科学というのは、明証、分析、総合、枚挙と、合理的批判からなる知識の集合体。
デカルトが提唱してから400年、科学がおおう範囲は非常に広がってきた。世の中のすべてのことが科学で解明されるかのように思えてきた。
例えば、農作物を雀が食べるから、雀を全部殺してしまえば、農作物は大量に作れるように思えた。
例えば、なにか思いついたら、すぐにそれが期間、費用、収益見込みが作成できて、投資に馴染むもののように思えてきた。
すぐに期間、費用、収益見込みが作成できて投資をうけれるはずなのに起業が起きない。なぜだ?ただ単に起業家精神が足りてないだけだ。
それ以外の物事は無駄であり、費用をとにかく削減すれば良いように思えてきた。
結局、共産主義も、新自由主義も、今までにわかっていた科学でこれからの事象も全部わかるという誤解のもとに生まれたのだろうね。
そうして、どんどん社会は衰退していった。
無論、わからないものはこれからもまだまだあるのだから、科学でないものを科学にするのに金は出していかないとならない。
後、社会科学は、偉い奴の言った物事に忖度するための学問じゃなくて、現実世界を解明するツールだぞ。合理的批判が難癖と紙一重だからなかなか難しいところはあるし、文系不要論なんて生まれるが。
リベラルってフロンティア精神と反共産主義から生じたんじゃないの 知らんけど
リベラルとなると範囲が広くなるが、ネオ・リベラルは、共産主義と同じ「今までにわかっていた科学で万能」という狭窄に陥ってるね。
偉い人の起業にくっついっていって、辛酸なめるまで体験させてもらえた。 感謝でしかない。(これは実話)
事業は営業と、商品(ひいてはそのバックの技術)からなる。 営業側は他の起業家に付いて行けば教えてもらえるでしょう。 だけど、商品で、技術が必要なものは、他の起業家はどうに...