はてなキーワード: 思想改造とは
日夜様々な場所で監視を受け少しでも抵抗すれば拷問による思想改造か処刑される
そんな毛沢東もポル・ポトもスターリンもおったまげな極・共産主義&全体主義の国にて、人間が虫のように潰されゴミのように廃棄される救いようのない物語だ
で、中流以上の人ほど人権はなく、下流は死ぬまで働かされるが欺瞞の中で楽しみを得て暮らせてるわけだが
「労働層のご飯」という意味合いのコレは、チープなジョークに文字通りのパルプ・フィクション、粗悪アイコラじみたポルノの総称なワケで
下流の労働層は日々の激務をこれで紛らわしながら、低湿なメシとあんま身体によくなさそうな合成アルコールをあおって生きている
このプロレフィード、実は作中の政府が「下層の人間にはこの程度でええやろ(鼻ホジ)」と適当に作ってるブツだが
その作り方は「なんか機械をポチポチしたり、適当に打ち込んだら、機械が勝手に考えて色々と映像や文章が生えてくる」というものだ
そう!生成AI!それはまるでChatGPTで書いたなんかそれらしい筋書き、Stable Diffusionで作った微妙に不自然なエロ画像、ディープフェイクのバカ動画にAIのべりすとの人権侵害三文小説だ!
未来はすでに予測されていたんだ、ジョージ・オーウェルによって
となると、今の日本はオセアニアか?いや、アジアだからイースタシアか!
となると、俺たちを監視するBig Brotherはとっくに実用化してるかもしれねえ!少なくとも、嫌いな物に憤る三分間憎悪はネットに溢れてるしな!
日本の愛国者、、っていうかアメリカやイギリスもそうだけど、生産性は左翼以下だよね。
例えばLGBT、インバウンドなど多様性社会に向けて稼ぐビジネスいっぱいあるのに、右翼的なビジネスなんかある?旭日旗のTシャツか嫌韓の出版物しか思い浮かばない。
結局分断と保守は資本主義、現代国家との相性は最悪で、極右の目指した理想郷は言わば北朝鮮の建国神話ベースの全体主義国家だよね。
自分は台湾出身なので、中国の政治状況を常に観察してる。それで日本のネトウヨと中国の粉紅はかなり似てるとわかった。
粉紅の大金持ちも勿論一定数いるが、ただ全員例外なく農村生まれ、大学同等かその以上の学歴がなく、狭いコミュニティに依存する傾向がある。
また、一定した法則性のあるものが好き、権威に縋りやすいのも特徴。
なぜリベラルな世界観に生きてるのに、自ら思想信条を縛ろうとするのか、、ネトウヨはまさに不思議な存在。
ちなみに個人は粉紅が嫌いだから、メンタリティは粉紅と瓜二つのネトウヨもかなり無理、、想像した謙虚な日本人像とは全然違うから、尊敬できる要素ゼロ。
薄っぺらい感傷主義、なんでも人のせいにしがちなところも、Qアノンかネオナチ以上に気色悪い。
例:沖縄のレイプに関しては米軍側に付くとか、明らかに女性嫌悪、マイノリティ差別という目的で、右翼をあくまで手段として利用してる感がすごい。
ちなみに日本が先進国になったターニングポイント、近代だと大まかに明治維新とGHQの思想改造だと思うけど、前者は反体制で後者は旧帝主義に対する否定、改革だった。
どっちも保守的イノベーションとは言えない(ていうか保守的イノベーションなんてあるかが疑問)、ただ現代の日本社会にとってはこの二つの事件ともに不可欠であった。
最後に質問なんだけど、右翼はなんで自分のことを愛国主義者って言えるんだろう?そしてみんなの思う愛国主義者はどんな人なのか?
韓流なんかはやたらと掃いて捨てるほど日本の情報で溢れてるんだが、
それに対して中国の文化が入ってこないのは本当に不気味なんだよな。
また韓国の漫画なんかも、ネット広告に入っている漫画は韓国系が多いと聞いて、
なるほどなんか変な雰囲気やノリだと思っていたがあれは韓国系だったのかと得心するとともに、
ああいった韓国漫画系は韓流のような日本の広告宣伝ラインには決して乗ってこないというところも不気味だ。
さて、前置きはさておき。
ウィキによるともう2016年くらいから始まった文化のようだ。
こんなに中国が世界を席巻しておいて我が国ではこんな一文程度ですら解説を多くしなければ理解できないほど中国文化が人口に膾炙されていないのかと感じる。
「1990年代に生まれた若者の一部の、受け身、無関心で、高望みをせず、世間を冷めた目で見る生き方」といった現状があるのか。
「下の世代の子供を養う必要があるとともに上の世代の両親の面倒を見る必要のある集団であり、それに家賃が加わる場合もあり、
そのため生活上のストレスが大きく、喪文化に染まりやすい集団」
人民網は喪文化を「精神のアヘン」と批判し、喪文化の流行がもたらすマイナスの影響を警告し、その背後につきまとう文化の侵食を警戒すべきとした。
また中華民族の精神を発揮して、挫折や失敗には、後ろ向きに対応して喪文化の際限ない蔓延を許すのではなく前向きな態度で対峙するように述べている。
中国青年網は、人生において失敗や挫折に遭遇するのは必然であり、だれにとっても避けられないことであって、
喪文化による逃避は実際の問題をまったく解決できず、歪んだ価値観を形成するとする。
前向きに対応すれば、困難に打ち勝ち、人生の進む先を発見し、人生の理想を実現することができるという。
また中国青年網は、中国の若者は喪文化に抵抗し、中華民族の偉大さの復興にむけ戦うべきだとも述べた。
これが実に中国の真骨頂で、思想すら中国共産党が"指導"していくということだ。
…こういう部分が、日本のマスコミ等々が中国文化を紹介することを躊躇う一因であるのかもしれない。
何のことはない。
復旦大学の経済学博士、林采宜は、喪文化は名誉や利益を求めず、自らの身を大切にすることを提唱しており、
道教文化の体現であって、功利が重視される現代社会への一種の解毒剤だと考える。
澎湃新聞の曾於里は、喪文化の生まれた原因を考え、現代の若者が「喪」に走るのは、彼らが進取を嫌がるからではなく、
かつて成功を求めようとしたにもかかわらず、現代社会の競争の厳しさなどのさまざまな問題によって成功しなかったためだと考える。
幾度もの失敗と挫折という打撃を受けたために彼らは喪文化の受容層となったという。
ある意味、中国という国家の「鬱病の初期症状」なのかもしれないな。
これを抑圧すれば、パッと見社会という名の会社に一時的には復帰できるかもしれないが、
ひとたび「壊れた」ら、全治数十年は見積もらなくてはならないのかもしれない。
まあそれは脇においといて。
中国という国は爛熟期から衰退期にかけて大抵宗教が王朝の転覆要因となってきたが、
21世紀の現代においては、若者文化においてこうした概念が普及することで、
ところで、利路修である。
例のリアリティーショーは、スマホも取り上げて隔絶させるのか。
まあいろいろ"ノウハウ"が蓄積されているんだろう。吐き気がするな。
私生活まで「カネ」に変換させられ、やめれば巨額の違約金。奴隷だなまさに。
家に帰りたい、疲れた、ってことか。
これはまだまだ日本の検索では一切ヒットしない概念のようだが、
若い連中は夢に向かって将来に大きな、バクダイな期待があると思うからこそがむしゃらになって夢に邁進する。
楽しくてしょうがなく、強烈な使命感があるからこそ、あらゆる努力が全て自発的にでき、またエネルギーが生まれてくるのだろう。
だって新コロがなければ、オリンピックの延期なんてなかったし、延期がなければこんな騒動も起きなかったんだからさ。
だいたい、この騒動自体がどうにもこうにも気持ち悪すぎるからな。
一体、どうしてしまったんだ?
やっぱりさ、少しおかしいぞ。
なんか森さんを責めてるやつとかおかしいじゃん。
森さんみたいな老人を強制収容所に収容して思想改造するべきだ、とか言い出すようなやつばっかりじゃん。
いやいやいやいや、森さんなんかより明石家さんまのほうがよっぽどヤバいですよ!
こういうやつはさ、戦中に生きていたら、あいつは非国民なことを言っていた!、いやあいつのほうがもっと非国民だ!非国民!とかって他人の言論の揚げ足をとってチクリ・密告、お手のものだったのじゃないかな?
まあ、あれだよ。
古い言い方でいうと因果応報。
基本的に表現の自由とか言論の自由は統制されるべきである、ということでしょ?
いや、そういうことではないよ、とかいうかもしれないけど、そういうことだよ。
そういう方向へと、世の中は向かっていくべきである、という思想の持ち主だよ。
そこはさ、わかっていませんでした、知りませんでした、では済まされないよ。
ブコメたちが内心の自由を持ち出してフェミニストに激昂しているが、それはいかにも筋が悪い。憲法19条で保障されている内心の自由は、国家が内心に干渉することを禁じる規定で、私人間では適用されない(三菱樹脂事件最高裁判決)。店に張り出された「犬とロリコン立ち入るべからず」は合憲だし、児童性愛を内心の自由で正当化することはできない。
法規制が入ってくるとまずいけど、それこそ憲法19条に反している。憲法改正しないと法規制作れないし、そもそも現代民主主義国家で内心の自由を保障していない国はないので、児童性愛者向けの法規制は現実的に考慮すべきリスクではない。
そもそも、現代日本で思想改造とか予防拘禁とか言っている人は、何らかの強烈な個人的体験から強い信念を持っている人が多い。
幼少時に性的虐待を受けた人は一般の男性が考えるよりずっと多い。児童相談所が対応した件数だけで1700件。報告されてない被害件数を考慮するために、大人の性的事件の報告率の14パーセントを使うと、発生数は年に12000件となる。7歳から17歳までの女児はだいたい500万人くらいだから、被害率は0.24パーセント。子供の10年間で被害に遭う確率は、のべ2.4パーセントだ。女性の四十人に一人は未成年時に性的虐待を受けていることになる。
幼少時に性的虐待を受けた可能性がそれなりにある人たちに向かって、別に本人たちが興味があるわけでも、知識があるわけでもない、児童性愛を擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。ネットで規制を強く主張しているような人たちへの想像力と、家庭内での性的虐待に関しての知識が足らない。
同性愛は社会的に認知されつつあるが、児童性愛が犯罪でなくなることは、人権という概念が存在する限り、ありえない。古くからのタブーである同性婚が人権意識の発達とともに社会的に受け入れられてきたのに対し、児童婚はその逆だ。前近代は問題視されていなかったものの、近代化が進んだ結果禁止されてきた。人権意識の発達にともない、未成年者の判断能力の欠如が問題となったため、未成年者の婚姻の権利、恋愛の権利、契約の権利などが制限されることになったからだ。
犯罪を好む特殊な性癖を持っている人たちの権利を擁護したいのであれば、自分の言葉が多数の性的虐待被害者を傷つけることを理解した上で、それでも主張したいことを、十分に勉強した上で注意深く主張すべき。同性愛と児童性愛の違いがわからないような人が、内心の自由とかを振り回しても害にしかならない。
20☓☓年の日本ではクリエイターの権利は神聖不可侵のものとされていた。日本のコンテンツを海外に売り込もうという政府の意向と、表現の自由を最大限にしたいというクリエイターおよびそのファンの願望が合致したのである。保守派の議員が表現規制を推進しようとした時代はとうの昔に終わり、いまや与党の中枢は表現の自由戦士で占められていた。
刑法が改正されて「クリエイター侮辱罪」が制定され、表現の自由を侵害するフェミニストの一斉弾圧が行われた。それは表現の自由の侵害であると主張した憲法学者や弁護士たちも逮捕された。
現在、逮捕された彼/彼女たちは思想改造のため、強制収容所に収監され、萌え絵やエロ絵に囲まれて生活している。しかし、その一部は弾圧を逃れ、「隠れフェミ」として地下活動に励んでいるとされていた。警察はいまもその行方を追っている。
街角でも、萌え絵やエロ絵に対する批判はいっさい禁止され、公共の場に氾濫するエロ絵に「違和感」でも表明しようものなら、即座に密告され、逮捕・収監される状況になっていた。コミケでは、エロ絵のバッグが大々的に復活し、終了後のりんかい線やゆりかもめには幼女の裸のイラストが溢れる事態となった。
渋谷の大通りに幼女の裸体イラストの広告が大々的に掲示されたときには、CNNやBBCは「二次元ポルノ大国日本」として報じたが、そうした記事をSNSで紹介するだけでも「出羽守」「売国奴」とみなされ、たちまち糾弾の対象となった。
街角の書店はほぼ全滅し、大規模書店が大都市の中心地にみられるだけになっていたが、そのなかで大部分の書籍の表紙は萌え絵になっていた。夏目漱石や森鴎外などの小説の表紙は言うでもなく、ハンナ・アレント『人間の条件』の表紙は当然のごとくデフォルメされた美少女アレントであり、アリストテレス『ニコマス倫理学』の表紙にはニコニコしながらマスをかいている美少女のイラストが描かれていた。フェミニストの書籍は言うまでもなく大部分が発行禁止になっていたが、ストロッセンや初期の牟田和恵などの著作は大々的に宣伝されていた。
この頃になると、全国民のあいだで「二分間憎悪」が行われるようになっていた。ある時刻になると、街角のスクリーンや各々のスマホの画面に「パブリック・エネミー」が現れる。それを国民全員で罵倒するという儀式である。
そのパブリック・エネミーには、かつて名を馳せ、いまは地下で活動しているとされるフェミニストが選ばれていた。そのフェミニストたちがスクリーンに登場するや否や、国民は男女を問わず「フェミナチ!」「全体主義者!」「表現の自由の敵!」といった罵詈雑言をぶつけるのである。二分間憎悪の最後には、そうしたフェミニストたちが性的に陵辱されるアニメが映し出された。これも「表現の自由」により擁護される表現なのであった。
そうした体制に違和感をもち、密かに「隠れフェミ」に関心をもった女性がいた。やがて彼女は『フェミニズムと表現の自由』なる著作を手に入れ、その内容に惹かれていく。だが、実は「隠れフェミ」は彼女のような異端者を駆り出すための仕掛けにすぎず、『フェミニズムと表現の自由』もその餌にすぎなかった。
熾烈な拷問の結果、彼女はクリエイターへの忠誠を誓って解放される。彼女はただ処刑されるのを待つだけの身である。彼女が見上げると、そこには巨大な幼女の裸体のイラストが掲げてあった。そうして彼女は泣きながら、自分がそれを愛していることに気づくのであった。
脱洗脳を甘く見ちゃいけない。人質と一緒に立てこもってる誘拐犯を説得して観念させるよりもはるかに難しいから。
でも、どうしてもというなら、ヒントをいくつか。
・彼と同じねずみ講グループに入っていたが、今では完全に足を洗っていて、むしろねずみ講自体を批判している「元メンバー」の協力が絶対必要。
生兵法は怪我の元。彼は凄腕セールスマンに改造されてしまっているから、当のグループについてかなり深い知識がないと、むしろこちらが簡単にやられてしまう。
そういう人が確保できなかったら、脱洗脳には絶対手を出すな!!
・脱洗脳の説得をする場所では、彼を彼の仲間から遠ざけよ。彼が一人、こちらは複数人で、できる事なら物理的・心理的に逃げにくい場所がいい。たとえばファミレスだったら一人を三人で囲んで、彼は壁と説得者しか見えない位置の、廊下側ではない奥の席に。
・ねずみ講グループでは、家族や友人に反対された時の綿密な対策マニュアルを作っていて、グループ一人一人に指導しているはずだから、ただ「やめるな」「目を覚ませ」等々と言ったり、単純にいやがらせや反対をするだけでは、むしろ「敵対勢力が猛烈に妨害したくなるくらいすばらしいグループだから、絶対やめるわけにはいかない」と思いこんでしまい、むしろ火に油を注ぐ事になるので要注意。
・彼の所属するねずみ講グループの批判を始めると、とたんに心を閉ざすよう思想改造されているだろうから、彼が心を開いたところで(初っぱなからだと危険)、そのねずみ講グループのライバルのねずみ講グループの話題を出して、そのグループ内での問題点を考えさせてみる、というのも一つの案。
・「騙されていたグループにも、家族や友人のいる一般社会にも居場所がない」となると、またねずみ講グループに戻ってしまう危険性があるので、帰ってくる居場所があるんだよ、という含みをもたせて話したい。
2chの議論なんて不毛ではないか?奴らがスレ上の議論で改心した例なんてあるか?
2ch世論は数の多い方が優勢になる傾向がある。それが正しいかどうかは問題にならない。
それに議論しているように見えても実際は反対勢力へのレッテル張りに終始しててまったく議論になってないんだよ。
キチガイに論理は本当に通じない。ネトウヨとか女叩いてる奴とかは完全に精神を病んでるもん。
ナショナリズムでプライドを満足させてオナニーしてる連中に「そんなみっともない事やめろ」なんて言っても聞かないだろJK。
そもそも臆病者ほどウヨクになりやすい。ウヨクになるのは心の弱さが原因であり、ただの感情論なのだ。論理的に考えている訳ではない。だから議論を通して転向させるのは難しいのでは?
君は反論をぶつける先を間違ってないかね?
引用部後者は意味不明なので前者について述べる。そういう疑問を提示するのは悪くはないが、君の疑問が正しいとすると君は「女は知的職業を指向しない」というのが自然なことであると主張することになるが、それでよいのだな?
ここでの「自然」の意味は「性差以外の条件が同等であれば、女性が知的職業を指向する傾向が男性に比べて弱い」ということを指す。
知らん。そんな枝葉末節の比喩に関わり合う必要もないだろう。ひとこというと、生物学的要因と社会的要因を分離するのは非常に難しい微妙な問題だぞ。だから俺はそこについては断定的にものを言うことを避けている。むしろ、「その微妙な領域で何らかの断言を行うのだな」と念を押しているのが俺の立場だ。
好き嫌いもまた遺伝や生育環境等の影響を受けて偏りが出てくるのもよくあること、そしてそういうのが原因で特定の行動をしない人の比率が性別や年齢や地域や家庭環境によって偏りが出てくることがあるのは理解できるはず。これって政府とか他人が思想改造しなきゃだめかな?
はあ?誰が思想改造しろなんて言ったんだ?
それに、あんたの挙げてる要因、ミソもクソも一緒くたにしすぎだ。性別とか年齢とかのような自然的要因ならともかく、地域とか家庭環境に要因があり、しかもその要因が不公正なものと判断できるならば社会的にその不公正を是正しようという考えが出てくるのは当然だろう。
そしてそれは「思想改造」ということにはならない。例えば、タバコが一箱300円ならば喫煙していた人間が、たばこ税の増税によって一箱1000円になったら禁煙したとして、これは「思想改造」なのか?違うだろう。内心に不満が燻っていたのかもしれないし、これを機会に禁煙したのかもしれないしそのあたりは一概には言えないが、どっちにしても思想改造でないことは明らかだろう。当人の価値観が変わらなくても外的条件が変われば行動は変わるものだ。
引用部後者は意味不明なので前者について述べる。そういう疑問を提示するのは悪くはないが、君の疑問が正しいとすると君は「女は知的職業を指向しない」というのが自然なことであると主張することになるが、それでよいのだな?
それは自然の定義によるだろ。屁理屈が嫌いならあいまいな定義で議論を進めようとしないほうがいいはずだよな?
スカートをはく比率は女のほうが高い事は君の「自然」の定義に含まれるのかどうかはっきりさせてくれ。それと自然な事と政府が是正すべきこととに関連があるかどうかも明確にしないとだめなはず。
それと後者について補足しておくと、自分が苦手な分野のことをやりたいと思いにくいのはよくあることであり、好き嫌いもまた遺伝や生育環境等の影響を受けて偏りが出てくるのもよくあること、そしてそういうのが原因で特定の行動をしない人の比率が性別や年齢や地域や家庭環境によって偏りが出てくることがあるのは理解できるはず。これって政府とか他人が思想改造しなきゃだめかな?