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はてなキーワード: タブーとは

2020-06-10

anond:20200610090127

ロリネタにしてるのも沢山いるんじゃないの?

そんなオタク掃いて捨てるほどいるし

youtuberなんて元々不謹慎系とかも存在するくらいだからその手は最後まで残るでしょ

世間一般で完全タブーとなっても残ると思うよ

2020-06-09

拉致ってどうしようもないけど、どうしようもないとも認められない

まあ最悪の状況だよな

普通に考えれば、従北非難すらされるムンジェインですら現状まともに対話できてないんだから、アベだろうが志位だろうがアントニオ猪木だろうが、現状では日本のどこの誰であれ対話なんてまず無理だろう

韓国日本最初から相手にされてなくて、どうにか対話してる感があるのは自分より明らかに強いアメリカ中国ロシアぐらいだ

そもそも「対等な立場対話する」という概念自体あの国体制には存在しないのかもしれない

黒電話一族だけなのか、そもそもあの民族全体がだいたいあんな感じなのかは知らんけどさ

で「帰ってきたらいいね」というだけなら誰もが言うんだけど、そのための方法なんかないし、正面から主張だってできないから、もういろいろと詰んでるんだよな

前述の通り対話は向こうが全然相手してくれないし、圧力は足並みが揃わないし、丸山穂高ばりに「戦争以外無理なんじゃないですか」とか言おうものなら世間からボコボコにされるし、かといって「もう返すわけないかあきらめましょう」つったらそれはそれでフルボッコの目に遭う

どうしようもないのにどうしようもないと認めることもできず、助ける気なんか実際のところ全然ないのに、それを口に出すのだけは強力なタブーになっている

そういうわけで一番マシなのは「とりあえずアメちゃんに頭下げて消極的努力してますポーズを取りつつ被害者家族が死に絶えるのを待つ」という選択肢になる

誰もがそうだとわかっていても、それも堂々と言えやしない

最悪だ

anond:20200609071250

冷静に説明してくれているが、少しポイントがズレていると思う。そして、そのズレはなかなか問題だ。議論の根幹に関わるので、少し丁寧に説明する。

内心の自由があるよ」という趣旨擁護論は、おおむね「●●なんて取り締まれ!」「そんなこと考えること自体犯罪」という無茶な主張に対して、「内心の自由保障されている(だから取り締まりは無理だし、考えること自体犯罪ではない)」という意味で述べられるのであって、「内心の自由保障されている(だから俺の妄想を常に全開にしてオッケー)」という意味ではない。仮に後者意味で述べている人がいるとすれば、それは確かにダメな人なので諄々と諭す必要があるし、あるいは盛大に自爆するのを待って(法に触れる書籍なりを出版するのを待って)粛々と取り締まればよいが、あなた文章表題の「内心の自由はない」という言い方は前者を含めた否定論に聞こえてしまう。あなた説明するとおり、実際に法で取り締まるというのは無理筋なのであるから過激批判から見ればあなたもまた「内心の自由はあるよ」論者に見えているはずだ。そして、実際にそうだ。過激批判からすれば、あなた憲法19条による内心の自由保障されると述べているわけで、彼ら彼女からすればこれは「児童性愛擁護する」ものに見えるだろう。(あなたはただ憲法19条趣旨説明しているだけであるにも関わらず、だ。)そういう状況を踏まえた上で、

児童性愛擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。ネット規制を強く主張しているような人たちへの想像力と、家庭内での性的虐待に関しての知識が足らない。

という言い方は、これはやはり言い過ぎだと思う。あなた発言対象が広すぎるのだ。性的虐待サバイバーへの配慮を求める気持ちは深く理解できるが、それは、普通に認められる人権を不当に制限する行動に加担する理由にはならない。

それから

同性愛社会的認知されつつあるが、児童性愛犯罪でなくなることは、人権という概念存在する限り、ありえない。古くからタブーである同性婚人権意識の発達とともに社会的に受け入れられてきたのに対し、児童婚はその逆だ。前近代問題視されていなかったものの、近代化が進んだ結果禁止されてきた。人権意識の発達にともない、未成年者の判断能力の欠如が問題となったため、未成年者の婚姻権利恋愛権利契約権利などが制限されることになったからだ。

この部分も、歴史的文化的に見れば、必ずしも正しい説明ではない。「人権意識」によって「未成年者の判断能力の欠如が問題となった」というのは、論理的に言っておかしいし、それにそんなことを言ったら、児童権利条約など成り立たなくなってしまう。正しくは、「人権意識」の発達によって、肉体的、精神的、あるいは性的搾取される社会構造に対する批判が高まった結果、特に犠牲になりやす立場人間が立ち現れてきた、ということに過ぎない。そこに線を引いたのは人権意識であるが、あらかじめそこに差があることを前提とする物の言い方は適切ではない。聡明あなたなら、この違いは理解できるだろう。この二つの見方の違いは、次のような帰結につながる。

(前者・誤)「児童が劣っているから、保護管理してあげることにした(ゆえに)児童活動等の権利制限されるのが当然だ」

後者・正)「児童犠牲になっているから、様々な活動制限をかけることにした(ゆえに)大人とされる人の一部の行動には規制がかかって当然」

私は後者立場に立つ。児童権利条約等が立っているのもその位置であり、前者でないことは明らかだろう。私はあなたの「児童の~恋愛権利~などが制限される」という言い方に深い危機感もつ制限されるのは「大人の行動」の方であり、「児童権利」ではない。そこにこだわるのは、「児童権利制限できる」というあなたの物の言い方に、上に書いた〈憲法無視した規制論を述べる人〉と同様の危うさを感じるからだ。

実在児童への性的虐待はもちろん問題だ。それは厳しく罰されるべき行動である。当然のことだ。

だがしかし、そこで規制されるのは「大人不法行為である。「大人の内心」ではないし、「児童権利」でもない。少し厳しい言い方をすれば、「児童」は一部の方の管理保護する「お人形」ではなく、一個の人間である。「児童のため」「子ども安全のため」を掲げて、児童権利制限大人の内心を規制しようと主張する人々は、「児童」を自分に都合のいい人形として、手元に抱え込んで扱うことができると考えているように見える。「自分児童代弁者で有り保護者であり管理者であり、児童を守る自分言葉は全て正しく自分に反対する人間児童虐待なのだ」と。そういう考え方は、思想信条制限をかけたい(まさに、大衆自分人形のように扱い、管理保護監督したい)人々に、非常に利用されやすい考えであり、それは大変危険なことだと私は憂慮する。

そもそも私は、「大人児童搾取する」行動は、もっと厳しく取り締まられるべきだと考えている。「子どものため」との言い訳の下で行われる搾取は、時には関わる大人児童両者ともそれを虐待意識しないケースも多い(たとえばステージママ学校にもロクに行かされないアイドル志望少女のように)。だが、それは明らかに搾取であり虐待だ。法に定める義務保護者に課せられる、教育を「受けさせる」義務)に反した(大人の)行動であり、それは厳しく取り締まられなくてはいけない。

からこそ、実在児童に対して行われているそれらのリアルな「虐待」を放置しておいて、心の中で妄想しているだけの人のその妄想自体問題視し、存在自体が病であり罪であるかのようにあげつらう物言いには違和感しかない。みんなが手の内の「児童人形」の話をしている。そんな状況で、「実在被虐児童」を救うことができるのか? それでもあなたは「家の中で妄想する人の妄想」を取り締まることが、「実在被虐児童」を救うと主張するだろうか。

十二国記の謎と次回の短編集について、勝手に予想し、語る。

初めに

私は一介の十二国記ファンである中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。

記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈思い入れにも立ち入るかもしれない。

記事のおおよその内容

十二国記の今までの流れ。

十二国記シリーズ外伝を含め、次の順に出版された。

物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟視点から見た世界よりも、庶民から見た世界比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆レジスタンス物語であり、それがさら大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。

もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベル出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。

しかし、「丕緒の鳥からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理世界で生きる人々へのエールとなっている。

まり、これから尚隆や陽子視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。

十二国記で一貫してきたテーマは何か

前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。

十二国とはどういう世界

十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。

天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。

しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上奴隷だっている。

そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。

言い換えると、天は王と官吏農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会形成してきた。そして、この世界民衆ルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たち世界大統領首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たち世界鏡像なのだ

今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。

それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。

十二国記女性

十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠出産からの「解放」だ。女性苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観女性に優しい。王も麒麟官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSFフェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。

しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界セックスワーカーがどれほど過酷生活を送っているか不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。

考えてみれば、官吏女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である育児負担こちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。

それと、生理問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。

天帝女性

天帝女性、または西王母兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから天帝西王母より偉い理由別にない。

十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋空想だ。

天帝ラスボス

考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝ラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。

だが、もともと中国道教死生観がそういう面がある。「救急律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国役人賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。

そして、自分天帝ラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。

結論

私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。

また、

そして、長編がありうるとしたら

と考えている。

おまけ1 奏が滅びるとしたらどのような形か

しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。

王朝最後はいくつかの傾向がある。一つは陽子暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実検討する能力に乏しかった。

で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らししろ、という趣旨台詞がある。

これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しか御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険ものはない。ああいう仲のいい家族崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。

おまけ2 「王気」という言葉について

「王気」という言葉一見すると単純な造語であるしかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。

おまけ3 四令門の名前

黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。

おまけ4 「戴史乍書」の記述はなんであんなにそっけないのか

十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人お話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。

また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。

最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力行使可能麒麟がいるとか、かなり危険情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。

おまけ5 登場人物名前元ネタ

楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝盗賊活躍するピカレスクロマンである文人肌の楽俊とはだいぶ違う。

桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。

祥瓊の父の字は仲達で、三国志諸葛亮ライバル司馬懿と同じだ。雁の白沢瑞獣名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国官僚文人たちから名前が取られている。とはいえ名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い

おまけ6 遵帝はなぜ「帝」なのか

「帝」という称号始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである

しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。

語彙だけではない。現実中国文化には、周辺の異民族との交流からまれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートキルトではない、ズボンパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界匈奴西域の影響の薄い中国文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。

おまけ7 景麒の角の文字

十二国記アニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。

終わりに

つらつらと書いてしまった。

残念ながら、小野不由美の他の作品との比較検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。

積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。

そして、次回の新刊のんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語物語を完結させてくださり、ありがとうございました。

子供性的にみる内心の自由はない

ブコメたちが内心の自由を持ち出してフェミニストに激昂しているが、それはいかにも筋が悪い。憲法19条保障されている内心の自由は、国家が内心に干渉することを禁じる規定で、私人間では適用されない(三菱樹脂事件最高裁判決)。店に張り出された「犬とロリコン立ち入るべからず」は合憲だし、児童性愛内心の自由正当化することはできない。

法規制が入ってくるとまずいけど、それこそ憲法19条に反している。憲法改正しないと法規制作れないし、そもそも現代民主主義国家内心の自由保障していない国はないので、児童性愛者向けの法規制現実的考慮すべきリスクではない。

そもそも現代日本で思想改造とか予防拘禁とか言っている人は、何らかの強烈な個人的体験から強い信念を持っている人が多い。

幼少時に性的虐待を受けた人は一般男性が考えるよりずっと多い。児童相談所が対応した件数だけで1700件。報告されてない被害件数考慮するために、大人性的事件の報告率の14パーセントを使うと、発生数は年に12000件となる。7歳から17歳までの女児はだいたい500万人くらいだから被害率は0.24パーセント子供10年間で被害に遭う確率は、のべ2.4パーセントだ。女性の四十人に一人は未成年時に性的虐待を受けていることになる。

幼少時に性的虐待を受けた可能性がそれなりにある人たちに向かって、別に本人たちが興味があるわけでも、知識があるわけでもない、児童性愛擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。ネット規制を強く主張しているような人たちへの想像力と、家庭内での性的虐待に関しての知識が足らない。

同性愛社会的認知されつつあるが、児童性愛犯罪でなくなることは、人権という概念存在する限り、ありえない。古くからタブーである同性婚人権意識の発達とともに社会的に受け入れられてきたのに対し、児童婚はその逆だ。前近代問題視されていなかったものの、近代化が進んだ結果禁止されてきた。人権意識の発達にともない、未成年者の判断能力の欠如が問題となったため、未成年者の婚姻権利恋愛権利契約権利などが制限されることになったからだ。

犯罪を好む特殊性癖を持っている人たちの権利擁護したいのであれば、自分言葉が多数の性的虐待被害者を傷つけることを理解した上で、それでも主張したいことを、十分に勉強した上で注意深く主張すべき。同性愛児童性愛の違いがわからないような人が、内心の自由とかを振り回しても害にしかならない。

2020-06-08

anond:20200608210300

現実問題として、男女には給料格差があるし女性出産後のキャリア継続男性育児参加は難しいのが現状なので

それに適応しようとすると「夫が稼いで妻が専業主婦」が最適解となるのでそうしているが

本当はシステム側を男女平等にして欲しいと思っている、って人は増田の中には存在しない事になってるんだろうか。

ランドセルの例えであれば、「本来男児が赤いランドセルを選んでも支障ないと思っているが、実際に選ばせると浮いていじめられる可能性があるので選ばせない親」ってところか。

現在、黒いランドセル女児は全く珍しくないが男児に赤いランドセルは今でもタブー化されているのでこういう例えにした)

芸術知識人の多くが軍事暴力を過剰なくらいタブーとしていることには同調できない

抑止力は理性ではなく経済力を含む力であり戦争侵略は背景に利害関係があることをあえてみていないような物言いにモヤっとする

なんか根暗不細工ってそのうち

障害者と同じような扱いになりそうだな

見世物小屋がなくなったみたいにタブー化しそう

テレビから不細工芸人三枚目俳優も消え去って

おっさん友達家族間で自らのハゲビール腹を明るくネタにすることも禁止される

自虐禁止容姿や体型への言及禁止

どんな世の中になるんだろう

2020-06-07

そういや同人ディズニータブー伝説ってもう完全に無くなったのかな

KHの時はKH同人誌は印刷しませんって印刷所多かったけど

ツイステはOKなんだろうか

2020-06-06

anond:20200605114324

アメリカでは肥満の人が声を上げた。メディアガリガリに痩せた人たちだけを理想の美と扱うことに関する反発が多数発生した。

極端な例を挙げると、InsatiableというNetflixドラマがある。これは主人公であるティーンエイジャー女子肥満で虐められていたがダイエットを頑張り「美しく」なり、かつて自分バカにしてきた奴らに復讐する物語である。このドラマ肥満バカにしている(fat shaming)である批判され議論を巻き起こし、失敗には終わったがchange.org23万人に及ぶ放送制作中止の署名が集められた。

アメリカ多民族国家であり複数人種がいるため見た目で相手判断することが(少なくとも良識のある人々の中では)タブーとなっている。日本と違い、履歴書写真要求してはならない。相手容姿を褒める時にも注意を要する。「肌が白くてキレイですね」なんて公の場で言ってしまうと大変な目にあう。みな違ってみな美しいという前提で過ごしていかなければならない。

まあその結果あそこまでブクブクと太った人だらけになっているのはそれはそれで問題でもあるのだが、容姿いじりという観点でいけば日本よりも多少は過ごしやすい部分がないこともない。美の基準日本のように単一ではない点も良い部分はある。

もちろんアメリカはまだまだクソだ。ティーンエイジャーは残酷でありスクールカースト日本より酷いものがあり、毎年のように学校での銃乱射事件が起きておりスクールカースト底辺者が反乱を起こすのは風物詩のようになっている。

日本人はここ数十年抑圧されることに慣れてしまった。中国人天安門事件の後はおとなしくなったのと同じように。一揆や打ちこわしは上等であり、パールハーバーには突っ込むし、学生運動もするし何でもしていた。テロ国家テロ民族であったのにサリン事件以降はすっかり黙る民族となった。自分卑下することが美徳とされ、芸人自虐をすることが面白い立場をわきまえろという圧力が強い。

不快感は示すべきだ。不快感を示すことから全ては始まる。しか不快感を示したら何かが変わるというわけではない。アメリカを見ろ、みんな自信満々だが何も変わっていない。難しい問題だよまったく

2020-06-04

男性器は誰でも言っていいのに女性器を言うのはタブー

これって差別なのでは?

みんなで女性器を日常的に言っていけば50年後くらいには男性器も女性器も同様に話せる日が来るかもしれない

からまずは増田民から女性連呼活動を始めていこうぜ

2020-06-03

政治宗教野球の話はタブーって言うけど

安倍がしてるのは政治じゃないか安倍の話はOKだよね

2020-05-28

世界的な芸能人中国批判しにくい理由

ローカル芸能人ほど中国批判やすい。

しかし、ちょっとでも海外進出したりすると途端に中国批判できなくなる。

ハリウッドなんかもう完璧中国批判タブー化してしまった。

いちいちその仕組みを解説するのも釈迦に説法なのだが、トランプ悪口バンバンいえる。

しかし、トランプSNS規制するぞと言っても、中国はもうすでにそれの比ではないレベルでやっているのだ。

からトランプが良いというわけではない。

しろ逆。

トランプは叩かれてもカエルのつらになんとやらだが、中国は過敏になってる。

どちらに批判が効くのか考えてみればわかるだろう。

から中国セレブたちが団結して批判したら、香港に対する圧力は相当緩むのではないかと思う。

トランプを叩く力の半分でいいか香港を守ってほしい。

政治好きだがもうはてな政治カテ見たくない

だって合わないし、展開が読めるから

営業トーク政治タブーなのは分かってきた

お互いに知識や信頼がないと討論にならない、ただの平行線になる

2020-05-26

もう何も言えない時代になった

匿名掲示板でも誹謗中傷するのはタブー

近頃の正論常識を盾にして他人攻撃する時代は終わったんだよ。資本主義の鳴りの果てさ。

俺たち人類は上の段階に進む時が来た。

今こそパラダイムシフトだ。

1人1人が持つアイデンティティ生き方マイルール

多種多様価値観を誰も否定はできない。

だって正しいことなんて何ひとつとして無いんだから

他人批評して安心するのが当たり前の物事を斜めから見てる俺カッケー見たいのは逆にダサいぞ。

俺は違う 誰のどんな言葉にも耳を傾ける

決して真っ先に否定なんてしない

たとえ俺を否定したくてたまらない奴らに標的にされても俺は動じない。

何故なら彼等が何に怯えているか知っているか

彼等は馬鹿にされたり劣等感を感じるのがとてつもなく怖いんだ。

から先に攻撃して上に立たないと安心できない。

それじゃあ人に嫌われても仕方ないよね。

anond:20200525234934

誰得かと言われたら俺得だな

実際の近親者が好きなんじゃなくて、インセストタブーを犯させてる背徳感がいいんじゃよ

2020-05-25

anond:20200525153145

政治の話はタブーと言うかほとんどの人が関心が無かったし

LGBTキモがられるか、ただ笑われる変人扱い

韓国は「それってどこにあるんだっけ?」で

中国アイヤー中華料理しか知らない時代だったのでだいぶ違うよ

あと当時は基本的に全員敬語だったか

それだけでかなり雰囲気違う

2020-05-24

覚悟のない芸能人Twitterをするな

前置きとして強く言っておくけれど、誹謗中傷を行っていた連中を擁護するつもりは一切ない。

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女子プロレスラーの(おそらく自殺と思われる)死亡に端を発し、芸能人に対するあまりにも多い誹謗中傷非難の目が向けられている。

それに伴い「芸能人Twitterやるのキッツいんだぞ」といった話も、芸能人からあがるようになってきた。

しかし、「培ってきた圧倒的な知名度」を用い、「マネージャー等の第三者が間に入って反響フィルタリングを行わない体制」を作った上で

活動しているのは他ならない自身選択だという前提を置き去りにしないでほしいと感じる。

名がコンテンツの一部である芸能人が、その名義でアカウントを作る以上はTwitter上の活動業務であり、

前述の活動方針でやっていくと決めた段階で「高い発言力・拡散力に比例する反発の大きさ」は織り込むべきリスクに入っていなければならない。

それができていないのは営利事業としての不備だと思う。

事業としての」対応策はある。本人以外のTwitter担当者を立ててアカウント運用すればいいだけだ。実際にやっている例もある。

人件費負担という場合は、事業の規模感に見合っていないリターンを、リスク承知で望むのかという「選択」の問題になる。

どちらにしても事前に検討していなければならないことだ。

「じゃあ芸能人個人Twitterしちゃいけないのか」という話には、

芸能人の名義を用いずに利用すればいいだけなので何も問題はない。

仮名や名義の使い分けはTwitter上で当たり前に行われていることであり芸能人自由を阻害することにはならない。

そういった環境の中で、あえて芸能人当人が手ずからTwitterアカウント運用するというのは「そういうこと」なのだと、

確固とした覚悟を持つ必要があるのではないか

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「人死にの事実」は人から冷静さを奪い、盲目的にさせ、タブーを生み出し、感情的な言説を押し通してしまう。

志村けんも"死んでしまった以上は"「趣味の夜遊びが原因で、本人側にも落ち度があった可能性はないのか」という追求はまったくできなくなってしまった。

本件も「誹謗中傷を行なった連中」という揺るぎない悪が設定され、

死者の側に・彼女所属している組織に・炎上の原因となったコンテンツ制作者に落ち度はなかったのかという話は感情封殺されつつあるように見える。

現代インターネットに求めるものではない・諦めるべきことなのは重々理解しているが、それでも感情支配された世界はおそろしく思う。

後にも重ねて強く言っておくけれど、誹謗中傷を行っていた連中を擁護するつもりは一切ない。

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っていう話をTwitterでは怖くて書けないからここに書いた。

2020-05-22

接待麻雀という選択肢があっていいよなあ

これ、同年齢の女記者だったら性接待以外ないわけじゃん?賭け麻雀だけしてハイ終了とはいかんでしょ。男だから賭け麻雀ですんだわけで。

生殖可能相手生殖タブーとされる仕事フィールドにいるってのがもう、致命的にバグなのでは。

2020-05-20

anond:20200520074321

最近話題ヘテロセクシャル男性原罪論、ようやく出どころが分かった。

そういえば性に関するタブーを犯した者を徹底的に追い込む件についても、信仰に基づく動機も含まれている可能性があり、人から止めろと言われて彼の行動は止められるようなものではないという話を目にした。

単なるフェミニズムイデオロギーから出発している人の方がよっぽど妥協点を見つけやすい。

2020-05-16

anond:20200516113328

単に圧力団体タブーがもうひとつ増えただけのことをアップデートがどうたらこうたらと殊更自分たちけが特別みたいに言うから余計な反感を買うんだよなあ

発達障害とは結婚しない

お腹の子ダウン症だと判明したら堕ろす

前者はタブーとされ後者はもはや一般常識と化してるけどこの二つで一体何が違うのか真剣に教えて欲しい

下らない感情論は無しね

2020-05-15

はてな年寄りが多い

政治の話なんて、「興味ない」か「安倍でいい」が若者の9割で、安倍拒絶反応があるはてなを初めてみたときには驚いたものだ。

それとはてブ説教臭くて、それでいて卒アルの寄せ書きは白紙のような連中がイキっている不気味さがある。

はてな村」というより「部落」という印象で、文字通り「穢多」感がある。

2chではボランティア活動慈善行動が住民自身の手で行われたが、はてなでは一切そういったことがないのは、そういう意味では納得する。

>>ボランティアじゃなくて報酬出てるんだよね?

話がずれているかもしれないけど、アフガニスタン募金学校作ったりとかああいうのね。

2chボランティアについてはリンク先を参照

https://bit.ly/2Z74mvn


>>この文章を書いた人間が本当にろくでもない人間という事を自らアピールしているのが、年寄り臭いはてなよりよっぽど解らない。どういうつもりでこれ書くの?

なんかこの文章読んでちょっと自分良心的なものが痛んだよ。部落とか穢多って実際に結構キツイ言葉みたいだね。

鳥取ループが『部落地名総鑑』なるものデータ公開して、それを佐賀高校生印刷して、友人に見せたが反応が薄くてメルカリに出品した出来事を思い出した。その高校生は、『部落地名総鑑』をちょっと高値がつく古本みたいな認識だったようだが、私の部落系に対する認識もその程度のもので、創価学会在日とかなんかタブーとされるものという認識しかない。

穢多」だけど、字面的に「汚れいっぱい」で、はてブ安倍ちゃんを罰するような異様な雰囲気がそれに思えた。個人的には第三者罰は貧者の娯楽で、なんか沢山の人が安倍リンチしている様が、穢多死刑執行や皮剥の異様な雰囲気に似ていたように感じた。実体の人を殴ったりしているわけではないから、血で血を洗うおぞましさみたいなものが実感できないのかもしれない。戦争無人戦闘機ゲーム感覚で人を殺せるような感じかな。

あなた文章を読んで良心が痛んだんだけど、はてなにどっぷり浸かっていると、そういう感覚麻痺しそうだ。

あと、2ch自分たちがろくでもないことを自覚しているというか……穢多というより、お調子者のクソガキといった印象。

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