はてなキーワード: 怨念とは
セクハラ、パワハラが横行するのを見ていると、「怨念型」の上司がたくさんいるんだと痛感する。
若いうちにモテずに何もできなかった男が、立場を得て自信を付けると同時に、かつてできなかった願望を実現できるとなると、一気に暴走してしまうのだ。
「それはモテない男への偏見だ」という声が聞こえてきそうだが、モテる男だと不倫関係に発展するため、セクハラとして問題にはならない。セクハラとして弾劾されるのはいつだってモテない男なのだ。
セクハラのダークサイドに落ちないようにするには、若いうちにモテておくか、若いうちにセクハラしておくかするしかない。
「若いうちにモテる」は一定のスキルと習熟が必要なので難しいが、「若いうちにセクハラする」は誰でもできるのでオススメだ。
このとき、セクハラのターゲットとして選ぶべきなのは「かつてチヤホヤされた年上の女性」だ。
こういう人は年月の経過とともにチヤホヤされなくなり、自分の価値がどんどん目減りしているのではないかと焦っている。
そこであなたがセクハラすることで、「自分はまだまだイケる」と自信を取り戻す。あなたは性的欲求を満足させる。これはwin-winな関係のため、弾劾されることがない。むしろ気に入られて、セックスできることもある。
「一度もチヤホヤされたことない年上女性」は地雷なのでやめておこう。本気で嫌われるか、本気で惚れられるかのどっちかにしか転ばない。
将来セクハラをして、スケベオヤジだと蔑まれるダサい大人にならないため、若者は今のうちにセクハラしておこう。
「自分もいつからセクハラするんじゃないか? そうならないために何をしたらいいのか?」
そうやって当事者意識を持って行動することが大事だ。一番ダメなのは、セクハラが問題視されたニュースを見て、自分と切り離し、ただ嘲笑するだけの行為だ。
ただの怨念だな。なにも解決しない。
はてなブックマークを知って、多分5年位。
当初はブコメをしても全然スターを貰えなかったが、最近はコツが解ってきたので、
3回に1回くらいはスターが貰える。
当初はスターをもらうだけでうれしかったが、やはり人間なれてくるとスターがついても
さほど嬉しくなくなった。
むしろ、たまに捻くれたコメントをして、おっさんはてな民から怨念めいたスターをたくさん貰うと嬉しいどころか、
他方、はてなも長く続いているので、
昔はほとんどいなかった女性のユーザーも少ないとはいえ増えてきた。
そんな訳で、最近もらうスターの中に女性のスターもちらほら見受けられるよようになった。
俺は非モテなので、女性からスターを貰えるとちょっとモテてる気がしてうれしい。
おっさんの大量スターより女性の一個のスターの方が何百倍も嬉しい。
皆様は何のためにブコメをしてるのだろうか?
教えてくれないだろうか。
普段は本当に「諦めてます」「期待してません」みたいに振舞っている同僚A。
完全にそういう類のことを諦めて飄々としてる先輩がいるだけに、尚更目立つ。
以前言ってみた。
「本当は『特に自分からモテようとするつもりはないけど、彼女がいない事に触れられるのは嫌』ってだけだろ?」
「レッテル貼りが我慢できないってのは、自分のプライドがそれで傷つく、気にしてるってことだろ」
と。
そしたらAは黙り込んだ。
昨日また鬱陶しいことを言い出した。
その時Aと話をしていた同僚Bは俺同様にウザいと思っていたようで、お前いい加減にしろよ、と楽しそうに自分の考えを語っていたAの顔を凍りつかせた後に吐き捨てた。
「お前、モテる努力をするのが、みっともない、格好悪いって思ってんの?」
「ひとそれぞれだけどさー」とAはお決まりの台詞で逃げようとするがBは追い討ち。
「結局お前って、モテたいけど努力はしたくない、でも誰か、ありのままの自分を好きになって! ってだけなんだよな。『主体性がなくて努力もせず、自分に甘い』誰がそんな人間に魅力感じるかよ」
それを聞いてAは激怒。
でもBは全く動じない。
「図星かよ。結局それを認めたくなくて自分や周囲の人間にポーズとってるだけじゃねーか」
「モテる努力ってのは、自分を相手にプレゼンする能力を身につけるってことなんだよ。表面上しか見ない女が多すぎるって、内面で見る気にさせてないのはお前自身だろ。人のせいにすんな」
「モテたいけど努力はしたくない、でもモテたい? いい年して馬鹿か?」
「そんなんだからモテねーんだよ。お前がモテてないのは『女に』じゃなくて『人に』だってことにいい加減気づけ」
「興味がない振りやらなんやら、結果が伴わなかった時の逃げ道ばっかし用意して、こういう話にいちいち反応して喚き散らして、笑って受け流すこともできてない時点で底が透けてる」
「逃げるなら全力で逃げてりゃいいものを、逃げてる自分の姿を見られるのが嫌だから人と並んだまま顔だけ背けてるだけ。側で腐ったプライド振り回して悪臭撒き散らすくらいなら立ち止まってろよ。俺らはその間に先に進むから」
全否定されて血管切れるんじゃないかってくらい首筋まで真っ赤でぶるぶる震えてるA。
震える声で反論。
「お前みたいにレッテルを貼る奴がいるから~(後半聞き取り不能)」
でもやっぱりBは容赦なし。
「そうやって自分に甘い台詞吐いて責任転嫁するばっかりで自分を省みることすらできないから根性腐るんだよ」
「大体、好印象にしろ悪印象にしろどっちもレッテルなんだよ。得たいレッテルを得るため、避けたいレッテルを避けるために努力することの何が悪いのか言ってみろよ」
「世の中のカップルや夫婦にお前の口からタレる糞を投げつけてみろよ」
Aはもう何も言えないみたいだった。
そのままAは逃げるように退社。
Bは吐き捨てるように一言。
「今の自分を認めたくないなら人じゃなくて今の自分を否定しろっての。変える努力もしない、できないやつが文句ばっかしウゼぇんだよ」
俺も似たようなことを前にAに言ったけど、容赦がなさ過ぎてちょっと乾いた笑いが出た。
情報ソースを出すまでもなく、岡山県倉敷市で小5女児を誘拐監禁した容疑で男が捕まった。
http://news.livedoor.com/article/detail/9061769/
【倉敷行方不明】被害女児の母親と父親の正体が と ん で も な く ヤ バ イ !!! 2ch「母親のインタビュー動画見た人いる?一切出てこないってヘンじゃね?」
http://www.news-us.jp/article/402097986.html
とにかくアタマの悪い連中が好き勝手に書いたものがまとめられている。
少し引用する。
これで、母親を疑うなってのが無理がある
これ以外に考えるのはちょっと無理がある
かなり厳しいと思えるが・・・
ネトウヨの顕著な傾向だと思うのだが
結論を決めつけるという例がここでも見られる。
推測をするのがダメだと言っているのではない。
推測をするのは勝手だが、上記にみられるように
「これ以外に考えるのはちょっと無理がある」
元に使うべき言葉ではないと思う。
こういうのを感情的決め付けともいうらしい。
http://matome.naver.jp/odai/2139981440515380701
まぁ、嫌なら見なければいいという話なのだが...。
倉敷市女児不明事件、犯人と思われる人物のネット相談が怖すぎると話題に
http://www.kimasoku.com/archives/7773557.html
2ちゃんのVIPに「好きな人ができました」というスレを立てた人物が
魚拓にあるスレッドを読むところ、今回の容疑者像とかなり重なる部分はあるのだが
細かなデティールが違ってたりもするので無関係なのかも知れない。
(まだ断定はできないとは思うが)
スレが進むうちに「スレ主は本当に今回の事件の犯人ではないか!?」
その止めようと促す人間の中の、とある書き込みを読んで感動に近いものを覚えた。
141 2014/07/17(木) 17:09:31 ID:4WrJDn4LyQ
1さんへ
私は貴方の恋心を否定するつもりはありません。
この世界でいくらロリコンと卑下されようが異常者と蔑まれようが
古来より文学になり、芸術になり、多くの人間の共感を得てきました。
ですが何故多くの人々がそれらを文章や絵画等にする事へ没頭したのでしょうか。
健やかな魂は日、一日と世界のあらゆる事象を飲み込み、成長を続けます。
心も体も儚げな少女から大人へと変貌するのはあっという間です。
聡明な貴方はきっとそれにも気づいておられるのでしょう。
だからこそ今、この瞬間にでも変わりゆく前の彼女と接したいと思い悩んでおられるのでしょう。
貴方が接触しようとしている少女は貴方の恋焦がれる少女とはもはや別の存在なのです。
もし彼女との接触が成功したとしても、貴方はすぐに落胆する事になるでしょう。
日々少女から女へと変わり行く生身の人間の姿を貴方はきっと受け止めきれないでしょう。
そこには今より更に深い渇望と憤りが待っているだけです。
142 2014/07/17(木) 17:15:25 ID:4WrJDn4LyQ
続き
絵を描く事です。
多くの先人達がそうしてきたように、
あなたの少女を永遠に貴方だけのものにする為に、貴方は絵を描くのです。
貴方の求める少女は貴方の絵の中で永遠に純真無垢なまま生き続けます。
何度も言いますが、貴方の永遠の少女はこの世には存在しないのです。
努々そこを履き違えて誤った行動は起こさぬように。
目先の単純な刺激で多少満足したとしても、
そして現実が貴方を襲い、貴方の憎悪する曖昧で無知蒙昧な人間によって
貴方自身の何もかもが否定され、その崇高な想いですら曝され、辱めを受けるでしょう。
気が狂うくらいに無事に帰ってくるのを望まれているよそ様の宝物です。
彼女に何かした所で貴方の欲望も、餓えも、何も満たされることはありません。
それどころか貴方が大切にしていた全ての事に虚実入り混じった泥を塗りたくられ
見知らぬ他人にその思いの丈を口汚く罵られている様を思い描いてください。
一時の衝動で自ら汚してしまわぬ様に。あなたの永遠の光と成す為に。
かの少女に接触するのはお止めなさい。そこに貴方の求める光は無い。
犯罪は良くない。
そうは思うが、ロリコンが犯罪なのかというとそうではないと思うのだ。
(念のため、断っておくが私はロリコンではありません)
その話を知り合いにすると、その彼も同じ経験があり、こう言った。
「そういうの読んで、同じ人間でもこうも自分とは違う奴がいるんだって思う」
確かにその彼はそう思ったのかも知れない。
しかし、殺人を犯したものも、かつては人を愛したことのある者もいて
同じ人間なんだと私は思うのだ。
どこか自分とつながる部分があったのではないかと思って
あの男にしたって、代々武士の家に生まれ
宅間守は幼少の頃、しつけとして暴力をふるわれることがしょっちゅうだったそうだ。
「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせたと読んだ。
もちろん被害にあった子供の親御さんのことを考えると
こんなことを書くのは不謹慎と思う。
「今のは、誹謗とか批判ではのうて、純粋のワシの心から出たほんまの気持ち。わかってもらわんでもええ。言いたい事はまだある。それは、殺してしもーた子供達にや!わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。 あのガキが8人死んでくれたから、 俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!!でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!あははははははは!ほんまおもろい!ワシは死ぬことびびってないで。 遺族にはなにもできへんし最高や!、世の中どんなに金かけてもワシに一瞬にして殺されれば勝ちも負けもあらへん!。 世の中は公平やない!。わしは世の中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。ワシみたいにアホで将来 に何の展望もない人間に、 家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかったんや、世の中勉強だけちゃうぞ!、とあのくそガキに一撃を与えたんや、 死ぬ前に世の中の厳しさが分かってよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。 ワシを悩ませた糞親にも嫁の家族にも迷惑かれてな!親戚に守がいますなんて 千年たってもいえへんな!こんなケッタイなおっさんに一瞬や!ぶすぶす事件は、ほんま!、おもろい!、 ほれでも、ワシはまだ満足はしてないで!」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%B1%9E%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B0%8F%E4%BA%8B%E4%BB%B6
こんな言葉を被害者家族もいる場で叫ぶのはどうかしてると思う。
思うが、この発言から宅間守の人間としての弱さを読み取ることも出来ると思うのだ。
「わかってもらわんでもええ」
「ワシは死ぬことびびってないで」
「世の中どんなに金かけてもワシに一瞬にして殺されれば勝ちも負けもあらへん!」
「世の中は公平やない!」
「ワシは死ぬことびびってないで」 → 本当は怖い
こう私は理解する。
もっともサイコパスと言われる人は、人心を惹き付ける魅力があるとも聞くので
この言葉も宅間守自身が自己を擁護するために放った言葉なのかも知れないが。
「こんな犯罪を生み出した『社会』にも責任があるのではないか!?」
という考え方を私はしているのだと思う。
しかし「人が人を殺したい」と思ったことが一瞬でもあったとしても
私はそれが異常なことではないと思っている。
かといって、実行に移すのはまったくもってオススメしない。
ただ私はそういう人たちに心情を寄せる傾向があるだけだと思っている。
性癖というのは根深いもので、言葉で簡単に説明が出来るものではないと思う。
そういった願望を抱くことは今のところ、この国では違法ではない。
男が女を好きになるように
女が男を好きになるように
また男が男を好きになるように
女が女を好きになるように
それを簡単に「死刑でいいよ」なんて言葉で簡単に片付けるなと言いたい。
犯罪がよくないのは当たり前の話で
それに「何があったとしても俺は人を殺さない」と言い切れる人はいないと思う。
もしいれば、それは想像力の欠如じゃないかと思う。
こうしたことを発言すると「不謹慎」だとか「ズレてる」と他人からは言われる。
はたしてそうなのか。
なので、匿名ダイアリーにて自分の思うことを書かせてもらいました。
やはり私は、ズレているのだろうか。
まずビューティフル・ドリーマーはうる星やつらを間違った解釈をした作品で
なおかつ当時のオタクはビューティフル・ドリーマーの解釈を正しいものとして
恐ろしいことに原作の解釈こそが間違ってると言い放った作品なんだ
何よりも、その間違った解釈が後の作品に影響を与えてるからうる星やつらの原作そのものよりも重要視されてるんだ
この間違った解釈は二つあるけど
一つ目は舞台裏であっても許されない「俺は他の女の子と同じくラムにもきっちり惚れとる」って発言、これは原作者の怒りを買って後の完結編での「今際の際でも言ってやる」っていう相反するセリフにも反映されてるから分かりやすい
ところがそう見えてラムとあたるの関係って今に至るまで原作者以外に回答が出せない複雑さがある
宮﨑駿をしてラムがどういうキャラなのか理解できないものがある
浮気ばっかりして電撃を食らわしてため息をついて、それでもあたるから離れられないラムってキャラクターを男の視点から理解することは不可能だった、宮崎は女の怨念みたいなもの塊って評価を下してたけどまぁ実はラムは女じゃないとその心情を理解できないキャラで
そのキャラを男、それもド童貞のオタクにも理解しやすい(望んでいる)形に曲解したのがビューティフル・ドリーマー以降のラムなんだ
言うなれば肉ある現実的な女性像だったラムをオタクが好む神格化、夢見る巫女にしたのがビューティフル・ドリーマーのラムで
その解釈を元にあらゆる不思議な現象の中心に居たのがラムだったという明らかに間違った解釈で作られた三作目、リメンバー・マイ・ラブにつながるんだ
で、この神格化された実在しない女の子像こそが90年代のオタク作品に繋がるからオタク史において原作より重要視されるんだよ
構造的に、天地無用やtoloveると似通ってるのに明確に違ってる理由が原作はそういう作品として意図して設計されてないというところにある
(まとまったら追記)
t
なんかネットが切断されたり書き込みが制限されたり、挙句は書き込みボタンが白くなって押せなくなったりとわけがわからず、追加で書きこめねーからこっちに書いとくか
一応論拠
初対面なのに馴れ馴れしく話しかけてくるのは、向こうは自分の事をよく知っている上、また距離が近いようにも思っているから
体育館を出るとき、わざわざ誰も行かないような梯子登った先にある窓から見下ろしていたのは、高所から見下ろし、その事を気付かれるような位置におり、また気付かれても無反応で見つめ続けていたのは、心理的には逆に見下されているように感じているか、あるいは本来ならば見下されるような立場にあったから
家に訪ねてきて母親と深刻そうな話をしており、その話しぶりに怨念が感じられたのは、事情を既に知っている母親と、父親の事について話していたから
なんとなくタブーのような気がして両親にはその女の事を聞けていないのは、内心ではもうなんとなく気付いているからで、これまで話に一切登場しなかった父親にさえ女の事を聞けないのがその証拠
首輪だけ残して犬がいなくなるったのは、恐らくは女は母親に冷たくあしらわれ、父親にも同様に対応されたか接触できない事情があり、しかし何らかの形で一家に損害を与えようと考えた結果だから。あくまでも外からしかアクセスできない立ち位置にいるが、こういう事もできるんだぞというアピールでもある
(ただ外飼いの飼い犬が赤の他人に首輪を外されて連れ去られるかという疑問は残るので、息子に馴れ馴れしく接触してきたように、犬にも前々から餌をやって手懐けていた可能性もある)
水死体で発見されたのは、母親かもしかしたら父親の対応が引き金となって自殺したから
夢に出てくる女の顔はのっぺらぼうで、どんな顔かも忘れてしまったのは、もう既に新聞に出ていた顔写真がどことなく自分と似ている事に気付いているからだが、不幸な真実に気付いても不幸になるだけなので、あっさりと女の顔も忘れてしまうし、女の顔を否定するようなそんな夢も見る。しかし罪悪感と後悔があるので同じ夢を繰り返し見る
どの国でもあるいはどの宗教でも、死んだあとどうなるのか? は一大テーマだ。キリスト教は神の国に行くし、仏教は輪廻転生するし、神道は死んだら神様になる(そしてまた人間に戻ったりする)。
http://www.hachimangu.com/cgi/kouwa/kouwa.cgi?mode=one&namber=199&t...
神道では、人間が死ぬと、すべて神になると考えています。これは、私たちの魂は神から頂いた、神の分け霊、分霊と考えるからです。神の分霊なんだから死んで霊界に帰れば神に戻ると考える訳です。
私たちが死ぬと肉体と魂は別々になります。死んでまもない魂は、霊界での初心者、若葉マークの霊であると思います。肉体と魂が離れても実感として分からない時期、まだ死を認められない霊なのです。病気やケガで足を切断した人が、ないはずの足がかゆくなったり、痛くなったりすると聞きますが、そのような、まだ肉体のあった頃の感覚が離れられないでいる時期が若葉マークの霊であろうと思います。肉体の感覚が残っている内は、この世での執着心も残っているのです。
「自分は死んでしまったのか。それではもうこの世にはいられない。神の世界、仏の世界、御先祖様の世界へ還ろう。そして、魂の修行をして、神となって子孫を守っていこう」と決心したならば、執着心も切れて、迷うことなく霊界へ行くことができるのです。
この引用は一例だが、洒落怖あたりをみてもなんとなくこういう意識を持っている日本人は多いように思われる。仏教が入ってくる前の神道だと魂の修行とか言うのはなかったと思うが、その代わり祈祷などで鎮めていたのではないかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A8%E9%9C%8A#cite_note-Yahoopedia-2
憎しみや怨みをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊。これが生きている人に災いを与えるとして恐れられている[2]。
霊魂信仰の考え方では、霊魂が肉体の中に安定しているときその人は生きていられる、と考える[2]。怨みや憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して生霊となり災いを与える、と考える[2]。
ちなみにこの死者が安楽に辿りつけない場合もあるという考えは日本固有ではないが、一神教系だと地獄にいくことがおおいようだ。アミニズムは現世に災いをもたらすらしい。
有名なのは平将門ですよね。生霊といえば源氏物語の御息所。医療や科学が発達していなかった時代に、アミニズムはそれを神様がやったってことで納得していた。一神教の場合も神の試練だと、仏教は功徳が足りないと思っていたのか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0
政争や戦乱の頻発した古代期を通して、怨霊の存在はよりいっそう強力なものに考えられた。怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である。怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。また、その鎮魂のための儀式として御霊会(ごりょうえ)が宮中行事として行われた。記録上、最初に確認できる御霊会は、863年(貞観5年)5月20日に行われた神泉苑で行われたもの(日本三代実録)である。
仏教的にはどちらかと言うと荒神の信仰に近いものかな。阿修羅とか。
靖国神社もそもそもはこの御霊信仰のもと建てられた神社である。
http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
前進は明治2年にできているので、戊辰戦争の御霊供養のために建てられた神社であり、その後の日本内の内戦および諸外国との戦争でなくなった人々の供養をしている、ということになっている。
政府のたてまえとしても、靖国神社参拝は御霊供養のため、ということになっており、単純に墓地に行くのとはまた違う意味合いを持っているようだ。そもそもが怨霊を鎮めるためのものなので、死に方(戦死・処刑)に関しては問わない。ところでここって空襲で亡くなった人は入ってるんですかね?それはまた各自か。そもそも神社って系列があるし、霊魂はどこでもいけるしな。
こうしてみると、靖国にA級戦犯が眠っているから参拝してはいけないというのは的外れで、むしろそういう人がいるからこそ供養はせにゃならんということになる。祈る内容は「もうしません」でも「つぎはぜったいかちます」でもなんでもいいわけだが、とりあえずこの観点から反対するのは無理筋だろう。
んで次に気になるのは、別に首相がいかなくてもいいんじゃね?という点である。
多分これは崇徳天皇のせい。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
いろいろとロマンチックなひとだが、気性が激しいともいう。
[要出典]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
一方『今鏡』「すべらぎの中第二 八重の潮路」では、「憂き世のあまりにや、御病ひも年に添へて重らせ給ひければ」と寂しい生活の中で悲しさの余り、病気も年々重くなっていったとは記されているものの、自らを配流した者への怒りや恨みといった話はない。また配流先で崇徳院が実際に詠んだ「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」(『風雅和歌集』)という歌を見ても、悲嘆の感情はうかがえても怨念を抱いていた様子はない。承久の乱で隠岐国に配流された後鳥羽上皇が、「われこそは にゐじま守よ 隠岐の海の あらきなみかぜ 心してふけ」(『遠島百首』)と怒りに満ちた歌を残しているのとは対照的である。
しっかり子供作ってエンジョイしてんじゃんとは思うが、日によっては荒ぶっていたのかもしれない。どちらかというと彼に対する罪の意識で、後々伝説が作られたような気がするが、なんせ千年前である。確かめるすべはないな。まぁいいや。とりあえず天上人の天皇が荒ぶって怨霊になってしまったので、天皇が御霊鎮魂をするようになったもよう。これが国のトップが御霊慰霊を行うようになった理由だろう。
1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
ちらっと調べた限り3がある以上それをひっくり返すのは無理筋だが、いまのところ行くこと自体は1で押し通している。奉納するとなると3に引っかかるのでそれが争点になるようだ。もし私費で奉納とかしてりゃ1があるので反対するほうが悪いが、そうではないのなら違憲判決が出されるのは妥当な所。
しかしそこまできっちりとやってしまうと、天皇制がそもそも違憲、内閣総理大臣を天皇から任命されるのも違憲になってしまうので極めてグレーである。
ただ天皇は戸籍がないので、日本国籍を持ってない。例外として日本国民ということになってはいるが、主権もないしこのへんもグレー。突っ込んではいけない領域である。
このうち1は明確に信教の自由があるので以降といくまいと自由。
2は前述のとおりグレー。
3は参拝が軍国主義につながるというのが主な反対の理由のようだが、参拝は御霊供養のためであり、反省するのも軍国主義を目指すのも当人次第(しかも信教の自由があるのでそれを規定することはできない)ので的外れ。一般的にキリスト教では参拝は神への信仰、仏教は魂は輪廻転生してしまっているので特に意味のない行為(参拝自体は功徳を積むため)で、御霊供養の概念はきちんと説明しないと伝わらないと思われる。4,5も同様。
したがって、問題の争点は政教分離の観点でOKなの?という部分だけだな。ちなみに諸外国がこれに反対するのは内政不干渉の原則に反するが、言うの自体は自由である。