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はてなキーワード: 学問とは

2020-01-21

anond:20200121015918

実際は頭からケツまで犬の調教でいいというホシュ系と、下地もなしにじゆうにかんがえましょうだけのニホンリベラル系との宗教的綱引きって感じかしら。

どっちも決定版の「道徳教科書」があり得ると信じてる。

ものすごくかいつまんでいうと、訓練的性格を持つ「学習からオープンな「学問」に繋がる間のところの、「中級編」を指導する用意というか厚みがないんだよね

2020-01-20

anond:20200120180036

結婚できるかどうかじゃないだろう。

性交できるかどうかだ。

データ学問の話するならそこは区別していけ。

2020-01-19

anond:20200119224115

嘘つきカウンセラー論破

すぐブロックしてやんの馬鹿

あのね心理学って精神定義せずに論じてるから、何について話してるかわけわかってない学問なんだぞ?

カウンセラーから役に立たないだろ。学校カウンセラー増やしたって役に立たないのは心理学哲学であり科学じゃないからだ!

https://www.instagram.com/p/B54JBKsg7zS/?utm_source=ig_web_copy_link

自由研究ができない子だった

小学校中学校夏休み、どこの学校でも自由研究宿題に課されていたと思う。

私はそれがひときわ苦手だった。

まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。

出てきたとしても、それは既存実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。

小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。

中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。

そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。


今になって思えば、ああい課題子供発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。

紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。

ちゃん自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験計画できるか。

そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。


現在の私は理系の院をなんとか卒業し、企業に勤めている。

ただそれは、研究室時代子供の頃から矯正放棄されていた考え方を改善されたから。

教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。

今でこそ研究テーマ自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、

(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)

配属当初はアウトプットボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。


矯正すれば治るけれど、それに気付かない大人子供も多い。

それを発見するツールとして、自由研究有用だと思える。

私のように大人になって直すよりも、早い内から矯正していけば、本人にとっても周囲にとっても楽だろうし。

本来課題目的に削ぐわない副次的な考えではあるものの、是非ともこの様な活用法をして頂きたいと切に思う。

2020-01-18

学問

学問世界とそれ以外の世界の一番の違いは、

正しさに関する厳しさなのではないかと思う。

学問世界では間違うことは仕方がないにしても、

間違えないように最善の努力をすべきであるし、

間違えていたと分かれば、それは人格否定ではなく、間違いの指摘なのだから

感謝反省をして正していくわけです。

しか学問以外の世界では、正しさが一番の基準ではない。

お金が儲かるとか、それ以外の基準が大きくて、そこにギャップがある。

学問世界に間違いがはびこると、その損失は大きいので、利害打算抜きで正そうとする。

間違っていても良いから分かりやす説明をすべきというのは、

やはり名誉利益が中心にあって、事実に対する慎重さや尊重がないと見られてしまう。

正しさに価値を置かない人にとっては、それは理解できないのだと思う。

面白ければ良い世界と、正しいことを知りたいという世界はやはり相容れない。

残念ながら科学事実の軽視はますます進むと思う。

科学に対してお金ますます出されなくなると、

科学尊重する国とそうでない国という形で国力に差が出たり、

学問をするためには大企業研究職に就くしかない、みたいなことが起こりはしないか

2020-01-17

anond:20200117173145

卒論レベルで「大したこと」がかけないと意味がないと言われてしまうってちょっと人生ハードルあげすぎじゃないですかね

あんなの学問世界参加賞かいわれてる程度なのに……。

anond:20200117095942

体験記とか生活記録を読むことを学びとみなす、という姿勢戦後文系学問思想の大きな進歩だが、それしかやってない人間が「私は十分に学んでいる」とか言ったらだめだよ。従来の戦記とかもやらないと。

しろ、何でそんなことを私が知らないとおもったの?

というのは、見方を変えれば

あなた情報工学大学でていますか?

基礎的な学問をなにか履修し忘れていませんか?

2020-01-15

なんで歴史宗教哲学政治宇宙の本とか読むんしょうか?

30代、男性、専門卒、社会人

楽しく生きたいとか仕事スキルアップ理由で、再度読書を始めようかと思っている。

今まではビジネススキル自己啓発系は、ある程度は読んできた。


今の悩み。

なんで歴史宗教哲学政治宇宙の本とか読むんしょうか?



学問のすすめでは

生活に役立つことを学ぶ学問勉強したら的なことを書いてある

この理由が、自分が本を読む理由だと思っている。



本のジャンルによって読む理由がわかるのとわからないのがある


ビジネススキル本とか、料理本とか ノウハウ

生活仕事実践できるのでわかる

小説

趣味の一環として、楽しむということでわかる

歴史宗教哲学政治宇宙の本とか

一般人自分からしたら実生活に役立つのかよくわからない。

読みたい気持ちは少しあって本をパラパラめくったりするが、いまいち積極的になれない気持ちがある

この立場だったらなんとなく理解できる

出版社作家が本を売りたい

趣味で知りたいとか会話のネタとして話す

仕事の専門分野として必要

大学まで学ぶのは、職業選択のためというなら理解できる。

社会的リーダーの人が読んで、視野が広がる?

知識として知って、マウントをとりたい


本を読んで得られる効果について

普遍的価値観を学べる

過去を知って未来予測する

人間本質を知る

その人の追体験ができる

判断能力が上がったりする

とか聞くけど、本読んでそのような効果って得られるの?

それを考えるきっかけになるため?


熟読していないだけ?

いろんな分野の入門書の「はじめに」を読むのが好き

社会に生きる上で求められる教養

全ての専門家の言う事聞いてたら教養を身につける前に人生が終わってしま

学問幅広すぎ

2020-01-14

好きなことだけして嫌なことを全て避けて生きてみた結果

高校は授業がつまらなかったので不登校をしていた。

大学では好きな勉強だけしていたら2度留年した。

新卒で入った会社を配属されてから1ヶ月でつまんないと感じて辞めた。

一般的にみたら落伍者社会不適合者、ゴミ屑、なのだろうし、それは全く間違っていないが、それでも結構幸せに生きていけている。

僕が今回言いたいことは、「つまらないと思うことを努力してやって結果って出るんだろうか?」という話だ。

僕が今まで生きてきた経験上、つまらないと思うことを我慢して続けたことよりも、好きでやって努力努力だと思わないでやっていたことの方が成果を出せた。

たぶん、誰だってそうなんじゃないだろうか。

まらない高校の授業を、周りと同じように我慢して聞いていたことがある。

テストがあるから、興味のない学問勉強したこともある。

仕事から、仕方なく我慢して続けてやってみたことがある。

でもそれらが身になることはなく、身についたとしても、それが僕を幸せにすることはなかった。

から僕は高校に行かなかった。でもとても勉強が好きだったので、家やらカフェ勉強していた。結果、東大に進学した。

東大では2度留年したが、好きな勉強だけをしてそれを論文にしたため、優秀な修士論文として学科長の賞をもらった。

新卒では東証一部の某企業入社した。研修を終えて最初に配属された部署で振られた仕事があまりもつまらなかったのでボイコットした。当時の給料は額面で月25万だったが、副業で月50万稼いでいた。

もとよりプログラミングが好きで、webサービスを作ることができたので、スタートアップエンジニアとしてフリーで働いていた。時給4000-6000円で請け負って、会社を定時で切り上げて夜の11時くらいまでスーパー銭湯にこもってコードを書いていた。そちらの仕事の方が楽しかったので新卒で入った会社は配属されて1ヶ月で辞めて、しばらくフリーで働いた。

アフィリエイト宣伝文句のようであるが、フルリモートだったので会社を辞めてから海外旅行をしながら仕事をしていた。

最初のうちは調子が良かったが、フリー仕事が常にあり続けるというわけでもないので、仕事がなくなりそうになった。仕事がなくなれば、そこでジエンドではある。でもそれでも、まあ結構大丈夫だ。

linkedin登録していると時々転職エージェントから企業の紹介がある。フリーをしながらそういう紹介を受けて、冷やかしで面接にいった。僕の履歴書はめちゃくちゃであったが、好きなことだけしていれば面接で話せることは山ほどある。2度の留年や、会社を数ヶ月で辞めたことは帳消しになったようで、どこの企業からオファーをもらえた。年収は、普通は前職考慮なのだろうが、こちらの言い値が通った。

これらのストーリー再現性があるとも思わない。ただ、僕は自分人生方針は間違っていなかったと思う。

嫌なことを全て避けて、好きなことだけ興味のある限りやってみる。

その方が成果を出せると僕は思う

科学の過信こそが科学を追い詰める。

科学というのは、明証、分析総合枚挙と、合理的批判からなる知識集合体

デカルト提唱してから400年、科学がおおう範囲は非常に広がってきた。世の中のすべてのことが科学で解明されるかのように思えてきた。

例えば、農作物を雀が食べるから、雀を全部殺してしまえば、農作物は大量に作れるように思えた。

例えば、なにか思いついたら、すぐにそれが期間、費用収益見込みが作成できて、投資に馴染むもののように思えてきた。

すぐに期間、費用収益見込みが作成できて投資をうけれるはずなのに起業が起きない。なぜだ?ただ単に起業家精神が足りてないだけだ。

から煽ればいいんだ。と、起業を煽ることだけを盛んにする。

それ以外の物事無駄であり、費用をとにかく削減すれば良いように思えてきた。

結局、共産主義も、新自由主義も、今までにわかっていた科学でこれから事象も全部わかるという誤解のもとに生まれたのだろうね。

そうして、どんどん社会は衰退していった。

無論、わからないものはこれからもまだまだあるのだから科学でないもの科学にするのに金は出していかないとならない。

後、社会科学は、偉い奴の言った物事忖度するための学問じゃなくて、現実世界を解明するツールだぞ。合理的批判が難癖と紙一重からなかなか難しいところはあるし、文系不要論なんて生まれるが。

2020-01-11

anond:20200109114755

俗に言うガラパゴス化が起きるのは、とんでもなく隔絶した環境にあるか、そうでなければドメスティックものがそれなりに強くて蓄積があってレベルいからだろう。

日本語でもまあまあ学問できちゃうから英語論文書く段になって苦労があるのと同じで

2020-01-05

恋愛脳な自分が嫌だ

私は、思春期の頃、恋バナばかりしている同級生軽蔑していた。そんな話よりも、哲学の話とか、遠い星の話がしたいと思っていた。

常に恋人と連絡を取り合っている人にも嫌悪感をおぼえていた。連絡なんて用事のある時にすればいいのに。

雑誌を開けば、テレビを見れば、世間の人は恋愛の話ばかりして馬鹿みたいだと考えていた。

それが昔の私で、今の私は恋愛にどっぷり浸かっていて、多分恋愛依存症になっている。

暇さえあれば恋人との過去ラインを眺め、隠し撮りした素の表情の恋人写真を眺め、デートスポットについて調べ、恋人のしぐさや言葉真意についてググり、キスうまいやり方を調べている。ほぼ一日中恋愛のことしか考えていない。

しかも、恋人に会ったらすぐ触りたくなっちゃうし、脳内エロいことであっという間に埋め尽くされてしまう。

以前の私は、もっとまじめに人生に向き合い、色々なことに真剣で、趣味も楽しんでいた。今の私は人間ではなく、ただの動物だと思う。

恋人のことは愛しているので絶対に失いたくないが、今の自分が忌み嫌っていたタイプの人そのものになっていることにだんだん耐えられなくなってきている。仕事趣味学問恋愛バランスをうまく撮りたいのだがどうすれば良いのだろうか。

2020-01-04

私と、FtM親友のはなし

私(シス女性ヘテロ)にはFtM親友がいる。これから、私から見たその親友について、彼と初めて出会ったときから順番に時系列で書いてみようと思う。

この記事を書こうと思ったのは、ツイッターネットには、ジェンダーについていろんな意見が飛び交っているけれど、LGBT(この言い方は性自認と肉体の問題であるトランスを性志向問題であるLGBと一緒くたにしていてあまり良い言い方ではないと思うが)の当事者ヘテロの人との関わりについて、ヘテロから書いた記事が少ないなあと思い、そういう視点からの話があったら何かしらの意義はあるかもしれないと思ったかである

最初に断っておくが、私は「性別なんて結局関係なくて全ては人間同士の問題だ」といった浅はかな話を伝えたいわけではない。私の親友現在進行形社会トランスジェンダーの人々への不理解不寛容による様々な不利益を被っている。そのような不利益はなるべく早くこの世から無くすべきだし、そのためには多くの人々がジェンダーにまつわる問題自分事として、リアルに考えられるようになることが必要である。そのために、この記事が少しでも世の中のジェンダーにまつわる問題考える人の参考になったら幸いである。

↓以下自分語り↓

私(シス女性ヘテロ)にはFtM親友がいる。

彼とは中学出会ったけれど、初めて出会たこからしばらくは彼はまだ「彼女」として生きていた。お堅い私立女子校に入った割には少しやんちゃタイプで、4月早々の初めて一緒に帰った日に寄り道禁止校則を破って一人で新宿電車を降りようとした私に、彼女は「面白そう!」と言って付いてきてくれた。

一緒に帰ってる子がいるのに勝手に寄り道しようとするところから察せられると思うが、当時の私は集団行動がとにかく苦手だった。あと、謎のプロフィールカードを回して(書くのが地味にめんどくさい)、趣味とか性格とかをやたらと自己開示して同じ雰囲気の人同士で固まっていく、女子特有のあの謎の雰囲気にも全然なじめなくて、あんまり友達ができてなかった。彼女は一緒にいても無理に私のことを聞き出したり、自分のことを話したりもしなくて、そういうサッパリしたところがすごく楽で私たちはすぐに意気投合した。

毎日一緒に新宿で降りてその日のノリで無意味アルタとか世界堂とかを気が済むまで一緒にぶらついた。私は可愛いアクセとか服とかをよく買ったけど、彼女は最新のごついボールペンとか、銀粘土という私が知らない謎の粘土(それを使ってクロムハーツっぽいかっこいい系のシルバーアクセを作っていた)とかを買っていた。お金がない日はパックのジュースコンビニで買って地元駅のベンチで座ってずっとだらだらどうでもいいことを喋っていた。彼女も私もあんまり家に帰りたくないタイプだったので、無意味に夜の9時くらいまでベンチで喋っていた記憶とかあるけど、何をしゃべっていたのか全然思い出せない。多分最近やったおすすめゲームとかそういう他愛もないどうでもいい話をずっとしていたんだろうと思う。中二の頃は二人してゲーセン通いにハマって、大金をつぎ込んでハウスオブザデッドをラストまでクリアしたり(金の無駄すぎる)、夏休みを全てクイズマジックアカデミーに溶かしたりした。マジアカに関しては昔は1クレで2回遊べるような気前のいい設定のゲーセン結構あって、二人で交互にお金を出すと1000円もかからずに一日中遊べた。答えるジャンル彼女理系学問歴史担当で、私はアニメゲーム芸能担当だった。あと彼女クレーンゲームを一度やると取れるまで諦められないという悪癖があり、月のお小遣いを一瞬で溶かしてどうでもいい景品を取ったりしていた。いつだったか彼女クレーンで私のために戦国BASARA伊達政宗フィギュアを取ってプレゼントしてくれた時はすごくうれしかった。

中学二年生できっちり中二病になった私が突然ロリータに目覚めてピンクのフリフリドレスを着だしたときも、「似合ってるしいいんじゃね」の一言でそれ以上特に何も突っ込んでこなくて、その雑さがかえって楽でありがたかった。

とまあとにかくこんな感じで彼女と遊ぶのはとても楽しかったけれど、仲良くなるにつれてだんだんと、そして確信的に、私は彼女が他の「女の子」とはどこかが違うということを感じつつあった。何が違うのかはまだはっきりとはわからなかったけど、とにかく彼女は他の女の子と何かが決定的に違っていて、そして、違っているからこそこんなに気が合うんだろうなあと漠然と思っていた。

中学二年の終わりごろのある日、彼女が急に長かった髪をバッサリ切って学校にやってきた。私服服装も、ワンピースカーディガンみたいな感じからTシャツジーパンみたいな男の子っぽい服装に変えた。他の子は「すごい大胆にイメチェンしたね~!」とか言ってたけど、私は彼女のそれが「イメチェン」なんかじゃ絶対ないことが何となく分かっていた。自分性別についてとか、そういう話を彼女したことは無かったけど、その時は漠然と「多分彼女本来自分の姿に戻ろうとしてるいるんだろう」と思った。私がロリータを着だしたとき、「うちのお母さん宝塚とか好きだからさ、そういうの着て欲しそうにするんだけど、嫌なんだよね。」とポツリと言っていたことを、何となく思い出した。髪の毛は、お母さんはもったいないから切るのやめなよ!そんなに短くしたら男の子みたいだよ!って言って反対したらしいけど、自分勝手美容室に行って切ったと言っていた。「そっちのほうがしっくりくるじゃん!」って彼女に伝えた。

中三の頃から、お母さんとの折り合いが悪いとかで、彼女の元気がない日が多くなっていった。私はそういうことに無理に相談に乗ろうとするタイプじゃなかったし、彼女も多分それを望んでないだろうと思ったので、元気がない日はとりあえず一緒に遊んで、彼女が家に帰らずに済むようになるべく長い時間一緒にいるようにした。ジョナサンドリンクバーで追い出されるまで粘って、彼女が授業を休んだ分を一緒に勉強したりした(完璧に教えられるほど私が頭が良くなかったのは申し訳なかった)。一緒に夜遅くまでいると彼女携帯にお母さんからしょっちゅう電話がかかってきていたけど、そうなると彼女携帯の電源を切っていた。確か彼女携帯ストラップも何もついていない、青いシンプルソニーのやつだった。

高校生になると、彼女だんだん学校に来なくなる日が増えた。学校になじめないとかそういうことじゃなくて、多分、彼女が「彼女」でいることが限界を迎えつつあったんだと思う。たまに学校に来られる日はむしろ楽しそうにしていたし、学校はすごく楽しい全然嫌じゃないって言っていた。今にして思えば、女子校性別が一つの空間だったから、自分男の子に対する女の子だっていうことをことさらに考える必要が逆に無くて、彼女を苦しめる色んなものから解放される場所だったんだと思う。

けど、そういうことを彼女のお母さんはどうやら絶対にわかってくれないようだった。学校先生も「何でいじめもないのに来ないんだ」って感じだったし、周りの大人は誰もかもが、何か彼女根本的な何かを理解してなさそうだった。私もその時はまだはっきりと彼女の苦しみを理解できていたわけではないけど、ただの思春期の悩みとか親子関係もつれとかではないだろうことはぼんやりと感じていたし、そして多分、私が彼女のことを根本的に救うことは出来ないだろうということを感じていて、何とも言えない気持ちになっていた。私にできることはただ今までと変わらず仲良くすることだけだよな~と思って努めてそうしようとしていたけど、先生かに「〇〇さんと仲良くしてあげてね~」といかにも不登校の子ケア的な感じで言われるたびに、そんなことずっと昔からとっくにしとるわ!と白けた気持ちになった。

彼女は結局高二高三と結局ほとんど学校に来られなかった。私はアホなりに頑張って何とか大学合格したけど、彼女はそんな調子だったから、何とか卒業はできたけど当然現役で受験するのは無理で浪人することになって、春休みに会ったとき予備校に通うことにしたと言っていた。大学に入ってからは私も忙しかったし、彼女も親と一緒にいるのが限界一人暮らしを始めたりした関係で、初めて半年くらい会わない期間があった。その半年の間に、私は女子校を出て男という存在に実に小学校ぶりに接触し、この世界には男と女がいてそうやって社会が成り立っていることを久方ぶりに思い出した。何なら初めての彼氏まで出来た。

そんなある日、サークルの部室でスマブラでもみんなでやろっか~ってなったときに「ゲームとかやったことある?」って何気なく男の子に聞かれて、その瞬間、「ああ、「男の子」と「女の子」っていう、こういう感じの雰囲気、あったな」という感覚自分の中に鮮烈に蘇ってくるのを感じた。私は小学校の頃からゲームが大好きで結構いろいろなソフトを遊んでいたけど、女の子ゲームが好きな子小学校クラスに一人もいなかった。男の子が新作ゲームの話で盛り上がって「今日俺んちで一緒にやろうぜ!」って言ってるのを聞いて、混ぜて欲しいなあって思っていたけど、何故か言えなかった。そういう小さいころほのかに感じていた違和感とさみしさが心の中にバーッと思い出されてきた。小学生までの私はずっと一人でゲームしていてすごくさみしかったし、一緒に気兼ねなくゲームしてくれる友達がいればいいのにな~ってずっと思っていた。だから、男だからとか女だからとか考えずにとりあえず一緒にゲーセンに通って、アホほどマジアカやれたのが、あんなに楽しかったんだなあってことがようやくしっくりきたのだった。

夏の終わりころ、「引っ越し終わったから会おうよ」って連絡が来て、家に遊びに行って半年ぶりに会った。一人暮らし始めたてだという部屋はめちゃくちゃ殺風景で、唯一あるデカめな本棚河合塾とか駿台テキストに混ざって横光三国志とかジョジョかいろいろな漫画がたくさん詰まっていた。プレステがない事にちょっとがっかりしたが、「浪人してるので親に止められた」って言われてまあそりゃそうかって納得した。けれど、親に干渉されない空間で前よりだいぶ生き生きしているようで安心し、それからちょくちょくまた一緒に遊ぶようになった。

最近はよくそういう話もするけれど、どういうタイミング性同一性障害とか、FtMとか、そういう話を彼から聞くようになったかを私は何故かはっきり覚えていない。大学生になってからだというのは覚えているが、はっきりとしたカムアウト的なことを受けたのがいつだったか記憶あいまいなのである。もしかしたらそういうはっきりしたカムアウトも無くて、「男なんだよね~」「そっか、まあだろうね~」みたいな感じで、ダラダラ喋ってるときにノリで言われたのかもしれない。どのみち、私は大学に入って自分の中で「男」という概念を思い出した時点で、ああ、彼女はやっぱり完全に「男」だったなという確信を持っていた。肉体の上での性などどうでもよく、長年一緒にいて相手のことを知りつくした結果、彼女が「女」では絶対にないということが理性を超え出でて感覚レベルでしっくりくるものがあったのである性別というものは全くもって不思議ものだなあと思う。とにかく、大学生になってからは私の中では彼女だったあいつは完全に「彼」になった。もっとも、私は中学生のころからきっと、もともと彼のことを特別に彼「女」とも思っていなかったけれど。

けれど、「彼」として彼と一緒に過ごすようになってから、私は何回か彼のことを配慮のない言葉で傷つけてしまたことがある。例えば、「久々にプールでも一緒に行かない?」って何気なく誘ったとき。中高のときは家も近かったし、ゲームの合間にたまに区民プールに一緒に行って泳いだりしていたのだ。彼は泳ぎがとてもうまかった。けど彼は「水着が着られないから行けないよ。もうずっとプール行ってないな。」って、ちょっと悲しそうな顔をして答えた。私は、ああそうか、まだ一緒の更衣室で着替えていたあの時も、彼はずっと気まずい思いを抱えて過ごしていたんだなあと思って、そういうことにひっそりと苦しみながら誰にも言わずにずっと耐えていたことを思い、ものすごくつらい気持ちになると同時に、無神経に誘ってしまって申し訳なく思った。あとは、彼が中高の共通の友人の結婚式に出るのを断ったと聞いて、行けばいいのに!って言ってしまったとき。なんで行かないのって聞いたら、まだオペしていないから男物のスーツを着て行って浮きたくないし、何より「女子校時代の友人」って言われるのがつらいって言われて、ああそうかごめん…と思った。私の結婚式ドレスコード何でもOKで、「昔からの超マブダチ」みたいな感じでぼんやり紹介するから来てよって言ったら、それは行くわと言ってくれてうれしかった。

とにかく女として見られることがつらいので、彼は大学生になってから名前漢字男の子っぽい名前に名乗り変えて(予備校事情説明して対応してもらったらしい)、高校を出てから基本的に男として過ごしていた。だから予備校で知り合った友人に私を紹介してくれたときも「高校友達だとだけ言っといて!どこの学校か聞かれたら適当ごまかすから」と私に言った。何でわざわざぼかすの?って聞いたら、女子校出身だってバレたくないから、ごめん!って言われて、なるほどそうか…と思い、私はよく分からない共学出身の人としてその彼の友人とよく遊ぶようになった(ちなみにその人はすごく理解のあるいい人だったので、最終的には彼がFtM女子校出身ということもきちんとカムアウトしてすっきり過ごせるようになった)。

とにかく、彼と友人として共に過ごしていく中で、私は世の中がいかトランスジェンダーに対して無関心で配慮が無いかということを、図らずも身に染みて思い知ることが出来た。私は元々ジェンダーに対してあまり意識が高くなかったけど、彼は大学に無事合格してからはそういうジェンダーにまつわる問題に取り組むサークルに入って、この社会が抱える色々な、特にトランスジェンダーに関する問題について、私に色々と教えてくれた。「病院保険証出してあれ?みたいになるときマジ困るんだよね~ここばっかりは女っていうよりしょうがないけどでもやっぱ嫌なんだよね~」みたいな、彼の身近な問題から分かりやす説明してくれて全然押しつけがましくないのが、彼らしくて良いなあとよく思う。

つい最近、彼が昔の話になったときに、「一度だけ学校先生に『自分は男なんだ』と相談したけど、その時『言ってる意味が分からない』と言われて否定されてすごくつらかった。それから中高の時にはそういうことを言えなくなってしまった。けど、お前に自分が男なんだってことを言ったとき、『やっぱそっか、私にとって〇〇は〇〇で男でも女でも変わらないけど、今度から男って思っとくわ!』とあっさり言われたのが、すごく気楽で救われた。自分性別について否定されるのはつらいけど、逆に気を遣われすぎるのもついから。」と彼に言われた。私はマジで思ったことをそのまま言っただけで意識してそう言ったわけではなかったけど、そう言ってもらえたのはすごくうれしかった。これからもずっと、大切な友人として、過ごせたらいいなあと思っているし、彼を取り巻くあらゆる不利益が一刻も早くなくなるよう祈り自分ができることをやっていきたいと思っている。

2020-01-03

anond:20200103135929

それ言いだしたら定量的評価ができない全ての文系学問お気持ちにならんか?

2020-01-02

anond:20200102160541

ネトウヨやないか学問でもそれ以外の分野でも日本が最高でなくなってもなんとも思わんやで

2020-01-01

100分de名著シリーズバックナンバー約100冊を読破したら人生変わった

補足書きました

思った以上の反応を頂いて驚いてます

コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事しました。

興味あったら見てください。

https://anond.hatelabo.jp/20200102201209

はしがき

釣りっぽく書いたけどほんと。

結構色んな意味読書知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった

なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます

書きたいのは100分de名著シリーズ対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。

ちなみに、読破したと言っても読破したのはあくま解説本。

スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。

いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。

から最初20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。

原典を読むのは、それが終わってからでも遅くないと感じた。

本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名思想歴史上の出来事など)があることがわかった

勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。

さらに、その要素が「影響を与えられた」もの解説として出てきたり「影響を与えた」もの解説として出てきたりする。

何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。

なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。

原典が全16巻とか(おまけに明治時代の訳だったり)あるものがあった

まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。

そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。

実に20年ぶりくらいに読書エンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。

約1年かけてバックナンバー読破して効用として感じていることは、、、


文系学問価値理解できるようになった

ちなみに私は理系出身

よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。

今みたいにリアルタイム意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。

ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。

アインシュタイン相対性理論だって洞窟暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。

それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、

現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。

そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。

文系学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。

果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家哲学者だけれど、

天才誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通文学者役割で、

アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。

これ、理系ブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。

天才、と呼ばれる人間自身の業績についてちょっと違う視点物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)

大学教育意味について捉え直せた

バックナンバーの消化も終わりに近づいたことろ、私は思った

「かなりいい勉強になった」

大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」

「というか大学でこういう講義あってもいいのに」

「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。

そこで計算した。

100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。

以下、とても雑な計算だけれど。

大学はだいたい15時間講義で1単位とされる。

まり900分だ。上記解説本でいうと、9冊。

100冊なら、約11単位計算してみて驚いたが、たったそれだけ。

一般的大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。

定義サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。

嘘でしょ?

驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。

こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。

http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html

1冊辺り6時間程度の読書時間が追加で想定できるわけで、

原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。

するとつまり大学とは本来

「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」

場所だ、ということだ。

ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。

私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあん無駄時間を、、、

可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。

叶うなら今度こそ、学士になりたいものだ。

読書習慣と、読書をする体力を取り戻せた

なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。

活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味読書趣味にすることは出来ないと思った。

ていうか、楽しむ余裕がない。

スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。

この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割果たしてくれたと思う。

練習のための練習として、この「解説読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ

2-3時間で1冊終わること

週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。

平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置しおりを挟んで寝ることが出来る。

進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。

無駄足にならないこと

価値保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、

読んでいた時間無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)

という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。

つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。

今後読書を続ける動機づけになった

いろいろな本の中で語られていたことだが、

日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。

下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので

自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが

考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。

実はこれが一番の収穫だと思っている。

これから

というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。

の前に

山川日本史世界史を買った。

解説読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。

これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論まさか高校教科書だった。

今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識統合がすすむすすむ。

なぜ俺はあん無駄時間を、、、と思うけど、おそらく解説読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。

さて、年末山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、

途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。

来年シリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。

やりたいことが増えていくともっと若くからやっときゃよかったと思うことばかりだけど、

何もすることが無いよりはいいか、、、

とりあえず、今買った30冊とプラスαくらいは、今年の年末までに読み終わっておきたいところだ。たぶん出来る気がする

2019-12-29

今度電車に乗るときスマホカバンしまってみて?

周りを見回して他の乗客を観察してみると、なんだこいつらって思うよ?

本当にみんなスマホ見てるから

自分もこういう人間の一部だったのかって思うと、けっこうびっくりする。

なににびっくりするんだろう。

スマホを見てる人は、画面には注意向けてるんだけど、車内の他の出来事に対しては、自分で思っているよりはかなり、ノーガードになっていて、それに全然気づいていない。

おそらくそんなにまでして見なければいけないものほとんどないはずなのに、ほんの少しの間でも、画面を見ないとじっとしていられない。

車内でじっとしていることが、自分で思っているよりも、できなくなっている。

何か意味がありそうなことに集中するのが当たり前になってしまっていて、時間がたつことそのものを味わうということが、耐えられなくなってきている。

車内では、画面よりも広い範囲に注意を向けられるのだと、忘れている。

そんなふうに思って、電車の中ではできるだけスマホを見ないようにしていたら、なんだか頭の中がすっきりすることに気づいた。

まだうまく名づけることができないけれど、人間スマホ相互作用で起こっていることは、ちゃん学問対象として研究して、対策しないと、わりと深刻なことであるような気がする。

2019-12-28

anond:20191228215146

まとも、って、「欠点がない人」のこと。

 

ひいては「私の気に障らない人」だよな。

 

そりゃ希少よ。

まあヒトのメスは選別が厳しい、ってこと最近学問的にも自明になってきてるしな。個々の女の責任とまでは言わんが。

 

2019-12-27

anond:20191227011610

研究なんて裕福な国か

そうでなければよほど学問を尊ぶ国でないとできない

2019-12-19

anond:20191218063118

現代社会では、赤の他人出身大学を気にする人は多いのに、その人が何を専攻していたか、どんな論文を書いたか、その学識をどのように活用しているかという事を気にする人はほとんどいない。こんなのは非常におかしことなのだが、当然のようにまかり通っている。

周りの大人社会が歪んでいて、「何を学んだか・何をするか」ではなく「どんなブランドを得るか」を重視し、外見を取り繕う事ばかりを押し付けてくる中で、こども達が自発的学問の意義を考えるというのは到底無理な話だ。

こどもの数学テストの点数を見て怒る大人は多いのに、こども達に数学面白さを教えてやれる大人ほとんどいない。こども達に教える立場にいる教員すら学問の意義が何にもわかっていない・考えた事もない人が多いのが現状だ。

2019-12-16

精神医学優生学

anond:20191216123329

大勢と違う言動をとる人を病気扱いして排除するための学問

地政学同様に政治的情緒理由結論が先に合って後から理屈を組み立てているか学問ではない

少なくとも自然科学社会科学ではない

anond:20191216093034

まず第一に、ナチスがやったかダメ

結論ありきだが、これはどうしても一番にくる。

ナチスユダヤ人を殺した根拠となったのが優生思想であって、まずそこの繋がりで良し悪しが決まっているところは絶対にある。現代物理学ニュートンから始まっているように、現代倫理西欧人文思想ナチス否定から始まっているところがある。学問思想フィールド事態がそれを肯定しにくいようになっている。

 

第二に、しかナチス優生思想疑似科学だった。

今の優生思想疑似科学払拭できていない。

ナチス思想では、アーリア人ユダヤ人より優れているとされたが、実のところその根拠は極めて薄弱あるいは皆無だった。

では、現代優生学をやるとして、根拠を持って何かしらの遺伝を優れていると判断できるのか? できない。

そもそも遺伝的に優れている」という認識事態が、進化の考え方から逸脱している。環境適者が生存するのであって、他より優越したもの生存する訳ではない。従って生存しているもの優越しているわけではないし、今の環境で劣っているように見える遺伝が、将来圧倒的な強者になるかもしれない。

遺伝に優劣はないし判断できない。だから優生学は今でもなお疑似科学である

 

第三に、思想的経緯の問題がある。

優生学とまではいかなくとも、障害者の出生前遺伝治療、あるいは中絶という話をすると一つ問題点が生じる。治療あるいは中絶するということは、少なくとも障害者を「生まれるべきではない」と判断するということ。これは、これからまれ子供やその親にとっては良いかもしれないが、既に生きている障害者をも「生まれるべきではなかった」と判断したことになってしまう。

現代障害者たちは、倫理方面からあなた方の障害は一つの個性ですよ、とか言われて生きている。しかしただ個性を持っているだけだったら、なぜその個性をもった赤ん坊が"治療"されるのか。

この欺瞞に、しばしば大きな抗議がぶつけられるのである。抗議にパワーを齎すために、こういう遺伝治療への判断を「優生学=悪」と呼ぶことがよくある(個人的にはこれは優生学とは違うと思うが、元増田が気にしているのはこっちでは?)。

2019-12-15

理系文系のことを理解できるが、文系理系理解できない

文系の人っていうのは、数字記号が並んでると頭痛くなるとか眠くなるとかいって数学理科から逃げたやつらですよ。

数学理科人間人間のために作って発展させてきた学問なので、

一つ一つ順番に学んでいけば理解できるようにできてるのにそれがめんどくさいからって逃げた人たちですよ。

それに比べて理系の人っていうのは、興味や関心が文系分野より理系のほうに強いからそちらを選んだというだけで、

文系に進んだら進んだで理解できるのですよ。

から政治行政の主導権は理系の人に持たせるべきなのに、日本文系が牛耳ってるんですよ。

そんなんだから日本はどんどんダメになっていくんですよ。

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