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はてなキーワード: ミュージシャンとは

2014-09-25

ASKA歌詞はなぜ素晴らしいのか?──母音想像力試論

 ASKAの詞の特徴の一つは、複雑な比喩を折り重ねていくことにある。そうした複雑な比喩の解読については、「On Your Mark」の楽曲分析で先日書いたところであるhttp://anond.hatelabo.jp/20140924014048)。

 しかしながら、私はCHAGE&ASKAの熱烈なファンであるけれども、「比喩」の観点から歌詞を見ればASKAよりも巧者は他にもいると思っている。例えば、スピッツ。「ロビンソン」の印象派絵画を思わせる複雑な比喩を見るとASKAに少々分が悪い。では人生の機敏という観点から見ればどうか? 私の考えでは、ASKA中島みゆきに遠く及ばない。しかしそれゆえにASKA歌詞は二流であるわけではない。

 ASKAの詞はJ-POP史上稀に見る「音楽性」を持っている、というのが私の意見だ。「言葉音楽性を持っている」とはどういうことか? 分かりやすい例として、まず"YAH YAH YAH"をとりあげて、それを説明したい。

YAH YAH YAH」はYAH YAH YAHでなければならなかった

 「YAH YAH YAH」のサビは、ご存じのように、ひたすらYAH YAH YAHが繰り返されるだけであるしかし「YAH YAH YAH」という発音には極めて綿密で、天才的な直観があると私は考えている。仮に、YAH YAH YAHの部分を「ウ」でも「エ」でもよいが、別の母音に置き換えたもの想像してみると、「YAH YAH YAH」という曲そのものが成立しなくなることが了解されるだろう。YAH YAH YAH発音秘密はそれだけにとどまらない。その前の歌詞に注目する必要がある。

から一緒に これから一緒に 殴りにいこうか

 この部分を読むと、「イ」の発音が異様に多いことに気がつく。「イ」は、歯を食いしばって発声される。怒りを耐え忍ぶかのような身振りを発音要求している。そして、サビに入る時に「ア」の開放的な音に切り替わる(殴りにいこう「か」)。サビの一個手前に、このような母音ドラマが隠されている。この「イ」と「ア」の動きをYAH YAH YAHというサビで何度も何度も再現するのである。なお、「今から一緒に」の前にある「勇気だ愛だと騒ぎ立てずに その気になればいい」では「イ」で終わっているので、まだ耐え忍ばなければならずYAH YAH YAHと叫ぶことができないように発声的にも規制されていることが分かる。こうして見てみると、一見単純に見えるYAH YAH YAH歌詞には天才的な音楽直観が働いていることが分かるだろう。

先人・井上陽水

 そうした作詞法はASKA専売特許ではない。そうした作詞法を意識的採用しているのは、ASKA尊敬している井上陽水である陽水は、「Tokyo」の冒頭部分「銀座へ鳩バスが走る」という歌詞秘密を次のように語っている。

タモリ で、それを作りたいってことに、なんで銀座が浮かんできたわけ? しょっちゅう行ってるから

陽水 いや、そういうことじゃなくてホラ…、東京でね、やっぱり一曲ね[作りたいと思ってたから]。で、「銀座へ~」っていうね、あのー、人によってね、いろいろ、発音でね、取り柄がある発音とあんま響かないのがある。「銀座へ~」っていうのが、この口にすごく合ってたの。「銀座へ~」、あ、響くなあ、って。

7:00-7:40頃 https://www.youtube.com/watch?v=szB9lhaX2XY

 井上陽水の曲を聞いてみると、たしか言葉の「音」に対する独特の"美意識"があることが分かる。これはこれで、余人には真似しがたい孤高の美をたたえている。「Tokyo」であれ「Make-up Shadow」であれ、言葉に対するきわめて繊細な美意識を私は感じる。

 完全に余談だが、全世界的に流行した「Let It Go」の歌詞にも言葉の音に対するこだわりを強く感じるので紹介しておく。

My power flurries through the air into the ground

My soul is spiraling in frozen fractals all around

And one thought crystallizes like an icy blast

I'm never going back, the past is in the past

この部分は、一番の大サビに向かう、心躍る箇所だ。

歌い始めの「My power flurries through」の部分は、口をすぼめる内気な発音が多い。しかし、「the air」の所でやや反抗的な「エ」の発音がやってきて、「into the ground」で一回大きく開放的になるが、すぐに締められる。「My soul is spiraling in frozen」までは基本的にはやはり内気な発音が多い。「fractals」のところで「the air」とは別のしかたで(歌い方で)反抗的な様子を見せるが、これも「all around」の個所で一回開放的になるが閉じられる。こうした発音ドラマ最後に、「the past is in the past」の個所がやってくる。このようにして、まこと開放的で、ドラマチックな「ア」の発音がここに訪れるのである

 このように、言葉の音に対する意識世界的に存在する。しかしながら、日本語は、世界の様々な言語と比べても「母音」の割合が非常に多いという特徴をもっている。日本ロックミュージシャンたちはこの母音に苦しめられてきたのだ、と言っても過言ではないだろう。そこで例えばサザンは子音に着目した。サザン日本語における子音の可能性を大きく拡張したミュージシャンとして評価することができる。しかし、ASKAあくまで「母音」の可能性にこだわったミュージシャンであると私は考えている。日本語本来の特徴が「母音」にあるのだとしたら、その「母音」を徹底的に活用したのがASKAである

話をASKAに戻すと……

 こうやって私が言葉の音に対して敏感になったのは、チャゲアス音楽を聴いてからだ。ASKAは、まず歌唱からして、母音を強調している。これは良くも悪くも「古さ」を感じる歌唱であろう。母音を強調する歌手として、例えば尾崎紀世彦布施明を挙げることができる。彼らの歌唱には「昔ながらの情念」を感じる人が、とくに若い人になればなるほど多いのではないだろうか。一方、母音を強調しない歌手小田和正歌唱にはそうした「古さ」を感じることはないのではないか。母音は、本能的な部分に訴えかける、ほとんど呪術的と言える原始的な力をもっている。しかし、それを真に受け止めるためには現代はいささかシャイなのだ、というのが私の持論だ。母音とは、一種の「ますらをぶり」であるASKAは「ますらをぶり」のシンガーである

 私の見立てでは、ASKA母音から歌詞構成する方法意識化したのは、だいたいシングル「WALK」以降である。「WALK」より前の曲には、母音に対する美意識を見出すことが難しかった。逆を言えば、WALK以降には母音に対する鋭敏な感覚ASKAの曲に感じる。国民シンガーCHAGE&ASKAが出来上がったのは「SAY YESであるが、「SAY YES」と同レベル作品を量産できるようになったのはだいたいシングル「WALK」の時期からだ。一つ一つ楽曲分析をして証明をすることもできなくはないが、それをするとなると、ちょっと本格的にやらなくてはいけない。そこで、ASKAの曲の中でも、母音の使用がもっとも素晴らしいと思う楽曲を一つ見てみることにしよう。「はじまりはいつも雨」だ。

全てが奇跡的な「はじまりはいつも雨」

 「はじまりはいつも雨」はASKAソロの曲だが、チャゲアスVer.も残されている。私の一番好きな音源であるhttps://www.youtube.com/watch?v=5mzj72QxrYo)。

 「はじまりはいつも雨」は、メロディー歌詞の二つが複雑なハーモニー形成しており、決して不協和音をつくっていない。母音の使用法も極めて洗練されている。しかしながら、冒頭から母音分析をはじめても感覚的に分かりづらいと思うので、もっとも分かりやすいところから見てみよう。それはサビの終わる所である

はじまりはいつも雨 星をよけて(一番)

失くした恋達の 足跡(あと)をつけて(二番)

はじまりはいつも雨 星をよけて ふたり 星をよけて(大サビ

 まず気がつくのは、これら全ての終わりが「エ」で終わっているということである。仮にこれを「エ」以外の音だと考えてみよう。すると、この曲自体がぶち壊しになることが分かると思う。「ア」だと少々なさけない感じがするし、「イ」はやや幻想的になるかもしれないが悲痛な雰囲気も漂いそぐわず、「ウ」はそこで完結してしまい、「オ」では重すぎる。ここは「エ」でなければならない。暗い街中に消えていく複雑な余韻は、ここでは「エ」によってしかつくることができない(なお、似たような曲として井上陽水「帰れない二人」があることを指摘しておく。また、ASKAは「はじまりはいつも雨」を作る時にその曲を意識していると私は考えている)。

 さて、この曲における母音もっとも美しいと思うのはサビに入る前の「誰よりも 誰よりも」という箇所だ。J-POP広しといえども、このような「オ」の大胆な使い方をして、それが成功をおさめている例を私は他に知らない。この箇所は「ア」と「ウ」でも成り立たないことはない。しかし、「ア」だとあまりに開けっぴろげで楽観的すぎるし、「ウ」だと少しストーカーのようないやらしさを感じる。ここはやはり「オ」でなければならず、「オ」という少しくぐもった母音によっていささか内気な青年の、胸の奥底からやってくる高鳴る期待が的確に表現されていると私は考えている。言葉の「意味」ではなく「音」によってこんな複雑な操作をできるシンガーソングライターが今どこにいるだろうか? たいへん残念なことに私はASKA以外に知らない。

 他にも「はじまりはいつも雨」には美しい母音が色々ある。例えば「今夜君のこと誘うから 空を見てた」の「と」の遠慮がちな「オ」とその後にメロディーとともに上を見た時にある開放の「ア」であったり(綺麗な夜空を見て嘆息つくような場景が思い浮かびます)。こういうことは言いすぎると野暮になることかもしれない。とりあえずは「はじまりはいつも雨」を聞いていただきたい。それから、「Say Yes」や「no no darlin'」などのチャゲアス名曲から美しい母音たちを集めて、それぞれ言葉の音を解釈してみるのも一興だと思う。

2014-09-24

音楽は最高だよ。

ギターを作った人たちは偉大だよ、本当に。ありがとう

ギターで心に響く表現をしてくれるミュージシャンたちも本当最高だよ。

ありがとう本当に。この世に音楽があって私は救われています。本当にありがとう

ギターの音が大好きだよ。とにかく大好きなんだよ。それだけで生きてる価値あるよ。って死にそうになったときに思った。

2014-09-17

高収入キモオタから見ると「女性貧困」は役者志望の「貧困」と同じ

役者とかミュージシャンとか芸人とかで売れることを夢見ていつまでもバイトで貧しい人いるじゃないですか。彼らにつまらないけどまあまあの待遇定職とか紹介しても「今は夢を追いかけてるから貧しくても拘束される仕事ダメなんだ」ってなっちゃうから、貧しいから公的に助けようってならなくて、あえてそうしてるからほっとこうって扱いになるじゃないですか。

自分の周囲のアラサー高収入キモオタ童貞(的な人)が貧しい女性と接触する機会が稀にあるけど、ほぼ確実に「キモオタマジキメーwwwお前とだけは死んでもないわwww」的な扱いなんだよね。もちろんこんな失礼な感じじゃなくてもっと丁寧な言い方や態度だし、裕福な女性からもまったく同じ扱いなんだけどさ。

なので、メディアに出てくる「女性貧困」の人たちって高収入キモオタから見ると「貧しくても高収入キモオタ童貞妥協せずフツメン以上を目指す」って態度なわけで、それは「貧しくてもつまらない職に落ち着かず役者を目指す」と何が違うんだろうと思うんだよね。夢を追いかけてあえてそうしてるんだからほっとけばいいじゃん。

書いてて思ったけど「ブラック企業でも選り好みせず就職しろって言うのと同じ」みたいなコメントがつきそうだなー。

2014-09-14

最近邦楽ミュージシャンはなぜファンに近づこうとするのか

好きなミュージシャンであるほど、天の上にいて、カリスマ存在であってほしい。

SNSでファンと交流なんてしないでいてほしい。

2014-09-11

歌い手という呼称元ネタ松山千春

こないだ某歌番組過去のトーク集見てたら松山千春が「尊敬するミュージシャンというか歌い手?は亡くなった美空さんだろうな」

って言ってた。

ひょっとしたら?

2014-09-01

このコミックスタイトルがひどい

ちょっと柏崎美紀」という名前でググってみてもらいたい。おそらく、その姓でこの名前をつける親は今後いなくなると思う。それはリテラシー問題としては、まあいいだろう(ちなみに百度でその問題は起きなかった)。

問題は今だ。「柏崎」姓で「美紀」さんという名前は、それほど奇異な組み合わせではなく、ひとりやふたりではないと思う。であるにもかかわらず、就職などに際して雇用者求職者名前検索するというようなこの時代に、この会社編集者は何を考えているのだろうか、それとも何も考えていないのか、瑣末な問題と気にも止めなかったのか、あるいはワニマガジン社にそういう名前の人がいて、一種の自爆芸のつもりだったのだろうか。

そりゃ、ヒロイン名前が「阿散井美紀」とか「日番谷美紀」とか、あるいは「柏崎鬱魅(うつみ)」とか「柏崎鏖虚(じんこ)」だったら、あまり気分は乗らないだろうとは思う。名前キャラクターにとっては重要な要素であるリアリティのためにも「"実在しそうな名前"を持つ架空キャラクター」の創造のために腐心する。フジキドケンジ」はいいとして「ヤモト・コキ」はどう考えてもおかしいだろあれはそういう芸風だけど。その結果として、ハーレムラノベ主人公自分と同じ名前ラッキー?な人がいたり、現実で嫌っている人と同じ姓の恋愛ゲームヒロインが見た目は好みとかだったりとかい悲劇が発生するわけだ(某軽音4コマ主人公たちの名字実在ミュージシャンに由来してるそうだが、個人的にはちょっと…)。そういうことは何かしら起こりうる。「骨川スネ夫」はなかなかのセンスだと思うが、すべての創作がそういう発想になるとあまりにも。

話を戻そう。そのキャラがその名前というのは、そう、ある意味では仕方ない。別の名前だったとして、また別の人とかぶるだけだ。"書名"にしたのがなによりまずかった("書名:『◯◯◯』、初出は『COMIC失楽天』掲載の漫画柏崎美紀の…」"なら、まだこれほどのことにはならなかったように思う。せめて雑誌掲載時で止めておけば――だからもはや"手遅れ"なのだが……)。公にその書名で刊行すれば、こうなる、ということは予測してしかるべきだろうに、いったいなにを優先したのだろう? 未必の故意による検索汚染とでも言おうか、こういうことにも配慮できないと、かえって規制圧力が強くなっていずれ「○野A美」みたいな名前しか使えなくなるんじゃないかな、という気がする。

もちろん、どこかの雇用者がその検索結果を見て、自分会社求職者がそういう性癖の持ち主である、などと誤解するような可能性はないと思う。では「現実漫画の違いがわからないはずはない、実害はないだろう」って? どうだろう。からかいネタにはなりそうだし、そもそもある女性自分名前エゴサーチしたら「自分名前性的倒錯行為を行っている内容であろうことを容易に予測させる男性向け成年向けコミックの書名(=男性的な欲望の一種の表現)として検索結果にずらっと並ぶ」というのは、その女性平穏人生を送る権利侵害のように思える。ひとたび刊行された以上、改題でもしたとて旧版の存在は残る。検索ポータル申し立て、主だったところで排除してもらうしかないのだろうか。不確実だし、それにその申し立て、その労を本人が負担しなければいけないのか?(そういえば同姓同名問題は「忘れられる権利」でも悶着があるなあ)

おそらく今回にかぎらず、そういうタイトルは今までもあったのだろう。しかしその時代GoogleTwitter情報拡散力はどうだったか。「現代」の社会というもの適応した、相応のタイトルというものを考えるべきだった。今後もしばらくそスタンスでいく必要があるだろう。表現の自由と個人の権利は、本来どちらかがどちらかに優越しているというようなものではなく、等しく認められるべきものだが、その利害が衝突した場合に、やむをえずいずれかを優先しなければならなくなるということはありうる。個人的には、今回のような"衝突"で「どちらをより配慮すべきか」と問われることがあれば、答えはひとつしかない。

2014-08-20

「わたしたに許された特別時間の終わり」

久しぶりに映画を観てきた。

タイトルは「わたしたに許された特別時間の終わり」

10代で脚光を浴び、プロミュージシャンを目指すも、結局日の目を見ることはなく27歳で自殺した彼と

彼を慕う後輩の日常を写したドキュメンタリー映画

ストーリー性もメッセージ性もない映画ではあったが、いろいろ感じるものがあった。

多くの若者が夢を持ち、ほんの一握りの人間成功を収めるが、その他ほとんどの人間はいくつかの失敗や挫折のなか夢を諦め、代わりの生きがいを見つけてその後の人生を生きていく。

ただ、彼には音楽けが生きがいで、なかなかうまくいかない現実のなか、鬱になり、それでも音楽が好きで、弱りきった状態でも、辛い思いをしながらも、魂を擦り減らしながら最後まで夢を追い続けた。

他人自分から見ると、とても幸せ人生だったとは思えないが、最後の両親のインタビューを見て、彼は最後自殺という選択を含め人生の選択を1つも間違っていなかったようにも感じてしまった。

自殺は100%間違っている」

「残された人の気持ちを考えて」

「親より先に死ぬほど親不孝はない」

そんな意見をよく目にするし、自分もそう思っていたけど、世の中って単純に「正しい」「間違っている」で区別できないものだらけで、自殺についても「間違っている」の一言で片付けていいほど単純なものではないと初めて思った。

彼は彼なりに人生を生ききった。長さとか、死に方の問題じゃないし、

自分は生きることの目的は「幸せになること」「人生の一瞬一瞬に喜びを感じること」だと思っていて、多くの人にとっては「成功すること」だったりすると思うけど、単純にそれだけじゃなくて、、、

ブライアン・ジョーンズ

ジミ・ヘンドリックス

ジャニス・ジョプリン

ジム・モリソン

カート・コバーン

死後の世界があったとして、彼らはあの世で後悔しているのかな?

2014-08-16

自意識バカやろう!

主にルックスの面で惹かれている男性モデルミュージシャン

TwitterInstagramをどうしてもフォローできない。

ステキすぎます♡」とかコメントしたいのになあ…

用途別にアカウントはいくつか持っていて、

ミーハー発揮用を想定して始めたアカウントもあるのに、

自分キャラ基本的趣味からすると、男性モデルフォローとか

乖離があり過ぎて、恥ずかしくて無理だ。

こんな意味のない自意識から解放されたい。

2014-08-05

モテキなる映画をいまさらながらに見たわけだが

昨年のテレビ録画を消化。

エロい映画なのかと思ったら、普通に面白い映画だった。

ただ世界観わからん

ライブとかフェスとか音楽関係サイト編集とか、ツイッターから出会いとかそれで連絡つけて会うとか、三十路過ぎてママチャリ通勤とか、部屋の壁一面に生活必要ないけどなんかないと死んでしまう気がするけど実際棄ててみるとなんともないCDとかマンガで埋め尽くされたネストとか、いい歳こいた年齢なのに仕事場の仲間とマンガにでてくる大学生コンパみたいに盛り上がれるとか、あれどこの世界日常なんだよマジでとか思いました。

背広組みがいないとよくわかんないよねー。

恋敵役がミュージシャンじゃなくて、エリート商社マンとか、最年少で一部上場果たしたとこの若手社長とか、もう少しわかりやすアイコンの方が肩入れできたかもしれんなー。

エミネム自伝映画とされる8Mileみたいに、なんかすごいしなんに感動してるのかわからないんだけど胸がいっぱいにはなるが、一息いれてから思い返すとやっぱりよくわからない感じで終わるのがツラい。

2014-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20140730130429

自分が目指してるもの、自信があるものに関して

自分を上回る才能を目の当たりにした時は確かにショック受けるけどさ。

俺は別に映像作家ミュージシャンアニメーターも目指してないから

ニコニコのすごい作品見ても「すごいねー」で終わるけど。

増田はなんかそういうの目指してんの?

まぁ、目指してるにしてもそんなボンヤリ嫉妬してるからには

全然前に進めてないよね。多分、ろくに手も動かさず

「才能の無い自分は…」とかってイジケてるだけだよね。

まぁ、クリエイターなんて99%はモノにならずに終わるから

ある意味合理的な判断だけどね。

2014-07-22

割れについて

ゲーム動画音楽など、違法アップが後を絶たない昨今

違法アップを無くすには、やはり徹底的に取り締まっていくのが一番だと思う

次々と逮捕者が出てくれば、辞める人も増えるだろう

あとは、CMなどで違法アップされたものダウンロードしたり視聴したりすることはいけないことだということをもっと告知するべきだと思う

悪いことだという認識のない人もかなりいると思う

有名ミュージシャンとか、有名映画監督か使って、バンバン周知させるべきだと思う

ミュージシャン出会った

新宿を歩いていたら、ミュージシャン路上ライブをしていた。

話をすると、初めて路上ライブをするという。

頑張ってほしい。

2014-07-18

about CGM

 消費者が作るメディア

じゃあ、消費者って誰よ?メディアって何よ?

消費者って、ソフトウェア初音ミクを」などの購入者ユーザーイラストレーターでもフォトショップでもいいんだけど。

メディアって、音楽動画画像ソフトウェアなんだろうね。

消費者じゃないじゃん。製作者じゃん。そりゃ、大工もトンカチ屋さんからすれば消費者なんだけど、普通製作者でしょ。

家とか作るんだし。

ミュージシャンも、楽器メーカーからすりゃ、消費者だろうけど、製作者ってイメージのほうがよっぽど強いよね。

飯が食えるかどうか、プロアマかは別として、作ってるんだったら製作者だろ。

日曜大工趣味人間製作者っていうイメージは弱いけど、単純な消費者じゃないよね。

ディアゴスティーニとかを買って作る人は製作者じゃなくて消費者だろうけど。

キットを作ってるだけなら消費者かもしれない。プラモデルとか。

そこに改造を加えていくような人は、単純な消費者っていうイメージが薄れていく。

設計図の通りに塗装する人はどう扱えばいいかわからないけど。

アニメのワンシーンをジオラマで再現してるような人は、製作者じゃないかな?

たぶん、「『消費者』が作るメディア」っていう言葉の「消費者」という言葉

そこに強く違和感を覚えて気持ちが悪いんだろうな。

2014-06-27

JASRACみたいな問題ある機関大事作品著作権管理を丸投げするミュージシャンは何を考えているのか

まあ何も考えてない(考える能力またはやる気がない)んだろうけどさ。

音楽をいかに金にするかというビジネス面がいちばん重要で難しいのに、歌や演奏が好きなキリギリス達はほとんどが他人に丸投げ体制。それで金が入ってこないとか文句を言う。

クリエイター側が変わっていかんとそら状況改善しないですよ。

逆に言うとそこまでやる覚悟がないならプロになるとか言うな。お前らが戦犯なんだよボケ

2014-06-17

BLOGOS-ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ(柴那典) は間違っている 〜アベノミクス時代音楽、そしてミスチルのこと〜

http://blogos.com/article/88464/
「ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ」という文章を読みました。
強い違和感を覚えたので備忘録代わりに書き残しておきたいと思いますBLOGOSコメント欄だと字数が足りないので。

 

柴那典氏(@shiba710)の文章は間違っていると思います
理由は以下の三点になります

 

まず第一にアベノミクスが将来への希望を本当にもたらしているのかという疑問があります
消費税増税過去の景気状況から国民が景気に対し、継続した右肩上がり希望的観測を持てるとは思わないからです。
加えて失業高齢化原発等、解決しない社会問題も山積する上、庶民不安はむしろ拍車がかかるのではないかと思います
まり人々は楽しさや楽観という価値観のもとに生きていないのではないでしょうか。

 

第二に日本ミュージシャン特にメインストリーム)は"カナリア"のような存在ではないということです。
これは楽曲への批判ではありませんが、翼を広げ瞳を閉じ桜舞い散る季節の中で君に出会えたキセキを歌うJ-POPには時代が反映されることはなく、それを許されてもいません。
時代を反映する曲を歌うということはつまり楽曲がある種の政治的側面を帯びるということです。
現代日本人にとって音楽政治性とは最も嫌うものです。よって必然的時代性(政治性)は排除され、似たような要素を持つ楽曲が量産されることになります
日本ではSex Pistolsの「Anarchy in the U.K.」もGrandmaster Flash and The Furious Fiveの「The Message」のような楽曲は生まれないでしょうし、また生まれてもチャートの上位に入ることはないでしょう。

そこから導ける結論としては、J-POP日本音楽の特徴はむしろ時代を反映しない」ことにあるのではないでしょうか。
現在楽曲10年前、20年前とを比較してそこに主題テーマ)の大きな変化はあるでしょうか。
せいぜい電話ポケベルLINEメールに変わったくらいで、その根本は大した変化はないというのが実情ではないでしょうか。

「いいくらし」「ええじゃないか」等、氏の挙げる楽曲はどれもJ-POPスタンダード、「励まし系」の枠を超えるものでもないと思います
これらの楽曲時代必然性を見い出すことははっきり言ってできません。
当然それが悪い訳ではありません。繰り返しますが楽曲の善し悪しとはまったく別の話です。
日本のポップミュージックの作り手は、時代の空気を先端で感じている“カナリア”のような存在ではないのです。

 

第三に「ミスターチルドレンがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」という考察が完全に間違っています
氏はその代表例として「マシンガンをぶっ放せ」を挙げています
本当に「ミスチルがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その「マシンガンをぶっ放せ」は彼らの代表曲であるべきです。
しかし、一般人ミスチル代表曲を挙げてみて欲しいと質問しても「マシンガンをぶっ放せ」と答える人が果たして何人いるでしょうか。
せいぜい「イノセントワールド」か「Tomorrow never knows」か「シーソーゲーム」くらいでしょう(最近なら「しるし」や「HANABI」かもしれません)。

マシンガンをぶっ放せ」は、出せばミリオンを達成できた時代に唯一100万枚を割ったシングルです。
加えてその曲が収録されたアルバム深海』は前作『Atomic Heartから100万枚もセールスを落としています

私はそもそもミスチル現代社会の閉塞感を曲として昇華し、それを「売り」にするバンドだとは全く思っていません。

仮に100歩譲ってそのようなバンドだったとしても、本当にその「閉塞感」とやらって「共有」されていましたか

ちなみに氏の言う「時代の閉塞感を内面化させていたミスチル」のセールスは、CDバブルに沸く世間とは対照的に見事なまでに右肩下がりでした。
アルバム『Q』は遂にミリオンを割ります

 

しかし、仕切り直し的な意味を持つベスト盤とそのツアーを挟んでの次作、『IT'S A WONDERFUL WORLD』で彼らは文字通り“蘇生します。
世の中のCDセールス頭打ちになる中、セールスは前作から50万枚も回復するのです。
このアルバムからミスチルメロディーは「ポップで王道的に」、歌詞は「前向きな内容」になり、彼らの得意分野であった「ラブソング」が完全に復活します。
ものすごく簡単に言ってしまえば「ハッピー」な作品になります

以後、今日までの彼らの方向性はこの延長線上にあります
嘘だと思ったらアルバムクレジット欄を片っ端から調べてみて下さい。前作『Q』まで二転三転してきた制作環境スタッフが、このアルバム以降基本的に統一されます
この事実意味するものは、この『IT'S A WONDERFUL WORLD』からバンドが目指す方向性が「確立」されたということです。
しかも氏の言う「時代の閉塞感を共有する」とは真逆の方向で。
その後の活躍は説明するまでもないでしょう。氏の方がご存知ではないでしょうか。
さて、本当に「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のでしょうか?

 

改めて見てみましょう。
00年代に売れたシングルは上から順に「四次元」「Sign」「youthful days」「しるし」です。
ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その楽曲社会批判的な世を憂う内容のはずです。

自分を信じたならほら未来が動き出す/ヒッチハイクをしてる僕を迎えに行こう」(「未来」)

「傷つけ合う為じゃなく/僕らは出会ったって言い切れるかなぁ? /今 分かる答えはひとつ/ただひとつ/I love you/and I love you/and I love you」(「and I love you」)

「繋いだ手を離さないでよ/腐敗のムードをかわして明日を奪うんだ」(「youthful days」)

ダーリンダーリン/いろんな角度から君を見てきた/共に生きれない日が来たって/どうせ愛してしまうと思うんだ」(「しるし」)

一体このどこを聴いたら「時代の閉塞感を共有している」などという言葉が出てくるのでしょうか。
楽曲の内容は至って前向きなものか、もしくはラブソングの括りに入るものかと思います

 

本文の「終末のコンフィデンスソング」に関するミスリードも目を覆いたくなるような酷さです。
本文では「たまに不吉な夢見るんだよ/走っているのに進まない/ひょっとしたら実際に起きてることを夢の中で知らせるメタファーかも」という歌詞のみ引用されていますが、この曲の結末部分はこうです。

「今僕らの目の前で起こってること/楽観も悲観もなく/ちゃんと捕まえたら/足元に落とした視線を/上にあげ/胸を張れ!」

なんと前向きで力強い、ハッピーエンドな曲なのでしょう!
しかもこの曲が収録された『SUPERMARKET FANTASY』というアルバムリード曲「エソラ」に象徴されるような、とても「カラフル」で「楽しさ」を前面に打ち出したアルバムなのです。

 

今まで挙げた事例を見て頂ければ分かる通り、残念ながらミスターチルドレンは氏の望むような「ポップソングを通じて閉塞感を共有する」音楽活動は行っていないようです。
仮にそうであったとしても「ポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」ことは一度もないのは明らかです。

 

このような基本的事実を踏まえずして「アベノミクスで失われた20年は終わった!これからは楽しさを共有する時代だ!ミスチルという閉塞感を共有する時代の一つの終わりだ!」とか炎上目的ゴシップ誌の見出しのようなことを得意げに抜かすのが、私が日頃愛読している「musica」という音楽雑誌関係の深いのライターの方なのです。
私は情けなくて仕方ありません。これが「プロ」の書く文章なのでしょうか。
ちなみに同じ筆者が書いた「なぜBUMPは「国民バンド」になれないのか」という記事も酷いものでした。
願わくばこのような暴論を振り回す音楽ライターが、私の敬愛するミュージシャン音楽に関わらないでくれと祈るばかりです。

2014-06-05

Twitterでの男オタのキモさ、女オタのキモ

いやまぁ、どっちもオタクキモいで終わるんだけど、なんか男のオタクと女のオタク全然違う気持ち悪さがあるなぁとtwitter見てて思います

○共通していること

妄想を垂れ流すヤバイ人が割といる→変な設定のbotかいるじゃないですか。

・しなくていい他ジャンル批判→(例)「下手なミュージシャンよりジャニー○の方が上手い」

○男に多い

性的衝動ストレート表現→(例)「シコ」「援交してそう」

モテないことを用いた自虐

・○○してみた!っというのでイラスト以外も多い

・グッズを集めたことを自慢

・発言におけるテンプレの多用

・女とみれば特攻玉砕、そしてなぜか批判

キャラ性的に支配する(メロメロで股開くetc)妄想

○女に多い

微妙に変な愛情表現→(例)「耳が孕む」「はぁ○○可愛過ぎて(○○過ぎて系)」「(変な叫び声と顔文字)」

恋愛モテを諦めたような発言をしつつも時折彼氏存在をちらつかせたり取り巻きにかまって発言をしたり

・○○してみた!はだいたい美化したのかホモォみたいなイラスト(時々コスプレ)

・グッズを無駄に買ってなぜか取引を始める

母音オタ女特有顔文字の多用(銀魂の影響?)

微妙馴れ合い、対他クラスタ時の無駄な団結力

・好きなキャラなら何しても「はぁ○○、××過ぎて…」

まだある気がするけど

2014-05-30

大学院修士2年。幸いにも就職先は決まっている。あとは1年弱研究活動を続け、修士論文を書き上げるのみである

誤解を恐れつつ言うと、修士論文は半分努力賞みたいなものである。それなりにまとめれば学位が取れる。自分もたぶん、何ににも到達しないまま、それなりに修論をまとめてそのまま大学院を去って行くのだろう。しかし、それがどうにも悲しく、悔しい。研究に脂が乗って来そうなときに、研究を終えてしまうのだから

ならば博士後期課程に行けばいい、という話であるしかし、経済的余裕があるわけでもなく、博士から先の道を切り開けるとも思えない。熱意があれば、というのは理想論だ。研究さえできれば飢え死んでもいい、とまではさすがに言えない。

博士から先はほんの一部の才能を持つ者だけが食える世界だ。ミュージシャンと同じであるしか音楽アマチュアでもできる。PC一つあれば曲が作れる時代だ。研究はどうだろう。人文科学理論系だったら、個人でも研究し続けられるかもしれない。しかし、実験系は無理だ。今でも何千万か知れぬ高級な装置を使ってデータを取っている。それを個人レベルでできるとは到底思えない。

今でこそこんなことで管を巻いているが、大学院を出れば研究の続行を諦めるのだろう。そして、身の丈に合った慎ましい生活を送るのだろう。分かり切った話だ。しかし、今このとき研究への思いを、このまま手放してしまっていいのだろうか? それが分からない。

2014-05-20

SIer問題点別に技術の問題だけじゃない

http://d.hatena.ne.jp/zyake_mk2/20140518/1400418070

この手の問題何度も議論にあがりますね。

SIerは潰れる。技術力ないから。それ以上の議論に発展できない。

これが技術屋かと、そう馬鹿にされる原因ですね。。

Sierの方がおっしゃっておりますが、これは技術の問題ではないです。

マネタイズの問題です。

そもそも技術生産性)が単体でお金に結びつくものではない


掛け算になってしまます

コミュニケ力(Int) x 技術力(Int) x 活躍できる場所/場面/カルチャー/運(Boolean)

なんですよ。

綺麗なアーキテクチャを、更地から立てて、クラス設計DB設計で100倍の生産性を発揮できる場所

しかもしれが、膨大な案件の受注と結びついて、ぶんぶん力を振り回せる場所

COOKPADとかたまにしかないそんな陸。

まずその場所がないです。ほとんどはぐちゃぐちゃなどっかのSIerがすでに荒らしまくった土地

その土地の上にものを立てないと行けない。決められた納期責任という名の不明瞭なものに包まれて。

まず、これらの利益関係の調整から入ります

(参考)電通博報堂は丸投げで中抜きしかやらない 

   http://www.open.sh/entry/20140505/1399275679

   →COPYWRITERSBLOG:本当に「電通博報堂は丸投げで中抜きしかやらない」のか

    http://copywriterseyes.hatenablog.jp/entry/2014/05/05/232146

アメリカでも西海岸のアーリーベンチャーではない金融系のSI

プロセスを重視しますし、新しい技術をこぞって使ったりしません。

日本と多分あまり変わらないと思います

indexとかと一緒で、生産性を100倍のエンジニア活躍出来る場所って限られます

そういうエンジニアが、100倍生産性を発揮できたので、100倍効率よく仕事がそもそもない

楽器むちゃちゃうまくたって、曲がなければ演奏の機会がない

楽器むちゃちゃうまくたって、曲がかけないと、音楽が売れず、

有名な人の下で、バックミュージシャンとして活躍するしかない。

それと同様です。

自分で、プラン描いて、技術持って、グイグイ巻き込んで、それぐらいできて

ようやく生産性100倍で給与も100倍とかは目指せるでしょうがね。

難しいですね。。

2014-05-19

違法薬物に対する厳罰主義と実害最小化主義について

リベラル理性的コメントが優勢な「はてな」ですら、違法薬物については俗っぽい厳罰論が優勢なことに私は驚いている。

ヨーロッパオーストラリアでは、違法薬物に対して厳罰主義ではなく実害最小化主義(Harm Minimization、適切な訳語が見つからないので私の感性に基づいて直訳した)の姿勢をとっている。発展途上国シンガポール韓国などの開発独裁国、ならびに日本は厳罰主義であるアメリカ合衆国中間ぐらいだ。実害最小化主義は即ち危険害悪の元を絶つことは不可能であるから、それらが存在しうる前提で実害を最小限に使用という試みであって、性風俗産業コンドームを配布するとか、薬物使用されうる繁華街などで使い捨て注射器を配ったりするとかがそれにあたる。なお実害最小化主義においても、違法売春の元締めや違法薬物の流通に関しては極めて厳しい罰則が定められている。したがって違法薬物の使用者弱者であり守られるべきであるが、それらを食い物にして金を儲ける奴はけしからん、というある種の優しさからくる社会正義に基づいているといえる。賛否両論はあるだろうし偏見に基づく価値基準であることは否めないが、ヨーロッパ諸国発展途上国のどちらが人類最適化された社会システムを持っているかは、少なくとも私にとっては疑いの余地がない。日本先進国として実害最小化主義に軸足を移すべきである。「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」なんて全くナンセンスであって、人間価値覚醒剤の使用で毀損されるほど不安定なものではない。「間接的に反社会勢力の資金源に・・・」とかいう話は置いておくならば、他人に何ら実害を与えていない違法薬物使用者極悪人のように仕立て上げて報道するのは間違っている。

モルヒネ前後不覚になって職務遂行不能であったならともかく、社会生活に支障の無いリラクゼーション・ユースの覚醒剤使用で逮捕された校長先生作曲した校歌を変える、チャゲアス楽曲が使われているテレビ番組現場が騒然、とか全く的外れもいいところである。それならば全員ヤク中、それもMDMAなんていうヤワもんじゃない、皿に山盛りのヘロインとかコカインパーティーやりながらレコーディングしていたMiles DavisJohn Coltraneが作ったアルバムなんて完全に発禁だし、現代音楽も基になるバークリー音楽理論なんてそいつらが発展させたようなもんなんだから違法薬物抜きには語れない現代商業音楽作品は全て発禁だ。

そもそも私はモルヒネヘロインなど「狭義の麻薬」を使用するのはやめた方がよいと思う。しかMDMAのような穏やかで感染リスクのない覚醒剤や、身体依存の全くない大麻と、合法である酒やタバコを仕切る境目に合理性を見いだせない。後者薬理作用の他に食品嗜好品としての味わいがあるが、大半の使用者はこれらを薬物として摂取している。なぜか問題にされないが、特に飲酒害悪は恐ろしい。加害者がそれなりの社会的立場を有している場合喧嘩セクハラなどは大半が飲酒による酩酊のせいといっても過言ではない。覚醒剤使用で懲戒免職なら、飲酒して他人に絡んだら懲役実刑ぐらいじゃないと釣り合わないと思うぐらいだ。

からASKAとか槇原敬之とかミュージシャンが薬やってたって騒ぐことじゃないし、「やまとなでしこ」も「ホテル」も再放送で観たいし、大麻くんは大野やってないよ。

勢いで描いたので多分に偏見引用が不十分な部分があることは自覚しています。「アスカ覚醒剤を教えたのはチャゲであって、チャゲは「残念です」とかコメントしてる場合じゃない、自分黒幕のくせして。見た目的に。」ぐらいの偏見で書いてる。ごめん。

2014-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20140517163805

僕も、いままでいろんなミュージシャンが捕まってるのを見るたびに、そー思ってたんですよ。

今日までは。

思い入れがあればあるだけ、割り切れないもんですよ。

ロジックで説明がつかないんだよね。

2014-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20140516145011

社会の役に立つもんなんか研究する気はゼロだけど

大学社会の役に立つと思ってるから

それでいいじゃんね。

そもそも研究者大学ってのはお互いに利用しあう間柄で、

一体じゃないってのを理解していただきたい。

俺は俺の研究のために大学行政企業スポンサードを利用するし、

そいつだって慈善事業でやってるわけがないんだよね。

お国の役に立て」みたいなクソネトウヨうざいわ。

研究者なんてライブハウスライブやってるミュージシャンみたいなもんだよ。

好き勝手やってるだけ。

2014-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20140511172920

この理屈だと小説家消費者だよな。

言語体系から自分で作らんとダメか…。

ミュージシャン消費者だよな

音楽技術理論体系は誰かが作ったものだし

楽器だって誰かが作ったものだ。

くりえいてぃぶであるということは難しいなぁ

2014-05-03

専業アニソン歌手本業歌手Mステに出ても問題ないが他はお茶の間が凍りつく

お茶の間ドラマ主題歌CMソングとそれとは別の話題のミュージシャンとかアイドル枠だとジャニーズとかAKB48きゃりーぱみゅぱみゅ位までなら

多分許容しているだろうが、アニメソングお茶の間が凍りつくと思う。

Mステに限らないが、PV深夜アニメの少し卑猥アニメキャラ達が歌って踊るシーンは見てて不快感を持たれる恐れがあるというわけだ。

今度の件ではうたプリラブライブなんかが当てはまるけど、正直言ってアニソンベスト10に続々入るようになって久しい。

ただ、それだけである

他の人にとってはどこかで聞いた事あるなぁって曲ならともかく全く聞いたことがない上に、深夜アニメに対してまだまだ認知度が低く、酷い場合はそれらが有害図書であるかのような

認識でいる人達さえいるわけだ。PTASの子供に見せたくないアニメに未だクレヨンしんちゃんランクインしている所を見ても当然だろう。

それとは別に往年のアニソン歌手などは昨今見られるようになったが、それは今のテレビ業界の年齢層を反映しているかである

本業歌手は昨今アニメとのタイアップが実現しての主題歌担当なので、元々歌手でそれが売れればMステに出られてもおかしくないだろう。

問題は架空アニメキャラクターだ。

こういったアニメキャラクターやその中の人Mステに出されるべきだろうか。

まず声優だが、子供ないし大きなお友達の夢を壊す事になるであろう中の人の出演はNGである

林原めぐみ曰く「(本業の)声優は裏方に徹するべき」なのだから、本来は出演されるべきでない事は明白だ。

次にアニメキャラクターに関してだが、例えば初音ミクであればどうだろうか?

Mステでさえも海外でもその留まる事を知らない人気を無視できずについには出演となったが、それは海外邦楽ファンの意見を容れた結果であり、

決してアニソンアニメキャラクターが容認された、というわけではない。

調査の結果、子供に見せられるアニメキャラクター(ゲーム音楽含む)だと認可されたための出演だったのである

初音ミクのように海外でも無視できない人気であれば、アニメキャラクターを出演させることが出来るかもしれないが、

問題のうたプリラブライブムーブメント局所的であり、日本以外ではまず話題に上る事はないだろう。

ともかく今の邦楽オワコンなので、苦肉の策で今後本業声優アニメキャラクターが歌って踊る時代が来るやもしれないが、

そこまでしてMステ番組存続を図る位なら本当に終了した方がまだマシである

美味しんぼ

美味しんぼに対する批判は山ほど見たが

普段反原発とか言ってるミュージシャン文化人は一切触れてない感じだなー

擁護してる有名人上杉隆wくらいしか思いつかん

同じ反原発言ってるなら何がしかアクション起こさないとダメじゃないの?

同じ反原発立場でもあれはおかしい、差別ににつながると考えているなら批判しないといけないんじゃないの?

反原発の人ってなぜかみんな差別にも敏感に反応するじゃない?

その点擁護を表明した上杉隆姿勢(だけ)は偉いわ

無視を決め込んでいるのはいけないなぁ

そんなんだからこいつらあからさまにダブスタって思われて信頼を失うんだよ。

2014-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20140424013417

クリエイティブになりたい!エンジニアになりたい!デザイナーになりたい!建築家になりたい!ミュージシャンになりたい!

職じゃなくて、作品で語ろう。

はてなCTOです(キリッ

より、

匿名ダイアリーはてな記法デザインしたのは私です(キリッ

のほうが、

1億倍かっこいいだろう?

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