はてなキーワード: 救急車とは
いろいろと話題になることの多い、あのIoT企業がいろいろとやばすぎるのでその伝説を紹介しよう。
昨年の秋から冬にかけてA社でファイナンスをやっていたのだが、実はその時にA社は存在していなかった。のちにB社をA社に社名変更している。
そのファイナンスでは工場を作るのに金が必要だといっていたが資金調達後も工場なんて作っていない。
さらに某国の元大統領が2億出すから値上がり確実と言って時価総額100億で資金調達をかけていた。その後元大統領から出資を受けたという情報はない。
株主に入っているNPOの代表の名前を検索すると補完に"詐欺"がでてくる。
副社長的なポジションの人は神戸にあった詐欺的なファイナンスでトラブルになった会社の元取締役。その会社はファイナンス時に会社関係者に皇族がいるのでお客さんには困らないと吹聴していたらしい。
あまりの金遣いの荒さに経理がストレスで倒れて救急車を呼ばれて入院。
収入がないのに社長は高級マンションに引っ越し、女の子を無理やり部屋に連れ込もうとして叫ばれて地域の有名人になる。
社内ではどうやって社長を追い出すかという密談が行われ始めた。
田舎の総合病院に赴任して老人を看ている医者だが、独り身の老後は本当に悲惨だと本当に実感した。
結婚もせず、結婚しても子供も持たずに生きようとしている人が今は多いが、現代ですらこの状況なんだから、今の20〜40代が後期高齢者になる頃にはもっと日本も苦しい国になって、間違いなく悲惨な死に方をする老人が増えるだろう。
病院で亡くなる高齢者というのは本当に哀れだ。肺炎だか尿路感染だか認知症だか分からないような状態で運ばれてくる老人がいくらでもいる。そういう高齢者はたいてい重度の認知症を抱えていて、おむつを着けられ、体調を崩したのもあって口からものを食べられず、病院では譫妄を起こして大声を出し続けている。腕のカチカチに固まった細い血管に無理矢理点滴ラインを確保しようとするものだから内出血ばかりで、看護師さんが苦労して確保したラインを自分で抜くものだから、手は縛られ、体もベッドにくくりつけられている。一日に1リットルか1.5リットルの点滴が命綱。病院食が出るも自分では全く食べられない。鼻からチューブを入れられたり、果ては胃瘻を造られたりして栄養を流し込んでもらうことになる。
今、悲惨だと思ったか?経腸栄養をしてもらえる老人はまだ幸せだぞ。胃瘻を造ってでも生きて欲しいと願ってくれる家族がいるんだから。赤ん坊に戻ったような、自分でメシを食えない老人は大抵そこでストップだ。医者が家族に話をする。「認知症に老衰もあって体力がなくなり、ご飯を食べられなくなりました。経鼻胃管か胃瘻で栄養を入れることもできますが、どうしますか」家族は言う。「食べられなくなったならそれが寿命です。このまま看取りたいです」そうするとどうなるか。命綱の点滴を減らしていく。1リットルが500ミリリットルに。500ミリリットルが100ミリリットルに。もちろん、そんな量で生きていけるはずがない。最初は大声を出して暴れていたような患者も、それが1週間も続けば動けなくなって、ひからびるように死んでいく。血圧が70くらいになったら家族が呼ばれ、死亡確認をしてお終い。
悲惨だろう?ところがどっこい、こうやって看取られるのもまだ幸せな方だ。看取ってくれる家族がいるんだから。死ぬまでお見舞いに来てくれる家族がいるんだから。認知症が進んで医者と家族の区別もつかない老婆に、同じく足腰の立たない旦那が毎日車椅子に乗って会いに来ている。神経疾患で人工呼吸器を着けられ、目でしか会話できないのに、週に1回は孫がやってくるおじいさん。そういう人はゆっくりと衰えていって、静かに家族に囲まれて死んでいく。これは幸せな方なんだ。
本当の不幸な患者とは—どんな背景であれ、見舞いに来てくれる、看取ってくれる家族も友達もいない、死ぬまで独り身の高齢者だ。
今はまだそういった「本当の独り身」の高齢者は少ない。何だかんだ言って息子夫婦がいたり、親戚がいたりして、見舞いと看取りに来てくれる人がいる。特にこんな田舎では、高齢者の友達づきあいも残っているから。だが、まれに見かける本当の独り身は、悲惨としか言いようがない。そういう老人はたいてい、市営アパートか、先祖から受け継いだ古い家に独りで住んでいる。足腰の立たない高齢者にはたいそう暮らしづらい。そのうち転んで骨を折ったり、肺炎にかかったり、今の時期だと熱中症にかかったりして(クーラーがない家も多いのだ!)救急車で病院に運ばれてくることになる。
病院でもこういう患者は困ってしまう。骨が折れた、肺炎だ、入院させて治療するのはいい。だが、家族もいない、介護サービスも利用していない老人は治療が終わっても家に帰せないのだ。最初の内はまだいいが、老人は何度も繰り返し病気になる。そのうち体力がますます落ちてきて、認知機能も衰えて、やがては独り暮らしなど全くできなくなって、やせこけてわけも分からない状態で運ばれてくる。誰が世話をするのか?介護の費用はどこから出るのか?方針を相談しようにも、親族もいないのだから病院だけで考えるしかない。もちろんソーシャルワーカーが仕事をしてくれるが、果たしてこの老人は、自分独りで生きていけない老人は、生きている意味が、楽しみがあるのか?という思いを誰もが抱える。そんな老人が治療不可能な状態になれば、家族に相談するまでもなく(相談する相手がいないのだから)ゆっくりと看取る、ということになる。わけが分からないまま、病院で誰にも見守られず枯れていく老人。
また別の悲惨さもある。子供や配偶者がいるものの、関係が良くないために世話をしてくれないパターン。90歳近くまで元気だった独居男性が、大腿骨頭骨折(老人にはよくある)で病院に入院したところ、あっという間に認知症が進行してわけも分からない状態になった。これもよくあること。隣県に住む息子に連絡を取ってみたところ、オヤジは昔からオフクロにも俺達にも暴力を振るって、家庭を顧みない人間だった。独りで暮らしているのもオヤジの勝手だし、今更世話なんかしたくない。死ぬならそのままでいい。もちろん、キーパーソンの了承のもと看取りコース。これまた悲惨だが、生き様だ。
20〜40代の若い人達に言いたい。独身生活、または結婚しても子供を作らない生活は、健康で人生を楽しめるうちは確かに楽で楽しいかもしれない。だが、あなたたちが老人になり、衰えていく時に、世話をしてくれる家族がいないと本当に惨めで不幸な死に方をすることになる。独り身は老衰スピードも速い。80歳まで元気に生きてある日ぽっくり死ねる自信がないなら、悪いことは言わないから、結婚して子供を作った方がいい。それも1人ではなく、2人3人を大切に育てるんだ。3人も子供がいれば、あなたと配偶者が衰え死んでいく時に、それを見守って支えてくれる人は、結局家族しかいない。
20年近く引きこもりを続けていた姉が自殺した。いつもは家族が寝ている明け方に起きてくる姉が、起きてこないことに母が気がついて姉の部屋を覗いたら首吊って死んでいた。すぐに救急車を呼んだけど手遅れだった。朝、父親に叩き起こされてその事実を聞いた時、最初に湧いた感情が「最後まで迷惑かけやがってあのクソ野郎」だった。
姉のせいで家族、とくに両親はすごいノイローゼ気味になってたし、兄弟も世間体気にしてすごく苦労させられた。もう数年間会話もせず、偶然居間などで居合わせれば舌打ちされる始末だったし、ずっとクソ野郎としか思ってなかった。
病院ついて、姉貴と対面して、重い空気だったからとりあえず神妙な顔をしたけど涙は出なかった。母親は泣いていた。父親は疲れきった顔だったけれども泣いていなかった。いろいろあって落ち着いた時に、湧いた感情が「やっと面倒事が終わる」だった。家族もみんな変な気を使わなくていいし楽になれると思った。
姉ちゃんが引きこもりになったのは中学の時で、小学生までは普通の女の子だった。我が家は兄弟が多くて、長女だった姉は面倒見がとても良くて、よく兄弟で遊んでいた。
小学校ではとても成績がよく(全国模試で1位をとったこともあった)、有名な国立中学校に進学したものの、いじめられて不登校になった。自分は、姉ちゃんをいじめた奴らが許せなかったので、「将来は教師になっていじめをなくす」と本気で夢見ていた。不登校になっても家では姉貴は明るくて、家族にお菓子を作ってくれたりしていた。食事も家族と一緒にとってたし、地元にはいじめっこはいなかったので学校に行かないだけで普通に外出はしてた。
そのうち、自分が高校生になって、大学受験の勉強を始めた。そのころから姉貴は急激に引きこもるようになった。部屋から出てこなくなって、食事も家族と一緒に取らなくなった。
自分は大学に進学した。割といい大学で、家族や親戚が褒めてくれた。調子に乗って将来の夢みたいなことを話していた。教師になる夢は消えていた。そういう時に姉貴は絶対に部屋から出てこなかったけれども、多分聞こえていたのだと思う。
姉貴は25を超えたあたりで、そろそろ取り返しが付かなくなると感じ始めたようで「大学に通いたい」と受験勉強を始めた。小学校では天才だった姉も、10年以上勉強していなければタダのバカだった。模試にも申し込んだけれども、人が怖くて外に出られなくて試験会場に行けなかった。「普通の人みたいに学校に行きたかった」と泣いていたことがよくあった。そのうち、家族に逆ギレするようになり、今に至った。
俺からしたら、「お前が自分で勝手に学校をサボり始めたんだろう」としか思わなかった。
そして今日になって自殺した。大好きだったお姉ちゃんが死んでしまったのに、涙1つでなかった。
どこでこんなことになってしまったんだろうかと悲しくなる。
こういう記事を書いて
「そんなこと無いよ。ひきこもりの姉がいて、苦労したんだから仕方ないよ」
と慰めて欲しがっている自分が嫌になる。
「お前最低だな。それでも人間かよ」なんて、
罵倒されたいわけじゃないのに、こんな記事を書いている自分が嫌になる。
かまって欲しいだけで、でも何か意見をして欲しいわけじゃない。
何を書きたいのかわからない。
ただただ、悲しくて、虚しくて、惨めで、自己嫌悪に駆られている。
驚いて風呂場から引っ張り出し、鼻の下に手をやると、どうやら息をしていない。
戸惑いながらも、とりあえずテレビとかで見た胸骨圧迫ってのをやってみた。
これで息を吹き返さなければ、口から直接空気を吹き込まねばならないのか?
それはちょっと嫌だな。
とか思いながら胸骨圧迫を続けていると、竹中直人は、ふう…と大きく息を吐いた。
どうやら息を吹き返したようだ。
でも、竹中直人は目覚めない。
119番に電話をかけた。
交換手のお姉さんが出て、今夏は熱中症の人の搬送などで忙しく、到着まで20分から30分はかかると言う。
じゃあ結構です、とは言えないので、それでもいいのでお願いし、電話を切る。
それにしても、何故、竹中直人がうちのマンションの風呂場にいたのかがわからない。
別に知り合いじゃないし。
聞こうにも竹中直人は目覚めないままだし。
とりあえず、救急車が来るまでの間に腹ごしらえだと思い、マンションの1階に入っている定食屋に行った。
カウンターでランチを注文して待っていと、宅配便のお兄さんが入ってきて、荷物を届けてくれた。
この前、Amazonで注文した「マッドマックス怒りのデスロード」のメイキング本だ。
受取りのハンコを捺していると、さらに2,3人、宅班便のお兄さんが担架を担いで入ってきて、「救急患者はどこですか?」という。
「え?」と思いながらも、自分の部屋に戻り、まだ倒れたままの竹中直人を担架に乗せて運んでもらう。
マンションの前の道路まで出ると、そこに止まっているのは救急車ではなく、宅配便のトラックだ。
担架に固定された竹中直人は、トラックの荷台に荷物と一緒に乗せられた。
救急車が足りないとき、宅配業者がこのような作業を請け負っているのだと初めて知った。
ずいぶんと雑に担架を積み込んでいたように見えた。
僕も同行を求められるのかと思ったが、何も言われず、トラックはそのまま走り去って行った。
「実は僕の部屋の風呂場で竹中直人が倒れていてさ。竹中直人と知り合いでもないし、なんでか全然わかんないだよね」
そしたら、マスターは答えた。
「あー、それはアレだ。このマンションには以前、○○、更にもっと以前には、△△が住んでいたからだ」
夢の中では、その名前はハッキリと聞き取れたのだけれど、目が覚めてみると、どうしても思い出せない。
とても気になる。
海外で運転してた事故った。ナビがわりのタブレットを落としてしまって拾おうとしたんだけどめんどうがってサイドブレーキあげなかったのでブレーキのふみが甘くなって電柱にがしゃん…情けないというかバカというか泣きたい。
でも、パニクる暇もなく人がたくさんきて救急車から警察の連絡やってくれた。こっちが英語が流暢でないとわかったらかわりにレンタカー会社にまで連絡してくれる。しまいにはとりあえずうちでコーヒーでも飲んでいきなよって。
虫の知らせがあったのかエクストラの保険に入ってたんだがピックアップが来るまで一時間かかるからうちでゆっくりしていきなって。けどピックアップが結局六時間待っても来なくて夕飯までご馳走になってしまった。その家の子どももなついてくれて、大きくなったら日本いくよ!とか一緒にねるーとかいっててさ、結局ピックアップこなくてかわりにクレームいれてくれてもろもろの今後のやりとりはシェアして確認してくれるっていうし、なんつーかね、なんでそんなに親切なんですかって泣きそうになった。事故は最悪だし自分はバカなんだけどこんな優しさに触れるなんて思ってなかったよ。でももう事故はいやだから車はのりません。神様ありがとう。世界は優しい。
海外のとある街で、深夜にバックをいくつも抱えた旅行中の女の子から道を尋ねられた。
治安の良い場所ではなかったから、駅まで送ってあげることにした。
そして、その途中でギャングに襲われた。
救急車が来るまでの間、警察官からもらったタオルでおびただしく出てくる血を抑えながら、
僕はひたすら彼女に謝りつづけた。
彼女が救急車で運ばれた後、警察とその場所で実況見分が行われた。
テレビ局が来て、僕を間近で投光器で照らしながらカメラを向けた。
僕は血まみれの服のまま殴りかかり、警察に止められた。
僕は安アパートで一晩中血まみれのまま過ごした。
朝まで寝ることは出来なかったが、記憶はない。
僕が体の異変に気付いたのは、それから数か月後の帰国後だった。
深夜に歩いていると心臓がドキドキして、空中から脂汗が出てくる。
その場で民家の塀に背中を押しつけたまま、身構えながらその小学生が通り過ぎるのを待った。
歩いている途中で自分の気持ちがまるで遊園地のバイキングのようにグラングランと大きく揺れ、
その場にしゃがみこんでしまうこともあった。
布団に入って明かりを消すと、後悔と罪の意識が黒い塊となって自分を襲ってくる。
あの時の光景が延々と脳裏に繰り返され、布団の中で何度も叫んだ。
毎日酔いつぶれるまで酒を飲み、明かりを煌々と付けて、ラジオのボリュームを大きくして、
夜がしらじらと明ける頃に、やっと浅い眠りにつくことが出来た。
当時はPTSDという言葉はまだなく、僕はそれを『心の後遺症』と呼んでいた。
もっともひどい状態で約5年。
今、20年以上たっているが、今でも似たような状況の場所と時間は避けて歩く。
何をもって直っていったのかは分からない。
巨大な、でも一粒づつしか落ちない砂時計のように、変化していったとしか言えない。
心療内科にも行っていないから、行った方が良い、行かない方が良い、その両方の助言をすることもできない。
でも、一つだけ。20年以上たって、今でも自分を許すことも出来ないけれど、
そうした事件があったということだけは認めることが出来た。
そして人よりも少しだけ、誰かが傷つくことに繊細になることが出来た。
震災から4年経ち、物理的な復興が進んで世間から忘れられ始めている今でも、
あの震災で僕と同じように、心に傷を負い、人目に付かない場所で苦しんでいる人がいることを想像することが出来た。
今でも定期的にボランティアに行っている。
僕には助言することが出来ない。
失恋した人や仕事で些細な失敗をして落ち込んでいる人にも優しさを向けられる、
そんな心の傷に繊細な人にしてくれる。
そしてそんなあなたの優しさがあなたに帰ってくる時がきっとくる。
少しでも早く良くなってください。
大丈夫。きっと良くなる。
私も若くはないが、彼女ももっと若くない、いわば、おばさんの域だ
調べてみたら、
国立循環器病センターの調査では、脳卒中(脳梗塞)は6~8月の夏に多く発症することを明らかにしました。
原因は、
夏は大量の汗をかくため体が脱水状態になりやすいことがあげられます。脱水が起きると血液中の水分が不足し、血液が粘度を増し、血のかたまり(血栓)ができやすくなります。
また、水分不足により体内を循環する血液量も減少して、血管が詰まりやすくなります。
また、寒さで血圧が上がりやすい冬とは逆に、夏は体の熱を放出しようと末梢血管が拡張し、体は血圧低下状態になっています。
彼女は親戚の綺麗なお姉さん、いわば初恋の人かもしれない。どうか大変なことにならないで欲しい
夜もエアコンを使う。真夏にエアコンが効いた部屋で布団をかぶって寝るのが好き。ただ気持ち良いだけでなく、脳梗塞なんかで死にたくない
オリンピックのエンブレム盗作疑惑の件、
盗作かどうかの判断はおいておくとして、
なんで即日回答を求める人がこんなにいるんだろう。
で、「いつからあの状態だったか不明な」デザイナー氏のサイトやらSNSやらを見て
「バックレた」とすぐさま結論を出す。
おかしくない?
対応が遅いこと自体は指摘があって当然とは思うけど、責めるのは筋が違うだろう。
そもそもデザイナー氏が今どこにいてどんな状況かも分からないのに。
デザイナー氏の発言を待ってからその内容を吟味して、
評価やスタンスを決めても全然遅くないよね。一分一秒争ってんじゃないんだから(それとも一日二日対応が遅れると盗作だってことが証明されるの?)。
twitterやLINE、facebookといったメディアの登場は、互いのレスポンスを迅速に行う事を可能にしたけれど、
「いつでもそれが可能な状況にいなければならない」という制約は意味しない。
休日にLINEで仕事の呼び出しくらうなんて個人的にはごめんこうむりたい。
技術的に可能だからといって、他人にそれを要求していい、ってことにはならないと思うんですよね。
こういう「すわ不祥事!」って時に迅速なレスポンスを期待するのは人情だと思うし、正確で適切な対応ができるならなるべく早く対応するに越したことはないけど、
状況も良く分からない他人の、しかも確定すらしていない疑惑について、
即答を求めるっていうのはさすがにちょっと違うんじゃないのかな。
明らかに緊急じゃないのに救急車呼ぶような人と同列に見える。
本当にそれ他人のリソース使って最優先に実行すべき事なのか?落ち着いて話そうよ。
書いてて気付いた。これネットバトルの「最後にしゃべった方が勝利宣言する」の亜種なんじゃないかな。反論が即答で出ないと負けにするやつ。
熱中症になりかけた。まだ20代なのにたった30分で具合悪くなった。
午前:室内で仕事。
午後:野外で仕事。
午後1:00:暑いなぁクソが。
午後1:30:ふらふらする。異様にのどが渇く。なんかダルい、具合悪い。何故だ?とりあえず麦茶を飲む。
午後1:50:めまいがする。思わず麦茶を飲む。たった1時間で熱中症?一応日陰だし。ないない。
午後2:10:声が出にくい。声が出しにくい。え?なにこれ
午後2:30:なんか鼓動早くなってきたし、パニック発作っぽくもある。不安になってきたやばいかも(パニックのあれ)
午後2:40:やばい気がする。ずるいけどトイレ行ってちょっと休もうかな・・・(後から考えればナイス判断!ここで行かなかったら倒れてた)
午後2:50:涼しいトイレ内で汗が止まらず、吐き気、眩暈、しばらく動けず。体全体が熱くて気持ち悪い。パニックも併発。
ここで回復しても残りなんとか耐えられるだろうか?仕事はどうしても休めない・・・
午後3:00:一旦回復したので野外に戻る。
午後3:10:手持ちの麦茶無視して自販機でスポーツドリンク入手(後から考えればこれも正解だった)
午後3:20:とにかく力を抜く、無駄な動きはしない。最低限こなす(多分様子がおかしいのバレてたけど、声かけられなくて助かった)
午後4:00:風が吹いてきた。若干回復。なんとかなるかも
午後4:30:なんとかなりそう
午後5:30:一件落着。涼しい室内に戻る。落ち着いたらまたふらふらしたが、徐々に回復。
しばらく動く気になれず。想像以上にダメージを受けていた模様。
作業場では忙しいので気付きにくいけど、冷静になるとかなり具合悪いことに気付く。
4時間半の野外仕事で何にも考えずに仕事してたら、具合が悪くなるまでたった30分。26歳でこの有様。
午前中はクーラーの効いた室内にいたから、ギャップがあったのかもしれないけど。
具合悪いのもばれず、騒がれず。
(騒がれると超絶不安になって絶対パニックになる。この場合の救急車は後で黒歴史となるほど死ぬほど恥ずかしい思いをする)
スポーツドリンクって大切。すごく大切。
救急車が近付いてきた時に窓から見ていると、一時停止しない車が結構いることに驚く。
一時停止しない、幅寄せしないというのは当たり前、
挙句救急車が赤信号を通過しようと徐行してる時に凄いスピードで横切っていく車もそこそこ見かける。
よく「日本人は民度が高い」と言われるけど、本当にそうなんだろうか。
ターミナル2の最上階のベンチのエリアで、寝そべる、靴を脱いでソファの上に上がる、
あぐらをかくなど、見るに堪えない格好をしている家族連れやカップルを多く見かけた。
海外の人が見たら「あぁ、なんだ日本も我が国と大して変わらないじゃん」と思うような光景だろう。
低くはないけど、大して高くもないのでは?と思うのだが。
最愛のおばあちゃんがお昼頃亡くなった。
朝、妹にたたき起こされた。「おばあちゃんが救急車で運ばれたって!」母親からの電話をとった妹も目を丸くしていて、なんだか現実味がなかった。
おばあちゃんは高血圧持ちで、3年前の夏もそれで倒れていた。そのときも体の衰えに「しぬしぬ…」とこぼしていたが、高血圧以外の異常はなく、薬を飲むことで持ち直していた。
今年の6月ぐらいからか、おばあちゃんは自己判断で高血圧の薬を飲むのをやめた。薬を飲むのをやめて、少し経ったごろから気温がばかみたいにぐんぐんあがった。
むしむしした空気はおばあちゃんからあっという間に覇気という覇気を奪った。おばあちゃんはまた「もうだめかもしれない」と口にするようになった。
わたしは、家族のだれよりもおばあちゃんにかわいがられていた。一人娘である母が少しやきもちを焼くほどである。
おばあちゃんは少女時代のほとんどを戦争と共に過ごした。とはいいつつおばあちゃんの実家は田舎のお金持ちでだった。家にはお手伝いさんがいるような、当時にしては裕福な家庭だったと話してくれたのを覚えている。
子供の頃は足が速くて、トロフィーもいくつか持っているのよ、と嬉しそうにしていた。
おばあちゃんはお見合い結婚だった。成人したら家を出るのが普通だったのよ、と言っていた。
おばあちゃんは愉快な人で、少しわがままなところもあった。
おばあちゃんはすっとした切れ長の目の持ち主で顔は小さく、いわゆる美人の部類だ。そのためたくさんのお見合いの申し込みがあったそうだ。
その中からおじいちゃんを選んで結婚した。おじいちゃんはぱっちりとした二重まぶたを持ったハンサムなひとだ。
数ある中から気にいって選んだおじいちゃんも、結婚後に借金が発覚して、おばあちゃんは物心ついたときから私にその話をよくした。
お母さんがいうには、小さいころから二人は口げんかばかりだったという。それでも、わたしはおじいちゃんと口げんかをする元気なおばあちゃんだ大好きだった。
おばあちゃんの口癖は「借金のあるひと、田舎の長男とは結婚しちゃだめよ」だった。
これは、さっきも話したおじいちゃんの借金の件と、母の結婚相手が北海道から出稼ぎに来ていた長男坊だったことに由来する。
お母さんは、高卒で事務員として働いていた。その先輩社員が私のお父さんだった。お父さんはお母さんの8つ年上で、就職したばかりのお母さんとすぐに付き合い始めたのを快くは思っていなかったそうだ。
おばあちゃんは、私のお父さんのことを自分の息子としてそれなりにかわいがっていたし受け入れてはいたが、娘をたぶらかした男として、私だけに、内緒の話として、お父さんの悪口を教えてくれた。
わたしは、これがうれしかった。父親の悪口を受け入れる娘など、世間的には非常識かもしれないが、おばあちゃんとする秘密の共有がくすぐったくて仕方がなかった。
関東生まれのお母さんはもちろん生まれた時代も土地も違うお父さんの実家では苦労した。これがおばあちゃんがお父さんを少しいじわるな気持ちで見てしまう理由だった。
おばあちゃんは少女漫画のような人で、フリルとレースとリボンが大好きなひとだった。会いに行く度に満面の笑みで向かい入れてくれて、家族で一番の私の理解者だった。
おばあちゃんは、お父さんとお母さんが妹に甘いことを知っていた。だから、わたしをその分飛び切り甘やかしているのだ、と言っていた。おばあちゃんのそういうところがだいすきだった。
おじいちゃんに「おばあちゃんが元気がないから、会いに来てくれ」と言われた。わたしはいくら元気がなくとも私に会えば元気になるだろう、と能天気にも高をくくっていた。
ところが、玄関を開けてくれたおばあちゃんの声はか細く、首筋には骨と血管が浮かんでいた。おばあちゃんは笑ってくれなかった。
わたしはなんとかおばあちゃんを元気づけようとした。なかなか彼氏ができないこと、就活がままならないこと、妹の高校の話、昔飼っていた柴犬の話、お母さんの話……。
おばあちゃんは少しだけ笑ってくれた。だぁら、きっと元気になるだろう、そう思っていた。またね、とあのとき確かに、言ったのに。おばあちゃん。
そのあともおばあちゃんの具合はすぐれなかった、いろんな病院に行った。胃カメラもしたし、レントゲンも撮ったし、脳もスキャンした。以上はどこにもなくて、高血圧と気候の所為だと、安心していた。
そのうち、実は目が見えないと訴えたので、眼科へ行くと白内障だったことが分かった。すぐに手術が決まって、目がゴロゴロする、と言いつつ手術は成功した。先週の木曜日のことだった。おばあちゃんは、まだまだ生きると思っていた。
でも、全然そんなことなかった。おばあちゃんは突然倒れて、突然死んでしまった。おばあちゃん、わたし、就職も結婚も子供もまだだよ、ねえ、おばあちゃん。
おばあちゃんは藤とか、スミレのような淡い紫色がよく似合う品のあるかわいいおばあちゃんだった。わたしは、こんなにかわいくて、すこしわがままで、でもなんだか許してしまう女性を知らない。
世界で一番かわいいおばあちゃんが今日亡くなった。願うように、かみさまにすがるように叫んだ「またね」の約束はもう永遠に果たせない。
けれど、いつまでも悲しむことをおばあちゃんはよく思わないだろう。だから、わたしは世界で一番大好きなおばあちゃんへの愛のしるしとしてこの文章を残そう。
おばあちゃんの孫になれて、こんなに幸せなことはなかった。きっと、またどこかで会えると願っている。
おばあちゃん、このさきもずっとずっと大好きだよ。
ADHDと自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)の診断がついてカウンセリングを受けることになった。
不注意、衝動に多動まで残ってる割と強烈なADHDに相手の状況や気持ちがわからなくて、謎のこだわりが多い広汎性発達障害のおまけ付き。うーむ……。
心理士から、普段の生活で困っている点について教えてくださいと言われたけど、その場ではパッと思いつかなかったので次回に向けてまとめておく。
全体的に
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冷静に見つめ直すと、仕事・家庭の両方が既に崩壊しかかっているギリギリの状態という印象。
いつ何をきっかけに崩壊してもおかしくない感じで、かなり不安感が強い。
自分で見ててもこれを無傷で切り抜けることは不可能だと考えているが、何をどこまであきらめるべきかの判断ができない。
何が手遅れで、何ならまだ間に合うのかがわからないので、対策の方針を立てづらい。
家庭の状況
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妻は基本的に
「私はもうそこまでして一緒にいたいほど好きなわけでもないし、むしろカサンドラ的な症状で自分の心身の不調でいっぱいいっぱいだし、それでも一緒にいたいならあなたが変わって。」
というスタンスであり、私からはあまり協力を頼めない状況に陥っているように思う。
カサンドラ症候群的な状態になっているのかどうかの判定をするかどうかは別として、少なくとも既に心身症で病院にかかっていることは確かなので、妻のケアも併行して進める必要がある。
また、現実的に家計が火の車なのでその間なんとか生活を回していく必要があり、何かアクションを起こすために貯蓄を作っていく必要もある。(貯金ゼロ)
妻は現時点で私との内面的な部分についての対話を諦めてしまっており、
何か不満があることは私にも(たまに)わかるが、何が不満なのかが私にはどうにもわからない。
妻の気持ちや考え、理屈が説明されず理解できないので、妻は静かに涙を流し、私はパニックになってオタオタするばかりだ。
また、私がおそらく妻の気持ちがわかっていないであろうことを伝えて、まずは理解を試みるべく説明を求めて解決策や対応策を検討してみても、
「あなたが文字にして書かないとわからない人なのはわかるけど、私はうまく考えを書けないし書きたくない」
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【就寝】1:00~5:00
決まった時間に寝られない。
・寝ようとしたタイミングで救急車や消防車、うるさいバイクなどが通ると、目が覚めてしまってそのまま朝方まで眠れなくなることがよくある。
・仕事からの帰宅時間がまちまちで、0時を超えるような場合もあり、
そういう日は仕事モードからの切り替えができずなかなか寝付けない。また、翌日の遅刻・欠勤率が高い。
考えても仕方のないことや、結論がすぐには出ないことを考えてしまったり、情報収集をしないと落ち着かなくなって寝付けなくなる。
・ゲームや漫画、読書などのやりたい事や思いついたことが気になって、やらないと落ち着かない状態になってしまい眠れなくなる。
やらずに我慢して横になっていても、気になってソワソワしてしまって寝付くのに数時間かかったり、
一度眠れた場合でも、短時間で目が覚めて、結局触ってしまうことが多い。
・夜10時を超えると元気になり始める体内サイクルが出来上がってしまっている感じがする。
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【起床】7:30~8:30ぐらい
起きられない。
・目覚ましはセットしているが聞こえない。起きてからスヌーズを止めるだけの存在になってる。
・私の目覚ましが鳴っても一緒に寝ている妻だけが起きて、私はまったく起きずに寝ている。
・妻が妻の仕事に間に合う時間(8:00~8:25)に起きて準備する気配で起きたり、声をかけてもらって起きたりするが、
9:00に出社するには8:20くらいには家を出る必要があるが、起きた時点で既に私が家を出ないといけない時間よりも遅いことが多い。
起きた後にも
・しばらくボーっとしてしまってどうにも動けない日
・立つとフラついたり、体を動かすと気持ち悪くなり吐き気が出る日
・偏頭痛の発作が出て窓すら開けられない日
などが、かわるがわる現れて、すぐに動ける好調な日が少ない。
妻は、私の就寝状況などから自己責任であると考えているので、早く寝ないせいだと言われる。寝ようとしても寝られないのだということは共感してもらえない。
自分の仕事に必要な以上に早起きしてまで私を起こす義理はないと考えている。まあ普通そうだ。
以前起こす際に寝ぼけた私に殴られた?蹴られた?ことがあったらしく(記憶なし)、私を起こすこと自体にかなり消極的になっている。
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遅刻・遅延出勤が多い。
フレックスタイム制なので10:00までに出社すれば遅刻にならないことになっているが、
「原則9:00出社、遅れる場合は電話連絡」というルールの為、頻繁に電話連絡をしていて、当然ながらあまりいい印象を持たれていない様子。
直近1ヵ月半の勤務日35日のうち、9時に出社できているのがわずか6日(17%)であり、
10:00にも間に合わなかった遅刻が3回、体調不良や二度寝からの寝坊で13:00にも間に合わず、結局全日欠勤になったのが4回。
有給休暇を使い切ってしまっている為、補填ができず始末書なども書かされており、解雇に向けた準備が着々と進行している気配を感じる。
また、ギリギリを保てているのも妻が自分の仕事に出る前に声をかけてくれたりしているためなので、
一人であればとっくに遅刻・無断欠勤(寝坊)まみれで解雇されていてもおかしくないレベル。
また、「次の電車を逃すと9時または10時に間に合わなくなる」という、
駅まで走ってギリギリのタイミングでないと意識に隙が生まれてしまうらしく、半端な時間に家を出たときには、
いつもと違う道を衝動的に選んでしまって時間を読み間違えたり、
景色を楽しみながらゆっくり歩きすぎたりして、電車に乗り遅れることが多い。
そういうことをやるとマズいと経験上わかっているのに気が付いたら思いつきに流されてやってしまっている。
結果的に「余裕をもって家を出ると遅刻する」みたいな謎の現象が頻発するので、なるべく避けるようにしている。
そのためいつもギリギリのタイミングなので、走り出してから足の調子が悪いとやっぱり乗り遅れる。
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【出社】9:00~10:00
会社でのことは後述。
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【帰宅】18:30~1:00
夕食、録画番組の消化、入浴(ちょいちょいサボる)などを済ませて【就寝】へ。
「自分の時間」が多くても2時間くらいしか確保できていないため、やりたい事が就寝時まで残りやすい傾向がある。
また、帰宅後の時間の使い方について妻が不満を持っているようだが、一緒に食事・録画番組を見ながら話すなど、
夫婦の時間を優先的に確保しているつもりなので、どういった点が不満なのかがイマイチわかっていない。
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仕事について
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遅延出勤や作業の遅れをカバーするために長時間労働が常態化している。
休職をはさんで社内的に作業負荷の軽いとされている部署に移ったが、
新規に担当になった作業が、既存の古いプログラムの不具合を調査・修正するという業務内容で、
これまで扱ったことのない古い技術や知識が必要になるが、それを習得するのに十分な環境が整備されておらず、常に手探り状態になっていてハードルが高い。
さらに、遠回りをしながら実際に個々のパターンを体験して習得しないと要領が掴めず身につかないタイプなので、
不具合の内容ごとに対応方法が異なる現在の作業では、毎回ほぼまっさらな状況から作業しているような形になっていて、
先輩社員にお手本を見せてもらってトレースする形でないと作業がほぼ自力では進められない(一人では何もできない)状況になっている。
調査作業は単調な作業も多く、気が付いたら眠ってしまっていたり、
理解できていないことの壁を前に立ち尽くしてしまってなかなか着手できないことが多い。
また、直すべき不具合の存在そのものを見落として直ったと勘違いしてしまうなどの問題も起こっている。
こうした状況は上司もある程度認識しているが、上司世代では知っていて当然という技術や知識であるため、
頼みの綱のマニュアルに出てくる用語の意味がほとんどわからず、前提となる知識が全く備わっていないので、
基盤となっている技術については前提知識扱いで記述されていないマニュアルから情報を読みとること自体に苦戦しているということが理解してもらえず、
上司が上司なりに余裕を持って組んだ(私には到底無謀に見える)スケジュールよりも常に時間がかかっている。
以前にやっていた作業の方がこれまでの学習や蓄積したノウハウが使えるためおそらく適性はあったが、
現在社内で走っているプロジェクトは大規模大人数のものであり、そのフロアを歩くだけで人酔いしたり、話し声で注意力が散漫になってほとんど仕事にならない。
また、その他のプロジェクトからは私の体調面を考慮して受け入れを拒否されたりしていて、既に社内には他に居場所がない状態になっている。
勤続7年目だが、これまで問題が起こらなかったのはたまたま2年目で配属されたプロジェクトが5年ほど続いて、
そこでは比較的少人数で、さらに自分の担当箇所が独立した一部分であったことから他の人との連携なども最小限であり、
また担当箇所に対する相応の裁量を与えられて、やり方も含めて自由に動けたため、たまたま自分にとって非常に仕事のしやすい環境だったのだと思われる。
残念ながら、同じような仕事は今の社内にはなく、プロジェクトの終了に伴って大規模プロジェクトに入った直後から、
仕事の進め方が変わって対応しきれなくなり、周囲の喧騒で集中力不足が顕著になって仕事が滞ることが増え、
因果関係は不明だが配属後1ヵ月ほどでパニック障害を発症してロクに会社に行けなくなり、休職する流れになった。
また、在籍し続けたとしてもこのままでは給与が右肩下がりであることを示唆されている。
「今回は薬で治るものだったからよかった、生まれつきのものが原因だったりして根本的に治ることがない場合はウチの会社に居続けるのは無理だからねー」
と言われており、思いがけず発達障害にクギを刺された形になっている。
部長個人というよりは、会社上層部全体の見解のようで、発達障害について会社の誰かにバレてしまった場合、自動的に退職に追い込まれそうな雰囲気があり、とてもではないが言えそうにない。
長時間労働が必要な働き方や職場自体が、自分の能力とマッチしていないという印象がある。
(長時間労働→自分の時間減→寝坊・遅刻 という悪いループにハマっている。)
これ以上、外の世界で役に立たないレガシーな技術に振り回されているより、早く見切りをつけて転職するしかないか?
(それにしても技術力が思いっきり錆びているので準備期間が必要そうだ……)という思いと、
仮に転職しても、遅刻癖が無くならないとどこに勤めてもフルタイムでの勤務はやっていけないのではないか?という思いがあり、将来に対する強い不安を抱きながら生活している状態。
毎日、いつ退職勧奨されるかわからないという気持ちでいるため、精神衛生上かなり悪影響が出ている気がする。
うーん、結構色々困ってた。キッツイなあ……。
【追記】
増田を鏡に使ってる感じで少し申し訳ない感じもするのですが、ブコメを読んでて気付いたこととかもあって大変ありがたいです。ありがとうございます。
医者曰く、今までなんとかなってきてるので発達障害の程度としては軽いらしいです。
薬なしでひとまず頑張ってねって言われました。
手帳がーとか自立支援がーとかいう話も一切出なかったので、カウンセリングとかだけでなんとかなるレベルという判断のようです。
知能検査の結果は、知能は平均よりちょっと高いけど苦手なことがとことん苦手で差がやたら大きいそうで、言語理解と作動記憶では50ポイント近く差がありました。
特に短期記憶の聴覚的な情報の処理が、ワーキングメモリが職場放棄してるレベルでダメだったみたいです。
心理士からは、家でずっと歩き回ってたり揺れたり踊ったりしてても、奥さんが我慢できないとかでなければ別に問題ないんですよ、と言われたのがちょっと目から鱗でした。
夜なかなか寝れてないとかは医者はまだ知らないので、言えば睡眠薬とかも出てくるのかもしれないです。
よく聞く、効きすぎて昼間も眠いみたいなことになって会社でも今以上に寝てしまったらどうしようとビクつきますが……。
とりあえず、耳栓試してみてダメだったら医師に相談してみましょう。熱いタオルは妻に用意してもらう必要があるので当面保留ですかね。
というか、会社に遅刻したり休んだりしていること自体、特に聞かれないから医者に言ってなかったんですが、
そもそも会社に行けなくなったところから受診し始めたんだから、もしかして言わなきゃいけなかったのかなあ、と今これを書いていて思い至りました。
診断をもらったのも今週の話なので、書いてることの半分くらいは外部の視点を持ち込んで自分の意識を変えるとか、
何かしら工夫するとかで時間かけて訓練すればなんかうまいこと回避可能だったりごまかしたりできるんじゃないかなー?と割と楽観的に思ってますが、
一部には前々から何度もやらかしてその度になんとかしようとしてきたけど、気が付いたらまたやらかして「ああ、またか」って思ってるよなあ…ということもあって、
そういうのは何かしらうまい仕組みを考え付かないと、単純な対処方法では厳しいのかもしれないと思っています。
とにかく一旦情報を羅列していって問題点を何度も見返して認識できる形にしておかないと、じっくり自分ひとりで考えることもできないので、
いつも何かしら出力するのですが、毎回ものすごい量の自分語りみたいになってしまって、自分でもウヘェ…と思います。
また、情報共有のつもりでここに書いたようなことを妻に伝えようとすると、妻がうんざりしているような感じが確かにあったような気がします。
うんざり…なるほど、アレはうんざりしていたのか。自分でもウヘェって思うことを全部垂れ流していたら、うんざりしても不思議ではないですね。
しかも垂れ流してる時点では解決策はまだ検討してないわけですし。改善の余地がありそうです。
今後は、最初からドバっと渡さないで、自分や心理士のレイヤーで解決できたものは取り除いて、
妻の協力が必要そうなものだけ対策プランとセットで提示するように心がけるのがいいのかもしれません。
会社はあと2か月ほど休職すると自動的に解雇になる仕組みらしいので、半年くらい休職=退職だったりしてちょっと覚悟がいります。
ただ、いよいよとなったらそうした方が自己都合退職して退職金が半額くらいしか出なくて、失業保険もなかなか出なくて、
http://anond.hatelabo.jp/20150630210643
元凶である自動車から卒業する施策をしなければ田舎は生き残れないし、それは一秒でも早いほうがいい。
それをしなかったからこんなことになってるわけで。
自動車依存による拠点点在、郊外化がもたらす不効率の問題点 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/
http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr12/chr120303.html
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3418_all.html
http://greentoptube.hatenablog.com/
http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8
声に出してよく読みましょう。
世話役の女性社員の携帯に、睡眠薬を大量に飲んで自殺することをほのめかすメールが届きました。
関係者が必死に探したところ、消えた彼女は駐車場に止めてある自分の車の中で薬を飲んで、目をつぶっていました。
車の外から呼びかけても音が聞こえず通じないので、無理やり鍵を開けて助けだしたのですが、彼女の様子から大量の睡眠薬の影響があったようです。
会社のマニュアルでは、総務部門が救急車を呼ぶことになっているのですが、現場に駆けつけた「部長」と総務のグループマネージャーが結託し、事が大ごとになるのを避けるため救急車の出動を要請しないことを決めてしまいました。
総務のグループマネージャーが地元の病院に運んだのですが、救急扱いでは無いので待合室で診察の順番が来るのを意識がもうろうとしながら待たされて、胃洗浄の処置を受けて自宅へ返されました。
その日以降、彼女は会社に出社すること無く、そのまま任天堂を退職してしまいました。
総務のグループマネージャーは事業所労働者の安全衛生や生命を守る役割があるにも関わらず、不祥事の発覚を恐れて救急車を呼ばないという人命軽視の判断がまかり通すのは酷い話です。
ましてや役職者の自己保身で従業員の生命の安全が危険にさらされることなどあってはならないことです。
そして、このような事態を起こすことになったハラスメントまがいの人事異動を決めた「部長」は全くペナルティを受けていません。これも腹立たしい話です。
このままでは、うやむやになりかねませんので、下記の公共機関にここでは未記載の事実を記載し、通報させていただきました。
・法務省 インターネット人権相談窓口(http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken113.html)
http://anond.hatelabo.jp/20150617134335
まあ、車は贅沢品にしたほうがいいわな
それをしなかったからこんなことになってるわけで。
自動車依存による拠点点在、郊外化がもたらす不効率の問題点 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/
http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr12/chr120303.html
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3418_all.html
http://greentoptube.hatenablog.com/
http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8