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はてなキーワード: 怨念とは

2015-11-10

子持ちって悪くないことまで執拗に叩かれるよな

例えばマタニティマーク役場妊娠を伝えたら付けてくださいねと配られるキーホルダーをつけたら図々しいと叩かれ、最近ではつけているだけで暴言暴力などの嫌がらせを受ける事案が多発しているとかで、妊婦さんが保身のために隠すようになっている。

例えば子供写真年賀状、大昔に郵便局バイトをしていた頃からよく見かけたが、最近になって毎年盛大に叩かれるようになっている。

子供写真年賀状は切り刻んで燃やしていますとか、近所のロリコンの家の前に落としていますとか、叩きは怨念に満ちて怖い。ネット結構からあるけど昔はこんな人達居なかったよ、何があったのか。

時短勤務にしても、保育園が夜預かってくれないから迎えにいかざるを得ないから給料を減らしてやっていても、迷惑だ甘えだ辞めろの大合唱

何かにつけて最近の子持ちは図々しいから非常識から最近の子供はうるさいから子供を産んだら常識をひりだすから叩かれるんだと振りかざすが、実感として別に子持が突出して非常識な人が多いと感じない。

ネット子供迷惑から産むなと言いまくってるが、ただでさえ私達の老後日本ヤバイのにさら自分達の首絞めてどうすんだよバカかと思う。

2015-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20151103122354

子供の頃、神社お祭りの夜店で ただ不潔だという理由で、親に焼きトウモロコシを買ってもらえなかった子の恨みの怨念が ネット漂流しているんだよ。


人間って、自分にやられたことは、必ずやり返す生き物だからね。

でも、ネットでの叩きは、叩き終わったあとのカタルシスが少ないから

何度も何度も繰り返しちゃう

2015-10-27

痴漢被害女性の話はなぜ「自慢」と言われるのか?に対する回答

痴漢被害女性の話はなぜ「自慢」と言われるのか?


という話が話題になっている。


http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2015/10/26/144601


この記事の中で、


痴漢されるのは魅力的な女性だけという誤解」


という話がある。

痴漢されるのは魅力的な女性だけではなくほとんど無差別なのだ

ということが言いたいらしい。


幾つかの記事をみてもそういった話が出てくる。

この説には幾ばくかの真実は含まれているだろう。


しかし、近年のジェンダー問題フェミニズム弱者男性非モテの話等を組み合わせてこの問題を探っていくと

ある一つの考え方が浮かんでくる。


被害女性に対する第二の被害を起こす社会是正しようとする彼ら彼女らはこのあまりにも醜い一つの問題点認識していない。

いや、そもそも認識することができないのかもしれない。

なぜある種の人たちがこの手の問題を「自慢」と認識するのか。

それは


「私はこの世の誰から必要とされていないのではないか」


という考え方に基づくものである

ありていに言うと嫉妬や羨望だ。


この世の中には身体的な接触を行うことすら抑制された人々が存在する。

自分から握手を求める。道を通りがけに人にぶつかる。相手の目を見る。

そういった自分存在することによってこの世に迷惑をかけているのではないか?

接触することがしてはいけないことなのではないかという認識をしている人達存在する。


しかし同時に彼らは人から求められることも欲している。

こんな自分でも誰かに触ってもよいのではないか、触られ、求められることがあるんじゃないかと常に妄想し続けているのだ。

この承認欲求自己感情がないまぜになった醜い思考をやめることができない人たちが存在する。


彼ら彼女らが痴漢被害にあった女性に対して何を思うかといえばそれは明白だ。


嫉妬」だ


そう。

端的にいえば、痴漢被害を自慢だと思う人たちの自己評価があまりにも低すぎるからこういう発言跋扈するのだ。

性的魅力云々というレベルではない。


痴漢被害者文句をいう彼ら彼女らは心のどこかで他者に触れることを禁忌としている。

少なくとも自ら触れることは神に罰せられる許されざる行為自分けがそうしてはいけないのだ、と認識している。


もし痴漢被害を「自慢」と取られたくないのであれば彼ら彼女らへのケアこそが重要となる。

あなた社会から求められているのですよ。という承認欲求を満たしてやらなければならない。


しかし残念ながら社会は彼ら彼女らのような心も体も醜い者たちに救いの手を差し伸べることはないだろう。

そして永遠怨念が渦巻き続けるのだ。


この怨嗟の声がやむことはない。

2015-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20151013145339

少女漫画というのを固定概念で固まった狭い定義しかとらえてないのでは?

じゃあ少年漫画ワンピースみたいな冒険とバトルや、スポーツ倶楽部活動ものや、DQN喧嘩ものばかりだろと言われたら

そうじゃないと反論するだろ

たとえば『スケバン刑事ドラマ映画にもなったバトル?物、でもこれもジャンルとしては少女漫画なんだよ

私は中学時代病院の待合室で時間を持て余して、置いて合った少女漫画雑誌を手にしてハマった

それから自分少女漫画雑誌かたっぱしから買いまくって購読したよ

当時は少女漫画しか読まなくて、少年漫画は幼稚だと思ってたくらいだ

少女漫画における恋愛は、それがすべてじゃない

しか恋愛メインのストーリーもあるけど、多くは恋愛ストーリー上のひとつの要素に過ぎない

恋愛からストーリー人間関係物語なので、それに馴れた読者は恋愛以外の深いドラマも抵抗なく受け入れる

からローティーン向け少女雑誌に、少年漫画なら青年雑誌に載るようなストーリーも混じって連載されてたりする

最近では原作映画ドラマ化されてる青春群像ストーリーを描くのがうまい吉田秋生も、元はローティーン向け少女雑誌デビューして、アメリカ麻薬差別に苦しむ若者達の『カリフォルニア物語』で人気作家になった、その後の『バナナフィシュ』ではマフィア陰謀と抗争のストーリで絵柄も変わり、後半では描く人物も少女漫画チックでなくリアル頭身で泥臭さまで出てた

ティーン向け少女雑誌で書いてたホラー作家?の山岸凉子なんかは、人間怨念や業を巧みに描き背筋が凍るようなストーリーを描く。でも代表作は聖徳太子テーマにした歴史漫画日出処の天子』だったりする

少女漫画恋愛ばかりと偏見もって、食わず嫌いしてるだけの男が多いのだと思う

実際こんな作品もあるんだというもの出会えば、男でも抵抗なくハマると思うよ

2015-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20150914011449

残念ながらコピペじゃなくて、実際にTVタックル野坂本人が冗談めかして言ってたんだな。Youtubeか何かがあればよかったんだが見つからなかった。

まあ、実際に締め切りがどうとかは本心じゃなくて、悔恨とか悲愴とか怨念とか、そんな自分の当時の心情を勝手他人想像されるのが嫌だったんだと思う。

義務教育国語って、作者の心境なんて本人以外分からんものを無理やり想像させようとする一方で、論理性を軽視する傾向にあるんだよね。村上春樹プリンストンで「成熟喪失」をテキストにした時、学生から「これは批評じゃなくてエッセーだ」と言われたそうだ。新聞社説ですらやけに情念的なこの国で、国語教育論理性を求めるのは無理があるのかもしれない。

2015-08-29

いやーCEDEC終わった。

あの業界ブルジョワ若い子だけの集いがやっと終わった。

業界からドロップアウトした者たちの怨念で爆発したら良いのに。

2015-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20150716203131

読んでスッキリした。よくわからないけどありがとう

愚痴なのか攻撃なのかよくわからない怨念めいた独り言増田でしばしば目にするけど

そんな発言自体が本人の状況を言い表しているようなものだと、不快ながらもずっとスルーしてたんだけど。

増田が言ってくれたことで何かスッキリしたよ。

2015-06-23

信仰に苦難の時代があった。 メシアとしてイエスが現れ、彼は愛を説き、自らが犠牲となることで贖罪とした。

だが、実際に弾圧された者達は結果的に救われたとは云えども、迫害の中で死んだ者もいるのだ。 苦難に晒された恨みはメシアによって抑圧されたともいえる。 救済されることよりも復讐を願う者は行き場がなかった。

そういった怨念を導く者が現れることもまた必然であったといえよう。

愛によって救済に導いたイエスが表のメシアなら、怨念成就に導いたのが裏のメシアである

メシア信仰を集め、亡者たちは裏メシアの名を叫びながら復讐に猛った。

幽霊が現れるときの「うらめしや」はこの裏メシア語源である

という与太話を考えたんだけどどうかな。

2015-06-07

ヘルプで助けられたことがない。

ヘルプ機能で助けられたことがない。

たいてい右下でイルカが暴れて鳴きながら去って行っておしまい

これも人間が今までイルカの苦しめた怨念だろうか。

2015-06-04

日本人ユーラシア大陸に生じたモンゴロイドの中でも非常に特殊卑怯淫猥人種で,

極めて自己中心的で性欲に富んだ人種であり,温暖湿潤環境を求めて日本列島脱出し,

大陸人間的な行為を嫌った民族である本来一切働いたりまともに生きる性癖をもってなく

ゴキブリのように生きたいと思っており,淫夢を非常に得意とする。つまりいかに自分気持ち

の良い世界にしていくかという点において強力な力を発揮する。これはちょうど夢の中でそうする

のと同じように,現実社会においてもそうしようとするため,それを邪魔する他の個体への嫉妬

怨念が蓄積される。

2015-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20150530122352

何でなのか俺はわからんから自己分析してくれ。

ただ「彼氏欲しいー」「えっちしたいー」というくらいのノリは

逼迫した男性たちの怨念や祈りや飢餓にも似た「俺を愛してくれ」「俺の性的魅力を認めてくれ」に比べて随分軽いようには見える。

男でいえば中高生から二十代くらいまでが多少冗談交じりに言う「彼女ほしいわー」「ヤりてー」と同程度の軽さ。

もちろん「彼氏欲しいー」はあなたがわざと軽い表現にしただけで、本当はドロドロした飢餓感があるのかもしれないけど。

2015-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20150517010651

独身33歳、男性の私。

私がモテない理由は、いや、ただでさえモテないのにモテないに拍車をかける理由は、穂村弘が言う、さかのぼり嫉妬というものである

好きな人を、ただ好けばいいだけなのに、その前の男たちに嫉妬することである

冷静に考えれば、過去経験が今の彼女をつくっているわけで、過去もひっくるめて彼女を愛せばいいのだろうが、そうは単純にはいかない。

そして私の場合、それを付き合う前から、いや出会う前からその種の嫉妬燃えるからたちが悪い。

若い時、一番美しい時を、青春を、ほかのイケメンに捧げていたのに、中古になった今、今なんで俺のところに来たんだ?」

的なことを、

「もしも女性告白されたら」

というありえない妄想の中で、考える。

嫉妬というか、怨嗟とか、呪詛だ。

妄想なんだから自分が都合がいいように楽しい妄想でもしてればいいのに。

そうやって、全ての女性怨念を向けてるので、今後、恋人を作ることはもう無いだろう。

若い女とヤりたいだけなんじゃないか?結局誰も愛してないんじゃないか?

と自問自答しているが、33歳となった最近では性欲も減退気味なので、ヤりたいわけでもないような気がする。

誰も愛せない人間から、誰にも愛されない、単純にそういう話だと思われる。

確かに、30代で恋人がいない人(ずっといないも、最近はいないも含めて)というのは、基本的に多少なりともそういうところがあるんじゃないかと思う。

好き、嫌いという感情よりも、損か得かというところで行動している。

そりゃ、損か得かで考えれば、子供なんて産まないだろう。

1人あたり3000万かかるなんて考えたら、テレビに出てくる大家族に憧れたりはしない。

そんなに給料をもらってるサラリーマンではないけれど、60歳までに1億くらい金を貯めて、のんびり老後を暮らすような気がする。

愛を知らない裕福な老後と、愛を知ってる貧しい老後のどちらが幸せかはわからないけれども。

2015-05-12

都構想かなんかしらんがいい加減にしてくれ!!!

人気取り政治家ども! 集合住宅地で政治演説するな!

窓閉めても耳栓しても全く無意味爆音で何十分も喋りやがって

お前は次々回ってるだけなんだろうがその場所はいろんなヤツが入れ替わり立ち代りやってんだよ!

真側で暮らしてる住民気持ちになってくれや

主張が正しいか正しくないか以前に行動が間違ってんだよ!!

おまえら演説からは「お前の暮らしなんてどーでもいい」ってメッセージしか受け取れねーよ

ちょっと前までは二重行政無駄とやらがどんなものなのかなんて考えてたりもしたけど

今はもう何も見たくないし聞きたくない

俺にとってもうおまえらおまえらを支持するやつらも全員敵だ!

怨念しかねーよ

俺は失うものがあるから泣き寝入りするしかないけど、そのうち無敵の人が一線越えて復讐してくれること願ってるよ

死ね

2015-05-11

エロ広告とはなにか?

GWに突入した。

でも筆者は金がない。

旅行は諦めた。

外出も労力を使うし。じゃあネットサーフィングでいいや

堕落した人間と思うかもしれないが、低所得者などこんなもんである

しかし、快適なネサフ生活に、ついに終止符が打たれた。

「昔はこんなの無かったのに」

そう思い、失望するサービスはこの世に多い。

その一つに。

健全なサイトを使用する度に出る


エロ広告」

時にグロテスクav女優や男優の気持ち悪い性交姿が表示されたり、

下手クソな画力で描かれた金太郎飴のような漫画の数々。

アダルトビデオグロ広告を除き、

これらの漫画には作者を自己投影したグロテスクな男女が登場する。

彼らが恍惚と性行為に励む姿には、もはや呆れを通り越して圧巻だ。

例に挙げれば、女性に対する強姦。殺人。

暴力などの理不尽な行為ばかりが、

頼んでもいないのに眼前に表示され、嫌でも目につくのである

だが、驚くことに、広告バナー女性達は、いかに人権侵害され、

性暴力を受けようが、満更でもない様子に描写されている。

これは制作者の歪んだ性癖を正当化するためであると推測する。

「伯父さんのモノで感じちゃう

おっさんレイプされて昇天

吐き気を催すこの煽りには、悪意すら感じるが。

おぞましさを演出するには最高のマストアイテムなのだろう。

( 邪推だが、作者はよほど哀れな萌え豚腐女子であり、

現実の女に対する憎しみが強いと思われる。

キモオタが女を強姦する」

叔父近親相姦てwwwちょwwワンランク上のアテクシ♪」

などという稚拙な設定が思い付くのだろう。

いずれにしろ、歪んだ男尊女卑的なものが見え隠れしているのが気持ち悪い。)

中でも最も気持ち悪いのが、三次元アダルトビデオ女優の姿が、画面のど真ん中に表示される瞬間。

健全なサイトを閲覧しているのに、おもわず罪悪感すら感じてしまう……。

そんな喉元にまでゲロが込み上げる素敵なラインナップに、阿鼻叫喚の嵐だ。

商業誌ネットのみならず、児童ポルノをはじめとする性への規制が厳しいこのご時世。

「男性ユーザーの暴力的な性衝動を助長させるに過ぎない」

と、いつこの広告が判断されてもおかしくはない筈である

しかし、大人の事情が絡むゆえか、一向に改善される余地はない、エロ広告。

まるで中学生の妄想を愚見化したような「便所の落書き」に、果たして何の意義があるのだろうか?

筆者の知識が乏しく申し訳ないが、自分なりに考察してみたので、ここにまとめさせて頂きたい。

まず、サイト運営には、サーバー代を安く浮かすため、広告業者と契約する必要があるのも事実だ。

当然のごとく、クリック数、ダウンロード数も関係する。

そのため気が狂ったように消費者の目を引こうと設置されているが、時にはスクロールしても広告が追ってくる!

……まさにホラーだ。

一時期はあまり不愉快まりないため、広告非表示フィルターダウンロードしてみたのだが、……愕然!

なんと広告以外の画像まで非表示になってしまうのである。 

これではまともにネットが見れない……。

その原因も改善されなかったため、いまは諦め、我慢しながら使用しているのだが……。

「性癖の押し付け」の気持ち悪さには、相変わらず閉口する。

運営と業者にとって、広告を描く底辺絵師様も、ユーザーも、金儲けの道具であることにはかわりない。

一般の商業誌やらアニメであれ、いま流行りのソーシャルゲームも然り。

性に直結しなければ売れない、悲しい時代であるのは確かではある。

イラスト投稿サイトpixivでも、ユーザー作品に対する検閲が厳しくなっているが、ただ誠に思うのである

pixivでは、イラスト投稿による交流が可能である

中にはプレミアム会員と言われる課金ユーザー一定数いるため、

運営はその資金により成り立っているのだが。

そのプレミアムユーザーと、無課金ユーザーの使用環境について、思う点があるのだ。

それは、「広告の非表示設定」だ。

私は無課金で数年間pixivを使用しているが、この機能には釈然としないものがある。

課金したユーザーは、不愉快と感じる無数のエロ広告を、削除することができるらしいが、

どうにも頂けない。

無料でサーバーを間借りしているとはいえ、何故このようなグロテスクな広告を見せられねばいけぬのか。

金を落とさなければ、使用者としての権利は奪われるものなのか。

運営に問いたい一心だが。

たかだか一人の消費者メロスのごとく憤怒しようが関係ないのが現状だ。

2ちゃんまとめブログなども同様。

小動物を扱った内容であれ、

「この日本人エロすぎるんだがwww」

「俺氏がセックスした件についてwww」

文面だけでもゲロ必須のリンク候補があらわれる。

低俗スレッドをまとめた外部ブログと連携することにより、

まとめ同士がお互いにアフィリエイトで稼ぐ始末だ……。

悪質なのは、業者が「男性器肥大化サプリ」 「出会い系」を推奨するため、

2ちゃんねるを装ったステルスマーケティング

勿論、このページにコメント欄など存在しない。

ブログそっくりに作られた偽物のHTML だからである

これも堂々とリンク内に混じっており唖然する。

逆に唯一の利点と言えば、まとめブログにより、

沢山のスレッドが多数の眼に入る機会が増えたことだろう。

しかしどれも前後や後尾に不可解なものがある。

「俺氏が○○した結果ww」

「ンゴwwワイ将○○するやで~」

「キチママを退治した」

挙げれば切りがないが、大体このようなものに絞られてくる。

年のまとめブログとは。

なんj」「VIP 」「鬼女速」というテンプレに包まれたものばかりで、

もはや三行で終わるスレをまとめることに対し、何の意味があるのだろうかと閲覧する度に考えさせられる。

「はぇ~TDN に草生えるワイ将、打率四割ンゴ (白目) ゴメスくん!だいじっこするニキーwww」

……これを人目見て、理解できるだろうか?

彼らは専門用語を多用することにより、自分達がグループであるという和に快感を得るのだ。

「うぇwww俺氏の自宅に小学生が来てセクロス突入ww」

「感動した、名作」

このような流れが日常茶飯事であり、

陳腐なラノベのような気持ち悪い創作であれ、

彼らにとっては一体感を高めることにこそ真の意義があるのだろう。

「キチママ殺しトメ腹パン!エネオはウトメプリンし、私子流産! 」

統合失調患者の方がよほど美文を書きそうだが、

ネット民もまた歪んだ病におかされているので、気づきそうにない。

きっと現実の孤独感が、2ちゃんねるを安住の地だと返還してしまったのだ。

せめてチラシの裏の駄文ならば、どうかそっとしてあげて欲しい。

そんなものを間違えてクリックして、検索履歴に残ったらと思うと……ゾッとするからだ。

加えてエロ広告が過度に表示された日には、吐き気で目をそらしてしまう…。

まさかアプリフィルターも役にたたないとは……。

未成年者がこんな狂った世界を見て育ち、

誤った性に対する知識を得たとしたら、

これら製作陣はどう責任を取り、対処するのか。

大袈裟ではあるが、後の世代倫理観崩壊への序章ではないか。

ネットサービス陣は、

「ウリイイィィィ~!俺らの広告は世界一イイイイイイイイイッッ 」

と言わんばかりに、グロテスクな有害物を主張し続ける。

ならば、ユーザーにも主張する権利はある筈だ。

「選ばされる」ことを望まない人間は、一定数いることを忘れないで頂きたい。

「性癖の押し付け」で嫌悪する人間がいること。

制作者側には、一度でも実感してほしいと切に願う。

生産者と、消費者

両者とも、「選ぶ」 行為に対し、今まで以上に考えるべきであると思い立ったのが、 今回の記事に至る経緯である

無論、広告だけではない。

一般紙よりもマニアックな同人界では、

表現の自由」と言う言葉に対し、様々な思想が飛び交う。

人化、欠損、Bl 、ケモノ、女児向けアニメ

グロふたなりリョナ男の娘、 艦隊擬人化

これらは人気なジャンルらしいが、個人的には大嫌いなジャンルだ。

また、

ストレート、ゲイ、レズ、ネクロフィリアペドフィリア、ズーフィリア…。など。

上記以外にも、星の数ほど性癖はある。

先に断っておくが、

このような多種多様な性癖を否定するわけではない。

アンチスレに溜まる住民も五万といるが、なにも自分と違う性癖が嫌いならば、

関わらなければいいだけの話である

なぜそれが出来ないのだろうか?

国境線が曖昧だから、常にユーザー同士の紛争が起きるのだ。

わかりやすい例として、

最近流行りのBl を支持する腐女子は大多数いる。

一方で、ゲイと腐女子 には、深い隔たりがあることはご存じだろうか。

そのため商業誌でも厳しく区分化されているのだが、昨今ではおかしなことになっている。

ゲイとは同性愛者であり、腐女子とはあくま異性愛である

しかし、腐女子にとって、その壁は今や無いも同然の振る舞いが目立つ。

何のかんの理由をつけ、誤魔化しているが、

男性同士が執拗にベタつく姿を描くことにより、

同性愛を理解する私ってすごい…」

というような自己肯定感に浸りたいのが本心であると思われても仕方ないのである

 

一部ゲイが腐女子を異様に嫌うのもこのためか。

アンチスレでは彼女らを「腐マンコ」と敬称する事が多い。

ゲイスレ独特の男尊女卑感に溢れた感性と怨念は、

同性愛者」というマイノリティを社会に犯された、

悲しい男の吹き溜まりでもあるのだ。

また、世間の誤った認知により、腐向けとゲイ向けは同様のものだと近距離を強いられてきた。

残念ながら、

両者は生理的嫌悪しあうため、根本を理解しあうことはまず無いと断言できる。

まりに危険すぎる距離感が、互いの傷をえぐりあい傷つけあう。

まあ基本的にはどっちもどっちだが……。

ゲイがある面では「性被害者であるということを、少しだけ理解して頂けたら嬉しい。

そんなゲイにとって、

ノンケ男>>>>>>>ゲイ>>>腐女子

このような絶対的不等号がゲイの潜在意識には存在するため、今後もゲイと腐女子の冷戦は改善されないと予測する。

「俺はノンケじゃないけど、女よりは格上の人間だ」

この都合的な思想が覆されることはないし、

ノンケ男に対する、羨望。性欲。劣等感

そして女に対する憎しみとは、切っては切れないのがゲイゆえの由縁かもしれない…。

萌え豚腐女子、ゲイ

 を交えた三つ巴合戦は、各々にこのような心の不等号がある限り、永遠に火種を消すことはできないだろう……。

(※ ゲイの敵は女とゲイ。

という勝手な考察申し訳ないが、

ゲイにとってストレートの男は性の対象ということもあるせいか。

腐女子叩きに比べ、萌え豚叩きがわりと少ないのもゲイの特徴である。 )

さらにマイノリティファッカーは腐女子だけでない。


まとめブログなどでよく見かける、淫夢語や、有名なゲイ作家の作品の一部など。

それらを遊び半分におもちゃに使う人間には、異性愛者のセーフティがあるからこそ、

はじめて「優越感」が持てるのだ。

2ちゃん民にとっての不等号とは。

リア充(敵だが怖い)>>>>>>>>2ちゃん民(異性愛者だかキモオタ)>>>>バイセクシャル(敵)>>>>>

女(ただのマンコ)>>>>>>>>>>>>>

ゲイ(異端者)

このような精神構造ではないかと感じる。

あくまで推測であるため、実際かどうかは不明だ。

少なくとも2ちゃんねる民ほど数に迎合する特性があり、少数派を毛嫌いする傾向にある。

もうひとつ、彼らがゲイをおもちゃ扱いするには、理由がある。

現実では得られない優越感がほしい。 

ただそれだけだ。

そこで少数派であるニッチなゲイを出汁に、

異性愛者」であるという唯一のアイデンティティーを振りかざし、

少数派を馬鹿にすることで、よりコミュニティの結束を深めたのが 現在なんj、VIP辺りだろう 。

彼ら2ちゃん民。

すなわち萌え豚メンタルを支える柱ともいえる、異性愛とは。

お相手である女に、生涯を通じて拒絶されること、じつは彼らは痛いほどに知っているのだ。

だから「二次元で女を犯す 」という観念が支配するのだ。

エロ広告絵師などの生産する、「キモオタが時間をとめる強姦」「昏睡中に強姦」など。

他にも様々な幼稚な設定はここから生まれたに違いない。

運営よ、金が欲しいのは分かった。

だが何の興味もないユーザーに提示し続けることにより、利益は上がるだろうか?

消費者ごり押しする前に。

売り出す業者、運営の社員は、 

「強姦が正当化された世界で起きる、キモオタの蛮行」

……それを、ほんとうに読みたいのか? 

それが成人向けのサイトのみの広告ならばまだ許せる。

ここ数年の尋常でない広告の数に倫理的おかしさを感じるのだ。

歪んだ異性愛同性愛押し売りするヤクザまがいの商法は、

いったい金儲けのためだけだろうか?

もはや利益も苦情もそっちのけ。

あるのは価値観の強要のみ。

消費者に対する嫌がらせ目的になってないか……?

 話は腐女子とゲイの対立に戻る。

「わたしは性同一性障害で、心は男なの。でも男が好きだから、わたしはゲイに決まってる」

などと言う腐女子もたまに見かける。

では彼女らに、

性同一性障害 同性愛者」

という二重マイノリティを背負い、生きる覚悟はあるのだろうか?

音信不通の友人の中には、

「日本は変態の国だから、大抵のエロは許される」

という冗談を放つ腐女子もいた。

くれぐれも勘違いすべきでない。

この国が性に寛容でないことを。

 

近年の商業やネットの発展とは、

性差別」をより深いものにしていると強く思う。

 

異なる性癖をもった人間の固定観念が及ぼす、見えない差別が。

いかに少数派の尊厳を侵害するか。 

かといって、マイノリティ側を完全に擁護するつもりはない。

多数派であれ少数派であれ、何に属そうが関係ない。

全てのユーザーの権利が保護されるべきだ。

性癖の異なる人間同士の衝突は、一見個性を認めないゆえの足掻きともとれる。

だが今までの派閥争いは、前向きに見れば、ある意味では

他の個性多様性を認めあっていたのではないだろうか……。

しかし、そんな内戦時代も変わった。

水面下の殴り合いさえ休戦し、本当の無個性が紙面が飾る。

異性愛」の名の元に、ただ生産される無機質なエロに、筆者としては、真の氷河期が訪れたと思う。

例えば、 

ロリスカトロリョナ擬人化、異形頭、

これらを嗜好とする人間に、

ニッチをあえて名乗る必要性はあるだろうか。

答えはNOだ。

小規模どころか大多数の生産者消費者によるひとつの「都市」として運営されているからだ。

真のニッチ産業とは、

すでに死んだ町を指差すのである

巨大な異性愛という迎合主義の傘下にくだるのであれば、

このような一見特殊だと思わせるような性癖であるからといって、

名乗るのはいさかなものか。

彼らにニッチもクソもないと私は考える。

そんな迎合した彼らのみが、我が物顔でコミュニティを、業界を、支配したつもりで繁栄するのだ。

まり性の迎合化とは、究極の無個性化を望んだ破滅の道ではなかろうか。

主観に偏るが、流行には逆らわず、あのジャンプも今や腐女子萌え豚という存在に迎合し、

軟派なハンコ絵が軒を並べる時代だ。

商業、同人界では。

自分とは性の対象が違う人間は異端者と決めつけ、とことん粘着してきた。

これはこの業界のみならず、すべての差別的行動にも一貫する。 

大の大人同士が、まるで幼児のように傷つけあい、醜さを撒き散らす様は、まさに滑稽といえよう。

その小さな戦争は、ついに終戦を迎えるのだ。

ニッチな性癖だろうが、何だろうか、

自らの畑を捨て、

巨大な市場に迎合し媚を売るようなイナゴ達に、御旗のもとで戦う資格などないからだ。

世間に没檻する迎合主義とは何か。

筆者の考える迎合主義とは、

ある日突然。ニッチと呼ばれる大陸を発見し、植民地化したイギリス開拓民のようなものだ。

黎明期からそこにいた層でさえ、

アメリカ大陸を侵略されたインディアンのごとく、淘汰され出来上がったのが、

現在ニッチと言われる文化であると考える。

 

エロ広告を見かける度、感じていた違和感

この世に正当化された性など、ほんとうに存在するのだろうか。

常に疑問に思ってきた。

はたして、時世に奪われたニッチを取り戻さず、

このままでいいのか?

もう一度、過去の認知を取り戻すべきではなかろうか?

ニッチとは、少数派であり、ほぼ永久的に認められない存在

そして一般大衆に迎合し、金儲けするための道具ではない。

ましてや、通ぶった素人と優越感を共にするためのファッションでもない。

ニッチとは本来、薄暗い底で性欲をたぎらせた人間のみが、性の捌け口として、

対象物二次元のみで犯すものだったと私は回想する。

どうか思い出してほしい。

決して現在の迎合しきった風潮とは真逆の砦であったはずだ。

しかし、現代のニッチと呼ばれるアダルトには、愛がなく、

ただ消費者の購買欲を煽るため、強姦や暴力などの「派手」さを重視したものばかりが集う。

そんな金儲けのおもちゃに興奮するか?

最後の一人になろうと、

私はしない。

何故ならば資本主義的なエロスだからである

せめて性を売り物にするならば。

「愛をもって犯せ」

それが私の信念だ。

( 話が逸れるが、

サブカル的漫画には、うすら寒い気持ち悪さが漂う。 

意味不明な展開がアートだと信じるのだろうが、その脳みそ永遠に理解できない。

しかし、同人界でも玄人だと叫ぶ彼らの世界観だ。

やはり凡人の筆者には理解しえないのだと最近納得した。 )

 性欲とは着飾るものではない。

特殊性癖を誇りに思うべからず!

一般人とは違う自分(笑)に酔いしれるな……!

独りよがりオナニー漫画は、いつか廃れることに気づいて欲しい。

最初から最後まで偉そうだということは、重々承知しているが。

汚い欲望を、お互い黙って認めあうことが我々にできる最善策であると私は思う。 

猥褻なコンテンツを断絶しろとは言わない。

むしろアダルト業界により、社会の性犯罪の被害を軽減することになるのならば、

充分に存在意義があると言えよう。

しかし現代のネット社会に生きる我々は、三大欲求の中でも、

ことさらに性欲ばかりが肥大化してしまったようで、あまりに残念だ……。

「食う、寝る、セックス」だけならば、いっそ人間をやめた方いいのではないか? 

高尚ぶる必要も決してないが、下半身に乗っ取られずたまには生きてみよう。

人は性の奴隷ではないのだから。

(なにも画面上の結合したムカデ人間を見ずとも、

外で気分転換に、ドライブなりご飯なりを食べれば良い話だ)

最後に、

ずば抜けた狂人をご紹介しよう。

彼らは求めずとも糞を提供してくれる、世話焼きサイコパス

そう、

「飯を食う他人の前でクソするような輩」

とは。

エロ広告」だ。

……我々は「健全なサイト」。

いわゆる「飯」を食いたいのであり、

「クソする輩」は見たくないのだ。

万が一、業者のひりだすクソを求めるのであれば、おのずと探しにいくだろう。

「たまにはクソ食いてえなぁ~ 」

 

そんな客のニーズに応えるのが業者。

「でしたら、こちらの糞アマはいかがでしょうか(ニコッ)」

「ひぇ~なんちゅう下痢便!ブリブリ 」 

初めて「需要と供給」が満たされ、

お互いの利害が一致するのである

性被害とは、なにも現実での性暴力だけではない。

私はネット上に起こりうる


「心の性被害」 も無くすべきだと考えている。

最後に、この記事を読んだ方にも「性の押し付け」とは何か、ぜひ考えて頂きたい。

マイノリティ側として、一方的に推し進めてしまい申し訳ないが、お許し願う所存だ。

意見や批判なども遠慮なくご送信いただけると幸いである。

補足も大歓迎だ。

以上。

2015-04-18

彼の巧妙なるは東大出という身分犠牲にしてもショミンの嫉妬怨念が蓄蔵されてたトーダイサインを利用して調子くれてたサルを殺したところであって,その後一部マスコミを除いて彼に嫉妬目的攻撃がないのは,彼が東大出の身分を捨てて犯行に及んだ点。で,トーダイ嫉妬するマスコミ攻撃もあまり当たっていない。彼は見事に土着のサルを殺して自分は異界に逸走し果せて,安泰に暮らしている。彼の本音子供競争世界におけるサル殺害の方にあり,出世には興味がないので,人生の目的は果たせたんじゃないの。

 だからあの事件は当時のサルの土着情念殺害目的だったんだけどなぜかその部分は議論俎上に上らないわけで。

 多くは彼は東大名誉を傷つけたとだけ批難するばかりで本質の方は論じられない。しか東大東大で前年に副理事長痴漢で捕まっていたわけでね。

 そういうわけだから,彼の行動に対する評価は全く当たっていないと思うよ。彼の狙いは東大に対する名誉毀損ではないし。つうかそもそも2007年に東大の副理事痴漢している時点で法人の方には名誉なんか一切ないし。

 結局は「トーダイ」というサインに蓄積されてたショミンの嫉妬怨念を強烈に刺激してショミンを殺したかっただけなんだと思うよ。だから彼を怨むのは筋違いで,08年にショミンが調子くれてたことに不満をもってた奴は彼に感謝しなければならない。

2015-04-05

テロリストになってみた


これはひどく狭い世界の話だ。
要するに、
創作関係コミュニティで内輪揉めを引き起こして、
結局なにひとつ現状は変わらなかった、というだけの愚痴だ。

数年前からそのコミュニティに参加し始めた。
コミュニティの一生」というコピペがあるが、
あれでいえば俺はちょうど面白い人とつまらない人が入れ替わる、
その一番最初に来たつまらない人、という位置だろう。

当時はにぎわっていた。
最初にその場を耕し、育てあげた人々はみな何らかのノウハウがあった。
意外にも、本来いるべきその道の専門家は少なかった。
しろ優れた部外者たちの試行錯誤やぶつかり合いが場を育てた。
たとえるなら、
トランペット小学生の頃から続けてきたベテランが、
その経験を活かしてセンスある創作料理を次々と生み出すようなものだ。
それほどに無関係な分野の人たちが、
「その道の専門家」を圧倒する勢いで傑作を生みだしていった。

自分は以前“その道”に近い場所にいた。
からはじめ、彼ら先駆者よりも自分の方が優れたものを生み出せると、
そんな驕った考えでその場に近づいていった。
そして打ちのめされた。
最初半年一年くらいは、彼らの生み出した言語習得に追われる日々だった。
夢のように充実していた。

彼らは小手先作法などでなく、本質を素手で掴まえようとしていた。
最盛期は「いかによりよいものが作れるか」と夜な夜な語り合い、
酒を片手に垂れ流すようなバカ話も交えつつ、
時には場を凍らせるような尖った言い争いを起こしつつも、
全体としては実りある技術論をしていた。僕にはそう映っていた。
みんな、過去の話だ。

やがてある時から、人の気配が減り始める。
そのコミュニティがどこまでも膨張していったが、
筋違い非難関係者への人格攻撃も増えていった。
先駆者たちの多くは、そこらで別の居心地良い場所を探し始めた。
自分も彼らの後を追ったり、まだ元の場所に居着いていたり、
あるいは全く別の場所に触れてみたりしつつも、
心まではコミュニティから離れられずにいた。

衰退以前からコミュニティ関係者の間ではSNSが普及していた。
SNSは確かにコミュニティ活性化の起爆剤ではあったが、
同時に終焉へと向かう引導でもあった。
当初の目的を外れた雑談日常生活での愚痴などが空間を占め、
居心地の良い場所となっていった。
そこは創作行為をしなくてもぬくぬくと過ごせる場所に変わっていった。

世代交代はゆるやかに進んでいった。
かつての先駆者たちが作り上げた傑作に魅了された、新しい作り手もやってきた。
だがすでにそこは見えないルールでがんじがらめとなっていた。
尖った作品、極端な作品は叩かれ、無難ものけが場を占めるようになった。
それどころか、作品評価と作者の評価混同されはじめ、
SNSで良い顔をしている作者は叩かれない」という
まりにも本末転倒した状況が生まれつつあった。

コミュニティからまれ作品を保管するサイト運営もまた、世代交代した。
以前の運営コミュニティ参加者とは一定の距離を保っていた。
必要最低限のことしか話さず、任務遂行していた。
運営引退すると、別の参加者が次期運営に名乗り出た。
それから運営が交代し、ついにSNS参加者の手に運営が移った。

その運営作品への非難を許さず、すべてに全肯定で返した。
作者の人格キャラ化してSNS上での人形遊びにかまけては、
作者と作品安易な結び付けを積極的に促した。
作品非難に対しては、その質を問わず断固たる態度で臨み、
場合によってはアクセス禁止を断行した。
ユートピアによく似せたディストピアがゆるやかに形作られた。

以前はどうだっただろう。
かつてはつまらないものはつまらないと叩かれ、
時には手ひどい長文バッシングアンチストーキングさえも起きていた。
だが、それは間違いなく健全場所だった。

飛び抜けて優れたものが絶賛を超えた絶賛を受け、
見るに堪えないものはこっぴどく叩かれる。
だが、そうした歯に衣着せぬやり取りこそが、
本当の意味作品に触れることでもあったのだ。

現在、そのコミュニティには酷評も絶賛もない。
悪いものには反応がなく、
よいものにも「お疲れ」「よかった」程度の寒い拍手が並ぶ。
中身を見てなどいないのだ。
現在でも本当に飛び抜けて優れた作品が生まれるが、
参加者にそれを賛じるだけの語彙がない。
この語彙というのは単なる辞書的な意味ではなく、
作品を底の底まで見抜く目と、それを素直に口にする心意気だ。

今は作品ではなく、生身の人間としての作者との馴れ合いが優先される。
彼らは何を作り上げるかではなく、儀礼で作った愛着にしがみついているのだ。

私はコミュニティにとって老害だ。
本当はすでに別の場に片足どころか重心まで移しておきながら、
さらに当時のコミュニティで腕を奮っていた作者たちをそこに呼び寄せながら、
こうして元居た場所を憂う資格など、本当はないはずだ。

けれども、もし、と考えてしまう。
もしこの場で、
かつてのように良いものを良いと、悪いものを悪いと言えたら。
言える人物がいたら。
まっとうな評価があれば、少しは何かが変わるだろうか。
風を起こせるだろうか。・・・そんな夢物語を考えてしまう。
ディスコミニケーションが極右思想をそそのかしてしまう。

そこで、修羅仮面を被ってみた。
最盛期よりも過剰に、気に入った作品を絶賛し、
逆に気にくわない作品を立ち直らせぬほど叩き潰した。
実作評価コミュニティ評価乖離した作品は許さなかった。
借りてきた怨念を込めて、身体に空く穴もいとわず
保管庫とその運営に向けて呪いをぶちまけた。
耳に入る同志たちが影でささやいた恨み辛みを糧に、
自分が真っ先に身をなげうって、
健全精神」の持ち主が後に続く道を切り開こうとした。

もちろん、そんなことで現状は何一つ変わらなかった。
今でも参加者はいちゃいちゃと馴れ合い続け、
自分酷評に対しては見当違いな人格非難憂さ晴らししてやり過ごし、
彼ら参加者は己の手で愛すべき土地を汚して踏みにじっていることに気づかず、
ぬくぬくと余生を過ごしている。
恥知らずにも、その手は未だに僕や出て行った人々にまで向いている。
突き返して叩き落としても、彼らに言葉は通じなかった。
反吐が出る思いだ。
だが、祖国に泥を擦り付けたという点では、自分もまた同罪かそれ以上なのだ

先駆者たちは正しかった。
何もせず、すっと離れる方が殉教などより遙かに賢い選択だった。
中でも先陣を切った人は、コミュニティ樹立どころか、
人が集まる気配すらも避け続けているように見える。
根無し草というより、難民のような様相だが、
己の創造性や価値観を守るには賢明な選択なのだろう。

作品の質云々も、手前の好みにすぎないと言われても反論しきれない。
運営理想主義者の皮をかぶった独裁者であるのと同様に、
自分もまた、ある種の独裁思考の持ち主にすぎない。
ユートピアを語るものは、そのユートピアでの独裁者である
そんな言葉を何度となく噛みしめる。

ちょうど一連の出来事は、例のISIL事件と同時期に起こっていた。
比べるのもばからしいほど規模の違う話だが、
テロリストになるとはこういうことなのか、と共感してしま自分がいる。

僕はもう諦めてしまった。
例のコミュニティから距離をとりつつも、へらへらと生きていくのだろう。
死んでいく老兵の遺言として、この文章をのこす。

さあ、四月から新生活だ。
がんばるぞ

駄文。読まないで良い。

虐待いじめも受けていなくて、少し強く親に怒られたからという理由自傷行為をしていたのは

なんだかすごくショボい感じがしてしまう。

いや実際ショボい理由で腕を切っていたのだけどね、

でも怒られて言い返す言葉が出なくて内に溜まってしまってストレスの発散方法がそれしかなかった。

ある漫画で知った自分を傷つけるストレス発散の行為を真似し始めたという理由もこれもショボい気がする。

病院に行くほどでもない。

急に変な焦燥感に襲われて焦って焦って涙が出るってこともあったけれど、そんなものたいしたことでもない。

どんなことがあっても寝てしまえば忘れられる。

そう言い聞かせる。言い聞かせてれば本当にそうなるから

苦しいことも悲しいことも忘れられる、

私は記憶力が悪いからすぐ忘れられる、

しかった時に書き殴った日記の文字の解読に時間が掛かる。怨念のような愚痴の数々

それがなければもうほとんど覚えていない。

一度に数回傷つけることがあったけど

まらないことで傷つけることがあったけど、

白くケロイドのようになってしまった傷を見て

傷つけた理由の半分も覚えていない。

辛い苦しい嫌いという感情は、その理由を忘れる代わりに憎悪に変わった。

それだけが残る。

薄っぺら憎悪をもって死んでしまえと願って、死んでしまおうと今でも思う。

外的にも内的にも今はとても穏やかだ、辛いこともない。

今、私はとても良い環境にいる。

甘やかされている。

やりたいことをやらせてもらっている。

期限は4、5年。

やりたいことの芽が出なければ私もやりたい事を諦めなければならない。

いや、4、5年経っても今と同じような状況ならそれこそもう諦めた方が良いとわかるだろう。

中学の頃から私立に入ることになったら死のう。と思っていて都立に受かった。

高校留年したら死のう。と思ってたら、進級が出来た。

卒業できなくっても死のう、と思ってたら卒業ができてしまった。

専門学校を、やりたい事を仕事にしたい、今の学科じゃ時間お金無駄にするだけだと話し合いをして、中退を許してもらった。

何だかんだで生きてしまえてる。

でもこの4、5年で無理だったら、今度こそ死んでしまおうと思ってる。

早く死ね、と思ってる方、まだ私は死なないぞ、うふふ

もうずっと前に覚悟は決めたのにまだ生きてる、余生のつもりで楽しんでやりたいことをやる。

あわよくば私のやりたいことの夢が叶うといいと思っている。

読んでしまった方、ありがとう。お目汚失礼しました。

2015-03-26

増田基本的に神や高学歴に対する被害念慮の塊だから

時代時代なら下っ端のゴミで上に怨念を募らせていたクズから今こうして神や高学歴に封じられていた事を全力でやっているわけで。まあ実体は復活した神ヤクザに殺されたんだがな。

2015-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20150303085626

どうでもいいけどこれがはてなー格差に対する怨念根本だろうな

あいつらはいつも極端な例で事を語る

2015-02-24

東京の人はよく訓練されてるなぁと感心する

http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150224-00000038-mai-soci

こんな怨念渦巻く満員電車毎日乗れるんだから

「車なんか不要

「持ち家はリスク

こうして自ら東京しか通用しない価値観で自らを東京に縛り付けるんだから

大したもんだ

2015-01-12

業務としてのコミュニケーション

http://anond.hatelabo.jp/20150111103358

寝て起きたらなんだこのトラバブコメの数。ありがとうございます

いろいろ優しいこととかアドバイスとか言ってもらって気がついたんだけど、俺たぶん俺自身で思ってる以上にだめだわ。いろんな意味で。

正直もうこのポジで頑張れる気がしないんよ。だってすでに出来なさすぎて業務量とかめっちゃ調整(という名の減量)されてるし。もうこれ以上削るとこ無いって言われてんのね。(もちろんほぼ定時で帰ってますよ。先輩はできる人でとてもたくさん仕事取ってこれて昼休みだって食事してると電話がかかってくるような人だけど。俺戦力にならんから残るだけ会社のカネの無駄

にもかかわらずミスが頻発。先月出来ていたルーチンが今月抜けるとか先月だめで今月出来た、と思いきや来月はまたアカンとかね。

コミュニケーションに関する業務も今は外されています。先輩のイジリと話術ありきで回ってる、サポートに徹するようなあるコミュ作業を最初は任されていたんだけど、あまりにも事務的やりとりに終始しすぎてるってんでダメ出しされて、最終的に俺が緊張で潰れてギブアップ申告したらダメだこりゃ、という判断がなされたので削られた。「そもそも用事があるときにだけ話しかけて関わりを持とうっていうのが感じ悪い」とかも言われていて、なんというかアレだ、メンバーシップ雇用って言うじゃん? その「メンバーシップ」に明らかに入れてないし入り方がわからないし正直前述したようなイジりへの偏見と恐怖心ないまぜみたいなものがあって積極的に入る気自体がかなり失せてるんだよね。

当たり前だけど先輩からの信頼自体ももう目に見えて目減りしている。マジで計量カップで測れるんじゃないかと思うくらい明らかに減ってる。そう、そもそも他部署がどうこう言う前に先輩とのコミュニケーションが全く取れなくなりつつあるんだよ。自分ミスったのに後から気がついてその報告なり相談なりのために話しかけるとかも、今はやってるけど、当然なんだけど都度めっちゃ嫌な顔されていて、頭ではミスの報告はしなきゃならないものだってわかってるんだけど報告行為自体が悪なんじゃないかみたいな心境になりつつある。そんな状況だと雑談とか逆にできないじゃん? できないんだよ俺は怖くて。どのツラ下げて業務と関係もないアホみたいな話持ち込むんだって自分で思うから。で、自然と「俺からしかける=ロクでもない迷惑話題」という図式が完成して、余計に俺がしゃべる時先輩は嫌な顔になる。

あとこれは本当に自分ではよく分からないんだけど、先輩から、指示のいちいちに納得していない、素直でない人間であるとみなされている。何か指示した後、「納得してないみたいだけど」って必ず言われる。納得もへったくれもなくね? と思うことでも言われる。そう見えるらしいんだけどなぜそう見えるのか、どうしたら納得しているように見えるのかがどうしてもわからない。「そう見える」という状況で俺はミスをしたり指示の通りに作業してるつもりで実は指示から外れたことをやったりしているので、単に「見える」だけじゃなくてできもしないのにむやみに反抗してくる人間だとみなされている。最近では俺は自分でも気づいてないけど深層心理レベルでいろんなことに納得していなくてそれが表に出まくってるのかもしれないとかわけのわからないことを思い始めている。だって実際に指示と違うやり方で仕事をしたりしてそれでミスを出しているんだから俺は自分ではまともな人間のつもりかもしれないけど本当は誰の手にも負えない本物のクズなのかもしれないんだ。もしそうだったらどうしたらいいんだ。

どうしたらいいんだよ。

もう頑張り方がわかんねんだよ俺は。仕事遅刻しないように行くというだけですごい頑張ってる感じになっちゃってて。

そして「休日ゆっくりすることに専念すべき」的なアドバイス全部に対して「うるせえそもそも俺は休日休む資格が無え何か楽しんだりする資格なんか無え」みたいな、字で書くと自分でもめちゃくちゃ言ってるなおかしいなみたいな感情怨念みたいに湧いてきて余計に涙が止まらないのね。

だって業務量減らされてて忙しい先輩の時間もらってそれでダメなんだぞ休んでる場合じゃないだろう?

でもだからって、休んじゃダメからって逆に家で自主的に何か努力するとか、そういうこともやってないんだ。俺はダメなんだ。

俺はかわいそうな被害者とか適材適所にアンラッキーにも外れたとかじゃなくて本当にダメなんだ。クズなんだ。だって世の中にはそもそもこの連休だって布団に入ってなんていられない人がいるわけだろう? 俺は全然まれているんだから、求められてることぐらいできなきゃダメじゃんか。

でも何もできてない。できる気がしない。

今日散歩に行けなかった。晴れてたけど。やっぱり風呂に入れなくて。起きたらだいぶ日が高くて。食うものもないから買いに行かなきゃ行けないんだけど布団の中でダラダラネットしてうつらうつらして。阿呆だ俺は。腹が減ってるけど何も食物がない。洗濯したいのに洗剤が切れていて買いに行かなきゃ何もない。そもそもこんな時間から洗濯て。アホか。俺ダメだ。ダメだ。涙が止まらない。ダメだ。

疲れてなんかいないよ。疲れるようなこと何もしてないよ。

神様神様神様、頼むから泣いたら風呂に入らせてくれ。買い物に行かせてくれ。スーパーが閉まる前に。食わなきゃ明日起きられない、出勤できない。俺はダメだ。自力風呂に入って買い物に行こうとする、そうしようとすることができないかもしれない気がしてものすごく怖い。俺はダメだ。ダメだ。

2014-12-31

いやはや怨念が渦巻いてます

2014-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20141203130529

男もオシャレクソブスを茶化したくなることはあるがそれ以上のことは思わないのでは

そこに怨念が込められているのは異常としか言い様がない

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