はてなキーワード: レビュワーとは
多分Amazonのレビュー、バラバラに存在する情報を横断していかないと「自分の用途に最も適合する商品、コンテンツがどれなのかわからない」というのが、現在の情報の弱点だと思うんだよな。
例えばドラム型洗濯機AとBとCがあってそれぞれのレビューや感想記事を全部読んで検討すれば「今の俺に必要なのはこれだな」ってわかるんだけど、「今の俺の状況」から逆算して最も適したドラム型洗濯機を紹介してくれるサービスってのは今のところほとんどないわけじゃん。
で、そういうのってAIの得意分野なような気がすげーするんだよ。
その商品カテゴリに類する商品の情報を横断的に学習して、それぞれの商品がどのような条件で使用されていてどのような年代のどのような層の人からどのような評価をされているのかを総合的に判断して、お前に一番合ってるのこれちゃう?って出してくるとかさ、めっちゃAI向きだと思わん?
そうなったとしてもレビュワーの価値は下がらんと言うか、むしろレビュワーの価値はどんどん上がっていくと思うんだよね。だってAIはレビューの情報を集めることはできても、自分で商品を使ってレビューすることはできねーんだもん。レビュワーが消滅したらメーカーが出してるカタログスペックから判断するだけの悲しき紹介マシーンと化してしまう。
例えば「毎日のプレイ時間が5分未満で月間3000円以下の課金で楽しめる美少年キャラが多く登場するRPGアプリ教えて。ちな、私が好きなゲームはこれとこれとこれ」とかでも全然紹介してくれそうじゃん。
ウェイトリフティングやランニングで記録が伸びなやんだらイライラすることもあるけど、単に海外ドラマを先月は何本見れたかなんてのは気合の入ったレビュワー気取り以外は気にも留めないだろう。
テレビゲームが難しいなら難易度を下げればいいし、スマホゲームでイベントがクリア出来ないなら動画を見ればいい。
ラーメンの味の善し悪しが分かるかよりも、食ってて幸せな気持ちになれたらそれでいいし、そこに優勝だのなんだのを持ち込むのもバズりたがりのインフルエンサー気取りぐらいのもんだ。
消費活動は最高だ。
自分の能力を証明する必要性から開放され、ただその瞬間瞬間を楽しめば良い。
消費活動はソレができる。
ガンや借金苦で今にも死にそうだろうが、一度それらを忘れてお笑いのライブでも見てれば取り敢えず楽しく時間は過ぎ去っていく。
前向きな集中ってのは結局のところ、過去や未来を置き去りにするってことだ。
消費活動はそれが出来る。
間違いだ。
どっちが上か下かなんてない。
最高の肉を用意しても誰もステーキを焼かないし食べないならそれは無意味だって話でもない。
たとえば面接を控えた学生が近くにいる人なんかはこの辺の勘違いが凄い。
趣味は自分の凄さをアピールするためのチャンスに出来なきゃ駄目だとホンキで思ってる。
今どき内申点を重視するような学校のお受験を控えたママなんかは、自分の子供がやってる趣味がユーイギかが滅茶苦茶気になるらしい。
正直こういう怪物になってしまった人たちは雑談相手としてもしんどいので早く治って欲しい。
まずお金をかけすぎないことだ。
見返りを求めると焦りが産まれ、気持ちのいい集中状態からは離れていく。
消費活動を最高に楽しんでますよと声高に叫びながらお金を使いまくる人がいるが、あれは消費を利用した自己プロデュースでありもはや創作活動に片足を突っ込んでいる。
それが創作活動だと自覚があるなら別に悪いことだとは思わないが、消費活動だと思っているのに創作活動をしていると方向性がブレてしまう。
昨日までの自分の努力が実ったり、将来に向けて腕を磨くといった概念がいつも付き纏ってくる。
その付き纏ってくるということが、ときに消費活動にとってノイズにもなるが、上手くやれば両方一度に楽しめる自分に自信があるなら消費しつつの創作はアリだと思う。
消費も創作も両立できる自信がないなら、消費活動にはあまり金をかけすぎない方がいい。
他人に消費してる姿を見せるのも控えていくべきだ。
自分以外の人間が介在してくると人間はどうしてもそこに他者の目を感じるものだ。
それはよくない。
人の目が気になると「いい年こいて幼稚なストーリーのドラマを見てるね」「デブがケーキ食うとか医療費経由での反社会活動じゃん」みたいな声がどこからか聞こえてくるものだ。
ありもしないどこかの未来図として「如何に格好いい趣味を持っているか」を他人に見られているのを空想している状態では、目の前の遊びに集中なんて出来はしない。
他人の目は考えない。
誰かに見せつけるために格好つけようとしているなと思ったら一度距離を取るべきだ。
最後に大事なのが、余裕のある時間の中で、急がなくていい範囲の量でだけ向き合うことだ。
平日の深夜に明日の寝不足を気にしながらでは消費活動も上手く楽しめない。
たとえそれが休日だからといってそれが分刻みのスケジュールとなれば、何をやるにもある種アスリートじみてくる。
消費活動は楽しい気持ちに集中するためのものであって、消費することそのものは目的ではなく手段だ。
映画を毎月50本見なければいけないと自分にノルマを課したらその瞬間に消費活動としての側面が大きく薄れる。
消費活動を純粋に消費活動として最初から最後まで楽しみたいなら、丸一日自由に使えるとしてもそのうち12時間程度で済ませた方がいい。
同じことでもずっとやっていれば飽きてくる。
その飽きが自分苛めとして楽しいというのも分かるが、そういった見せかけのストイックさは何だかんだで人生をあまり豊かにしないものだ。
見せかけの時間的豊かさの方がずっとずっといい。
とにかく何もしてないと退屈だからと好きなことをして時間を潰そうとして、それでいて気づけば集中し、疲れてきたので昼寝でもする。
消費との付き合い方はそれぐらいの距離感でいい。
そして、そういったやり方で消費に向き合う時、人は生まれ持った才能や積み上げた能力の影響をあまり受けることなく、目の前の遊びに集中する快感に浸れるのだ。
消費は最高だぞ。
騙されたと思ってtkzk Ouranos買ってみ
有線だけどリケーブルできるから断線を過度に恐れなくていい、安いのだと1000円前後からケーブルあるけど付属のも優秀
Hi-Fi優等生的な鳴り方する機種で女声に艶がある、このクラスのIEMは空間表現もちゃんとしてるよ
同価格帯の新製品でマニアが注目しそうなやつだとTRI Star Riverってのもある
新しすぎてまだ界隈のレビュワーからの評価が出揃ってないけど定評あるメーカーなんで見た目の好みで凸ってもいいと思う
いずれも人間工学デザインのIEM型レジンシェルだから一定水準のフィット感はあると思うけど耳の形は個人差あるからなんとも言えない
特別小さい筐体でも大きい筐体でもないけど耳を下にして寝続けない限りは角のある筐体じゃないから多分問題ないとは思う
俺個人としても以前E500あたりのASMR向けを謳う3000円前後の小型機種をいくつか入手して試したことがあるけど
結局値段なりに音が悪くて声の迫力とかが欠けてた、まともなオーディオ向けイヤホンのほうが全然良いと思ったんでね
ちなみに挙げた機種はスマホでも十分駆動できるとは思うけどできるなら1万くらいするBluetoothアンプとかDAPに繋げるとなお良いね
父親が育児関わった子ども 思春期の精神不調リスク 低い傾向に | NHK | 医療・健康
この記事のブコメでいま星を圧倒的に集めているのが以下のコメント。13:40時点で216。
このコメントしたユーザと星つけたユーザ、絶対に疑似相関がなにかわかってないだろ?擬似相関は潜在変数によって本来因果関係の無い変数間に関係が見られるような場合を指している。例えば小学生の身長の高さと算数の点数は比例することが知られているが、これは身長と算数の点数のどちらも年齢と相関関係があるからであり、本来身長と算数の点数には因果関係はない。この場合、同年齢(あるいは月齢)内で再度高身長グループと低身長グループを分けるなどによって交絡因子の影響を排除できると考えられるし、通常科学的な研究を行う場合は交絡因子の影響を排除するような操作を行うことが一般的である。
まず大前提として、この研究では交絡因子の調整を行ったと明記されている。
The risk of poor psychological well-being was lower among more active involvement groups compared with the least involvement group, after adjusting for potential confounders (risk ratios = 0.90 [95 % confidence intervals: 0.85, 0.95] for the most active group).
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0165032722014355?via%3Dihub
概要しか読めていないので具体的にどのような調整をしたのかはわからないが、その妥当性については査読で十分に検討されているだろうから一定以上の信頼は置けるだろう。また父親が育児参加している場合はそうでない場合に比べて人手に余裕のある育児が可能と考えられるため、これらに因果関係があるというのは特に不自然ではない。またブコメの主張するように交絡因子として『家庭の円満さ』がある場合、『家庭の円満さ』と『父親の育児参加』、『思春期の精神不調』に因果関係が存在する必要がある。これらにどういった関係があるのかは調査してみないとわからない(本文を読むと近いことが書いてあるかもしれない)が、家庭が円満であることによって父親の育児参加が増えるというのは因果関係が逆転しているように思えないだろうか。家事・育児の役割分担が夫婦間で偏っている状況が家庭の円満に対して悪影響を与えることは想像に難くなく、家庭内が円満であった結果として父親が積極的に育児参加するというよりは、父親の育児参加によって家庭内の役割分担が均されて家庭内の円満が保たれるといった説明のほうが腑に落ちるように思える。まあ上述の通りこのあたりは調べてみないとなんともというところだが、現状では疑似相関であるという主張は根拠がなく、因果関係が認められているという仮説を採用するのが自然である。
少しでもアカデミアに関わったことのある人間なら常識だが、論文を(特に英語の)ジャーナルに載せるのは非常に労力がかかる。研究を完成させて論文を投稿するまでに労力がかかるのはブクマカにも想像がつくだろうが、その後レビュワーのコメントに対応するにも投稿までと同じくらいの労力がかかることがよくある(分野にもよるかもしれない)。一発で通ることもあるにはあるらしいが、非常に稀である。ハゲタカジャーナルならまだしも、まともなジャーナル(分野が違うのでこのジャーナルは知らないが、エルゼビアだしIFもそこそこありそうなのでまともといっていいだろう)たかだか10ページ前後の論文を載せるために多くの研究者のチェックを通っている。君らがいっちょ噛みで文句をつけられるような部分は、すでにケアされて世に出てきていると思った方がいい。
ソニータイマー、古臭い、尖った製品がない、なのに高い。欲しい物がない、あってもバカ高い。
製品レビューで「良い」と褒めたら、レビュワーも叩いていい対象となる。
そんなイメージではないだろうか。
Google、Amazonのようにアフィリエイトなどでお金を払っているわけではないので、褒める必要もない。
AppleのようにiPhoneがコケたら自身の収入もコケるというのでもない。
ソニーを褒める必要性がそもそもないとも言えるし、ソニーがメディアを操作する力が弱いとも言える。
Google、Amazonは、市場を独占していることの追求を避けるためにコングロマリットを目指した。
メディアは最近はソニーを褒めるが、誰も成功した理由はわかってないのではないか?
イメージセンサーが強いと言っても、Xperiaが凄い活かせているわけでもない。
テレビはいうまでもなく、音楽でもわざわざソニー製品を選ばないだろう。
そもそも挙げたようなブランドは補償もコミュニケーションもスムーズに行えるはずだ。できないと思い込むのは海外企業慣れしていないからでは。
中華イヤホン界隈では下手したら国内企業より迅速に対応されてまるっと交換してもらえたような話なども5chやTwitterで聞くし(俺自身はサポートに頼るタイプの人間ではないからそんな機会はめったにないが)
TinHiFiに関してはサポート重視なら公式サイトより高くなるがAmazonの公式から買えばセラーとも連絡がつきやすいし、公式Twitterやサイトのチャットは英語だが窓口自体はちゃんとある、まあ立派な代理店がある海外ブランドと比べたら弱めなのは否めないが。
Edifierについては日本代理店が立っており立派な公式サイトもあるので問題ないだろう。挙げた中では一番意思疎通が図れるレベル。カスタマーサポートの品質までは知らんが。
TRIというのは、Easy Audio、日本だとWTSUN Audioという名前で中華イヤホンのショップを長年運営している企業が自社ブランドとしてイヤホン開発も手掛けるにあたって立ち上げたオーディオブランドのうちの一つで、Amazonでも連絡がとれるし日本語で公式Twitterもやっている。日本語が上手いわけではないが、経歴が長いだけあってサポートも手慣れている。TRIの製品群自体も手堅いチューニングと品質で評価が高い。同社のより廉価帯にKBEARというブランドもある。
LETSHUOER、あるいはSHUOERというのは比較的新し目でここ数年にできたブランドだが、製品の開発製造自体はOEM・ODMで実績があり、中国でカスタムイヤホンやオリジナルイヤホンを作ってきた会社らしい。マニアからの製品評価は高いもののいかんせん新しいものでサポートの話までは界隈で聞かない。ただ一応日本語の公式サイトやTwitterがあるので意思疎通は可能だろう。
聞いてきて分かると思うが俺が推薦しているのも粗悪な部品を使うような胡散臭いメーカーではなく、イヤホンの分野で実績があり世界的にもオーディオレビュワーから評価されている中華イヤホンブランドだ。
むしろ元増田の言うように「どうせ壊れるからようわからんメーカーの安いやつ」を選ぶことこそが、三流の粗悪な造りの中華メーカー品or国内ブランドだが中身は三流中華のODM品、というハズレを引いてしまう危険度が高いので、推薦したまで。
消費者にとって真の敵は、まともな顔してサクラレビューで釣ってくる三流粗悪中華であって、マニアの厳しい目を抜けてきた評価の高い中華ブランドは元増田のようなそこそこの値段でまともなものを得ようとする人にとって最適な選択に近いと思っている。
なぜなら、そこそこお値打ちな値段でまともっぽく見える国内メーカー品の中身はことごとく三流クオリティの中華製造だからだ。○イリ○○ー○マとかがいい例だが。そういうのは長い目で見てコスパが悪い。
TWSなら$84のTinHiFi Tin Buds 3っていうの買ってみ。とにかく音質がいい。造りが有線のそれ。
ニュートラル傾向だけど全帯域質感良くてオーディオマニアなら唸るはず、構成的にはベリリウムコートの6mmDD。
ノイキャンとかないけどイヤモニ型の形状なので遮音性は高い。蓋回転させるメタルケースはカッコいいけど使い勝手は微妙。
代替候補としては¥11,899のEDIFIER NeoBuds Pro。こっちはノイキャンが価格帯ではずば抜けて良く専用アプリの出来も良い。音質も10mmDD+BA(knowles製)で申し分なし。
有線イヤホンなら¥10,699のTRI x HBB KAIを推す。空間表現というか響きが良くて造りも良い。9.8mmのDLC振動板。海外著名レビュワーHBB氏がチューニング監修。
もし$160出せるならLETSHUOER Z12というのも良い。平面駆動ドライバ搭載で、S12という人気の元モデルからZeos氏コラボによってサブベース強化されたバージョン。
私は当映画を見ていないし、その周りもあまり知らないから、どうこう言える立場じゃないだろうけど、藤島じゅんさんの場合は、映画そのものではなく、よかったと思える人(と言うか自分とは違う感想を持っている人)をバカにしたのもあるから、言われたんじゃないかなと思う。
逆に映画そのものの批判だけや、人が絡んでも「周りは絶賛しているけど、私にとってはおもしろいとは思えなかった。」など言い方が違えば変わっていたかと。
あと「シン・ゴジラ」の件以外でも、この人は個人誌である「今日のふじしま」(ブログの日常4コマをまとめたもの)の巻末コメントで、自身の商業誌の某ネットショップレビューに対して、ボロクソに書いていたことがあるからね。
しかもどこの誰のことなのかわかる内容だし、レビュー側も決して誹謗中傷ではなく、その商業誌の題材の界隈に詳しい人からのしっかり読んだ上の書き込み(ダメ出しだけではなく改善点も書かれた、建設的な意見)だったんだよね。
その個人誌の件は「シン・ゴジラ」の前の話だから、そう言うのがつい出してしまう人なんかなと思う。
そりゃあ建設的な意見でも不快に思う気持ちはわからなくはないけど、せめて読者などの外部の目にも触れるところではなく、身内や漫画家仲間内で愚痴るなりで留めて置いて欲しかった。
ましてや優れた人から教えて貰うことでもなく
ただただプログラミングを好きになってモノづくりに熱中することだ
小さい子供がプログラミングに向いているのはモノづくりが好きだからであって
これは大人でも当てはまることであって
何かのモノづくりをするという目的の元に手段としてプログラミングが選ばれ
それに熱中することでいつの間にかプログラミング能力は向上していくのだ
上司から命令されてプログラミング講座を会社の金で受講するとか
Googleを目指して学生時代にプログラミングに打ち込むだとか
そんなのは全然上手く行かないのに定年退職したジジイがラズパイ使ってロボ作りとか始めると上手く行くのはそのせいだ
GitHubが発明したPull Requestはこの楽しみを徹底的に阻害している
「ちょっとこの辺は微妙だけど他のことやりたいから適当に済ませよう」
こうした行為はモノづくりからはほど遠く必要無いものに見えてしまい
「早く動いているところを見たい」
やがて開発者はプログラミングそのものに従事して嫌いになっていくのだ
以前からプロの現場ではもっと厳しい品質管理がなされていたという人がたまにいる
PRによってアジャイルの現場に品質管理がもたらされたと主張するのだ
命名規則やコメントの書き方などルール化できるものは別にレビューなど必要無くツールで弾くことができる
バグがあるかどうかはテストで担保すべきであってレビューで見るべきではない
この手のレビュワーが好んで使う言葉として「技術的負債」というものがある
技術的負債を残さないためにもPRで品質を保つ という主張である
一方で技術進歩は止められるわけが無く10年前に必死でクラス設計したJavaのシステムは
またはレビュワーの考える言語化できない「品質」のために今日もPRはリジェクトされる
人はプログラミングを嫌いになっていくのだ
どうすればいいですか?
増田やツイッターでヘイトをクリエイトします。マナー講師のフリをしたり、極端な思想の持ち主のフリをしたりです。付け火と同じようなものなのだと思います。でも燃え上がっている様子を見てもそれは燃え始めたものは周りのものを燃やし続けるという現象が起きているだけなのだと思うと途端に虚しくなります。最初にライターレベルの火を付けたのが自分であるということが、広がる巨大な火の手の創造主であることには全く繋がらないことに気づいてしまえる程度の知性はあるからです。火遊びをして楽しむには大人になりすぎたようです。
既存の映像を切り貼りして新しいものを作った感を出そうとしましたが、虚しいだけでした。結局既にこの世界にある面白いものを拝借しているだけです。センスの有る人がやれば全く違うのかも知れません。写真にたとえれば自分のやっているのは単に映える商品を正面から撮っているだけで凄いのは被写体でしかないような感じでしょうか?伸びるものは元が面白かったものばかり。虚無しかありませんでした。
画期的な絵文字の発明に至らず既存の技術を組み合わせて掲示板にバイト数の極めて小さい絵を用意するだけで終わりました。今はスマホでもガンガン通信できるわけですから画像でいいんですよね。掲示板にお絵かき機能が追加されることも増えてきて居場所は完全に無くなったと思います。
MADと基本は一緒ですね。単にもともと世の中にあったものを拝借しているだけです。作る労力の少なさの割には伸びがちですが、結局自分は何も生み出してないなと感じる次第です。鬼滅の会議の文字コラとか、完全に元の漫画が面白いだけですよ……。あんなの伸びても鬼滅ってやっぱり凄いなしか残りませんよ。単なるコミュニケーションの手段としてはありなのかもですが、それにしたってそのたびにいちいち著作権を侵害するのかって話です。
小説なんて読んだことなくてもエロ小説ぐらいかけらぁ!→無理でした。伸びません。というか明らかに表現の幅がチープなんですよね。たとえば飲み会の話題がループしだすと同じような表現が多用されてそのフレーズだけで退屈してくるじゃないですか。大事なんですよねフランス書院みたいな言い換えの文化。陰茎、陰茎、肉棒、肉棒、ペニス、肉棒、陰茎とかじゃ駄目なんですよ。飽きちゃうんですよエロ小説でも。
語彙力がなくても17文字ならいけらぁ!→もっとダメでした。でも挑戦してからはフリースタイルの人達の凄さが分かりましたね。というかアレ仕込んでますよね常に?でなきゃやらせとか。そうじゃないとあんなにスラスラ表現が出てくるとは思えない。サイファーって結局の所書き溜めたオリカを吐き出しながら戦うカードゲームなんじゃないかなって。
あえて今の時代にブログですよブログ。SNS全盛の時代に逆を行くんです。レビューだったらネタを考える必要もないから楽勝っしょ。→無理に決まってるわけですね。悲しいです。邦キチっていう漫画に出てくる駄目な新人レビュワーみたいになってました。表現がありきたりな癖にクドいんですよね。目の付け所が凄いでしょって態度をしてるけど普通のことしか言えてないんですよ。んでもって必死にネタ探してる感じがキツいんですよね。コマ送りで一瞬だけ映ったパンツの柄とか必死に語ってたりするんですよ読み直すと。そんなもんでクリエイティブを発揮した気になってるんですよ。アホかって話ですよ。
あーーーーーーーーー助けてくれ
すごく何も事件が起こらない日常系BLと、やたら評判のいい日常系BLを読んだ。ストーリーをどったんばったんさせないで描く漫画家は技量が高いというから期待しつつ、コケていた場合のがっかり感が凄そうなので、びくびくしながら購入ボタンをぽちった。
サラリーマンの野間は、家が職場から遠い事と最近恋人にフラれた事を十年来の友人・相良に愚痴った。そして冗談で相良にルームシェアを持ちかけたところ、あっさり承諾されておののく。
ルームシェアは野間が新しい彼氏を見つけるまでという期限つき。だが、面倒臭がりな野間の彼氏探しは捗らず、しかも相良との暮らしは心地よく、ずるずるだらだらと共同生活は延長されてゆくのだった。
ところが、そんな野間に相良はいっそルームシェアを同棲に切り替えるかと提案してくる。つまり付き合っちゃおうということ。約十年の付き合いの中、最初期から互いにゲイであることをカミングアウトはしていたものの、そういう意味での好意を持っている素振りを全く見せなかった相良が、同棲した途端に容易く恋人モードを出してきたので、野間は困惑してしまうのだった。
まず、突飛な事件が何一つ起きない事に驚いた。何か特別なアビリティがある訳でもないごく普通の大人の日常と恋愛物語。いやこれ恋愛っていうのかな? それくらい恋愛感情の盛り上りもない。でも、現実にはこう、お互いに相手を熱烈に好きな訳ではないが、なんか気が合うし歳も歳だし結婚しちゃう? みたいな感じで結婚する人って、たまにいるよね……。このお話は舞台が現代日本でありつつ渋谷区ではないのか、結婚というかパートナーシップ宣誓書を出すまでには至らないけれど、事実上の結婚生活(付き合いが長すぎるせいで既に熟年ふうふの貫禄がある)のような漫画となっている。
強いて特異な点を挙げるならば、カプの片方(受け)が極度のものぐさ太郎であるにも関わらず、家事が片方に押し付けられはしないということだろうか。そんな関係性はある意味理想だ。たいてい『おっさんずラブ』みたいに、いつの間にか攻めが家事を一手に引き受けて地味なスパダリ化してしまうのが、最近のBLあるあるだと思うのだが(偏見)。
すごく何も事件が起こらないのだが、主人公・野間の心情のわかりみが深い。とても仲が良すぎて「親友」と言うのも恥ずかしいくらいの相手が恋人の前でどう振る舞うのかなんて、出来る事なら知りたくないし見たくない……それな! 付き合ったからっていきなり恋人っぽい事しなくてもよくない?……それな! いわゆる「ぬいペニ」問題にかすりそうでかすらないくらいの所で野間が悶々とするところが、読んでいてたのしかった。
一方、付き合った途端に恋人モード出して野間にべたべたくっつこうとする相良というのも、野間視点では急にどうした!? と思えるんだろうけど、でもまあ「恋人」という言葉の枠に囚われてそれっぽい事をしてみたくなってしまうのは、にんげんだものそういう事もあるさって感じで解らなくもない。ストーリーの終盤辺りで相良の内心が明らかになるんだけど、やっぱり別に前々から野間に対してめちゃめちゃ恋患っていたという訳ではなかった、というのがリアルっぽくてよかった。
濡れ場もまためちゃめちゃ地味。恋人になるかならないかの決定打が欲しいというので、付き合う前に致すという慎重さが大人の恋愛物語っぽくていい。濡れ場2回目の翌朝「寝坊しない」って最中に言ってた方が寝坊して朝ごはんがやや雑になり、平日の夜は致さないルール決めをする所がほほえましい&もう若いとは言えない大人のくたびれ感があって趣き深い。ちなみに、濡れ場にアクロバットな事をしないで雑談とかするシチュエーションが私は好き。
男女の恋愛でもあり得そうな話だけど、男女カプだと周りがけじめを着けろだのその人でいいの? だのと口を挟んできがちで、二人の間だけで方向性が決まるという事にリアリティーがないかもしれない。そこを、男同士のカプだからパッと見ただの友達同士で、他人の下世話な好奇心には引っ掛からない関係性で描くというのは上手いなと思った。まあでも、もしも漫画の下手な人が描いたら目も当てられない作品になっただろう。なので、ジャンルとか問わずシンプルに面白い漫画を読みたい人にもおすすめの作品だと思う。
友達関係から恋人同士にシフトチェンジすることに苦労するBLというと『リカー&シガレット』(座裏屋蘭丸)もある。
大学院生の遣斗は、安さ最優先でガス栓の壊れた物件に引っ越しして凍死しかけた所を、隣人の壮志に助けられ、しかも朝ごはんまでご馳走になった。
壮志の手料理にがっつりと胃袋を掴まれてしまった遣斗は、それ以来ずっと壮志にご飯を作ってもらっており、気付けば丸一年も暮らしていた。
何故かほとんど喋れない寡黙な壮志は筋金入りのメタラー。遣斗はつい壮志の気を引こうとして壮志の「遠征」に着いていってしまう。メタルのライブを楽しんだ二人だったが、酔い潰れてしまった壮志に対して、遣斗は恋心を自覚。だが遣斗は壮志にまだ自分がゲイだということをカミングアウトしていなかった。壮志はおそらくストレートであるが、性的指向がどうとか以前にほとんど口が利けないので、遣斗には壮志の意思の確かめ様がない。
翌朝、壮志が目覚めると遣斗は既にホテルを出た後で、以来音信が途絶えてしまい……。
表紙絵に惹かれて購入。半袖で過ごせるほど暖かくしたお部屋で炬燵にあたりながら朝ごはんを食べている二人の図。背景にはメタラーの極まった感じの本棚兼CD・DVDラック。画面右側のメタラー・壮志さんの傍らには編み物道具。青みがかった日差しが雪の積もった朝の光って感じで、室内の暖かさを引き立てる。
メタルと雪国の日常の融合したイラストというのは、メタルの本場が北欧であるという事を知っている人にはなるほどなーと思われるらしいが、全然知らない私には奇跡の融合・ギャップ萌えに見えた。
この漫画もまた、事件という事件は冒頭で遣斗が凍死しかけたのを壮志が助けた事と、後に遣斗が別に起こさなくてもいいような最低な別れ話を引き起こすくらいしか起きない。前述の『ジョーク・スタート・ルームメイト』の感想の中で、私は男同士の関係性には他人の横槍が入り難いというような事を書いたけれども、この『となりのメタラーさん』は遣斗の友人もまたゲイなので、恋愛相談で遣斗が〆られる展開あり。
メタラーさんこと壮志は明らかに吃音症か緘黙か何かを患っているが、彼の抱えた困難は生まれ持った何かというだけで病名はつけられていない。へたに病名を着けてしまうことで同じ病気を持った人への偏見を植付けてしまわないような配慮なのか、読者が病名で検索して知った風にならないようにする為なのだろうか。まあとにかく、病名のないことで壮志というキャラを見る時に変なバイアスがかからないのでいいなと私は思った。
ところが、病名を明記していない事でそれを「病気」だと思わずに、壮志の性格を「ムカつく」といって非難したレビュアーもいたりするので、何でも物事は良し悪しなのかなあ。それくらい読み取れよとも思うけど。表現って難しいな。
壮志の「自分の思いを言葉にするのが難しい」という性質は治るようなものではないらしく、しかし家族と職場の人間関係には恵まれており、過去には辛い事もあり、今でも世間に出れば嫌な思いをする事が多々あるということが描かれている。
彼の身近な人々は、言葉の出ない事にイラついたり急かしたりはしない。しかし彼のような人に対しての最適な関わり方を知っているというわけでもないようだ。(例えば壮志の職場の店長は言葉に詰まる壮志を、自分自身が焦りながら落ち着かせようとしている→壮志は余計に焦ってしまう)
だが、遣斗だけが壮志の言葉を「待つ」というのをさりげなく、だが明確に態度で示した。それは遣斗が幼児教育を研究する大学院生であり、実際にバイトという形で保育に携わっている人だからである。
そういう、文章によらない漫画描写が繊細な作品。人の言葉に当意即妙の返しは出来ない壮志に合わせるかのように、ストーリーと恋愛はゆっくり進む。舞台は雪国でもっぱら季節は冬なんだけどハートウォーミングな話だった。
そしてこれ、商業BLレビューサイトではかなり評価が高い作品。実際良いと私は思うけど、他のレビュワーの「泣いた」っていうのは言い過ぎかな。私的にはほっこりするって感じ。