はてなキーワード: 中学校とは
決めごとで、部活が終わってみんな帰った後、音楽教室で部長の男子と二人きりで話してた。土曜日のお昼過ぎ。
会話の間に、部長が突然「パンツ見えてる」 と言った。ハッとして、立て膝を下ろした。ブラバンで女子ばかりで、いつもは下に短パン履いてるから油断してた。この部長も男子男子してなくて、いる時でも「生理痛い」と言ってる。
二人きりだし揶揄ってもいい部長なので、わざと(・∀・)ニヤニヤ した顔で「エッチ。勃起した?」と言っでみた。二次元キャラ反応の「し、してないよ!//」を予想してたけど、「…少し」と言われて、思わずもっこりしてるのか、見てしまった。分からない。なんか会話の恥ずかしさを誤魔化すために、「今のでおかずにして、オナニーとかするの?」と、恥ずかしいことをわざと言って、なんでもないことにしようと思った。そうしたら「もう、毛って生えてる?」と聞かれた。中2だから生えてた。だけど自分が早いのか遅いのか、分からなかった。女子の中でそんな話しない。生えてるけど答えたくなかったから、「部長は生えてんの?」と聞いたら、「うん、少し」と言った。何でも言いそう。
「見せて」って言って、嫌がったら冗談にしようと思ったら、立ち上がってベルトをカチャカチャ外して、チャックを下ろして前を開けて、パンツを腰から下に下ろして、ちんこをポロんと出した。毛は大人みたいに生えててた。
「副部長(私)も生えてるの?」「ふつーに生えてるよ。生理もある。女子は早いか…。動画撮っていい?」と私はスマホで部長のちんこを撮った。「顔は撮らないでおいて…」と言われたとき、「分かったるって」とわざと一瞬、顔を撮ったった。「14歳男子中学校のおちんちんでーす。ちん毛生えてて、少し勃起してまーす」とナレーションを面白おかしくしようと喋ってたら、「さっき副部長だって、パンツから毛が出てたし」と言う。言われて悔しくて言い返したの分かるけど、私も恥ずかしくて「生えてるからはみ出るもん」と、当たり前に言い返したけど、ちょっと熱は入った。
「見たい」「無理だって」「じゃあパンツ」「なんで」「見たから」「見せたんじゃん」「動画撮ってる」「後で消すし」「家で思い出してオナニーするから」「私のこと考えてオナニーするの?」「うん」。
「私のこと好きなの?」「うん」「M子ちゃんは?」「最初好きだたけど、今は…」「ふーん」。初めてそんなこと言われて良い気分だし、男子は好きな女子でエロくなると「知ってた」から、「一瞬ね」とスカートを上に上げて下ろした。部長の髪がフワッとなった。「もう少し、ちゃんと見たい…さっきパンツ見えてたのが」と言うから、パンツなんて水着と同じだし、また平気な振りを装う作戦で、「はい」って立て膝して、正面からは丸見えだろうなと思った。正面には部長が見てる。なんか股間は触られてなくて見られてるだけなのに動いてる感じがして、部長を見てるのは恥ずかしいから、横を向いてたけど、前を見たら部長の顔が股間に近くて、(あっ)と思い出して、自分で自分の股間を見て、毛がはみ出てないか、少しはみ出てたから、少しパンツを浮かして指で中に押し込んだ。その時「見えちゃった」と言われて、カーッと顔が熱くなった。「横に、ずらして、ちょっと」と言われて、なんかもういいや、と思って「はい」と、グイッとパンツを横に引っ張って、丸見えにしたった。こんなことをしたのは、初めてだった。「動画撮ってい…」「ダメに決まってんじゃん!」「じゃあちゃんと見て、覚えとく」。部長に自分の恥ずかしいところ、ちゃんと見られてる。「まだ?」「もう少し…」で、クリトリスに触らられて「ひゃんっ」となった。部長は右手を自分のパンツの中に入れて、もぞもぞ動かしてた。「いまオナニー…」と言ったら、「ごめんね…」と言って、ズボンとパンツを膝まで下ろして、チラッと見たちんこは完全に勃起してて、部長は私の股間見てて、ちんこをしごいてて、あっ、うっ、って言った後、「ごめんっ」って言って、私の右おっぱいをふみゅうっと触って揉んで、「うっ」って言って、ちんこの先から白い精液がマンガみたいに「どぴゅっ、どぴゅっ、どぴゅ」と、私の股間の手前の、音楽教室の青い絨毯床に出た。白くて透明でトローっとしてて、プールの更衣室の塩素のツンとした臭いがした。
部長はちんこを握ったまましゃがんだ。部長のちんこは小さくしわしわになってて、先っぽから透明な液が出てた。あそこからおしっこも出るんだ。
「部長、私の前でオナニーしたw気持ち良かった?」「うん」。部長はポケットのポケットティッシュを出して、ちんこの拭いて、床の精液を拭いた。床は湿って色が変わってた。そこを指で少し触れて、「汚い」と言った。部長が横を向いてる時、素早く指の臭いを嗅いだけど、何もだった。
「どさくさに紛れて胸揉んだでしょ!」と急に思い出して、ムカついてきた。「おっぱい揉んじゃった」と悪びれなく嬉しそうにしてて、もっとムカついた。
あの白い精液が私の膣の中に出されると、受精して赤ちゃんができるん。私のお腹中に卵子があって、精子と受精して、私のこの穴に勃起したちんこを入れられて、そのまま中で精液を出される。生で中出し。赤ちゃんができる。
私の家庭は父親と兄と私の三人家庭だった。母親は私を産んで四年後に事故で亡くなった。父方の親戚縁者との関わり合いもあまりなく、父親の収入は人並みにあったので金銭面は問題なかった。
小学校五年生の時に学校のトイレで股から血が出ているのに気付いた。初潮だった。四年生の時に月経について学んでいた私は保健室に行った。養護教諭の先生は私に昼用数枚と夜用を一枚くれた。
初潮だったからかその月は最初にもらった昼用一枚だけで済み、次の月も一枚で済んだ。汚したパンツは風呂で手洗いして洗濯機に放り込んだ。
数カ月を一枚ずつで済ませたが、経血の量も増え、夜用も使ってしまった。だがどうしても父に言えなかった。
スーパーでの買い物は父の役目だったし、小学生の小遣いで買うにはナプキンはなかなかの値段だった。
百均で買った数枚入りのナプキンを、朝学校に行き夜の風呂の前に付け、風呂の後に付け、また朝取り替え、一日二枚で過ごした。夕方にはだぶだぶになっていて際まで真っ赤だった。もう吸収できないと思ったらトイレットペーパーを上に敷いて挟んでいた。もしかしたら臭いもしていたかもしれない。ゴミは学校に持って行って捨てていた。
夜に昼用を使っていたので何度か下着とパジャマを汚し、股の間にきつく挟んでトイレットペーパーをパジャマの中の尻の周りに詰めて寝た。朝になるとトイレットペーパーには血がついてパリパリと硬くなっていた。
中学校に上がるまでそういう形でしのいでいたが、中学入学前に出会ったある女性が気にかけてくれて、父に生理に必要なものを買うよう説明してくれた。
父はその場でその女性に一万円を渡し、私は女性と一緒に近所のドラッグストアにナプキンを買いに行った。サニタリーショーツというものを知ったのもその時だった。
父にはほぼ知識がなかったようで、男の自分しかいなかったので知らなかった、申し訳ないと女性に話していた。
パリパリの尻の感触の記憶などについては何となく誰にも何も言えないまま、私は成長して、先日結婚した。
私が女の子を産んだ後にもしも先立ってしまったら、夫は娘の生理周りまで気にかけて育ててあげられるだろうか。現段階の夫では難しいと思う。いつかそうなっても大丈夫なように、ある程度は教えておかないといけなさそうだ。
端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。
穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。
新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生。同級生はみんな、自分の居場所がリセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。
一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。
それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係の階層構造が強まった。
勉強のできる学校、地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識の豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった
当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。
ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。
プライドが高かったのだと思う。
階層トップの不良グループはクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。
イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。
お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。
昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループに所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。
そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。
カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。
こんな感じで、安心できる場所は学校には一切なかった。毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。
その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器でおしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。
学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。
年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。
うちの中学校では、この県大会の大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。
僕はどの競技の選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。
小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。
知らないメンバーのために、部活だからとサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事な大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。
陸上そのものを楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所を自分から閉じてしまった。
部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCでインターネットを利用した。
Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。
オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド(所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。
ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームにお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。
それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに居場所を求めた。
ここまでがだいたい中学1年生。
2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。
小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。
修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子を暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。
僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子からも男子からも人気のあったイケてるグループのメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。
事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。
そして、ちゃんと好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。
好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。
ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。
この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。
小学6年生の遠足の時、移動までのバスでカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。
歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。
小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。
中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。
そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有の自意識過剰から、まともに話すことができなかった。
そしてそのまま、拒否された。
一方的に彼女に好意を伝え、呼び出した複数人の男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。
個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。
自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループに嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと、自分のことが嫌になった。
体育の授業で複数人でグループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。
ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族でゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。
結果、見事にハマった。
戦闘シーンやメカニクスの描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳のシンジや他のキャラの内面の描写に、自分を重ね合わせて見ていた。
中でも人類補完計画やセカンドインパクトは、思春期の想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。
意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループや階層といった構造になると、途端に他人に攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしまう意識があることを知った。
何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。
他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。
人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。
でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァの世界から抜け出さないようにした。
繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジは人間がひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカは気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?
これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。
その後、県内では進学校だった高校に入学し、校内の暴力的な上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。
大学は第一志望には落ちたけれど、都内の学校に進学でき、希望していた地元からの脱出は叶った。
だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。
大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。
また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。
いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。
それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。
この時に身に付けた自信から、就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。
今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。
誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。
できることが増えて、自分の人生も俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。
日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。
そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。
なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去に集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失をちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァと対峙することで、確認したかったのだと思う。
僕はとても救われた気持ちになった。
今回の物語では、シンジ、ミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。
第3村のトウジとヒカリ、レイの田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。
劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。
本当に良かった。ああ、これでいいんだね。
ブコメにある、「なぜ席をくっつけるのか」はそうしないと通路がなくなるほど教室が狭い(クラスの定員が多い)から、だと思うよ。
ちなみにいまは30人以下が普通なので、席をくっつけるとかはないのでは?
去年の春くらい、世の中が緊急事態宣言だ〜うわ〜在宅勤務をはじめるぞ〜って時に、
急に別ジャンルのオタクと交流してみたいなと思って「○○好きな人と繋がりたい」
持っている割には特になにもしていなかった大量のアルミの写真とか、
この画像作るの割と楽しいな……でもアルミ並べるのはめんどくさいな……とか思いながら。
ツイフィとか作っている時小学生のプロフ帳書いている気持ちになっちゃったもんね。
あれいまも続いているの?
今までTwitterで繋がる人はライブとかイベントの現地で隣になった人とか、
何か待っている時に一言二言交わしてそこから話が広がって仲良くなった人ばかりだったから、少し不安だった。
まあいま思えば2割くらいの人はこれからも仲良くできたらいいな〜って出会いだったので悪くははなかったんだけど。
で、実際何人かとご縁を頂き(ご縁結びってなんかいい響きだよね)
リプを送りあったり、つぶやきを見たり。
まあまあいい感じに暇を潰せるな〜もともとコミニケーションが上手い方じゃないけどちょっとは頑張ってみようかな〜って。
同じ界隈にいたリアルの友人も入ってきて、3ヶ月くらいはいい感じにぬるっと楽しんでいた。
でも少しずつめんどくせ〜な〜、なにこれ……って思うことも見かけるようになる。
・まず思った以上に界隈が狭くてめんどくさい
(タグなんてつかわないオタクの方が多いだろうから実際の世界は広いと思うけど……)
あの人のこのキャラでの安定はAさんとか、BさんとCさんは仲悪いけど、お互いのFFにいるDさんはそれぞれ仲がいいとか。
でもそこから派生して自分の嫌いな人間と繋がったオタクは切るね!
みたいなことを私より5つくらい上の人間が言っていたりするんですよ……
そんな感じの事を何回か見かけてもう感情が
え〜〜〜〜うそ〜〜〜ここ中学校〜〜〜〜〜〜!?!?!?!?!
って感じて心が死んだ。残機1消えちゃった。
・誰がいつこのグッズをうったとか把握してる
怖。純粋に怖い。
いや割と出回りがないグッズ(シクレ的な)もあるからわかりやすいって言えばそうなんですけど……
あと取引垢とかこれがわたしのとか言ってなくても多分みんな把握している。
下手すればメルカリの垢とかも把握してる人もいる。
どうすんの……そこまで知って……なにに使うのその情報……
いや怖。また勝手に残機1消えた。
・なんか知らないけど苦手な人に好かれて死ぬ
キャラのことはまったく嫌いじゃないのに……居心地わる…
3歳からある運動系の習い事はやっていたけど、部活でやるような筋トレ、走り込みはやってこなかった。
その結果、見事なまでに全く筋肉がついていない体になった。
柔軟体操は毎日欠かさずやっていたから、すごく体は柔らかい。だが、それだけだ。
部活やっているときはキツいだろうけど、やっぱり10代の内から筋トレやってれば筋肉がつきやすい体になっていただろうなと思う。悔しいが、今の自分には効率よく筋肉を付ける方法も分からないし、何よりトレーニングをサボらないように見ていてくれる監督や仲間たちもいない。
養護学校に進学した方が本人の為にもいいんじゃないかと思うけど、親のエゴで無理矢理普通学校に進学させたりするからなぁ。
同学年に1人いたけど、そいつの為だけに学校内のそいつが通るルートの段差は、車椅子等が通れるようにスロープ化されたり、板が置かれたり。そいつ1人の為に100万以上する特殊なイスが用意されたり。
普通の中学校にそいつが3年間通う為だけに、そいつが卒業したら誰も使わない物を数百万円掛けていろいろ揃えたらしいけど。
YouTubeでたまたま見つけたとある不登校関連の動画見た感想を書こうと思う
その動画には前の学校で不登校になって不登校の子が通う学校に転校した中学生の女の子とその子の親が登場する
自分の知らない人のことについてあれこれ言うのは本当は良くないことだが思ったことについて色々書こうと思う
その親は高校は普通の学校に行ってほしいというように普通という言葉を何度も言っている
その女の子の小学生のころの卒業文集には中学生になったら勉強を頑張りたいというようなことが書いてある
中学校には定期試験があったり高校受験の内申があったりするのか親に試験でいい成績をとりなさいと言われ続けたり成績が悪いと怒られてしまったりしてしんどくなってしまった気がする
そんな状況が続くと同級生に劣等感を感じてしまったり試験でいい成績をとらないといけないという気持ちで潰れてしまうに決まっている
小学生の頃は学校に行けてたし転校先の中学校で友達ができた様だしアイドル好きらしいし本当は他の同級生と同じように学校に行きたいという気持ちがある明るい子なんだと思う
何年も前に投稿された動画だから今はその女の子は成人してるはずだ
自分らしく生きれる道を見つけて元気にしてたらいいなと思う
俺が中学校の多感な時期に考えていた設定で…
何故、人の魂はあるとされているのか?なぜ成仏とか言われるのか?という妄想が耐えなかった時期があった。
天国や地獄の様な死後の場所があったとしたら、人間の魂でごった返すんじゃないか?むしろ生命全てに霊魂があるのなら、虫などの極小生物の魂だらけになった地獄や天国なんじゃないのか?
と考えていた。そこで一つの仮説を立てた。そもそも虫と人との魂の形は同じではないのではないか?と。そして、魂とは一つの場所にとどまらずに輪廻転生の様に次から次へと移り変わるのではないか?と。その時にふと、その魂が器をなくした場合、一度一つに集まっているのではないか?という妄想も始まった。だから自分たちの中に前世は有名人であるという人が複数いるのではないか?と。一旦全てが一つになるから、他と共感性が生まれるのでは?と。
そして、その集まる場所は、当然多次元の、ここからは干渉できない場所であって、質量の問題も三次元的には考えられないことで、時間軸も一方方向ではないのではないか?と。
そんな結論に至ったあとに「人類は一つになるべきだ」みたいな人類補完計画を見たときは非常に興奮したものです。
んで渡辺直美は太ってるし芸人だからいいんだよって開き直ってる加害者側思考ども
これが渡辺直美だけで完結する訳じゃないってわかってる?
影響されやすい小学校中学校で太ってるやつにオリンピッグでいじるやつ絶対に出てくんのよ
下手したら高校でもあるかもね
確かに太ってるやつが悪いのかもしれないよ?
でもな、世界的な催しでもあるのにそれでいじめのきっかけを与えるのはおかしいんだわ
太ってるクラスメイトにオリンピッグやれよ豚の鼻つけろよ〜なんて調子づいてるアホだけじゃなく
それにつられて笑ってるアホども、これもきついわけ
でもね、オリンピッグはまずいよ、これからの時代良くないよって動きが世間に取り沙汰されてきたらさ
もしかしたらオリンピッグいじめっ子に、釣られて笑わずに、お前おかしいよって言えるクラスメイトの子も出てくるかもしれない
それによって救われる命もあると思うよ、絶対に
見た目でいじるのやめようぜまじで
小学校の勉強は才能、中学校の勉強は努力、それ以上の勉強は環境だ。
一定の幸せを掴むには賢くなければいけないし、賢くあるにはそれ相応の家庭環境が必要だ。
賢くいれる頭脳も、家庭環境も持ち合わせなかった私が不幸でド底辺とまではいかないけどそこそこな落ちこぼれ人生を歩むのは普通のことである
中途半端に死ぬ気で、中途半端に生きる気だから緩やかに落ちていってるんだろうな。
気持ちわりぃな。
マジの底辺ならnoteでも書けばそれなりの数稼げたかも知れないし、ガチの勝ち組ならネットで愚痴愚痴言うような性格にはなっていなかったんだろうな。中途半端。山もなく谷もない平坦で落ちぶれた人生。
なんとなくだけどこの先いいことなんて無いって事がわかる。
私は今18歳で、高校を先日卒業した。意見をすぐ変える母と、勝手に決めつけては暴力を振るう父と、同じように中途半端な姉と私はこの先生きていくんだろう。頭が悪く何も出来ない私は離れる事も出来ず、解決方法も思いつかず。
なぜ、いま学校に通ってもいない人が、漠然と「校則の改善、教師の意識改革、教育委員会の改善」を目指すのか本当に理解できない。
私は、今子育て中の親だけど、理不尽な校則やルールを改善したいと動くべきは、まず子供たちや保護者たち自身だと思っている。
ルールに関係する者が、まずは声を上げるべきだ。自分たちのためのルールなのだから。
小学校なら、保護者が前に出て、学校と話し合うことが必要だろう。
中学校は、理想をいえば、まずは子供たち自身で先生たちと話し合ってほしい。
高校は、保護者の出る幕はない。18で選挙権を持つのであれば、子供自身で、校則やルールをどうすべきか考え交渉する力を持たなければならない。
世間から外圧をかけ「校則の改善、教師の意識改革、教育委員会の改善」をはたらきかけるのは最終手段だ。
外圧がなければ学校は動かないだろうと考えているのだろうが、それは子供たちをバカにした話ではないか。
私たち大人がなすべきことは、子供たち自身が、自分たちのルールを決める土壌を作る手助けをすることだ。
その頃小中学校に教師からの理不尽な罰があったのは今でも知っている人は多いけれど、保育園にもあった。
全国的かはわからないけど、少なくとも私が通っている保育園にはあった。
色々ありはしたのだけど、一番痛烈だったことを書く。
その保育園は園の方針か先生の独断かはわからないけれど、給食を時間内に食べ終わらないと罰を受けた。
私は食べるのが遅くて、年長になるともうあらかたの罰を受けきっていた。
年長の園児が恐れていたのは
「下の年のクラスでのお昼寝」
だった。確かに小さい子、特に2才児クラスあたりと寝ると、自分まで赤ちゃん扱いされそうで嫌だな、と思っていたが、先生がそうしろというならするしかない、と乳児を抜けたばかりの子たちと一緒に寝たりした
ただ、私は昼寝で熟睡できないタイプだったので、2時間ずっと気まずさを感じてはいた。
ある日、給食を残す常連の私ともう一人、あすかちゃんという女の子の2人がやっぱり時間内に食べきれなかった。
その時、多分先生は虫の居所が悪かったのだと思う。
「増田ちゃんとあすかちゃんは養護組に行ってお昼寝しなさい!!」
と怒鳴った。
園には中程度の身体や知的障害児が集まる養護クラスがあって、そこでお昼寝をしろということだ。
「自分やクラスの子とは全く異なる変な姿でよくわからないけど、保育園に来てる子」
と認識していた。
養護組は冷暖房完備だったし、カーペットが敷いてあっから、今日は快適な場所で寝られるなあ、と思った。
あすかちゃんは号泣しだして、養護組は嫌だー!って叫び、それを無理やり先生が手を引っ張り、あすかちゃんはそれに抵抗した。
私は、その姿を見ながらタオルケットの入った巾着袋を背負って、養護組に入ってお昼寝をした。養護組の先生たちは優しくて好きだったし、教室の窓が大きく取られていて、部屋が薄暗くなるように少し濃いめのカーテンが引かれていた。それが風でヒラヒラするのを見ながら、ここは居心地がいいな、静かだな、と思った。
その数日後。
私が砂遊びをしていたらば、近くで私の担任を含めた3人の先生が雑談していたのが聞こえてきた。
「増田ってばさー、他のクラスで昼寝しろって言っても自分で行っちゃうの。この前なんて養護組で昼寝しろって行ったのに、何にも言わずに自分でタオルケット背負ってすたすたってさぁ」
と嫌そうに言っていた。
私は大人どうしで悪口を言うとは知っていたけれど、まさか子供のことを、更には受け持っている子の悪口を言うのか、と思ってびっくりして、それから、私はそんなに嫌われるようなことをした?と悲しくなった。
時は過ぎて成人式。
養護組の同い年で、当時は四つん這いになって歩いていた男の子、つよし君が車椅子で来ていた。
彼が私のことを覚えているかはわからないけれど、近くにいたので何とはなしに手を振った。
その瞬間、ようやく、14年越しに理解したのだ。
担任の先生が、養護組でのお昼寝を最も重い罰として私たちに命じた。
私はそれに全く気づかないでいたから、あとで先生に嫌がられた。
それらが全て繋がった時に、つよし君や養護組になんて扱いをしてるんだ、先生って職業が何故差別を助長や利用するんだ、何故あすかちゃんは私のわからなかったそれをわかっていたのか、いや、私がそれに気付くのが遅かっただけなのか。
6才の時のつよし君は、手を握って這っていた。
養護組の先生が
「つよし君はね、喋れないけどみんなの言うことはわかっているのよ。いっぱい歩くからね、手の皮がとってもかたいの」
と言ったので、彼の手の関節を触らせてもらった。
軽石かというくらい、かたくてザラザラしていた。
うわーすごいねー、と無邪気に驚いた。
あの当時、私だって悪知恵も小賢しさもおマセな部分もあるガキだ。
障害者というものを知らなかったからからだとしても、あの光景は鮮明に覚えているし、忘れないし、それに怒ったり胸糞悪くなっていたりしたい。
かつて僕は出羽守を敵として憎んでいたけど、今となっては黄色い肌の人種を憎む異人の国にしがみついて生きるしかない彼らは哀れな生贄にしか見えない。
彼らとて今更この人権後進国家中世ジャップランドに帰りたいとは思うまい。なにせ未だにコロナヘイトクライムで中国人の撲殺事件も硫酸攻撃も起きない酷い人権軽視の差別大国なのだから。
卑劣なレイシストどもは最も弱い女性・子供・老人を狙ってヘイトクライムを仕掛けている。
これは欧米に住む日本人同胞が守るべき家族を持ち、年齢を重ねるに従い、加速度的に生きづらくなっていくことを意味している。幼い孫を持つお年寄りのストレスホルモン血中濃度すごい値になってそう。
しかしどうか耐えて欲しい。米国大統領が「あなた方を虐め殺したのは日系人の強制収容と同じく過ちでした、ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ」と謝罪してくれる日が来るのを信じて。百年後ぐらいにあなた方の墓の前で。
米、アジア系へのヘイトクライム再燃 暴力性増し、殺人事件まで
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a8a33f5fb3305df8472682b22a847c5eee200df
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210314/k10012914741000.html
地下鉄で知らない男から差別的なことばで侮辱されたというタイ系アメリカ人の女性が登壇し「悪夢のような夜だった。車内にいたアジア系は私だけで、周りに助けを求めたが、誰も目を合わせてくれなかった」と振り返り、問題の深刻さを訴えました。
ニューヨーク市内で赤ちゃんをだっこしていた25歳のアジア系アメリカ人の母親が知らない男から突然、つばを吐きかけられたということです。
2歳と6歳含むアジア系家族、新型コロナのヘイトクライムで刺される。広がるアジア系アメリカ人への差別と暴力
2歳と6歳の幼い子供を含むアジア系アメリカ人の家族3人が、スーパーマーケット「サムズ・クラブ」で刺された。
「中学校の生徒が暴行を受けコロナウイルスに感染していると責められた」「若い女性が路上でアメリカにコロナウイルスを持ち込んだと言われて唾を吐きかけられた」
俺の人生において、見知らぬ女or男にわざとチンコに手置かれたり
友人だろうといきなり髪の毛触られたりはしなかったよ
そこまで生き残ってるなら、救われてるんじゃないかねえ。
振り返ってみても、死に至る罠はそこらじゅうにあったと思うよ。
決められたレールの上を歩けばいいなんて楽な話じゃないだろ人生は。
たかが結婚してないくらいで、たかが老後の資金が足りないくらいで、
救われてないというのなら、結婚したっていつまでも救われないよ。
子供がまだできないの、子供ができたら発達障害だの保育園がどーしたこーした、子供が勉強しなくてどーしたこーした、反抗期だ落第だ、妻が更年期障害がリストラだ子供が引き籠りだと、
いつまで経っても要求は絶え間なく続くのさ。
あの劇中の赤ちゃん、つばさちゃんだっけ? あれだってあと数年で手が付けられない野獣になって、ヒカリは家の中でヒステリー起こすんだよ。そしてトウジは「お父さん臭い。洗濯物分けて」とか言われて、人生って何だろうと思い悩むのさ。
1年近く前に腐れ縁と交友を絶った。
中学校で同級生で、高校は向こうが私立の附属高、私は地元の公立校に入った。
たまに飯を食ったり酒を飲んだり(今は厳しいからできないが)しながらグダグダと近況を話し合った。
大学は私がFラン私立文系、彼女は理系の夜間部を選択し、昼間はSE・夜は学生をしていて、時給が良いからと夜のビルメンのバイトをぼんやりしながらやってる自分よりタフだなあと思った。
私は就活が面倒で、バイト先の上司に「ここって就職させてくれるの?」と聞いたら、女性は人手不足だからとホイホイとバイトから正社員になった。
一方彼女は、大学院に行っていた。院は夜間部の学生でも入学できて、そこで昼間部生になって卒業できると。
「これを学歴ロンダリングと呼ぶんだよ」
と苦笑いして話していたが、SEと夜間部二足の草鞋だけで凄いので、苦笑いでなく誇っていいんじゃないか?と思った。
その後お互い仕事や勉強が忙しく交流が途切れ、数年経ち、私が結婚報告と地方への転居のメールを送ると「今、イギリスに留学しているよ」と返事が来た。読んでみると、どうやら彼女も院を卒業するのを機に結婚をし、夫が留学をするので自分も学ぼうと思ったと。そのやりとりの中で互いのツイッターアカウントも教えあった。
まだまだ学を極めるのかい、英語できるんかい、と、木造アパートで秋刀魚の塩焼きがごちそうでsorry japanese onlyの私(夫婦)から随分違った世界に行ってしまったもんだな…と感じた。
彼女が帰国したあたりで私は妊娠出産をし、目をぐるぐる回しながらワンオペで育児をこなした。その間彼女は技術界隈では有名な企業で仕事をして、コツコツと業績を積んでいた。
私の子が小学生になる直前に、彼女も子を授かり、1年間の育児休暇の間に保育所選びに奔走や、職場復帰のための断乳、体力作りなどをしていた。私はやっぱりぼんやりしながらアパートで秋刀魚を焼いていた。
さすがに子どもが大きくなったからと、私たちは数年後に口利きで手頃な借家に引っ越したけれど、彼女は住んでいる自治体の子供への福祉のなってなさと、両親のヘルプをより近い場所で受けたいからと、分譲マンションを売却し、それを頭金に実家に近いマンションに移り住んだ。
ツイッターで彼女が自作のルッコラとモッツァレラチーズとプチトマトのバジルソースのサラダとかの写真を見ながら、いいもの食べてるなあ、と思いながら小松菜とちりめんじゃこの煮びたしを食べていた。
彼女は企業で確実に出世していって、私は徹頭徹尾ぼんやりしながら何事もこなしているうちに中年のおばさんになっただけだ。
だから私と彼女の距離がどんどん離れていくことに寂しさはない。
私は10万円のジャケットは買えないし、寝巻きに2万円は使えないし、10万円するジャケットを着て行く場所が思いつかない。PTA?
うちの子に公立は向かないから、中受のために受けさせるおすすめの塾は?と聞かれても、私の子は中受するほどの学力もない。
精神や立場的な距離が離れて疎遠というか交流がなくなっても良かった。
家族で北海道に旅行に行ったことと、その時の写真がツイートされていた。ちょうど、札幌での感染拡大が注目やニュースになっていた頃だ。
「お前何考えてんだよ?」とよっぽどリプライをつけたくなったが、いつもなら幾つかつくfavやRTが全くないのを見るに、これが皆の意思表示なのだと、私も何も触らなかった。
そして緊急事態宣言が出て、都会は大変だなあと思いつつじゃがりこを食べながらツイッターを眺めていたら
と、やはり写真付きで、目線はついていたが、マスク姿の彼女と子どもが映っていた。
なんでこいつ、こうなったかなあ?
私より、頭、ずば抜けていいはずだよな?
違う世界の住人になったと思った。
でもそれが、コロナ禍での行動によって、私の中で全て水泡に帰した。
彼女のアカウントをブロックして、スマホから電話番号とメールアドレス、LINEアカウント、全て消した。
さよなら、賢人。