
ただ、ヤンキーでも家がどうしようもない状態でもないのに、なぜか入ってくる子もいた
そういう子はフツーに親からお小遣い貰ってバイトもしていなかったけど、
卒業後は、なんとなく水商売やったり、なんとなくバイトや派遣やったり、そんな生活してたよね
(名前書けば入れる学校だったので、重ための学習障害やボーダーだった可能性はある)
もうこれ答えだと思うんだ
親の躾がなんらかの理由で無かった人、たとえば親自身が極端にだらしないとか、親がネグレクトしたとか、
親的には子の個性や自主性を重んじたつもりだったが、なんかいろいろ噛み合わず子に伝わらなかった結果みたいな人は、
言っちゃ悪いけど他人のお世話が必要な人になっている可能性まぁまぁ高い
自分で金を稼がないと、メシ食えないし、電気ガス水道停まってみたいな、だから常に出来るだけ金稼ぐ方法考えてきたみたいなのでもOK
あるいは、強制集団生活で○○せざるを得ず○○の習慣が自然と付いたみたいなのでもOK
じゃあビシバシやっていけば良いのか?というとそう言う単純なことじゃないよね
たとえ、それが自分自身のためになることでも、『したくないこと』を強制させられてやらざるを得なかった人は、
『したくないこと』をしない人を許せなくなるか、見下したりするんだよな
そこそこ人よりもお金稼いでるワイくんも、ワイくんがしてきたことをせずに、金が無いとかギャーギャー言っている人を見ると、
『やるべきことやれば?』『やらなかったなりの生活送れば?』って気持ちになる
ワイくんは育ちがよくないので、親しい人にあまりお給料がよくない産業の人がいるし、親族に社会的に賃金が抑えられている福祉分野の人もいる
不条理な賃金格差をネットや本の文字の羅列ではなく、リアルの感情をともなった身近なものとして知ってるし、
なによりも通貨の弱い国のエリート・準エリートと接する機会がそこそこあるので、今の自分自身の立場は実力なんかではなく100%ガチャ運でしかないことを実感している
それでも、『やるべきことやれば?』『やらなかったなりの生活送れば?』って気持ちはゼロにならんのよな・・・
そこそこお金稼げるようになってようやく月20万程度貯金出来るようになって、明らかに自分自身の為になることだったんだけど、
『したくないこと』をし続けた結果の気持ちのバランスをとるのまぁまぁ難しいと感じているので、
お子様やお身内の教育、自分自身の育成選択は気をつけた方が良いかもしれない
共通善や能力主義の功罪については後ほど追記かトラバするとして、
いつも通りタイトルしか読まず、下記みたいに書いているブクマカがいるんだが
その理屈なら親の庇護のもとで20代まで気楽に勉強だけしてればいい大学生より金のない厳しい環境で育ち中卒で働いて自分の生計を立ててる人間の方が身なりも収入も良くなってないとおかしいはずだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231227082825
そうだぞ、厳しい環境にあった中卒・高卒の方が給与高い、(集団生活で強制されていれば)身の回りを衛生的に保つ習慣はつき易いし、
(ストレス受容・耐性はともかく)健康習慣はつき易いと書いてるんだぞ、何を読んだんだ?あっタイトルかって思った
あと稼がないと生活が出来ないので『自分は稼いでやっていける』っていう成功体験が強制的に積めた
行きたかった高校を定期代が払えないとか私服だとお金が掛かるとかいう理解不能な理由で却下されたので、
(なお、親は極端に教育に無関心なのでノーダメ。先生は荒れている学校だと言ったはずだけど何を思ったのか・・・。
このチンピラ学校の子は全日なのに高確率でフルタイムで働いて、20万以上稼いでいる子はザラにいた
そういう状況にない人も、
- 父母がそれぞれに浮気して家から出てて行っちゃって高校生でマンションで一人暮らし
- ずっと施設や祖母の家に預けられ、唐突に母親の元に呼び出されたが、もうひとりの兄弟とはあからさまに扱いが違う(もうひとりの兄弟は私立)
- 父親がアル中DVの犯罪者で母親と逃げてきた
・・・とか、みんなそんなん
で、高校在籍中に新卒以上に稼いでたわけだし、稼いでない子もただ普通に働くだけで今までの人生で一番いい状態になるし、
やっぱ、そういう人らは今も逞しくやってるよね。たぶん稼ぎも平均よりいいと思う
ただ、ヤンキーでも家がどうしようもない状態でもないのに、なぜか入ってくる子もいた
そういう子はフツーに親からお小遣い貰ってバイトもしていなかったけど、
卒業後は、なんとなく水商売やったり、なんとなくバイトや派遣やったり、そんな生活してたよね
(名前書けば入れる学校だったので、重ための学習障害やボーダーだった可能性はある)
俺が通っていた小学校では、全校を挙げて朝にマラソンをする定例行事があった。通年行事だったのか、マラソン大会シーズンだけだったのか忘れたが、そんなのがあった。
みんな朝から体操服に着替えて校庭に集合し、10分間だったか忘れたが、グラウンドを走った。まあ、マラソンというよりジョギングに近いものだ。
で、6年生のある時、俺は軽い遅刻をした。
その遅刻が自分のせいだったのか不可抗力だったのかは忘れたが、みんながグラウンドを走っている頃に登校し、教室に着いたのだ。
全校行事だから教室には誰もない。いや、教室どころから校舎中から人が出払っていた。少なくとも教室の付近には誰もいなかった。
そんな中、ただ一人教室に残される俺。そして、みんなの机の上には脱がれた私服が置かれている。
女子の服を嗅ぎたい、と。好きな女子、可愛い女子の私服に顔を埋めてもいいのではないか、と。
みんなグラウンドを走っていて校舎には誰もいない。変態的罪を犯すのにこれ以上の好機は無い。そしてこの好機が訪れることも2度と無いだろう。
小学生の俺は変態キャラではなかったし、優等生では無かったにせよ普通のキャラだった。
短い時間の中で、見つかるリスク見つかったときのリスクと、欲望との間で葛藤した。特に、当時俺が好きだった女子は隣の教室でよりハイリスクだったので余計に悩んだ。
しかし結局、俺は罪に手を染めぬまま全校マラソンの時間が終わりを迎え、みんなが教室に戻ってきた。
俺が罪人になることは無かったのだが、全校マラソン中、教室には誰も来なかった。
恐らく、俺が女子の服を嗅いだとしても誰にも見つからなかっただろう。
服もぐちゃぐちゃにするならまだしも、上からほんのり嗅ぐぐらいなら本人も気付かなかっただろう。
31歳になった今も、ごくたまに思い出す。あの時女子の服嗅いでたらなぁって。一瞬だがいい思いが出来てたのになぁって。結局今も童貞だし。
朝起きたら女の子と魂が交換されていたことも、気が付いたらTSFしていて美少女になっていたことも、金輪際経験していない生まれてから男歴を連続更新し続けている男だけど、エッチなゲームは主人公が少女のやつが好きだ。
女性主人公。そこには無限の可能性がある。(一部の肉食系を除いて)エッチなことは縁遠い少女が、すけべ? そんなのこの世界<ゲーム>に存在しませんけど? と徹底的にエロを排除した歴史(通称処女プレイ)をたどるのもよいし、誘蛾灯に惹かれる夜の虫のように昏い闇に引き釣りこまれて転がるように身持ちを崩していくのもよい。
エロハプニングを通して成長していくエロステータス。性は遠い存在であり清純そのものだった少女がその身に刻んだ体の歴史。たった一度だけの想い人との大人の経験に興奮を覚えるのも、性経験の数字を雪玉のように膨れ上がらせるのもプレイヤー自身の采配の行方次第なのだ。
心。樽を調べるとた〜るというように、世界<ゲーム>とプレイヤーの橋渡しをしてくれる翻訳機としての主人公。輝かしい友情を見つけた時の瑞々しい煌めき、やりきれない悲しさを抱えた時の痛み、エッチなイベントを経験したときのうぶな気持ち、身も心も擦れきってしまいサンドバックのようになってしまった時の痛々しさ。高品質なテキストで描き出される万華鏡のように変化する多感な少女の心は、0と1で造られた世界に艶めかしい彩りを与える。
妊娠への恐怖。ただ種を撒くだけの男と違い、十月十日の間、自分の命の危険と引き換えに子をお腹の中で育てることへの本能的な警告。愛する相手への気持ちがその危険を乗り越える助けとなることもあれば、生活の足場を失い墜落していく中で残された一時の快楽に溺れた結果であることも。往々にしてERORPGでは妊娠はバッドエンド=ゲームオーバーであることもあるが、中には家族計画もゲームシステムに織り込まれているものもある。
何処へ行き、何を経験して、何かを得たり失ったりする。その心境は赤裸々なテキストで綴られ、変わっていく少女の軌跡がステータスとセーブデータに刻み込まれる。
以下では二つ、おすすめの女主人公のRPGを紹介したい(両方とも現在DLsiteにて50%オフで販売中)
ダウザー見習いのレリィが、相棒のシエルちゃんと一緒に一人前のダウザーになるべく駆け回って、見識を広め、挫折を知り、そして大切なものを見つける物語だ。とにかく前向きで明るいレリィを見ているだけで元気をもらえるような爽やかな作品になっている。ゲームの難易度も高くなく、非常に丁寧に作られた良作である。
明るく楽しい掛け合いに、ぷにぷにコミカルなグラフィック、そしてドキドキするようなちょっとエッチなイベント。R18パートが無くてもこれだけで十二分に面白い作品だと言えるのだが、本作の真骨頂はそんなレリィがふと路を踏み外してしまうところを丁寧で端正なテキストでこれでもかと表現しているところだ。
自分のことよりも他人のことを優先してしまう優しいレリィは、裏を返せば自分の軸をもっておらず、流され、捨鉢になって、他人に判断を委ねてしまう。そしてダメな自分・悪い子な自分をそこに見出す。何もかも台無しにすることで自意識の存在を確かめる「悪い子」だ。この、明るくて元気な娘が、ふと日常にブレを見出してしまい、堕ちていく様。表にレリィの明るい冒険があればこそ、裏の路地裏に導かれたレリィの曇り様が浮きだつ。
知り合いの子供に懐かれて一緒にお風呂に入っていたら性の目覚めをされて〜親切心から絵のモデルを引き受けただけだったのに〜おじさんと話していたらパジャマの裾から胸チラしてた〜などなど多くの導入がドタバタのエロハプニングから始まる本作において、筆者のお気に入りはそれらの真逆を行く情報屋のおじさんとの再開だ。再び会いに行ってはならないと分かっているのに、気持ちを聞きたくて行ってしまい、老練な話術により心を丸裸にされ、自ら進んで幸せを感じるために言いなりになってしまう。作者による容赦のないテキストにより、レリィの心が壊れておじさんの都合の良いように均されていくいく様がまざまざと描写される、本作きっての救われないイベントである。いや、エロいんすよ、何もかも放り出して目の前の気持ち良いに溺れる女の子を端的に描写している絵も文章も。
レリィ・ナビゲーション、明るくて楽しい(エロ)RPGを気軽に遊びたいなーって人に超オススメ。逆に乳がでかい女しかダメとかモンスターの子供を産むことが出来ないとダメとか女の子が精神的に肉体的に追い詰められてないとダメなんて人には、そこまで響かないかも(いや、レリィの精神の追い詰められっぷりはすごいんだけど)。
加藤梢という、どこにでもいるような平凡な女学生となって、仲間たちと日々交流しながら、約一年かけて街に起きる謎の神隠し事件の謎を追うという現代伝奇作品。ぶっちゃけ○ルソナ(4)の直球のフォロワー。なのでワンモアとかプレスターンとか知ってる人はすんなり遊べるだろう。膨大な差分により自分の好むシチュエーションがいくらでも生み出せるのが本作のストロングポイントだ。
本作を一通り遊んで、二週目に行き、また違ったロールプレイをしたときに気がつくのが、本作に盛り込まれた膨大な差分遊び。ほぼすべてのスケベシーンに主人公と仲間たちの服の着せ替えと髪型の変更が反映され、過去に経験したあれこれで様々な場面のテキストが変化する。例えば、主人公のエッチシーンの一つを取っても、現在のエロステータスに応じたテキスト×現在の髪型(7)×着用している服(制服5、シーズン毎の私服3〜6、その他10程)×着用している下着(5)がほぼ差分として存在する。また弟と関係を持った後に父とも関係を持つと専用の棒比べセリフが追加されるなど、過去の経験もテキストに反映される。NTRに優しいあったら嬉しいサービスもバッチリだ(?)。
本作はオマージュ元と同じく、ゲーム内のスケジュールがカレンダーで区切られているため、普通の(エロ)RPGには無い時間的制約が生まれているのだが、逆にその制約を上手く活かしているのがこの作品を白眉たらしめているところだ。この月のこの週には海水浴イベントがあり、あの週には修学旅行という決まったスケジュールは学生時代の制約のある自由をプレイヤーに思い出させ、梢の学生生活にのめり込ませる効果がある。ただ、これだけだとオマージュ元の単なる転用である。本作のもうひとつの特長が、カレンダーに妊娠システムを組み込んでいることだ。
一般に(エロ)RPGでは妊娠システムというのは人気のある要素ではあるが扱いが難しい。妊娠期間をどうするのか、出産をどうするのか、生まれた子供をどうするのか。多くは妊娠はバッドエンドの一つとして取り入れているが、中には本気でシステムを構築している作品も存在する。本作はその一つであるといっても良いだろう(なんでDLsiteのタグに入ってないんだろ)。通常のRPGと異なり作中時間がリニアに経過する本作では上記の問題点に対して、妊娠するとそれ以降のゲームサイクルを妊娠しっぱなしにするという力技で解決をしている。5月に妊娠しましたー、はい、では以降のイベント、定期試験・海水浴・修学旅行などは妊娠状態で行われまーす、と。これにより、女学生の梢となって現代の学生の生活をシミュレートするというゲームストーリーとまったく破綻すること無く妊娠システムを取り入れることが可能になっているのだ。
そして前述の膨大な差分というのはこの妊娠の有無にも掛かっている。特に主人公の梢は妊娠していない・しているけどお腹は目立たない・外からも妊娠が分かる、の三状態ですべて差分があり、それらの状況に沿った心情を吐露するため、シチュエーション好きにとっては夢のシチュを大量に実現できるのだ(なお、仲間キャラも一人?を除き妊娠差分がある)。
例えば、ラブラブだった弟に正式にカノジョが出来たからとフラれて、ヤケになって売春するが、実はそのお腹には既に命が宿っていた、とか、敵に負けてしまったことが原因で全員妊娠してしまうのだが、実は生徒会長の先輩だけは先月の副会長との生徒会室での秘密の情事ですでに妊娠していた、とか出来るのだ。(ちなみに主人公の梢は危険日だと専用の差分セリフがあったりする)
なお、筆者が一番好きな差分は、修学旅行に行って、男子に誘われて男子部屋で遊んでいたら先生が見回りに来てしまい、急いで布団に隠れたら男子と一緒に閉じ込められてしまい、なんやかんやあってしまうイベントでの妊娠差分。男子生徒にとっては、実はずっと目をつけていた地味可愛い女子である梢と同衾してしまうラッキーイベントを引き当てるも、実は彼女はずっと前から他の男のモノだった、というあわれが実に響くものがある。
サンプルを見て、梢ちゃんかわいいーってなった人は、本編では梢ちゃんと美羽ちゃんをはじめとする仲間達のもっといっぱいかわい(くてエロ)いところ見られるのでおすすめ。着せ替えはいいぞ! 乳はあふれんばかりにでっこうないとな…って人は、まあ隠れ腐れオタクで残念美人の白鷺先輩で我慢しておくれ(あと隠しキャラ二名も)。
⁉⁉⁉⁉⁉ メリークリスマス ⁉⁉⁉⁉⁉
具体的には
「冬はどんな服買おうかな」
「街の人、こんな服着てるんだ」
「この服ボロくなったから買わなきゃ」
「次はどんな服が流行るかな」
ダサい人はこれをやってない
日々の生活の中に、どんな服を着ようかとか、流行がどんなのとか気にしてないんだ
せめて脳の5%くらいはオシャレのことに使っておく
すると日常で気付きが増えるので、ダサい服を着ることが減るんだよ
食べることに興味ある人は常にアンテナをはってるから、美味しい店やレシピを知っている
アニメオタクの人は、面白いアニメについて脳を使ってるから、アニメに詳しくなる
だからダサくない人は、常にオシャレについて考えてるんだよ
マネキン買いしたり、清潔感を出すために風呂・歯磨きしても、オシャレにはならない
自分の生活の中に、脳の中に、オシャレを刷り込ませていかなきゃ
具体的には、
・週に一回はGUやユニクロのアプリで、どんな服が売ってるかチェックし、投稿されたコーディネートを見る
・私服で出かける時、鏡の前でコーディネートする
・月に一回は服屋さんに行って(GU、ユニクロでいいよ)、買わなくてもいいので試着する
・街に出た時、他の人がどんな服を着てるかチェックする
・テレビを見てる時、芸能人がどんな服着てるかチェックしてみる
・持ってる服を頭の中に入れておく。すると服を買う時頭の中でコーデをシミュレーションできる
ぜひ試してみてください
非モテの「非」がどの程度かは人によると思うけど、「非モテっぽい男性の部屋…」の記事を見て、「確かに過去に出会ったモテないっぽい彼らは部屋も私服もなんだかイマイチだったな」と思った。
なんとか君は男女共に友人は多かったけど奥手なタイプ。服は絶妙にサイズ感が合ってないことが多くて、やっぱり装飾は多めだった。
おしゃれに興味はあるみたいだけど、なんか惜しいといえば惜しい。「自分の平均予算でも買える、雑誌やテレビで見たおしゃれな服に似てるやつ」を買ってしまうのがおしゃれになれない原因だったんだと思う。
”今より”おしゃれになりたいなら、酒とか交際費とかちょっと我慢して”今より”予算をかけるのは必要なのだろう。
別のナントカ君はタケオキクチとポールスミスが好きだったが、なんかどの服もうまく使いこなせてなイメージだった。ブランドやデザイン選びがどうとか以前に、体型がかなり痩せ型ヒョロリーノだったので、ブランドの基本パターンとミスマッチだったのがよくなかったんじゃないかな。
ちなみに私は短足日本人なのでワールド的脚長体型がベースのZARAとか履くと死ぬほど残念なことになる。ブランドの基本パターンは本当に大事。ド日本人はやはり日本のブランドがしっくり馴染むように思うよ。ユニクロは素晴らしいね。
また別のナンチャラくんは、髪型がなんかヘンだった。過去、美容院に行ってやってもらったヘアスタイルを自己流でうまく表現できないままここまできてしまったって感じ。「お店でやってもらったアレンジと似てる気がする!」「雑誌で見たあれと同じ気がする!」は大抵気のせいだ。その鏡には自己暗示という悪魔が住んでいる。思ってるよりも高頻度で美容院に行こう。
私も巻き髪が決まったぜと思って出かけたら後ろの髪が全然巻けてなくてクソ残念なヘアスタイルになってたことが(何度も)あるから人のこと言えないけどね。
庶民は自分のセンスに満足したらその瞬間からダサくなる。とまれば死ぬまぐろと同じだ。ほどほどのおしゃれを目指すにはセンスを磨き続けるしかないのだ。
部屋に関しては、確かによく女連れ込んでるやつほど整理整頓されているよね。女の子にモテるにはベッドシーツの洗濯をめんどくさがらない甲斐性とロングの髪を床に残さない清潔感が必要になってくるのだろうね。
ソファがわりにベッドを使ってたり、ソファとベッドが異様に近かったりするのは多分すきあらばベッドに押し倒すためだ。
対して、すきあらば部屋でセックスしようなどと考えてない人の部屋は隙間が多い。ベッドの近くにソファなんてない。部屋の向こうのほうに座布団みたいなものがあったりはするけど。シーツは女の子が来る頻度ではなくて自分の清潔感に応じて洗うし、血の汚れとかつくことをまるで想定してない薄緑、薄水色が多い気がする。わかるよ、あーゆー色合いのシーツってニトリとかでワンランク安いよね。
私は薄黄緑と薄水色のベッドシーツのことを心の中で「童貞寝具」と呼んでいる。
じゃあ、最寄り駅着いたから終わるわ。
こーゆーのの女バージョンも読んでみたいな。