はてなキーワード: 相撲とは
そこに今55歳なのに若作りではなく28歳前後に見える男性がいる。
10年前に知り合った時は疑いもなく大学生だと思って私からタメ口で話しかけて仲良くなり、半年くらい気付かなかった。
私は今32歳の既婚子持ち女だが、見た目はもちろん、会話していると脳がバグってくるくらい普通の28歳。大学の工学部にいた雰囲気。こざっぱりとしている。
年代別の競技に出ると、彼を知らない人は苦笑いか仏頂面でエントリー間違えてますよと伝えにくるのを何度も見た。
昨日はサークルに来ている小学生たちと指相撲やら手で押し合って倒れたら負け、みたいなゲームして盛り上がっていた。
本人に聞いたがいやーなんでだろうねー腹が出てないからじゃない?とのことだった。
ドラゴンボールのゲームでかめはめ波系の技がぶつかり合うと「ボタン連打で勝負だ!!!」という文字と共に巨大なボタンの画像とゲージが表示されて、連打数で負けた方がふっ飛ばされて一方的にダメージを受けるシステムがあるらしい。
前にデパートのゲーセンでオッサンがプレイしているのを後ろで見ていただけだが多分そういうシステムだ。
プレイしてたオッサンはそれはもう必死の形相で、ネットの噂に聞く『パチンコフランダースの犬でリーチがかかると「死ね死ね」叫びながらボタンを連打するババァ』を思い出す必死さでボタンをカタカタしていた。
世の中には議論とか話し合いをこの感覚で捉えている人が、「勢いよくボタン連打して最終的に勝ったほうが相手をふっ飛ばして全ての要求を通せるもの」だと思っていそうな人がちょくちょくいる。
ただ自分は彼ら本人じゃないので本当に彼らがそう思っているのか、ワンチャンそうなったらラッキーだからとりあえず最初はボタン連打でパワーゲームするのを戦略としているのかまでは分からない。
ただ彼らは得てして最初ボタン連打で相手を打ち負かそうとするし、「話し合いをするべき」「こっちの意見を理解しない相手が馬鹿」「アイツらがなかなか理解しないから仕事が遅れている」といった言葉もよく口にする。
私は「話し合い」なるものを「妥協点を探るためにお互いにカードを切りながら線を引いていき、ルール違反にならない形で自分に有利な陣取りが出来たほうが得をするゲーム」ぐらいに思っている。
これもやっていることが「ボタン連打」なのか「ボードゲームもどき」なのかの違いで、結局はパワーの比べ合いで得をしようとする浅ましい行為であろうことは一応自覚はしている。
だが私の考える「話し合い」と比べるにしたって「とにかくがなりたてていき相手が折れたら勝ち」は幼稚すぎるように感じる。
言いたい放題言って相手が要求を聞かなければ拗ねて文句を言い続けるのでは店の床に転がって玩具をねだる子供と同じじゃないか。
相手は結局その「話し合い」に同意しているのではなく、単に「もう相手にするのが面倒くさいからとりあえず話を次に進めたいだけ」だろうに。
ボタン連打ゲームの人達はそれを「相手がついに状況を理解して納得した」と解釈するらしい。
何も納得してないだろ。
ただこういう戦術を集団として積極的に使っている職業(?)は実際に存在していて、それはいわゆる反社と呼ばれる連中だ。
連中は妥協点の探り合いなんてせず自分たちの都合を一方的に押し付けながら嫌がらせを続け、相手が疲弊して要求を飲んだらそれを「説得の成果」と言い張ってしまう。
不良学生のカツアゲとなんら変わらないが、強いて言うならあとあと警察に通報された時への備えが上手いだけだ。
ただ反社の連中は得てしてそれが「無茶振り」もっと言えば「強奪」でしかないのを理解している。
逆にボタン連打で「話し合う」人達はそれが正当な主張のぶつけ合いだと思っている気配がある。
ポジショントークをぶつけあうだけの幼稚な紙相撲のようなものこそが「話し合い」「議論」「交渉」だと本気で思っているのだろうか?
福井県池田町が異獣政策に力を入れているらしく、その文言がSNSで炎上しているようだ。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1722329
そこで、余り手を入れずジャンジャンバリバリ棄民が来てくださる様に僭越ながらArrangementをしようと思う。池田町の関係者の皆様、参考にしてみて。
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第1条 集落の一員であること、池田町民であることを自覚してください。
○総人口の少ない池田町ではありますが、私たちは 33 の集落において相互扶助を土台に安全で豊かな共同社会を目指しています。例え貧弱な役立たずであったとしても『人柱』としてお役立ち頂きます。
第2条 参加、出役を求められる地域行事の多さとともに、都市にはなかった面倒さの存在を自覚し協力してください。
○池田町の風景や生活環境の保全、祭りなどの文化の保存は、集落毎に行われる共同作業や集落独自の活動によって支えられています。共同して暮らす場を守るためにも参加協力ください。また、貧弱な役立たずであったとしても『人柱』としてお役立ち頂きます。
○草刈り機は必需品です、回を重ね使い込むことで技術上達が図れます。 もし習得出来ない場合はあなたの家の庭先をミント塗れにします。
○このことを「面倒だ」「うっとうしい」「町長死ね」と思う方は、池田暮らしは難しいです。ですが、例えクソの役にも立たなくとも『人身御供』と言う方法でお役立ち頂きます。
第3条 集落は小さな共同社会であり、支え合いの多くの習慣があることを理解してください。
○生活の基盤は集落であり、長い年月に渡って様々な行事や集まりを通して暮らしを支えてきました。故事にこうあります『お前のものはオレのもの。オレのものはオレのもの』。この偉大なる先人のお言葉をしかと受け止め身に着けましょう。
第4条 今までの自己価値観を押し付けないこと。また都会暮らしを地域に押し付けないよう心掛けてください。Amazon Flexの配達員は基本襲撃の対象ですし荷物は奪います。
○集落での生活は、ご近所などとの密な暮らしの日々があります。土葬など都市では見られなかったルールや仕組みもありますが、皆で折り合いを付けながら培ってきたものです。 道の脇に土まんじゅうを多く見る事があると思いますが、殺して埋めた村民や移住者のご遺体が埋葬されています。事実上の町営の共同墓地です。
○これまでの都市暮らしと違うからといって都会風を吹かさないよう心掛けてください。やむを得ずタワー型マンションを建築する際は数部屋程度を町に無償で貸与出来るものとし、シティーボーイ(死語)っぷりが過剰な場合は殺して埋めます。
第5条 プライバシーが無いと感じるお節介があること、また多くの人々の注目と品定めがなされていることを自覚してください。その為に興信所や探偵社を使い事前に素性を調べ、移住後も監視カメラや隠しマイクなどを住居に設置します。
○どのような地域でも、共同体の中に初顔の方が入ってくれば「殺して脾臓や子宮でも食われるのでは?」と不安に感じるものであり「どんな人か? 何をする人か? どうして池田に? 猟銃持ったキチガイが川俣軍司ごっこしに来た?」と品定めされることは自然です。
○干渉、お節介と思われるかも知れませんが、相撲用語で言うところの『かわいがり』的な意味で、仲間入りへの愛情表現とご理解ください。
第6条 集落や地域においての、濃い人間関係を積極的に楽しむ姿勢を持ってください。 ここだけの話、婚姻の有無や性自認問わず夜這いを推奨しています。
○静かでのどかな池田町ならではの面白さとして、ご近所や色々な出会いの中での会話を楽しんでください。主に新入りや町長の悪口が大半です。
第7条 時として自然は脅威となることを自覚してください。特に大雪は暮らしに多大な影響を与えることから、ご近所の助け合いを心掛けてください。新入りは何の思い入れも無いので真っ先に犠牲になってもらいます。
○池田町は 2004 年の福井豪雨災害で大きな被害を受けて以来、集落防災隊長を設置し延焼した家屋は破壊するなど江戸時代の町火消を参考にしSDGsに適った地域防災力を高める取り組みを推進しています。
○また、池田町には「雪で争うな、春になれば恨みだけが残る。なので冬場で確実にケリをつけろ。殺せ」という教えがあります。積雪時、大雪時での譲り合い、助け合いを心掛けてください。また不義理された相手に決闘を申し込んでも構いませんが、その際は決闘罪で逮捕します。
https://anond.hatelabo.jp/20220902203448から、ほぼ5ヶ月ぶり。開拓の元気なし。(追記)ヒトカラ書いてあるのが読めないの…?
774inc.が人海戦術によりエンダードラゴンを素手で殴り倒していた。ブレイクしている感じはない。けもVもよくやっている方かな。
・Phasmophobia
少し落ち着いた?
・GeoGuessr
影響されて自分でも少し触ってみた。田舎を馬鹿にする発言をして燃えるVが出ないのだろうか
・原神
・ヒトカラ(new)
チラズアートの作品の中でも怖いと騒がれていた。洗濯機のホース探しなどややダレる。
あまり記憶に残っていなかった。猫っぽいポケモンがエロいくらいか。
・推色(new)
無料なのに直後に出たチラズアートの地獄銭湯に押し潰された。決まった見どころ(無思考で切り抜きを造られる)を用意するのがチラズアートの強さか?
・Cats Organized Neatly(new)
ねこパズル。犬版もある。雑談向きだが難易度あがるとイライラしてくるVも。
・Trombone Champ(new)
・ARK
ちょっとだけ見た。にじさんじはストリーマーサーバーにも参加している?
・もろだし相撲
恐ろしいことに定着の気配がある。けもVに連鎖する形で大流行。
シリーズを追うごとに簡単になると言いながらやっぱりティウンティウン。
・Unpacking
ちょくちょく見かける。
・Cult of the Lamb
そろそろ息切れ?
・RAFT
・NIKKE(new)
・NeiR Replicant(new)
ストーリーは追えていない。見ているVがやっているときに聞き流しした。
・つぐのひ-忌み夜の喰霊品店-(new)
つぐのひの新作。画面が怖すぎて他にもやっているのを見かけたが、最初の一人しか見ていない。
・Plate Up!(new)
オーバークック2と似ているがゲーム性は別方向。ワンミスで終わるので緊張感で雑談しにくそう。
・Coffee Talk(new)
見た範囲では画面が地味
・Ghost Watchers(new)
・Heave Ho
サシコラボには良いよね
・DEVOUR
名前は知っていたが初めてみた。びっくりシーンが多くて騒がしかった。雰囲気がDbDに似ていると言われていた。
・slither.io
以下、根拠を述べる
現在のJリーグの資金はDAZNから毎年150億以上もらえる放映権料が中心だが、この契約は2028年までである。
DAZNは日本参入当初は配信ビジネスは広告目当てであり、配信事業は赤字予定で、カジノ事業が本丸と言われていた。しかしそのカジノ事業は日本では望み薄となったため、配信事業だけで利益を得ないといけなくなった。近年コンテンツ削減と値上げが繰り返されているのはこのためだ。
そして契約者数も伸び悩み。具体的な数字は非公表だが、「公表したくない数」であるためだ。
こんな状態なのでもう事業としては頭打ち。2028年を以てDAZNは日本から撤退するだろう。
Jリーグのスタジアムは駅チカになく駅からシャトルバスでアクセスするのが前提のところが多い。J1ではアルビレックス新潟とアビスパ福岡だけだが、J2はブラウブリッツ秋田、モンテディオ山形、いわきFC、ザスパ群馬、栃木SC、水戸ホーリーホック、町田ゼルビア、ヴァンフォーレ甲府、ツエーゲン金沢、清水エスパルス、藤枝MYFC、ジュビロ磐田、徳島ヴォルティス、レノファ山口、大分トリニータ、Vファーレン長崎、ロアッソ熊本と過半数に上り、J3もヴァンラーレ八戸、福島ユナイテッド、松本山雅、SC相模原、アスルクラロ沼津など過半数のクラブのホームスタジアムがシャトルバス前提のアクセスだ。
これらのチームは近年社会問題化してきてる「バス運転士不足」の煽りをモロに受ける。2030年を迎える頃は「シャトルバスが出せない」状況に陥り、スタジアムに行きたくても行けない層がかなり出る可能性が高い。
長崎など一部のチームは駅チカへの移転計画が進んでいるが、殆どは野放しである。バス運転士の老衰とともに消えゆく運命だろう。ひとつ予言しておくが、今後5年以内にシャトルバスが輸送中の事故を起こし、それをきっかけにシャトルバス依存チームは観客激減が巻き起こるだろう。
エンタメ界隈では「今後Jリーグは苦しい」とみる有識者が多数派を占めつつある。スポンサーになるにはコスパが野球バスケ相撲フィギュアスケートカーリング等と比べて悪い、試合数が少ないのでインフラ整備の優先度が上げられない、頑張ってもワールドカップベスト16が精一杯で夢がない、そのワールドカップに出るにはJリーグから出ていかないと事実上厳しい…サッカー以外のエンタメがいっぱいある日本では、サッカープロリーグはいろいろ無理があったのかなと。
国技たる相撲と世界NO.2である野球、そこらへんの体育館やアリーナで出来るバスケ、冬の視聴率王であるフィギュアスケート、土日の余暇を潰せる競馬、かなり安いお金でメダル争い常連チームに近づけるカーリングなど、他にもコンテンツはいっぱいあるのだから。
【ここまで違う男女の反応】ネットで知り合った美男美女。会ってみたら太ってた・・・
https://tabi-labo.com/49198/fattinderdate
>ほとんどの男性が期待と現実の違いにショックを受け、中には怒りながら帰る人、トイレに行くと嘘をついて2度と戻ってこない人も・・・。見た目の違いに驚きながらも、彼女との会話を楽しみながら居続けた人は、たったの1人だった。
>次は女性の反応。もしもネットで知り合ったイケメンが、写真と違ってすごく太っていたら・・・。
>男性の時の反応とは違う。彼女達も最初こそその見た目に驚いたものの、彼の性格の良さが分かると、指相撲をしたり、次に会う約束をしたり、中にはキスをした人までいた。
「将棋棋士の平均寿命は、世の中の平均よりも短い」と言うのが、なかば定説のようになっている。プロ棋士と趣味の将棋では肉体的にも精神的にも負荷がまったく違うとはいえ、将棋を普及させようとする上では、将棋界にとって少し耳の痛い話だろう。
将棋棋士の平均的寿命について - おおた 葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい (2007年)
結果は・・67.51才である。短い!
棋士と年齢を分析する | 将棋ペンクラブログ (2014年)
全体の平均 68.5歳 (110人)
*最も長命だったのが加藤博二九段の90歳(2013年)、最も若かったのが村山聖九段の29歳(1998年)。
将棋棋士の平均寿命を調べてみた - 将棋ペンタゴン (2021年)
物故棋士は91人でその没年齢の平均は72.0歳となっています。
野月浩貴八段と藤森哲也五段の発言例も→ anond:20230124165248
しかし、これらの記事に書かれた棋士の平均寿命のようなものは、「既に死亡した棋士の死亡年齢を平均したもの」であって、いわゆる世の中で平均寿命として公表されている「今年生まれた0歳児が何歳まで生きるか」とは異なる。極端な話、江戸時代までさかのぼれば棋士の死亡年齢はもっと短くなるわけで、「過去400年間に死亡した棋士」と「今年生まれた0歳児」を比べるのは的を外している。(最初に挙げた記事のうち 将棋棋士の平均的寿命について にはいくつか但し書きも添えられているが、それでも不十分)
そこで、直接比較しやすい「死亡年齢」だけに着目して、5年ごとに区切って世の中の平均と比べてみた。
ただし、全男性の死亡年齢は、新生児の死亡なども含まれるので、特に古い時代ほど低くなりやすい。「棋士が0歳で死亡する」ことはありえないので、おおむね棋士の年齢に対応する「20歳以上」に絞った死亡年齢と比較するのがよいだろう。(棋士のプロ入り平均年齢は22.4歳)
(※1/24追記: 全男性と20歳+の計算に間違いがあり、すべて-0.5だけ下方修正しました。考察や結論に変わりはありません)
平均死亡年齢の推移:
年 | 全男性 | 20歳+ | 男性棋士 | 男性棋士の 誤差(95%) |
---|---|---|---|---|
1940年 | 54.7 | 5.2 | ||
1945年 | 61.5 | 16.9 | ||
1950年 | 41.1 | 57.8 | 61.0 | 22.0 |
1955年 | 50.0 | 61.1 | 48.5 | 10.1 |
1960年 | 55.5 | 63.3 | 43.0 | 6.0 |
1965年 | 59.3 | 64.7 | 67.8 | 6.9 |
1970年 | 61.0 | 65.3 | 64.8 | 19.5 |
1975年 | 63.1 | 66.6 | 64.6 | 8.5 |
1980年 | 65.7 | 68.1 | 69.3 | 7.0 |
1985年 | 67.4 | 69.1 | 73.5 | 6.1 |
1990年 | 69.2 | 70.5 | 72.4 | 8.8 |
1995年 | 70.4 | 71.4 | 71.3 | 6.4 |
2000年 | 71.4 | 72.1 | 68.2 | 16.4 |
2005年 | 73.3 | 73.7 | 66.1 | 10.1 |
2010年 | 75.1 | 75.5 | 73.8 | 8.8 |
2015年 | 76.9 | 77.2 | 81.3 | 6.4 |
2020年 | 78.4 | 78.6 | 78.9 | 6.9 |
グラフ:
こうしてみると、誤差は大きいものの、「将棋棋士の平均寿命は、世の中の平均よりも短い」という定説は、妥当ではないと言える。もっとも、1960年や2005年ごろにかけては世の中の推移に逆行して若くして亡くなる棋士が多かったため、誤った定説を生み出しやすい環境だったとは言えるかもしれない。
※ 政府の統計は5歳ずつの階級を中間値で平均して求めた(たとえば80-84歳での死亡を一律で82歳とみなしている)。新生児と高齢者は本来の死亡年齢より高く、それ以外は低く算出されやすいが、結果的にある程度相殺される。
※ 政府の統計は「その年」に死亡した男性だが、男性棋士の統計は「その年の前後5年(2020年なら2018-2022年)」に死亡した男性棋士である。
※ 政府も棋士も誕生日までは考慮していないので、「80歳と11ヵ月」で死亡しても80.0歳として計算される。(どうしても平均寿命と比べたいなら、+0.5するとよいが、本来は人口ピラミッドの影響も差し引かなくてはならない)
ちなみに囲碁棋士は女性も含んだリストしかなかったが、特に将棋棋士に比べて大差あるわけではなかった。
公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライをフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要や監督の家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。
改めて見た率直な感想がこれだった。
OPのCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まる。カンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。
しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲や闘牛やボクシングといったようなもののオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまったことになる。
古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派の武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行的スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。
長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。
どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。
(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)
九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要な興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ。
その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後の図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトのパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいか。バケモノ界は闘争の世界ではないし、武術を習った主人公が人間をボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。
直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。
(剣が震えるところとかは好き)
熊の家を斜め上から見た図と家までの階段の坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。
渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公も視聴者も異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代の雰囲気を醸すことができていたと思う。
バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。
絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクターが支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。
今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲で空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。
(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間や密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)
バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対の指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去に弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術は人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的に選択しなくちゃならん。
当初の九太は選択の余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期や父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語の最後の最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。
同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月のライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公も将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分の意思で将棋の世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。
九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通の青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語の最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り・理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノ界から人間界に戻ったって記号でしかなかった。
センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師も反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期の不安定な青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。
なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。
尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートになっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。
そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画っぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライのダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)
脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分がオタクすぎる気もする。ポストジブリなファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品も賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。