「沈黙」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 沈黙とは

2015-11-11

コントロールできない「承認欲求」は身を滅ぼす。

まあタイトル釣りで、これ良くある話題とは逆に、主語が小さい案件だと思うんだ。

まり、「コントロールできない欲望は身を滅ぼす」という話な。

例えば、「承認欲求」という単語を、「食欲」に置換して読むとわかる。

「食欲の肥大化問題視されるが、食欲は生活に不可欠だ」そりゃそうだろ。

しろまんがサイエンスで頻出の冒頭のボケツッコミにあたるのではないか。

虫歯にならないためには?」「歯がなければ良い!」みたいな。極端なヤツ。

肥満にならないためには?」「食欲を無くせば良い!」で、結果ガリガリになって入院とか。

まあ、ネタ的には「るくるく」の方が近いかもな。

悪魔不思議な力で変なコトさせられなくても、ネットだと簡単にできるんだよね。

仕事しててキエーって叫びたくなっても、叫ばないじゃん。

知り合いがニュースに妙な感想言ってても、コンコンと諭したりしないし。

最近の若者は」に対して「若者の全てがそうである根拠は?」とか聞き返さないし。

イオンで買い物しててヒトコト物申したくなっても、お客様相談窓口に電話することってあんま無い。

フレンチの名門トゥールダルジャン行って持参のわさび醤油取り出すのは、魯山人海原雄山ぐらいだろ。

事件会議室で起きてないけど、発言しなくても会議室に居た事実は残る。

でも、ネットでは沈黙してると見えないから、居ないのと同じなんだよね。

から、「俺はここに居る」と、とりあえず発言しとく必要がある。

(下手すると、コメントを出さないことを勘ぐられる世知辛いネット社会だし)

「読んだ」よりは「こう思う」とかになるし、その結果が目立つなら、目立ちたくなる。

そういう目立つとか目立たないとかがハッキリ分かる仕組みって、日常生活では少ない。

ブコメスター座布団が無ければ、大喜利会場にはならんわけだし。

日常生活でも頑固な人っているし、2,3日なら考えを変えないとか、我が身を振り返っても無くはない。

ネット上は」とは言うものの、その向こうには「実社会からネットに繋いでる人」が居るわけで。

反対されれば反対されるほど意固地になるとか、仲良かったのにコジれて絶縁とか、良く聞く。

その手の話が超高速かつ大規模に行われると「炎上」とか呼ばれるのかなと思ってる。

からまあ、炎上時にゴメンして反省とか、中々難しいんじゃないかな。

からこそ、欲望のコントロールができる全能感があるとき以外は、ネットから距離を置くのが良いわけで。

日常生活ではミットモナイことする俺でも、ネットならスマートになれるとか幻想だろうし。

承認欲求は脅威ではなくネット社会に不可欠な要素である - はてな村定点観測

http://b.hatena.ne.jp/entry/cyberglass.hatenablog.com/entry/2015/11/11/065035

2015-11-01

発達障害者処世術

・人並みの幸せは諦める

障害のことは人前では一切口にしない

・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない

・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり

 搾取しようと企む性悪定型のどちらかしかいないと心得るべし

沈黙は金以上なり

飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない

冗談ジョークを言わない

・口に出すのは挨拶感謝謝罪だけにすべし

・人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと

雑学的な知識を人前では見せないこと

自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと

・はしゃがない。笑わない。

・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな

定型の言う事には必ず裏があると心得るべし

定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし

・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕事かどうかを基準に選ぶ

・なるべく大規模な職場を選ぶこと

人間関係トラブルしか生まない

・人付き合いやコミュニケーションビジネスハウツー本発達障害者にとっては何の参考にもならない

発達障害者が「馬鹿になれ」を真に受けて実行すると怒りや恨みを買うか、さらバカにされるかしかないことを心得るべし

絶対自分を出さないこと

孤立孤独発達障害者運命だと思って諦めること

他人と会話がしたいならネット掲示板だけに留めておくこと

2015-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20151029235242

かくいう私もなんとかさん自分記事と比べられたくないのか沈黙しててウケる

2015-10-29

さようなら疲れている人

疲れている人は今週も毎日来ていた。

だが、今日疲れている人はいなくなった。

「疲れがすっかり取れました。ありがとう!」

沈黙って言った瞬間沈黙がなくなるのと同じで、疲れている人の疲れがなくなったら疲れている人ではない。

無事疲れている人から卒業したのだ。

「でも…」

風間とおるが神妙な顔で続けた。

「痛いんです。」

みぞおち付近を手のひらで押さえた。

「そこは内蔵が一番多いんです。胃も食道も肝臓も胆嚢すい臓も大腸心臓も肺もその辺に集中してるんですよ。」

私は先日触れた腹部のしこりを思い出した。

疲れている人から卒業したが、痛い人になっている。

「どのように痛いんですか?食事と関係がありますか?」

「食後に痛いです。」

「食後に痛いのは、十二指腸潰瘍の可能性がありますよ。逆に胃潰瘍は食前に痛みます。あと食後には胆嚢が収縮して動くので胆嚢炎っていう可能性もあります。」

「痛み止めをください。これロキソニンって効きますか?」

「痛みに効きます。でも胃潰瘍だった場合胃潰瘍悪化させますから飲んではいけません。病院でみてもらったらいかがですか?」

すると痛い人は、

「それはどうしても…」

と、それは言わないでほしいという空気が流れる。

「なぜその辺が痛いのか原因が分からないと命に関わりますよ。」

と話す。

潰瘍が出来てて痛いのか、胃の動きが悪くて痛いのか、胃酸が出すぎて痛いのか、痛いのにも種類があるんです。」

説明するも、痛い人は

「一番いい痛み止めをください。ボルタレン湿布も塗れば痛み取れますか?」

と言う。

「それらの薬はかえって痛くなるかもしれませんよ。」

するて、

「疲れの時はいっぱいくれたのに…」

と痛い人。

「え…」

まずかったのかと思い、ここは痛み止めじゃない方向へ行かないといけない。

「胃十二指腸潰瘍が出来ていて痛いとしたら、胃酸を止めなければなりません。口内炎にずっと塩酸をかけていたら口内炎はなおりませんよね。

胃酸は塩酸くらいの強酸性です。この胃酸を抑えないと、潰瘍に胃酸がかかり続けて潰瘍が治らないんです。潰瘍を治すには胃酸から遠ざけないといけません。

そこで、胃酸を抑えるのがH2ブロッカーです。ガスターという薬です。ガスター10という薬がありますが、病院ではガスター20というのが処方されます

まりガスター10を二錠飲めば病院の処方ということになります。飲んでみて痛みが止まれば、原因は胃潰瘍だったという可能性が高いかもしれません。

ただ胃潰瘍けが痛みの原因じゃない場合もありますのでたまたまかもしれませんが。」

「胃酸が出なくて食事していいんですか?」

食べ物は、胃酸だけで消化させているわけではありません。すい臓や肝臓から消化酵素が出ているか大丈夫です。」

「そうなのか。分かりました。ガスター飲んでみますありがとう!」

と言って帰った。

今までの流れだと明日も痛いって来る。

痛みの場所を変えてくるだろう。

背中とか右下腹部とか言われたらどうしようもない。

私はすい臓のことや腎臓のことは分からない、あと当たり前だが虫垂炎のオペもしたことがない。

医者に行って欲しいな。

2015-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20151027225316

はてな情報洪水が起きてるから他よりもちゃんと文章読めない人の割合は多いね

自分の処理できる以上の情報飛ばし読みし続けるほどに悪い癖がついて読解力が落ちていくことが理解できない人が沢山いる。

あとちゃんと理解できなかったなら発言しないという選択肢がある事を見落としてる人もね。

ちょっと考えれば分かることなんだけどね。

リアルにおいてはコミュニケーションの為に分からないことでも適当に相槌を打っていくのが大事だけどネットでは完全に沈黙をするのがベターである事はとても多いなんて事は。

2015-10-26

会社愚痴を言うのも大変

愚痴りたい内容のほとんどは関係者が見れば特定が容易なものばかりであり、かといって特定されなさそうな無難愚痴は少ないし、あったところでそれを言ってもストレスの解消にはならない。

言葉によって愚痴を行うのはおもったよりも大変だ。

そこで俺はタバコや酒に溺れる。沈黙によって愚痴を行う。 会社に入るまでは俺はタバコが嫌いだったし、全く酒も飲まなかった。

それが、入った瞬間に駄々マリするという。

ああ、これらのものに溺れる理由を察した。

言えないからだ。誰にも。ネットにも。

思えば昔から俺はゲームに入り浸っていた。今でもそうだが。

あれもタバコみたいなもんだ。百害あって一理なし。そんなことはわかってる。しかし、うまいこと愚痴表現できない俺にとって、そんなものでも救いだったんだなあって今になって思う。

百害あって一利なしというが、百害でさえも必要なんだなあって思った。

2015-10-24

王様は裸だ! と叫ぶ勇気 ~伊藤計劃ハーモニー』の崩壊

 基本的に、これまで僕は匿名文章を書くということをしてこなかった。

 パソコン通信しろブログしろmixiしろTwitterしろ、誰かと議論したり何かを主張したりするときは、常に素性をオープンにし続けてきた。腰をすえて議論する気もなく匿名書き逃げするような連中に、僕自身、さんざん苦しめられてきたから、同じようにはなるまいと思っていたのである

 それがSF小説批判だったらなおのこと。自分の愛するジャンルであるからこそ、逃げも隠れもせず持論を述べ、反論を迎え撃つ――それが本来の筋だと思う。

 しかし今回は、自分名前を出して発言するのはあまりリスクが大きいと判断して、不本意ながらこういう形を取らせてもらった。実は匿名で書くことにすら尻込みを感じている。

 なぜなら僕が今から批判しようとしているのは熱狂的なファンを多くもつ作家――伊藤計劃氏の作品からだ。

 2009年に亡くなった伊藤計劃氏だが、いまだにSFマガジン特集が組まれたり、映画が3作も公開されたりで、その人気はとどまるところを知らない。

 僕が始めて読んだ氏の作品は、『虐殺器官』だった。新人デビュー作ながらその年の、SFが読みたい! の1位を取ったというので、期待をもって読み始めたのだ。

 しかし、あまり感心しなかった。なぜなら作中のメインアイデアである虐殺の文法」というものが、言語SF歴史の中ではさほど捻ったものではなく、更に2005年に別の日本人作家が発表した短編とも酷似している。プロットの方も、ミイラ取りがミイラになってしまったというありふれたもの、逃げのようなもので、短編ならともかく、長編としてはガッカリするような結末だった。だもんで、個人的には年度ベスト1位を取るほどの作品とは思えなかった。

 年刊日本SF傑作選『虚構機関』に収録されている「The Indifference Engine」をたまたま読んだ時も、僕の評価は覆らなかった。

 舞台紛争地に置き換えてはいものの、アイデアから構成からテッド・チャン「顔の美醜について」にそっくりで、決して独創的とは思えなかったのだ(余談だが、「顔の美醜について」は、世間で変に高評価されている「あなたの人生の物語」よりもよほど構成のちゃんとした、優れたSFだと思う)

 出版されるSF作品の数も、世間SFファンの数も膨大なので、僕が好きではない作品や、アイデアが目新しいとも思えない作品が、評価されたりランキングの上位にのぼることもある。とはいえ、趣味に合わない作家を追い続けるのもあまり建設的ではないので、僕はその後、伊藤氏の作品をずっと読んでこなかった。

 だから、もしかしたら永久に他の作品を手に取ることもなかったかも知れない――

 2014年に、伊藤氏の『ハーモニー』が、日本SF長編部門オールタイムベスト1位を取らなければ。

 いくら避けてきたとはいえ、傑作『百億の昼と千億の夜』の牙城を、2000年代に発表された作品が崩したとなれば、さすがに読んで確かめざるを得なかった。

ハーモニー』のあらすじはこうだ(以下、ネタバレ注意)。

 大きな戦争のあと、生命至上主義によって、医療技術が高度に発達した世界

 人間は16歳になると健康管理用のナノマシン群「WatchMe」を体内にインストールし、その恒常性健康を、常にモニタリングされる。

 健康に生きることを強いる社会に反逆するため、御冷ミァハ、霧慧トァン、零下堂キアンの3人の少女は、餓死による自殺を試みるが、失敗した。

 その十数年後、ミァハは、新たな目的をもって暗躍をはじめ、その結果、トァンの目の前でキアンが犠牲になる。

 ミァハの願いは、Watchmeに組み込まれていた自意識喪失プログラムハーモニクス」を発動させ、人間たちの意識を奪うことだった。

 最終的に、ミァハはトァンに殺害されるが、ミァハの計画は実現し、全人類ハーモニクスされた結果、そこには誰もが意思を持たない完全に調和がとれた世界誕生する……。

 この結末を読んで、僕はひっくり返った。

 ちょっと待て、「ハーモニクス」できるのは、WatchMeを体内にインストールしている人間だけじゃなかったのか!?

 確か作中では、人々がWatchMeをインストールしていない地域のことも書かれていたはずだ。

 そして何より――子どもたちのことはどうなったんだ?

 16歳未満の子どもには、WatchMeがインストールされていない。WatchMeを入れられたくないからこそ、ミァハたちは16歳になる前に心中しようとしたはずだ。

 つまり、16歳未満の子どもはハーモニクスすることが物理的に不可能である

 にもかかわらず、エピローグでは、全人類意識ハーモニクスされたように書かれている。作中の設定どおりなら、こんなことはあり得ないのだ。

 この作者は、自分が書いた設定を忘れている!

 だいたい、ミァハの目的については、健康世界に苦しむ、「意識」ある子ども自殺をなくす、というのも書かれていたはずだ。

 にもかかわらず、彼女の行動で出来上がったのは、「先進国の大人だけが意識を失い、先進国の子どもたちや、一部地域人間意識を保ったままである世界」だ。 子ども自殺はなくならないだろう。出発点と正反対だし、エピローグの、全人類意識を失った調和の取れた世界、という光景は有り得ない。はっきり言って無茶苦茶である

 そう、『ハーモニー』という長編は、その評判とは裏腹に――完全に破綻しているのだ。

 作家というのも一人の人間である。あまりに大きなミスはいえ、病床の伊藤氏が見落としてしまったのも仕方ないのかもしれない。

 情けないのは早川書房だ。自分で書いたものをそのまま世に出してしまえる同人誌と違って、商業出版には校正という作業が存在する。誤字や誤植のほか、作中の矛盾などを指摘して、作者に修正を促す大事な行程だ。 『ハーモニー』のこの矛盾は、プロット自体を完全に崩壊させる、校正が厳格な出版社だったら絶対に許さないようなミスだ。これが講談社新潮社のように校正がしっかりしている出版社だったら、こんな欠陥を抱えたまま作品が世に出ることはなく、伊藤氏も、恥をさらさずに済んだだろう。

 それに輪を掛けて情けないのがSFファン。

 SF評価する上で、アイデアは確かに重要だ。

 けれど、その作品プロット構成が、最低限成立しているかどうかくらいは、アイデア好き嫌い以前に、ちゃんと見極めるべきだ。

 ちなみに、僕は『ハーモニー』のアイデアも独創的だとは思わない。

 ユートピアを追求したら自由意思存在しないディストピアになってしまったという結末は、星新一や、アシモフ代表作のほか枚挙にいとまがないし、クラークの某長編をはじめとする「人類補完もの」のバリエーションひとつとも読める。 また、ラスト以降の世界が、「自由意思を失った大人が、自由意思をもった子どもたちと暮らしており、子供も大人になると自由意思を失うことになる」、というものであれば、ほぼ、『キノの旅』1巻の重要エピソードである「大人の国」と同じ世界になる。

 ともあれ、これほどまでに構成破綻した作品日本SF大賞の受賞作にしたり、オールタイムベストの1位に選んでしまうのは問題だろう。

 考えてみて欲しい。SFというジャンルに興味を持ってくれた人が、こういうランキングを参考にして、まず第1位の作品から読み出したとき、「SFって、こんなにいい加減なプロット作品評価しているんだ」と失望してしまったら? 「SFなんて適当構成でも許されてしまう、低レベル小説ジャンルなんだ」と思ってしまったら?

 それはきっと、SF作家たちとジャンルにとって大きなダメージになるだろう。

 この文章を書いている途中で、僕は奇妙なことに気づいた。

 SFマガジンのような活字媒体と違って、WEB上では、この大きな穴について言及している感想もぽつぽつ見かける。だが、そういうミスを指摘できているのは、SF作家SFライターSF評論家ではなく、ごく一般の読書ブログをつけているような人、「SF界とは繋がりが薄そうな人」ばかりなのだ

 そこでふと思い至った。

 いくらなんでも、あれだけ多くのSFファンやSF評論家が持ち上げているのに、誰一人として欠陥に気づかないというのは、どう考えてもおかしい。

 みんな、欠点に気づいていながら、それを指摘してしまえば伊藤氏のファンから一斉に反発を食らってしまうために、沈黙しているのではないか?

 あるいは、伊藤氏が亡くなってしまっていて、作品の欠陥を指摘したところで訂正の機会がないから批判するのは忍びないと感じているのではないか?

 だとすれば、これはまるっきり、童話の「裸の王様」だ。みんなで持ち上げるうちに引っ込みがつかなくなって、誰かが声を上げるのを待っている。童話と違うのは、誰ひとり「王様は裸だ!」と言う勇気がなくて、とてつもない歪みが生じていることだ。

 僕は、この歪みが決定的な打撃をもたらすのは、『ハーモニー』の映画公開時だと睨んでいる。「夭逝天才が残した傑作SF」の評判を聞き付けて、SFファンや伊藤氏のファン以外にも、たくさんの観客が訪れるだろう。その時、プロットがぐちゃぐちゃに壊れているのを発見した観客たちによって、「さよならジュピター」なみの珍作として扱われることになるのではないか。

 誤解しないで欲しい。僕は何も、伊藤氏の人格を貶めようとしている訳ではないし、『ハーモニー』を賞賛するのはやめよう、と言っているわけでもない。

 ただ、彼の作品を持ち上げようとするために、SF読者、それもジャンルにどっぷりつかっているような人間たちが、構成上の欠陥に対して目をつぶり、盲目的になってしまうのは、SF未来を考える上で、間違っている、と主張したいのだ。もしも、「この『ハーモニー』という作品は、これだけ小説としては崩壊しているけど、それでも僕は好きなんです」と言える読者がいるのなら、僕もそれは否定しない。作品の出来不出来と、個人的好き嫌いは必ずしも一致するものではないからだ。 僕だって、出来は悪いけど好きだと胸を張って言えるSF作品は沢山ある。

 たとえ何年か後、オールタイムベストの上位から滑り落ちたとしても、今のように、宗教的で無批判な礼賛ではなく、伊藤氏のファンが「こういう風に壊れている部分もあるけれど、好きな部分もある」という主張を大っぴらにできるようになったら、その時はじめて、『ハーモニー』は、正当な評価を受けられるのではないか、それこそが伊藤氏のためになるのではないか――僕はそう信じる。

2015-10-21

[]「沈黙は金」と言われた頃は銀のほうが価値が高かった

やはり金の方が価値があった。

カーライル,トーマス (Carlyle,Thomas)の『衣装哲学』が出典である

言語も偉大ではあるが、最も偉大なものではない。スイスの碑銘にあるように、言語は銀であり、沈黙は金である。私はむしろ言語は一時のものであり、沈黙永遠のものであるといいたい。」

沈黙は金、雄弁は銀

会社仕事中に無駄話しないように徹底したら孤立したぞ

まぁ業務上必要な事も一切聞かずにトイレに篭ってたからな

I崎のTwitter完全に沈黙したな。

毎日中毒のように連投してたのに。

2015-10-17

僕が子供を欲しくない理由

まず大前提として僕はきわめて子供が好きだ。あやしかたなんかうまいほうではないけれども彼ら彼女らはとても愛らしい

道行く子供など見ているだけでも楽しい

ただ僕が子供を好きであることと子供自身が持つ人生は全くの別だ。100%の主観他人を見て関与するのはやめておいたほうがいい

それがたとえ愛だとしても


現代歴史上で最も人間人間らしく生きることが難しい時代だと感じている

「なにをバカな、昔は宗教戦争があってコロッセオで人を虎に食わせて結核にかかったら必ず死ぬ時代だったんだぞ。今は飢えて死ぬことはどんなに貧乏でもありえなくどこにでも行ける交通手段があって子供武器なんか持たせなくていいんだぞ」

とおそらく人は言う

けれど闘争弱肉強食宗教という信念に準じた戦争尊皇攘夷日本赤軍アーリア人の強烈なナルチシズムもどれも人が自然に生きる中で生じた出来事であり、人としての感情が素直に発露した結果である。ここで書きたいのはそれが良い悪いの話ではない

現代暴力権力自意識、怒りなど人が最もエネルギーを発揮する感情は全てそれがどんなに小さいものでも即座にたたきつぶしにくる

かわりに悲しみや平和ばかりが讃えられる。何か犯罪が起きた時に被害者遺族の悲しみには同情しても加害者の怒りにはほぼ誰も同情しない。特に女性は100%と言って良いだろう、聞いてみればいい

「君はストーカーに同情しますか?」と

まれた時からほぼ全員が道徳正義常識にそぐわない怒りというものをこれでもかと封じ込められてきた

しかしまともに生きてきた人間なら怒りほど行動力思考力や集中力を高ぶらせるものはないと知っているはずだ

自意識激情には徹底的に蓋をする。そういう時代

けれど「私」に蓋をすれば同時に悲しみや喜びにもふたをする。エーリッヒ・フロムはそれを抑うつの正体だと言った

これは何も先人達闘争によって獲得された現代平和否定する話ではない。ただ人が有機体として生きるとは何かという話である

東京を歩いているとたまにどういう気持ちでいればいいのかわからなくなる時がある。人はその時々の環境によって見せる顔も役割気持ちも違う

家で鼻くそほじくっている時と仕事している時

吉野家に入る時とフレンチに入る時

歯医者に行く時と図書館に行く時

アルマゲドンを見ている時とホタルの墓を見ている時

意識せずとも経験自然感情の流れでその場その場に適応していく

悲しい時には泣けばいいし笑いたい時には笑えばいい。そうやってその場の温度がつくられる

けれどどういう気持ちでいればいいのかよくわからなくなる時がある

パチンコ屋の上に精神科のクリニックが入っているビル

貼り付けた笑顔接客するファミリーレストラン

タバコを売っているJTが設置した喫煙所嫌煙広告

ingress提供するgoogle

大手TVに出演する元不良のコメンテーター

笑ってセックスするAV女優

二面性を否定するほど子供ではないがそれでも憂慮も沈黙も罪悪感も置き去りにしているように見える無機的に見える事物が多い

愛よりも金や資本有機体よりも無機質な物の趨勢がかなり強くなっているように感じる

前後が逆だ。英語表現するとわかりやす

I have to do 私は何かをしなければいけない

I am to do 私は「可能性、責任運命、予定、意志」で何かをする

何かを持って何かをするというのはしなければならないと訳される一方で後者は自らでいるために何かをすると訳される。言語というのはかくも面白い

例えば笑って接客する店員はHe has the job to laugh at strangers with no reason.となる

直訳は彼は理由もなく他人笑顔を振りまく仕事を持っている、省略すれば彼は笑わなければいけない、だ。

持つことを否定するわけではない。仕事金も車も恋人も持つために持つと書くと強制になってしまう。欠乏している他人をさげすむ人は必ずこの思考様式である

自身も金に脅かされほとんど逆転してしまっている。もう抗うことは不可能なほど機械化もとい無機化が進行している

2045年には技術的特異点によりいよいよ機械が人を超える時が来るようだ

時代が悪い。過激な言葉でいえば人が生きている時代じゃない。そんな時代に僕は子供を欲しくはないんだよ

2015-10-02

就職して10年たったので、重要だと思ったことを記念に書きたい

http://anond.hatelabo.jp/20151001133903

10年前サラリーマンになった。

通常は、サラリーマン生存率は10年で90%位だろうか。

私は、どちらかというと起業というより適当会社就職した。

いうまでもなく意識高く起業したのではないから就職した初年度に会社からくる初めて見る諸々の給与明細など、送られてくるたびにまた税金があるのかとビクビクしたものだ。

時には貯金について日夜考えすぎて、頭がハゲて、病院嫌いにもかかわらず皮膚科に行き、やる気のない態度の悪い医者ハゲ薬をもらい、治したことも今となっては微笑ましい思い出だ。

もともと自分自身には才能があるとは思わない。だが、就職をしてかつ継続するにあたり

大切だと思ったことを記念に書いておきたい。

■■信念

やはり一番重要なのは信念(Faith)だと思う。

なぜかというと、クライアント要望プロジェクトメンバー意見など常に相対的で、移ろいやすからだ。

クライアントAがXがいいといっても、クライアントBはYがいい、クライアントCはZがいいという。

まり、みんな意見ことなり、好みも違う。あたりまえだ。

それで重要なのが信念だ。これは唯一己のうちにある絶対的ものだ。

この信念を強くもって、自分の足下に大きな杭として打ち込んでおくのだ。

そうすれば異なる考え・ニーズを前にしてもぶれずに前に進んでいける。

杭をしっかり打ち込んでいないと、進むべきベクトルはぐるぐるまわりで、メンタルがもたないだろう。

あと、この杭がないと困難の中、事業継続していくことが難しい。

物事うまくいかないことの方が多いからだ。

トライアンドエラーを繰り返し、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、

正直「もう辞めたい」と100回以上思ったことがあるが、その度に信念に基づいてその言葉を打ち消してきた。

私の場合、信念という杭があったか10継続できた。

■■人脈

人脈は大切だ。当初人脈を作りにビジネス交流会にも行ったが、結論として分かったのは、これは悪くは無いが、絶対にいく必要のあるものでもないと分かった。

人脈を作るのに一番有効なのは自分がいい人脈になることだ。

そうすれば磁石のように素晴らしい人格・知性を持った人たちと出会える。

では、どのようにすれば己がよい人脈となれるか?

自分投資をすることだ。投資といってもなにも高額なお金投資というのではない。

時間教養について投資をするのだ。一番ROI効率が高いのは、読書だろう。

とにかく自分の専門分野と隣接する領域について読みあさること。

自分場合は、就職をして平日は月曜から金曜まで仕事をして、夜はなにもない家に帰って、ずっと読書をしていた。

特に就職をすると起業家と異なり、助けてくれる上司はいるが大半は無能だ。

自分問題を解決しないといけないので、問題現状分析・解決法は膨大な読書量による

知識によっていくつか得られるのだ。

このように知識・問題解決能力が身についたら、それを出会ビジネスマンたちにGiveしよう。

とにかく与えること。そこから人脈の輪が広がる。

■■付き合う人

起業とはことなり、就職をするといろいろな人に出会える反面、

逆に得体の知れない人もかなりやってくることがある。

いったいどのようなビジネスモデル利益をあげているか、どのような収入で食べているのかよく分からない人。

後になって腑に落ちないそのビジネススキームを振り返ると、やっぱりあの人詐欺師だったんだと分かることもある。

得体の知れない人に出会った場合、その人を見る時、倫理観によって判定するのがよりよいと思う。

参考としては、ベンジャミンフランクリンの13の徳が役に立つだろう

節制沈黙規律決断節約、勤勉、誠実、正義中庸、清潔、平静、純潔、謙譲

得体の知れない人の話しを聞いて彼の人となりが、13徳から非常に乖離している場合

さっさと距離をあけるべきだろう。

実際に私も起業をして、危ないことがいくつかあった。

それは、業界的に非常に有名人でかつメディアにも露出している人がいた。

その人が、私に一緒に日本東南アジアビジネスをしないか?と持ちかけてきた。

だが、彼の話をよく聞くと、現地の人を馬鹿にしたり、自分仕事をしないで稼ぐ、といっていた。

私はこれを聞いて、この人は危ない人だとすぐに分かった。

繰り返すが、この人はメディア露出していた人だ。

だが、メディアほど当てにならないものはない。

それよりフランクリンの13徳の方が優れているのだ。そしてこれに照らし合わせて、やばい人と思い、私は彼と距離をあけた。

数年後彼は逮捕された。

このように起業してから付き合う人はとても大切になる。

自分判断基準をもち、素晴らしい人と付き合っていきたいものだ。

■■己の人格

自分人格を磨くことは重要だ。

なぜかというと、仕事所詮生身の人間同士によって成り立っているからだ。

そして、この人と一緒に仕事をしたいと思われないと、仕事継続性がたち消えてしまう。

人は好きな人好意を持てる人と仕事がしたいのだ。嫌なやつと仕事をしたい人はいないだろう。

メカニズムとしては、人は、大脳辺縁系でその人が好きか嫌いかを判断し、それを大脳新皮質論理的意味づけをするのだ。

これはよく知っておいた方がよい。

いくら論理的に正しいことをいっていても、嫌なやつ、人格的に破綻しているやつであれば、他者大脳辺縁系は嫌いな奴と判断し、

それにともない大脳新皮質論理的適当言葉を組み立ててあなた意見リジェクトするだろう。

理想は、崇高な人格をもち、深い知性・教養をもてることだろう。

もちろん私はこの域には達しておらず、死ぬまで目指していきたいと思っている。


以上、就職をして大切だと思ったことをつらつらと書いてみた。

結局のところ、私は運良く、素晴らしい人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。

から今の自分があるのは、自分能力ではなく、多くの人のおかげだと思う。

その人々に深い感謝気持ちを込めて、筆をおかせて頂きたい。

2015-10-01

起業して10年たったので、重要だと思ったことを記念に書きたい

10年前起業をした。

通常は、企業生存率は10年で10%位だろうか。

私は、どちらかというと綿密に事業計画書を書いて起業をしたというより情熱に動かされて起業をした。

いうまでもなく緻密に計画を立てて起業をしたのではないから起業した初年度に役所からくる初めて見る諸々の納付書など、送られてくるたびにまた支払いがあるのかとビクビクしたものだ。

時にはキャッシュフローについて日夜考えすぎて、頭がハゲて、病院嫌いにもかかわらず皮膚科に行き、やる気のない態度の悪い医者ハゲ薬をもらい、治したことも今となっては微笑ましい思い出だ。

もともと自分自身には才能があるとは思わない。だが、起業をしてかつ継続するにあたり

大切だと思ったことを記念に書いておきたい。

■■信念

やはり一番重要なのは信念(Faith)だと思う。

なぜかというと、クライアント要望プロジェクトメンバー意見など常に相対的で、移ろいやすからだ。

クライアントAがXがいいといっても、クライアントBはYがいい、クライアントCはZがいいという。

まり、みんな意見ことなり、好みも違う。あたりまえだ。

それで重要なのが信念だ。これは唯一己のうちにある絶対的ものだ。

この信念を強くもって、自分の足下に大きな杭として打ち込んでおくのだ。

そうすれば異なる考え・ニーズを前にしてもぶれずに前に進んでいける。

杭をしっかり打ち込んでいないと、進むべきベクトルはぐるぐるまわりで、メンタルがもたないだろう。


あと、この杭がないと困難の中、事業継続していくことが難しい。

物事うまくいかないことの方が多いからだ。

トライアンドエラーを繰り返し、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、

正直「もう辞めたい」と100回以上思ったことがあるが、その度に信念に基づいてその言葉を打ち消してきた。

私の場合、信念という杭があったか10継続できた。



■■人脈

人脈は大切だ。当初人脈を作りにビジネス交流会にも行ったが、結論として分かったのは、これは悪くは無いが、絶対にいく必要のあるものでもないと分かった。

人脈を作るのに一番有効なのは自分がいい人脈になることだ。

そうすれば磁石のように素晴らしい人格・知性を持った人たちと出会える。

では、どのようにすれば己がよい人脈となれるか?

自分投資をすることだ。投資といってもなにも高額なお金投資というのではない。

時間教養について投資をするのだ。一番ROI効率が高いのは、読書だろう。

とにかく自分の専門分野と隣接する領域について読みあさること。

自分場合は、起業をして平日は月曜から土曜まで仕事をして、夜はなにもない家に帰って、ずっと読書をしていた。

特に起業をするとサラリーマンと異なり、助けてくれる上司はいないのだ。

自分問題を解決しないといけないので、問題現状分析・解決法は膨大な読書量による

知識によっていくつか得られるのだ。

このように知識・問題解決能力が身についたら、それを出会ビジネスマンたちにGiveしよう。

とにかく与えること。そこから人脈の輪が広がる。


■■付き合う人

サラリーマンの時とはことなり、起業をするといろいろな人に出会える反面、

逆に得体の知れない人もかなりやってくることがある。

いったいどのようなビジネスモデル利益をあげているか、どのような収入で食べているのかよく分からない人。

後になって腑に落ちないそのビジネススキームを振り返ると、やっぱりあの人詐欺師だったんだと分かることもある。

得体の知れない人に出会った場合、その人を見る時、倫理観によって判定するのがよりよいと思う。

参考としては、ベンジャミンフランクリンの13の徳が役に立つだろう

節制沈黙規律決断節約、勤勉、誠実、正義中庸、清潔、平静、純潔、謙譲

得体の知れない人の話しを聞いて彼の人となりが、13徳から非常に乖離している場合

さっさと距離をあけるべきだろう。

実際に私も起業をして、危ないことがいくつかあった。

それは、業界的に非常に有名人でかつメディアにも露出している人がいた。

その人が、私に一緒に日本東南アジアビジネスをしないか?と持ちかけてきた。

だが、彼の話をよく聞くと、現地の人を馬鹿にしたり、自分仕事をしないで稼ぐ、といっていた。

私はこれを聞いて、この人は危ない人だとすぐに分かった。

繰り返すが、この人はメディア露出していた人だ。

だが、メディアほど当てにならないものはない。

それよりフランクリンの13徳の方が優れているのだ。そしてこれに照らし合わせて、やばい人と思い、私は彼と距離をあけた。

数年後彼は逮捕された。



このように起業してから付き合う人はとても大切になる。

自分判断基準をもち、素晴らしい人と付き合っていきたいものだ。


■■己の人格

自分人格を磨くことは重要だ。

なぜかというと、仕事所詮生身の人間同士によって成り立っているからだ。

そして、この人と一緒に仕事をしたいと思われないと、仕事継続性がたち消えてしまう。

人は好きな人好意を持てる人と仕事がしたいのだ。嫌なやつと仕事をしたい人はいないだろう。

メカニズムとしては、人は、大脳辺縁系でその人が好きか嫌いかを判断し、それを大脳新皮質論理的意味づけをするのだ。

これはよく知っておいた方がよい。

いくら論理的に正しいことをいっていても、嫌なやつ、人格的に破綻しているやつであれば、他者大脳辺縁系は嫌いな奴と判断し、

それにともない大脳新皮質論理的適当言葉を組み立ててあなた意見リジェクトするだろう。


理想は、崇高な人格をもち、深い知性・教養をもてることだろう。

もちろん私はこの域には達しておらず、死ぬまで目指していきたいと思っている。





以上、起業をして大切だと思ったことをつらつらと書いてみた。

結局のところ、私は運良く、素晴らしい人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。

から今の自分があるのは、自分能力ではなく、多くの人のおかげだと思う。

その人々に深い感謝気持ちを込めて、筆をおかせて頂きたい。

2015-09-29

[] アナンジュパス

Un ange passe.天使が通った(会話の最中何となく気まずい沈黙が生じたときに言う言葉

2015-09-19

色々な瞑想まとめ

~ānāpāna-sati(安般念)によって紹介されている呼吸瞑想

Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。「私は全身の感覚を把握しながら(paisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。

~Maha-satipatthana Sutta(大念住経)の瞑想方法

"And how does a monk remain focused on the body in & of itself?

では、比丘たちよ、比丘はどのようにして、体そのもの気づきを保ち続けるのでしょうか?

"There is the case where a monk — having gone to the wilderness, to the shade of a tree, or to an empty building — sits down folding his legs crosswise, holding his body erect and setting mindfulness to the fore [lit: the front of the chest]. Always mindful, he breathes in; mindful he breathes out.

ここにある比丘がいます — 彼は森へ行き、木の陰へ行き、あるいは空家に行き — 腰を下ろして足を組みます。背をまっすぐに伸ばし、そして気づきを(胸の)前部へと向けます。そして、常に気づきをもって、彼は入息します。気づきをもって、出息します。

"Breathing in long, he discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long.' Or breathing in short, he discerns, 'I am breathing in short'; or breathing out short, he discerns, 'I am breathing out short.' He trains himself, 'I will breathe in sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe out sensitive to the entire body.' He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.' Just as a skilled turner or his apprentice, when making a long turn, discerns, 'I am making a long turn,' or when making a short turn discerns, 'I am making a short turn'; in the same way the monk, when breathing in long, discerns, 'I am breathing in long'; or breathing out long, he discerns, 'I am breathing out long' ... He trains himself, 'I will breathe in calming bodily fabrication.' He trains himself, 'I will breathe out calming bodily fabrication.'

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります。短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知ります。「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練します。「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練します。あたかも熟練したろくろ工、あるいはその弟子が、ろくろの紐を長く引っぱれば、「私は紐を長く引っぱる」と知り、紐を短く引っぱれば、「私は紐を短く引っぱる」と知るように。これと同じように、比丘が長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知ります・・・「私は全身の感覚を把握しながら息を吸おう」と訓練します。「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練します。

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or externally on the body in & of itself, or both internally & externally on the body in & of itself. Or he remains focused on the phenomenon of origination with regard to the body, on the phenomenon of passing away with regard to the body, or on the phenomenon of origination & passing away with regard to the body. Or his mindfulness that 'There is a body' is maintained to the extent of knowledge & remembrance. And he remains independent, unsustained by (not clinging to) anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

このように、比丘は内部から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、外部から体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、内部・外部両方から、体そのものに対して気づきを保ちます。あるいは、比丘は体に関する現象の発生に気づきを保ちます。体に関する現象の消滅に気づきを保ちます。あるいは、体に関する現象の発生と消滅に気づきを保ちます。あるいは、比丘の「体が存在する」という気づきは知識と想起の範囲で保たれます。そして比丘独立を保ち、世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when walking, the monk discerns, 'I am walking.' When standing, he discerns, 'I am standing.' When sitting, he discerns, 'I am sitting.' When lying down, he discerns, 'I am lying down.' Or however his body is disposed, that is how he discerns it.

さらに加えて、比丘が歩いているとき、この比丘は「私は歩いている」とはっきりと知ります。立っているとき、この比丘は「私は立っている」とはっきり知ります。座っているときには、「私は座っている」とはっきりと知ります。横たわっているときには、「私は横たわっている」とはっきりと知ります。あるいは、体がどのような状態になるのであれ、はっきりとその状態を知ります

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものを内部から、あるいは外部から、あるいはその両方から気づきを保つ方法です。そして・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのもの気づきを保つ方法です。

"Furthermore, when going forward & returning, he makes himself fully alert; when looking toward & looking away... when bending & extending his limbs... when carrying his outer cloak, his upper robe & his bowl... when eating, drinking, chewing, & savoring... when urinating & defecating... when walking, standing, sitting, falling asleep, waking up, talking, & remaining silent, he makes himself fully alert.

さらに加えて、比丘が前に進むとき・戻ってくるとき、この比丘自身に完全に注意を払います。何かに目を向けるとき・目をそむけるときも同様に・・・手足を伸ばすとき・曲げるときも同様に・・・自分外套コートなど)を運ぶとき自分の上着・お椀を運ぶときも同様に・・・食べるとき、飲むときに、噛むとき・味わうときも同様に・・・排尿するとき・排便するときも同様に・・・歩くとき、立つとき、座るとき、眠りに落ちる時、起きるとき、話すとき沈黙するとき比丘自身に完全な注意を払います

"In this way he remains focused internally on the body in & of itself, or focused externally... unsustained by anything in the world. This is how a monk remains focused on the body in & of itself.

これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。あるいは体そのものを外部から・・・世界の何物にも執着しません。これが比丘が体そのものに対して気づきを保つ方法です。

2015-09-15

品性器マスダ オン ゲリ

第壱話 後輩、昇給

第弐話 見知らぬ、文学

第参話 冴えない、回文

第四話 雨、腹下した後

第伍話 ブクマ零、トラバ無効

第六話 決戦、すいようび

第七話 はてなの造りしもの

第八話 comzoo、来襲

第九話 瞬間、メタブ、重ねて

第拾話 マスダダイバー

第拾壱話 魚拓された闇の中で

第拾弐話 二段ジャンプ価値

第拾参話 リア充、侵入

第拾四話 アルファマスダ、魂の座

第拾伍話 釣り沈黙

第拾六話 不労に至る病、そして

第拾七話 十一人目の適格者

第拾八話 スターの選択を

第拾九話 おっさん認定の戦い

第弐拾話 心のかたち、哲学の方たち

第弐拾壱話 増田公認

第弐拾弐話 せめて、日本語らしく

第弐拾参話 汁

第弐拾四話 最初の二者

第弐拾五話 終わる日曜

最終話 私の中のidを叫んだのけもの

それでは次回も、おそろしィおそろしィ!

2015-09-13

親戚の子散歩してたら、セミの死骸を見つけらしく、じーっとした後に、こっち向くと

「セミ死んじゃったの?」って、きいてきた。「まあ夏も終わりだしねえ。」と、適当に返したら、なぜかニィっとした笑顔になった。

「も死んじゃうんだよね。ママも、ばあちゃんも、じいちゃんも。あと、、はじも(その子名前)」って言うのよ。

何となくその笑顔意味が分かった。この子は、死というものを知ったんだろうと。

その時とても怖い思いをしたに違いない。それを人に伝えて良いかを戸惑ってる。

から、照れくさそうに気まずそうな笑顔を作ったと。

それは、わかったけど、どう答えて良いかわからなかった。

「ずーっと先にね。たぶん、はじが高学年になって、中学生になって、高校になって、大人になって、ずっと先にね。」

「ずーっと先?」

「俺ぐらいになっても、まだまだ先だしなあ。」

「ふうん」

笑顔は止まって少し沈黙してた。

こういのって、どう答えれば良いんだろう?

俺も怖かったよ。と伝える方法って無かったんだろうか。

もっとうまく話せる人なら、違う答えを返せるんだろうか。

2015-09-10

iPadが壊れた

動画再生アプリで、動く動画を見ていたら、

画面が一瞬でシュウウウウウウウンと端っこに寄って、少しだけブルーになって、

で、真っ黒。

沈黙

静寂。

絶句

何をしても反応せず。

充電のコードを穴に挿しても音もしやしない。

ホームボタンと上のボタンを同時押し10秒というのを試しても、うんともすんとも。

パソコンにつないでも反応ナッシング

修理に出すより他ないのか。

5000円くらいで済むのだろうか。うー。

いっそのことハンマーで叩き壊してしまいたくなる衝動

メッタメタのギッタギタに。

あるいは、窓の外から放り投げて明日新品を購入か。

夢なら覚めてくれればいいのに

親が死んだ時って、きっとこんな感覚なんだろうな。

2015-09-08

スプラトゥーン実況動画を見ての感想

キモイ男の集大成という感じ。

ゲームは最高なのに実況プレーヤー発言精神?がキモいの多すぎてビビった。

「あー!頼むからこう動いてくれよ…チッしゃーねーなw」

「こんだけ働いてこれだけかwSはつれーなー皆さんもそう思うでしょ?さっきのプレイで3しか貰えない!」

「そうきたかーあー………(沈黙)そう、俺が悪いんだよな。俺がフォロー含め3人分働けばry

ラノベ主人公っぽいっていうのか、ミサワっぽいっていうのか…上手く説明できないすまん。

ただ、男同士では分からないキモさなのかもなと思った。

だってこういう意見の人ばっかだったし。

女性の人は機会があったらいくつか見てみて欲しい。不快になっても責任はとれませんが。

上手い人のプレイを見たかっただけなんや…やっぱゲームはい自分経験して努力しなきゃダメだな。

http://anond.hatelabo.jp/20150908030943

ついでに言うと、意見が対立した相手を死ぬまで殴って(非物理的に)沈黙したことを以って「言い返せなくなったから勝利」とする単なる殴り合いを「議論論破」と表現する妙な風潮が罷り通っていることも影響しているだろうな。どんなに丁寧に説明しても自分の都合のいい所にしか反応しないわ最後には発狂するわそれで呆れて反応やめれば「逃げるの? ねえ逃げるの?www やった俺様大勝利www」じゃマトモな話なんてする気なくなるわ。

2015-09-06

ネット上のコミュニケーション殺伐としている理由

それは人間には2種類のタイプがおり、互いに相容れないからだ。

ひとつは、人とのつながりを重んじるタイプだ。

彼らはある話題があったとして、それを知ることによって得られた感情気持ちを共有したがる。彼らにはその話が真実であるかどうかはどうでもよく、互いに同じものを同じ目線で見れているのであれば、ウソ話であっても喜びを見出すのだ。

故に共感のしやすい明るい話や簡単な話を好み、共感を崩しやす真実妥当性の検証を好まない。

この増田文章に「わかるーそれなー」などと言うのがこのタイプだ。

彼らの言葉肯定から始まる。

何がわかったのか、それとは何なのかを説明しないことも特徴である

対してもう一つは、真実を追求するタイプ

彼らはある話題があったとして、それが果たして本当に正しいことなのか、理路整然として納得のできる話なのかを気にかける。

噂話などの根拠のない話を嫌い、「仲良くする」などという本質から離れた行為を可能な限りしたがらない。

この増田文章に「いや、他のタイプもあるぞ」と言い出すのがこのタイプだ。

彼らの言葉否定から始まる。

ネット上の会話は本質的一方通行である

ヤフーメッセンジャーのように相手が何かを書いているのを察して文章を消すなどということはしない。

返信するにしても、文章を書く手間があり、共感したら「わかる」などと書かず、無言でブクマをすることがある。わかる、とか、それな、とか、そういいった言葉には何の意味もないのだ。そこから何も返信すべき内容が浮かばない。

人とのつながりを重んじるタイプは、沈黙するのだ。

結局ここにテキストとして何かを書くことがあるとすれば、それは反論ぐらいしかない。

この増田文章是正し、真実を追求する。そういった者だけが書いている。繋がりを重んじるタイプいるかもしれないが、テキスト上には存在しない。真実を追求するタイプけが目立つ。

なので、どこを見ても否定語だらけで、殺伐としたコミュニケーションフィールドネットには広がっているのだ。

2015-09-02

さいこ幽霊みたいなものが見えた

厳密に言えば幽霊ではないのだけど、他の人には見えないものが見えていた。それを姉に相談したら、それはきっと霊感だよと言われた。だから、それを漠然霊感だと信じていた。今で言えば共感覚と言われるものかもしれない。だが、そんな言葉も知らない幼少期は、自分には特別能力が備わってしまったのだと思っていた。

ある程度の年齢を重ねてそんなバカバカしい物を信じているのはおかしいと考えるようになり、見えている自分否定するようになった。見えていても見えていないふりをするようにしていたのだ。それを続けることによって見えていないと思い込むことは簡単だった。

だけどつい先日、それは再びわたしの前に現れたのだ。白昼の社内、人一人分の影が室内をウロウロとしていた。誰の影かはよく考えないとわからないが影の形やその動き方の特徴をよく見ていると、なんとなくそれが誰の影かがわかってくる。

今日のそれは部長のものだった。それに気づいて部長の机に目をやるが、部長はいもの様に自分デスクに座って書類に目を落としていた。

その2日後に部長は急な転勤になった。周囲の人間入社して間もないわたしの前では一様に事情を話そうとしないが、どうやら会計不正があったであろうことだけは分かった。

新人のわたしに誠実な態度で丁寧に仕事を教えてくれた人だっただけに、ショックは大きかった。

わたしの両親はわたしが物心がついた頃から自営で雀荘を営んでいた。幸いながら営業が順調だったこともあり母親も深夜まで働いていた。

わたしは小学校が終わると家ではなく両親のお店に直行した。そこでご飯を食べたし漫画も読んだ。暇になれば近くのゲーム屋さんや本屋さんに行っていた。眠くなれば片隅のソファ睡眠をとり、仕事が終わった母親に抱きかかえられながら家に帰った。放課後の大半はそこで過ごしていたのだ。

そんなある日、突然店の中を歩く人の影を見た。はじめは見間違いかと何度も見なおしたが、それは確かにそこにあった。その一部の空間けが暗く、人の形に動いていたのだ。

それが誰かの影かどうかまで考えなかったが、その日の夜に信用していた従業員お金を持ち逃げしたという話を、数日後に両親がしていているのを耳に挟んだ。

それからというもの、度々お店の中で人影を見るようになった。大半は誰の影かわからないままだがその影が現れると従業員が金を持ち逃げしたり、お客が金を借りたまま蒸発したりといったことが起こった。

そのことで親にも相談したことがあるが当然とり合ってもらえることはなかった。それどこか、子供大人の事情に口を挟むんじゃないと強くたしなめられてしまい、それ以降は親に相談することもなかった。5つ年の離れた姉に相談したのはその頃だった。

中学に上がると時折学校でも影が見えることがあった。大抵はその日か数日後に長めのホームルームが開かれた。理由の大半は盗難だ。

クラスはいじめも当然のようにあったために、このことを友達に話すことをしないまま高校に進んだ。

高校と言っても地元公立校である。大半は見知った顔だった。その頃には毎日のように色々な影が見えたが、かと言って毎日学校で何かが起こるかというとそんなことはなかった。

そんな時、影の一つが見知った人のものだとわかってしまったことがあった。仲の良い友達の一人だった。本人に何かしら聞いてみようかと散々迷った挙句気持ち悪るがられるのが嫌であきらめてしまった。

その友達は数日後に学校を退学した。万引というよりも窃盗に近い犯罪だった。

そのことがショックでわたしは影の存在を認めることが怖くなってしまった。友人と話すこともなんとなく避けるようになり、例え誰かと話をしていたとしても足元ばかりを見るようになっていた。当然のようにわたしの周りから人は離れていった。

不思議なことにそうすることで影を見る頻度が減っていくことがわかった。影そのものが減ったのかどうか疑わしく考えていた時に、教室内で音楽プレーヤー盗難が発生した。沈黙が続くホームルームの中、わたしは一人で嬉しさを噛み殺していた。

それからも色々と試してみたが、どうやら普段から下を向いていればたまに顔を上げた程度では影がみえないことがわかった。くだらない事件は相変わらず周囲で発生していたが、影が見えなくなれば別に気に病むような事にはならなかった。

そうして非科学的なことを悩むこと自体バカバカしいと思うようになり、とくに意識しなくても影なんてものは見えなくなっていった。そのうち、見えていたことが自分思い込みだったのではないかと思うようになり、そうしてこの年までそんな話自体も忘れていたのだった。

部長の一件を含めて今になって考えてみれば、どうやら自分に備わっているのはその人の後ろ暗さを見抜く力のようだった。

幼少期から雀荘という特異な環境に身をおいていたことで、何の気なしに人の表情や行動、しぐさなどを見ている間に、その中から誰かから何かを奪おうとしている機微を見抜いていたのかもしれない。

から何かを奪おうとする人間はそれだけ周囲に対する警戒心が強くなるということなのだろう。この歳になってオカルトな話をするようで恥ずかしいが、その相手から感じ取った漠然とした不安が影として見えていたのかもしれないということだ。

先日、社内の男性に食事に誘われた。部長が転勤になってからわたしの教育を買って出てくれた2つ年上の男性だった。こんなこともあって学生時代に満足に人付き合いもしたことのないわたしは、断る理由もなくなく誘いに乗ってしまった。

ところが、その日になってまた現れたのだ。事務所の室内を落ち着かない様子でウロウロとしている影であるしかも、最悪なことによく見ればその影は食事に誘ってくれた男性のものだった。

誘いを断ろうか寸前まで悩んだ。勤務時間内で何か事件でも起こってくれれば自然と食事もなくなってくれるだろうと淡い期待も抱いていた。しかし何事も無く終業時間を迎え、結局断るタイミングもないまま彼との食事に来てしまった。最悪自分身の回りのものだけ肌身離さずにいればいい。食事が終われば用事があるなどと理由をつけてすぐにその場を後にすればいいのだ。

心なしか店に案内する彼から得体のしれぬの緊張が伝わってくるかのようだった。

はじめのうちは仕事はどうか、人間関係問題ないか、そんな当り障りのない会話をしながら食事を楽しんでいた。そうしてある程度お酒も進んできたところでふと顔を上げると、いまだかつて見たこともないような大きさの色濃い影が彼の後ろに迫っているのが見えた。

一瞬で酔いの覚めたわたしは身の回りの所持品に緊張を張り巡らせた。影の存在以前に、彼の表情が見るからに緊張していくのが分かった。

「こんな人の目がある中でまさか

次に起こることが予測できない恐怖から逃げ出そうとした時だった。

次の行動を注意深く見つめるわたしに、突然彼は向き直って口を開いた。

「も、、、もしよければ、また食事に来ませんか?というか付き合ってください!」

しばらくの沈黙の後、やっと状況を理解したわたしは大声を出して笑い転げてしまった。

なんと融通の効かない能力なのだろう。彼が奪おうとしていたものはわたしの所持品ではなく、わたしそのものだったのだ。

そんな違いさえ判断できないなんて、なんて愛おしくもぶきっちょな能力なのだろう。

そんなわたしの気持ちなど知る由もなくあっけにとられている彼の手を握りながらわたしは答えた。

「こちらこそ。「こんなわたし」でよかったら。」

彼の表情が緊張から喜びに変わっていくと同時に、大きな影も姿を消していくのがわかった。

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