はてなキーワード: ヤフーとは
そうですあの東日本大震災が起きたとき辣腕を振るいに振るった(イヤミ)菅直人氏の選挙区です。
比例は立憲かなとは思ったものの、希望は排除発言やら小池さんの立ち振る舞いやらでとても票を入れるに値しなかった。
残るは自民と立憲民主。公明があれば穏健右派かつ自民監視役として入れていたかもしれない。
普段は消極的自民支持者である私ですが、誰に入れるのか、誰を評価するのかとなると安倍さんの背中を押す気持ちはちょっと…となった。個人的に世間で喧しい森友加計はまあそんなどうこうはなくて、稲田さんに国防を任せ続けた方がよほど国よりお友達なのかなってゲンナリしたところはあった。
共産党なんてここで語るに落ちるクソだし、安倍政権を許さないとか適当言うのもレッテル商売と足の引っ張り合いも大概にしろと思うし、就活を見据えた若者の気持ちもわかる。
一方でヤフーやツイッターのトレンドに上がる自民支持者の攻撃的な煽りツイートにもげんなりする所がかなり強くて、結局自民を支持してないとクソみたいな全体主義的な考えにも辟易してきていた。
改憲は必要かもしれないし、沖縄の人への負担や蔑ろ感は物凄いのだろうけど、中国への牽制は必要だと思う。竹島だって北方領土だって帰ってきてほしいよ。
ネットで見かける右の人たちを見ると、私は左翼と言われる部類なのかもしれない。
金融緩和はアリ、高齢者はやや負担が増えても子育て世代、子供への政策は強化されるべきだと思う。子供につけを残すななんて緊縮をやるのはクソ馬鹿だと思う。子供生まれなきゃ意味ないし。
なんならトランプ政権が誕生したとき、安倍さんは上手に動けたと思うし、それは長期政権故のメリットだったとも思う。
それでも今回は自民党に入れることはためらわれた。
これが菅さんじゃなければ即投票で終わったのだけれど、やはり菅さんに入れるのはすごく抵抗があった。
東日本大震災、あれだけの人が亡くなり、残された家族は絶望し、原発はメルトダウンを起こした。
だけれども、希望の党は排除したのだ。排除とは何か。ではリベラルは?寛容があって、失敗を許せる人、社会。
魂を捨てるような思いだった。
失敗をしたひとが、それを踏まえて動けるのか?菅さんは自分を鑑みれるほど若い人なのか?
糞と糞の比較かもしれない。それでも、自分が優しい社会であってほしいと思ったとき、そうするしかなかったのだ。
今、ツイッターで18区と検索すると、魔の区だ、とか頭のおかしい人が住んでいるとか、そんな文言が溢れている。
自民公明で過半数でも構わない。でも監視する人がいるんだぞと、相手の顔を伺って落としどころを決める与党になってほしいと思って投票した。
いつもはそこまではいかないものの、基本的に激務で高給。だからワープアとか、お金がない若者たちの気持ちがあまりわからない。たまにヤフーニュースで読む女性の貧困も、本当に?創作じゃないの?と思ってしまう。
辛さもある。
仕事の出来不出来は置いておいて、めちゃくちゃ働いてるからこの給料はそこまで高すぎるというわけではないと思う。
だけど、友達にも家族にも、給料の額を出して愚痴を言うことはできない。
「ある月の給料45万だったんだけどちょっときもくない?働きすぎだよね?てかなんでこんな働いてるのかな?」とか話したいけど、友達には間違いなく自慢か何かだと思われるし、両親は同じくらいの給料かもしれないから気まずい。
パナソニックの広告に出てるタレント。川北麻衣子さん。はい。ドライヤーね、へー。っと。
(あー、河北麻友子さん、ね、指摘ありがトン)
だけど。この違和感。
こんなに、若かった?とか。前から出てたよねとかって。顔全然違うじゃん。
ヤフーニュースの方と、週刊誌のゴシップ記事で、違いが明瞭になった。
川上麻衣子と川北麻衣子の区別がついてなかったんだ...オレ。
やっと分かった。
(森下千里と森高千里の違いは、分かってたんだが。紛らわしいよな)
【追記...】
川北麻衣子ではなくて、河北麻友子、おおこれは、とんだ間違いを。川上麻衣子と河北麻友子の区別だったのか。
(意図は、辛うじて通じたようで何よりかな。)
最近にはじまったことではないが、Yahoo!ニュースの各記事へのコメント(ヤフコメ)がいよいよ暴力的な色彩を帯びてきており恐ろしい。
「殺せ!」という言葉があまりに普通に使われており、あまつさえその表現の残虐さを競うような状況である。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171009-00000020-asahi-soci
(※削除された後用のアーカイブ https://archive.is/0x5RH )
高速道路上での死亡事故についての報道で、ある運転者が事故の原因となっていたかもしれないことが取材でわかったとの内容。
事故自体はとても痛ましいものであるが、この記事に対するヤフコメが異常である。
要約すればとにかく「殺せ!殺せ!」と。
*******
kur*****
sup*****
念のため強調するが、まだ逮捕もされていない者に対しての「殺せ!」である。
報道機関(この場合朝日新聞)が報じたことだけを根拠に、いや、その根拠以上のことを勝手に見出して
極刑を指示(殺せ!)し、あるいは残虐な私刑を勝手に検討(殺せ!)する。
fum*****
aps*****
轢くだけじゃダメ。
100km/hの衝撃を教えてあげないと。
bas*****
一瞬で死んじゃうから
kur*****
顔写真付き実名報道、高速道路における引きずり殺しの刑にしたいくらいだ!
容疑者よ、出てこい!
nas*****
業務上過失致死なんかでなく、
もっと重い罪はないのか?
市中引き回しにして、苦しませながら同じ目に遭わせるべき!
コメント欄の流れをよく見てみると、ある「殺せ!」という内容の投稿に呼応するように「殺せ!」という投稿が連なっていく。
日本が法治国家であり、自らがその担い手であるという意識は見られず、あたかも娯楽のように、おびただしい「殺せ!」が積み重ねられる。
冷静なコメントもあるが、当たり前のように過激な意見が支持され、埋もれていく。
悲観的予言をするならば、いつかこの殺意はコメント欄を飛び出し「魔女狩り」は起こるであろう。
ヤフコメは、すでに殺意をかき立て、正当化し、増幅させる役割を果たしている。
このような惨状を放置しているヤフージャパンの社会的責任はどうなるのだろうか。
そして我々の社会は。
話題になっている保毛尾田保毛男について、
このニュースに対しての有名ニュースサイトで人気のコメントを比較してみた。
『 同性愛差別はもちろん良くないのだがフジテレビのバラエティ番組担当の偉い人の感覚が28年前から一歩も進んでいないことが残念。
『 0年代にゲイコミュニティ研究してたけど、保毛尾田の表象が当時のゲイやMSMに与えた影響は絶大で、これが自己嫌悪、抑鬱、自殺未遂などのきっかけになったと色々な人から聞いた。本当の集合的トラウマだったのです。 』
『 デブも不細工もバカもいじっていいのにゲイだけ聖域なのがよくわからん。 』
『 とんねるずだのがこういうことに関してどうしようもなくクソバカなのは仕方ないし、たけしなんかは逆に全部分かってて勝ち逃げしてるからだけど、誰もこれが出るのを止められなかったのが何故なのかは気になった。 』
つまり、保毛尾田保毛男に否定的な意見にスターが集まっている。
『 僕は保毛田が大好きですww
当時、かなり笑わせてもらい」 』
以下600字くらいの文章が続く。
以下300字くらいの文章が続く。
以下100字くらいの文章が続く。
つまり、長くてめんどくさい。
『 なんかネタキャラでもクレームつくからテレビ側も作るの大変だな。文句あるなら見なきゃいいのに。」 』
『 批判する方がおかしい。こんなことに目くじらを立てていたら、表現の自由がなくなってしまう。」 』
もうあの頃のバラエティが見れないのは寂しい。」 』
しかも、そう思うボタン(いいねみたいなボタン)のクリック数が30,000以上に対して、そう思わないボタンのクリック数は4000くらい。
はてなのスター数が150くらい、NewsPicksが30くらいなので、日本の大衆の意見は、ヤフーニュースのコメント欄を見ればいいんだな。
空き時間に手っ取り早くたくさんのニュースが見れるポータルサイト、特にヤフーニュースを見るのは分かる。それは俺もやる。
さらにそのニュースに対して一言申したくなる気持ちも分からんでもない。
ただ目的と手段が反転したような、コメントをするためにヤフーニュースを開く人種だけは理解できなかった。
単にニュースに対して一言申してたのが蓄積されてるだけなのかもしれんけど。
「あの時代は良かった。今は…」という、記事とはなんら関係のないコメントがズラズラと並んでいた。
ちなみに同じようなニュースと同じようなコメントに遭遇するのは3回目で。
さすがにお前ら自分語りじゃなくて記事に即したコメントしろよとツッコミたくなって、
この俺の腹立ちを分かってくれる人もいるのかと嬉しくなった。
その時悟った。
書いてるのは暇人だとか中年だとか右だ左だとかそういう部分がフォーカスされて評価の部分に言及は少なかった。
多くの新聞社や雑誌が提携してるサイトだけあって俺のような人間も集まる。するとコメントを見て多くの人が評価する。
評価スルーされるコメントやマイナス票こそ入れど赤丸の数字が伸びるのに快感を得る。これですよ。
根は以前有吉がラジオで言ってた通り「ニュースにしか話し相手がいない人間」なんだろうけど、
そこからさらに同意集めに精を出した結果あんなことになってるんだろうなって結論が出たことによって
常駐してる得体の知れない人達の正体が(違ってたとしても)少し分かったのは良かった。
まあ明らかに主婦や夜勤なんだろうなーこの〇〇アンチしてるの△△ファンなんだなーみたいのはあるけど。
ただトゥギャッターとかニコニュースにツイッターでコメントつけたがる層はまた分からん。
あれはふぁぼやRT集めとはまた違ったものだろうしコメント欄に自分の意見が載るのが嬉しいタイプとかなんだろうか。
そこまで考えるとキリがないからいいや。
技術集団のイメージあるけど、サービスがまじでイケてないって会社って結構あるよね。
バックエンドのエンジニアが優秀でレスポンスがめちゃくちゃ速くたって、デザインが全てを台無しにするような。
インフラエンジニアが超高負荷に耐えうる環境を構築したところで、ユーザーからすれば知るところではない。
すなわち使いやすさだ。
楽天ってエンジニアは優秀な人がたくさん集まっているイメージがある。
リクルートもいろんなサービス持ってるし、エンジニアはガチで優秀だ。
1クリックで済ませるべきところを7クリックくらい要求される導線、すさまじいユーザー経験だわ。
もうなんかCSSは微塵も使っていないかのような初代HTMLデザイン系。
2ちゃんねるでレス上位1%のユーザーのレスが全体のレス数の何%を形成しているか。
必死チェッカーもどき(http://hissi.org)のデータより。
を占める。
https://anond.hatelabo.jp/20170428223646 より
Yahoo!ニュースのコメント欄、ヤフコメでは上位1%の人たちの投稿でコメントの20%が形成されている。
コメント欄にはびこる嫌韓・嫌中 ヤフー・ニュース分析:朝日新聞デジタル http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK4W63LTK4WUTIL060.html より
ファミコンを隠されたり壊されたりしていた昔はなんだったのだろうか。
あの当時のゲーム利用者に対する迫害ぶりは、今思えば異常そのものでしかなかった。
今や大人も、プレイステーション3や4、ニンテンドースイッチ、スマホでピコピコ♪とゲームする時代。
昔を想うとしんみり来る。ゲームに理解のある大人たちに囲まれている今の子供たちは幸せだろう。
圧倒的な影響力を持っていたテレビに親が洗脳されていて、昔は、びくびくしながら、そして申し訳ない気持ちを頭の片隅に残しながらゲームをしていた。
スポーツをして皆でわいわいするのが"正義"であり、それが子供のあるべき姿だとされていた、あの時代。
今は良い時代になった。ツイッターやはてな匿名ダイアリー等のSNSを上手に使えば、世論を動かせるとまでは行かないが大きな一石を投じられる時代になった。
迫害や弾圧は悪である、多様性を大切にしよう、という時代になった。
まだまだゲームやアニメ、漫画等を、昔のテレビの洗脳じみた「ゲームは悪」「アニメは悪」「漫画は悪」な"色"を引きずっている大人は少なからず居るが、そういった声は少数派になっているのを感じる。
プロゲーマーという職業が生まれ、ウメハラ や ときど といった、世界大会で優勝し、世界中で尊敬と支持を集める者が出てきて、メディアへの露出も少しづつではあるが増えていっている。
ヤフーニュースにもその記事があるが「ゲーマーなんて・・・w」というコメントに低評価と反論が大いにつく時代を、今生きている。
テレビや新聞の偏向報道の悪影響により反社会的で、堕落的趣味かのごとく弾圧や迫害じみた扱いを受けていたゲームへの理解が浸透し続けている今を見ると、そう感じる。漫画にしても、アニメにしても。
金曜日に switch を買う決意をしたが、通販はどこも定価では売り切れ。在庫が出ても一瞬で売り切れる。店頭も毎日列が出来ているのに買えないと聞いた。
周りの人たちにはスクリプトを書いて買うことを勧められたが、自分は知らない情報を知っている人を見つけその情報を利用して何かを成し遂げるのが好きなので、そうやって買うことを決めた。
ここ数週間の販売実績を確認。使ったのは主にヤフーのリアルタイム検索とtwitter。
先週ぐらいは今までに比べて少し入手しやすくなっていたようだが、今週はお盆で入荷がストップしているのか、全体的にかなり厳しめ。
セブン、ヨドバシ、アマゾン、楽天ブックスがたまに入荷しているが、数十秒ほどで売り切れている模様。
入荷情報を拾ってつぶやいてくれる twitter bot があるが、そちらが呟いた通知が届いてから HP にアクセスしてみても正攻法ではとてもじゃないが買えない。
カゴに入れることはできたりもしたけど、購入までたどり着けない。同じことを数百人(?)がやっているから当然か。
ということでこちらは早々に諦める。
7,8 店舗に電話をかけてみたけれど、入荷が厳しくなってからは再入荷出来たところはなさそうだった。
そんなわけでこっちも諦める。
この状況でも入荷実績はコンスタントに積んでいる模様。
ただし、どの店舗に入ってくるかが全く読めず、また抽選になっていることもかなり多い模様。
毎朝毎朝販売されるかどうかもわからないのに並んでいる人たちの列が出来ていて、SNS 上では怨嗟の声が溢れている。
どう考えても厳しい。
とくに今週は在庫ゲットがかなり厳しいようで並んでいた人たちに販売できなかった店舗が多かった。
ただし調べていくと、朝イチでは販売できなくとも11時とか13時とか、中途半端な時間に販売を開始(ゲリラ販売というらしい)するケースが多いことが見えてきた。
在庫が入ってき次第販売をしているのでそういうことになるらしい。
なのでこちらに目をつけた。
自分が行けそうな店舗のここ数週間のゲリラ販売の実績を確認したところ、新宿のヤマダ東口が確率が高く、かつヨドバシにも行きやすいので少しでもゲットできる確率が高まりそうだった。
(注:実際のゲリラ販売の台数や回数はわからないが、ネットに書き込まれることが多かった)
これを踏まえて今日午後から行動開始。(ちなみに行動中はずっと"switch 新宿" "swich ヤマダ" "switch 在庫"とかのリアルタイム検索を見っぱなし)
一番可能性が高そうなヤマダ東口に行ったところ、当然のように在庫なし。
次に可能性が高いヨドバシ西口に行ったところ、「今日は販売なし」との張り紙。
近くまで行ったのでヤマダ西口にも行って店員さんに確認したところ、やはりここ数日販売していないとのこと。
もうこうなるとヤマダ東口一択だな〜でもヨドバシ東口も可能性あるのかな?と思いつつ、東口に向けて移動していたところ、twitter で「新宿ヤマダで switch 販売」との情報をつかむ。(14:00)
この時点でかなりヤマダの近くまで来ていたので、そこから店までダッシュ。
店に到着してからは早歩きでゲーム売り場に行き、無事買うことが出来た。(14:02)
15分ぐらいで完売していたようなので、買えて本当に良かった。
あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな
こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど
そちらの
あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育は教育の範疇を超える」という増田の理屈は自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分の意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?
- 2「性感染症も妊娠もリスクを0にはできません」 間違った知識から卒業しよう(BuzzFeed Japan): https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/sex-ed-week-hori?utm_term=.jsjvqJPaz#.dhGglvrwx
- 3性教育の欠落で失われる、子ども達の人生(ハフポスト日本版)http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/the-facts-of-life-children_b_14278952.html
自分が意見形成の過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育=セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。
1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本の性教育」という項目があり、次のように書いている。
実は、日本の学校教育の現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育が必要」と言われるようになり、学習指導要領も改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。
きっかけは、厚生労働省所管の財団法人・母子衛生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法やピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。
この当時、国会や地方議会、マスコミを主舞台として「過激な性教育が学校でまん延している」「教室で性交渉の方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。
ここを読めば、現在の性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去の教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。
「性教育の不十分さ」の可能性については増田も自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。
次に5について。これは日本とオランダ、アメリカ、タイといった実践的教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダとアメリカの部分を引用する。
オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から、性は食事や睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます。小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。
~(略)~
このように、オランダの若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています。
○「総合的性教育(セクシュアリティ教育)」…性を生物学・心理学・社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊・妊娠中絶・同性愛は否定しません。
○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいかに重要かを教える教育です。
これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能や避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係、人権の視点と言った多角的な目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。
それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本の性教育が世界はもちろんのこと“過去の日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態で性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。
また、コンドームの仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダの出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分の
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」
が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。
そして最後に増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカの性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイトの文章も)を読んで欲しい。
アメリカの場合は特殊で、「同性愛・避妊・中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中絶主義・禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育のカリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは「性教育の過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育の限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。
ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育の限界がどこにあるのか」なんていう主観でいくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育を実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。
はじめの増田の記事に自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように
っていう、主観でしかない「実践的な性教育はセックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込むと教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。
で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
の部分に突っ込んで、「オーラルセックスの知識は必要」「オーラルセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。
それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバに言及するけど
元増田でも言ってるんだけど
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
まず自分に質問をする前に、増田は自分でさんざん挙げている「教育の範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義付けがなされなければ増田の意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育の範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバで増田が「どう読んでもお前の意見はセックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。
しかしながらそこで「教育の範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカ、オランダといった他国の性教育の例を見れば明白なように、教育者・行政者側の視点でいくらでも変わり得る「教育の範疇」に絶対的な基準などないし、もし絶対的な基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育のカリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。
ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分が質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田の
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
自分の主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスクを回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分はオーラルセックスの存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。
ただ、オーラルセックスでも性病の感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。
どうだろう、増田の意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見の提示として読んでもらえたなら幸いだけど。
2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミスや意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。
大学生の時、講義で「どうやら文科省の方で道徳が教科化される動きが出ている」っていうのを聞いた
国語も数学も道徳も同じ「学校で受ける授業の時間」だが、道徳は「教科」ではないので点数や成績をつけないし教科書も別に必要じゃない、何年生に何を教えるかも決まっていない、国語や数学よりホームルームなんかに近い存在、みたいな説明を受けた(数年前なのでだいぶうろ覚えだが)
もし道徳が教科化されたら、国語や数学のようにテストを行い、点数をつけ、通信簿に成績をつけ、他の教科みたいに内申にも影響したりするし、教える内容も自由じゃなくなる、というのも聞いた
それはまずいんじゃないか?と思っていた時、ヤフーニュースか何かで道徳の教科化の話が取り上げられ、まとめ等でも少しだけ話題になりコメントもついていたが
この「教科化」という言葉がネックだった
昔からずーっとどの学校でも道徳の授業は行われているのだが、「教科」じゃなかったものを「教科化」しようという話なのに、道徳の授業を「やらない」から「やる」ことにしよう、という意味ととらえている人が多かった
「え、今時の小中学校って道徳の授業がなくなっちゃったの!?道徳の授業ってやるかどうか義務付けられてなかったの?これだからゆとりは!道徳の授業はやるべきだ!道徳の教科化、さんせーい!!」
こんなコメントばかりで、大変だー、このままじゃ道徳の授業でテストをして点数をつけることになるらしいぞー!みたいな声はほとんど挙がらなかった
しばらくして、大して炎上もしないままつつがなく道徳の教科化が決定され、それからようやく「なんか道徳で成績をつけるらしいぞ!?」という声が挙がり始めた
増田が国会で話題にされるような時代だし、まだ話し合いの段階でネットで大大大炎上してたら道徳の教科化はポシャってたかもしれないなーと時々思う