はてなキーワード: 電通とは
お前さんの大好きな自民党が、「女性の社会進出」と「働き方改革」を並列して扱ってるだろうがよ。
女性が多く職場にいることで、長時間労働が改善するとか、在宅ワーク希望者が増えるとか。
でも実際は電通みたいに女性が仕事していくときには男社会のルールに従うしかないんだから、女性が増えれば社会が良くなるってのは政治家が無理筋を楽観的に期待してるってことだよ。
LGBTの子供の問題に関しても、「まともに子供育てられるならいいよ」とかいう前提を出すと、男女の夫婦家庭よりも優秀な子供を作らなきゃ子供を持ってはいけないみたいな雰囲気になるだろうが。
これを書いた元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20160924144051
これを書いた後、電通の過労自殺事件があり、電通の組織や体質の問題が社会的に批判され、同時に広告業界のブラックっぷりを多くの人が知るようになった。自殺をした高橋さんには大変申し訳ないが、この流れはとてもいいことだと思う。社会全体で過剰なサービスや過重労働が批判されて改善に進みだそうとしている今、広告業界もその流れに乗らないといけないし、しかもその流れを牽引していく存在になるべきだと思う。そのような力が広告にはまだまだ残っていると思う。
ただし、非常に不満がある。
今回の問題の批判のほとんどが電通や広告業界に対してのもので、過重労働を引き起こす元凶である「クライアント」はほとんど批判されていないことに対してだ。
確かに広告業界の過剰労働は相当な問題だ。これは業界全体に粘着のようにまとわりついていて、未だに「残業時間の多さ」を誇るようなところがあるし、新人の成長と残業時間は比例するみたいな考えも根強かったりする。中には給料いらないから働かせてくれ、みたいな人がいるのも確か。
だけど多くの人は仕事がない日は早く帰って家族に会いたいし、週末は遊びに行きたいし、休暇をとって旅行にも行きたい。
彼らは自分の仕事はだいたい「広告代理店にぶん投げれば解決する」と思っている。おれ自身も経験があるが、そのような人物は「上司に報告するための資料作成」から「年間の予算管理」、「他部署との折衝」、「クライアントの社内行事の余興」まで何でも代理店にぶん投げる。深夜に飲み屋に呼び出され、飲み代を「接待費」として経費精算しろ、と言われたこともある。広告代理店は今や「何でも下請け屋」になってしまっており、過去のおれの経験上、業務の半分以上はクライアントが本来やるべき仕事だったり、クライアントの尻拭いだったりした。そうして広告代理店が本来やるべき仕事の一部が子会社に行き、子会社が本来やるべき仕事の一部が下請けに行き、と玉突き事故のように業務が流れていき、業務量が雪だるま式に増えていく。しかもそういう業務は当然のように「タダ働き」だ。請求できない。クライアントとの良好な関係を維持するための犠牲なのだ。
何でこんなことになってしまうかというと、人格が終わってるようなクライアント担当者がいるというのもあるけど、構造的な問題を言えば「クライアント側にプロがいない」ということがあると思う。これは広告業界だけでなく、他の業界にも言えることだと思うけど。
いわゆる大企業はジョブローテーションが基本で、これまで生産管理をやっていたような人が、突然広報担当になったりする。そうやって幅広い分野で知見をためて、会社のことを知り経営ノウハウを身に着け、将来的には幹部候補生を育てていくという考えなんだろうけど、広告のことをまるで知らない担当者がクライアントの窓口になった時の広告代理店の苦労ったらない。曲がりなりにもクライアントの担当者だから、彼らの指示を仰がなければいけないのだが、それまで生産管理をやっていた人だから全く感覚が分からず支離滅裂なことを言ってしまう。だから新任担当者のために勉強会を開いたり(これも無償)、資料にも素人が分かるように滅茶苦茶細かく説明を加え、根気よく彼らが一人前になるまでフォローしなくてはいけない。本来はこれもクライアント側の仕事なのだが、今すぐにでも決定しなくてはいけない広告制作の世界で悠長に教育してる暇なんぞない。だから手取り足取り教えていく。それが現場の担当者レベルだったらまだいいけど、決裁者に違う畑の人物が来たときの苦労は並大抵ではない。
クライアント側も自分の無知は理解しているので、全面的に広告代理店を頼ることになる。なんせ、分からないことは全部教えてくれる。無茶で無知な要望や質問にも応えてくれる。大変ありがたい存在だ。そこにクライアント担当者と広告代理店の信頼関係が生まれるのだが、ある一線を越えてしまうと、担当者は何でも広告代理店に頼るようになってしまう。そっちのほうがラクだから。別に自分がカネを払うわけじゃないし。広告代理店は信頼を失いたくないから、無茶な要望も全部受け止める。そうなるともう歯止めが利かなくなる。
クライアント企業と広告代理店との付き合いの中に、「ここからここまで」という契約は存在しない。そこは曖昧な不文律で、各社によって千差万別だと思う。おれはクライアントの社内行事の余興までやってたけど、そんなことあり得ないという所もきっとあるだろう。
今回の問題を受けて、電通を始め広告代理店各社、過重労働の対策を打っているようだが、だいたい「深夜になると明かりが消える」「早朝出社を推奨する」「残業○○時間を超えると労働時間をこれ以上付けられなくなる」みたいな小手先の対策が主で、売り上げ下げたくないけど社会的な批判にも応えなくてはいけない、という意識から生まれた全く効力のないネガティブなものだ。形骸化するのが目に見えている。
問題の抜本的な解決のためには、広告代理店は「クライアントとの付き合い方」をそもそも変えなくてはならない。それまでの担当者間の情の付き合い方をやめて、冷酷にならなくてはいけない。「それは弊社の業務ではありません」と言わなくてはいけない。
そしてもっとも大切なことは、クライアントが変わることだ。クライアント側が変わらないと、広告代理店も変わらない。「私、これよくわかんないんです。電通さん、やっといてもらえます?」という乱暴な依頼の仕方を今すぐやめてほしい。自分の業務に責任を持ってほしい。そうでないと「何でも下請け屋」が再度はびこってしまう。
無責任に何でも丸投げするクライアント担当者と、「何でも下請け屋」的な方法でクライアント担当者の信頼を得てポジションを得る広告代理を撲滅しないと、本当の意味での広告業界全体の改善はなされない。
https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/welq-01?utm_term=.flv2jLxww6#.ijG7qv266e
【DE●A】キュレーションメディアの依頼の実態を掴んだ結果マジで酷いことになってます!
http://mecchanikukyu.hatenablog.com/entry/2016/09/06/125318
DeNAが運営するキュレーションサイト「WELQ」がインターネットの情報をリライトした適当な情報を公開しており、なおかつそれが検索順位の上位を占めている現状を危惧している。
ページビューを上げ、そして利益を上げるために集客できるキーワードの記事をウェブ上にばら撒き、ウェブを占拠し始めているようである。
クラウドワークスなどで外注者を集め、不安定な情報を勝手に公開するだけなら問題はないかもしれない。
が、それらがグーグル検索エンジンの上位に来ているため、咳 止める など医療情報を求めて検索してくる人にとって不利益になっているのではないか、倫理的にどうなんだ?、という話である。
まあ、普通に考えて「アウト」なのでいずれ何らかのアクションが起こることは間違いない。
現在のseoは長文を書けば書くほど上位に食い込んでくるシステムのようで、グーグルともあろう世界一の天才集団がアホでもできる対策で検索エンジンを牛耳られているのには「天才とバカは紙一重」と誰かが言っていた事は本当なんだと変な感心もしてしまった。
ただ、今回の話は「WELQ」の話ではない。
このサイトを見ていると就職活動中の学生に言われて確認したが、サイトを見て愕然としてしまった。
http://heikinnenshu.jp/kininaru/nhk.html
このサイトでは年齢別の年収推移が記載されているが、なんと20歳〜24歳で既に600万円以上もらえることになっている。それ以上の年齢に関してもおかしなところだらけだ。
ボーナスもいきなり160万円らしい。そしてボーナスは4ヶ月分と勝手に計算している。
もちろん推定値ということだと思うが、この数字が正しい訳がない。
正解はこちらで30歳でやっと500万円程度。
http://www.nhk.or.jp/faq-corner/01nhk/05/01-05-03.htm
電通の年収給料【大卒高卒】や20~65歳の年齢別・役職別年収推移
http://heikinnenshu.jp/kininaru/dentsu.html
有価証券報告書のデータを取得しているため、この年収は真実だ。
ただし、その他の年収推移データは下記の説明にもあるように適当感が強いものになっている。
主任や課長などの学歴別データ、役職データ、総合職、一般職などの職種データもあるが、そのどれもがいい加減な数値で並べられている。
賃金構造基本統計調査や民間統計調査の比率を使用したと記載されているが、そもそも該当企業の学歴や役職の割合やそれぞれの年収がわからない状況で何に比率をかけたのだろうか?
税理士が算出したとあるがどういうことなのか?監修なのか?なんにせよ信頼性の高い数値は算出しようがないはずである。
もしかすると、東洋経済の生涯給与ランキングを真似たのかもしれない。
http://toyokeizai.net/articles/-/91596
こちらは学生に人気のデータでその企業で働き続けた場合の生涯に受け取れる収入をランキングにしたものだ。
賃金構造基本統計調査の賃金カーブを使用して、企業のIR情報で公表されている年収と年齢からその伸び率を算出している。
この数値に関しても正確性が必ずしも高いとはいえないが、企業が公表した正確な年収と年齢、賃金構造基本統計調査の膨大な統計データを使用していることもあり、それなりに信頼のできる数値が算出できるようだ。
ただ、その東洋経済でさえも学歴別・役職別の年収などは表現していない。理由は簡単で必要なデータが取得できないため算出することができないからだ。
インターネットは確定情報だけの世界ではないし、いろんなことを表現できるのが何よりの魅力だ。
インターネットでも事実でないことを誇らしげに書いても問題はないと思う。
ただし、それはある程度の被害や迷惑を考えて行動すべき事でもある。
その適当なデータによって就職活動中の学生や転職希望者が間違った認識を持ってしまう恐れがかなり高いのでは無いかと思う。
このサイトについては役職別年収や年収推移など気になるデータを掲載し、長文記事を書くことによってpvを獲得する手法をとっている。
直接面識のある人ではなかったし、熱心なファンというわけでもなかった。でもwebで読むエッセイや人生相談の記事はいつも、心に染み渡るような優しさと、孤独を恐れず生きていく勇気を与えてくれた。FaceBookでは雨宮さんが「友だちの友だち」の位置にいたし、知人が仕事の関係者だったりもして、親近感は感じていた。もしどこかで会う機会があれば「あなたの書くテキストはどれも本当に素敵で、いつも救われています。ありがとう」と伝えたかった。だから、自分でもびっくりするくらい雨宮さんの訃報に打ちのめされた。昨日はずっと気を抜くとそのことを考えてしまっていたし、今朝起きても真っ先に雨宮さんがいないことを思い出してしまった。
雨宮さんは40歳、私よりひとつ年下だけど、気分としては「人生の先輩」あるいは「姐御」であった。東京で女性ひとりが生きる時に感じる生きづらさを優しく芯の通った文章で細やかに表現してくれた。モヤモヤと捉えどころのない不安や孤独を言葉にしてくれることは、それで全てが解決するわけではないにせよ、現状を把握するヒントになり、気持ちを整理することに繋がったのだ。あんなふうに強くしなやかに生きていけたら、そんなふうに思える憧れの先輩だったのだ。私は、私たちは、雨宮さんの背中についていけば良かった。時々衝動的に死にたくなる夜のことを書いた記事も、うんうんわかる、と思ったし、でも生きていかなきゃね、と思っていた。
死因の詳しいことは明かされていないが、事故だ、と出版社の発表にあった。事故なのだろう。もし衝動的に足を踏み外したとしても、衝動的に薬を飲みすぎたとしても、衝動的に手すりに手をかけたとしても、それは事故だ。あるいはご本人の意図しない事故としか言えない何かだったのかもしれない。事故、という言葉以上に、私たちが知り得ることはない。
だけど、雨宮まみさん、事故にせよ、あなたが死んではだめじゃないか。
私たちに生き抜く勇気をくれたあなたが、私たちを何度も救ってくれたあなたが、死んでしまってどうするんだ。
あなたの背中についていけば生きていける、とどこかで思っていたのに、目の前から急にあなたが消えてしまったら、私たちはこれからどこへ進んでいけばいいのだろう。これから50歳、60歳と年を重ねて感じるモヤモヤも不安も孤独も、あなたがすべてもらさずカタチにしてくれて、私たちは「そういうことか」と納得して前に進んでいけるのかと思っていたのに。
雨宮まみさんと共著もあったおかざき真里さんの漫画「サプリ」に、主人公の同僚女性が突然自殺してしまうエピソードがある。広告代理店でバリバリと働く女性がぷつりと糸が切れたように亡くなってしまう展開だ。漫画では「失恋」というわかりやすい理由があったが、今読むと過労死した電通女性の姿も重なってくる。いずれにせよ失恋はきっかけにすぎなくて、社会や仕事やいろんなものに削られて磨り減っていった末の「事故」だったのだろう。主人公やその同僚たちも自分の足元が危ういことに気づかされ、生きるためにそれぞれが「確かなもの」を得ようと舵を切り、大きな決断をしていく。死がさほど遠くない場所にあることを誰もが自覚しているのだ。
無性に人生を終わりにしてしまいたくなる夜、今までは心のどこかで雨宮まみさんのことを思っていた。「雨宮さんも頑張っているのだ。私ももう少しがんばってみよう。」はっきりと言葉でそう思ってるわけではないけれど、多分ぼんやりとそんなことを思っていた。だけどそれは終わりにしなければならない。
昨日、「雨宮さんはもういない」「ならば私も」そんなふうに思ってしまいそうな自分がいた。
私は、「サプリ」の主人公たちがしたように、亡くなった彼女と自分の間に線を引かなければならない。雨宮さんが今は安らかに穏やかな気持で眠っていることを祈りながらも、「先輩」「姐御」であった彼女の背中を追うことをきっぱりとやめなければならないのだ。
まず自殺した女子がブスだったら、こんな話になってないだろう。
彼女への、長時間労働の明示・暗黙関わらず強制があったのなら別だが、
長時間労働は個人の自主的なものだろうし、他の社員は問題ないのだから、
死ぬほど辛いのに、業務中におしっこしたくなったらトイレに行ったと思うんだ。
そうゆう判断ができるなら、なおさら自殺は長時間労働とは直接関係のない、
Twitterに、長時間労働が辛い死にたい。家に帰れない休みが無い辛い死にたい。
って投稿してるけど、そんなん誰に言ってるのか分からないSOSじゃ助けてくれるわけないじゃん。
Twitterに死にたい死にたい書いて、誰も何もしてくれないから自殺しますって、
誰も見てないかもしれないだけじゃん。
屋内で座って作業の事務職で、肉体的に死ぬほど辛く疲れることもないから、
本当に労働時間あるいは拘束時間の長さが、もしくは自分の時間が無いのがストレスのようで、
それに母親が自分の立場を棚に上げて、会社の体質批判をしてるけど、
家族は異変に気付かなかったの?毎日帰りが遅いのとか休みが無いの、
なんとも思わなかったの?子供のTwitterを監視してないの?
なんで親に助けを求めなかったんだろうね。
まとめると、自殺する人が悪い。長時間労働は悪くない。あんなの過労死でない。
自分がダメなのに、長時間労働が悪いみたいに、当て付けで自殺なんかして本当に迷惑。
繰り返すけど、他の人はやってるんだから、出来ないのは自分の問題で、長時間労働が問題でない。
さらに自分で現状の問題を他に伝えないで、Twitterに書いて周りから「大丈夫?」って声かけてもらうの待ちとか、
ただ甘ったれてるだけじゃん。それで自殺しちゃう人を擁護する必要なんてない。
殺されたんじゃなくて勝手に死んだんだよ。死 ぬ な よ 。
この問題を自殺するバカの所為にしなくて会社の所為にしたら問題は解決しないよ?
正常な社員の行動を制限したところで、劣化してる社員の救いになるわけ無いじゃん。
飽くまで自殺なんかしちゃうバカが悪いんだ。自殺する人を出したくないんでしょ?
生きていくの、無理。
親と同居だったら、死んだ方がマシだと思う。
なんか、息が詰まる。
なんか、自分に合った生き方という考え方が幻想・空想の産物で誤りなのかも知れないが。
殺意を胸に秘めて生きて来た時期もあるし、少なからず衝動的になるし。
今までは頭の中で、漫画みたいに憎い奴握りつぶしてしまうことを妄想していたけれど。
川に入水するんだ。
今日は、川に入水するイメージをした。いや、スーパームーンのせいだろうか。
満月は人を大胆にするのかな。
生きていくのは無理だし、今まで1年半ほど引きこもっていた。
もうやだ。
病気も治らない。
生きていくの無理で、グーグル検索で「死にたい」みたいなワードで検索したら、前向きになっている人も見つけたけど。
なんか、僕、人と話すことがすごく気が重いんだよな。
社会人を何年もやったし。
色々とやったけど。カウンセリングを受けても『他力本願ですね』みたいに言われて困る。
かといって、甘えられないから、困っているともいえるし。
人によって違うのかな。
もう、頑張ったけれどエネルギーが、残っていないのに、こんなことを書き綴っている。
ふう。疲れたなー。
電通ほどじゃないけど、僕も夜勤の警備員さんに名前を覚えられて、
あめ玉あげますよって
おじさんに言われるぐらいまでは働いた。
もう、充分やってきた。
自分の息子や娘も、僕が死んだら、自ら命を絶ってしまったら惨めな思いをするのだろうか。
そもそも、今年のクリスマスはどうなるのだろうか。
100円か300円程度のクリスマスプレゼントさえ用意できるかどうか、分からない。
自分が立ち直れる自信なんて無い。
別居中の妻も、いっぱいいっぱいで、「他人に恨み言を話す時間も暇も無い、ゆっくり私も寝たいわ」などと言われる。
どこにも、逃げ場がない。
もう、やだ。
最近話題だしNDAもないので書くけど、とある映像の仕事で電通と関わりがあった。仕事自体は楽しく、しかしスケジュールは厳しい感じで、とあることを実現するために様々な手段を試すための手(プロダクションではない)としてその仕事に参加してた。
ちょっと特殊なことをしていたので、最初は間に人を挟んで電通側とコミュニケーションしていたのだけど、そのうち制作会議に呼ばれるようになり、会議は実際に映像を作るプロダクションのところで開かれた。しかし、その会議がまぁなんとも雑な仕切りで、確か夜8時から始まって、ちょっと特殊なことをしていた僕らを拘束するわりに関係無い話をダラダラと続けて結局僕らに関係ある話が出て来る前に終電が来たので帰った。マジかよって思った。
あとから聞いてみたらその会議は朝まで続いたらしい。「会議」と名のつくもので2時間を超えるものに参加したことないので、カルチャーショックだった。タバコ臭い会議室と合わせて、本当にあるんだ……って感じ。しかしスケジュール厳しいこと分かってるのに拘束してくる電通の人も謎というかマネジメントスキルがない。実際、彼らがしていた「会議」はクリエイティブに関するブレスト的なところもあったので実質的に会議ではない。しかし、そんなに長時間みなを拘束するより、さっさと会議は終えて各自考えてきてね!ってやってもアウトプット変わんないのにねー。
それに加えてアイデアを思いついたら何時でも連絡してくる電通の人がいて、それに対応するのも疲れた。スケジュール厳しいの把握してんだから、もうちょい任せてくれない?そっちのほうが効率いいよ?って感じだった。
とあることは実現出来たし、出来た映像そのもののクオリティは高く、広告的な効果もあったが、習慣化している無駄な長時間労働があり、それに対応する下請けが最もヤバそうだよという話だ。
よく言われることかもしれないけどさ、
そこで、就活生が特技は寝ないことです!とか得意気に言ってて、女性社員がそれ大事!とか言ってたんだよね。
それ聞いた時点でこいつらダメだと思った。
スキルや成果を評価するなら分かるけどさ、ただ体に苦痛を与えること自体に何の価値があるの?
それ大事!とか褒めてた社員、もし妊娠・出産や育児でこれまで通り働けなくなった時、はじき出されるのはお前なんだぜ?
朝30分前には出社すべきとか言ってるそこのお前、精神論は分かるけどさ、お前がそう言うことでお前自身も朝早くから眠い目をこすって出社しなきゃいけなくなるんだぜ。
みんなでそういう空気を作ってる。馬鹿らしいと思わないのかな。
でさ、苦行積んでさ、金貰えるならまだ分かるぜ。例えば外資系投資銀行とか激務だけど給料は異次元レベルだしさ。
けど日本企業なんて出世競争激しいし、給料だってクッソ安いじゃんww そんなとこのために忠誠誓って苦行積むのwww うっはwwww
それで誰が得をするか。上の経営層だよ。電通のニュースを見てても分かるけど、残業代出ないのに匍匐前進でゲート潜ったり、せっかく22時消灯まで漕ぎ着けたのに仕事が回らないーとか嘆く社員がいる中、経営層は人件費を不当にカットしてますます富んでゆく。なぜ上にはヘコヘコして、本来なら団結して戦うべき仲間に向かって根性論を押し付けようとするのか。電通の痛ましい過労死も、そうして起こってしまった。
老害ガー、バブル世代ガーとか言うけど、若い世代にも責任あるよ。
実際それ大事!とか朝30分前には出社すべき、とか言ってた社員、若手だぞ。
一人一人が今すぐそういう思考を止める、根性論を他人に押し付けない。そういう心構え一つ変えるだけで、みんなが気持ちよく働ける世の中になるのにな。
大体学校教育も悪いわ。(特定避けるため大学名は言わないけど)俺東大・京大レベル卒なんだけどさ。大学受験の時とかみんな必死になって長時間机に向かってるの。
よく1日◯時間は机に向かおう、みたいなこと先生に言われたりするよね。
その時点でダメなんだよ。まず目標があって、それを達成するために今日勉強すべきことを決めて、やるべきことが終わるかどうかが評価されるべきなんだよ。
ちゃんと終わるなら10分の勉強でもいいし、終わらなきゃ10時間勉強してでも終わらせる。それが正しい姿なはず。
けど特に受験の時なんか、みんないかに長時間机に向かったかが目標になっててさ。俺は適度に遊んでて、夏休み家族旅行もしたけど、周りによくそんな余裕があるねと言われたわ。けど現に俺受かったし、俺よりはるかに長時間勉強しても落ちるやつもいた。
けど結局得をするのは、長時間勉強したそいつより受かった俺の方なんだよ。
今となっては結果よりも勉強した時間、いかに苦行を積んだかが評価される学校教育が社畜思考に繋がってるんだなと実感する。
まあ背景はどうあれ、その手の精神論が何の個人的幸福にも繋がらないことは歴史が証明している。戦前の軍国主義、「欲しがりません勝つまでは」の言葉に象徴されるような根性論、そして今の社畜精神。今も昔も、そう言った精神論、根性論、苦行主義によって何か良いことがあっただろうか。
趣味に生きている
本職は別分野のフリーランスだけど月の半分以上は趣味の創作活動にあてている。
収入はとても低いし人と会うこともあまりないけれど満足度は恐ろしく高い。
この生活になってから、常に人生で今がいちばん幸せだと思っている。
プロになりたいと思ったこともあったけど駄目だったので今は趣味。
世間では批判されがちだけどいろんな生き方があっていいと思う。
正社員で必死に働いていたときもあったけど趣味に割ける時間はほとんどなくて、生きてても意味がないと思った。
身体が生きてても心が死んでたしそんな人生は嫌だったし、どうせなら幸せになりたかった。
電通の過労死問題を見ていると人生って何だろうって思ってしまう。
みんな幸せに生きるべきだよ
気持ちは分かる。確かに社会は悪い。けどやれ社会が悪いだのADHDだの嘆いている暇があれば、今後どう生き抜くか考えた方がはるかに建設的だ。
あと大学に進学すべきという周りのアドバイスは何も間違っていない。高卒よりも大学を卒業した方が将来の選択肢がはるかに拡がるからだ。
仮に社会不適合者でも大学を出れば、それに見合った就職先が見つかる可能性は高くなる。ましてや偏差値65の大学の理系卒なら、多少人間性に難があっても専門性を活かして活躍できる場所は意外と多い。
ろくに勉強もしてないけど推薦で入ってきたような奴がレポートやテストのコピーを手に入れて効率よく、卑怯にやり過ごしていった、そんな人間が今立派に就職していたり、
←これは卑怯ではない。不公平に感じる気持ちも分かるが、できるだけ少ない労力で効率よく目的を達成する方が良いに決まってる。苦労そのものに価値はないし、苦行主義や他人も苦労すべきという考えほどバカバカしいものはない。それこそ弟さんを苦しめているブラック企業の温床だ。
人間関係が下手だからレポートやテストのコピーが手に入らないという状況は分かる。私も対人能力が皆無で(高校時代に興味を持ってくれる友人がいた時点で少なくとも私よりは人間的に魅力があるはずだ笑)行く先々で嫌われるので、同じような状況は幾度もなく経験してきた。
けど(成績評価は別として)単位を取って卒業すること自体はそう難しくはないはずだ。東工大に後1問で合格できる実力があればなおのこと。
それでも卒業できなかったのは自分の責任だ。社会のせいではない。
とはいえ、今になって過去のことをとやかく言っても仕方がないので、これからできることを提案したい。
①: 自分の置かれた状況を認識する。まずはプライドを完全に捨てる。
今のあなたは、社会不適合者であり引きこもりニートであり、4年も年を食ってしまった高卒である。厳しい言い方だが、その現実を直視してプライドを捨て去ることで、自分に合った道を模索する必要がある。
知り合いでも同じように大学を3留中退→1年の浪人生活の後某有名私大に行った人がいるが、意外と就職も何とかなっているようだ。時間はあるのだから難関資格の一つでも取れれば大きくチャンスは拡がるはず。やり直しはいくらでもできるはずだ。
とは言っても本当に社会生活が向いてないのかもしれないし、仮に②ができてもそれが自分に合わなければ今回の二の轍を踏みかねない。
①で述べたように、まずはプライドや世間体を一切考えずに、自分の好きなことや熱中できることを探してみてはどうだろうか。ものによってはフリーランスででも食べていけるかもしれないし、会社勤めしたとしても好きなことなら続きやすいだろう。
④: ①、②、③もダメで、親でもナマポでも奨学金でも利用できるものは利用し尽くして、それでもダメならその時死ぬことを考える
当方東大生で来年就職を控える身なのだが、プライドや親からのプレッシャーもあって、好きなことよりもステータスや就職偏差値から就職先を選んでしまった。
早起きが苦手で対人関係が致命的にダメなのに、朝が早くコミュ力が必要な職場(そういう会社に限って世間体が良かったりする)を選んでしまったため、刻一刻と迫る入社日が恐怖でしかない。
自分に見合った就職先も分かっていたのに、プライドが邪魔をしてしまった。
いっそプライドを完全に捨て去り、一からやり直すためあえて留年することも真剣に考えたけど、結局踏み切れずズルズルとここまで来た。
確かに世間から見れば上手くやっているのかもしれない。けど来年から地獄を見ることは明らかだし、貴方と同じように死ねない呪いと向き合う毎日である。
(他人からの評価≠自身の幸せ、なことは電通のニュースを見ても明らかだ)
私の場合親がどうこうより痛いのが怖くて死ねないので、来年の3月31日に天災や事故でも起きて、嫌でも死ねることを祈るばかりだ。
そのような現状もあって(そしてアルコールが入っているのもあって)、つい熱く語ってしまったのを許してほしい。
残された奨学金だけは懸念材料だけれど、自分の置かれた状況を認識し、プライドを捨てて行動すればやり直しは不可能ではないと思う。ぜひ好きなことをして幸せになれるよう祈っています。
過重労働の問題で電通が叩かれているけど、根本的には、クライアント側が業者側に無理な要求をしすぎるのが問題なんだと思う。
IT業界でも、連休前にRFP説明会で、連休が明けてすぐが提案提出だったり。発注する側であることをいいことに、無茶な要求をしすぎ。
過重労働に真剣に取り組むなら、こんな不条理がおこらないよう、ガイドライン作りに取り組みませんか?厚生労働省や東京労働局の皆さん。
でもそれを、時間をかけて模索して「広告だけど面白いから好き」
というコンテンツのありかたを、今年くらいになってようやく
確立しつつあったトッププレイヤーがまさにヨッピーやしおたんだった。
そのあたりの経緯を一切考慮せず、
電通過労死事件もあって、こいつらビジネスサイドはきれいなこと言ってるけど
本気で現場側と一体になってネイティブ広告を良くしていく気はないな、
という印象を消費者に持たれ、結果的にこれまでの取り組みを自ら台無しにしてしまった
という感じでしょ。
(アルコールの入った頭で書く適当な文章だということをご承知ください。でも僕の現実しか書いてないです。)
僕は都内の某私立大学(偏差値.bizだと偏差値は65らしい)を中退せざるを得なくなった。
留年、休学を含めて4年間は在籍してた。
理由は2つ
やりたいことがなかった。
人間関係が下手くそ過ぎて耐えられなかった。主な理由はこっち。
勉強は嫌いではない。今でも数学なんかの教科書を解いたりするけど、わからないものがわかるようになるのは楽しいと思う。
なのに中退するはめになったのは正直つらいと思うところもある。
自分としては本命の国公立ではなかった。本命は東工大。数学1問分で落ちた。
でも周りの人間は滑り止めの私大でも受かったのは立派なんだから進学しろと勧めてきた。本当はここで断るべきだったのだ。
結局実家は田舎の裕福ではない家庭なので、奨学金を借りて進学することになった。
まぁ普通に卒業できるし就職もできるだろうし奨学金を借りてもいいだろう。そんな見込みは4年間でぶち壊されてしまったのだが。
僕の4年間は自身への失望、と社会不適合っぷりに直面するばかりだった。
人間関係が壊滅的に下手くそだった。高校までは偶然仲良くなれた、しかも向こうから興味を持ってきてくれた、そんな友人のおかげで、苦労なく過ごせていたということをここで初めて自覚する。
自己コントロールが下手くそなので能力的に達成できるレポートも貯めこんでできなくなることもあった。
人間関係がほとんどないので助けを頼ることもできなかった。他人を頼るのは恥ずかしいと感じる部分も大きい。
バイトもした。ここでも自己コントロールの問題で、当日欠勤をしたりして長続きしなかった。中途半端に根が真面目なせいで、関係を持った人を傷つけたことに関しても申し訳なくなった。
東京での家賃が払えなくなる、親切な知人に借金をするはめになった。この時にはすでに下で述べる過程を経て働く気力はすでに失せてしまっていた。
いろんな欠点を自覚する。当然直そうと努力はした。でも直せなかった。普通の人にはなんてことないかもしれないのだが僕には大きな壁だった。
こういうところは少しADHDの気があるのかと思い受信したのだが、若干そういう傾向はあるものの診断は出ないという中途半端な奴だった。
[言語性IQと動作性IQの差が大きい(WAISの群指数では処理速度のみが100近辺で他は130近辺)ので意識に対してなかなか体がついてこないとかそういう話をされた。社会人になって仕事がうまく行かなくてメンタルを受信する人には結構こういう傾向があると医師から聞いた。]
この結果僕がどうなったかというと、仕事をしても他者に迷惑をかける、それに僕は耐えられないしそんな思いをしてまで働きたくない、働かざるもの食うべからずというのなら、いっそ殺してくれ、そう思うようになるのは論理的に当然ではないだろうか。
他者に迷惑をかけないための努力がずっと失敗に終わり続けた。そんな中で努力をする気力すらもなくなった。怠惰だと言われればそれまでかもしれない。頑張ったんだから評価してくれというのも甘えだろう。
それでも死ねない、それは親が死ぬなというからだ。「お前がそうなってしまったのは悲しいけれど、死なれるのはもっと悲しい」と言われたら僕の性格上死ねないのである。
ある意味呪いのようなその言葉、死ねない呪いをかけられた僕は現在いわゆる引きこもりニートである。
メンタルの医師に毎日少しでも外出できると良いって言われたけれどそれすらもできないこともある。自分に負けて自分を責める、それを理解していてもなお動けない。なぜなのだろう、どうしてこうなってしまったのだろう。
そんなことを日々考えながら生活している。考え過ぎだよ、と言われることもあるくらいだ。知っているが、それでも考えてしまうのだからたちが悪い。
いろんなことを考えていると世の中への恨み、憎しみのようなものも募っていくことがある。
大学時代、ろくに勉強もしてないけど推薦で入ってきたような奴がレポートやテストのコピーを手に入れて効率よく、卑怯にやり過ごしていった、そんな人間が今立派に就職していたり、
弟が明らかにブラック企業に就職され、すり減っている様子に何もできなかったり、
僕の進学を勧めておきながら、僕がこんな状態なのに気にする素振りも見せない親類だったり。
最近だったら電通のニュースなんかでもめっちゃ心痛めました。(結構共感性は高い方だと思います。アニメとかでも主人公が恥をかくシーンめっちゃきついし)
幸せになれると社会に思い込まされて、奨学金借りて進学したのに社会不適合者の自分はやっていけなくなって辞めるはめになって、返せる気のしない奨学金だけが残った、社会に騙されたこの怒りは、一体どこへぶつければよいのだろうか。
どうして僕がこんな思いをしなきゃいけないんだ。ふざけるんじゃねえ。こんな世の中は狂ってる。なんて、ちょっと踏み誤れば反社会的集団に入ってしまいそうなくらいにメンタルボコボコにされてます。
確かに僕にも悪いところはあるんだけど、僕だけが悪いのかな、なんて感じちゃうんですよね。
助けてくれなんて言いません、自分を客観視して助ける価値のある人間だとも思いませんし。でも、世の中にはこういう人間も結構いるんだぞってことを、知ってもらえれば嬉しいですかね。
それでいてこういう人間でも救ってやりたいと思ってくれる大富豪がいたら最高ですかね。笑
引きこもりニートだって辛いんです。でも僕らにとっては普通の人のように生きるのもめちゃくちゃ辛いことなんですよ。
脈絡のない適当な文章になっちゃった感じがしますけど、まぁ吐き出したい思いはだいぶ吐き出せたかな。
このあたりで筆を置きたいと思います。(PCでの文章で筆を置くって少しシュールですね)
こんな適当な文章を最後まで読んでくれた方に感謝を。そして、あなたが少しでも幸せであることをお祈りいたします。
以上。
長時間労働が問題となり、電通での過労死問題が記憶に新しい昨今において、釣りみたいなネタを投下してしまったが、勝手に叫ばせてください。
全然サボってないし、10時間くらいずっと画面見て、わからないことは年下の先輩にこまめに聞いてる。
でも遅い。予定に間に合わない。
でも遅い。PMいわく「残業させないためにスケジュール延ばしたんだから、定時で帰ってください」
それを見込んで転職したんだが、こんなにもついていけないとは思わなかった。まだ1ヶ月だけど。
残業されると残業代を出さないといけないし、残業代とは関係なく残業したらプロジェクトの収支に関わるから、
前置きが長くなったけど、言いたいのは
「無能なのは自分のせいなので、タダ働きでいいから与えられた仕事を全うさせてください」