はてなキーワード: 妊婦とは
既婚でなくても、なんなら別に付き合ってなくて勢いでやっちまったとしても、成人同士ならなんとかなると思うけど、片方が未成年だったり完全に強姦だったりすると先のことを(漫画なのに)つい考えてしまって気持ちが萎えるね。
あとボテ腹フェチのツイ垢を興味本位で見て「強姦して中絶させるのも好きなんですよね」(←創作の中での話ね)とか書いててそれはひでえなと思ったことがある。ボテ腹が好きまでは全然理解できるんだけど。
逆に「中出しものはピルを服用しているか気になる」「異物挿入ネタの時に、例えばきゅうりなんかをつっこむとして、そのままつっこむと痛いから板ずりした方がいいのではないかとつい考えてしまう」(←創作の中での話ね)っていうようなツイートをしている男性エロ漫画もいて、その思いやりに関心してしまったこともあるからエロ漫画界隈も色んな人がいるんだなと。
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
2 妊娠を希望されている女性のパートナー(婚姻関係は問いません)
http://www.city.yokohama.lg.jp/kenko/hokenjo/genre/kansensyo/vaccination/rubellavaccine.html
誰にも言いたくないし認めたくないから始めてだけどここを使うよ。
国語なんて長らく触れていないし、普段はツイッターランドのおたく村の住人だからハチャメチャに読みにくいと思うけど了承いただきたい。
ほんと吐き出したくてしょうがなかったんだ。
妊婦健診の日だったから、血圧、体重、頸部細胞診ののちにエコー。
婦人科診察台、あれほんとにエッチだなって思いながらぼんやりしてたけど、普通の診察室に戻るように言われ、ベッドに横になるように指示を受けた。
「ああ今日健診の日だし、わたしが採血でよくぶっ倒れるって言ってたこと覚えてくれてたんだな」くらいにしか思わなかったけど、横になるなり「お腹を見せてください」と言われて言われるがまま、腹を晒したんだ。だらしないお腹。
もともとスリムな体型ではないけど、つわりが7週か6週の終わりに少しずつやんで、わりとなんでも食べることができてたから体重は右肩上がりだったから余計にだらしない。
ジェル?を塗って先生がエコーの機械をあてる。そのときは「え〜〜?赤ちゃん本当にいるのかわかんないな〜〜」って笑ってた。
先生が赤ちゃんを探し当てて「わかりますか、これが胎嚢で、ここにうつってるのが赤ちゃんです。」と指し示してくれた。
5週で点だったものが、6週で心音確認できて、9週できちんと人型になってて感動すら覚えていたわたしはこのときはまだまだ理解してなかった。
「あのね、●●さん…すごく、小さいんですよ、胎児の大きさがね。いま9週だと思うけど、それにしてはとても小さい。7週目いくかいかないかくらいしかない。」
まじ?こんなにお腹出てるのに?
じゃあこの腹の肉はなんぞ?ただの脂肪なのか??
「え〜〜、2キロも増えたのに(笑」
「…心臓もエコーを見る限りでは、動いていませんね。確認できないです。」
えっ。
心臓、動いてないの?それってどういうこと??わたしの心臓も止まるかとおもった。待って。
6週めまではちゃんと生きてましたよね。
お腹はたしかに時々チクチク痛いけど、耐えられないような痛みはないよ。
まってまって先生、それ以上言わないで。
けいりゅうりゅうざん。
それ、ほんでよんだことある。
わたしはいまアラサーで、30代にほど近い人間の流産の確率は全妊娠の15パーセントくらいって何かで読んだ。
つわりがぱたりとやんだとき、心配だから病院にいこうかなって旦那に相談した。
先人たちは「流産のときは何かしら兆候があるよ」と教えたくれた。
「そっかあ、じゃあ特に痛みもないし大丈夫だな(^^)v」と思った自分を殴りたい。かわいそうなわたしの赤ちゃん。いつから止まってたのかな、心臓。
きっと苦しかったね。
確定診断は来週になるそうだけど、9割がた稽留流産とみて間違いないそうだ。
誤解しないでほしいんだけど、稽留流産は母体に何かしら問題があるわけではなくて、受精卵側の染色体異常がその原因の多くを占めている。
だからわたしの日頃の行いが悪かったわけでも、旦那がダメだったわけでもない。
そう、誰も悪くない。
初めての正常妊娠だった。
前の月に生理が来たときは、多分化学流産だったから生理痛が半端なかったし、10日以上遅れてきたから期待値も上がっててしくしく泣いてた矢先の妊娠だった。
染色体異常かあ。
人間感情が閾値を超えるとうまく反応ができなくなるらしくて。思わず先生に「マジっすか」って聞き返してた。
「そうですね」と先生。
聞きたくない。流産とかつわりとかここ数ヶ月ずっとそういうの読んでたからそのあとの処置は知ってる。でも聞くことをやめられない。
「今後の、その……処置は……どうすればいいですか」
なるべく冷静に冷静に声を出したつもりだったけど、処置という言葉を自分で選んだくせにそこで涙が止まらなくなった。
産んであげられなくてごめんなさい。
稽留流産の場合、自然流産と違って流産の兆候が見られないままお腹の中で胎児が死んでしまう。
だから胎児が自然に中から出てくるのを待つか、中絶手術と同じように子宮内から胎児を吸引してしまうか、どちらかの選択を迫られる。
わたしはどちらにせよ、この子とはもうさよならしなくちゃならないのだ。
たった3ヶ月、数週間だけの妊婦だったけど、心身の変化はとても楽しかった。
まだ妊娠を経験していないひと、自分の乳首の色を覚えておいてください。びっくりするくらい黒くなるし、 ものすごく大きくなるよ。しかも後生そのまま。写真とかに抵抗がなければ記録として残しておいてもいいかもしれない。
わたしの乳首、もうピンクになることは一生ないんだな、って思うと大人の階段を登ったような気がする。別に自慢の乳首じゃなかったけどさ………。
4週目で妊娠に気づいたのだけど、そのときはまっったく自覚がなくて、でもフワフワして夢見心地で、でも同時にどうしようもなく不安だった。わたしお母さんになれるのかしらって。
わたしはもともと家庭環境が複雑で、母親のことを全くと言っていいほど覚えていない。祖父母はいたけど。
だから母親というものをイマイチ理解してないような気がしている。
でも6週めあたりから、なぜかメチャメチャにお腹の子が愛おしくなって、何が何でも産むぞ〜〜!!みたいな気持ちになって毎日お腹に話しかけまくった。母ちゃんもう疲れたよ〜〜、とかいまめっちゃ電車揺れたけど大丈夫〜〜??とか。
ホルモンの分泌とかなのかな、内側からも外側からも母親になるんだなという感じだった。
こうして文章にしていたらだいぶ落ち着いてきたけど、それでもやっぱ手術は怖いし、血が苦手だから出血がたくさんあるのは無理無理の無理だし、かといって赤ちゃんをこのままにしておくわけにはいかないしで、正直まだ受け入れられないでいる。
昨日も旦那とふたりでワンワン泣いたし、のちに子どもが生まれても、できなくて子どものいない人生を選択をしたとしても、今回妊娠した子のことは絶対に覚えておこうと思う。
まだまだ受け入れたくないけど、たった数週間だけでもこの子の母親になれてよかった。
12月は繁忙期でハチャメチャに忙しくなってしまうので、それまでに手術を受けて、暇を見つけて水子供養に行こうと思います。
現在妊娠中です。風疹抗体が低くどこにも出歩けません。 妊婦が妊娠前に予防接種するだけでいいじゃんと思うかもしれません。でも、妊娠前に予防接種をしても、一定数抗体がつかない人もいるのです。私のように。
2018/11/16
糞リプっぽくなるから直接聞けなかったけど、これどういうこと?
つまり全国で予防接種をやりきっても一部には抗体がついてない人間がいるので
うへーだな。
ぐへーだな。
3県くらい引っ越ししてるけど、お知らせなんて来た事ないよ。
がん検診は来たけどワクチンは来ない。
その時にワクチン足りてるか足りてないか予測できるだろって事?
わからなくね?どうやって知るの?
女を殴る男は結婚できるのに女を殴らないタイプの男は結婚できない系のコメント。
普通に出来てるよ。
非モテのネットミソジニー達を見ていてもこれを選ばない女は賢明としか言いようがない、多分女を殴りたい人種は結婚できてる男より結婚できない男の方に多い。
だって非モテは自分と関わりのない女をネットで殴ろうといつでも必死だ。
DV男の特徴として被害者ぶる習性が上げられるが、DV男が悪く投稿者が気の毒な記事でもこのコメントをつけたがるセンスから、被害者ぶり女を責めたい性格が滲み出ていてとてもDV安全圏の男に見えない。
そして自爆した自衛官のように、子供神輿を狙って自爆テロを起こした凶悪なおっさんで、離婚の際には大量の証拠もある状態でも、マスコミや多くの人が優しそうな自衛官がDVをするわけが無いと信じてDV男の被害者ぶりっ子を鵜呑みにし、DVをでっち上げたと妻子を攻撃した。
実際優しげな顔で妊婦の腹を蹴ったり、娘がむち打ちになったり全身打撲跡だらけになるほど殴るような男には見えない。
DV男の本性を見抜くのはそれくらい困難だ、優しい俺みたいな男ではなくDVと結婚したお前の自業自得と言う前に考える理性を持ってほしい、少なくともお前は優しい人種ではない。
人工妊娠中絶はしばしば女性の権利の問題として語られるが、冷静に考えてみれば別に女性の権利でもなんでもないような。
胎児が人間ではないとする立場を取るならば、胎児は母体から栄養を供給されることによって成長するものであり、母体の身体の一部であるのだから、爪や髪、あるいはタトゥーといっしょで、より普遍的な「自分の身体の一部を好きにする権利」にすぎないように思う。私は髪を短くしておくのが好きだけど、長く伸ばすのが好きという人もいるし、それを配偶者や親が「いや、お前は髪を伸ばさねばならない」とか「髪を切れ!」と強制するのはおかしい。胎児もそれと同じで、ことさらに「女性の権利」と呼ぶようなものではないと思う。自分の身体に関する権利は男女がともに等しく持っているのだから。
逆に胎児が人間であるという立場を取るのなら、中絶は殺人であり、殺人をおかす「権利」はいっさい認めるべきではない。アメリカの中絶反対派のなかには、中絶には反対だがレイプでできた子は中絶してもよい、という立場を取る人がいるようだけれど、はっきり言ってわけがわからない。レイプされたという理由で罪もない一人の人間を殺してよい理由はどこにもないのだから(レイプ犯への復讐すら殺人罪に問われるのに)、仮に胎児が人間であるとするならば、レイプされてできた子供であっても人工妊娠中絶を認めるべきではない(もちろんその子供を育てる義理はないので、施設に預けるとかそういう選択肢が存分に保証される必要があるけれど)。中絶をしなければ母親が死ぬという場合に限っては緊急避難が認められる余地はあるだろうが、そうでなければレイプされてできた子供だろうが経済的に養えない子供だろうが、人工妊娠中絶を選んだ妊婦や産科医は殺人罪で訴追されるべきだ(情状酌量がされてはいけないとはもちろん言わない。裁判にかけられるべきだと言っている)。なぜなら、人を殺した者は殺人罪で訴追されるべきだからだ。
私はそもそも胎児は人間ではないと思うので中絶は自由だと思うけれど、それを「女性の権利」と言うのは上のような理由で違和感がある。また、ローマ・カトリックが中絶絶対認めないマンなのを理解不能と呼ぶ人を見かけるが、胎児は人であるという前提条件を採用するなら中絶絶対認めないマンにならざるを得ないので、理解できないという人の方がわからない(ただし、「私人が勝手に人を殺してもよい」という前提を持っているならば、「胎児は人間」と「中絶は自由」は矛盾なく両立するので、論理的に必ず中絶の禁止が導かれるわけではないことは注意したい。ヒャッハー!)。
かつてとある場所で、中絶の可否について議論したことがあった。私は「中絶は自由」派だったのだが、「胎児は人間なので中絶反対」と言っている反対派を、経済的に困窮した女性はどうなる、とフェミニストであろうと思われる賛成派が追及していて、お前の言ってることはおかしい、と横から突っ込んだ。「胎児は人間なので殺してはいけない」という主張に「経済的に困っている人もいる」と反論したら、それは「経済的に困っていれば人を殺してもよい」という主張と同じだ(「人を殴ってはいけない」という主張に「聞き分けのない子供はどうすればいいんだ」と反論したら「聞き分けのない相手ならば人を殴ってもよい」と言っていることになるよね? それと同じ)。「胎児は人間」と主張する人に対しては「胎児は人間ではない」と返すべきで、それに対して経済的困窮とかレイプ被害とかを持ち出す論者は、貧困層であることや性暴力被害に遭ったことを理由に罪も無い人を殺してよいと主張していることになる。80歳の老親が50歳の引きこもりの子供を殺したら殺人罪なのだし、長年の性暴力に耐えかねて人を殺した尊属殺法定刑違憲事件だって、「裁判を経て情状酌量が認められた結果執行猶予がついて釈放された」のであって「人を殺したのに裁判にかけられずに堂々と暮らした」わけではない。もしも仮に胎児が人であるならば、20歳の妊婦が胎児を中絶する行為も、同様に扱われるべきであるはずだ――もちろん実際には、胎児は人ではないので、中絶した妊婦も裁判にかけられる必要などないのだが(堕胎罪は有名無実化しているとはいえ悪法なのでさっさと廃止するべきだ)。
神学論争になっちゃうじゃないか、と言われればその通り。結局これは徹頭徹尾「人間の始期」をどこに置くかという神学論争に過ぎない。生物学的には受精卵から乳児に至るまでの過程は連続しているが、社会的にはどこかで線を引く必要がある(乳幼児から成人に至るまでの過程は連続しているが、社会的にはある瞬間から選挙で投票できるようになったりお酒が飲めるようになったりするのと同じだ。15年経てば20歳になるのだからこの5歳の幼児を成人として扱って酒を飲ませてもいいじゃないか、と主張する人は皆無なのに、1年経てばこの胎児は乳児になるのだから人として扱うべきだ、と主張する人が後を絶たないのは奇妙なことだと思う)。なので本質的に人工妊娠中絶をめぐる問題は女性の権利とはなんの関係もないのだ。これを「女性の権利」と呼ぶのはミスリードにすぎないと思う。
練馬に住んでいてよかった。
家には夫婦だけでなく親兄弟もいますから、これから妊娠する女性を感染から守るためには当然ですね。
https://www.city.nerima.tokyo.jp/hokenfukushi/hoken/yobo/koutaikensa.html
ちなみに板橋は妊娠が確定していない女性の家族は排除されるようです。
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_news_release/093/093643.html
この記事
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20181104-00102874/
まずは科学的事実からということで、福島県放射能測定マップを見て欲しい。
http://fukushima-radioactivity.jp/pc/
・原発事故当時と比べて放射線量が高い地域は大幅に減少している
という2点が読み取れるだろう
「リスクある原発の廃絶という目標」を言い訳にして前者を無視すること、あるいは「福島被災地域の復興という目標」を言い訳にして後者を無視することはどちらも科学的事実に反する間違った態度であると言わねばならない。
記事冒頭に挙げられた「年間20mSvを下回るがまだ線量の高い地域(重要部分なのに記事では省略されている)に子供や妊婦を帰還させるべきではないという国連特別報告者報告」と「被爆による疾患の増加は有意に見られず出生時異常の増加もないという予測を述べた原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)報告」は何ら矛盾するものではない。
石戸記者は前者は「被爆リスクは高い」後者は「被爆リスクは低い」だから矛盾すると雑な論理を展開しているが、前者と後者は同じ福島でも全然違う場所の話をしていると考えねばならない。
なぜなら後者は放射能の高い地域からの避難が(比較的)迅速に完了したことによる結果として健康被害がなかったという話であり、暗黙の前提として今後もわざわざ危険地域に入って過剰な放射線を浴びに行ったりはしないという考えによる予測であるからである。極端な例を考えれば、「福島が安全になった」という雑な考えを持って事故の起きた原子炉建屋の中で長期間暮らしたりすれば当然健康被害が出ると考えられる。
国連を全て一緒くたにしてはいけないという指摘をする記者が、福島という地域を雑に一括りにして「安全」という評価を下してしまうのはとても残念なことである。福島市も公的な避難は行われていないし、会津などにいたってはそもそも風評被害でしかない。国連と同じで福島も一つではないのだ。当たり前のことなのだが自分のことになると見落としてしまうのはよくあることであるが。
さて、問題は放射線量による安全危険の線引きが実際何が適切であるかということだろう。実のところ放射線量の安全危険の線引きは専門家にも難しい。
http://tomioka-radiation.jp/2016/09/30/1msv_and_20msv.html
放射線を普段から人間が浴びているという科学的事実やその線量は例示しつつ、20mSvがどうなのかの名言は避けてるね。
今回国は国際的な避難基準を元に20mSvを帰還の基準にできると考えているようだが、避難基準と帰還の基準は別なのでは?というのは誰もが考えつく指摘である。
いや20mSv以下なら避難しなくてよいのでは?と反論が見られるかもしれないが、事故の混乱の中で住民を残らず強制的に避難させる基準が高めになることは何ら不思議なことではない(そもそも隣の村が強制的に非難させられてるのに自分たちは対象でないからといってのんきに住み続けてあまつさえ自主的に逃げ出す人を非難するのもどうかという気もするので基準より多くの地域で実際に避難が起こることは想定内であるべきであった)。
さっきの記事を読んだ人なら航空機乗務員の目標である年間5mSvより大きな値を設定するのはおかしい(基準が航空産業を不当に圧迫していると主張するようなもの)ではないかと感じる人も多いと思う。
「年間20mSvは安全だと専門家は主張している」なる主張に反証を一つ上げておく。2011年当時東大の教授だった小佐古敏荘氏のことを思い出して欲しい。彼は子供たちに年間20mSvまでの被爆を許容するという政府の方針に涙ながらに抗議し、政府役職を辞任したのである。記憶力の低い国民たちは覚えてないかもしれないが(皮肉)、当時は大きなニュースだったはずだ。
結局のところ年間何mSvまでなら安全かは専門家でさえも正確には誰もわかっていないし、小佐古氏の主張が正しいとは限らない。しかし、放射線量がまだ多めである地域に子供たちを帰還させるという「人によっては泣いて嫌がること」を実施しようとするのは、まさに人権問題だと思うし、特別報告者が人権委員会で話題にしようとしたこと自体は(それをそのまま結論にするのは安直であるとしても)まさにやるべき仕事だったと思う。これは決して石戸記者の指摘する福島に対する差別や偏見という全く別の人権課題と相殺されるべきものではない。
結論としては、国連の権威(そんなもの本来最初からないのだが、国連は世界政府ではないし、そもそも「政府」だってそんなに信頼してはいけない)を利用する人を非難し、国連への誤解を解くという目的を果たしながら、福島の一部に残る放射能問題を専門家の意見を権威としてとり上げた上に都合の良いように解釈して自分の望む結末に捻じ曲げるという非常に残念な記事であった。
今回の記事を見て、国連人権委員会や特別報告者など要らないと単純な反応をした者が多くいた。特別報告者の報告をそのまま権威付けに使おうとする一部の反原発派の姿勢は問題であったと思うが、国連人権委員会あるいは特別報告者というのは第三者委員会のようなものとして必要とされていると思う。原子力の専門家集団はほとんどが発電所建築の専門家であり原子力ムラ(実際そんな村は存在しないので不当な呼称であると思うが)と貶されることもある。実際福島以前の基準はやらかしていたわけで、専門家というのも常に当てになる存在ではない。(特に右派には)人権委員会の日本関連での事実誤認事件が気になっている人もいるだろうが、人権委員会の廃止を唱えることはロシア・中国(北朝鮮は安全保障委員会ですら問題になるレベル)における人権侵害問題を軽視することにもつながると考えるべきだろう。
余談2:実際どの地域の避難者を帰還させるべきかという政治判断の問題についての個人的な意見
http://fukushima-radioactivity.jp/pc/
年間20mSvは一時間あたりに治すと2.3μSvである。地図のオレンジ色の点に相当する(こう考えてもかなり高いし、こんなごく少数の点に人を戻していったい何をしたいのだろう)。地図を見ればもうほとんどの地域が水色から白なのである。せめて半分の10mSvか四分の一の5mSvに設定すべきではないだろうか。帰還の完了を焦らずに住民の安心という福祉を政治的にも重要視すべきだと考える。