はてなキーワード: 司祭とは
性的に興奮するわけではないんだけど、たまらないセクシーさを感じて頭のてっぺんから爪先まで痺れたようになるモノってないか?
説明が難しいが、見た瞬間にカッと身体の中で高まった熱が下半身に収束せず、全身をぐるぐると回って全てを火照らせるような感覚。自分のこころの奥深くまで一瞬で暴かれて、今この瞬間自分が生きているという実感がどばどばと脳を満たすような感覚。
自分はこういうモノを、魂を惹き付けて離さないという意味で魔眼と形容している。魔眼に魅入られる、という表現がいちばん近いように思う。
自分にとっての魔眼は、いわゆるメカバレ(メカニカルな身体が欠損する光景)。
きっかけは某有名カードゲームアニメにて、敵のアンドロイドがバイクと合体した上に爆破されて胴体を切断されるというシーンを視聴したことだった。
かなりインパクトがあるのでネット上ではネタとして扱われることが殆どなのだけど、自分にとっては天地を揺さぶるような映像である。
まず、バイクと合体するというのがいい。
元々そのアンドロイドはモノトーンで結構スタイリッシュなビジュアルをしているんだけど、バイクと合体したことによってかなりアンバランスな見た目になる。
大きなバイクに上半身だけがくっついたみたいな状態になって、大きな車輪で公道を走り回る。
人間の上半身と機械の下半身のアシンメトリー、鉄のセクシーな輝き、しっかりと結合された胴体が、大きなマフラーが、いやもうこんなの言うだけ野暮だ。人間の言葉ではこの美しさを到底言い表せない。
なんでこんなに興奮するのか全く謎なのだが、かれこれ5年以上は興奮し続けている。冗談抜きで1日中彼が走っている姿を見ていられるだろう。
主人公に攻撃されてライフポイントがゼロになり盛大に爆殺されるのだが、その際に胴体がぶちぶちとちぎれ、内部の鉄パイプやコードが顕になり、派手な音をたてて道路に吹っ飛ばされて転がり、機能停止して動かなくなる。
もうヤバい。今思い出しただけでも脈が速くなるのがわかる。
脳の神経が焼ききれるくらい両目が画面に吸い寄せられて、腹の中から現れた鉄パイプに、ちぎれた吹っ飛んだ腕にどうしようもなく興奮するんだ。
前述した通り性的興奮には結びつかないから、状態としては天啓を受けた信者とか宇宙との一体化とかそういうのが近いのかもしれない。
無理やり説明すると、人間よりもずっと完璧な存在である機械の身体が、その瞬間に内部をさらけ出してただの鉄の塊であることを暴露するというのが堕天を連想させて背徳感がある……いや、嘘だ!そんな単純な言葉で説明できるわけがない。
あんなの見ればわかるエロさだろう、美術品のように崇高で、それでいてどうしようもなくエロくて、エロくて、エロい……………。
ずっと見続けていると次第に自分の意識が引っ張られてどこか知らない深いところに連れていかれる気がする。あんな美しいものと同じになれるならそれも良いと思う。
そのシーンが全てを歪めたのか、はたまた自分のなかにそういう性癖があってトリガーをたまたま引いたのがそのシーンだったのかはわからないが、とにかくずっとメカバレから目が離せない人生を送っている。
そのキャラクター以外にも機械の身体を持つ推しは多く、その誰もに心の底から惹き付けられる。
好きが高じて自分で絵も描いている。
数年かけて、誰に見せるわけでもなくメカバレの絵を1000は描いたと思う。
メカバレを見ているときはもうめちゃくちゃ興奮するんだけど描いているときはまた違って、自分がこの行為に荷担するという奇妙な責任感が生まれる。
それは神に儀式を捧げる司祭の気持ちに近いんじゃないかと思う。司祭なんてやったことないが、なぜかそんな確信があるんだ。
素晴らしくセクシーだと感じる気持ちと、全てのものの中で最も神聖なものに仕える気持ち。
その2つが同居して、極限に静かで穏やかな心で、切断面から覗いた部品だけを見つめながら筆を動かす。
この瞬間自分は世界でいちばん幸せだと感じる。全身が満たされている。
なんでこの増田を書いたかというと、人生の早い段階でこのような悟りに至れたのは物凄く恵まれていることなんじゃないかと思ったからだ。
人間はいつだって自己実現や恋愛や名声欲や達成感、誰かとの繋がり、自分だけの特別な存在というのを求めて色々なことを模索する。宗教もそんな迷える人間に対する解決策として発展してきたものだろう。
この疲弊した社会で、自分だけの宗教に出会えたというのは本当に幸せなことで、それを考えるとますます機械の身体が愛しくなって、身の全てを捧げたくなるんだ。
現代社会において「特定のものしか食べない/特定のものを食べられない」というのは自らその集団に対して部外者であることを表明するに等しい
当人は健康のためだったり何らかの政治的理念からそうしているかもしれないが、相手からしてみれば「私はムヤボガャチョム族の司祭にして偉大なるンボゴベの末裔であるバヤムケンウシャッです」と自己紹介してるようなもの
つまり「私はこの場の文化や習慣に同調する意志は全く持ち合わせていません」と言うに等しい
そんな相手に対して理性ある人はどういう態度をとるか?
陰ではその人を変人扱いする人もいるだろうね
それを「腫れ物扱いするな」「痛い人扱いするな」と求めるということは、つまり双方の価値観を徹底的に戦わせたい、どちら側が優れているか白黒はっきりさせたい、負けた側は勝った側の軍門にくだるべし、ということでもあるわけだが、ヴィーガンの人たちにその覚悟はあるか?
オウム信者に地下鉄サリンの責任はあるのか、統一教会信者に霊感商法の責任はあるのか、という疑問。これらは新興宗教だから厳しく見られているけど、一方で伝統宗教は逆に甘く見られすぎじゃないかと思う。
例えば、カトリック司祭が世界中で児童を虐待しまくっている事実がある。日本でも司祭に性的虐待された女性がいる。ここまで世界中で同様の事例が続出しているのは単に司祭個人の資質の問題ではなく、教義や組織そのものに児童虐待を黙認する風土があったとしか思えない。さらにカトリック組織が被害の訴えをもみ消そうとしたり、加害者の司祭を別の場所に赴任させてほとぼりを冷まそうとしていたこともある。この実態を知ってもなおカトリックを信仰している信者は、性的虐待に加担しているのと同じでは?カトリック信者はペドフィリアと見做して良いのではないか?
21話
宇宙で戦うガンメン
ヴィラルと宿命合体する
22話
23話
司祭様再登場
24話
戦場で次々と敗れるグレン団の男たち
25話
26話
27話
天元突破グレンラガンが銀河に立つ
幼少期の抑圧により歪められた人格はその後も容易に治らないことはもっと広く知られてよいと思う。
子どもの頃にゲーム禁じられた、アニメ見られなかった、お菓子食べさせてもらえなかった、男女交際禁じられた、えっちなもの一切見られなかった、
このような抑圧は大人になって自立したときに必ずといっていいほど反動が起きる。
世界中のローマ・カトリック教会の聖職者たちが数千人単位の児童の性的虐待に関わっていた大事件があったけれども、もしキリスト教の教義が極度に性的な廉潔さを求めるようなものでなければ、司祭たちが抵抗のできない子どもに性的虐待を加えるなどというおぞましい行為に手を染めることはなかっただろう。
英語圏のポルノサイトを巡回していて気づくのは彼らのアナルとケモノに対する執着が東洋人よりもはるかに強いことだ。
後ろの穴も獣姦もキリスト教圏で育った人間にとっては強烈な禁忌であるがゆえに彼らはそれに一層の興奮を覚えるのだ。
それはさておき、一部のラジカルなイデオロギーをもった集団が社会から性的表現を排除しようと政治的圧力を務めているが、性表現の排除からもたらされるのは軽度の性表現にも興奮を禁じえない変態の大量生産だ。
あるいはラジカルな彼ら彼女らは幼少期より性的表現を排除されて育ったがゆえに軽度の性的表現にも異常に興奮してしまい、見るに耐えないものだから許せないと憤っているのかもしれない。
はっきりとは表現してなかったけど、戦後と考えて良いんじゃないかな。だから父親が息子を探し回れたわけだし。その辺はフィクションだから、この解釈で別に良いと思うよ。
ドイツ軍のおじちゃん、ステラン・スカルスガルドだけど、あれは単に良い人だったから。司令官は流石に靴も必死で磨いてくれる子供を殺せなかったんだろうね。一応伏線貼ってあって、疎開先の叔母さんが靴を綺麗にすることを教えてくれてたでしょ。
そりゃそうだよ、親に疎開させられたせいでそれはもう筆舌に尽くし難い酷い目にあったんだから。彼は疎開させられたからあんな目にあったんだと思ってるんだろう、で父親が「そうするしかなかった」と言い訳したからブチ切れた。そして部屋を出て街中の廃墟のガラスを叩き壊す、そうとしか表現できない少年の複雑な感情に泣いた。でも、一緒にバスで帰る道中ふと父親の腕の刺青を見て、気付いたんだと思うよ。お父さんも名前を奪われてたんだって。個人的に、ホロコースト物が好きで多少は知っているので、その瞬間にホロコーストの信じ難いほどの悲惨さが頭に思い浮かんで、どう言えばいいのかよくわからんけど、物凄い映画を観たんだなと感動しまくったわけ。
あれ何なのだろうね? 検索して調べようと思ったけど、どう検索して良いかすらわからなくて。
目をくりぬかれた人はどうやって撮影してたの?
そりゃ今時はCGだろうね。白黒だから簡単だろうし。カラスとか鳥、ネズミや猫などもCGだろうね。ひょっとすると馬もかもしれない。CGはもっとたくさん使ってるだろうけど最近は普通になってるからもう全然わからんね。
第一次世界大戦くらいは、革命に反対していた古い連中の集まりだから、共産主義は反対だったのがコサック。コサックの歴史は結構古い。でも第二次世界大戦中はよく知らない。詳しいことも知らんけど。て言うか、ロシア軍じゃなくてソ連軍だよ。
有名な役者いっぱい出てたんだね、誰も知らんかった
司教役のハーヴェイ・カイテルは名優だし大物俳優だよ。ドイツ兵のいいおっさん役ステラン・スカルスガルドはめっちゃくちゃたくさん映画に出てる名脇役。ジュリアン・サンズも結構たくさん映画に出てるけど個人的にはキーファー・サザーランドの『24』で悪役として出てたのを覚えている。バリー・ペッパーは多分そんなにたくさんは出てないと思うけど、何と言っても『プライベートライアン』の超有能スナイパー、ジャクソン二等兵役はあまりに有名。
そんなとこかな。
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おじいちゃんの遺言でApple製品は使わない – NorthPage
父親がApple信者だったのでお下がりのPerforma 588を使っていた。
当時からMac系の雑誌では「MacOSはもうダメだ」と言われていたと思う。
元記事で指摘されている「マルチタスクができない」なども悩みの種だった。
「システムはWindowsが良いがGUIはMacが素晴らしい」というのが大方のApple信者の認識だった。
もちろん対外的には「すべての面でMacは優れている」と主張するのが当然だったが。
次期MacOSではそれらの欠点がすべて解消され、夢のようなOSになると言われていたが、
その開発に失敗したことでApple社への不満は頂点に達した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Copland
正確には、私がMacを使いはじめたのはコープランド開発中止のあとなので、リアルタイムの感想は分からない。
しかし雑誌などでは「コープランドが成功していればこうなるはずだった」というようなことがたびたび書かれ、
まるで理想国家建設に失敗して「どうしてこうなった」と嘆く共産主義者のようだったことは覚えている。
もちろん対外的には「MacはWinに負けてない」と主張するのが当然だったが。
「Macはディレクトリでなくフォルダだから素晴らしい」というのはよく分からない。
もっと昔はそういう言説もあったのかもしれない。
たとえば「マニュアルを見なくてもドラッグ&ドロップの意味が分かる」みたいなことではなく、
「このファイルをここにドラッグ&ドロップすればこうなりそう」という直感が当たる、といったような話だった。
このあたりは現在のiOSなどにも引き継がれているところだと思う。
まあ、どの企業もGUIデザインに気を遣うようになって相対的な優位性は無くなっているが…。
自分にとってジョブズは「教祖」というよりは「過激派の司祭」だった。
Windowsを攻撃するぶんには頼りになるが、彼の言うことを何でも信じていたわけではなかった。
MacとWinPCの性能比較には無理があったし、過去に言っていたことをすぐにひっくり返すし。
もちろん対外的には「ジョブズは素晴らしい」と主張するのが当然だったが。
とりあえずジョブズが復帰して、iMacが発売されて、Appleは勢いを得た。
同時期のWindows2000の画面と比べてみてくださいよ。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/990628/desktop.jpg
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20001018/wpe05_04.jpg
完全に未来でしょ。美しすぎるでしょ。これは調子乗っちゃうでしょ。
マカーが「MacはWindowsより美しい」と言いはじめたのはMacOSX以降じゃないかと思う。
それまでは「Macは可愛い」とか「人間味がある」「愛嬌がある」といった評価が多かったのでは。
話の落とし所がわからなくなってきた。
自分がなぜApple製品を使っているのかを考えると「最初に使ったから」という刷り込みが大きいのだが、
もう一つとして「Apple信者だから」というのがあるように思う。
Apple製品は良くも悪くもユーザーに使い方を押し付けるようなところがある。
これに関してはひとつ思い出がある。
初代iMacの「ホッケーパックマウス」は非常に酷評されていた。
しかし当時のAppleは「そもそも持ち方が違うのだ」と主張していた。
それまで(というか現在でも多いと思うが)マウスは「手のひらで包むように持つ」のが普通だった。
しかしホッケーパックマウスは「指で摘まむように持つ」ようにデザインされていた。
手首ではなく指を動かして操作するから腱鞘炎になりにくいのだ。
私はちゃんと摘まむように使っていたので、ホッケーパックマウスはコンパクトで使いやすいとさえ思っていた。
みんな、どうしてAppleの言うとおりにしないのだろうかと不思議だった。
信じる者は救われるのだ。
今まで頑張って一人で教会活動しようとしてたんだけど司祭から横槍入ってアホくさくなったので教会行くの辞めます。
思想信条に限らず、僕は世の中にありふれてるモノそのものとコミュニケーションしなければ誰も幸せになれないと考えていまして、そのための活動をネット使って上手いことやりましょうと提案したんですが、結果的には自分ひとりでポツポツとやっていたんです。
ただ、内容に問題があるということで横槍が入って、僕の意見は一切ナシに活動不可能ということになりました。
僕は僕なりにめちゃめちゃ苦労して、生活に山ほどトラブル抱えていてもそんなの関係なしに話を黙って聞いてくれた人がいたから「ここに何か返さないと」と思っていたんです。
世の中程度はともかくそういう人は山ほどいます。どれだけ毎日辛くて、逃げたくて、モヤモヤする生活なのか僕は身を持って知っています。
そんな生活を潤してくれているものがあるなら、少なくとも僕はそういう世の中のいろんなことに「ありがとう」とか、「おめでとう」とか、「ご苦労さん」って言ってあげないとと思っています。
その話はさせてもらえませんでした。
つまり教会はコミュニケーションする相手を選べということですよね?
人いないのに正気です?
教会がそれを出来ないなら僕はそんなところ御免です。
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
「酷い目」って言うけど、別に殴る蹴るされたわけでもないのにぎゃあぎゃあ騒ぐなって。「女とみればマウント取る」奴が後を絶たないように「女とみればご機嫌うかがう」奴も後を絶たないからしょうがねえな。女だろうがなんだろうが、「ありうる範囲内で社会的に起こりうる範囲のことが起きた」に過ぎないことを、子猫か赤ん坊をあやすように言うのはオレは間違いだと思うね。
マニア向けの専門店なんて特殊な場所に決まってんだろ。「お客様」なんて通用しやしない。レアもの扱う同人ショップであれ文化財級の品を扱う古道具屋であれ、そこはおんなじだ。「客」でなく「司祭から神の秘蹟を授かる信者」のごとき姿勢と態度で臨んでようやく、なんだよ。恭しく、慎んだ態度で、おそるおそる「拝見させていただく」し、「金出すから売れ」じゃなくて「しばしの間お借りさせていただく保証としてお金を預けさせていただきとうございますよろしいですか」って世界なんだ。そこに男だの女だの関係ねえや。たとえばそのレトロゲーム屋にチャラ男が入ってきたら同じくらいのレベルで警戒されるか追い出されるかするんだろうし、古道具屋に明らかに値打ちの分かんなそうな偽物のブランド品身に付けた阿呆が札束切りながら入って来やがったら謹んで無難にお帰りいただき申し上げるとこだろう。間違っても目玉の品なんぞ見せないよ。「心ある」店なら当然のことだし、そういう心意気で店ってのは守られるんだ。市場原理が働かない狭い世界における経済ってのは、信仰と交流に基づく飛躍なんだよ。
まあ、その店主が「レトロゲーム好きの女子高生がいる」と思わなかったのは認識の不足ってやつかもしれないが、「レトロゲーム」という時点で、そこそこ金のある好事家で、年は40以降がメインターゲットってことなんだから、それ以外の一見の客なんざ8割方不審者と思われて当たり前だよ。元増田だって、いくら金があって物好きでも、国宝級の古道具屋扱う店にふいと入ってじろじろ見回して歓迎されるとは思ってないだろうし、たとえば北欧輸入の素朴な赤ん坊用品店にどう見ても未婚の学生オタクみたいな奴がニヤニヤうろうろしてたら『ちょっと店員さん声かけて追い出してくんねーかな』くらい思うだろう。「敷居が高い」ってなことを昔はいったね。今はそういう感覚がねえんだろう。だが、そいつは結構大事なもんなんだよ。
元増田は、声かけられたときに「金ならあります」、これがまたダメだったね。金の問題じゃねえんだ。言うべきだったのは「レトロゲーム大好きなんです! ○○の○○とか好きで、今日はその実物だけでも一目見たくてこの店に来たんです。いつかお金貯めて買うのが夢なんです。」ってな感じだ。金じゃなく信仰を語らなきゃ。それならまだ目はあったさ。「へぇ、本当かい。その年で○○なんてよく知ってんな。ふぅむ。なんだい、見たところ若いのに何でまたこんなのに興味をもつようになったんだね」てなもんだよ。分かるかい。
だから、元増田がしたのは「酷い店で酷い目にあった体験」じゃなくて「社会勉強」てもんなんだよ。「良い勉強したな、次は参考にして出直してきなっ!」ってな。それを「ヨシヨシいいこいいこ」して台無しにしやがるのは、ちょっと感心しないね。まこと野暮の極みってもんだ。精進しなよ。